いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

人生とは、自分を楽しませることである。ー 「正解を答える」生き方ではなく「正解を増やす」生き方をしよう。

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岡山県で出逢った女性のFさんの話が非常に面白かった。Fさんには小学生の男の子の子供がいて、ある日、アート系ワークショップに親子で参加する機会があった。当日の内容は「紙袋をつかって自由に服をつくってみる」というもので、当日、会場では親にも子供にも幾つもの紙袋が手渡された。

正解を求めて、身動きがとれなくなってしまう。

Fさんは手渡された紙袋を前に「さて、どうしたものか」と思い悩んだ。これで服をつくれと言われても、どうやって作ればいいのかまるでわからない。しばらく思い悩んだのちに、Fさんは「自分が正解を探してしていた」ことに気づいた。本来であれば、紙袋でつくる服の作り方には正解も何もない。『自由につくる』というテーマなのに、それでも正解を求めてしまう(そして正解が見つからないからこそ身動きが取れなくなってしまう)自分自身に気がついて、愕然としてしまったのだと言う。そして、その後に最も愕然とする瞬間をFさんは目撃する。

ふと、隣にいた自分の息子を見ると、息子も同じように紙袋を前に固まっていた。その姿は今の自分の状態と同じで、本来であれば自由な創造性を発揮して好き勝手につくりはじめればいいものを、「正解を求めて、そして正解が見つからないからこそ身動きがとれなくなってしまっている」(自分とまったく同じ状態に置かれている)息子の姿を目の当たりにして、ああ、私は何てことをしてしまったのだろうかとFさんは愕然とした。

ー Fさんは話す。

「子供を育てるということは、自分の価値観を伝えることになる。だけど、自分の価値観がもしも間違っているものだとしたら、私は子供に間違った価値観を与えてしまうことになる。何かあると『正解を求めてしまう(そして、正解が見つからないと身動きがとれなくなってしまう)』私の悪い癖が、息子にも見事に受け継がれているのを見たような気がして、ああ、私は何てことをしてしまったのだろうと思った。そして、そういうことに気づかせてくれるアートって、ほんとうにすごいなって思いました」

デザインとアートの違い

私は、Fさんのこの鋭い観察眼が素晴らしいと思った。そして『正解を求めてしまって身動きがとれなくなってしまう』ことは往々にしてあると思った。その話を聞きながら、私は「デザインとアートの違い」について、過去に美術大学に通う友人と語り合っていた時期を思い出した。デザインとアートの違いとは何か。一番腑に落ちた結論は「デザインは『答』で、アートは『問い』だ」というものであり、アートには正解も何もなく、それを見た人が自由に自分なりの解釈をしていける自由度がある。

先日、直島の地中美術館に行った。そこでは「空間そのものが作品です」という展示があり、来場者はその中で自由に好き勝手に動き回ることが許されていた。案内の人が「さあ、自由に動いてください」と来場者の面々に告げた。多くの人々は動き出すことがなかった。日本人的だなと思った。「自由にしてください」と言われても困ってしまうのがジャパニーズなのだと私は思った。この空気感を突破したいと思った私は率先して(?)自由に好き勝手に動き出した。すると、面白い現象が起こった。皆が皆、私が歩き出した後の道をついてくるように動き出したのだ。この瞬間、私は思った。正解なんてものは、自由に好き勝手に「最初にやり出した人間」が決めたものに過ぎない。逆に言えば、正解なんてものはいくらでも自分で作り出していけるものであり、もっと言えば、正解なんて実にくだらないものなのだと思うようになった。正解を求めるのではなく、正解を増やしてしまえばいいのだと思った。

「正解を求めて身動きがとれなくなる」ことは往々にしてある。しかし、Mr.Childrenの桜井さんが歌うように「生きるためのレシピなんてない」のであり、本来であれば自分が思うようにやりたいようにやってしまっても構わないのが人生なのだと思う。しかし、学校教育や社会生活などでは正解を叩き出すことを常に要求されてしまうために、「ああしなさい」「こうしなさい」「これをしてはダメ」「あれをしてはダメ」みたいな形で、本来持って生まれてきたはずの自由な創造性は簡単に奪われてしまう。

しかし、正解なんて「最初にやり出した人間」が作り出したものに過ぎない。ということは、自分が何か新しいことに挑戦してはじめてしまえば、自分自身がルールをつくってしまえることになる。自分の人生の主役は自分であり、自分がどう生きるのかということは自分自身で決められる。そのことを容易に忘れてしまえるように世の中は出来ているけれど、正解なんてものはどうでもいいと私は思う。

親が子供に望むことと、子供が親に望むことは一致している。

最近、行く先々で「坂爪さんの両親はどんな人なのですか?」と尋ねられる。自分で言うのも変な話だが、「どうすれば坂爪さんみたいな人間に育つのですか?」みたいな質問を頻繁に受ける。子育て真っ最中のお母様方に多く尋ねられるのだけれども、「どんな教育やしつけをすれば子供の自由を奪うことなく、明るく元気に育つのか」ということは、親なら誰だって(何よりも)気になる部分だと思う。

極論、私は「親が子供にも望むこと」と「子供が親に望むこと」は一致していると思う。それは、決して「完璧であること」なんかではない。私は親に完璧であることを望まない。そして、私の親も、私に完璧であることなんて望んでいない(というか、すでに「こいつは何を言っても聞き訳もないし、どうせ無理だろ」と諦めている)。では、何を望むのか。それは「楽しそうに生きていて欲しい」というシンプルな言葉に尽きると思う。完璧でなくてもいいから、楽しそうに生きていて欲しい。一度切りの人生を思う存分楽しそうに、伸び伸びと、そして生き生きと生きていてほしい。(親や子供のために自分の人生を犠牲にするのではなく)自分自身の人生を思い切り楽しんで欲しい。そのように願っているのではないのかと思う。事実、私は親にそう望んでいる。親が楽しそうに生きていれば子供は嬉しいし、どんなに完璧な環境を整えてくれたとしても、惜しみない愛情を与えてくれたとしても、それによって親がつらそうに生きているのを目の当たりにすると、どうしたって悲しい気持ちが湧き出してしまう。

圧倒的に不完全な親であろうが、究極親が親自身の人生を楽しそうに生きていれば、子供は(最初は反抗しまくるとは思うけれども)最終的には親の「人生を楽しむ姿」をしっかりと受け継ぐと思う。「あいつは不完全な人間だったけど、なんだか楽しそうだったな」みたいな感想は、その思いを抱く人を自由な気持ちにさせる。自由に生きている人は、それを見る人の心までも自由にする力が備わって行く。

人生とは、自分を楽しませることである。

生きるためのレシピなどなく、与えるべき価値観のレシピなどもなく、世の中には正解なんてものは存在していないのだと私は思う。ただ、自分が心から楽しめるものを見つけること、そして、それを通じて出来るだけ「みんながハッピーになる方向で」自分がやりたいことを思う存分好き勝手にやっていくこと。生き方としてはとても見本になるようなものではないとしても、自分が自分の人生を思い切り生き抜いている姿を通じて、そして、出来ることならその喜びを周囲の人間とシェアしていくことで、ひとりでによろこびは伝播していくものだと思っている。

この世で一番重要な仕事は「自分を楽しませること」であり、自分が元気でいられなければ、誰かに元気を与えたり素晴らしい仕事をすることは難しい。逆に言えば、自分が元気でさえいれば、多少は愚かであろうとも周囲の誰かを勝手に元気づけてしまっていることがいくらでもある。「こうあるべき」という正解の枠に自分や他人を押し込むように生きるのではなく、「こういう生き方があってもいいじゃないか」というような『正解を増やす』『正解を拡張する』『正解を越える』生き方を、私は私の人生を通じて成し遂げていきたいと思っている。そんな言い訳を重ねながら今日は和歌山県へと飛翔する。

自分の大切なひとには、楽しそうに生きていて欲しい。

正解を求めて身動きがとれなくなってしまうくらいなら、『俺が新しい正解をつくる』くらいの意気込みで(多少は愚かで無鉄砲だろうが)実際に飛び込んで行動に移してしまう方が、ずっと精神をエクスパンドする面白い目に遭遇出来ると私は思う。常に正解を叩き出さなければならない空気感は堅苦しくて息苦しい。必要なのは「間違ってもいい」という空気感であり、この空気感がなければいつの日か窒息してしまう可能性が高くなるし、常に緊張状態に置かれたまま生活を続けなければいけなくなってしまう。そんな人生はお断りだ。正解を答える生き方ではなく、正解を増やすような生き方をしたい。

誰だって、自分が大切だと思う人には「楽しそうに生きていて欲しい」と願うものだ。決して「つらく悲しい日々を過ごして欲しい」などとは願わない。この世で一番重要な仕事は「自分を楽しませること」であり、成功するとか失敗するとかは実はどうでもいいことだと私は思っている。楽しそうに生きているひとは、それを見る人の心までも楽しい気持ちにさせる力がある。自分が心から楽しめるものを見つけること、そして、その喜びを周囲の人間とシェアしていくこと。この循環こそが堅苦しい今の世の中に自由の風を吹かせる突破口になると思っている。自分を楽しませていこう。

人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
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