いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

ひとりで生きる強さの裏側には、誰かといられない弱さがある。

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久しぶりに熱海の家に戻ったら、玄関先にあるジャスミンの花が満開になっていた。あまりにも綺麗に咲き誇っていたために、見た瞬間、思わず「うわあ」と声が出た。自分のこころの中にある、柔らかい何かが膨れ上がるような感覚を覚えて、ああ、これは夕日を見た時の気持ちと同じだと思った。それを目にした瞬間、何もかもを放り投げて駆け出してしまう、自分の小さな考え事を吹き飛ばしてくれる力がある。

花を見ると、嬉しくなる。花のゴールは、たぶん、咲くことだ。自分の命を大きく開き、無心に咲き誇る花を見て、勝手に嬉しくなる。この気持ちは、小さなこどもを見ている時に覚える、あの、躍動するような嬉しさに似ている。生きているものを見ると、どうして、これほどまでに嬉しさを覚えるのだろうか。きっと、ひとりひとりのこころの中にも花の蕾は隠されていて、それは、いまこの瞬間にも咲き誇る時を待っている。花を育てる時のように、ひとと付き合っていきたいと思う。

花と月を友にして。

家のない生活をしていた頃、自分を惨めに思うことや、得体の知れない寂しさに襲われることが、頻繁にあった。そういう時に、自分の心を慰めてくれた人物のひとりに「良寛」がいる。托鉢の生活を送りながら、詩作を続けていた良寛の生き様を思い出すだけで、元気が出た。稀に、家のない生活を送る私を見て「坂爪さんは強いですね」と言ってくれるひとがいた。しかし、移動を続ける生活は強さではなく、同じ場所に根をはることができない弱さに支えられているのだと、私は、そのように思っていた。


旅に出る人間は不幸だ。根をはる場所を見つけた人間は幸福で、根をはる場所を探し求めてさまよい続ける自分のような人間は、たぶん、不幸だ。いつでも、どこでも、どこまでも、遠くまで行くことができるという強さではなく、いつまでも同じ場所にいることができない弱さがある。それは、家を与えられたいまも変わらない。どれだけ素晴らしい環境を与えられても、また、すぐに「ひとりになりたがってしまう」弱さが出る。


自分の中にある弱さを認めてから、ああ、本当にそうなのだと、自分には弱い部分が大量にあるのだということを、いまさらのように実感するようになった。生きていれば、いいこともあるし、悪いこともある。賞賛の声が届くこともあれば、批判の声が届くこともある。いまの自分には、まだ、賞賛の声にこころを踊らせる余裕も、批判の声にこころを萎ませている余裕もない。自分のこころが「ここにはいられない」と感じる限り、静かになれる場所を求めて、また、移動を繰り返すのだと思う。

良寛

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、水上勉著作の『良寛(中公文庫)』です。「寺僧の堕落を痛罵し、妻や弟子ももたず、法も説かず、破庵に独り乞食の生涯を果てた大愚良寛。その人間味豊かな真の宗教家の実像を凄まじい気魄で描き尽くした水上文学のエッセンス。毎日芸術賞受賞作【表紙裏・内容紹介より引用】」ー ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、24時間以内に折り返しご連絡いたします。

※※※ こちらの本は、静岡県にわたりました ※※※

我生何処来
去而何処之
独坐蓬窓下
兀兀静尋思
尋思不知始
焉能知其終
現在亦復然
展転総是空
空中且有我
況有是與非
不知容些子
随縁且従容

独りで生まれ、独りで死に、独りで坐り、独りで思う。そもそもの始まり、それは知られぬ。いよいよの終り、それも知られぬ。この今とは何か。それもまた知られぬもの。展転するものすべて空である。空の流れの中にしばらく我れがいるのだ。だから、是もなければ、非もないはず、そんなふうにわしは悟って、こころゆったりと、時のすぎるにまかせておる。

静夜虚窓下
打坐擁衲衣
臍与鼻孔対
耳当肩頭垂
窓白月初出
雨歇滴猶滋
可怜此時意
寥々只自知 

静かな窓の下で、衣をととのえて坐禅を組んでいる。臍と鼻の穴をまっすぐにおくと、耳が肩までたれてくるではないか。窓が白くなった。月が出たのだ。しずくがひとつひとつ落ちる音がする。雨もやんだ。このひとときの、このこころもち、ああ、たださびしさがあるだけだ。ほかのものは何もありはしない。


ひとりで生きる強さの裏側には、誰かといられない弱さがある。

これから、幾つかのイベントが控えている。5月20日(金)からは台湾の高雄に行き、5月24日(火)には東京都国立市で開催されるトークイベントに、28日(土)には神奈川県の江ノ島で開催される『わたり喫茶』に、6月5日(日)にはタイのバンコクで開催される『わたりカフェ』に、6月8日(水)にはタイのチェンマイで開催されるトークイベントに登壇した後に、多分、ラオスに向かう。

ひとりでいたいと思いながら、同時に、ひとりではいられない自分がいる。どこかに行きたいと思いながら、同時に、どこにも行きたくないと思う自分がいる。静かになれる場所を探しながら、同時に、強烈な動を求めている自分がいる。昨日までは「これだ!」と思っていたことに、今日、何も手応えを見出せていない自分がいる。確かなことは何もなく、揺れる思いに身を委ねている。変わらないことは、ただ、自分の中にある弱さやさみしさだけだ。

何かに見惚れているとき、それは、たとえば花の美しさにこころを奪われている間だけは、自分の中にあるさみしさが消える。自分の中にある、弱さを忘れさせてくれる。ひととつながるとき、それは、強さではなく「共通の弱さ」を通じて、表面的な一体感や一時的な楽しさではなく、その根底にある「共通のさみしさ」を通じて、より深く、つながることができるのではないだろうか。弱さが強ければ強いほど、さみしさが強ければ強いほど、同じ弱さ、同じさみしさと出会えた瞬間に感じるよろこびは、大きくなるのだと思う。


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人生は続く。

静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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