いばや通信

ibaya≪いばや≫共同代表・坂爪圭吾のブログです。わっしょい└( ^o^ )┐

お客様満足なんてクソだ! - 私は「エッジの効いたゆず」になりたい -

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自分が100楽しんでいれば、80くらいは相手に伝わるものだ。

私は過ちを犯していた。私は4年ほど前から、自身の活動のひとつとして料理教室を主宰している。名前を「good morning babies」と言って、「童心を起爆する空間をデザインする」というコンセプトで奮闘している。私は料理を愛している。料理は楽しい。料理をしている時は無心になれるし、初対面の人間同士でも料理をすると会話が弾んで仲良くなれる。モノをつくる原始的なよろこびもある。原始的なよろこびに触れると童心に戻る。童心に戻ると忘れていた何かを思い出せる。心に潤いが与えられて、何かこう生命力が蘇ってきてワクワクしてくる。こんな童心に戻って楽しめる空間を創出していきたいと思って活動を続けていたのだが、これがそもそもの間違いだった。

何が間違いだったのか。それは「主語」をどこに置くかの問題だった。

活動を続けていく中で、私は愚かになっていた。「みんなに料理の楽しさを伝えたい!」「みんなの童心を起爆させたい!」「みんなに楽しんでもらいたい!」なんて思うようになってしまっていた。これがいけなかった。もちろん、参加してくれた方に楽しんでもらえるのは嬉しい。本当に嬉しい。主催者冥利に尽きる思いになる。しかし、活動を続けながらどうしても拭いきれない違和感を感じていた。何かこう、楽しくないのだ。そして私ははっきりと気が付いた。私が童心を起爆させたいと願っているのは、その相手は、そこに来てくれた人よりも何よりもまずは自分自身だったのだという当たり前の真実に気が付かされてアゴが外れた。

私は、私の童心を起爆させ続けて生きたいのだという自分の欲求に覚醒した。

私は料理を愛しているが、4年間ほど料理教室をやっていたので、料理教室を開催することそのものの中に新鮮さはなかった。これを改善しようと思った。どうしたら来てくれた人に楽しんでもらえるかを考えるのではなく、どうしたら「自分が」思い切り楽しむことができるのかを考えた。そして出た結論が「みんなでサングラスをかけて料理をしたらやばい」というものだったので、あとは野となれ山となれの精神で実際に開催してしまった。自分が100楽しんでいれば、80くらいは相手にも伝わるだろうマインドで突破した。

TOP写真がその時の集合写真だ。私は、この写真が撮れただけでも開催して本当に良かったと思った。他の参加者の方々が実際に何を思ったのかは知らない。知ることも出来ない。多分ダメだったかもしれない。だがしかし、私は圧倒的に楽しかったし、私は私の童心を起爆させることに成功した。そして私は覚醒した。異様こそ我が命なのだ。

話が長くなりそうなので、突如まとめに入る。

①自分が100楽しんでいれば、80くらいは相手に伝わるものだと信じる。
②誰かを楽しませようとするのではなく、まずは自分を最大限に楽しませる。
③「否定されても構わない。よし、否定されてやろう」位の精神で突破する。

私は、楽しさには二種類あると思っている。ひとつは、一緒にいる誰かが楽しんでくれているのを見て、はじめて自分も楽しむことができるという種類の楽しさ。そして、これは本質的な楽しさではないと思っている。楽しいのではなく、ただ「安心」しているだけだ。私が感じていた違和感はまさにここにあった。私は、参加者の皆さまが感じる楽しさを通じて、自分も楽しもうと思ってしまっていたのだ。そしてもうひとつの楽しさとは、まずは自分自身が思い切り楽しむこと、そしてその様を通じて一緒にいる人たちに楽しさを伝染させていくという楽しさ。例えるなら、ゆずだ。ゆずは心から楽しそうに歌う。何よりも自分達が楽しそうに演奏して、それを見たファンの人たちもその楽しさが伝染してきて楽しくなってきてしまう、というような構図だ。私はゆずを目指すべきなのだと感じた。自分が楽しさの起点になるべきなのだと感じて、そのスキルこそを磨くべきなのだと痛感した。私は「エッジの効いたゆず」になりたい。

私の信念のひとつに、「やばいことをやっていれば、それを面白がってくれるやばい人が現れて、化学反応が起きて、結果とんでもないわっしょい状態になる」というものがある。

バレンタインデーにホームをレスしてからというもの、ものすごい事態が連発している。私にごはんを奢りたいという謎の予約待ち状態が発生し(超ありがとうございます!)、まだ会ったこともないのに住む家を提供してくれるという人が続出し(本当にありがとうございます!)、私のブログ記事がシェアされまくって佐賀県までの往復飛行代の支援金募集まで始まってしまってなんだかとってもわっしょい状態となっている。なんでこんな胡散臭さMAXな私にこんなにも優しくしてくれるのだろうかと考えて、すぐに答えは出た。別に力を貸すとかそんな意識はあんまりなくって、ただ、単純に私の現状を「面白がってくれている」のだ。

この「面白がられる」という感覚が大事なのだろう。そのためには、何よりもまず自分自身が自分がやっていることにハマらないといけない。自分を晒して、自分自身を押し出して、あとは野となれ山となれマインドで突破する。なるようになるのだと信じて爆撃する。

「お客様満足」という綺麗な言葉には罠があって、相手の満足を求めるあまりに自分の満足がおざなりになってしまい、結果として心のこもった何かを生み出すことができなくなる。本当のお客様満足は、必ず自分自身の満足とリンクしている。だがしかし、現状今のJAPANは「自分を殺して他人に奉仕せよ」というのがメインになっていて、だから働いていても「ありがとうございます」と感じることは稀にあっても「超楽しい!」と感じることは少ない。

要約します。「誰がなんと思おうが、自分はこれをやっている瞬間が本当に最高!」と思えるものを見つけた人が勝ちで、誰よりもまず自分自身が楽しむこと、そして、その楽しさを伝染させていくこと、それがすべてだと思います。結論。お客様満足なんてクソだ!!

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坂爪圭吾 KeigoSakatsume/ibaya
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