いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

【圧倒的肯定論】「自分が選んだ道で幸せそうに生きている姿を見せること」以上に説得力を持つものはない。ー 現実的な厳しさだけではない、理想の素晴らしさを語れる人間を目指そう。

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大学四年生の女の子が「私は就活をちゃんとやっていなくて、周囲の友達や両親は『何も考えてないね』って私のことを言うんだけど、ほんとうに何も考えてなかったら普通に就活をしていると思う」と言っていて、共感の嵐が巻き起こった。


もちろん、このような言葉を吐くと共感と同時に批判も集まる。「お前は逃げているだけだ」「甘えているだけだ」「親の金で学校に行っておいて偉そうに」「それなら大学にいくな」などなど、いくらでも批判をすることは出来る。こうした共感や批判の声を聞きながら、私は幾つかのことを感じた。



私の実体験の話をする。11月の頭に岡山県で開催されたトークセッションに登壇(?)した。「人に迷惑をかけてはいけないというのは大嘘で、どれだけ楽しく迷惑をかけられるかの勝負だ!」みたいな話をした時に、参加者のひとりである60代の女性が(訝しげな顔で)自分の身の上話をしてくれた。

「私は6人の子供を育ててきた。自宅で主人と飲食店を営んでいる。朝から大量の洗濯物と料理を終えて、子供を送ったら仕事に出て、帰宅したらまた山ほどある家事をこなして本当に慌ただしい日々を送った。子供達を育てるためにはお金を稼がないといけない。だから私たちは一生懸命働いた。弱音を吐いてもいられないから、大変なこともたくさんあったけど、私達は6人の子供をどうにか育て上げてきたのよ」

乱暴にまとめると「私達は大変だけど自分たちでどうにか子供を育ててきた。やれば出来る。誰かに頼るなんて甘いことを言ってはいけない。私たちだって大変だけど頑張ってやり抜いたんだから、あなたたちもそうしなさい」というメッセージを私は感じた。そして、この女性が話をしてくれたあと、会場の雰囲気は見事に完全に凍りついた。何かこう、その場にいる全員が「まるで説教をされているような気持ち」になり、自分の甘さ(?)や不完全さが批判されているような感覚になった。

自分の力で何事も達成してきた人は、誰かに頼る姿勢を「甘え」だと見なして叱責する。自分で何事も達成出来るのは誰の目から見ても圧倒的に立派だし、おっしゃることも正論ど真ん中だから誰も反論することが出来ない。ただ、正論はときに人を思い切り苦しめることがある。自分が調子の良い時は問題ない。しかし、自分ひとりの力ではどうしようもなくなった時に、周囲に助けを求めたら「それは自業自得だ」「自分のことは自分でやれ」「それはお前が弱いからだ」等と言われてしまったら、その人はもう二度と周囲に助けを求めることができなくなってしまう。自分のいたらなさを責めて、周囲にSOSを求めることも出来なくなり、やがては自分ひとりですべてを抱えて潰れてしまう。

岡山県でのイベント終了後、ある女性の方が言った。「あの方の人生は本当に立派だと思うけど、正直に言えば『そんなに大変なら結婚なんてしたくない』と思ってしまった。私は自分一人でなんでもやらなきゃいけない世の中よりも、もっとお互いに助け合える世の中のほうがずっといいなって思う」

この感覚が答えだと思った。「こうあるべき」という枠に自分をあてはめて生きるのではなく、「こうしていきたい」と思える希望の枠を自分たちで作っていくことの方が、よっぽど重要な仕事だと私は感じた。この世の中に完璧な人間はひとりもいない。だからこそお互いに助け合うことができる。「自分のことは自分で出来て一人前(誰かに頼るのは半人前)」という価値観では、お互いに助け合うことが出来ない。そして、何よりも重要なポイントは「お互いに助け合う」ということの中には、大げさだけれど「人の優しさに触れるよろこび」がある。自分のことはすべて自分でやるように仕向けられると、人の優しさに触れるよろこびの機会が奪われてしまう。しかし、人間は「(自分のためではなく)誰かのために何かが出来た」という実感を通じて絶対的な自信を獲得する生き物であると私は思う。言い換えれば、自分のことだけ考えていても簡単に虚しくなるように出来ている生き物だと思っている

「自分も我慢したのだからお前も我慢しろ」という類のメッセージを今でも頻繁に耳にするが、それならいつ幸せを感じればいいのだろうか。「いつやるの?」「老後でしょ!」では遅すぎる。生きているのは今だけで、それなのに「耐え難きを耐え、忍び難きを偲ぶエブリデイ」では辛すぎる。大切な人には「つらそうに生きていてほしい」と思う人は皆無で、大切な人には楽しそうに生きていてほしい」と思うのが人間だと思う。それは親が子供にそう思うように、子供だって親に同じことを思っている。

自分が選んだ道を幸せそうに生きている姿を見せること」以上に説得力を持つものはない。周囲の理解をすぐに獲得することは難しいかもしれない。しかし、自分が自分の選んだ道を最高なものにしていこうとする姿を見せ続けていれば、必ず後から周囲の理解も勝手についてくる。誰かに何かを理解してもらうためにエネルギーを注ぐよりも、自分がやりたいことに全力でエネルギーを注いだ方が、自分が選んだ道で自分が幸せになろうとすることにエネルギーを注いだ方が、結果として周囲の人々の気持ちもほぐし、ゆっくりと(それでいて確実に)周囲の理解や共感を獲得していくものだと私は思う。

どれだけ正しい生き方をしていたとしても、その人があまり幸せそうに見えなかったら「お前みたいにはなりたくない」と思われて、誰も耳を貸したくなくなってしまう。逆に言えば、その人が自分の人生を思い切り楽しそうに生きていれば、周囲も自然とその人の意見を聞きたくなったり、自分の人生に取り入れていきたいと(強制的にではなく自発的な思いを原動力にして)思うようになっていく。



極論、自分が選んだ道を幸せそうに生きている姿を見せること以上に説得力を持つものはない。人生とは、自分を楽しませることである。そして、楽しそうに生きていれば、仲間や理解者勝手に増えていくものだ。自分が選んだ道で幸せになることを肯定しよ。他人に何かを強制するのではなく、自分が幸せに生きることを通じて、そのエネルギーを周囲に伝染させていこう。そして、社会の現実的な厳しさだけではない、理想の素晴らしさを語れる人間になることを目指そう。人生は続く。


坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
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