いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

幸せになるのに、誰の顔色も伺う必要はないんだ。

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誰でも0円で、食事やお菓子や飲み物を楽しむことができるフリーミールの飲食店『わたり食堂』なるものを、1月10日(日)に開催した。実験的なものではあるが、幾つかの気付きを得た。昔から「無料で食事が出来る場所や、無料で宿泊できる場所が世界に増えたら、生きることのハードルはもっと下がるはずだ」というような思いがあった。そして、これからは諸々のシステムが『交換型から循環型』へと、徐々に移行していくようにも感じている。



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わたり食堂の開催にあたり、全国各地から総勢10個以上の小包が届いた。手作りのケーキやお菓子やアルコール、食器類やわたり文庫の書籍類など、届いた荷物は多岐に渡る。ひとは優しいということ。およそ二年間の『家のない生活』を通じて確信するようになったことは、こんな簡単な言葉で表現できるのかもしれない。ひとは優しい。当日は、参加者の皆様も様々な手土産を持参してくれて、とてもじゃないけれどその場にいる人間だけでは食べきれない程の料理が食卓に並んだ。

驚いたことに、熱海駅から徒歩30分程度を要する山の中にある家であるにも関わらず、およそ70名もの人々が足を運んでくれた。10代から50代まで、年齢の幅は様々で、参加者の9割はひとりで来た。友達と来たひとは限りなく少なく、皆、自分ひとりの力だけでこの場所まで足を運んでくれたのだ。私は、まさかこれほどまでのひとがやってくるとは思ってもみなかったので、開始早々、場をしきることを放棄した。「なるようになるだろう」と思い、場を、完全に成り行きに任せた。

様々な反省点はあるが、多分、無事に終了したのだと思う。家の中が、まるで動物園みたいだと思いながら、私は全体を眺めていた。本を読んでいるひともいれば、少数のグループで話し込んでいるひとたちもいるし、無心で珈琲を淹れ続ける男子もいれば、差し入れの酒をひたすらに空け続けて顔を赤く染めている女子もいた。全体がまるでバラバラでありながら、誰もが、収まる場所に収まっている。統率は皆無で、全体がまるでバラバラでありながらも、同時に成立している「調和」を感じた。

バラバラなまま、ひとつになる。

平和とは、多分、誰も規則を破るひとがいないという状態ではなく、それぞれが好きなことをやりながら、それでも、全体の調和はしっかりと取れている状態を指すのだろう。阿呆らしい表現をすると、私は、わたり食堂に集まる人々を見て「味噌みたいだ」と思った。様々な菌が混ざり合うことで、旨味が出る。バラバラなものを調整するのではなく、バラバラなものを、バラバラなままで「そのまま」成立させるダイナミックなエネルギーの営み(?)を見た。

要するに、何が言いたのかというと「みんな好きにやればいいのだ」ということだ。他人の顔色を伺うのではなく、自分が「俺はこれがやりたい!」と思ったことを勝手に始めてしまった時、多分、勝手にうまく行くような何かしらの原理が働きはじめる。そして、私は、この家を「好きにやっちゃっ邸」と呼ぶことにした。一応、フリーミールの飲食店という適当なコンセプトは設けてみたものの、根本的には「みんな好きにやってくれ」と思っている。私は、ひとが自由に好き勝手に、何かに生き生きと取り組んでいる姿を見ることが大好きだ。

そして、大切なことは「自分で楽しむ」という主体的な姿勢だ。誰かに楽しませてもらおうとするのではなく、自分から楽しめるものを見出していこうとする態度から、自分を楽しませることを発見した人間から、愛されることよりも愛することに自分の意識を向けるようになった瞬間から、周囲に何かしらの「前向きなエネルギー」的なものを撒き散らしはじめる。

わたり食堂のこれから。

第1回目の開催となる今回は、結論から言うと「完全にとっ散らかった」ものになった。私は、もっと落ち着いた雰囲気になるものだと思っていた。食堂という名前を謳っておきながら、しかし、雰囲気は完全に宴(うたげ)だった。第2回目の開催はどうなるのだろうか。同じスタイルでやるのだろうか。それとも、何かしらの新しい形式を取り入れたものにするのだろうか。

今回の反省点は「これでは持ち寄りパーティーと同じじゃないか」という突っ込みに集約される。皆、手ぶらで来ることに抵抗を覚えるのか、ほとんどのひとが何かしらの手土産を持参して来た。この優しさはほんとうにありがたいことなのだけれど、逆に、手土産がなければ参加しづらい雰囲気でもあったということになる。これではいけない。手ぶらで来てこそのフリーミール(0円食堂)なのだ。

現在の私は、スケジュールもガラ空きなので、熱海の家で手紙を書いたり読書をしながらのんびりとした日々を過ごしている。第2回わたり食堂の具体的な日程は決まっていないが、次回は三つのパート別に募集してみるというのはどうなのだろうか。食事担当、デザート担当、飲み物担当の三人の協力者を募り、それぞれが用意できる範囲の内容を持ち寄り(例えば、Aさんはパキスタンカレーを作り、Bさんは簡単なパウンドケーキやクッキーを焼き、Cさんは複数の種類の紅茶を出すなど)、それが当日のメニューになる。これで少しは食堂っぽくなる(参加する側も手土産を持って来なければいけないという心理的な負担がなくなる)のだろうか、どうなのだろうか(別にこのままでもいいのだろうか)。

※※※ 第2回わたり食堂は、2月3日(水)開催になりました ※※※


『なんていいんだぼくのせかい』

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今回の『わたり文庫無料郵送の一冊』は、荒井良二「なんていいんだぼくのせかい」です。この本は、ちょうど先程、茅ヶ崎から来てくれた女性の方が持って来てくれたものになります。読後の感想は『素晴らしい(鳥肌が立った)』の一言に尽きる。毎回、わたり文庫拡散(?)の案内が雑で申し訳ありませんが、ご希望される方は(すべてのメールに返信できないため、住所などの記入は不要です)、何かしらの形でご連絡ください。

※※※ こちらの本は、兵庫県にわたりました ※※※

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そして、今回は一眼レフ「PENTAX K-r」の循環型プレゼント(?)もあります。ことのきっかけは「私はカメラをやっているのですが、これからカメラをはじめたいと思っているひとでも、いきなり高価なカメラを買うというのはどうしても躊躇してしまうことだと思うのです。買っちゃったから仕方なく撮っているってひとも結構といると思うから、自分で高い買い物をする前に、お試し用みたいな、無料で使える一眼レフがあったらいいなって思ったんです。それで、これを使って『やっぱりカメラっていいな!』って思ったら、その時は自分で新しいお気に入りのカメラを買って、このカメラは次のひとに回す、そういうスタイルがあってもいいかなと思って」という言葉と共に、富山から来てくれた大学生の女の子が、熱海のこの家に置いてくれました。こちらは手渡し(郵送不可能)になるので、興味のある方は、お手間ですが熱海までお越しください。

※※※ こちらのカメラは、東京都にわたりました ※※※

私たちは、既に許されている。


神は「自分の好きなように生きなさい」と言っている。そのように思わされる体験を、この数年間、幾度となく経験した。そして、どれだけ肉体や精神はボロボロになろうとも、魂は「大丈夫だ」と言っている。不思議な感覚だ。どれだけ肉体や精神はボロボロになろうとも、魂は「大丈夫だ」と言っているのだ。


自分が何かを楽しむためには、別に、誰の許可もいらない。私たちは既に許されていて、この瞬間から、自由になることができる。しかし、どうしても生きていると、そのことを忘れてしまうことがある。誰かの許可が降りなければ、何かしらの条件が完璧に整わなければ、自分は自由にはなり得ない(自分は幸せにはなれない)のだという呪縛の魔法を、無意識の内に、自分自身にかけてしまうことがある。

何をしてもいいし、何を見てもいい。何に触れてもいいし、何を耳にしてもいい。何処に行ってもいいし、何処にも行かなくてもいい。何者にでもなっていいし、何者にもならなくていい。何かをしてもいいし、同時に、何もしなくてもいい。多分、幸せとは「なる」ものではなく「ある」ものだ。自分の外側にあるものを見つけ出そうとすることではなく、ただ、自分の内側にあるものを思い出そうとすることだ。


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人生は続く。

静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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