いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

人は必ず死ぬ。 ー 生まれてから死ぬまでの時の中で ー

何か美しいものを見て感動した時、人は、二つの出来事に感動しているのだと思う。例えば誰かと何かを話していて、その人の言葉に深い感動を覚えたとして、相手の言葉に感動しているのはもちろんのことだけれど、自分自身にも強い感動を覚えているのだと私は思う。「自分の中にもまだ、新しい何かを美しいと思える部分が残っている」という発見に、泉が湧き出るような感動を覚えるのだと思う

ー 自分の中にないものを感じることはできない ー

この世の中で一番綺麗なものは「人の心」だと思う。人の心は人の瞳に反映される。だから私は瞳が綺麗な人に出会うとそれだけで嬉しくなってしまって、出逢えて良かったとその素晴らしさを全身全霊で讃えたくなってしまう。綺麗なものはずっと見ていたくなる。心が奪われてしまう。泣きそうになることもある。どうして綺麗なものを見ると感動したりずっと眺めていたくなったり泣きそうになったりするのだろうか。なぜ、心が惹かれてしまうのだろうか。それは「私たちは、それをいつまでも見ていることができないから」だと私は思う。花火は消え去り、夕日は沈み、いつかは離れ離れになり、途絶えることなく時は流れ続けていて、私たちはいつまでもその景色を眺めていることができない。

ー 「生まれてから死ぬまで」の時の中で ー

人類の歴史は長く長くどこまでも長く、何億年も続いて来た歴史の中で今の自分たちが存在しているのはほんの一瞬の間に過ぎない。私たちが存在する遥か昔から世界はずっと続いていて、私たちがいなくなったあとも世界は連綿と続いていく。今いるこの瞬間は「永遠と永遠の間の一瞬」でしかなく、生まれてから死ぬまでのこの一瞬の間の中で、奇跡的に同じ時代を共有している私たちが本当の意味で望んでいることは何なのだろうか。私は私たちに何を望むのだろうか。私の渇望や私の希望や私のさみしさや私のうれしさの正体は、果たして何なのだろうか。

ー 『一緒に、この星の思い出を残そう』 ー

生まれてから死ぬまでの時の中で、同じ時代に生まれてきた私たちに出来ることは、この星に生まれてきた思い出を残していくということなんじゃないのかと私は思う。それも、出来ることなら一緒に、自分の周囲の人たちと、自分と同じ感覚を共有できる人たちと、この星の思い出を一緒に残していくというそれしかないんじゃないのかと思っている。感動に出会うと泉が湧き出す。綺麗なものはずっと見ていたくなる。いつまでもそれを眺めていることはできない。私たちは永遠と永遠の間にある一瞬の中を生きていて、すべての瞬間に終わりがある。

ー 今日の自分は、今日で最後だ ー

私たちはまだたき(瞬き)をしながら生きている。涙で角膜を洗浄して、涙を流すことで角膜を清潔に保っている。自分でも気づかないところで浄化作用が機能していて、その能力はすべての人に備わっている。地球上の海の割合と人間の水分の割合はとても似ているという。「水に戻る」と涙になる。汚れても汚れても汚れても汚れてもどんなに汚れたとしても、何度でも洗い流すことができる。美しい瞬間に触れると涙がこぼれそうになることがある。汚れてしまった何かを洗い流しているのかもしれない。

ー 虹がかかる ー

楽しむために生まれて来たのか、悲しむために生まれて来たのか、よろこびのために生まれて来たのか、抑圧されるために生まれて来たのか、自由を味わうために生まれて来たのか、愛するために生まれて来たのか、憎みあうために生まれて来たのか、ひとりの人間がその人の生き様を通じて表現している答えは様々になる。十人十色。モノクロなんかではないカラフルなものだ。人の数だけ色がある。何処にでもいける。何にでもなれる。永遠と永遠の間の一瞬の中で、すべての瞬間に終わりがある。

彩りに溢れた日々を送ろう。人生は続く。

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坂爪圭吾 KeigoSakatsume/ibaya 
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