いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

希望の光は、朝日と共に昇ってくる。

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食パンにクリームチーズと納豆をのせて焼いた後に、はちみつをかけて食べると超絶美味い!と言っても、信じてもらえることは少ない。食パンに納豆をのせて焼いた後に、ケチャップやマスタードをかけて食べるとフランクフルトみたいになるから超絶美味い!と言っても、悲しそうな顔をされてしまう。

最近では、玄米と味噌を食する宮沢賢治的な日々が続いている。納豆は「贅沢品」に分類されるようになった。貧乏生活も、長く続けているとそれなりのスキルが蓄積される。洗濯用洗剤がなくなったために、新しいものを買いそうになったものの「もしかしたら洗剤は不要かもしれない」と思って色々調べてみたら、重曹(あるいは水のみ)だけでも充分に汚れは落ちるのだと知った。多分、湯シャンと同じ原理なのだと思う。生活必需品が「実は必需品ではなかった!」と気付いた瞬間の手応えは大きい。

最近思うことあれこれをまとめます。

1・趣味の合うひとと一緒にいればいい。


真理と呼ばれているものはひとの数だけあって、多分、どのような考え方を「採用」しているのかがそのひとの人生を決めているのだと思う。自分の人生はつまらないと思っているひとは「自分の人生はつまらない」という考え方を採用しているのであり、(別によいも悪いもなく)そのひとがそうしていたいのなら、ただ、そうしていればいいのだと思う。私は、私が「この考え方を採用したい!」と思えるものを採集する。世間的に正しいかどうかはあまり重要ではなく、自分のこころが楽しい気持ちになれるなら、自分のこころが優しい気持ちになれるなら、それが自分にとっての「真理」だと思っている。

2・真理はひとに優しい。


私は「真理はひとに優しい」と思っている(真理はひとに優しいものだという考え方を採用している)。そのため、これをするべき!とか、あれをするべき!とか、ある種の緊張感や脅迫感を伴った言い方や考え方は、できるだけ控えていたいと思っている。人間のパフォーマンスが最大限に発揮される瞬間は、何かを強制されて行う瞬間ではなく、そのひと自身がこころの底からリラックスをしている瞬間だと思う。誰かが決めた模範的な優等生になることよりも、「○○したくなる」とか「○○してしまっていた」という姿の中に、その人に宿る自然や、その人に宿る魅力はあるのだと思う。

3・この人でいいかなではなく、この人といたいと思える人といること。


これでいいかなではなく、これがいい、これがやりたいんだと思える、この「前のめり感」を大切にしていきたいと思う。そして、難しい場合もあるけれど「何もやりたいと思うことがない時は、何かをやりたいと思う時まで、ただ、何もやらないでいることの強さ」を身につけていきたいと思う。有意義な何かをしている自分を肯定することは簡単だけれど、何もしていない自分を、ただ存在しているだけの自分を、そのままの状態で肯定することができた時、はじめて「自分を愛する」ことができるのだと思う。何かをするから価値があるのではなく、本当は、何もしていなくても価値は常にあるのだと思う。

4・生きているだけでいい。それ以外はおまけだよ。


私が採用している考え方のひとつに「生きているだけでいい。それ以外はおまけだよ」というものがある。ほんとうは別に(超絶広い意味では)この瞬間に死んでしまっても問題はないのだけれど、今夜寝る場所があり、明日食うに困らないカネもあれば、何も文句を言う必要はないのではないだろうか(それだけでもう幸福じゃないか、非常にラッキーなことじゃないか!)という気持ちになる。これがあれば人間として合格!【これがなければ人間としては不合格!】みたいなものはあるはずもないのだから、時には弱気になることがあるとしても、自分が生きているということそのものにもっと胸を張ってもいいのだと思う。

5・「ない」に賭ける。


ブログを書き続けていると「どうしてブログに広告を貼らないのですか?広告を貼れば、いまよりもずっとお金を稼げるようになるのに!」的なアドバイスを頂戴することがある。自分でも、お金を稼ぎたくない断固たる理由がある訳ではないので、こういう時には返答に困る。多分、私は「広告を貼らない(お金を生まない)方が面白い」と思っているのだと思う。言い換えるならば、私は、弱いままでいたいのだと思う。自分は弱いからこそ、自分には何もないからこそ、他者を必要とすることができるのだと思う。

6・自分の代わりに自分を生きてくれるひとはいない。


自分自身を31年間程度観察してきた結果、私は、根本的に怠惰な人間なのだということがわかった。自分の代わりにそれをやってくれるひとがいるのであれば、料理も、家事も、芸術も、政治も、仕事も、すべてをほかのひとに任せていたいと思っている。私は、私の代わりにそれをやってくれるひとがいるものに対して、持続可能な情熱を抱くことができない。言い方を変えれば、誰も代わりがいないもの、自分以外にはそれをやることができないものに対して、サステナブルな熱情を覚える。私にとって、それが「言葉を書く」ということであり、大袈裟な言葉で言えば「自分を生きる」ということなのだと思う。自分の代わりに自分の心情を表現してくれるひとはいないし、自分の代わりに自分を生きてくれるひとはいない。それならば、と、私は私の心情を綴りたいと思い、私は私の生涯を生きたいと思う。

7・「人並み」であることを捨てる。


家のない生活を始めた頃から、多分、私は無意識のうちに「人並みであることを諦めた」のだと思う。ひとと同じであることを望むほどに、自分が自分であることのよろこびは遠ざかるような気がする。私が(動物占いで言うところの)ネアカの狼だからなのだろうか、それとも、私が(何かと新しいことをやりたがると言われている)牡羊座生まれだからなのだろうか、そういう感覚を覚えることがある。おかしな言い方になるけれど、私の場合、人並みであることを捨てた余白に「自分自身の花が咲いた」感覚を覚える。逆に言えば、人並みであろうとすればするほどに「自分が死ぬ」ような感覚を覚える。

8・静かな充足感を与えてくれるものは、どれもお金のかからないものだった。


賑やかな時間だけではなく、同じ静けさを共有できる時間、同じ静けさを共有できる間柄の中に、言葉にならない豊かさを覚える。

9・自由とは「自分が消える」こと。


不幸は分離感で、幸福は全体感だと思う。自由とは、やりたいことをやれることではなく「自分が消える【恐れを完全に手放している】」ことだと思う。俺が俺がとなる(自分を強く主張する)ほどに、多分、その人自身は何か大きなものから切り離されてしまう。自分の正しさを証明しようとするほど、そのひと自身は「正しさ」から離れていく。自分の自由を証明しようとするほど、そのひと自身は「自由」から離れていく。自分の明るさを証明しようとするほど、そのひと自身は「明るさ」から離れていく。

『【新訳】老子

今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、岬龍一郎著作『【新訳】老子』です。原文直訳ではちょっと難解な文章が続く老子という古典作品が、現代風に非常にわかりやすく訳されている(老子入門に最適な)一冊になります。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

※※※ こちらの本は、富山県にわたりました ※※※

無用の用

自転車の車輪というのは、
たくさんのスポークが輪の中心の甑に集まっている。
この輪の中心の軸は空っぽだ。
でも、真ん中が空っぽだから車輪は車輪の働きができるんだ。

粘土をこねて器を作る。
器の中は空っぽだ。
何もない。
でも、
中が空っぽだから使い道があるんだ。
家の造りだってそうさ、中が空っぽだから部屋として使えるのさ。

人は目に見えるもの、形のあるもの、
中身の詰まっているものを大事にするけれど、
じつは、本当に大事なものは、
何もない “空” が支えているんだよ。
これを “無用の用” というんだ。

『【新訳】老子』【PHP】


10・希望の光は、朝日と共に昇ってくる。


熱海の家から見える朝焼けが綺麗で、思わず「うわあ」という声が漏れる。自然と両足は駆け出していて、着の身着のまま、この「思わず駆け出してしまっている」時の自分が好きだなあということを思った。意識を超えて、先に身体が勝手に動き出してしまっていることの中に、私は「私の自然」を見る。きっと、知識ではないのだと思う。身体が感じるよろこびを、私は大切にしていきたいのだということを思う。

ブログ記事を投稿する際に、各種SNSから様々な投稿を目にする。これはただのお願いになるのだけれど、私は「インターネットを批判や暴露の道具に使うのではなく、お互いを励まし合い、勇気付けるために使って欲しい」ということを思っている。あのひとはダメだとか、あの企業はダメだとか、何かの批判や暴露を目的にインターネットや各種SNSを利用するのは、それを見るひとにまで「恐怖や怒りや悲しみなどネガティブな感情を拡散させる【見る人の精神を萎縮させる】」ことになってしまう。

最高のパフォーマンスが発揮される瞬間は、何かを強制された瞬間ではなく、こころの底からリラックスをしている瞬間だと思う。私は、これからもひとのこころをリラックスさせる考え方を採用していきたいと思うし、ひとのこころをリラックスさせる考え方を採用しているひとと、同じ時間を過ごしていきたいと思う。ガチガチに強張りがちな体も、ガチガチに強張りがちな心も、ほぐれれば必ず素晴らしいものを生み出すようにできている生き物が、人間だと思う。

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人生は続く。

静岡県熱海市伊豆山302
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