いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

明るいバカに人は集まる。ー どんなに愚かでも自由に好き勝手に生きている人間は、それを見る人に自由を与えることが出来る。

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佐賀県武雄市のいのししカフェで「坂爪圭吾を囲んで弄る会」を開催した。私が今年の2月に東京での家を失ってから、ひょんなきっかけで奇跡的に繋がったオーナーのゆみこさん(美人)には非常にお世話になっている。「家がないならここで働けばいいじゃない」という連絡を今年の夏頃にFacebookを通じていただき、私は実際に7月の10日間を佐賀県武雄市で働きながら過ごすことになった。

人生は何が起こるかわからない。私は新潟出身なので、今まで九州に行ったことが一度もなかった。結果として、ゆみこさんのお誘いによって私は生まれてはじめて九州に上陸することに成功し、結果としてそこから様々な事象が発生して、今では九州全部の県でイベントに出演することが出来た。

まさか「家を失う」ということが、これだけのインパクトを自分に与えるとは思ってもいなかった。私は「家がなければ生きていけない」と思っていたが、事実は真逆で、家を失うことで私の人生が圧倒的に好転していっているのを感じている。先月には国民的有名人である乙武さんともお会いする機会をいただき、人生は自分が思う以上に素晴らしさに溢れているのだなあと心から思っている。


ここに断言するが、私には貯金もなければ所持金も限りなく少なく、家も所持品も他の人に比べれば圧倒的に少ない。私のカバンの中には三日分の着替えと洗面道具とiPadと各種充電器と移動中に読む本が数冊入っている程度で、これが私が生きる上で最低限必要なものだということがわかった。逆に言えば、私には「これさえあれば何処でも生きていける」という身軽さの証明でもあり、家がなければ生きていけないのではなく「家がないことで人生が自由になった」とも言い換えることが出来る。

イベントを開催すると様々な質問をいただく。

Q・「危険な目にあうことはないのですか?」

A・「まったくありません。それは私が男だからかもしれませんが、知らない方の家に泊めてもらった際に暴力や盗難にあったことは皆無で(そもそもで私から奪えるものは圧倒的に少ない)、根本的に『人は優しい』です。全裸の女性に襲撃(?)されたことが過去に一度だけある程度で、私は『家のない生活』を通じて、人は想像を超えて優しいものなのだということを知るようになりました」

Q・「生活に必要な金額はいくらですか?」

A・「しっかりと計算したことがないのですが、三万円あればまず大丈夫です。まず、私には家賃を払う必要がありません。食事も最近では一日一食程度で充分(充分であるばかりか、一日三食食べていた時よりも調子が良い)なので、生活コストが極端に少なくなりました。今の私の関心事『いかに生活コストを0に近づけるか?』であり、個人的な手応えとしては『意外といけそうだ』と感じています」

Q・「収入はどうしているのですか?」

A・「私には安定した収入がありません。今まで何度も所持金0円の完全失業状態になってきましたが、危機に瀕する度に仕事や食糧や住居や新キャラが登場して私を救ってくれました。地球全体は常にバランスを保つようにできていて、自分をオープンなものにしている限り絶対に死なないという妙な自信を獲得しました。こうした体験を続けていると、この世で一番の環境破壊は『自分なんかダメだ』と塞ぎ込んでしまうことなんじゃないだろうかと思うようになりました。これは最大の資源の無駄遣いで、自分んを否定しても誰も幸せにならない。塞ぎ込めば世界は閉じるし、開き直れば世界はひらく。『自分は宇宙全体における偉大なる黄金色のお米粒なのだ』と開き直れば、瞬時に世界も開くと思います」

Q・「これからやりたいことはありますか?」

A・「何も考えていません。一年前の私は、まさか一年後の自分が『家がなくなっている代わりに乙武さんと出会ったり(今まで一度も訪れたことのなかった)九州全域を制覇していることになる』とは思っても見ませんでした。私はこのような自分自身の経験を通じて、人生の醍醐味は予測不可能性にあるのだと思うようになりました。夢や目標を設定してそれに向かって頑張る生き方も素敵ですが、私の場合は若干異なり、瞬間瞬間における自分の楽しさや興味に従順に生きていれば、結果として勝手に人生は(今の自分にはとても想像できないような)面白い出来事に遭遇させてくれるものだと思っています」

Q・「将来が不安になることはありませんか?」

A・「ありません。今まではありましたが、今ではほとんどありません。理由は単純で『人生はどうにかなる』ということを心の底から実感したからなのだと思います。過去も未来もあてにはならず、自分が生きているのは『いま、この瞬間だけ』という思いが常に根底に流れていて、『この瞬間は最高だ!』と思える瞬間を重ねていけば勝手に人生全般も『最高と呼べる人生』になるのではないのかと睨んでいます。あてにならない未来を不安に思って今という瞬間を犠牲にしながら生きるのは、何かこう本質的ではないと思うようになりました。大げさですが『人生を楽しまないことは、生命に対する冒涜である』とさえ思う瞬間もあります。ほんとうは、自分が想像している800倍程度は自由なのだと思います」

Q・「彼女はいますか?」

A・「いないです。そのため、さみしさを覚えることが頻繁にあります。しかし、このような生活を続けている人間に果たして彼女が出来るのかと考えると謎です。最近では、恋愛や結婚においても『所有という概念から一回自由になって考えてみる』という思考実験をしています。私にとって所有とは『独り占めしている状態』だと思っているのですが、本来であれば、自分が素晴らしいと思うものは他の人にもその素晴らしさを味わってもらいたいと願うものであり、誰かが何かを『独り占めしようとする』から浮気や不倫やセックスレスや愛情不足の世の中や戦争(!)が勃発するのではないかと睨んでいます」

Q・「それは一夫多妻制ということですか?」

A・「私は単純に『選択肢が増えたら面白い』と思っているだけなのですが、誰かひとりと徹底的に付き合っていきたい人たちはそのようにしていけばいいし、複数の人と交流を持ちたいと願う人たちは(たとえ一般常識とはかけ離れてしまうとしても)実際にそうしてしまえばいいんじゃないだろうかと思っています。私の周りには不倫をしている人たちがたくさんいます。誰かにバレないように隠れてコソコソやるのは精神的な負担も大きいと思うので、何かこう『今までにない新しい関係性』がこの世の中に誕生したら、それによって自由になれる人たちというのが一定数いるような気がしています」

こんな感じで話は脱線していきます。

極論、私は「そうしたければそうすればいい」という考え方で生きている。自由に生きたければ自由に生きればいいし、失敗するのが怖ければ失敗しないように生きればいいし、最終的にそのすべてのツケを払うのは自分なのだということさえ覚えておけば、別に何をしたって構わないのだと思っている。

新しい何かに挑戦する(他人がやらないことをやる)気持ちを押しとどめるのは、結局「自分が傷つきたくないから」というのが9割であり、別に嫌われても自分が傷ついても構わないと思った人から精神的な自由を獲得する。自由に生きれば自由に生きたなりに支払うべき代償もあるが、同時に、自分を押し殺して生き続けることの中にも、そういう生き方を続けることで支払うべき代償は発生している。

最近、私のブログ記事に多くの批判コメントが集まる事件が勃発した。批判的なコメントをしている人を見ていて思うのは、「匿名であろうが醜悪な言葉ばかりを使っていると、あなたの魂が腐りますよ」ということだ。他人にしたことは必ず自分に返ってくる。私は「そうしたければそうすればいい(批判したければ批判すればいい)」と思っているが、同時に「すべてのツケは必ず自分が払うことになる」ことは覚えておいた方がGOODだ。最終的に痛い目を見るのは自分自身なのだ。


それならば、憎しみよりも愛情を、不安よりも希望を、(北風と太陽の童話で言うところの)北風よりも太陽的なアプローチを胸に掲げて、私は生きていきたいと思っている。極論、(完璧な人間よりも)明るいバカに人は集まる。どんなに愚かでも自由に好き勝手に生きている人間は、それを見る人に自由を与える。自分がそうしたいと思うのならば、自分の心に正直に生きよう。人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
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