いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

すべての美しいものは悲しみを内包している。

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2年間弱に及ぶ「家を持たない生活」にピリオドが打たれ、新しい暮らしを熱海ではじめてから、今日でちょうど三週間の月日が流れた。連日、様々なひとがこの場所に足を運んでくれる。多分、総勢で200人近くの人々が訪れた。今日、この場所に拠点を構えて以来、はじめて誰も訪問客の来ることがない一日を過ごした。


新月を迎えて、今夜か、明日の夜には、西の空に三日月を見ることができる。古来から、三日月は「やがて満ちて、望みが叶えられる月」であると言われてきた。しかし、西の空に三日月を見ることができる時間帯は限られていて、秋の間は一時間程度で、冬の間でも二時間程度で沈んでしまうと聞いた。冬の空に三日月を見つけることができたひとには、きっと、素晴らしい出来事が訪れるだろう。

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過去のブログ記事で「家を持たない生活により腎臓と肝臓が弱っているために、現在は、生姜とこんにゃくを積極的に摂るようにしている」という内容の投稿をしたら、非常に有難いことに、蒟蒻製造を埼玉で営む祖父母家族を持つ女性が、大量のこんにゃくを送り届けてくれた。早速、刺身こんにゃくに、付属の「酢みそ」をつけて一口食べたら、あまりの絶品具合にアゴが外れた。こんなに美味しい刺身こんにゃくを食べたのは、生まれてはじめての体験だった。

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横浜に暮らす女性からは、手紙と一緒に、五枚のハガキと、十枚の切手が届いた。手紙には「寒い日が続いております。いかがお過ごしでしょうか。先日は、お忙しい中、わざわざお礼のカードをお送り下さり、ありがとうございました。(中略)とても穏やかな一年の始まりになりました。新しい風を起こして下さりありがとう、温かな流れをつくって下さってありがとう。無意味な競争にあけくれてきたバブル世代のオバハンの目を覚ましてくれてありがとう」と書かれていた。手書きの文字には、独特の温かみが宿る。手紙を書く時間、手紙を読む時間の中には、心地良い、あたたかな静けさがある。

画像の奥にある湯呑みは、愛媛県に住む女性から贈っていただいた。誤解されると困るが、私は「女性にもてている」ということを言いたい訳ではない。ただ、これは家を持たない生活をしている当時から痛感していたことだけれど、私は『(女性という意味ではなく)女性性に支えられている』と感じることが頻繁にある。とてもじゃないけれど、男である自分だけの力では、家のない生活を成り立たせることはできなかった。同じように、この熱海での生活も、わたり文庫やわたり食堂などの活動も、様々な女性性の力に支えられている。

『ネコの吸い方』

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今回の『わたり文庫無料郵送の一冊』は、坂本美雨「ネコの吸い方」になります。ご希望される方は、誠に申し訳ないことにすべてのメールに返信することはできないのですが、どなたでも気軽にご連絡ください。はじめての方に簡単な説明をすると、わたり文庫とは「無理やりにでも誰かに読ませたい本を全国各地から送っていただき、それを、次のひとに無償でどんどん回し続けていく循環型の図書館」です。

※※※ こちらの本は、東京都にわたりました ※※※

私は、本が好きだ。だからこそ、本屋の主人を見ると「いつでも自分の好きな本が読めて羨ましい」と感じていた。しかし、この『わたり文庫』をはじめてから、全国各地から(冷静に考えてみると、開設してから一週間程度しか経っていないにも関わらず)現時点で100冊を超える本が集まった。これは完全に役得になるけれど、無理やりにでも誰かに読ませたい本が、全国各地から自分の家に届いている。それを、私は、自分の興味のある順に、好きなだけ本を読むことができる。

家を持たない生活の、一番苦しかった点は「横になることができない」ということだった。しかし、いまの私には、家がある。本がある。手紙もあるし、切手もある。風呂もあればコタツもあって、いつでもお湯を沸かすことができる。そして、いつでも、自分の好きな時に横になることができる。あたたかい布団で眠ることができる。ひとりでいることのさみしさを覚えることはあるけれど、それでも、他には何も要らない(足りていないものは何もない)という気持ちにもなる。

すべての美しいものは悲しみを内包している。


自分が好きだと思うひとには、嫌なことを我慢しながら嫌々やる日々を過ごすことよりも、無様でも、不器用でも構わないから、完璧であることなんて望まないから、自分のやりたいことをやっていて欲しいと思う。たったひとりの自分なのだから、たった一度の人生なのだから、ほんとうの意味で自分を生かして欲しいと思う。日々は、苦しむためにあるのではなく、よろこびに触れるためにあるのだと思う。


すべては流れて行く。この家も、この本も、この肉体も、この瞬間も、自分の所有物なんかではなく、借り物であり、多分、仮の物だ。自分の所有物だと言えるものは、ほんとうは何ひとつなくて、すべては『自分を経由している』だけに過ぎないのだろう。本も、金も、家も、日用品も、仕事も、腕も、足も、命も、自分からはじまるものではなく、自分を経由しているだけ(through me, not from me)だ。

今日の自分は、もう、明日には取り戻すことはできない。今日の景色も、今日の温度も、今日の音楽も、今日の友達も、今日の恋人も、今日の家族も、今夜、西の空に浮かぼうとしている三日月も、もう、明日には取り戻すことはできない。すべてには終わりの瞬間があり、すべての美しいものは、多分、悲しみを内包している。それは「永遠にはこれを見ていることができない」ということを、心の底では、誰もがはっきりと理解しているからなのだろう。だからこそ、残されている時間の中で、大切なものを大切にしていきたいと思うのだろう。


人生は続く。

静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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