自然のままの姿が、多分、一番美しい。
手書きの手紙を受け取ると、うれしくなる。人柄に宿る体温が、文字を通じて伝わってくるからなのだろうか。届いた手紙のすべてに返信をすることはできないけれど、出来る限り、自分も手書きで返事を書くようにしている。手紙を書くことはあまり得意ではないから、代わりに、季節の花を封筒にいれる。ちょっと前は梅の花を、最近ではジャスミンの花を、自宅にいない時は道端の草花を勝手に拝借して、そのまま、封筒の中に投入している。
手紙を書く時間と、荷物を封筒に詰める時間と、手頃な花を見つけるために外をうろついている時間は、自分にとってはとても幸福度の高い時間になる。一年前の自分が、いま、手紙に花を添えて誰かに贈るようになっているだなんて、想像することもできなかった。花を添えるようになったきっかけは、熱海に家を用意してくれたムラキテルミさんが、ことあるごとに花を与えてくれたからだ。花をもらうとうれしくなるという感覚を、この【うれしさのバトン】を、いま、私はムラキテルミさんから受け継いでいるのだと思う。
ローズマリー軟膏
神奈川県のT様から、新作の自家製ローズマリー軟膏が届きました。添えられていた手紙に、ふわっと、心が軽くなるようなうれしさを覚えた。ひとは優しいということ、そして、優しいT様からこうしてバトンを託されていることに、不思議な縁を感じた。丁寧な時間が流れている。ご希望される方に無料で郵送いたしますので、必要な方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。
※※※ こちらの募集は終了いたしました ※※※
圭吾さんへこんにちは。今日はいつもより多めに軟膏を送りたいと思います。見た目がフラットになっていないものは、私が知人に差し上げる物用として冷蔵庫内でとっておいたものをスパチュラで入れたものです。気温も高めなので、やわらかくなりやすいですが、手荒れで困っている方々にプレゼントして下さい。圭吾さんからもらうことで、きっともらった方はさらに嬉しいと思います。軟膏を使って下さる方々へお伝えください。夏場は涼しい場所に置いて下さい。とてもやわらかくなりますので。それから、何か不足しているものはありますか。消耗品でも何でも、気がついたものがあれば言って下さいね。⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎
【過去記事】大切なのは、出発することだ。 - いばや通信
『夏の森』
今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、一冊ではなく三冊になります。一冊目は、過去のブログ記事で紹介した銀色夏生さんの最新の詩集『夏の森』です。この本は、数日前に大阪に足を運んだ際に、ご連絡いただいた女性から美々卯のうどんすきをご馳走していただいた(他にも書き尽くせない程の贈り物をいただきました)際に、受け取った本のバトンになります。
※※※ こちらの本は、兵庫県にわたりました ※※※
幸福な人っていうのはどんな状況の中でもどんな景色の中にもどこかいいところを見つけられる人そしてどんなにすばらしい景色の中にもある影をうとまない人
【過去記事】お願いだから、負けないでくれ。 - いばや通信
『わたしは樹だ』
二冊目は、新潟市西区内野町でイロハニ堂という素晴らしい喫茶店を営むS野さんから届いた『わたしは樹だ』というタイトルの絵本です。この本を読み終えた瞬間に、ああ、これはわたり文庫のためにある本だと感じてくださった天使S野さんは、即座に熱海に郵送してくださいました。生かしたいひとを生かすために生きる。S野さんは、自分にとって、生かしたいと思う(勝手に「生きていてほしい」と思っている)存在のひとりです。
※※※ こちらの本は、広島県にわたりました ※※※
そうして いつか……、わたしにも たおれる ひが くるだろう。生きて 生きて、そして そのときが きたら、わたしは ゆっくりと たおれよう。そして、つぎに やってくる タネたちの ねどこに なろう。わたしの いのちは、つぎの樹へと、森へと、つながっていくのだろう。
『老子入門』
三冊目は、移動の際に愛読していた楠山春樹『老子入門』です。「世の思想・教訓の類は、人は何を為すべきか、如何にあるべきか、を説くのが通例である。ところが『老子』は無為に生きよ、自然のままがよいという。もっとも無為といっても、何もしないということではない。無作為、つまりことさらな行為をしない、ということである(本文より引用)」ー ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、24時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、新潟県にわたりました ※※※
聖人は積まず、既く以て人の為にして、己れ愈いよ有り、既く以て人に与えて、己れ愈いよ多し。
得道の聖人は自身にためこまない。何もかも他人の為にしながら、自身はさらに心豊かになっている。何もかも人に与えながら、自身はさらに所有(徳)がふえている。
【参考HP】わたり食堂・わたり文庫
自然のままの姿が、多分、一番美しい。
私は本が好きで、かつては自宅の本棚に無数の書籍を並べていた。しかし、ある日、ふと冷静になって考えてみると「自分が素晴らしいと思うものたちを、自分の手元に置いておいただけでは、自分以外の誰も楽しむことができないじゃないか」ということを思った。そして、自分が素晴らしいと思うものほど、自分の手元に置いておくのではなく、周囲の「これだ!」と思う人達にばら撒きはじめるようになった。
自分の心を軽く扱う人達を相手にするほど、自分も他人の心を軽く扱うようになる。同じように、自分を大切に扱ってくれる人達と同じ時間を過ごすほど、自分も他人を大切に扱えるようになる。大切なものは大切な人達との時間であり、自分の心を軽く扱う人達を相手にしてはいけないのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年5月8日
耐久力のある愛を養うためには、とにかく、種を蒔き続けることなのだと思う。ひとつの場所に固執して与えるのではなく、いつでも、どこでも、何を言われても、誰にも理解されなくても、これだと思った瞬間に種を撒き続けていく。すべての種が芽を出すとは限らないけれど、時折、芽を出す果実(よろこんでくれるひとの存在)にこころが慰められることがある。そういう時は、実らなかった種のことを忘れていられる。自分に浴びせられている、罵倒の数々を忘れていられる。
自分は自分のままで咲き誇り、自分は自分のままで散り誇る。路傍の草花に魅了されるのは、其処に「有終の美」を見るからなのだと思う。誰が見るでもなく、誰に認められるでもなく、与えられた命を無心に生き抜くその姿に、心は共鳴するのだと思う。 pic.twitter.com/y1bTpVfbmZ
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年5月9日
老子の言葉に『天の道は、利して害せず、聖人の道は、為して争わず(天のやり方は、万物に利益をもたらして害することがない。同じように聖人のやり方は、万民の為をはかって人と争わない)』というものがある。自分を必要以上に大きく見せようとしないこと。同じように、自分を必要以上に卑下するような態度を選ばないこと。自然のままの姿でいることが、多分、一番美しいのだと思う。
自由とは、常にやりたいことができる状態のことだと思っていたけれど、最近は【自分が消えた状態が自由なのだ】と思うようになった。自分が自然と同一化して消えた時、楽しさも寂しさも悲しみも喜びもない、ある種の『無』だけが残る。自分が透明になるほどに、多分、すべてが自分になる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年5月10日
いつも空を見上げているような気持ちでいたい心の解放が必要だ人には時々そして帰るところも銀色夏生『夏の森(角川文庫)』
人生は続く。
静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
TEL 07055527106 LINE ibaya
MAIL keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://goo.gl/s6F9wE