いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

【ATM-台北】復讐の感情を抱くことは、自分が毒を飲みながら、相手が死ぬことを期待することと同じだ。

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江ノ島を経由して東京に戻り、熱海に足を運んだ。これから、成田空港を経由して台北に向かう。もしかしたら、来月以降、熱海にひとつの拠点を持つことになるかもしれない。説明をするのが非常に難しいのだけれど、神様のような女性から「熱海に基地をつくるのはいかがですか」と声をかけていただいた。


家のない生活を二年程度続けてわかったことは、別に「家がなくてもどうにかなる」ということだ。もちろん、家はあった方が良い(快適な方が良い)に決まっている。ポイントは「ないならないでどうにかなる」ということを、自分の肌感覚を通じて実際に体感することだ。無駄に悩まなくなる。最近では「不食」という考え方も一般的な認知度を高めている。衣食住のうち「食」も「住」も金がかからないとなれば、多分、人生の自由度は目に見えて向上(?)する。


これがなければ生きていけないという思いは執着を生むが、なければないでどうにかなるという思いは余裕を生む。なければないでどうにかなるという感覚を手にするためには、とにもかくにも「体験」するしかないと思う。もちろん、飛び込む前は非常に恐い。自分はダメになってしまうのではないだろうかと不安になる。しかし、実際に「えいやっ!」と思って飛び込んでみると「あ、別にたいしたことはなかった。全然いけるじゃん!」ということを知る。そして、知ることの中にはよろこびがある。


新しい何かに挑戦しようと思うだけでも、元気になる。私は、熱海にひとつの拠点を構えることになったとしたら、果たして何をするのだろうか。自分のためだけに生きるのは虚しい。かといって、誰かを救いたいとも思わない。出来ることなら「みんなで遊びたい」と思っている。それでは、いま、最もホットな遊びは何だろうか。私は、何に楽しさを見出し、何に喜びを覚える人間なのだろうか。私は「そんなことってできるのかな」と思えることにトライするのが、多分、物凄い好きな人間なのだと思う。


ブルーハーツの情熱の薔薇という曲に「見てきてことや聞いたこと いままで覚えた全部 デタラメだったら面白い そんな気持ちわかるでしょう」という歌詞がある。この感覚が好きだ。いま、とりあえずそういうものだとされていることのほとんどが、もしかしたら、全部デタラメなことかもしれない。そうしてもいいし、そうしなくてもいい。根本的に「なんでもあり」の世の中で、ただ、いまの自分がやりたいと思うことのど真ん中を、皆、自分で選んで生きているだけのことなのかもしれない。


生きていれば様々な問題にぶち当たる。どうしようもない悲しみに襲われることもあれば、孤独に押し潰されそうになる夜もあるし、自分の無力さに愛想が尽きることもあれば、誰かを憎みたくなることもある。ただ、どのような状態に置かれたとしても、最後の自由だけは残されている。それは「その時、自分が置かれている状況の中で、自分はどのような態度を選択するのか」という自由だ。

憎しみで憎しみを消し去ることはできない。新しい憎しみを呼ぶだけだ。憎しみを消し去ることができるのは愛だけだ。そういう言葉を耳にする。多分、これは真実だと思う。復讐の感情を抱くことは、自分が毒を飲みながら、相手が死ぬことを期待することと同じだ。自分や相手に復讐を望むなら、最大の復讐は「許す」ことだと思う。そして、何度でも歩き出すことだ。挑戦しがいのあるテーマは、私達が気づかずに通り過ぎてしまっているだけで、多分、そこら中に転がっている。

厳しい場合もあるけれど、自分も相手も受け入れて許すことだ。許せなければ、離れることだ。自分が日常的に抱く感情が、そのまま、自分自身を形成する。憎しみの感情を抱けば、自分自身が憎悪の塊になってしまう。そんなのは嫌だ。不穏な雰囲気を醸し出してしまう。自分の意識を何処にフォーカスしているのか、出来ることならば、現在の私は「挑戦」にフォーカスしていたいと思う。挑戦は、最大の遊びだ。


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人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
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