いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

予測不可能性こそ人生の醍醐味。ー 「10年後どうなっていたいか?」という優等生的な質問の無駄さ。未来の展望は皆無でも、明るく前向きに生きていれば人生はどうにかなる。

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新潟県新潟市西区の海カフェネフで開催中の「大感謝トール祭り」に三夜連続ゲスト出演しています。今日が最終日になる。このイベントの主催者は嘉向徹君と言って、私が『奴隷経済(奴隷解放運動)』という実験を新潟県で行っていた時に出会った。それでは、奴隷経済とは何か。

奴隷経済とは、私の安易な発想から生まれた。私の月々の生活コストは月々5万円あればどうにかなる。この5万円をどのように稼ぐかは私の自由だ。仮にもしも、私を月に一回1000円程度で使ってくれる人が50人いれば、私は死なずに生きていくことが出来る。一回1000円であらゆるお願いごとを聞く「何でも屋さん」的な存在として生き抜くことは出来ないだろうかと、ポップな気持ちで考えていた。

しかし、何でも屋さんというネーミングはダサい。もっとエッジが効いていないと誰も見向きもしないだろう。そう思って、私はこの活動を「奴隷経済」と名付けた。自分自身を奴隷として、世の中の女王様(依頼主)に好き勝手に使ってもらう。私は基本的に問答無用でお願いごとを聞き入れて、依頼主の奴隷となって身を粉にして働く。奴隷経済をはじめるにあたって、私なりの仮説が3つあった。

1・これからは、ひとりがいくつもの仕事を持つ時代になる。

これからはひとりがいくつもの仕事を持つようになる。ひとつの企業に退職するまで出世を目指して勤め上げる「縦移動」的なライフスタイルから、様々な仕事を横断的にこなす「横移動」的なライフスタイルが主流になる。仕事がひとつしかなければ、例えばその会社が倒産した途端いきなり路頭に迷うことになる。自分自身がいくつもの仕事をやっていれば、例えひとつの仕事がダメになったとしてもリスクヘッジが効く。「奴隷経済」という自分自身をシェアする試みは面白い突破口になると思っていた。

2・自分でやりたいことを見つけるのではなく、誰かがやってほしいと思っていることをやった方が手っ取り早い。そして、自分では「やろう」「やりたい」とさえも思ったことを体験する機会にも恵まれ、思わぬところに自分の新しい関心や興味を持つ最高のきっかけになると思ったから。

「やりたいことがわからない」という悩みを抱える人は多い。私自身がまさにそうで、実際にやりたいと思っていることなんて何もない。ただ「面白い目に遭いたい」という抽象的でそれでいて深く根強い思いが根底に常に流れていて、自分のハートが反応する方へと無目的に突撃する日々を送っている。奴隷経済の素晴らしいところは、自分がやりたいことを自分で考える必要がないことにある。私は依頼主のお願いを聞くだけで良い。自分がやりたいことを自分で考えることには労力を要するが、誰かのお願いに応える形であればその労力は0になる。舞い降りてくる依頼に応えているだけで経験が積める。

私は思うのだが、これからはひとりが50個くらい仕事を持ってもいいと思う。ひとりが1個の仕事だけをやるのは何かこう重苦しくて、それよりも「ある時はタロット屋さん」「ある時はパン屋さん」「ある時は大工」「ある時はイベントの主催者」「ある時はウルトラマニアックなツアーガイド」「ある時は手作り雑貨のショップ店長」などなど、自分がやりたいことを手当たり次第自分の仕事にしてしまえば、何かあたらしいことをやる時に感じる抵抗も少なくなると思っている。

「自分はこれで食っていくんだ!」という覚悟は美しいけれどハードルが高い。しかし、ひとりが50個個位仕事を持つようになるのだと考えれば、新しいひとつのことをはじめる際にも「それは50分の1に過ぎない」と言った感じで、気軽にはじめることができる。うまく行けばやり続ければいいし、ダメなら次の何かを試せばいい。ひとつのアクションに思いを込めすぎると行動が鈍る。悲壮感も漂いやすくなって近寄りがたい雰囲気も醸し出されてしまう。何か新しいことをはじめるのに悲壮な決意は不要だ。

そして、奴隷経済の良いところは「まさか自分がこれに興味を持つとは思わなかった」という体験に出会えるということだ。これについては後で書く。自分自身の新しい興味に出会うことが出来る。

3・「何が起こるかわからない」予測不可能性に溢れていると思ったから。

私は、奴隷経済をはじめる時に色々感じた。「果たして自分を使ってくれる人は現れるのだろうか」という不安もあれば「何をお願いされるのだろうか。身体を売れとか言われるのだろうか」などと思ったりもした。しかし、それならそれで別に構わないと思った。やってみなければわからないことをやる前に理解しようとするのは愚かだ。とにもかくにもやってみよう、ということで私は実験を始めた。

ー 奴隷経済をはじめて起きた奇跡。

いきなり利用料金を取るのも気が引けたので、私は「無料お試し期間」ということで自分自身を期間限定で無料でどかんと解放した。『誰でも自由に好き勝手に使ってください。何でもいうことを聞きます』と各種SNSでチラッと発信すると、ありがたいことに瞬時に情報が拡散されて(注・新潟という地方都市ではじめたのがGOODだった。地方では誰も新しいことをやらない。ちょっとでも変なことをやれば速攻で目立てる)、私の元に様々な依頼が舞い込んだ。無料にしたのも良かった。お茶に付き合うとか、畑作業を手伝うとか、ダンボールハウスの建築を手伝うとか、依頼の内容は様々だった。

私が何故、突然奴隷経済の話をしているのかというと、奴隷経済の活動を通じて嘉向徹(本日最終日を迎えるイベントの主催者)と出会ったからであり、人生は何が起こるかわからないということを感じているからだ。ある日、真夜中に「私の奴隷になってください!」というメッセージが私の元に届いた。依頼主の名前は嘉向徹で、この時点ではもちろん私はまだ彼に会ったことがなかった。依頼の内容は「夜の山を一緒に登ってください」というもので、私は「登りましょう」と返信をした。

その日の内に依頼内容は敢行されることになり、私と嘉向徹くんは初対面であるにも関わらず夜の山を一緒に登った。実際に登る前は「夜の山は怖いだろ」と思っていたけれど、実際にやってみたらまるでそんなことはなかった。半端なく気持ちよくて目から鱗がポロポロ落ちた。月が綺麗だった。そして私たちはひとつの真実を知った。初対面の人間と最速で仲良くなる方法、それは「夜の山を一緒に登る」ということだと知った私たちは、その後一緒に銭湯に行って汗を流して文字通り裸の付き合いをした。

嘉向徹くんによくよく話を聞いてみると、彼のご両親は新潟市内の小針浜という海岸で海カフェをやっていることが判明して、そこは私の実家から徒歩5分であることも判明した。そして、奴隷経済という活動の面白さを体験してくれた嘉向徹くんも自分の身体を張って奴隷経済をはじめることになり、しかし奴隷という言葉が大衆から顰蹙を買ってしまったためにネーミングを改めて、嘉向徹をシェアする意味を込めて「トールシェアリング」という活動をはじめるようになった。それが今年5月の出来事だった。

そして、今、嘉向徹君が主催するイベントに呼ばれて出演することになっている。人生は何が起こるかわからないもので、奴隷経済という活動がこのような展開を生むことになるとは思わなかった。

かなり駆け足で説明してきたので諸々漏れまくっている部分もあるが、「何かをやると何かが起こる」というのは人生の美しい真理だと思う。奴隷経済という活動は、私の想像を遥かに超える新しい体験や新しい友情を私に与えてくれた。要約すると、私が言いたいことは詰まるところ以下の三つ。

1・予測不可能性こそ人生の醍醐味。トークセッションなどに出演すると「10年後の展望はありますか?」的な質問を頻繁に受ける。正直に答えればまるでない。そんなものは不要であるとさえ思っている。自分が想像出来ない面白い目に遭いたいから生きているのであって、10年後にこうなっていたいから今はこうして生きていますなんていう打算的な部分は自分には(良くも悪くも)微塵もない。

2・自分自身をシェアしよう。奴隷経済でもトールシェアリング(「トール」の部分をあなたの名前に変えればOK!)でも名前は何でも構わない。自分自身をシェアすることで面白い目に会うことが出来る。別に全然真似する必要もないのだけれど、自分自身を「こういうものだ」と限定づけてしまうと世界が広がる機会を逃してしまう。どこに新しい興味の種があるかわからない。自分自身をシェアすることで、自分でも想像することの出来なかった面白い目に遭うことが出来る。要するに世界が広がる。

3・これからかはひとりがいくつもの仕事をやるようになる。ひとりが50個くらい仕事を持つようになるのだと思えば、新しい何かをはじめる時に感じる心理的なハードルががくっと下がる。金にならなければ仕事じゃないとか、そんな難しい事を考える必要はない。仕事には三種類ある。「金を稼ぐ仕事」「金をもらわないで(無料で)やる仕事」「金を払ってでもやる仕事」の三種類だ。これらの三種類の仕事を通じて、人は人生なり自分の世界や体験の幅を広げていくのだと思う。難しく考えずにGOだ。

三日連続でトークセッションをやれることが出来る日々に感謝している。場数を踏むと話術も巧みになってくるようで、今までは人前で話すと動悸が収まらず過呼吸になっていたりもしていたが、今ではどうにか自分の気持ちを人に伝えることが出来るようになってきている。この手応えは本当に嬉しい。

そして、昨日のトークセッションで何よりも嬉しかったのは、お母さんと一緒に参加してくれた中学生の女の子が「すごい良かったです!10代のうちに聞けてラッキーでした!なんだか知らないけど自分のことが大好きになりました!今ならなんでも出来る気がします!これから友達誘ってカラオケに行きます!」と叫びながら夜の街に消えて行ったことです。いいぞ…いいぞ…と心の中で強く思った。「なんだか知らないけれど自分のことが大好きになりました」というのは、私自身にとっても最高の褒め言葉である。真夜中にカラオケに行こうとする娘を何も言わずに笑顔で見守るお母さんも素晴らしかった。

結論。予測不可能性こそ人生の醍醐味であり、何かをやれば何かが起こる。もちろんその過程で見知らぬ他人から罵倒されることもあるけれど、こうした活動をしていなければ体験することの出来なかった面白い目にも確実に会えているのは紛れもない事実だ。他人の目を気にして行動が鈍くなるのはもったいない。明るく前向きに生きていれば人生はいくらでも面白い目に逢えるように出来ていて、普段なら出会わないいくつもの繋がりの輪のようなものも生まれていく。海も空も本当に青い。人生は続く。

坂爪圭吾 07055527106 or 08037252314
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