私は地球に愛されている。
自分がいいなと感じるものと触れ合うことで、自分の身体をチューニングできる。整っていない身体は不協和音を発して、周囲の人を混乱の嵐に巻き込む。大事なことは、高いテンションの維持より「自分をチューニングできる時間と場所」だと思いました。 pic.twitter.com/GlhryJMg8N
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016, 1月 27
家のトイレの本棚に、いつもオススメの本をビッシリ入れておいて、遊びに来た人がトイレに行くと全然帰ってこないのをひそかにほくそ笑むという「人が出てこれないトイレ」遊びをして楽しんでいたのですが、これからは、見も知らぬたくさんの人のところにオススメの本が届くと思うと、ニヤニヤが止まりません。
坂爪さんという人が世の中に生きているということを知れたことが、私がFacebookを始めて一番良かったと思えることです。これからも勝手にファンを続けますので、お体には気をつけておすごし下さい。 2016.1.26 ⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎
仕事はつらいものだとか、結婚生活はこんなものだとか、後ろ向きな意味での「こんなものだ」に負けてはいけないのだと思う。人間は、多分、自分が決めただけ幸せになれる。奇跡は何度でも舞い込むし、そこには「こんなものだ」という天井はないんだ。 pic.twitter.com/e63PHAdZmt
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016, 1月 27
わたり大学@逢初庵(あいぞめあん)
人間関係の不幸の原因の9割は「過干渉(余計なお世話)」だと思う。期待は自分自身に寄せるものであって、他人に寄せた瞬間に甘えになる。他人の生き方に口を出すことより、誰かに何かをしてもらうことを期待するよりも、自分の日々に集中すること。 pic.twitter.com/7W9wFF1gaI
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016, 1月 27
『アイラブトラアヒル』&『ぼくたちの宝物』
どうしようもなく、俺は俺だ。
ちゃんとしなさいのちゃんととは「みんなと同じである」だけの場合が大半で、みんなと同じであることの「安心」だけを求めてしまうと、自分であることの「喜び」は遠ざかってしまう。最高の仕事は『自分でいること』であり、自分が自分になれた時、はじめて、他者とつながることが出来る。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016, 1月 25
百点満点のテストで百点を目指すような生き方をするよりも、普段は2点程度で構わないから「この瞬間は1億万点だったぜ」というキラッとした瞬間を味わっていきたい。物凄い喜びも、物凄い悲しみも、そこにあるものは実は同じで「どれだけ心が動いたか」が人生の豊かさを決めるのだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016, 1月 19
坂爪圭吾さん、こんばんわ!
今日のブログ、わたしを束ねないで。読みました。
どうしても今の、今の感情を送りたくて
長くなりそうだったのでLINEではなく、メールで感想を送らせてください。
職場のお昼休みに読んだのですが1人泣きそうになりました。
本当に、圭吾さんも、圭吾さんの周りの人も愛があり、そしてブログに綴られた文章たちが愛で満ち溢れていて前も感想に書きましたが
生きてて良かったー‼︎と感謝と感動でいっぱいです。
とくに、愛について書かれていた部分に感動しました。
私の名前が愛だからか、途中から自分について書かれているような感覚に誠に勝手ながら感じてしまいました。
私は自分に自信がありません。
そして、みんなが笑ってくれるなら、相手が喜んでくれるなら、多少自分が苦しくとも辛くともいいやーと思うような人間です。
自分の弱音や本音はしまい込んで我慢をする。
それが今までの人生で良きことだと思い、生きてきました。
でも圭吾さんのブログを読んでいて徐々に、もしかして自分をもっと大切にしていいんじゃないかな…と思い始めていました。
そして今日のブログを読んではっきりわかったんです。
自分はなんて自分という存在を卑下して生きてきたのだろうと。
自分よりももっと大変な想いをしてる人がいるんだから、自分は全然幸せだとか思ってたけど
自分の歩んできた人生は私しか歩んでないのだから
人と比べる必要なんて1つもなかったと。
自分が我慢すれば、頑張れば、みんなが幸せなんだ
とか思ってたけど我慢して何が幸せなんだと。
自分はどこか関係ない、偉いのは凄いのは周りの人で私じゃない。
私は全然ダメな人間だからせめてみんなの役に立たなきゃ!と思ってました。
違いました。間違っていました。
本当に自分に申し訳なくなってしまいました。
私は私でしかないのに、どうして生きていることを否定して生きていたんだろう。
圭吾さんの言葉の
自分が好きだと思うひとには、嫌なことを我慢しながら嫌々やる日々を過ごすことよりも、無様でも、不器用でも構わないから、完璧であることなんて望まないから、自分のやりたいことをやっていて欲しいと思う。たったひとりの自分なのだから、たった一度の人生なのだから、ほんとうの意味で自分を生かして欲しいと思う。日々は、苦しむためにあるのではなく、よろこびに触れるためにあるのだと思う。
この言葉たちが
自分が好きだと思う自分のための言葉だったらどんなに嬉しいことだろうと思いました。
愛とは「あなたはもうひとりの私です(私はもうひとりのあなたです)」と翻訳できるなら
私は光であり、引力であり、力であり、神であるなら
私は自分を愛し、同じく美しい人たちを愛したいです。
圭吾さんのおかげで気付くことが出来ました。
本当に嬉しい。心から感謝してます。
ありがとうございます(^◇^)
私にとって圭吾さんは太陽です。
そして私も誰かの太陽になりたいです。
本当に長いメールになってしまいました。読んでくださってありがとうございます。
お身体大事にしてお過ごしください。
これからも応援してます!
あと最後に私の大好きな圭吾さん語録を書かせてください
「人生は続く」
この人でいいかなではなく、この人といたいと思えるひとといること。中途半端な思いではない、自分から前のめりになって愛していけるひとやものを大切にすること。誰かに何かを言われても、自分にはこれが最高だと思える瞬間を大切にすること。 pic.twitter.com/K9gP524PJ4
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016, 1月 1