いばや通信

ibaya≪いばや≫共同代表・坂爪圭吾のブログです。わっしょい└( ^o^ )┐

21世紀のアリとキリギリスの物語。 - お互いの素晴らしさを差し出し合おう -

アリとキリギリスの童話を捻じ曲げて解釈することで未来を感じることができる。

元の話は、アリが堅実に夏の間もせっせと働き、冬が来ても生き延びる事が出来た、しかしキリギリスは夏の間も遊びほうけてバイオリンを引き続け、冬が来ると困窮する、アリに助けを求めてもアリは助けてくれず、「夏の間に遊んでいた罰だ」ということで結果キリギリスは餓死する。この物語の教訓は(実は)二つある。

①将来の危機(冬の到来)に備えて、常に考え、行動し、準備をしておくことが大事だということ。そうでなければキリギリスのように手痛い目にあってしまい、最悪の場合は死ぬ。

②夏の間もせこせことためこんでいるような人間は、餓死寸前の困窮者を目の前にして、決して助けの手を差し伸べることはない冷酷で独善的である場合がほとんどであるということ。

この物語は今の世の中を象徴しているように思う。要するに、「自分がこうして生きていられるのは、昔の自分が苦労をしたからだ」「冬に餓死するとしても、それは夏の間にその苦労をしてこなかったお前が悪い」という感じだ。確かにそうかもしれない。ごもっともである。しかし、これではすべての行動原理が「不安」に起因してしまう。「死なないで済むための労働」であり、「冬の恐怖を乗り越えるための労働」に溢れてしまう。これではあまりにも厳しい。優しくない。とてもじゃないけれど素敵な世の中だとは言えない。

そして、私が素敵だなと思うディズニー版のアリとキリギリスの物語がある。これがこの物語を捻じ曲げて解釈した「もうひとつのアリとキリギリス」であり、私が未来を感じる物語だ。

そこでは、夏の間にアリはせっせと働き、キリギリスは遊んで暮らしている所までは同じだ。しかし、冬になってからが違う。全然違う。正反対に違う。キリギリスがアリに助けを求める。ここでアリはキリギリスを拒んだりしない。受け入れる。キリギリスに食糧を分けてあげるのだ。すると、それに感動したキリギリスはとにもかくにも感謝する。心のままに平伏す。そして何か自分にも恩返しできることはないかと思い、夏の間に演奏し続けていたバイオリンを奏でることで、アリたちを楽しませる。そして見事、アリもキリギリスもハッピーなままに冬を乗り越えることができましたという物語だ。素晴らしい。私の中の欧米人が「ブラボー!」と叫んだ。

私は、これでいいじゃないかと思う。蓄えがあるものは蓄えを差し出し、蓄えはなくとも、自分にできるものでそれに応えようとする態度がある限り、そしてそれによってその場が「それがなければ華やぐことのなかった形で」華やぐことができたのなら、それでいいじゃないかと思う。

誰にでも得手&不得手がある。人それぞれが得意なことを持ち寄って、苦手なことは「それが得意な人&それが苦痛ではない人」にお願いして、自分が得意なことで恩返しする。相互扶助が成り立てば、無理をして自分が苦手なことをやる必要はない。これは甘い考え方だろうか。少なくとも、私は冬の間に飢えに苦しむキリギリスを、冷酷な態度で見殺しにするようことが「当然とされる」環境はとてもじゃないけれど息苦しいものだと思う。

誰にでも得手&不得手がある。しかし、そのどれもを「平均的にこなせるように」仕向けるのが今までの社会システムだったと思う。それが上手く機能している時代なら良かった。しかし、今ではそのシステムも限界を迎えている。何か新しいスタイルが必要であると私は思っていて、そのスタイルはこのような「アリとキリギリス」の物語の変化から読み取れる気がしている。

得意なことは得意な人がやればいい。苦手なことは、それが得意な人にお願いすればいい。そしてお互いに感謝しあえばいい。アリだらけの世の中になれば、確かに誰もが冬を越える(生きていく)ことはできる。しかし、キリギリスのバイオリン(芸術)に触れることができなければ、人生の潤いを感じることはできなかったかもしれない。生きるためには必要ではないけれども、生きていることを実感するためには、冬を「豊かな状態で乗り越える」ためには、アリにとってさえもキリギリスの存在は不可欠であったように私は思う。

私が「新しいアリとキリギリス」の物語から得られると感じる教訓は以下の3つだ。

①人にはそれぞれ得手&不得手がある。得意なことは得意な人がやって、苦手なことはそれが得意な人に任せればいい。

②お互いにハッピーになれる道を探そう。アリの心の狭さを嘆くのではなく、キリギリスの奔放さを嘆くのではなく、両者の強みを生かせる道があるのだと信じる。

③行き過ぎた自己責任論は世の中を息苦しくする。アリがキリギリスを助けたことで、キリギリスは果てしなく感謝する。心を改めることもある。行動原理が「不安」から「歓び」「感謝」「恩返し」に変わる。冷酷で独善的な態度で行動を促す北風よりも太陽になろう。

そう、繰り返しになってしまうけれども、今の時代に必要なのは北風ではなく太陽になれる人だ。太陽は照らす。太陽は暖める。太陽は氷を溶かし、太陽は実り豊かな大地を育む。冷酷で独善的な態度を越えて、お互いに出来る事を差し出しあえば、厳しい冬も豊かに乗り越えていける。私はそう思っている。結論。アリとキリギリスのどちらが素晴らしいかの二元論ではなく、お互いの素晴らしさを差し出し合えば、厳しい冬でも豊かに乗り越えていくことができる。

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坂爪圭吾 KeigoSakatsume/ibaya
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