【FIN-ヘルシンキ】低俗な人間は「自分を肯定するために他人を否定する」 ー 「死にたくない」という感情は「負けたくない」という感情に似ている。私は何かに勝ちたいとは思わない。しかし、何かに負けたくはないと思っている。
1・「わたしが元気なこととあなたの人生は関係ない」
フィンランドは超絶個人主義の国で、元気ですかと尋ねても「わたしが元気なこととあなたの人生は関係ない」みたいな感じでぶった切られることが多いと聞いた。それでいて、街中にはいたるところに可愛らしい細工が施されていてツンデレ感が満載です。 pic.twitter.com/RUvUHch8qC
— 坂爪圭吾 4/1-5@ROM-HEL (@KeigoSakatsume) 2015, 4月 3
2・寒い地方では頭のネジが外れやすく、ぶっ飛んでいる人間を生みやすい(そして「文学」が生まれやすい)土壌がある。
無数の島があるフィンランドでは、小さな島々に家を建てて暮らす人々が結構いて、冬は凍結した海の上を歩いて(!)陸地まで買い出しに向かうそうです。遠目に小さな一軒家を発見することができたのですが、人も街も可愛すぎる… pic.twitter.com/KyTmgUd3ti
— 坂爪圭吾 4/1-5@ROM-HEL (@KeigoSakatsume) 2015, 4月 3
3・海外で人気者になりたければ日本食材をある程度現地に持ち込み、日本食を振る舞うことで「誰でもコミュニティの主役(発起人)」になれるかもしれない。
ヘルシンキのリアルかもめ食堂「MIZU」さんの手巻き寿司セットをご馳走していただきました。海外で日本の米を食べられることが、これほど嬉しいことだとは思わなかった…醤油が美味しい… pic.twitter.com/uvhR0ouexR
— 坂爪圭吾 4/1-5@ROM-HEL (@KeigoSakatsume) 2015, 4月 3
4・「みんなと仲良くしなければいけない」という嘘。
「みんなと仲良くしなければいけない」という思い込みの呪縛は、無駄でストレスフルなやりとりを大量に生み出すばかりか、幾つもの大切な何かを静かに確実に剥奪して行くから、不要だ。
— 坂爪圭吾 4/1-5@ROM-HEL (@KeigoSakatsume) 2015, 4月 3
5・「美を意識する」ということ。
社会の厳しさを語りたがる人間は大量にいるけれど、社会の素晴らしさを語る人間は圧倒的に少ない。これを乱暴に言い換えると、不幸そうな人間は社会の厳しさを伝えたがり、幸福そうな人間は社会の素晴らしさを伝えようとしている。自分や世の中を嫌う努力をするよりも、美を意識していたい。
— 坂爪圭吾 4/1-5@ROM-HEL (@KeigoSakatsume) 2015, 4月 3
6・低俗な人間は「自分を肯定するために他人を否定する」
「ああしなさい」とか「こうするべき」とか頼みもしないのに命令口調で言う人は、自分が今までやってきたことを肯定したい(自分以外のやり方を許せない)だけなんだと思う。本当に豊かな人は「自分はこう考えたら上手くいったよ」という風に、相手の心を解き放つ自由度の高い言葉を使う。
— 坂爪圭吾 4/1-5@ROM-HEL (@KeigoSakatsume) 2015, 4月 3
7・頭で考えすぎて動けなくなるほど馬鹿らしいこともない。
「若きウェルテルの悩み」を完読できずに途中で挫折した人たちとたくさん出会ったのですが、挫折の理由が「ウェルテルが悩み過ぎててムカついたから」というものであり、結果、頭で考え過ぎてどつぼに陥っている状態の人を見たら「若きウェルテってんじゃねえよ」と思うようになりました。
— 坂爪圭吾 4/1-5@ROM-HEL (@KeigoSakatsume) 2015, 4月 3
8・「悩むな!生きろ!」とは、素晴らしい人生の助言だと思いました。
悩み過ぎるウェルテルを見て「能書き垂れずにさっさと生きろ!」と思った人がたくさんいるように、うじうじしているだけでは(最初は可愛らしいかもしれないが)やがては周囲からの愛想も完全に尽かされてしまうのだろう。「悩むな!生きろ!」とは、素晴らしい人生の助言だと思いました。
— 坂爪圭吾 4/1-5@ROM-HEL (@KeigoSakatsume) 2015, 4月 3
9・それが数日間や数時間の出来事だったとしても、ひとりの人間としっかり向き合えたことは人生の大きな宝物になる。
それが数日間や数時間の出来事だったとしても、ひとりの人間としっかり向き合えたことは人生の大きな宝物になる。会いたい人がそこにいる限り、地球の裏側だろうが人は足を運ぼうとするし、「また会いたい(何度でも出会いたい)」と思うことが生きるエネルギーに繋がるのだと思いました。
— 坂爪圭吾 4/1-5@ROM-HEL (@KeigoSakatsume) 2015, 4月 3
10・ポジティブシンキングとは「(最高を描く力ではなく)最悪を受け入れる力」である。
ポジティブシンキングとは「(最高を描く力ではなく)最悪を受け入れる力」だと思った。何かの拍子で刑務所にぶち込まれたとしても「次はもっとうまくやろう(最悪の場合はチェンマイで畑を耕しながらひっそりと暮らそう)」と思える人間的なしぶとさが、その人を根底から支える気がする。
— 坂爪圭吾 4/1-5@ROM-HEL (@KeigoSakatsume) 2015, 4月 2