いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

「私EXILEのATSUSHIと友達なんだよね」という人のクソさ。 - 所有はNGで共有はOK! -

「私EXILEのATSUSHIと友達なんだよね」と言っているクソみたいな人がいて、その言い方が鼻についたので考えてみた。どうしてこの人はこんなにクソに見えたのだろう。有名人と知り合いであることで、さも自分も重要人物であると勘違いをしているのだろうか。

「すごいのはATSUSHIであってお前ではない!」そう叫びながら強烈な張り手をかましたくなってしまった。ただ、「私はATSUSHIが大好きで、彼はいろいろ誤解されるところもあるけれど音楽に対する姿勢が本当に格好よくて素敵で、その魅力をあなたにも伝えたくて!」みたいな態度だったとしたら、私の反応は逆転していた。もっと話を聞かせて欲しいと思った気がする。

Facebookなどでの投稿でも、こうした不快感や違和感を抱くことが多い。

例えばどこかの誰かが「パンケーキ食べたよ☆」みたいな謎の報告をしたとする。私は思う。「あんた、まじでどうでもいいぜ☆」と思ってしまう。だけど、その人が「ここのパンケーキは本当に美味しいから、みんなも騙されたと思ってまじで食べてみて!全然違うから!」みたいな態度で投稿していたら、私もそのお店に少なからず興味を持った気がする。私の反応は逆転する。

例えば地元の友人が、ドヤ顔でフェラーリを買った報告をする。私はそれを見て「だから何なんだよ(なんかむかつく奴だな)」と思う。しかし、その人が「フェラーリの素晴らしさをみんなにも味わって貰えたら俺も超嬉しいから、俺が使わない時はみんな好き勝手に使ってくれていいよ☆」みたいな発言をしたとすると、その人は途端に素晴らしい人間になる。フェラーリに乗れることでテンションがあがる人間が確実に発生する。この違いは何なのだろうか。

これが「所有と共有」の違いなんだと思う。所有をしている奴は気に食わないのだ。

「私、EXILEのATSUSHIと友達なんだよね」という人がクソに見えるのは、まるでATSUSHIを所有(独占)しているつもりになっているように見えるからだ。逆に、ATSUSHIの魅力をひとりでも多くの人に伝えようとしている人に宿る魅力は、共有の魅力だ。価値を誰かにも伝えたいと思っている人には魅力が宿り、価値を所有したつもりになっている人には嫌悪感が宿る。

私はHAPPYを共有したい。結論。所有アピールはNGで共有はOK!!共有をしよう!!

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坂爪圭吾 KeigoSakatsume/ibaya
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