いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

【KIX-高知駅】自分をオープンなものにしている限り人間は死なない。ー 「不安・恐怖・猜疑心」は人間を閉ざし、「希望・信頼・精神的な余裕(心理的なスペース)」は人間を開く。

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関西空港(KIX)の空が半端ないグラデーションを見せてくれた。松山空港を経由して、四国バスで高知駅に到着し、駅前のカフェで二年以内に実名公開での起業を目指している元受刑者のイノシシさんとお茶を飲んだ。イノシシさんとは今日が初対面だった。今回の記事は半端なく長くなりそうな予感がしている。

【参考リンク】けもの道をいこう

今は高知駅前のホテルにいる。時刻は23時51分で、何もすることがないのでブログ記事を更新している。今夜はイケダハヤトさんと自称ただの主婦(実際はただの主婦なんてものは存在しない)の三人でトークセッションを開催した。高知駅前のホテルで思うことあれこれを10か条(?)にまとめます。

1・両親に手紙を書いた女性の話

イノシシさんが「実名公開で起業を目指してはいるものの、そのことで自分の活動が目立ちはじめたりした時に、(自分が他人から誹謗中傷を受けるのは構わないが)自分の両親が第三者から誹謗中傷を受けるような事態になるのではないかということを考えると、どうしても思いとどまってしまう部分がある」と話してくれた。

その話を聞いた時、私はひとつのエピソードを思い出した。先日、半年前に会社を辞めて、現在は仕事をしていない25歳の女性と出会った。彼女の実家は東北にあり、現在は関東圏でひとり暮らしをしている。彼女の両親は仕事をしていない彼女のことをとても心配していて、それが悩みの種になっていた。

彼女は「両親は仕事をしろと言うけれど、仕事をしていない私のことも愛して欲しいと思うんです」と話してくれた。印象的な言葉だった。そして、その言葉を聞いた時、ふと、「もしかしたら両親も『仕事をして欲しい』と思っている自分たちのことを愛して欲しいと思っているのかもしれない」と思った私は、その通りのことを彼女に伝えた。その瞬間、彼女ははっとしたような表情を浮かべた。

数日後、私は彼女と再会した。

私が「両親も同じ気持ちかもしれないね」と伝えた翌日、彼女は両親に長い手紙を書いた。手紙の内容を乱暴にまとめると「もう、あなたたちの期待に応えるような生き方をすることはやめました。だけど、私はあなたたち(両親)のことを愛し続けます」という内容を丁寧に書いたのだという。手紙を読んだ母親から即座に電話が来て、うまく言えないのだけれど手紙を出すという行為(そして自分の思いを相手に伝えるという行為)が、前向きに作用したことを確認できた結果になったと話してくれた。

彼女の表情は、以前にも増して軽やかになっている印象を受けた。勇気のあるアクションだと思った。イノシシさんの話を聞きながら、なぜかこのエピソードを思い出していた。もしかしたら、自分が相手に望むことを、相手も同じように望んでいるのかもしれない。そして「自分は誰かに、確かに思われている」とはっきりと確認できることが、両者の関係を良好なものにする場合があると思った。

2・前を向いた状態で文章を書きたい

私は、自分が前に向いている状態で文章を書きたいと思っている。新しい体験を通じて何かを発見した時に、それを言語化しようとしている時の私は「前を向いている」状態にある。しかし、たとえば『自分はなぜこのような生き方をしているのか』『いばやとは何か』『坂爪圭吾とはどのような人間なのか』みたいなことを誰かに伝えようとしている時、私は後ろを振り返った状態で言葉を使っているような感覚を覚える。要するに、誰かに何かを『説明しようとしている』時、私は止まっている。

感覚的な話になるが、誰かに何かを「理解してもらう」ために時間を費やすのは、私には必要ないのかもしれない。誰かに何かを説明しようとしている(理解してもらおうと思っている)時、私は完全に止まっている。そして、後ろを振り返っているような印象を覚える。しかし、私の役割は「普通の人は行けない場所にどんどん進んでいくこと」なのではないだろうかと感じるようになった。

3・普通の人には行けない場所にどんどん進んでいくこと

誤解されると困るが、私が「一般の人よりも優れている」と思っている訳ではない。そんなことはない。ただ、誰かに何かを理解してもらうことにエネルギーを注ぐよりも、自分がやりたいことに全力でエネルギーを注ぐ(言葉ではなく自分の生き様を通じて何かを語ろうとする)方が、結果的に周囲の人々にも深く伝わる何かを残せるのではないだろうか、ということを強く思うようになった。

「普通の人には行けない場所にどんどん進んでいくこと」

私の役割は「説明すること」でもなければ「理解してもらう」ことでもなく、周囲からはまるで理解されないとしても自分が思う道をどんどん進み続けていくことで、結果として「あいつはこういうことがやりたかったのか」ということが見る人に伝わっていく、そういうタイプの人間なのかもしれない。

4・誰かに何かを説明する必要はない

今夜のイベントの主催者である女性から「坂爪さんは戦略的にブログを書いていますよね?」と尋ねられて、困ってしまった。私には何も戦略がない。広告も貼り付けていないのでブログからの収益は皆無で、今は別にそれで構わないと思っている。市場のニーズに合わせて「今回はこういう記事を書いたら受けるだろうな」みたいなことを考えることはゼロで、単純に自分が書きたいと思うことを書いている。

ただ、市場がどうのこうの(昨今の時代性はどうのこうの)とか言う前に、単純に「自分がやっていることに対して、誰よりも早く自分自身が飽きる」傾向がある。常に同じ場所で似たようなことをやり続けていると、まるで自分が腐っていくような感覚を覚える。そうした瞬間は憂鬱で、だからこそ「自分自身を更新する」必要がある。そして、更新には二種類あるのだということを考えていた。

5・「自分を更新する」には二種類ある

ひとつめは「前よりも自分の気持ちを上手に伝えることができるようになること」であり、これは後ろを振り返っている状態の話になる。もうひとつは「普通の人には行けない場所に、より遠くに辿り着けた時」であり、これは前を向いている状態になる。私に必要なのは後者であり、前者は不要だ。

自分の気持ちを的確に伝えようともがいている時、その人は止まっている。これは完全に極論になるが「誰かに何かを説明する必要はない」のかもしれない。もちろん、これはその人がやる内容にもよる。私は「とにかくやばいことだけをやる」というコンセプトのいばやという会社の共同代表であり、いばやは「存在しているだけで価値がある(事業の有無は関係ない)」と思っている愚かな集団だ。

こんな意味不明な会社が「誰かに何かを説明する」ことは無理な話で、それよりもやりたいことをやりたいようにやり続けていくしかないのだろうなと思っている。キリンを見たことがない人に、どれだけ「キリンはこんな形をしていて、こんな大きさなんですよ」と語っても無駄で、キリンがどういうものかを何よりも手っ取り早く伝える最高の方法は「キリンを目の前に連れてくること」だと思っている。

ここまで書いて、今回のブログ記事は「荒れるぞ」と私の心が叫んでいる。時刻は0時21分。日付が変わってしまった。10か条にまとめると冒頭に書いてしまったので、夜の脳のテンションで続きを書く。

6・自分をオープンなものにしている限り人間は死なない

私が2014年から「家のない生活」というものを自分の身体を使って試してみて、一年間続けた結果の最大の感想がこれになる。自分をオープンなものにしている限り、人間は絶対に死なない。これを言葉ではなく体感レベルで実感することになった。これは最大の恩恵であり、私はこれからも多分死なない。

7・他人が「敵」から「味方」になる

今まで、私にとって他人とは「張り合う対象」であり、乱暴に言い換えれば「敵」だと思っていた。自分より年収の高い人を見ては自分を卑下し、いやいや金は少ないけれどもやりがいはあるよ、みたいな感じで自分自身を慰めるようなこともしていたが、結果的に張り合ってしまっている時点で負けだ。

しかし、家がなくなってからは「他人と張り合っている場合ではない」状態に置かれ、私は「何もかも自分ひとりの力で解決しようとするのではなく、どれだけお互いに助け合えるかの方が大事なのではないだろうか」と考えるようになった。そして、自分自身を使ってそれが可能かどうかを試してみた。

結果的に、今までは敵だと思っていた他人が「味方(味方になり得る存在)」へと変貌した。これは革命的な変化だった。たとえば、30名が集まるトークイベントに招待されたとする。私の目の前には30人のお客さんがいるのだけれど、私から見れば「ここには30個の家がある」ように見える。そして「もしかしたら、この中のひとりが私を今夜泊めてくれるかもしれない」などと発想するようになり、私はその変化に驚きを覚えた。今までは敵だと思っていた他人を見る目がまるで変わっていて、「味方を探している」状態になっていた。

8・他人の中に希望を見出すこと


すべてのひとが自分に良くしてくれる訳ではないけれど、すべての人が自分に良くしてくれない訳でもない。そういう視点で他人と接するようになってから、私の中で「他人の中に希望を見出す(見出そうとしている)」変化が生じた。他人と張り合おうとする時、その人の心理状態はクローズドなものになってしまう。他人に希望を見出そうとする時、その人の心理状態はオープンなものになる。

自分をオープンな状態にするためには「システムに対する信頼」や「他人に対する信頼」が不可欠になる。他人を信頼できない社会では、お互いに監視する(自分のことは自分でやる)必要が発生するために、維持するためのコストも高くつく。お互いが信頼できる(お互いに足りない所を補い合える)状態にある時、生きるためのハードルは下がるけれど、閉じた状態から信頼を構築するのは簡単ではない。

9・存在しているだけで価値がある


繰り返しになるが、いばやは「存在しているだけで価値がある(事業の有無は関係ない)」と思っている。これは人間も同じだ。私は、今から一年半程度前にいばやという会社を共同代表のMAYUと一緒に設立した。設立以来、事業らしい事業は何もやっていない。ただ、法人税を毎年粛々と支払っているだけに過ぎない。見る人が見れば「何て無駄なことを」と思うかもしれないが、それは少しだけ違う。

いばやを設立した時、私たちには幾つかの仮説があった。そのうちのひとつが「自分たちが未来にとって必要なことをやっていれば、それを見た人が『こいつらを飢え死にさせてはいけない』と思って、何かしらの形で必ず救いの手を差し伸べてくれるだろう。もしも未来にとって必要でもなんでもないことをやっていたら、私たちは誰にも見向きもされずに死ぬだろう。その時はその時だ、あとは自分たちのセンスを信じるしかない。宇宙の摂理として、新しいことをやろうとしている人間は死なない」

10・人間の価値と人間の功績について


そして、もうひとつの仮説が「自分たちがやばいと思うことをやっていれば、それを面白がってくれるやばい人達が現れて、化学反応が起きて、結果とんでもないわっしょい状態が起こる」というものだった。この仮説は、半分正解で、半分不正解だった。まず、私たちが今も無事に生きているという点において、当初の仮説もあながち間違ってはいなかったということになる。間違っていたのは「やばいと思うことをやっていれば」という点であり、何かを『やる』必要はなかった。

ただ、そこにあるだけで良かったのだ。

今の世の中には「あなたは大丈夫じゃない」というメッセージが溢れまくっている。せめて私たちくらいは「あなたは大丈夫だ(なぜなら私たちもどうにかなっているからだ)」みたいな感じで、無根拠でも大丈夫だと唱え続けていきたいと思っている。何の説明にもなっていないかもしれないが「説明することを放棄している」いばやのスタイルからすると、個別で何かを勝手に感じ取ってもらうしかない。

夜の脳のテンションでひたすらに筆を走らせてしまった。時刻は0時46分。一切の推敲をすることなく、ここまでダダダと書き連ねてしまった。私たちいばやの現在の最大の関心は「存在しているだけで価値がある」ということであり、いばやの役割は「永遠に騙されていたい嘘をつくこと」だと思っている。嘘か本当か、敵か味方か、正解か不正解か、そんなことなんてどうでもよくなるレベルのインパクトで、何かででかいことをしてやりたいと思っている(本当は何も思っていないかもしれない)

これから間違いなく、いろいろなものがごちゃ混ぜになっていく。あらゆることが溶け出して、枠は外れ、それぞれの人が「思い思いに」自分の人生をカスタマイズできるようになっていく。自分の人生を自分の好きなように選べることは自由でもあるが、そこには「自分の頭で考えなければいけない(自分はどういう人生を送りたいと思っているのかという欲求を的確に把握しなければいけない)」という手間もついてまわる。他人にあわせていれば自分の頭で考える面倒臭さからは自由になれるが、私は、出来ることならば「どれだけ自分好みの人生をカスタマイズできるのか」を探求したいと思っている。

時刻は0時51分。この記事を書き出してちょうど一時間が経過した。「あなたは大丈夫ではない」というメッセージが溢れまくっている現代社会において、いばやくらいは「こんなバカでもどうにかなっているよ」という程度の精神的な余裕を醸し出せる存在でありたいと思っている。人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
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