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いばや通信

ibaya≪いばや≫共同代表・坂爪圭吾のブログです。わっしょい└( ^o^ )┐

生きているのは今だけで、いつか傷つくことさえも出来なくなる日が必ず訪れる。ー 生きることに理由は要らない。必要なのは衝動だけだ。

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福岡&大分&佐賀&東京での連続トークセッションの日々を終えて、今は大宮駅のカフェにいます。人前で話す機会が連続すると、どうしたって似たような質問を連続で受ける。その中でも最も多かった質問が「どうしてそれをやろうと思ったのですか?」というものだった。本当に何回も何回も何回も尋ねられてしまって、私は何とも言えない複雑な気持ちになってしまった。

もっともらしい理由を求めることは終わりにしよう。

もうそろそろ、何か新しいことをやろうとしたりやっている人を見た時に、もっともらしい理由を求めることは終わりにしたい。そう思った。本当は、新しい何かをはじめるために理由も動機ももっともらしいきっかけも何ひとつ必要はない。必要なのは、ただただ「やりたいと思ったから」という衝動だけだ。それだけで充分じゃないか。理由はいらない。動機もいらない。ただただやりたいと心の底から湧きあがる『衝動』があれば、それだけでもう充分じゃないかと私は思った。

もっともらしい理由を話せば話すほどに、そこには必ず嘘が混ざる。綺麗事が混ざる。自分をよく見せようとするエゴが混ざる。

もちろん、いくらでももっともらしい動機やきっかけを語ることは出来る。家のない生活をはじめたきっかけは同棲していた彼女と別れたからとか、「こうあるべき」という常識の枠を壊したかったからとか、自分が強く生きることでその姿を見た人にわずかでも自由や勇気を感じてもらえたら嬉しいだとか、周囲の人を明るく元気にしたいとか、今の社会は自殺者が3万人いてとてもじゃないけどまともとは言えないとか、必要なのは今の社会に適応することではなく新しい社会のあり方を自分の生き様を通じて実現していくことだとか、もっとももらしい理由ならいくらでも言える。しかし、もっともらしい理由を話せば話すほど、そこには必ず嘘が混ざる。綺麗事が混ざる。自分を良く見せようとするエゴが混ざる。純粋な思いからはどんどんどんどん遠ざかり、優等生的で形式的な生ぬるい「無難な美談」が築き上げられてしまう。

自信があるからやるのではなく、自信がなくてもやる、やりたいと思ったからやる、それだけでいいじゃないか。

何か新しいことをはじめるのに、動機やきっかけやもっともらしい理由を求めることは終わりにしよう。ただただ、自分の心がどうしてもそれをやりたいと思ったから、これをやって一体何になるのかもわからないけれど、それでもとにかく試してみたいという衝動が自分自身の中から湧き出したから、理由もなく、動機もなく、もっともらしいきっかけもなく、あるのはただただ「やってみたいと思ったから」という衝動だけ、それだけでもう充分じゃないかと思っている。

新しいことをはじめるのにもっともらしいきっかけを求めてしまうと、きっかけが無ければ何も動けない人間を生み出してしまう。人間を動かすのは外的な要因ではない。自分の内部から湧き出す「やってみたい」という衝動であり、それは自分の外側からではなく自分の内側から強く湧き出してくるものだ。やりたいからやる。自信がなくてもやる。下手くそでもやる。誰も理解してくれなくても、どうして自分がそれをやりたいのかわからなくてもやる。意味も分からず、価値も分からず、それでもどうしても抑えきれない衝動が自分の内部にあることを感じるからこそ、理由も動機もきっかけもなく、自分の内部から湧き出してくるものを外側に吐き出していく。

自信があるからやるのではなく、自信がなくてもやる、やりたいと思ったからやる、それだけでいいじゃないか。

行動するに足る理由なんてこの世にはない。あるのは行動するに足る衝動だけだ。

こうした質問を多く受けるのは、多くの人たちが『頭で考えすぎている』からなのだと思う。これをしたら何になるのかとか、こんなことをしても何の役にも立たないだろうなとか、やる前から頭で色々と考えてしまって行動することにストップをかけてしまう。だからこそ「行動するに足る理由」を外部に求めてしまう。

しかし、やってみなければわからないことを、やる前に理解するのは不可能だ。失敗することを恐れて、途中で不安になってしまうことを恐れて、何よりも大切な『最初の一歩』を踏み出すことを躊躇してしまう。それではいけない。それではあまりにももったいない。人生は短い。傷つくことを恐れて何もしないよりも、たとえ傷つくことがあったとしても自分の心がやりたいと思ったことは、どんなに小さなことでもいいから確実に行動に移していった方が良いのだと私は思う。だからこそ、そこにもっともらしい理由や動機やきっかけを求めてしまってはいけない。「行動するに足る理由」なんてこの世にはない。あるのは「行動するに足る衝動」だけだ。やりたいからやるという衝動だけで、意味も分からずやる価値も分からないまま、それでもやりたいと感じる衝動が自分の中から湧き出してくるのをはっきりと感じるからこそ、踏み出した自分だけの最初の一歩が、自分だけの新しい道を築く。

生きているのはいまだけで、いつか傷つくことさえ出来なくなる日が必ず訪れる。

『不安』や『恐れ』を言い訳にして、新しい一歩を踏み出すことを躊躇してしまってはいけない。何か新しいことをやる時に、行動するに足る理由を外部に求めてしまってはいけない。そんなものは必要ない。必要なのは「やりたいと思ったから」という衝動だけで、成功するか失敗するかなんてことはまるで重要ではないことだと私は思う。

そして何よりも重要なことは、私たちは遅かれ早かれ『(生きているのは今だけで)いつか成功も失敗も出来なくなる日が必ず訪れる』ということだ。人生は短い。人は必ず死ぬ。生きているのは今だけで、それなのにやりたいことを躊躇する理由なんて本当は何ひとつない。私はそう思っている。やりたいことをやろう。やりたいと思ったことをやろう。そこから栄光に続く道は生まれていくのだと思う。生きているのはいまだけで、いつか、成功も失敗も出来なくなる日が必ず訪れる。

人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume/ibaya 
LINE:ibaya  keigosakatsume@gmail.com