東京の赤坂で開催されたイベントを経由して、富山県に入った。高岡の地酒である『勝駒』という日本酒を飲ませていただいたのだけれど、まるでワインのようにフルーティーで美味く、べらぼうに酔っ払った。私は、普段はあまりお酒を飲まない。理由は単純で、所持金が少ないからだ。
金は稼ぐよりも金の使い方の方が、健康よりも「健康な身体で何をやるか」の方が大事だと思うのだけれど、そこが語られることは少ない。本当の意味で生きるとは、自分の命を引き延ばし続けることではなく、自分の命を賭けてもいいと思えることに、自分の生命を注ぎ込むことではないだろうか。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 8月 29
赤坂で開催されたイベントのテーマは「ありのまま生きる」というものだった。主催者の方が「ありのままで生きているといえば坂爪さんでしょう!」といった感じで、非常に有難いことに声をかけてくれた。わたしは、自分のことを『ありのままで生きている』とも『ありのままで生きていない』とも思っていない。
要するに、ありのままであるかどうかということを、あまり気にしたことがない。ここ数日間、様々なひとから様々な質問をいただき、改めて、自分について考え直す機会になった。そこで話したことなどをベースに(大幅なフィクションを加えながら)最近思うことあれこれをまとめます。
1・坂爪さんは、普段は何をしているひとなのですか?
来場者「坂爪さんは、普段は何をしているひとなのですか?」
坂爪「うわ!その質問がいちばん答えづらいのです…誰か代わりに説明してください」
司会「えっと、坂爪さんはわたしから見ると『アーティスト』なのかなって思っているのですが、一般的にはブログを書いているひとという認識がいちばん強いと思うので、ここは『ブロガー』ということでいいのでしゃないでしょうか」
坂爪「ありがとうございます。ブロガーで大丈夫です。はじめて私を見るという方に簡単な補足をすると、1年半くらい前から『家を持たない生活』というようなものを試していて、その活動(?)を通じて思ったことなどを『いばや通信』というブログに書いていたら、だんだん色々な場所から声がかかるようになって、イベントに出たり(出なかったり)しながら生きているという状態です」
来場者「ということは、講演活動をしているのですか?」
坂爪「そういう訳でもなくて、イベントに出演することもあるのですがそれが本業という訳でもなく、文章を綴ることもあるのですがそれが本業という訳でもなく、自分にとって本業と呼べるものがあるのかどうかが謎、というか『(多分)本業がない』のです。でも、生きている、という」
2・昔から変わっていたのですか?
司会「坂爪さんはどんなこども時代を過ごしたのですか?」
坂爪「えー!(驚きと戸惑いを隠しきれない)」
司会「はい」
坂爪「それは…(ここでめっちゃ考え込む)」
司会「はい」
坂爪「どうしてそれが気になったのですか?」
司会「え、えっと」
坂爪「はい」
司会「坂爪さんは、同棲していた彼女と別れたことをきっかけに『家のない生活』をはじめることになったと話していますが、普通だったらそんなことはなかなかこわくて出来ないと思います。昔から、坂爪さんは変わっていたというか、そういうことを平気でやってしまうタイプの人間だったのですか?」
坂爪「なるほど」
司会「はい」
坂爪「どうなんだろう…」
司会「はい」
坂爪「あまり自分のことを変わっているとは思ったことがなくて(余談・自分のことを変わっていると自称するひとほど、あまり変わっているとは思ったことがない)」
司会「はい」
坂爪「多分、誰にでも『普通ならやらないことをやっちゃう瞬間』ってあると思うんです。で、それが、私の場合は『たまたま家のない生活をやってみた』というだけのことで、こんなことってできるのかな、家がなくても生活できたら家賃分が浮くから生活コストが下がって楽だな、とか、よくわからないけどとりあえずやってみようと思ってはじめたことがたまたまうまいことはまって、面白い現象に遭遇することも同時にできているので、とりあえず続けているというような状態です」
司会「そうなんですね」
坂爪「だから、自分に特別な勇気があったとも思わないし、自分だからできたのだとか思うこともできなくて、ただ、たまたまやったことが自分が想像していた以上の結果(?)を生んだので、これからどうなるのかをもっと見てみたいなあと思ったから続けているという状態です」
3・批判はこわくないのですか?
坂爪「あ、ただ、振り返ってみると『あのときのあれはベストチョイスだったな』と思えることが二つだけあります。ひとつは、家がなくなった時には金も仕事も何もなかったのですが、そして、金も家も何もないこの状態を『笑う道を選ぶか、泣く道を選ぶか』みたいなことを人生から思い切り突きつけられているように感じたのですが」
司会「はい」
坂爪「あのときに、反射神経的に『泣くのはダサい!』と強烈に思い、とりあえず、笑う道を選ぼうと決めたことです。これがファーストベストチョイス。そして、セカンドベストチョイスは『徹底的に自分を出す』と決めたことです。当時、これは直感としか言えないのですが『自分を出さなければ、多分、俺は死ぬ。しかし、徹底的に自分を出せばもしかしたらどうにかなるかもしれない』と思ったのです」
司会「自己開示ですね」
坂爪「結果論ですけれども」
来場者「質問があります」
司会「はい」
来場者「いまでも様々な批判があるとは思うのですが、そういう『自分を出す』という道を選んだ坂爪さんは、それをやろうと決めたときに、批判などはこわくなかったのですか?」
坂爪「えーっと」
来場者「はい」
坂爪「それに対しては二つのことが言えるのかなと思ったのですが、ひとつは『こわくありませんでした』ということで、これはもうひとつの理由にも繋がるのですが、もうひとつは『こわがっている場合ではなかった』ということです」
来場者「なるほど」
坂爪「批判を受けることよりも寝る場所がないことの方が深刻だったので、そんなことを気にしている場合ではなかった、というのが正直なところです。そして、この生活を続けていてなんとなく感じるのは、たとえば私が『どや!家がなくても人間は余裕じゃ!家のある生活をしている奴らは愚かじゃ!』みたいな感じの(自分を肯定するために他者を否定するような)発言をしたら、批判も相当数来るとは思うのですが、ただ、自分の身に起こったことだけを淡々と言葉にしている限りは、意外と『それを見てくれているひとも一緒に面白がってくれるものだ』ということを感じています」
4・坂爪さんには恐怖や不安はないのですか?
別の来場者「質問があります」
司会「はい」
来場者「坂爪さんのブログを読んでいると、行間から恐怖や不安というものをまったく感じないのです。代わりに感じるのは『軽さ』のようなものなのですが、それはいったいどこから来るのですか?」
坂爪「えー!」
来場者「はい」
坂爪「軽さですか…」
来場者「はい」
坂爪「なんだろう…」
来場者「はい」
坂爪「逆に聞きたいのですが、恐怖や不安はどこから来るのですか?」
来場者「えっと」
坂爪「はい」
来場者「多分、何かを失うことを恐れる気持ちだと思います」
坂爪「あー、なるほど!」
来場者「はい」
坂爪「それだと思います」
来場者「というと?」
坂爪「単純な話で、自分には何もないからだと思います。あまり意識をしたことはないのですが、自分には何もないので、何もないということは、何も失うことができないという状態でもあるので、失うことを恐れることがそもそも不可能である、ということなのかなと思いました」
5・合わないひとと会った時はどうするのですか?
別の来場者「質問があります」
司会「はい」
来場者「坂爪さんはいろいろなひとと会う生活をしていると思うのですが、初対面のひとに会う時とか、初対面のひとの家に泊まるときとか、ああ、このひとはちょっと苦手なタイプだなあと思うひとと出会ったときはどうするのですか?」
坂爪「帰ります」
来場者「帰るんですね」
坂爪「帰ります」
来場者「罪悪感とかはないですか」
坂爪「最初はいろいろ思うこともあったのですが、いまではあまり罪悪感を持つようなことは少なくなりました。乱暴なたとえ話かもしれませんが、デパートなどを歩いていて、暇で、なんとなくはいった店が自分の好みと違った時は、誰でも、そこに長居することなく、割と早い段階でその場所を離れると思います」
来場者「はい」
坂爪「だけど、自分の好みに合わなかったからといって、この店を憎むひとはいないと思います。この店はクソだと思う必要もなければ、この店なんてなくなればいいのに、などと思う必要もない。同じように、この店を好きになれない自分は間違っているのではないだろうか、みたいなことを考え始めるのもおかしな話で、ただ、自分には合わなかっただけなのだと思っています」
来場者「はい」
坂爪「まるで的外れなたとえ話かもしれませんが、別に、その店はその店のままで存在していればいいし、自分は自分のままで存在していればいいのではないだろうか、ということを思っています」
6・10年後になりたい姿はありますか?
別の来場者「質問があります」
司会「はい」
来場者「坂爪さんの話を聞いていると、なんと言いますかある種の潔さを感じるのですが、坂爪さんには『10年後にはこうなっていたい』と思うような姿ってあるのですか?」
坂爪「えっと…」
来場者「はい」
坂爪さ「ないです」
来場者「やりたいこともないんですよね」
坂爪「はい、やりたいこともないです」
来場者「そうなんですね」
坂爪「逆に言うと『10年後にはそうなっていたいけれど、いまはそうなることができない』という状態を、わたしはイメージすることができないのです。変な言い方になりますが、現在にないものはこれからもないし、これから先にあるものは、既に現在にあるような気がしています」
7・確信はどこから来るのですか?
別の来場者「坂爪さんの確信はどこから来るのですか?」
坂爪「確信ですか…確信していることなんてあるのかなあ」
来場者「あるように見えます」
坂爪「別にないような気もするけれど…」
来場者「はい」
坂爪「何かを確信できているから生きているとは思わないのですが、もしも、自分にとって何か確信していることがあるとしたら、それは『生きている』ということです」
来場者「はあ」
坂爪「自分が確信できることは、はっきりと、いま、自分は生きているということです。自分にはそれくらいしかないし、生きているということも冷静に考えてみると良くわからないこと(わからないことばかり)なので、いまはこの『生きている』という不思議に物凄い興味があります」
来場者「はあ」
坂爪「確信があるから生きているのではなくて、疑問があるから生きているのかもしれません」
8・誰かのためになどとは思わないのですか?
来場者「坂爪さんは『誰かのため』とかは考えないのですか?」
坂爪「はい」
来場者「はい」
坂爪「はい」
来場者「はい」
坂爪「ただ、物凄い大袈裟な表現になりますが、稀に『人類のため』に生きていると感じることはあります。これは『世界平和のため』とかそういうことでは全然なくて、世界平和とかは個人的には結構どうでもよくて、ただ『人類のため』に生きているのかもしれないと感じることはあります」
9・なんですかそれは?
来場者「なんですかそれは」
坂爪「はっはっは(逃避)」
来場者「……」
坂爪「これは聞き流してくれて結構なのですが、最近、自分以外の他人の生き様に触れたときに『このひとは自分の代わりに生きてくれている』のだと感じることが増えてきました。そして、自分自身は『そのひとの代わりに自分は自分の人生を生きている』のかもしれない、などと思うことがあります」
来場者「はあ」
坂爪「いま、自分の目の前にいるひとは、自分の代わりにそのひとの人生を生きてくれているのだと思うと、そのひとの話からもいつもとは違った感想を持つことができるし、良いとか悪いとかもなくて『ただそうである』ということがわかるし、日々はどちらに転んでも問題はなくて、別にいいのだと、何も恐れることはないのだという感覚になります」
10・最近は何を考えているのですか?
来場者「最近は何を考えているのですか?」
坂爪「『誰か』とは誰か?」
来場者「『誰か』とは誰か?」
坂爪「たとえば、物凄いさみしいときとか『誰でもいいからそばにいて』みたいな気持ちになることは、誰にでもあると思います。同時に、誰でもいいとか言っておきながら、全然『誰でもいい訳ではない』と思っている自分もいます」
来場者「はい」
坂爪「あと、たとえば自分は日本の音楽だと甲本ヒロトとか浅井健一とか田中和将とか吉井和哉とか小沢健二とかの歌詞が物凄い好きでGRAPEVINEの『光について』がやばい!!!みたいなことを誰でもいいから熱弁したくなるときがあるのですが、これも、誰でもいいとか言っておきながら『誰でもいい』訳ではないのです」
来場者「はい」
坂爪「(誰でもいいから)誰かに伝えたいとか言っておきながら『誰でもいい訳ではない』時の、この『誰か』とは誰か、みたいなものに興味があります。この人には話しても無駄だなとか、この人と過ごすくらいならひとりで居る方を選ぶよとか、乱暴な言い方をすれば『わかるやつだけわかればいい』的な選民思想につながることもあって、なんだかんだで考えています」
来場者「誰でもいい訳ではないですよね」
坂爪「そうなんです。(誰でもいいから)誰かといたいとか、誰かと話したいとか、誰かに伝えたいと思う時の、その『誰か』とは誰なんだろう???」
(人生は続く)
坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
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