いばや通信

ibaya≪いばや≫共同代表・坂爪圭吾のブログです。わっしょい└( ^o^ )┐

普通じゃないことをした記憶が、思い出になる。

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普通じゃないことをした記憶が、思い出になる。これが私の信念のひとつである。

私はibaya≪いばや≫という団体の共同代表をやっていて、いばやとは「やばい」を逆にしただけの名前で、「とにかくやばいことだけをやる」というコンセプトを掲げて活動をしており、それに共感してくれる仲間たちと一緒に様々な試みを行っている。

ibaya≪いばや≫には、一応以下のような三ヶ条がある。

①普通であってはいけない。
②面白くなければいけない。
③自由でなければいけない。

基本的に、この三ヶ条が満たされる限り「とにかくやばいもの」になると思っている。

ibaya≪いばや≫の最初の活動として「進撃の魚人」というものを行った。これがTOPの写真だ。私たちは人魚のスーツを着て真夏の横浜中華街を爆撃した。特に意味はなかった。単純に目立ちたかっただけなのかもしれない。きっかけは中華街で開催された美術展の客寄せパンダとして、何か面白いことをやってくれと頼まれたことだった。私たちは、とにかく人目を引くことだけに意識を集中した。それができれば必ず何かが起こると信じて爆撃した。

私は常々疑問に思っていた。例えばイベントと呼ばれる類のものはこの世に無限にあって、そのほとんどが集客の問題で苦戦している。それは美術展も同じだ。街中には莫大な数の人たちがいるのに、イベントには人が集まらない。「それならば」と私たちは逆転の発想をかました。人が集まらない場所に人を集めるのではなく、既に人が集まっている場所で勝手にイベントを開催してしまえばいいのだ。コンテンツは私たちだ。私たちというエッジの効いたコンテンツが街に飛び出すことで、美術展という閉ざされた狭い枠を超えて、地球そのものをイベント会場にしてしまえばいいのだと考えて、横浜中華街という名の真夏の海にダイブした。

結論から言うと、ものすごい注目を集めた。そして私は死にかけていた。

真夏の灼熱の太陽の下での全身スーツは死ぬほどきつかった。暑い。まじで暑い。呼吸が苦しい。全身スーツが鼻の穴を塞ぐ。何をしても苦しい。爆撃するなどと言っておきながら、尻尾が邪魔で全然進めない。だって両足が尾ひれの部分で結ばれてしまっているのだもの。私たちは結果としてうさぎ跳びのような格好で横浜中華街をぴょんぴょん跳ね回った。無様だった。恐ろしく無様だった。しかしそれがウケた。中華街の人々は私たちに群がり、写真を撮り、SNSでシェアをして、目の前でキャーキャー騒いで喜んでくれた。

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非常に人当たりの良い魚人ゴールドがこの私だ。記念撮影もパシャリだ。この時点で私の体力も既に限界を迎えていた。誰よりも早くリタイヤしてやろうと思っていた。他のメンバーも非常に苦しそうなのが伝わるだろうか。うさぎ跳びを長時間続けるのは新種の拷問と同じだ。汗が止まらない。暑い。水が欲しい。それを察したやり手の進行補助役Nさんが、気を利かせて霧吹きで水を吹きかけてくれた。全身に大量の水を浴びた私は「水を得た魚(人)」さながらに九死に一生を得たのでした、と言いたい所だがこれがまるでいけなかった。全身スーツが水を浴びたことで顔面にビターッ!とへばりつき、私の顔の穴という穴はベチョーッ!と鎖国し、まったく呼吸ができなくなった私はモギョーッ!と叫んだ。これは死ねるぜ。そして私は高らかに宣言した。リタイアします。もう、私の役割は充分に果たしただろう。

まさかの途中メンバー脱退に他の魚人たちも白目を剥いているのがわかった。だがしかし、そんなことでリタイアを取り消す私ではない。もう、充分だろう。私は高らかに嘆願した。ごめんなさい、もう無理です。そして私はいなくなった。

この体験から得た教訓は以下の3つだ。

①とにかくやばいことをやれば人の注目を集めることも簡単だ。
②無茶をしろ。でも、無理をしてはいけない。死んでしまうぞ!
③人は何にでも慣れてしまう生き物だ。そして世界は拡張する。

結果として私たちはおよそ2000人位から写真を撮られた。人の注目を集めるのは決して難しいことではないのだ。自らがエッジの効いたコンテンツになり、人ごみの中に飛び込んでいく。これは誰でも気軽にパクれる。何かあったとしても別に怒られたら謝ればいいのだから、迷ったらGOだ。

発見として面白かったのは、「どのような極端な状況でも、結局人は何にでも慣れてしまう」ということだ。中華街に爆撃した瞬間は周囲の人たちからキャーキャー言われて騒がれるという体験にホロ酔い気分で浮かれていたが、5分もすればそれを当然のことのように感じていた。周囲の人間に騒がれることに慣れてしまったのだ。キャーキャー言われることも当然、写真を撮られることも当然、握手を求められることも当然のことだと感じるようになり、有名人とはこんな気分なんだろうなと冷静に感じた。

誤解されると困るのだが、私は決して自慢がしたいわけではない。真逆だ。ちやほやされるのなんて簡単だ。誰にでもできる。人魚のスーツを複数人で着用して、人の群れの中を爆撃すれば誰にだってできる。私が私である必要はそこにない。そして私は気がついた。自分が勝手に無理だと思い込んでいるものでも、やってみれば意外とできてしまうことは無数にあって、何よりも問題なのは「自分には無理」「自分にはできない」「自分には力がない」などと勝手に自分で自分に限界を設けてしまう、自分自身の勝手な思い込みにあったのだ。

ここは超重要だと思うから繰り返す。「自分には無理」だと思うのは致命傷なのだ。

長くなってしまいそうだから突如まとめに入る。普通じゃないことをした記憶が思い出になると私は思っていて、なぜならそういう体験をすると普段は閉じられている自分の中の感性がフルオープンの状態になり、普段は入ってこない情報や体感がバシバシ内部に取り込まれていく。そうすることで新しい世界が広がって行って、見える世界がガラリと変わる。誰だってその世界に行くことはできるのだけれど、それを体験したことがない人には決して見えない世界があって、そこに行くためには普通じゃないことをした記憶がとっても大切になる。

私は私の人生に期待している。そこはかとなく期待している。とにかくやばいことだけをやっていたいと思っていて、たとえ身体中に傷を負いまくったとしても、死ぬ時に「楽しかった」と思えるいくつものメモリーを残していけたら最高だ。どんな生き方だとしてもいい、どれだけ心に深く残る生き方をすることができたのか、どれだけ心が揺り動かされる出来事に遭遇できたのかが、人生の豊かさを決めると思っている。

普通じゃないことをした記憶が、思い出になる。結論。なんでもいいからやっちゃえ!!

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坂爪圭吾 KeigoSakatsume/ibaya
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