いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

どんなに愚かでも自由に好き勝手に生きている人間は、それを見る人に自由を与えることが出来る。 ー バカこそ希望、バカこそ未来、明るいバカに人は集まる ー

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佐賀県武雄市に来ています。出会いは数奇なもので、私が今年のバレンタインデーにホームをレスしたことがすべてのきっかけでした。今の私は武雄市にある『いのししカフェ』のお仕事を手伝っており、この前の土曜日の夜には『花魁(おいらん)バー』で働かせていただきました。

自分が芸者さんになる日が来るとは夢にも思わなかった。人生は予測不可能な出来事の連続で、常に自分を面白いほうへ面白いほうへと向かわせていくと、まるで想像できなかった面白い目に出会うことができる。私がホームをレスする流れなどは過去ブログにまとめているので、是非読んでみてください。


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誰にでも変身願望があると思う。逆に言えば、その人が着ているものがその人を形成するのだと思う。例えばサングラスをかけただけでも誰もがそれなりに強気になるものだと思うし、私が過去に横浜中華街で展開した『進撃の客寄せ魚人』という路上パフォーマンスでは、この全身タイツに身を包んだ瞬間に何かもう最強になれた気がした。「どうせ中身が見えないのだから自由に好き勝手にやってしまえ」という気持ちになるし、周囲の人もキャーキャー言ってくれるので、注目される快楽にしばしの間溺れることもできる。『自分ではない何者かになる変身願望』はきっと誰にでもある。

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これが『進撃の客寄せ魚人』の時の写真です。この格好で縄で縛られた状態で複数名のファンキーな女性にひきづられるという謎のパフォーマンスをした結果、注目だけは集めることに成功しました。人だかりもできて効果も抜群だった。自分ではない何者かになることには確実に快楽がある。

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花魁バーでの私の源氏名は何故か『冷奴(ひややっこ)ちゃん』ということになり、私も(キャラクター設定がまるで定まらず)半ば自暴自棄になりながら「こんばんは、ひややっこです」と言いながら訪れるお客様に自己紹介をした。やればできるのだと思った。どこまでも果てしなく楽しかった。人生は予測不可能な出来事の連続だ。半年前にホームをレスしたときに、まさかそれがきっかけで佐賀県まで来てガチの芸者さんになっているとは思わなかった。

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これは完全に余談だけれど、この前は新潟でショッカーもどきになるお仕事もいただいた。人の縁は不思議なもので、自分を常にオープンなものにして『自由に好き勝手に使ってください、なんだって無料でやるし内容も選ばず何だってやります』と公に向けて発信していれば、何かしら面白い目にあえるものだ。お金では得られない何か特殊で貴重な体験を得ることができている。

こうした生活を続けているといくつかの真実に気づく。

1・お金を持つことと幸せになることは必ずしもイコールではない。
2・何かをやれば何かが起こる。自分を限定づけては勿体無いということ。
3・『お金にならなくても別にいいや』というある種の開き直りをかましてから、想像を超える面白い目にいくつも遭遇することができている。お金を得ようとするから面白い目にあえないのかもしれない。とにかく自分を使ってあらゆることを試そうとすれば、試すことをひたすら続けて同時にSNSなどで発信を続けていれば、それを面白がってくれる人が何かしら面白い誘いをしてくれるということ。

『お金を集めようとするのではなく、人の心を集めなくちゃいけない』ということを最近では強く思います。人と人との繋がりがあれば必ず面白い目に遭遇出来る。冷静に考えてみれば人間がひとり生きて行くためのお金はそれほど大した額ではなく、最低限生活に必要な金額をしっかりと把握しておけば、あとは自由に好き勝手に生きることができる。

自由に好き勝手に生きていると、自由に好き勝手に生きている人と出会う。そうした人との出会いはかけがえのない人生の宝物になるし、自分の生き方は間違っていなかったのだという気持ちになる。素晴らしい日々を送れている。もっと素晴らしくしていきたい。そのためにももっと自分を解放していきたい。人生の醍醐味は何が起こるかわからない予測不可能性にある。自分が面白い目に出会えるであろう環境に自分の身を投じ続けて行くこと、そうした環境がなければ自分の手で自ら作り出していくこと、それを続けていれば人生なんてものはひとりでに面白くなっていくのかもしれない。

大切なのは人間が元気でいることだと思う。私のような愚かな人間でも、『どんなにバカでも自由に好き勝手に生きている人間の存在は、それを見る人にある種の自由を与えることができる』のかもしれないなどと思う。自由とは、もっと好きに生きていいのだという自由だ。張り裂ける喜びに溢れた日々を過ごしたければ、溜め込んだ感情を吐き出していけばいい。私は負けない。人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume/ibaya