いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

才能があるとか、能力があるとか、そんなものはどうでもいいのだ。自信があるからやるのではなく、自信がなくてもやる、やりたいと思ったからやる、それでいいじゃないか。

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2013年10月26日(土)に新潟サミットを開催した。何もかもが初めての試みだった。

新潟をはじめ地方には面白い活動をしている団体が無数にある。しかし団体同士の繋がりは薄く、存在自体が知られていない団体も無数にある。それらが繋ぎ合わさることで未だかつてない化学反応が起きて何か面白いことが起こるんじゃないか。否、起こるはずだ。そう思ってジャンルを問わず団体を結集させて開催したのがこのイベントだ。ここで私はまたしても無数の醜態を晒すことになる。なにしろ私はウルトラ素人なのだ。今までこんな広い会場を借りて何かをやることはなかった。また死ぬのかと思った。私は死にたがりだ。死ぬことで蘇る不死鳥になりたいと願うどMの私は死の道を選び、新潟サミットはまことしやかに開催された。

開催までの準備は苛烈を極めた。まずは出場団体が全然集まらない。私は頭を悩ませた。どうしよう。困った。やると言っちゃったのに全然集まらない。これには参った。どうしよう、ママン。しかし受け身でいてはいけない。それじゃ何も始まらない。私は思い当たるすべての団体をWebでググり、ひとつひとつ懇切丁寧に出場依頼のメールを送った。結果から言えばすべてコケた。敗因は明確である。社会人経験が皆無の私が送るメールには「!」が多用されており、客観的に見れば「関わるメリットが見えない愚者感」が半端なかったからだ。返信が一切来ない団体もひとつやふたつではなかった。しかし私はへこたれなかった。私は俄然奮起した。

とにかく私は周囲の人間にお願いをしまくった。新潟サミットというイベントをやる。何でもいいから団体を知らないか。知っていたら紹介して欲しい。すると、少しずつ団体が集まってきた。やはり泥臭い営業は不可欠だ。執念が道を開くのだ。最終的には25団体が集まり、直前には新潟の地方紙にもイベント開催の旨が掲載され、当日は70名を越える参加者の方にお集まりいただいた。だがしかし苛烈は続く。イベント当日も私は狼狽しまくった。

この日も私はビッグスワンでの運動会同様、すべての準備を自分一人で進めていた。これがいけなかった。当日は複数の知人にヘルプをお願いしていたのだが、事前に共有すべき事を一切共有していなかった。主催者失格である。過去の経験から何も学習していない私は見事にその場でわちゃわちゃした。出場団体への説明とヘルプで集まってくれた方々への説明を同時に行う必要のあった私は壊れた。完全にキャパを越えていた。すべてを放り出して周りの人間に「雰囲気でやっておいて☆」と言って逃げた。開始時間は刻々と迫っている。私は震えていた。また死ぬのかと思った。しかし死にたがりの私は腹を括った。よし、死のう。みんなごめん。一緒に天国へ行こう。長い人生、たまには死んでみるのも悪くないじゃないか。

長くなるので当日の詳細は省略する。結論から言えば新潟サミットは無事に終了した。最後に出場団体全員で撮った写真がTOPのものだ。これを見ればわかるが、なぜ「新潟サミット」という文字がこれほど下手で汚くて文字が薄いのかをはじめとした様々な問題が随所に垣間見られるイベントになった。自己採点は2点だ。黒塗りをする精神的な余裕と想像力が私には欠如していたのだ。だがしかしOKだ。翌日の朝日新聞には面白い人つなげたい、約20団体が集合という記事で掲載していただき、新潟の地方紙にも取材をしてもらえた。個人的な奇跡だった。この出来事を通じて私はいくつかのことを学んだ。

①才能があるとか、能力があるとか、そんなものはどうでもいいのだ。自信があるからやるのではなく、自信がなくてもやる、やりたいと思ったからやる、それでいいじゃないか。
②「やればできる」は怪しいが、「やってみたらどうにかなる」ことが無数にある。
③「やるべき理由」が自分の中で明確なら、何が何でもやるべきだ。


私が新潟サミットを開催したのは決してスキルがあるわけでも、豊富な人脈があったからでもなかった。当日は惨憺たるものだった。プロが見たら完全な憤飯ものだったはずだ。しかし無事に終了した。新聞にも掲載してもらえた。新しい出逢いがあった。この成果物は大きい。次回はきっともっと上手くやれるだろう。何か新しいことを行う際、自信がないからと次の一歩を躊躇することがたくさんある。しかしそれは杞憂だ。誰だって最初は初心者なのだ。最初からうまくやろうとするからダメなのだ。失敗するかもしれないと恐れるのは間違っている。成功するためにやるのではなく、失敗するためにやろう。うまくやろうとするのではなく、よし、失敗してやろうと思えばいいのだ。誰よりも見事に失敗して自らの肥やしにしてやろう。私は自分に言い聞かせた。才能があるとか、能力があるとか、そんなものはどうでもいいのだ。自信があるからやるのではなく、自信がなくてもやる、やりたいと思ったからやる、それでいいじゃないか。

私は新潟をもっと面白い街にできたらと思っている。何か新しいことをやりたいけれど、具体的に何をやったらいいのか、どこに行けばそうした情報が得られるのかがわからない。そうした悩みを持った人は自分をはじめたくさんいると思った。そこで新潟サミットを企画した。面白い人と繋がれる場所があったらどれだけいいだろうと夢想し、これは絶対にやる価値があると思ったので開催した。自信はなかった。あるのは「絶対にやったほうがいい」と感じる自分のハートだけだった。もちろん失敗は怖かった。他人に笑われるのは怖い。しかし本当のところ、人間なんて自分にしか興味がないのだから坂爪が失敗しようが成功しようが世の中的にはどうでもいいことなのだろうと開き直った。他人に嫌われることを恐れるよりも、他人に嫌われることを恐れて何も出来なくなる自分になってしまうことを恐れるようにしたいと思った。

才能があるとか、能力があるとか、そんなものはどうでもいいのだ。自信があるからやるのではなく、自信がなくてもやる、やりたいと思ったからやる、それでいいじゃないか。どんどん失敗して何度でも死んで、その度に蘇ればいいのだ。何もやらなければ新聞に載れなかった。新しい出逢いにも恵まれなかった。今回も大勢の方々に迷惑とかけまくったが、皆優しかった。想像している以上に世界は優しいし、たまに会ったこともない人に「死ね」とか「消えろ」などと言われることもあるが、実質的には現実はそれほど厳しくない。案外どうにかなることが多い。才能があるとか、能力があるとか、そんなものはどうでもいいのだ。自信があるからやるのではなく、自信がなくてもやる、やりたいと思ったからやる、それでいいじゃないか。

失敗したってネタになる。やりたいと思ったからやる。それがすべてなのだ。

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坂爪圭吾 KeigoSakatsume/ibaya
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