いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

【家を捨て去る10のメリット】成功しようとするのではなく、失敗しなければいけない。ー 失敗して、ニッコリと笑う。それが真の男である。

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先日、知人が購買したシャネルの香水を借りて身に着けていたら「さかつめさんも香水とか使うんですか!家ないのに!」などと言われた。この前に訪れた奄美大島では「さかつめさんも飛行機とか乗るんですか!家ないのに!」と言われた。福岡でふぐを食べた時は「さかつめさんもふぐとか食べるんですか!家ないのに!」と言われた。「おい、コラ」と思った。いったいなんだと思っているのだろうか。

語尾に「家ないのに」とつければ、なんでも面白くなるような気がした。わたしは家を持たない生活をしている。家がなくてもどうにかなる。どうにかなるばかりか、それなりの多幸感に満ち溢れている。家を捨て去ることで感じた(わたしなりの)メリットを10か条にしてまとめます。

1・家がなくなると「家が増える」

何度も説明している人には申し訳ないけれど、私は2014年の2月に(当時付き合っていた彼女と別れて)東京での家をなくし、「家がなくても生きていけることを自分を使って証明できたら面白い」気がしたので、とりあえず試してみた。まずはSNSなどで「誰かわたしを泊めてください」と自分自身を余すことなく全身全霊で告知してみたら、いろいろなひとがわたしを家に泊めてくれた。

わたしを泊めてくれる人たちは優しいひとばかりだった。帰り際に「困ったときはまた来いよ」と言ってくれる。わたしの中で「人様の家に連泊はしない」というルールがあったので、私は基本的に毎日知らないひとたちの家に泊まったりした。結果、いつでも泊まれる家が謎に増殖した。家がなくなると「家が増える」のだ。この発見は非常に革命的で、『家がなければ生きていけない』と思っていたわたしの価値観は崩壊した。この生き方にはヒントがあると思い、わたしはこの生活を続行した。

2・家がなくなると「帰る分、進める」

当たり前の話だけれど、家がある限り「帰宅する必要」が発生する。しかし、わたしには家がない。ということは「(そもそもで帰る場所がないのだから)帰る必要」がなくなる。ということは、普通の人が帰る距離分「わたしは進むことができる」ということを発見した。これもまた非常に革命的な出来事だった。わたしは、およそ一年間『帰っていない』のだ(!)

3・家がなくなると「家賃のために働く必要がなくなる」

家がなければ家賃や光熱費などの固定費がかからなくなるので、単純に生活コストが激減する。極論「今日食うものに困らない」だけの金があれば、どうにかなる。月々の生活に必要な額は人によるだろうけれど、死なずに生きるためであれば三万円くらいあればどうにかなる。

どうにかなるのだ。

4・家がなくなると「幸せのハードルが下がる」

正直に言えば漫画喫茶で眠る日々は決して快適とは言えない。野宿となればなおさらだ。しかし、固いコンクリートの上で眠った翌日に布団で眠れる奇跡に見舞われると、布団のよろこびが何倍にも増幅する。「うおー!布団だー!横になれるよろこび!横になれるよろこび!」などと絶叫してしまう。

要するに「いままで当たり前だと思っていたものに、いちいち大袈裟に感動するボディになる」のであり、シャワーが出れば「うおー!あついお湯!あついお湯が出るよシャワー!」と雄叫びをあげ、洗濯機を借りれば「文明は偉大だ…(公園や銭湯でこっそり洗わなくていいよろこび!)」とご先祖様に感謝したくなるし、炊きたてのご飯が出てくれば「炊きたてのごはん!炊きたてのごはん!」と悲鳴をあげる。幸せのハードルが下がると、人間は一見すると当たり前のことにいちいち感動するようになる。

5・家がなくなると「いろいろなひとがいろいろなものをくれる」

恥知らずのわたしは「何もない」自分自身をSNSやブログで公開した。連絡先も完全に公開した。すると、いろいろな人から連絡がくるようになり、やがて、いろいろなひとがいろいろなものをくれるようになった。農家をやっているひとからは野菜が、お弁当が余っているひとからはお弁当が、いつしかバイクやテントや寝袋やiPadや本や食糧もろもろが、わたしのもとに送られてきた。少しだけ、ジャニーズの気持ちがわかった。驚いたことに「家をあげるよ」と言い出してくれる神様まで現れたりした。

6・家がなくなると「何処でも寝れるようになる」

何処でも眠れる人間は強い。座って休むよりも、横になって休んだ方が8倍は回復する。

7・家がなくなると「現在に集中することができる」

現在は必要最低限の荷物だけをトートバックにつめて生活をしているが、振り返ってみたときに、家には何があるのか考えてみたら「いつか使うかもしれない服」や「いつか読むかもしれない本」や「いつか使うかもしれない小物」に溢れていたことに気がついた。まるで「物置に金を払っていたんじゃないか!」と思うことさえある。いまの荷物は「いま必要なもの」だけであり、非常に身軽である。

8・家がなくなると「執着を置いてこれる」

同じ場所で同じひとたちと同じ仕事をしていたら、人間関係などの問題が生じたときに非常にストレスフルになってしまう。移動する生活の醍醐味は「現地で発生した執着を、そのまま現地に置いてくることができる」ことにある。たとえ何かで失敗しても「よし、次!」という風に切り替えやすい。

9・家がなくなると「敵が味方になる」

これは深い。いままで、わたしにとって「他人は敵」だった。それは張り合うべき対象であり、自分を騙したりしてくるような「悪的要素の強い」存在だった。しかし、家のない生活をはじめてから、すれ違うひとびとが「もしかしたら自分を泊めてくれるかもしれない」可能性のかたまりのように見えてくるようになり、たとえば30名が集まるイベントに出演した時などは「ここには30個の家があるのか…ごくり…」などと考えるようになった。自然と「味方探し」をするようになっていったのだ。

10・家がなくなると「謎のセフティネットが構築される」

いままでのわたしは「銀行に金をたくさん預けておくこと」や「安定した仕事につくこと」がセフティネットになるのだと思っていた。しかし、この考えが大きく変わった。最大のセフティネットとは「自分にもしものことがあったときに、助けてくれるひとがどれくらいいるか」になるのではないだろうかと思うようになった。ほんとうの地獄とは八方塞がりの状態に置かれることではなく、八方塞がりの状態に置かれたときに『誰も助けてくれるひとがいない』状態のことを指すのだと思う。

要するに、これは「自力」から「他力」へのパラダイムシフトである。いままでは「他人に迷惑をかけてはいけません!」とか「自分のことは自分でやって一人前(誰かに頼るのは半人前)」とか「みんなと仲良くしなければいけません」とか、自分を打ち出すことよりも周囲に合わせることの方が重要視されてきた。しかし、周囲に合わせるあまりに「自分が死ぬ」ことになってしまったらもともこもない。

以上、ざっくりと「家のない生活」における簡単なメリットをまとめてみた。最近では人前で話す機会も増えてきたので、自分の中でもちゃんとまとめておかないと壇上で混乱するハメになる。何をするにしても重要なのは『うまくやろうとしないこと』である。そんなことよりも『失敗してもいいのだ』という土壌を自分の中に養うことの方が圧倒的に大切なことであり、大胆に失敗してやればいいのだ。

うまくやろうとするのではなく「失敗してもかまわない、よし、失敗してやろう」と思えばいいのだ。そう思えば、何だってできる。失敗して、ニッコリと笑う。それが真の男である。これは非常に重要な考え方である。成功しようとするのではなく、失敗しなければいけない。「さかつめさんは偉そうなことを言いますね!家ないのに!」という声が聞こえてくる。耳をすませてはいけない。

人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
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