いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

自分の歌をうたい続けるということ。ー 「長い旅行に必要なのは大きなカバンじゃなく、口ずさめるひとつの歌さ」

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誰もが自分の心の支えとなる愛する歌や言葉や大切な存在を持っていると思う。ひとつの鞄に詰め込める荷物には限りがあるので、私は私を支えてくれるものたちを言葉に残し、刺青のように心に刻む。何度でも思いだしたくなる文章がこの世の中には幾つかあって、リチャードバックが書いた『イリュージョン』という小説の中にも、私を根底から支えてくれる幾つもの珠玉の言葉たちが登場する。

「長い旅行に必要なのは大きなカバンじゃなく、口ずさめるひとつの歌さ」

これはスナフキンの有名な台詞で、自分が何か厳しい局面に置かれたとしても、初心を取り戻せるひとつの歌さえ思い出せれば、何度でも人間はやり直せる。それは歌であり、言葉であり、この世に確かに存在していたひとりの確かな生命の熱量であり、それは時空を越えて周囲の人々に伝染していく。

ー 「自分の歌をうたい続ける」ということ。

人生がひとつの旅であるとすれば、誰もがこの瞬間も旅の途中であるのだと思う。リチャード・バックと翻訳者である村上龍が『イリュージョン』という作品を通じて残した言葉の数々から、私は確かな何か(それは生きようとすることの熱量にも似た何か)を受け取っていて、今でも私の中で鼓動を続けている。

以下にその文章を紹介します。

「人間が本当に愛するものを見つけるのはとても大変なことで、それがすべて、要するに人生の中心だと思うね。一生かかっても、ついにそれが見つからない人も多いと思うんだよ。だけど、ドアが閉まっていても、いつかは絶対に自分の好きなものが見つけられると、そういうふうに導かれているんだと信じることだね。だいたいは、どこもかしこも閉まっていると、絶望的になっちゃうんだよ。だけど、あっちこっち叩いているうちに、どこかのドアがポンと開くと思うんだね。その開いたドアが、自分のいちばん求めている、愛するものへの道だと、とりあえず信じるんだよ。そこへ入る、またドアが全部閉まっている。必死になって叩くと、またひとつだけドアが開く。そういうところをひとつずつ通過しているうちに、いつか、ものすごい光が自分の中に出てくるはずなんだよ」

「人間は大体、目に見えるものしか信じないでしょう?たとえば、汽車の二本のレールは地平線のとこで絶対にくっついて見える。そういうふうに見えるからそう信じているけど、そうじゃないんだね。飛行機で線路の上を飛ぶと、二本のレールは、行けども行けども平行なわけだ。また、雨が降って、地上では傘をさしている。人々は頭上に太陽があることを忘れているわけだ。だけど、ひとたび飛行機で上に上がってしまえば、そこに太陽は、あるわけなんだよ」

「人間が学校というフェンスを出ると、そこは、ドラゴンワールド(現実の、悪意に充ちた世界)なわけだ。地球上には三十億だか、四十億だかの人間がいて、おまえはその三十億プラス一の余り物にすぎない、おまえのことなんか誰も関心を持っていやしない、生きていようと死のうと、こっちの知ったことか、みたいな扱いを受けることになる。ある人間がだめになるというのは、そういうことなんだよ」

「どうやってそれに対抗するかといったら、やっぱり自分の歌をうたい続けることだと思うね。『うるせえ、おまえのその変な歌をやめねえと張り倒すぞ』かなんか言われて、それでだめになっちゃうことだってあるけど、張り倒されても、まだ歌い続けることだ。もちろん、ドラゴンワールドにあっては、明日の飯代をどうしよう、今日の部屋代をどうしようなんていうわずらいもある。それはしようがないから、思いわずらい、駆けずり回りながらでも、自分の歌だけはうたい続けるわけだ」

「これからの『神』というのは、決してわれわれに信じて貰うことを要求するのではなく、結局、この世の中はひとつのゲームであって、そのゲームをできるだけエンジョイするためにわれわれは生きているんだということを認識させるために存在する、そういう形での神でしかあり得ない、と僕は思っている」ー 『イリュージョン』(集英社文庫)リチャード・バック村上龍・訳)より引用

人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
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