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いばや通信

ibaya≪いばや≫共同代表・坂爪圭吾のブログです。わっしょい└( ^o^ )┐

不在と実在について。ー 瞬間瞬間に自分を賭けて生きるということ。

東京の国立で開催されたトークセッションに出演した。基本的には、私が最近感じていることをメインに「参加者全体で話をする(NO SPECTATOR)」スタイルでイベントは進む。誰かの話を有り難がって聞くというスタイルが私は苦手で、意見のぶつかりあいによって発生する摩擦熱を味わいたいと思っている。

不在を実在にしてはいけない

『恋愛芸術家』っていう本に書いたんだけど、自分の好きな男の人がどこかに行って帰ってくると、「どこに行ってたの、なによ私を放っておいて」とかいう女の人がいるでしょ。いまそこに彼がいるのに、いないときの方を実在にしちゃう。そんなの勿体ないじゃない。いまそこにいるんだから、いないときは終わったんだから。いまここにいる人と顔を見合わせたほうがいいんじゃないかと、わたくしは思うのね。みんな不在の時間を実在にしちゃう。ー 岡本敏子「奇跡」
岡本敏子の奇跡という小説を読んだ。小説のあとがきで、岡本敏子は上記のように述べている。「まさにその通りだ」と思った私は、不在と実在について感じていることを話した。生きているのはこの瞬間だけであり、過去も未来もなく、あるのはこの瞬間だけだということ。明日のことを思い煩って今日を犠牲にするような生き方は、現在における自分の責任を放棄してしまっている。生きているのはこの瞬間だけであり、今、この瞬間において「生きるよろこび」を実感することができなければ、いつになったら実感できるというのだろうか。

「憎しみ」を選択しない

今、まさにこの文章を書きながら、40代の女性から連絡が届いた。彼女からのメールには、私に対する憎しみの言葉の数々が綴られていた。私はまだ、この女性とは一度しか会ったことがない。今から一週間程度前に、この女性から私の元に連絡が届いた。「BLOGを読んで共感しました。実際に会ってお話してみたいので、1月9日(金)都合が合えばランチかお茶でもしませんか?」という内容だった。

私には予定が何もなかったので、金山駅で合流し、適当なカフェで食事をした。結論から言うと、まるで会話が弾まなかった。あまりにも会話が弾まないものだから、一緒にいても仕方がないと思った私は「(食後のドリンクも飲み終えてしまったので)帰ります」と伝えてその場を離れた。家がないくせに「帰ります」はないだろう、などと自分自身に突っ込みをいれながら、まあ、お互いに地獄の時間を過ごすよりはマシだと思って私は離れた。これがいけなかった。

今日は1月16日(金)で、この女性と食事をしてから一週間が経つ。ちょうど今、私に届いた彼女からの超絶ロングメールには「あなたの人格は年相応で」「幼稚で」「拗ねている」「包丁を持った殺人鬼に会いたいのか、最高の料理をつくるシェフに会いたいのか」「あなたに会ったおかげで(逆説的に)本当の素晴らしさに気がついた」などの言葉が綴られていて、私は「半端ないな!」と思った。

正直に言えば、私は彼女と過ごした時間のことを完全に忘れていた。しかし、彼女は一週間の間、ずっと私を憎み続けていたのだろう。そして、抑えきれない憎しみが爆発して、私に対して怒りのロングメールを送りつけてきたのだろう。私は「他人に対する憎しみに自分のエネルギーを注ぐより、自分の人生を充実させることにエネルギーを注力した方が、圧倒的に有意義なんじゃないだろうか」と思った。

この瞬間を充実させることに集中する

他人を憎むことに時間を使っても、自分の人生を充実させることに時間を使っても、同じように時は流れて行く。どうすることもできない過去を嘆いたり、どうなるのかもわからない未来に怯えて生きるよりも、目の前にある瞬間を充実させることに集中する。生きるよろこびを感じることが出来るのは、この瞬間だけだということ。過去や未来の余計なノイズに惑わされて、現在を犠牲にするような生き方を選ぶことが、私には賢明なことだとは思えない。


瞬間瞬間に自分を賭けて生きるということ。どのような生き方だとしても構わないから、自分自身が「最高だ!」と思える瞬間を獲得していく。周囲の無理解に苦しむことがあったとしても、自分自身が「最高だ!」と思える瞬間を重ねて行けば、最高な人生は後から勝手に築き上げられていく。あるのはこの瞬間だけであり、不在を実在にしてしまってはいけない。人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
LINE:ibaya  keigosakatsume@gmail.com