いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

命よ、踊れ。

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熊本を経由して大阪にはいり、いま、熱海に向かう東海道新幹線の車内からブログ記事を更新している。7日(木)七夕には、東京の国立市で開催されるお話会に登壇(?)することになった。誰でも参加できる内容になりますので、気軽に遊びにいらしてください。


久しぶりに熱海に戻るために、いま、胸が高鳴っている。庭の花はどうなっているだろうか。家を出る前に蒔いた種は、芽を出しているだろうか。近所のおばあちゃんや野良猫たちや野良猿たちは、元気に暮らしているだろうか。海は、空は、山は、川は、さえずる鳥の鳴き声は、いまも変わらず綺麗だろうか。たったそれだけのことを考えるだけで、いま、胸が高鳴っている。

帰る場所があるということ。

静岡県熱海市にある伊豆山に家を用意してもらったのが昨年の12月末、それから、わたしにも帰りたいと思える場所ができた。およそ2年間に及ぶ『家のない生活』をしていた私にとって、風呂があること、トイレがあること、布団があること、食器があること、屋根があること、これらのすべてがひたすらにありがたかった。

家のない生活をしていた頃は、帰る場所がないことは日常茶飯事だった。家のない生活の最大の弱点は「横になれないこと」であり、私は、適当なカフェや公園やカラオケボックスを見つけては、こまめに休憩を取るようにしていた。ひとつの用事を済ませては、また次の用事を済ませるために必要なエネルギーを適当な場所で充電する、その繰り返しの日々を過ごしていた。

当たり前のことだけれど、このような生き方をしている限り「まとまった疲れを取る時間」というものを確保することはできない。だからなのだろうか、当時の私の身体は、いま以上に常に緊張状態に置かれていて、ほんとうの意味でリラックスをできるような瞬間は、多分、皆無だったのだと思う。

ああ、自分はつらかったんだな。

当時の自分にとって、家がないことは「当たり前の日常であり、悲しいことでもなければ苦しいことでもなく、ただ、家がないというだけのことだ」と思っていた。これは決して強がっている訳ではなく、当時の私の、偽りのない実感になる。しかし、実際に帰る場所を与えられたいま、当時の自分を振り返りながら「よくもまあ、2年間もやったものだ」と思う。いま、再び同じことをやれと言われても、胸を張って「やりたくありません」と言う。

家が与えられて間もない頃、風呂に感謝をし、トイレに感謝をし、布団や食器や屋根があることにひたすら感謝をしていた時、ふと、ああ、おれはずっとつらかったんだなという言葉が口を出た。特に何かを思って言った訳ではない、ただ、思うよりも先に、自然に口から言葉がこぼれて来た。すると、自分でも何が起きているのかもわからないまま、どんどん、どんどん、おさえることのできない涙がこぼれてきた。

ああ、自分はずっとつらかったんだなという言葉は、自分でも意識することのなかった心の深い所にある【置き去りにされていた感情】を掬い上げ、涙となり、おさえても、おさえても、おさえることのできない結晶となって、私の瞳からこぼれてきた。自分では平気なつもりでいたことでさえ、心の深いところでは、確実に自分を傷つけていたのだということを、涙を通じて、私は思い知らされた。

忘れたものを探すため。

熱海に戻ったら、庭の花たちに水をやろう。玄関の前の掃除をしよう。夏に備えて扇風機を探そう。手紙の返事を書こう。鳥の鳴き声に耳をすませよう。天気が良ければ、海に行こう。ひとりきりでも泳いでみよう。帰り道には温泉に寄ろう。馴染みの飲食店で、馴染みのメニューを注文しよう。夜になったら、ギターを弾こう。読書をしよう。日記を書こう。それにも飽きたら、窓を開けて、星空を眺めながら、虫の音でも聴きながら、布団の中でゆっくりと眠ろう。

なんでもない当たり前の生活を思うときに、ああ、当たり前の生活のなかには、こんなにもカラフルな幸せがあるのだということを、何度も何度も忘れては、何度も何度も思い出す。それならば、これだけ大好きだと思える場所がありながら、なぜ、私はこの場所を離れてどこか別の場所へと、懲りることなく足を運ぶのだろうか。それは、もしかしたら「忘れたものを探すため」なのかもしれないと思う。

生きている限り、ひとは何かを忘れてしまうし、ひとは何かを失っていく。しかし、失うことと、忘れることは違う。失ったものを取り戻すことはできないけれど、忘れてしまっただけのことならば、何度でも思い出すことができる。どこか遠くにあるものを探しに行くのではなく、いまここにあるもの、すでに備わっていることを思い出すために、私は、いまいる場所を離れようとするのかもしれない。

『悲しみの秘儀』

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、若松英輔著作『悲しみの秘儀』です。こちらの本は、数日前に博多駅前で野垂れ死にかけていたときに、避難所として駆け込んだ紀伊国屋書店で購買した(そして見事に復活を果たした)、奇跡の一冊になります。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、24時間以内に折り返しご連絡をいたします。

※※※ こちらの本は、石川県にわたりました ※※※

かつて日本人は、「かなし」を、「悲し」だけでなく、「愛し」あるいは「美し」とすら書いて「かなし」と読んだ。悲しみにはいつも、愛しむ心が生きていて、そこには美としか呼ぶことができない何かが宿っている。人生には悲しみを通じてしか開かない扉がある。悲しむ者は、新しい生の幕開けに立ち会っているのかもしれない。 ー 若松英輔「悲しみの秘儀(表紙帯の文章より)」【ナナロク社】


命は踊りたがっている。

私の母親は山形県の小国町という雪国の出身で、小さな頃、雪が降る度に「冬が長ければ長いほど、春を喜ぶことができる」ということを口にしていた。最近、このフレーズを頻繁に思い出す。悲しみを通過しなければ、苦しみを通過しなければ得られない喜びが、きっと、この世界にはたくさんある。




ここ数日間は、個人的にも厳しい時期が続いていた。そのすべてを綴ることはできないけれど、悲しみが深ければ深い分だけ、苦しみが深ければ深い分だけ、自然の雄大な営みが、美しい音楽の旋律が、すれ違うひとの優しさが、いつも以上に身に沁みることがある。時には「ああ」と言葉を失うほどに、時には涙が出そうになるほどに、疲れていたはずの命が、枯れ果てていたはずの命が、再び踊りだす感覚を覚えることがある。




冬のような時期が続いたとしても、季節が春を運ぶように、命は踊りたがっている。どれだけ厳しい状況に置かれたとしても、どれだけ苦しい状況に置かれたとしても、この命は、ひとつの小さな生命は、どうしようもなく生きたがっている。海や空を愛するように、動物や植物を愛するように、自分の中にある自然を、自分の中にある生命を、最期の瞬間まで護り抜きたいと思う。




命よ、踊れ。


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人生は続く。

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