いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

これが答えだ! - 充実した人生を送るためのたったひとつの法則 -

結論から言うと、「自分を出す」ことさえ徹底していれば人生は確実に充実する。

世界に自分と同じ人間はいない。自分というこの世に唯一無二の存在を遠慮せずに前面に押し出せば、そこには必ずオリジナルな価値が発生する。あなたの周りにいる、魅力的で生命力に溢れた人の姿を思い出して欲しい。きっと、その人は「そのままいっている感」が半端ないはずだ。自分を全開に出しまくって生きているはずだ。そして、人はそういう「自分を思い切り出し切っている」人の姿を見て、自分の心の扉まで開くように感じたりする。

「自分を出す」ということは決して難しいことじゃない。「自分を出す」なんて簡単だ。

何も特別なことをする必要はない。言いたいことを我慢せずに口にするだけで、やりたいと思ったことを先送りにすることなくやってしまうだけで、そこに必ず自分は宿る。たとえ誰にも何も伝わらなかったとしても、「自分は自分を出し切った」と思えば清々しい。しかし、日本の教育では「自分を出す」ことよりも「周囲にあわせる」ことが重んじられてしまう。それぞれの個性を最大限に伸ばせばいいものの、全員を横一列に配置して、優等生という「決められた枠」にはめるように促す。結果として、自分が何をやりたいのかさえわからなくなってしまう人間を大量に輩出した。多くの人々が他人の顔色を伺い、他人から嫌われることを恐れている。「自分を出す」という経験をしてきたことがないために、それがどういうことなのかさえ分からなくなっている大人たちがたくさんいる。

いい子になりたがる自分と、いい子をやめたがる自分がいて、確実に言えることは、いい子な自分なんて超つまらないということだ。そんなことは誰もが感じていることで、本当は誰もがもっと「自分らしく」生きたいと思っている。「他人の期待」に応えるのではなく、「自分の期待」に応える生き方をしたいと望んでいる。ほとんどの人が自分をセーブして生きているから、どこかで必ず自分を爆発させたがっている。前向きな形で発散されればそれは時代を動かす最高のエネルギーになるが、最悪の形で発散された場合、自殺をしたり鬱病になったり過労死をしたりする。

しかし、何かが「自分を出す」ことを躊躇させる。その元凶は何か。それが「恐れ」だ。他人にどう思われるのかを恐れる気持ちと、自分にはそんなことはできっこないと感じる不安だ。「他人の目線」を恐れる気持ちと、「自分には無理だ」と勝手に恐れる気持ちが邪魔をして、無難な道を選ぶように自らを動かす。結果、いつまでも「自分を出す」こととは無縁の人生を送り続けることになり、死ぬ間際になって「自分の人生は何だったのだろうか」などと悶絶する。

大学三年生の女の子が、「私はあんまり本気で就活をやっていなくて、そうしていると周りからも『なんも考えてないね』って言われるんだけど、本当になんも考えてなかったら就活していると思う」と言っていて、この発言にこそ真実が宿っていると私は感じた。

今の小学生のおよそ65%は、今はまだ存在していない仕事に就くという。「何かをやりたいと思う気持ちはあるけれど、何をやったらいいのか分からない」と感じる人は多い。それはチャンスだ。そして当たり前のことだ。これからどんどん新しい仕事が発生する。今はまだ名前のつけられていない仕事の数々が、これから大量に発生する。それをこの世に生み出していくのが現在を生きる私たちの役割であり、就職活動の一番の盲点は、「今ある仕事の中から自分がやりたいことを選ばなければならない」ことにある。そこにあるのはどこにでもある慣例だけだ。

「自分がやりたいことのイメージはなんとなくあるけれど、それがどのような形で成し遂げられるのか分からない」と思う部分にこそ、大いなる可能性が宿る。今はまだこの世に存在していない仕事や生き方や考え方が、これから大量に発生する。未来を拓くためのキーワードは「自分を出す」ということだ。どこまでも遠慮することなく自分を押し出せば、必ずそこにオリジナルな価値が宿る。自分と同じ人間はひとりもいない。その事実が、時に重い鉛のように自分を心を深く沈ませることもあるが、その「孤独性」にこそ新しい価値が宿る。孤独性と独自性は表裏一体であり、自分を出すということには必ず孤独がつきまとう。そして、その孤独を遥かに上回る「人生史上最大の喜び」を私たちにもたらしてくれる。その理由は以下のようにシンプルな原理で成り立っている。

自分を殺して誰かと繋がっても、自分を殺して日々の生活を送っていても、無難な生活は送れるかもしれない。死なずに生きることはできるかもしれない。しかし、生きていることの喜びを味わうことができない。自分の本当の部分で他人と繋がることができない。自分は自分の人生を生きているのだという清々しさを味わうことができない。それこそ孤独な人生だ。表面的な繋がりが、本質的な繋がりを生むための最大の障害になる。自分を殺して生まれる友情と、自分を思い切り出して生まれる友情と、どちらに価値があるのかなんて明白だ。打算的な人間に、人と人との純粋なつながりの喜びを味わうことは出来ない。

私が感じている、充実した人生を送るための法則は極めてシンプルなものだ。

「自分を出す」こと。自分と同じ人間はどこにもいない。自分の人生を代わりに生きてくれる人間はどこにもいない。自分をハッピーにさせるのは自分の仕事で、自分を生かすのも自分を殺すのもすべては自分次第だ。「自分を出す」ことは決して難しいことじゃない。言いたいことを我慢することなく口にするだけで、やりたいと思ったことを先送りにすることなくやってしまうだけで、そこに唯一無二のオリジナルな価値は必ず宿る。そして、その価値こそが新しい時代を切り拓くエネルギーになるのだと私は思っている。

希望のない人生はつらい。嫌なことを耐えて終わる人生はつらい。たとえ理解してくれる人は少ないとしても、自分を出して生きることができれば清々しい。そして必ず理解者はあらわれる。日本には1億人を超える人間が存在している。理解者が1%しかいなかったとしても、100万人もの理解者がいる。自分と似た思いを抱いた人間は必ずいる。すべての人に自分を理解してもらう必要はない。

自分を殺して生きる人生はつらい。生命力が奪われて、想像力が奪われて、やがては人間の全体性まで奪われてしまう。私たちは機械でもなければ家畜でもなく、もちろん奴隷なんかでもない。心を持った生き物であり、「私は私だ」と主張を続ける唯一無二のオリジナルな存在だ。胸に手を当てれば心臓がビートを刻んでいる。躍動するリズムが「私は生きている」のだと訴えている。

その声を外に出してあげること。それが私たちひとりひとりの役割だ。結論。充実した人生を送るためのたったひとつの法則、それは「自分を出す」ということ。言いたいことは我慢せずに口にして、やりたいと思ったことは先送りにせずにやってしまうこと。自分と同じ人間はひとりもいない。自分を大切にして生きるということは、自分が感じた思いを大切にして生きるということだ。他人の人生を送ってはいけない。心の声に従えば、人生は確実に充実する。

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坂爪圭吾 KeigoSakatsume/ibaya
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