いばや通信

ibaya≪いばや≫共同代表・坂爪圭吾のブログです。わっしょい└( ^o^ )┐

満足した豚に、狼の孤独は歌えない。

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愛媛県を経由して成田空港に飛び、東京駅から上越新幹線に乗って故郷の新潟駅に到着した。恐竜の日でもお馴染みの4月17日(日)は、非常にエポックメイキングな一日となったために正座でツイキャス配信をした。昔、笑う犬の生活というお笑い番組の中で「生きてるってなんだろう??生きてるってなあに??」ということを繰り返し続けるコントがあったが、いま、そのような心境にいる。坂爪圭吾が坂爪圭吾のままでいる時間も、あと、残り少ないものになるのかもしれない。


最近思うことあれこれをまとめます。

1・「生に対する執着」が消えた。


ここ最近は「一回死ね」とか「死ぬ前に死ね」とか「死に慣れるしかない」的なことばかりを繰り返し言い続けていたが、精神的に死に続けることを通じて『生に対する執着が消えた』ように感じている。生に対する執着が消えると、死に対する恐怖も薄らぐ。ひとりでもいいという覚悟を決めてから「自分はひとりではない」ということを思うようになり、死んでもいいという覚悟を決めてから「自分は生きているのだ」ということを強く実感するようになった。これは【山伏の死生観】とも似ているらしい。

2・居場所とは、場所ではなくて人間だ。


ツイキャス配信で話した内容の詳細は割愛するが、私にとって、熱海にひとつの居場所ができた。それは、熱海が温暖で暮らしやすい気候だからということではなく、ムラキテルミさんという『そのひとのことを思うだけでもこころが尋常ではなくあったかくなるひと』がいるからです。数日前まで四国で【家を拾うまで帰れま10】をやっていた最中も、ブログには書けないような愛と苦しみの時間は続いていた。しかし、私には帰る場所がある。居場所とは、場所ではなくて人間だ。自分の居場所がある限り、多分、男はいくらでも安心してボロボロになることができる。

3・美しくないものは排除する。


先日、熱海の家に遊びに来た女性が「ここって誰でも無料で泊まれるんですよねえ??それなら、あたしも泊まってってもいいですかあ??」みたいなことを言った。確かに、私は熱海の家を完全に開放している。しかし、正直なことを言えば「下品なひとには泊まってもらいたくない」と思っている。そのことを正直に相手に真っ向勝負で伝えたら、一時的に軽く衝突したものの、衝突している最中に『彼女の中にある美しい部分』を感じることができたために、結果的に和解した。

4・根本的な人間の力に大差はない。


私の父親は、過去に二回ガンを経験している。数年前に大腸ガンを患った父親は、医者から「タバコをやめろ」と言われた。しかし、父親は懲りずにタバコを吸い続けた。母親が「タバコはダメでしょ!」と言うと、父親は、驚いたことに母親に向かってあっかんべえをしたのだということを、昨日、母親から聞いた。そして、大腸ガンを患った1年後に肺ガンになり、結果的にタバコをやめた。

5・捨てなさい。


昔、山本周五郎賞を受賞した『ゴサインタン』という小説を読んだ。その作品内では神的なポジションにいる女性が登場するのだけれど、彼女は、ことあるごとに「捨てなさい」という言葉を連呼する。自分の所有物が多い人間ほど、失った時のダメージは大きい。時には「再起不能です!」というレベルのダメージを負うこともあるが、持たざる者には「喪失のダメージ」もない。幸せになりたければ、求めるのではなく、捨て去ること。得るではなく、捨て去った先に残るものが幸福になるのかもしれない。

6・自分の目で見たものを信じるひとと、自分は一緒にいたいと思う。


このような投稿をしたら、科学者もどきの男性から「自分の主観ほどあてにならないものはないというのは、科学の世界では常識ですよ」的なレスポンスが舞い降りた。自分は客観的なものの見方を大切にしているのですよ的なことを言いたかったのだろうとは思うのだけれど、私は、自分の主観を完全に排するなんて無理だろ!【客観的だと思うことは主観だろ!】と思う以上に「きっとこの男性はモテないんだろうなあ」と思ったので、無視をした。

7・好きなひとに出会うことは、好きな自分に出逢うことだ。



好きなひとを失うことは、好きな自分を失うことだ。

8・生もよし、死もよし。


「大丈夫だよ!」という言葉を使うひとの意味合いには、多分、二種類ある。ひとつは「いまは不安でも、いつか必ず安定する時が来るから大丈夫だよ【雨はあがる】」的な意味合いであり、もうひとつは「安定もよし、不安定もよし、どちらにしても大丈夫なのだ【雨もよし!】」的な意味合いになる。これらの二つは、似ているけれども全然違う。前者の「大丈夫だよ!」は、実は、現時点のあなたはまるで大丈夫じゃないということを暗に伝えている。後者の器は大きい。現在の状態にまるごとOKを出している。

9・大切にされたければ、絶滅しろ。


絶滅危惧種は大切にされる。自分自身に「大切にされたければ、絶滅しろ!」と思うことがある。どこにでもいるような生き方をしていたら、自分ひとりでも思い煩うことなく増殖を繰り返すことができるような生き方では、絶滅危惧種のような高待遇を受けることはできない。私は、絶滅危惧種のようなレアでピュアな人間が好きだ。このひとでもいいかなと思うひとではなく、この絶滅危惧種のような希少性と純度を携えたひとと同じ時間を過ごしたい【同じ時代を生きていたい】と思っている。

10・満足した豚に、狼の孤独は歌えない。


過去に、岐阜県でお会いした女性が「夢に岡本太郎が出てきたんです」と話してくれた。現在の彼女は、会社員を務めながら趣味の点描アートを行っていて、最近では仕事の依頼も舞い込むようになり、個展の予定もはいり、贅沢はできないにしても生活はそれなりに安定していて、点描に集中している時間はほんとうに幸せで、ああ、自分は幸せな日々を過ごしているなあと思っていた。そんな中、彼女の夢に登場した岡本太郎は「お前は、この程度の生き方で満足をしているのか」と言ったのだという。

彼女は、岡本太郎のひとことに衝撃を受けた。そして「このままじゃ、アカン!」と思った彼女は俄然奮起し、現在は、誰に頼まれるでもなく、誰に評価されるでもなく、いままでに挑戦したこともない特大サイズの作品の制作をはじめたのだと言う。誰かの命令ではなく自分自身の命令に耳を傾ける彼女を、誰かの評価ではなく自分自身の絶対的な評価を求めてキャンバスに挑む彼女を見て、私は、心の底から素晴らしいと思った。そして、これは彼女の話であると同時に、彼女だけの話ではない【自分自身の話でもある】のだと思った。要するに、自分自身の生き方を「生温い」と激烈に恥じた。

お前は、この程度の生き方で満足をしているのかという言葉の裏には、目の前の人間に対する強い信頼がある。それは「お前はこの程度の人間じゃないだろう」という信頼であり、自分の奥の方に眠る何かを、このひとだけはしっかりと見据えてくれているという嬉しさがある。ああ、ほんとうは、自分はもっと激しく生きたかったのだと焦がれている、胸の奥に眠る生命の存在に気付く。自分を守ろうとするのではなく、自分をダメにしてやろう。自分を投げ出してやろう。うまくやろうとするのではなく「よし、失敗してやろう。傷ついてやろう」と思う時に、自分の命が踊る感覚がある。幸も不幸もどんと来い。満足した豚に、狼の孤独は歌えない。ギリギリの道を行くものにだけ宿る魅力があるのだと思う。

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人生は続く。

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