いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

自分を透明にすることができた分だけ、見る人の心を透明にすることができる。

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東京の国立と国分寺で開催されたトークイベントに出演してから、日高屋を経由して熱海に戻った。昔よりは初対面のひとと話すことにも慣れてはきたが、いまだに「初対面からタメ口のひと」には拒絶反応が起きる。大人にならなければいけない、などと思いながら「下品なひとだな」と確実に感じている自分もいるし、仕方がない、いまは露骨な悪態を返すことで「私はあなたが苦手です」ということを雰囲気から醸し出すことにしている。

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花屋さんで働く女性から「わたり花壇に使ってください!」ということで、ムスカリの球根をプレゼントしてくれた。素晴らしい女性の心遣いに、私のこころは瞬時に和んだ。この瞬間、私は「えこひいきしてやる!」ということを胸に誓った。本来であれば、誰にでも愛を持って接することができる人間を大人と呼ぶのだろう。しかし、私には無理だ。「自分が好きだと思ったひと」にしか、いまはまだ優しく接することができない。私のこころは花屋さんを強烈に記憶し、下品なひとのことは記憶から抹消した。


美に、触れていたいのだ。

薪ストーブを購買する。

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自分へのささやかなご褒美に「薪ストーブ(約9000円)」を購買した。いまからおよそ半年前、家のない生活をしていた私は、海や森や洞窟にテントを張って暮らしていた。野営の友と言えば「焚き火」である。火には、多分、人の心を落ち着かせる力がある。焚き火を眺めていると、寒い冬でもあたたまる、無心になる。燃える木々の音と炎に吸い込まれて、「他には何もいらない」のだと思う。



簡単な煮炊き料理をすることもできる。私は、この家を「仮に電気やガスや水道が止められても(大震災が起きても)、快適に過ごせる」ようにしたいと思っている。家の裏には畑がある。電気は、これから徐々にソーラーパネルを段階的に設置していきたい(詳しいひとは教えてください!)。水道は、畑の裏に川が流れているので適当に濾過をすれば(多分)飲める。ガスは、料理にはカセットコンロと薪ストーブを、風呂は「近所から湧き出している温泉」をどうにかすれば、多分、どうにかなるだろうと思っている。

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大量の味噌汁をつくった。近隣の方々が「あら!いい臭い!」ということで、声をかけてくれる。畑で採れた無農薬の白菜と大根を、差し入れにもらってしまった。何もない私は、ひたすら「ありがとうございます!」を連呼する。引き続き味噌汁をつくり続けていると、また別の男性が「みかんの木はとても良く温まるんだよ、俺ん家のみかん畑からなら、いつでも枝を持っていってもいいよ」と声をかけてくれる。私は、ひたすら「ありがとうございます!」と連呼をする。伊豆山に暮らす人々は、皆、驚くほどにあたたかい。

ローズマリー軟膏の奇跡。

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過去記事で話題(?)になった「ローズマリー軟膏」が、T様のご好意により追加で複数個届きました。手元に(幾つかは東京で配布をしてしまったのですが)まだ三個だけ残っています。すべての方にお渡しすることはできない(すべての方に返信をすることはできない)のですが、手荒れにお悩みの方など、ご希望される方は何かしらの方法でご連絡ください(ローズマリー軟膏についての詳細は、過去記事をご覧ください)。


※※※ こちらの募集は締め切りました ※※※

『ビロードのうさぎ』

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、私の大好きな酒井駒子さん絵・抄訳の『ビロードのうさぎ』です。こちらの本は、宮城県気仙沼からエバーグリーンのリースと一緒に届きました。話の内容もさることながら、絵がほんとうに素晴らしい。そして、多分、自分を透明にすることができた分だけ、見る人の心を透明にすることができる。ご希望される方は、これまた何かしらの方法で坂爪圭吾(さかつめけいご)までご連絡ください。

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

しなきゃいけないことなんて、本当は何ひとつないんだ。


トークイベントなどに出演すると「何かメッセージをお願いします!」と、お願いされることがある。しかし、私には言いたいことが何もない。そのままでいいし、そのままがいいのだ(好きにやればいいのだ)と思っている。このブログにおいても、自分が書きたいと思ったことを書いているだけで、誰かに「こうするべきだ」とか「こうしたほうがいい」とか、そういうことを思って書いたことはない。

稀に「坂爪さんは発信が上手ですね!」とか「坂爪さんは表現者ですね!」とか言われることがあるが、正直、ピンときていない。このブログ(そして坂爪圭吾という人間)の役割は、『表現』でもなければ『発信』でもなく『存在』だ。私の役割は『存在(存在を讃えること)』にある。存在していることの不思議、存在していることのよろこび、存在していることの驚きを、言葉にしているだけなのだと思う。

生きているとはどういうことなのだろうか。生きていないということは、どういうことなのだろうか。さみしくなることがあるとすれば、それはどういうことなのだろうか。居場所がないということは、居場所があるということは、どういうことを指すのだろうか。わからないまま、わからないまま、確かに存在しているものがある。いま、生きているということ、自分が自分であるということ。手があり、足があり、動かすことができるということ、やがて、動かすことができなくなる日が来るということ。生きているということは、多分、存在の不思議に触れることだ。


【追記】イベント参加者の男性から感想のメールをいただきました。心のある素晴らしい文章だと思ったので、全文を転載いたします。

坂爪 圭吾 様


こんばんは!昨日は本当にありがとうございました。
もう熱海には帰られましたか?ゆっくり体をお休めくださいね。
申し遅れましたが、静岡県出身で愛知県在住、フィリピンに渡航予定の⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎です。

昨日のお礼と、自分が感じたことに関して、思うがままに書いてみようと思います。
正直に言ってしまえば、昨日はあふれる高揚感に自分自身が振り回され、
話したいことの半分も話せていないような気がしたので...

まずは、昨日お会いする機会を持てたことに関して、本当に幸運に思っています。
坂爪さんの存在を発見したのは(Web上で)、ちょうど社会人になって半年ほど経った頃のように記憶しています(14年入社なので、14年夏です)。
閉鎖的な社内風土に嫌気がさし、「社会 おかしい」とか「日本 狂っている」というワードをGoogleに打ち込んだところ、
「この社会がバグっているのだから、合わない自分はおかしくない、むしろ正常だ」という言葉を見つけ、
こんな言葉を待っていたんだ!と狂喜乱舞しながら、いばや通信の過去記事を読み漁りました。

その後、いばや通信の更新を日々心待ちにしながら、常に自分の拠り所としていました。
2014年の年末には、意を決してLINEで坂爪さんにコンタクトを取り、会う日時の提案まで頂いたのですが、
自分の都合が付かず、結局その提案は実現することなく流れてしまいました。
今考えると、「坂爪さんに会うにはまだ早い!適切なタイミングというものがある!」ということだったのかな、と思っています。
イベントの告知などを頼りに、常に会う機会を探しつつ、いばや通信を見ながら現実逃避の道を探る日々。

正確な時系列で覚えていないので恐縮ですが、その後MAYUCHAPAWONICAさんやイギリス滞在中のAki Miyanishiさん、
みっつさん、いばやメンバーズの方の言葉を見つけ、実際に会ってもいないのに助けられていると感じ、前に進む力をもらい続けてきました。

社会人生活も2年目に突入し、現在は生産管理課でひたすらデータインプットの毎日。
15年4月から16年3月と、1年間の研修予定で、最近ではカレンダーにカウントダウンを書き、「あとxx日...」と数えながらやり過ごしていました。
当然日々に充足感は存在せず、こうやって過ぎていく日々に何の意味があるのだろう、
自分が生きている意味ってなんだろうと、答えを出しようもない問いと闘っていました。
Twitterにおける坂爪さんの発言をお気に入りに入れまくり、自分のお気に入りツイート=坂爪語録、と化していました(もちろん今も)。

唯一生きがいを感じていたのが、社内英会話講師としての仕事。
こんな自分を頼りにしてくれる人がいる、その人たちと直接関われることで、生きる意欲をかろうじて保っていました。

そして、「データと向き合っていても自分は死んでしまう、将来は人と関わる仕事に就こう、言葉を大切にしながらやりたいことをやろう」
と考えていた矢先、今年の1月上旬に「現在の職場で1年間の研修延長」が告げられます。

これ以上やっていたら自分は死んでしまう、自分に嘘をついて自分を苦しめ続けてはいけない。
そう考えた私は、ずっと興味を持っている「海外勤務」、そして「人と関われる仕事」を軸に、転職活動をスタートさせました。
そして幸運にも1月下旬、法人向けの英会話トレーニングのスタッフとして、フィリピン駐在の内定を頂いたのです。

同時並行で進めていた翻訳業務の求人応募も、2月7日の午前に羽田空港で最終面接の機会を頂き、
ようやく自分の人生が動き始めた、将来への光がぼんやりとでも見え始めたと思っていました。

そして、どこで目にしたのか忘れたのですが、坂爪さんが週末東京に来るという情報を発見し、
もしかしたら会えるかもしれない...!と淡い希望を抱きながら情報を探し、昨日午後の部を見つけたというわけです。

そして当日は予想以上に面接が長引き、タクシーで慌てて駆け付けた先に、ようやく坂爪さんを目にした時の感情は忘れられません。
ふわっと力が抜けるような、芸能人を見つけた時に抱くようなテンションとも違う、不思議な安心感。
それは、トークが始まっても変わりませんでした。みっつさんと坂爪さん、2人から漂う「トゲのなさ」というのでしょうか、
言葉足らずで申し訳ありませんが、とにかく感激と安堵とで、夢のような時間だったと思います。
ただ、坂爪さんに会いたい、直接話したいという感情が先立つあまり、他の参加者の方々とのお話が少し疎かになりかけたのは、
まだまだ未熟な自分を表しているなあとも感じました。次は、舞い上がりすぎないことを目標にします。笑

お話会それ自体は、本当にいろいろな人が集まっていて、同じ人間でもこんなにタイプが違うのか、面白いなあと感じていました。
中でも、新潟出身の女性のお話と、それに対する「言葉に心が乗っていますね」という坂爪さんのコメント、
東京出身の女性のお話にあった、「IKEAの家具を組み立てた時に感じる生きる喜び」などに共感し、凄く心を動かされました。
また、自分から坂爪さんへの質問に対して、「しっかり答えたい」と仰って下さり、
「正直で偽りのない言葉を発する人が好きだ」という回答を下さった時は、言いようもない喜びを感じました。
こうして書くと際限がなくなってしまうのですが、とにかく幸せで満ち足りた時間だったように感じます。
写真も、一生の宝物になりそうです。添付いたしますので、よろしければお納めください。

Facebookの友人申請もありがとうございます、承認が遅くなってしまって申し訳ありません。
実はあのお話会の後、大学時代の恩師と夕食を共にし、実家に戻って将来に関する話をしました。
慎重派の両親は「フィリピンに行ったこともないのに大丈夫なのか」「やっていける自信はあるのか」とアドバイスをくれ、
自分はそれに一つ一つ答えていたら、いつの間にか時計の針は進み続け...そして今日、有給を半ば無理やり行使する形で実家にいるというわけです。
昨晩の家族会議を経ても自分の意志は変わらず、幸いにも「自分の人生は自分で決めていきなさい」と両親の理解も得ているので、
おそらくはこのまま今の会社を退職し、フィリピンに行くことになりそうです。

ただ、たとえ今後の人生がどうなろうとも、坂爪さんからあのような温かく誠実なお言葉を頂けたこと、
坂爪さんとみっつさんの穏やかな雰囲気に触れられたことで、自分の中の希望の種はいつまでもなくならないような、そんな気がしています。
実際にお会いしたことで、坂爪さんとみっつさんが、自分の中で確固たる支えのようなものになりました。
それを通して、いばやメンバーズの皆さんとも近づけたような感情を勝手に抱いています。

「中途半端な未練を断ち切ること。自分を停滞させているのは、自分の甘えだと認識すること。
潔く、清々しく生きるためには「被害者意識」を捨てること。自分のために生きることが、誰かの力になることを信じること。
不安や恐怖や猜疑心と一緒に扉を開くのではなく、静かな勇気と共に開くこと。」

坂爪さんのこの言葉、数ある言葉の中でも特にお気に入りの一つです。
「いつでも死ぬ覚悟」「最悪一人でもいい覚悟」を携えて、勇気と共に新しい扉を開きたいと思います。(あ、でも優しくて誠実な彼女は欲しいです)

昨日、帰りの新幹線の中で読んだ本の中に、非常に印象的な言葉がありました。
「人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。ぼくは逆に、積みへらすべきだと思う。財産も知識も。
蓄えれば蓄えるほど、かえって人間は自在さを失ってしまう。過去の蓄積にこだわると、いつの間にか堆積物に埋もれて身動きができなくなる。
人生に挑み、本当に生きるには、瞬間瞬間に新しく生まれかわって運命を開くのだ。
それには心身とも無一物、無条件でなければならない。捨てれば捨てるほど、いのちは分厚く、純粋にふくらんでくる。
今までの自分なんか、蹴トバシてやる。そのつもりで、ちょうどいい。(岡本太郎『自分の中に毒を持て』より)」

この言葉の紹介と一緒に、中学時代に学級通信の裏面で目にして以来、辛いときはたまに見ている「人間のうた」も、PDFとして添付させて頂きます。
お時間があって気が向いたときにでも、ご一読頂ければ嬉しいです。

これからも、坂爪さんのTwitterFacebook、そして何より「いばや通信」は、僕にとって生きる希望であり続けると思います。
自分の祖父が生前愛して止まなかった熱海に居を構えられているのも、きっと何かのご縁なのかなと感じていて、
必ず足を運びたいと考えています。その時は事前に連絡させて頂きますので、よろしくお願いいたします。

長文乱文で失礼しました。またお会いできる日を、心待ちにしています。

――― 人生は続く。

⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎


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人生は続く。

静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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