いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

私は、鏡であるならば、透明な鏡でありたいと思う。

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毎朝、近所の伊豆山神社にある石段を下駄で登って、神様的な存在に「グッドモーニング!」と挨拶をしている。私のような弱い人間は、適度に体を動かしていないと鬱になる。禅寺のお坊さんが「裸足で暮らすと風邪をひきにくくなる(足の親指と人差し指の間に、脳を活性化するツボがある)ので、冬でも裸足、屋外では草履や下駄を履くといいですよ」と言っていた。

非常にありがたいことに、いまでも、全国各地から「おすすめの本」が届いている。それを、私は、この家に来てくれたひとや、郵送を希望してくれたひとたちにまわしている。本を通じて、新しい形でのコミュニケーションが発生した瞬間は楽しい。1月18日(月)には、新潟県新潟市西区にあるイロハニ堂さんという素敵なカフェで「出張!わたり文庫」を開催します。イベント招待の有無に関わらず、興味のある方は、誰でも気軽に遊びに来てください。



また、2月3日(水)の節分に「第2回!わたり食堂」を開催することになりました。わたり食堂とは「誰でも0円で食事やお菓子や飲み物を楽しむことができる、フリーミールの飲食店」です。今回も、様々な方々のご好意により、あらゆる食事やお菓子や飲み物やその他のサービスを、すべて無料で味わっていただけることになりました。平日の昼間からの開催になるので、ひどくのんびりとした時間が流れることになるかとは思いますが、誰でも気軽に遊びに来てください。



愛は小物に宿る。

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北海道から、おすすめの本や日用品などと一緒に、一通の手紙が届いた。その手紙で折りたたまれた紙飛行機には青空のデザインが施されていて、「開封前にぜひ飛ばしてみてください」と書かれていた。素敵だ。私は、家の中を行ったり来たりかけずり回りながら、まるで少年の頃に戻ったかのように、半狂乱になりながら紙飛行機を投げ続けた。荷物が届くと嬉しくなる。開ける瞬間のワクワクは、まるで、小さな頃のクリスマスみたいだ。

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手書きの文字には人柄が宿る。

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この日は、北海道からまた別の荷物が届いた。本と一緒に、送り主の方が手作りされた「革のブックマーク」が同封されていた。四つ葉のクローバーをかたどった、とても可愛らしい栞になる。優しい心遣いが強烈に嬉しい。そして「みんなほんとうに器用だな」と感動をした。送り主の方も『私がつくったこの栞が、皆様の手をわたっていくということを思うと嬉しい気持ちになります。四つ葉のクローバーを見て、少しでも幸せを感じてくださるひとがいれば嬉しいです』と、書いてくれた。

マザー・テレサ あふれる愛』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、マザー・テレサ『あふれる愛』です。ご希望される方は、何かしらの形で坂爪圭吾(さかつめけいご)までご連絡ください。私にとって、マザーテレサとは「半端ない愛情に満ち溢れて、貧しい人の力になることに人生を捧げた女性」という程度の、非常に漠然とした印象しかなかった。この本を通じて、漠然とした私の印象は、非常にはっきりとした敬意になった。

「人間にとってもっとも悲しむべきことは、病気でも貧乏でもない、自分はこの世に不要な人間なのだと思いこむことだ。そしてまた、原世の最大の悪は、そういうひとに対する愛が足りないことだ。(中略)とにかく貧しいひとを見たら、そのひとたちのために仕える手と愛する心、それに聞く耳を持つことですよ。貧しいひとたちはね、オキ、お金を恵まれるよりも食べ物をあたえられるよりも、なによりもまず自分の気持ちを聞いてほしいと望んでいるのよ。実際は何も言わないし、声も出ないけれどもね。健康な人や経済力の豊かな人は、どんなウソでもいえる。でもね、飢えた人、貧しい人は、にぎりあった手、みつめあう視線に、ほんとうにいいたいことをこめるのよ。ほんとうにわかるのよ、オキ、死の直前にある人でも、かすかに震える手が〝ありがとう〟っていってるのが……貧しい人ってほんとにすばらしいわ」

※※※ こちらの本は、東京都にわたりました ※※※

透明になりたい。

世界は鏡だと聞く。伊豆山の生活をはじめてから一ヶ月弱、毎日、様々なひとがこの場所に足を運んでくれる。目の前にいる誰かの内面に「嫌だな」と思う部分がある時、それは、自分自身の内面にまったく同じ「嫌だな」と思う部分があるからなのだと、そういう話を頻繁に耳にする。月並みな言葉ではあるけれど、しかし、その通りなのだろうと思う。そして、私という人間も同じように、この家に足を運んでくれるひとにとって(そして、このブログを読んでくれているひとにとって)の、鏡になるのかもしれない。


この前、あるひとが「私はこんなにすごい会社で働いているんです」とか「私にはこんなにすごい過去があるんです」とか「私にはこんなにすごい知り合いがいるんです」とか、そういう類の話を延々としていた。さすがに疲れてしまったので、私は「そんなこと、どうでもいいじゃないですか」と言った。「あなたがどんな会社で働いていようが、あなたにどんな過去があろうが、あなたにどんな知り合いがいようが、それは、あなたそのものとは何も関係ないではありませんか」と言った。


私は、鏡であるならば、透明な鏡でありたいと思う。いまの私には、まだ、幾つもの『濁り』がある。この『濁り』を通じて、私は余計に感情的になったり、不必要な怒りを抱いたり、無駄な疲労を覚えたりする。そして、透明になりたいと思う私の気持ちは、決して「悟りを開きたい」という高尚な思いから来ているのではなく、単純に『楽しみたい』という思いから来ている。人間であるということを、生きていることを、楽しみたいと思っている。

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人生は続く。

静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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