いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

「捨てきれないこと」こそが後悔であり、捨てて後悔することはない。

私は大学を2年ほど通って退学した。最大の理由は「ここにいたら自分がダメになる気がした」からであって、別に他に何かやりたいことがあった訳ではなかった。大げさだけれど、あれが自分にとって生まれて初めてくだした「決断」だった。

決断とは、何かを「選ぶ」というよりも「捨てる」イメージだと思う。私は大学を辞めた時に「学歴が必要になる生き方」を捨てた。そして、学歴がなくても生きることができる道を模索しようと思った。それからというもの、「どう生きるか?」という問いは常に自分の頭の片隅にあって、今でも年がら年中格闘している。

大学卒業後、とあるコンサルティング会社で働いていた。学歴を気にせず採用してくれたので、期待に応えられるように頑張ろうと張り切っていた。そんな中、私の大好きな友人からクラブイベントへのお誘いが来た。滅多に会える友人ではなかったし、その人のことが超好きだったから超会いたいと思った。しかし、次の日も朝早くから仕事だったので断った。その誘いを断りながら、私は何か自分が致命的なミスを犯そうとしているのを感じていた。

私は、コンサルティング会社での仕事を張り切っていた。しかし、仕事そのものは好きではなかった。周囲の人間はどこまでも仕事ができる人たちであり、ここで長いこと働いていれば自分もウルトラ仕事ができる人間になれるのだろうな、とは思っていた。しかし、「じゃあお前はそういう人間になりたいのか?」と尋ねられたら、答えは明白だった。「NO」だ。私は、私よりも圧倒的に仕事ができる人間に囲まれていながら、心の中でははっきりと「お前みたいになりたくない」と思いながら仕事をしていたのだ。友人からの誘いを断った瞬間、私の中で警鐘が鳴った。

結論から言うと、私はクラブイベントに行った。そこで朝まで友人と会って遊んで語りまくり、そのまま徹夜でオフィスに出社して、そして辞表を提出した。ここにいたら自分がダメになる気がしたから、別に他にやりたいことがある訳でもなかったのに辞表を提出してしまった。

辞表を出した最大の理由は、「やりたいことよりも、やりたくないことが優先される人生なんてクソだ!」と私が思ってしまったからだ。私は私の仕事を愛することができなかった。どれだけ仕事ができる人たちに囲まれていたとしても、そういう人たちのようになりたいとまるで思えない自分に嘘をつくことができなかった。そう思いながらも、そうした自分のいる世界の常識に染まってしまいそうな自分がいて、会いたい人からの誘いさえも断るようになってしまったら、自分の人生はいよいよダメになってしまうと思って、私は会社を辞める決断をした。

大学を辞めるという決断。会社を辞めるという決断。この二つの決断は、今の自分の生きる「筋」を形成するとても大きな出来事になっている気がする。

「どう生きるか?」という問いに対して、今はまだ明確な答えは持てずにいる。「なぜ生きるか?」という問いに対しても、「それを知るために生きているんだよ」としか言えない。ただ、生きているからには生きていることを実感していたいと思っていて、ただ生命を繋いでいるだけでは辛いと感じることが頻繁にある。今という瞬間をぶちまけて輝いていたいと思っている。

意識的に「失う」ことが決断だと私は思っている。何かを失わなければ、何かを得ることができない。使い古された言葉だけれど、私は大学を辞めなければ「学歴がなくても生きていける生き方」を獲得することはできなかったし、会社を辞めなければ「やりたくないことよりも、やりたいことを優先させる生き方」を獲得することはできなかった。今はまだ人生の保証など微塵もないから、人生に保証を求める人は参考にしない方がいい。個人的には超爽快だ。

断捨離の経験がある人なら分かると思うが、捨てて後悔するものなんてほとんどない。皆無だ。私は大学も会社も辞めて良かったと心から思っていて、あとは自分の生き方次第だ。恐れることはないし、恐れてはいけない。自分がどこにいるのかなんて大して重要ではなく、問題は、自分が今いる場所をどうやって切り拓いて行くのかの方がずっと重要だ。おばけは出てから怖がればいい。結論。捨てちゃえ!!

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坂爪圭吾 KeigoSakatsume/ibaya
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