いばや通信

ibaya≪いばや≫共同代表・坂爪圭吾のブログです。わっしょい└( ^o^ )┐

自分を責めてはいけないのだと思う。生きているだけで、充分、頑張っている。

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3月5日(土・啓蟄の日)に『第3回!わたり食堂』を開催した。二十四節気のひとつである啓蟄とは「冬ごもりをしていた虫が穴から出てくること(はじまりの時期)」であり、わたり食堂とは「誰でも0円で食事やドリンクや各種サービスを無料で楽しむことができる、フリーミールの飲食店」というコンセプトの活動です。

【イベント】第3回!わたり食堂

参考にしている考え方は「サービスを受ける側(料理を食べる側)がお金を払ってしまうと循環が起こらない。それでは、サービスを受ける側は永遠に無料で、サービスを与える側が『自腹を切ってでも与える側にまわれる環境(お金を払ってでもやりたい仕事)』があったらどうなるのだろう???」というものになります。


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前回のわたり食堂に参加してくれた女性から「当日は参加できないのですが、わたり食堂で使ってください!」と、高級なホットプレートが驚いたことに二台も届いた。実際にこの場所に足を運んでくれた方々が、これがあったらいい、あれがあったらいいと思うものを、私達のもとに届けてくれる。この家だけではない、私の暮らし全体が「善意のかたまり」によって支えられている。

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カツオのたたきを持参してくれた方や、

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即座に花見が出来そうな手作りの料理や、

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熊本県からは、高価なたまごも大量に届いた。

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他にも、ここでは紹介しきれないほどの様々な「善意のかたまり」が降り注いだ。半端ない大きさの鍋で大量の味噌汁を提供してくれたお坊さん、30合(!)もの持参した米を無限に炊き出し続けてくれた男性、尋常ではない美味さを誇る珈琲を淹れ続けてくれた女性や、無料でマッサージをやり続けてくれた女性など、様々な方々の様々な善意によって、あっという間にわたり食堂の場は満杯になった。

せめてもの恩返し(?)として、先日、ある方からいただいた玄米を『フリーライス』と称して、参加者の皆様に無料で好きなだけ持って帰ってもらった。大学生の若い男の子達に向かって、母親くらいの年齢の方々が「あなたたちはいっぱい持って帰りなさい!」と、勝手に(?)袋に米を詰めてはわたしていた。非常にほほえましい光景で、皆、根本的には「ひとに優しい」生き物なのだと思った。

いろいろなものが循環をしていけばいいと思う。恩返しよりも、多分、大切なことは「恩送り」の考え方になるのだろう。この場所で受けた無料のサービスに対する感謝や感動は、それを提供してくれたひとにではなく、どこか別の場所で、また別の何かを必要としているひとたちに、自分がもらった恩をまわしていく。必要なことは「自分が大切にしてもらえたように、他の誰かを大切にする」気持ちだ。

「愛する」ということ。

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わたり食堂の終了後、宿泊を予定していた3名の女性と一緒に、夜遅くまで話をした。話題は「愛するということ」というようなものになり、ひとりの女性が「最近は、恋愛についてよくわからなくなっている」ということを話してくれた。女性は「私は、自分が大好きなひとには『そのひとが幸せでいてくれたらそれでいい』と思っています」と話してくれて、私は、この気持ちが本当に良くわかった。

愛情と執着の違いについて、多分、愛情とは「自分を使って相手を幸せにすること」であるならば、執着とは「相手を使って自分を幸せにすること」だ。愛するひと同士は、常に一緒にいる必要はないのだと思う。愛情の9割は執着で、きっと、ほんとうの愛は『自分ひとりでも生きていけるようにすること(自分には力があるのだということを思い出すこと)』だと、私は、思う。

これは本当に大切なことだと思うのだけれど、自分が大好きなあのひとは、自分を幸せにすることはできない。自分が大嫌いなあのひとは、自分を不幸にすることはできない。「あなたなしでは生きていけない」というのは、愛情ではなく依存になる。好きなひとと一緒にいるときは幸せだけれど、離れているときは幸せではないというのは、多分、執着だ。自分を幸せにするのは自分だけで、自分ひとりでも幸せでいられる人間同士が、きっと、最高のパートナーシップを築くのだと思う。

元気のない時も、元気のないままで生きる姿勢が、自分の中心を生きる芯になる。

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生きていれば、調子の良いときもあれば、調子の悪いときもある。不安になるのも当たり前で、さみしくなるのも当たり前だ。それを「自分のこころが弱いからだ」と見なしてしまって、自分の感情を否定したり、無理をしてまで明るく振る舞うと、自分の肉体と精神を壊してしまう。元気なときに「この調子で行こう!」と思うことは簡単だけれど、元気のないときに、元気のないままで「この調子で行こう!」と生きる姿勢が、多分、自分の中心を生きる芯になる。

きっと、人間は「愛されたいと思うとき」以上に「愛しているとき(何かを愛する自分の心に気付いたとき)」に、自分の本領が発揮される生き物だと思う。自分がされたこと以上に、自分にも何かをすることが出来た(自分にも力があるのだということを思い出せた)瞬間に、強い充足感やよろこびを覚える生き物だと思う。讃えられることよりも、ひとや、自然を、讃えることの中に静かなやすらぎを見出す生き物だと思う。

大切なことは『自分に足りないもの』ではなく『自分にすでに備わっているもの(自分に出来ること)』だ。特別な何かを成し遂げようとはしなくても、特別な人間になろうとはしなくても、自分のこころが「いいな」と思う瞬間を積み重ねた先に、多分、特別な人生はある。さみしくなることがあったとしても、不安になることがあったとしても、目の前にある何かがうまくいかなかったとしても、絶対に、自分を責めてはいけないのだ。


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人生は続く。

静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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