いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

わがままこそ最高の美徳。

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最高のロケーションに恵まれている熱海の自宅に戻ったものの、早くも「何かをしたい…ゆっくりするのは老後でもいい…」とソワソワしている。小学生の頃、ムライ君という友達がいた。みんなでムライ君の家に集合してファミコンをやることが大好きだったのだけれど、朝9時前にお家にお邪魔をするのはダメだと親から止められていたので、8時頃から「早く9時になれ…早く9時になれ…」とソワソワしていたことを思い出した。


明日から東京に足を運び、そのまま大阪に向かいます。隙間時間や11日以降は時間に余裕があるので、何かあれば誰でも気軽にご連絡ください。と、ここまで書いていた時に、自分の人生を大きく急展開させるようなハプニングのお知らせが届いた。なんでもない日が、一転、とんでもない日になってしまった。私には、たぶん、こういう出来事を【穏やかな日々を望みながらも】歓迎している節がある。

無料の喫茶店をやりたい。


数ヶ月前、Twitterから「図書館みたいな、宿泊施設も兼ねる喫茶店のようなものをやりたい」という投稿をした。基本的な使用料金は完全に無料で、珈琲も無料、料理も無料、欲しい本があれば自由に持って行ってOKで、返却の必要もない。場合によっては宿泊も可能、なんなら泊まってくれたひとには百円あげちゃうくらいの、そういう場所を作りたいと思っていた。

月日は流れ、熱海に家を持ち、気がつけば「わたり食堂【0円食堂】」という名前で、上記のような循環型の催しを実験的に試していた。いま、熱海を離れる機会も増えて、正直に言えば「もっとこの家を有効に活用できたらいいなあ」と思っていた。そういうことを親愛なる女性に話したら、わたり食堂をイベントとしてではなくお店としてやってしまえばいいじゃないですかという提案をもらった。


それもありなのかもしれない、と思う。誤解を恐れずにいうと、家も金も仕事もなかった人間が死なずに生きてこれたのは「ストックはないけどフローはある」からだと思っていて、これを坂爪圭吾という個人だけではなく、お店という目に見えるものにも適用してみたときに、どのような反応が起きるのか(そもそもで成り立つのか)ということに、最近、再び興味を抱くようになった。


自宅を開放するリスクと魔法。

現在も、基本的に熱海の自宅は開放されているために、不定期で様々な人が訪れる。というようなことを話すと、頻繁に「危ない目にあったことはないのですか?」と尋ねられる。危ない目にあったことはそれほどなく、朝、7時半頃に目覚めたら隣に40代の女性がいて「おはようございます」と言われてビビったことがある程度だ。

私が海外などにいっている時は、過去に出会った方から「熱海でゆっくりしたいので使わせてもらってもいいですか」という連絡が届き、自由に、好き勝手に使ってもらっている。あるひとは友達を呼んで宴会を開き、あるひとは都心の喧騒を離れて瞑想をするために、あるひとは制作に集中するためのアトリエとして活用したりしている(らしい)。久しぶりに熱海に帰ると、家を出る時にはなかったはずの食材や調味料や酒類などが追加されていて「魔法みたいだ!」と思う。

家には「みんなの財布」といって、誰でも自由に使える財布が常設されている。別に大した金額がはいっている訳でもないのだけれど、家に帰るたびに、財布の中身が(家を出た時よりも減っているのではなく)増えていることに驚く。金銭に限らず、クオカードなどの商品券や、ハーゲンダッツの引換券や、熱海駅までのバスの回数券などが追加されていて「魔法みたいだ!(再録)」と思う。

奇跡は余白に舞い込む。

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無用の用という言葉がある。使い方は間違っているけれど、余白があるからこそ(自分で用途を限定しないからこそ)舞い降りてくる奇跡がある。自分の想像を超えた出来事、自分の狭い知識の範囲を飄々と飛び越えてくれる出来事に遭遇したとき、私は、なんだかとてもうれしくなる。人生ってこんなこともあるのか!と、自分の目の前に起きていることを楽しんでいる。

もちろん、余白の中には「これはちょっと歓迎できないな!」というようなことも舞い込んでくる。お金が増えることもあればお金が減ることもあるし、部屋が綺麗になることもあれば部屋が汚くなることもあるし、朝7時半に起きてみると隣に(夜にはいなかったはずの)女性が座っていたりすることもある。

私としても「自由にしてください」と公言している手前、引くに引けない場面がある。正直に言えば「それはないでしょー!」とも思っているけれど、同時に、あんた、よく、そういうことができるもんだねえという感動も覚えている。そういう時は、もう、自由のどすこい相撲である。お前に自由があるように、俺にだって自由があるんだぜ、と、相手以上の自由を行使することで乗り越えてきた。

『わがままこそ最高の美徳』

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、ヘルマン・ヘッセ著作『わがままこそ最高の美徳』です。タイトルだけで充分に素晴らしいので、読まずとも本棚に並べておくだけでグッドなフィーリングです。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、24時間以内に折り返しご連絡をいたします。

※※※ こちらの本は、クアラルンプールにわたりました ※※※

人生の下劣さに対抗する最良の武器は、勇気と、わがままと、忍耐です。勇気は私たちを強くし、わがままは愉しさを生み出し、忍耐は平安をもたらしてくれます。ー ヘルマン・ヘッセ『わがままこそ最高の美徳』【草思社


「正しさ」より「楽しさ」

ほんとうはもっと違うことが書きたかったのだけれど、さきほどのハプニングが原因で、平静さを完全にロストしてしまった。何が言いたいのかというと、無料の喫茶店的なサムシングをやってみたいので興味のある方は一緒にやりましょう!ということと、いままでにないやり方で何かを開放してみた時、思いもかけない(良いも悪いもまるごとひっくるめて)面白い目にあえることがあるということです。


生きているといろいろなことがある。そういう時、過去の自分の言葉に支えられることがある。自分の力で「どうにきゃしなきゃ!」と肩肘を張ってしまうこともあるけれど、しかし、人生の大半は「【自分の力を超えた所で】どうにかなってしまう」ものなのだろう。それならば、大切なことは(人生を心配するのではなく)人生を信頼して身を委ねることだ。案じるなかれ、産むが易しのマインドだ。


熱海に戻ったら、手紙が届いていた。読み終えた時に、嬉しさを覚えた。多分、楽しさには二種類ある。楽しいけれど「虚しい」時と、楽しい上に「嬉しい」時の二種類だ。ほんとうの楽しさの中には「(そのひとと出会えたこと・新しい自分自身と出会えたことの)嬉しさ」がある。表面的には過酷に見えることでも、心の底では「いよいよきたか…(ゴクリ)」と高鳴る胸の鼓動を感じている。ひとのこころを動かすものは、正しさよりも「楽しさ」だ。


こんにちは。そろそろ熱海のご自宅へ戻られた頃でしょうか?先日、といってもしばらく経ってしまいましたが、わたり文庫で銀色夏生さんの「夏の森」を送って頂いた○○です。わたり文庫、ほんとうにありがとうございました。お花や、葉っぱの手紙や、いろいろ一緒にはいっていて受け取って嬉しくてたまらなくなりました。夏の森、読んでいます。銀色夏生さんの本はたくさんは読んでいないのですが、「とにかく あてもなくても このドアをあけようよ」という詩集が大好きで、でも「夏の森」もやっぱりすごくいいなと思いました。詩集というのは他のものでもそうかもしれませんが、読む時によって書いてある言葉の受け取り方や、心に響く言葉が変わってくるのがすごくおもしろいというか、不思議だなあと思います。雨ふりの午後にゆっくりと読みたくなる本だなと思いました。またこの本もわたらせていけたらなと思います。

そして、ブログをいつも読ませて頂いて、元気というか「あ、これでいいんだ」「私でいいんだ」感をいつもたくさんもらっています。どうしたらいいのかつまった時、すごく孤独を感じている時、おもしろみを感じられない時。そんなときにブログを読むと、ふと私の中の根本の自分にかえっていくような気がするのです。そこにはどっしりと構えてる自分がいて、その自分を発見すると、ああ、別にこれでいいんだと安心する。全然うまく言えませんが。そして、少し新しい考え方や感じ方も出てきて、現状は何も変わってなくても、なんか前に進んでいる気もする。本当に、いつも、ありがとうございます。

これからも体にはご慈愛していただきながら、坂爪さんのますますの「生」を、ブログ等を通じて感じさせてください。

いよいよ夏がやってきますね!!










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人生は続く。

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坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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