いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

これが、俺からの贈り物だ。

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横浜駅前のドトールにいる。ごちゃまぜの家とAgapeを解散させ、年の瀬感がすごい。今年も残り1ヶ月だが、気分は新年だ。樹木希林の娘、内田也哉子は父の葬儀で「Fuckin' Yuya Uchida, don't rest in peace. Just Rock'n Roll」と言った。Agapeを解散させ、新しいバンドを結成した。名前を『THE PRESENTS』と言う。初期衝動は怒りだ。古い自分を引きずって生きると、ゾンビみたいになっちまう。

 

 

おおまかなスケジュール

12月1日(日)15時 坂爪圭吾(THE PRESENTS)LIVE@GOCHAMAZE no IE
12月3日(火)19時 坂爪圭吾(THE PRESENTS)LIVE@吉祥寺『曼荼羅』
12月4日(水)以降、FREE!

連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu 

 

ibaya.hatenablog.com

 

THE PRESENTS

Agape解散にあたり、結構な顰蹙と結構な賛辞が届いた。ある女性は言った。あなたは、大事なことは全部女の人に決めてもらっているじゃない、と。私は答えた。お前は、ただ、その女に嫉妬しているだけだろう。自分が、俺の恩人になれなかったことが悔しいだけだろう、と。女性は怒った。というか、最初から怒っていた。怒る女性を見て「これが、俺からの贈り物だ」と思った。プレゼントには、贈り物という意味の他に『存在』という意味もある。怒ることは、悪くない。もっと自分に怒ってほしい。周囲に怒ると言うよりも、ダサい自分に、もっと怒ってほしい。

 

12月3日(火)19時@吉祥寺曼荼羅セットリスト(仮)

エクスプローラ
ワンダーランド
ノーザンライツ
SARAH
Loneliness is mine
flow-er
ロックンロールとキリスト教(仮)
snows

 

めちゃめちゃ急だが、昨夜、LIVE出演が決定した。12月3日(火)19時から、吉祥寺曼荼羅で開催される『SKETCH』に出演する。出演者は三組で、私はトップバッターだ。開催は明後日だ。急だ。急なのは、良い。お越しいただける方は、連絡をいただけたら嬉しいです。お礼(?)に、おはなを一輪プレゼントさせてください。これまではAgape(神の愛)名義で、活動をしていた。だが、これからはTHE PRESENTS(贈り物)名義で、活動する。生々しい自分の姿を晒して「これが、俺からの贈り物です」と捧げるような、喜怒哀楽の全部を、音楽に注ぎたいと思う。

 

www.mandala-1.com

 

生きている間だけが、人生じゃない。誤解を恐れずに言えば、私は「魂の話をしたい」と思う。源と言えばいいのか。愛でも、宇宙でも、ワンネスでも、サムシンググレートでも、言葉はなんでもいい。それと繋がることができている時の自分は、幸福で、幸運で、安らぎ、なんでもできそうな気持ちになる。だが、それらが断ち切られた時、不安や恐怖や猜疑心に飲み込まれ、世界を信じることが難しくなる。繋がりを取り戻すために、一番手っ取り早い方法が「誰かの魂に触れる」ことだ。生きている間だけが、人生じゃない。肉体は滅びても、残り続けるものがある。

 

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エクスプローラー」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

瞳の奥 またたいて 流れる
記憶の彼方 どこまでも 包む影

通りすがりの 風と惑星 すり抜けて
空にばらまいた 首飾り 時を超える

行こう エクスプローラ
夜の果てなんて そっと飛び出して
永久カーニバル 駆け出した 胸の音に進む

行こう エクスプローラ
地球(ほし)が転がって 宇宙(そら)に繰り出して
tiny festival 抱き締めた 宝箱はからっぽのまま

 

これが、俺からの贈り物だ。

なにかを終わらせるとき、円満であることを重要視できない。逆に「どうぞ、俺を恨んでください。俺を憎んでください。これが、俺からの贈り物だ」と思う。殺すときは殺す。そうじゃないと、ゾンビみたいになっちまう。予定調和がもてはやされるようになって久しいが、人間、本気で苦しむ時期が必要だ。人間、本気で悔しがる時期が必要だ。とりわけ、男。本気で苦しんだことのない男は、本気で悔しがったことのない男は、脆い。都合が悪くなった途端、すぐに逃げ出す人間になる。

 

怒りと悲しみは、密接にリンクをしている。悲しみを封印している限り、怒ることもできない。怒らないことと、怒れないことは別物だ。怒れないのは、ただのバカだ。バカと言うより、弱虫だ。弱虫と言うより、生きる屍だ。本能的な怒りが、自分を、周囲の人間を、前に進める力になる。愛とか、優しさとか、思いやりだとか、生温い言葉で自分をごまかしちゃいけない。人間の中にある、本能的な怒りが、人間を次のステージに進ませる。暴れると書いて『暴く』と読む。自分の中にある暴れる力を認め、それを出してやることが、本当の自分を暴くことになる。

 

自分にできることは、ただ、本当のことを言うことだ。それによって噴き出す血があるとしても、それでもなお、本当のことを言うことだ。俺は、もう、どうしようもなく俺なんだよと、暴れる命を目の前に差し出し、これが俺からの贈り物だと捧げることだ。Agapeでは『技術だけじゃない何か』を合言葉に活動をしたが、THE PRESENTSは『血みどろの何か』を残すことが、合言葉になりそうだ。今年の夏、岡山に暮らす小学生の秀眞から、こんな手紙を貰った。血の涙を流しながら笑う。喜怒哀楽の全部をぶちまけて、輝く。いまここにある瞬間が、最大の贈り物だ。

 

 「ぼくは坂爪さんに出逢うまで、ぼくじゃないだれかにならなきゃいけないような気がずっとしていた。

どこへ行っても、誰と会っても、そのままのぼくじゃダメだって言われてる気がしていた。

坂爪さんに初めて会った時、ぼくは感動した。みんなみたいにうまくしゃべれないぼくをそこら辺にある空気とおんなじように、気にしないでいてくれた。ぼくはそれがものすごいうれしかった。

坂爪さんに出逢ってから、ぼくは永遠に死ぬまでぼくで生きようと決めた。

坂爪さんの歌を聴くたびに、その気持ちを思い出す。坂爪さんとはなかなか会えないし、ずっと一緒にもいられないけど、離れていても会えなくても坂爪さんはすぐそこにいてくれて、「ほら、楽しもうぜ!」って言ってくれる。

ぼくは坂爪さんが大好きだ。

ぼくは一生坂爪さんの友達でいる。」秀眞

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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死ぬ気でやるな。殺す気で行け。

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横浜駅前のドトールにいる。今朝、Agape(我々のバンド)を解散させた。昨夜閃き、我ながらグッドアイデアだと思い、善は急げとメンバーに伝えた。これまでは「面白いかどうか」を基準に、動き続けた。だが、人間、やるからには「かっこいいかどうか」だと思った。面白いとか、楽しいとか、優しいとか、重要だ。だが、それだけでは生ぬるくなる。甘えが発生する。本気であることが、大事だ。保科さんの「海に散ると書いてってやつですね!笑」という返信の軽さに、笑った。

 

 

おおまかなスケジュール

12月1日(日)15時 坂爪圭吾 弾き語りLIVE@ごちゃまぜの家
12月3日(火)19時00分~19時40分 弾き語りLIVE@吉祥寺『曼荼羅』
12月4日(水)以降、FREE!

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu 

 

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それだけじゃない。

自分の心が「それだけじゃない」と言うことを、止められなかった。Agapeの音楽は、明るい。だが、Agapeの音楽をやりながら「俺は、これだけじゃないんだよな」と思った。音楽をやることは、夢でもあり、理想でもあった。特に、好きな仲間とやれているなら、尚更のことだ。音楽をやれている時点でゴールであり、夢はすでに叶っている。そう思う部分もあった。だが、同じくらい「全然ゴールなんかしてねえよ」と思う自分もいた。やりたいことをやれているようで、ただ、周囲から受け入れられる範囲内でしか、やりたいことを、やっていないような気がした。

 

最近、コミュニケーションとは『ハンマーで殴り合うこと』だと感じる。ハンマーで殴り合い、覚醒し合う行為。目を醒ませ。そんな言葉を浴びた瞬間は、最初、唖然とする。ガーン!となって、頭が真っ白になる。真っ黒ではなく、真っ白になる。これがいい。黒じゃなくて、白になる。自分を規定するものが一旦壊れ、真っ白な自由の大海に放り出される。その瞬間、感じるものは喜びよりも、唖然である。ひとは、本当にすごいものを目撃したとき、リアクションが取れない。ただ、唖然とするしかない。唖然とするしかないからこそ、それは、素晴らしいものだ。

 

破壊って、愛だなと思う。終わらせることって、愛だなと思う。バンド活動をはじめてから「いつか、行きます!」という言葉を、たくさん言われた。言われるたびに「いつかってなんだよ。いましかねえんだよ」と、裏側で思っていた。Agapeが解散すれば、もう、七人全員の舞台を見ることはできない。そこに、不敵な笑みを浮かべたくなかった。ざまーみろ、と。吉祥寺や心斎橋のライブを見たひとは、貴重だ。それは火山に消し流される前のワームポンドを見たひとや、焼け落ちる前の首里城を見たひとの『幸運』と、似ている。死ぬことに贈り物があるとすれば、終わることに贈り物があるとすれば、それは、こんな言葉で表現することができる。それは「大事なものが、いつまでもそこにあると思うなよ」というメッセージだ。

 

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「オニキス」

押し寄せる光と影 ど真んなかを削り取る
古傷はまだ痛むけれど 動けなくなる前に

繰り返す いまはまだ ひとりきりだとしても
生き延びている まだ 息してることを 確かめて

自分を解きはなって 思うまま 飛びたい
二度と戻れなくていい あの空を超えたい

誰の声も もう 届かない 深みまで 沈み込む
ハッピーエンドは馴染めないけど 最愛の爪痕を

闇がなければ また 光もないのだと
漆黒を削り取る その先に見える 光まで

自分を解きはなって 思うまま 飛びたい
二度と戻れなくていい 永遠を 超えたい
オニキスの夜の空で 僕を待ってる 僕を

生きている いまもまだ ひとりきりだとしても
生き抜いている まだ息してることを 確かめてる ただ

自分を解きはなって 思うまま 飛びたい
二度と戻れなくていい この空を超えたい
オニキスの夜の空で 君が待ってる 君が

 

死ぬ気でやるな。殺す気で行け。

夢や理想は、辿り着くものではない。そこに、ワープするものだ。自分の意識が、行きたい未来にフォーカスされた瞬間、意識が変わる。現実が変わる。昔の自分に戻れなくなる。夢や、理想は、地道な努力を重ねて辿り着くとか、研鑽を重ねて歩み続けるとか、そういうことではない。一発だ。一瞬だ。全部、意識が決める。それは、古い自分が一回死んで、新しい自分になって生まれ変わることと似ている。新しい自分は、古い自分が生きていた世界を、実は「飽きていた」ことを教える。

 

死ぬ気でやるのもいいけれど、殺しに行くのはもっといい。自分の人生から、言い訳がなくなっていく。無論、怖い。この怖さは、問われている怖さだ。誰に。もうひとりの自分に。自分から逃れることはできない。自分は、常に、自分を監視し続けている。自分が、自分に「見さらせ!」と言える瞬間は、清々しい。自分に限らず、対人関係においても同じだ。コミュニケーションは、ハンマーの殴り合いだ。実際にハンマーで殴ってしまったら前科一犯になるが、言葉のハンマーなら、音楽のハンマーなら、精神世界だけを壊すことができる。そして、再生する自分を見届けることができる。畢竟、人生は「何回死んで、何回生まれ変わるか」だと思う。新陳代謝こそ、我が人生。どんどん壊して、どんどん生み出していきたいと思う。

 

昨夜、恩人と話した。恩人はいつも、俺のケツを叩く。ケツを叩いていると言う意識もなく、俺のケツを叩く。夜這い前の男子が、集落のお姉さん(手練れ)に訓練させてもらったあと「これでやりかたはわかったね。さあ、行っておいで」と言われた気分だ。男は、女に、男にさせてもらうのだと思う。優しいだとか、楽しいだとか、嬉しいだとか、面白いだとか、いつまでも生ぬるいことを言ってるんじゃないよ。音楽は、かっこいいかどうかなんだよ。かっこよければ、全部いいんだよ。そう言われた(気がした)。私は、昨日、殺された。今度は、自分が、殺す番だ。

 

「聖夜」

 

清くもないこの夜も

星は光って

救いのない世界に突き刺さる

 

蜘蛛の糸はあっさり切れて

カンダタはまっさかさま

 

ねえ、知ってるかい?

ここは地獄の三丁目

 

そう、流刑地なんだよ左遷先

神や仏や存在意義や

 

生きる意味を教えて下さい?

俺達放り出されただけだからな

 

そろそろ気づけよいい加減

 

こんな世界で押し合いへし合い

愛されているとかいないとか

 

私の行く道教えて下さい?

好きにしろって言われてるんだよ

 

そろそろ気づけよいい加減

 

蜘蛛の糸、切れた理由も教えてやらない

蓮の花咲く池のほとり

高みの見物きめている

 

そう、見ているだけだよあいつらは

 

ゴルゴダの丘を思い出せ

殺されたのは誰の子か

 

そう、サンタ・マリア!

彼は一体誰の子なんだよ

 

サンタ・マリア!マグダラのマリア

愛に満ちた聖女様

そう、その夜だけは聖なる天国・極楽浄土・南無阿弥陀仏・ついでにハレルヤ!

 

人類みな兄弟!そうだよ、まとめてみんな放り出された

人類みな捨子!そうだよ、勝手にしろって放り出された

 

クリスマス?

知らない奴のお誕生会

灌仏会

なんて知らねーよ普通

誕生日?

その日痛い思いしたのは誰?

ママ~!

 

そろそろ気づけよいい加減

 

人の記念日祝ってないで

 

さっさと自分を産み出せよ

 

光の中へ産み出せよ

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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幸せを祈ると、幸せになる。

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横浜駅前のドトールにいる。ごちゃまぜの家の解散が決まった。M様は「めっちゃいいことは、めっちゃ怖いことなんだね」と、解散を快諾した。めっちゃいいことは、めっちゃ怖いことなんだね。12月1日(日)15時、ごちゃまぜの家で弾き語りLIVEを開催します。大事なものが、いつまでも側にあるとは限らない。だから、会いたい人には会った方がいい。行きたい場所には行った方がいい。好きだと思う気持ちがあるならば、それを伝えた方がいい。是非、遊びにいらしてください。

 

 

おおまかなスケジュール

12月1日(日)Agape 坂爪圭吾 弾き語り演奏会@ごちゃまぜの家
12月3日(火)19時00分~19時40分 弾き語りLIVE@吉祥寺『曼荼羅』
12月4日(水)以降、
FREE!

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu 

 

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可愛い俺には、旅をさせよ。

解散と言っても、家は残る。来年以降、どう動くかは謎だ。ちょどよいタイミングで「新しい家を探していた」とか「新しい生き方を探していた」という人がいれば、ご連絡ください。来年以降の動き方を、一緒に決めましょう。2020年2月14日までに今後の方針が固まらなければ、家そのものを手放す。何かをはじめることよりも、何かを手放すことのほうが、ずっと恐ろしいことだ。だからこそ、自由になるのだと思う。人工呼吸器を、思い切って取っ払ったら「おお、自発呼吸ができるじゃないか!」と、自分が自分に驚くように。自分が自分に感動をするように。

 

人工呼吸器を取り外し、自発呼吸に変えることを「Weaning(乳離れ)」と言う。私は、ごちゃまぜの家に依存をしていたのだと思う。これがあれば生きていけると思うことは、同時に「これがなければ生きていけない」という怖れを育む。それが仕事の人もいれば、友達の存在、両親の存在を、頼りにする人もいるだろう。乳離れの時期だ。もしも乳離れを考えている人がいたら、一緒に、乳離れよう。乳離れても残る命に、賭けようではないか。絶対大丈夫とは、俺は、言えない。ダメなこともある。最悪、死ぬこともあるだろう。しかし「死ぬことも含めて大丈夫だ」とは、言える。死ぬことは、不自然なことではない。遅かれ、早かれ、我々は死ぬ。

 

極論、恐怖の根源は『死』にある。死んでしまうかもしれないことを、怖れているのだ。だから「死んでもいい」と思えたら、勝ちだ。何が勝ちなのかは不明だが、勝ちだ。だが、私は、死ぬことよりも怖いことがあると思う。それは、許せなくなることだ。傷つくことよりも、嫌われることよりも、他人から馬鹿にされることよりも、私たちは、そのことによって『許せなくなること』を、怖れているのだと思う。何が起こっても、自分だけは「俺は、許す」と念じること。俺は、俺を許す。傷つくことも、傷つけることも。嫌うことも、嫌われることも。馬鹿にすることも、馬鹿にされることも。一緒に生きるということは、一緒に死ぬということだ。

 

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「evermore」 作詞 Keigo Sakatsume 作曲 Yasuko Kosuge

まぶたに絡まる哀しみも
夜明けに 薄れ

凍てつくほほにも喜びの
あかりが 揺れる

およぐ風 うかぶ雲
すべてが 許されてる日々を

おどる花 そよぐ夢
すべてを 許す日々のなかを

彼方に途切れた後悔の
軌跡を 抱き

通り過ぎて行く不可思議は
常しえに いまでも

およぐ風 うかぶ雲
すべてが 許されてる日々を

おどる花 そよぐ夢
すべてを 許す日々のなかを

 

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幸せを祈ると、幸せになる。

俺には見える。すべての人間には、聖母と鬼が同居している。聖母だけでも足りない。鬼だけでも足りない。これらが両輪となったとき、人間街道を爆走する。聖母を肯定することは簡単で、鬼を肯定することは難しい。どうしても、自分の中にある『鬼』を、否定したり、覆い隠したり、打ち消そうとする力が働く。溜め込まれた鬼は、時に、最悪な形で発露をする。それは、無差別殺人であったり、鬱病であったり、原因不明の病気であったり、する。人間の精神は、聖母の神殿であると同時に、鬼の棲家でもある。鬼に食い殺される前に、鬼を飼い慣らす必要を感じる。

 

 

みっつとはじめて出会った時、ああ、不良だなと思った。礼儀正しい不良。そんな言葉が成立するのかは謎だが、そう思った。不良とは、組織に馴染めなかった人間だ。巷では「学校はこうあるべき」とか「社会はこうあるべき」など、理想論が語られる。だが、私は、組織とは反発する力を学ぶ場所だと思っている。だから、組織がダメならダメなほど、我々は「抵抗する力」を学ぶ。共生という言葉がある。多様性という言葉がある。おそらく、不良は、これらの言葉に嘘くささを感じている。騙されてたまるかと思っている。共生よりも、不良は『共死』を選ぶ。生き物は、ほかの生き物を殺すことで生きながらえている。他者を殺す覚悟と、自己が殺される覚悟。この覚悟が抜け落ちた議論に、不良は、一切の価値を見出さない。

 

 

太宰治は「不良とは、優しさの事ではないかしら」と書いた。安全な社会。安全な生活。安全な人生。そんなものは幻想だと思う。一寸先は闇。それが、真実だと思う。何が起こるかわらかないのは、全員、同じだ。闇があるということは、悪いことじゃない。闇の中に、とんでもない宝物が隠されていることだってある。これまでの人生、もうダメだと思ったことは何度かある。だが、その「もうダメだ」の先に、これまで以上の膨らみが展開した場面を、何度も見た。見守ることが愛情ならば、突き落とすことも愛情だ。可愛い俺には、旅をさせよ。私は、私を、突き落としたい。何が起きても、這い上がろうとする自分がいることを、信じたいと思う。

 

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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お前の生き方は美しいから、もっと生きろ。

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菊名駅前のコロラドにいる。内村鑑三は、人間が、後世に残せる遺物は三つあると言った。それは『金』と『事業』と『思想』の三つだ。だが、この三つを残せなかったとしても、誰にでも残せる最大遺物がある。それは『高尚なる、勇ましい生涯』である。内村鑑三は、そう言った。私は、この言葉に、これまで何度も助けられてきた。何もない自分にも、自分の生き様を贈り物として、後世に残すことができる。そう思うと「生きてやるぜ」という前向きな力を、胸に抱くことができる。

 

 

おおまかなスケジュール

12月1日(日)Agape 坂爪圭吾 弾き語り演奏会@ごちゃまぜの家
12月2日(月)以降、
FREE!

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu 

 

ibaya.hatenablog.com

 

傷。

みんなができないことができたのではなく、みんなができることができなかった。言葉を書き、言葉によって生きている。出会うひとに「昔から、言葉を使うのがうまかったのですか」と問われる。そんなことはない。逆だ。真逆だ。昔から、自分が本当に話したいことを話せたことは、ほとんどなかった。いまでも、ああ、また伝わらなかったと思うことばかりだ。また伝わらなかったという思いが、私に、言葉を綴らせる。日常会話で、自分の言いたいことを言えているならば、一々こうして言葉にしない(と思う)。慢性的な消化不良、慢性的な欲求不満、慢性的な「ああ、また伝わらなかった」という悔恨にも似た感情が、私に、言葉を綴らせる。

 

夢。希望。それらは、ポジティブなものとして語られる。だが、私にとっての夢や希望は、ネガティブから生まれた。誰と話してもうまく話せない。それでも尚「話したい」「伝えたい」「人と繋がりたい」という願いが、私に言葉を綴らせた。夢や希望とは「ずっとやりたいと願っていたけれど、できなかったこと」だと思う。それは、そのひとの『傷』と言うこともできる。ある人は言う。自分は、人見知りな人間だからなかなか器用に溶け込めないけど、そんなひとでもリラックスをできる空間を作りたい。と。この言葉を聞いたとき、私は、なぜだか泣きそうになった。それは、なにより、その人自身が「ずっと溶け込みたいと思っていたけれど、なかなか溶け込めなかった」記憶を背負っているからだと思った。そして、だからこそ、その夢は尊いのだと思った。その尊さに、泣きそうになったのだと思う。

 

私は、優しいものが好きだ。あたたかいものが好きだ。生きていてもなにも良いことはないと思っていた10代の頃、自分が好きな音楽を聞いている間だけは「生きててもいいよ」と言ってもらえているような、そんな気持ちになることができた。周りの多くは「お前は無力だ」「お前は無価値だ」「お前に生きている価値はない」と冷たい視線を向けているように感じた日々のなかで、音楽だけは優しかった。なにもなくてもいいよ。生きててもいいよ。そう言ってくれている気がした。これがあるから、自分は生きてこれた。それが漫画のひともいれば、それがゲームのひともいるだろう。なんだっていい。なんだって構わない。もし、自分が「これがあるから、自分は生きてこれた」と感じるものがあるならば、きっと、私たちの役割は「そこから受け取った感動を、自分を通じて継承すること」なのだと思う。

 

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「美しく」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

ひとりになる 深刻になる
あっという間 死んじまう

忘れた日が 本当のお別れ
忘れないし 忘れさせない

生きるぜ 生きるぜ 生きるぜ 今日も
シンプルに 力強く ロマンチックに 美しく

心のない 言葉を重ねて
あとに何が 残るだろう

生きることは 思い出作り
気持ちいいこと 続けよう

生きるぜ 生きるぜ 生きるぜ 今日も
シンプルに 力強く ロマンチックに 美しく

生きるぜ 生きるぜ 生きるぜ 今日も
シンプルに 力強く ロマンチックに 美しく

生きるぜ 生きるぜ 生きるぜ 今日も
シンプルに 力強く ロマンチックに 美しく

シンプルに 力強く ロマンチックに 美しく

 

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お前の生き方は美しいから、もっと生きろ

これを読んでくれているあなたに、是非、読んでほしい記事がある。何回読んでも、感動する自分がいる。勇気という言葉がある。勇気は『出す』ものだ。出すと言うことは、はじめから、自分の内側にあるということだ。大事なものは、全部、ある。勇気を『出す』ということ。それは、人間に残された最後の尊厳だと思う。勇気と似た言葉に、元気という言葉がある。元気とは「元(はじめ)からある気持ち」と書く。元気になるということは、ただ、本来の自分に還ることだ。元気があるということは、期待される役割を演じることではなく、自分を思い出すことだ。

 

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心もとない夜がある。弱気になる夜がある。自分に自信をなくし、周囲が輝いて見え、自分だけが「いてもいなくても同じなんじゃないか」と思える夜がある。何かを好きになることは、楽しさ、嬉しさに溢れた日々を過ごすことだと思っていた。だが、違った。何かを好きになるほど、浮き彫りになるのは自分自身だった。感情の波に翻弄され、周囲と比較をするちっぽけな自分が現れて、嫌気が刺す。だが、昨日、思った。私が生き方を悩むとき、それは「音楽をやっていない時」だ。ギターを触っていないとき、歌を歌っていないとき、やりたいことをやっていないとき、お留守になっている頭が、余計なことをぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ、考える。音楽をしているときに、迷いはない。迷うのは、いつも音楽をしていないときだ。

 

言葉の中に世界があって、そこには自分の居場所もありました。

 

みっつの言葉だ。油断をすると、自分は自分の力だけで生きているのだと過信をする。だが、私は、人々から譲り受けた言葉や、人々から貰った力で、ここまで生きてくることができたのだ。つい、肩肘を張って「どうすればいい」などと身構えてしまうが、実際は、どうにかしてきたのではなく「どうにかなってきた」のだ。自分の力だけで生きてきた訳では、ない。無限の網の目の中で、自分は生かされていただけに過ぎない。ただ、生かされるためには、自分が、自分の本当を生きていなくちゃいけないと思う。自分を生きるということは、自分の『勇気』を生きると言うことだ。弱気になる夜もあるが、自分を、世界を、信じ続けたい。自分はダメだと思うこと以上に「これまでも、たくさんの奇跡を起こしてきたじゃないか」と、明るい側面に目を向けられる人間でありたい。自分を、世界を、信じていたい。

 

 

圭吾さんへ
 
こんばんは。
いつも素敵で美しい力を世界に放って下さって、私の心に届けて下さって、有難うございます。
 
 

♪緊張と弛緩→最高でした。

最新ブログ→最強でした。
 
 
私は一ヶ月前の10/21から就業を始めました。
自分が引っ張った糸の先に、思いもかけなかった職場がくっついていたような感じで、今、有り難いことに、そこにいさせて頂いてます。
 
私は職場に早く行くことが好きで、始業の一時間前には着いているのですが、
 
一通り準備をした後に、
始業するまでの間(30分くらい)
 
圭吾さんに頂いた【モンテロッソのピンクの壁】を読んだり眺めたりしています。
 
絵も文も、
どこまでも深く、軽やかで。。
毎朝じんわりと味わっては、楽しんでいます。
その時間、私からは、かなりの幸福臭が漂っています。
そんな風に過ごした後、私は毎朝、ゆっくりと仕事を始めています。
 
個人的には、【私がホッとしてさえいれば、世界は幸せだ】て実感しています。
 
また、
緊張したまま行動すると何かとうまくいかないし傷つくこともあるけれど、
そのまま生き続けて、
嫌なものは嫌だと、全部受け止めて
心の中で駄々をこねて
叫んで
ついた傷は自分で癒やして
日々を生きていくと、
不思議と苦しかった経験のおかげで
より良い何かを築き、掴めることを経験しています。
 
 
Agapeについては、命をかけてらした曼荼羅でのライブに行きたかったのですが行けず、動画(最後の方はオンタイムで観られました!)で拝見しました。最高でしたよー。目尻の皺maxで画面を見詰めていましたー。
 
各バンドメンバー、最高です。
 
 
願わくば、圭吾さんがどこまでも、いつまでも、圭吾さんを深め、愛し、貫かれますよう。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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LINE ID ibaya

 

あらゆる解決策は、いい男(女)になること。

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愛媛県松山市のアマンダコーヒーにいる。幸せになりたいと言う人は多いが、幸せになろうとしている人は少ない。誤解を恐れずに言うと「お前は、言い訳ばっかりだな」と思うことは多い。スラムダンクやワンピース(別に、ラグビーのW杯とかでもいい)に感動を覚えるのは、自分もそうありたいと思うからではないのか。それとも、ただの消費なのか。消費して終わるなんて、傍観者も甚だしい。傍観者に、人間を、人生を愛することはできない。それじゃ、生きているとは言えない。

 

 

おおまかなスケジュール

12月1日(日)Agape 坂爪圭吾 弾き語り演奏会@ごちゃまぜの家

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu 

 

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なんて気持ちのいい連中なんだ。

言ってるだけの人と、実際にやっている人の間には、残酷な差がある。命の輝きがまったく違う。口先だけの人間は、すぐにバレる。この世で最もダサいことは『言い訳』だと思う。自分の不遇を、誰かの責任にすることだ。言い訳を重ねる男は、端的に、モテない。負のスパイラルに突入し、それを環境や社会の責任にする男は、救いようがない。逆に言えば、言っていることとやっていることが一致している人間は、格好いい。私は、掃除のおばちゃんが一番かっこいいと思う。彼女たちの一致感は、見事だ。能書きを垂れているヒマがあったら、掃除のひとつでもしてみやがれ。そう言われているような気持ちになり「ははー!(最敬礼)」となる。

 

小さいことにうじうじ悩むこともあるが、問題の9割は「自分が、いい男(女)になる」ことで解決する。誰にも認められないとか、誰にも振り向いてもらえないとか、そんなことを考えても無駄だ。それは他人の領域だ。逆に言えば、毎日を楽しむことができていれば、金がないとか、彼女がいないとか、肩書きが、家族が、友達が、など、問題は吹き飛ぶ。自分を楽しませることができていないとき、周囲と比較し、深刻になり、湿度を帯び、死ぬ。魅力とは「自然体で、心から楽しんでいる姿」から、醸し出されるものだと思う。それは、時に自己中心的にさえ見えるものだ。それは、時に我儘で自分勝手に見えるものだ。だが、確実なことがひとつある。それは、退屈な正論をふりかざす人間より、よっぽど魅力的だということだ。

 

いい男のイメージに、ルパン三世がある。カリオストロの城のなかで、庭師のおじいさんが、去りゆくルパンたちを見て「なんて気持ちのいい連中だろう」と言う場面がある。この言葉に、いい男の本質がある。要するに『粋』であるということだ。いい男がルパンならば、いい女は峰不二子だと思う。彼女は言う。「言葉が強い女が、強い女じゃないの。言葉が強いのは、ただのキツイ女。強い女っていうのは、挫けない女の事を言うの」と。そして、また、別の場面ではこう言った。「いい女っていうのはね、自分で自分を守れる女よ」と。漫画の中に、映画の中に、現実の中に、いい男(女)は無数に登場する。お手本は、無数に転がっている。いい男になろう。いい女になろう。そうすれば、問題の9割は勝手に解決をしている。

 

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「緊張と弛緩」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

リラックス リラックス リラックス
リラックス リラックス できねえよ

リラックス リラックス できねえよ
頭も 心も さわがしい

あの子も この子も まっている
おむすび おむすび 投げつけろ

すっげえ楽しそうに生きていることが一番
ああ この世でかっこういいことだろう?

ねばならねえは つまらねえ 緊張と弛緩

みんなの三倍苦しんで みんなの三倍輝いた

すっげえ悲しそうに生きていることが一番
ああ この世でかっこわるいことだろう?

ねばならねえは くだらねえ 緊張と弛緩

リラックス リラックス リラックス
リラックス リラックス リラックス

 

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あらゆる解決策は、いい男(女)になること。

大阪でお会いした女性から、一通の連絡が届いた。そこには「いい女って何やろ…と考えてみて、圭吾さんに会ってから、いいわけしないで楽しんでる人かな、と思いました。」と、書かれていた。素晴らしい言葉だ。いいわけしないで楽しんでいる人。自分にとって、その女性はとても素晴らしい存在に思えた。だから、自分がどれだけ素晴らしいと思っているのかを、懸命に伝えた。決して、褒めている訳じゃなかった。ただ、事実として「あなたは綺麗だ」ということを伝えたかった。それは、野に咲く花を見て「綺麗だ」と言うことと、似ている。綺麗なものを、綺麗だと言う。そのとき、言っている本人も、満ち足りた気持ちになることができる。

 

綺麗事じゃない。お世辞じゃない。褒めているわけでもない。ただの事実として「あなたは素晴らしい存在だ」ということを、どれだけ伝えることができるだろう。人を愛するということは、人生を賭けることと似ている。自分なんてどうなってもいいから、このひとだけは。そう思えたとき、逆説的だけれど、自分の命が最もふさわしい形で使われているような、そういう感覚を覚える。自分の命は、自分が愛するもののために使ってこそ、真価を発揮するのかもしれない。それは、ルパン三世の言葉であったり、ひとりの女性の存在であったり、音楽などの芸術であったりする。私は、私の命を注ぎ込める『何か』を、ずっと探していたのだと思う。

 

生き方に迷う時は、自分の心が「美しい」と感じる道を選びたい。その過程は、どれだけ醜いものであったとしても、自分の心が感じる「美しさ」があるならば、耐え抜ける気がする。逆に言えば、どれだけ自分にとって有利な道でも、心が感じる「美しさ」がなければ、自分は、耐えられないような気がする。誰かを好きだと思う気持ち。何かを愛する気持ち。それ以上に、尊いものはこの世の中にないように思う。だからこそ、自分の心が「これをやりたい」と思ったことには、素直に、やらせてやりたいと思う。たとえ、そのことで死んでしまうことになったとしても、それは素晴らしい人生だったのだと、自分に言ってやれる生涯を送りたいと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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本気で生きないと、怒るよ。

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なんばのドトールにいる。昨夜、大阪ライブを終えた。驚いたことが三つ。満員御礼になったこと。家を買いたいと言うひとが登場したこと。終了後、リーダーが脱退したいと言ったこと。どれも非常に驚きで、消化不良のままだ。私は、リーダーに「それは、逃げているだけだと思う」と言った。その言葉に、リーダーは怒りを顕にした。バチバチの精神的論争が繰り広げられ、深夜2時まで、全員で話した。

 

 

おおまかなスケジュール

11月23日(土)以降、人生的にFREE!

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu 

 

ibaya.hatenablog.com

 

生き様。

愛する夫婦が、ライブに来てくれた。男性は「俺も、もっと本気で野球をやりたくなったよ」と、女性は「スタンディングオベーションをしたかったのに、それを引っ込めた自分が悔しい」と言った。こんな風に言ってもらえることは嬉しい。自分は、本気で生きているつもりだった。だが、実際に本気を出せば出すほどに、自分の弱さが露呈をする。自分が、これまで、いかに本気で生きていなかったのかが顕になる。自己反省は、変化を促す。痛みを経る。経た後に「次こそは」と思えば、飛躍の契機になる。しかし、敗北に屈してしまえば、自分は自分のままで終わる。 

 

挑戦したうえでの不成功者と、挑戦を避けたままの不成功者とではまったく天地の隔たりがある。挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままで降りてしまった奴には新しい人生などはない。ただただ成り行きに任せて虚しい生涯を送るに違いないだろう。

 

一悶着を経た今、強く思うことは「俺は、このメンバーでバンドをやりたいのだ」という思いだ。だから、もし、誰かがやめたいと言っても「信じ続ければ、自分がしつこくまとわり続ければ、関係性は続くはずだ」と思う。だからと言って、ひとが離れていかないために、自分が思っていることを引っ込めることも、違う。言いたいことは言う。やりたいことはやる。それでもなお、一緒にいられる関係性を仲間と呼びたい。別に、音楽を本気でやってほしいとか、そういうことではない。ただ、自分の人生を本気で生きてほしいと、勝手に願うだけだ。自分に嘘をつかないでほしい。自分をごまかさないでほしい。自分の人生から、逃げないでほしい。なあなあにしてきたことの全部を、バシッ!と決める瞬間を、諦めないでほしい。

 

信念のためには
たとえ敗れるとわかっていても
おのれを貫く。

そういう精神の高貴さがなくて
何が人間ぞと
ぼくはいいたいんだ。 

 

引用した言葉は、岡本太郎の言葉だ。私は、岡本太郎が好きだ。恥ずかしくない生き方をしたい。恥をかくことは厭わない。ただ、自分が自分を許せなくなることには、耐えられない。恥をかくほど、軽くなる。自分に恥ずかしくない生き方をすることは、恥の多い生き方をすることだ。昨夜のライブを終え、自分は、Agape以外に音楽をやる必要を感じた。最大の収穫は、多分、これだ。Agapeのメンバーひとりひとりが、Agape以外の『何か』をやる。その『何か』が、音楽であるひともいれば、学問であったり、商売であったりするひともいるだろう。大事なことは、自分の思い、自分の夢から目を逸らさないことだ。Agapeと『何か』。きっと、それが両輪になる。補完し合う。バンド活動とは別に、ソロ活動をはじめたいと思う。

 

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「snows」

もしも太陽が昇るなら もう一度だけ奥歯を噛んで
明日世界が終わろうとも 君のもとへスピードをあげて

今日の君はもう 明日には取り戻せない
そんなことは もう わかってるさ そんなことわかってる

雪の数 雪の数
あの日泣きながら 交わした 交わした
雪の数 雪の数
君の祈りは 儚くて 綺麗だった

天から幼い水晶が 黒く汚れた僕の体を
白い天使はガーゼのように 優しく温かく僕を包んだ

この瞬間はいつも 最初で最後だよ
今だけさ よく見ていろよ 今だけさ 見ていろよ

雪の数 雪の数
あの日泣きながら 交わした 交わした
雪の数 雪の数
君の祈りは 儚くて 綺麗だった

骨身も削った 血も噴き出した
悲しい嘘も 叶わなかった夢も
掻き集めて 燃やし尽くしたよ
君に 続く 道を 照らせ

雪の数 雪の数
あの日泣きながら 交わした 交わした
雪の数 雪の数
君の祈りは 儚くて 綺麗だった

雪の数 雪の数
星の数 夢の数
君の数 僕の数
雪の数 雪の数

二人の 祈りが 大地を 包んだ

君の数 僕の数
雪の数 雪の数

 

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わたり文庫『星の王子さま

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、サン・テグジュペリ著作『星の王子さま』です。大好きな一冊です。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、長野県にわたりました ※※※

 

「なつかせたもの、絆を結んだものしか、ほんとうに知ることはできないよ」キツネが言った。「人間たちはもう時間がなくなりすぎて、ほんとうには、なにも知ることができないでいる。なにもかもできあがった品を、店で買う。でも友だちを売ってる店なんてないから、人間たちにはもう友だちがいない。きみも友だちがほしいなら、ぼくをなつかせて!」

「どうすればいいの?」王子さまは聞いた。

「がまん強くなることだ」キツネが答えた。「はじめは、ぼくからちょっとだけ離れて、こんなふうに、草のなかにすわるんだ。ぼくは横目でちらっときみを見るだけだし、きみもなにも言わない。ことばは誤解のもとだから。でも、日ごとにきっみは、少しずつ近くにすわるようにして・・・」

サン=テグジュペリ星の王子さま』【新潮文庫

 

本気で生きないと、怒るよ。

開演前に屋外に出た。空。曇り。星は見えない。意識を遠くまで飛ばす。雲の上。星の上。はるかかなたの宇宙まで意識を飛ばす。そして、そこから自分を眺めた。宇宙規模で見れば、自分は、なんてちっぽけな存在なのだろう。呼吸。遠い星のかなたから、自分に降り注ぐ光のイメージを描いた。日常生活の中で忘れてしまうことは多いが、いま、この瞬間も私達は地球という得体の知れない惑星の上で、転がり続けている。どれだけ曇り空に覆われていたとしても、雲の上は、いつだって晴れている。おおいなる源。そんな言葉は大袈裟だが、それと繋がることができる限り、私達はなにが起きても大丈夫だ。そう思えたことが、精神統一に役立った。宇宙規模で見れば、俺たちは余裕だ。宇宙規模で見れば、俺たちは永遠に大丈夫だ。

 

いつの間にか、音楽のない場所で、生きることができない体になってしまった。酸素を求めるように、音楽を求めている。誰もが、個別のリズムを生きている。会話も、体を重ねることも、リズムだ。個体が発しているリズムと、自分が発しているリズムが、一致した瞬間に官能的なハーモニーが生まれる。逆に言えば、不協和音の中を生きる日々は、つらい。自分の心を歪めてしまう。嘘をつきたくない。その思いが、誤解を与えたり、軋轢を生んだり、嘲笑されたり、孤独をもたらすことは多い。それでもなお、自分の本音を生きるからこそ、出会えた存在を喜べる。自分を知るために、ひとりになる。それは、孤立することとは違う。ひとと繋がるために、ひとりになる。自分のリズムを知るために、ひとりになる。自分が、自分という楽器を完成させるからこそ、他人の楽器と一緒に、音楽を奏でることができる。

 

失恋の歌が好んで聞かれるのは、きっと、失うということが私達の常態だからだ。いま、この瞬間も若さを失い、いまこの瞬間も「いま」を失っている。流れ続ける時の中で、これだけはと思った瞬間を、永遠に刻み込もうとする行為。それが表現であり、それが生きるということだ。表現をするということは、常に切実なものであり、生きているということは、常に切実なものだ。その『切実さ』を、いましかないのだという哀れみを、時に対して抱く行為、命に対して抱く行為を『慈しみ』と、呼ぶのだろう。夕日を眺めるときの切なさは、終わっちまうことの切なさだ。なにもかも、終わっちまう前に。胸が苦しくなるほど生きている。まぶしいくらいに、生きたいと思う。この星に生きた思い出を、言葉に、歌に残したいと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

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LINE ID ibaya

大丈夫だ。お前は護られている。

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心斎橋のドトールにいる。明日11月22日(金・いい夫婦の日)19時から、心斎橋でライブがある。事前予約などは不要なので、是非、誰でも遊びに来てください。この日は、Agape初の物販もある。普通の物販じゃつまらないから、メンバー各自が「独自の商品を開発して、当日、陳列する」ということになった。私は、結局、家を売ることにした。熱海の家だ。今、家の権利書を取り寄せている。これまで、ライブの物販で家を売ったバンドはあるのだろうか。最近の合言葉は「捨て身」だ。

 

 

おおまかなスケジュール

11月21日(木)FREE!(呼ばれた場所に行きます!)
11月22日(金)19時 Agape 単独ライブ@大阪市心斎橋「
5th-Street
11月23日(土)以降、人生的にFREE!(愛媛に行きたい!)

連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com

 

ibaya.hatenablog.com

 

絶滅しよう! 〜Less is More〜

こんなことをしちゃったら、破滅しちゃうかな。そんな風に思うことがある。自分にも。他人にも。だから、普段は「破滅しないように」言動を選ぶが、昨日、別に破滅しちゃってもいいんじゃないのかなと思った。破滅しちゃえばいいじゃない。破滅しないように、破滅しないように生きるより、破滅をしても構わない。そこに「お前は、破滅をしても必ず立ち直ってくる」という信頼があるのならば、大丈夫だ。そういうことを、昨日、思った。具体的には、家がなくなっても案外いけるんじゃないのかと思った。恋人と別れたり、学校をやめたこと、離婚、離職、脱国、災害、倒産、自己破産、なにかをロスする体験が、人生の転機になることは多い。

 

私は自然を愛している。海も山も好きだ。猫派か犬派かと問われても「命派です」と答える。生命全体(動物全般)が好きだ。なう、自然破壊と同じくらい深刻な問題がある。それは『人間破壊』だと思う。森林が伐採され続けるように、心の森林も伐採されている。都会ほど人間はイライラし、人間関係はギスギスしている。自信のない人が多い。自分を賞賛すること以上に、自分を責めることの方が日常になっている。生きることより「生き延びること」ばかりに、フォーカスされ過ぎていると思う。なぜだ。こどもの頃は、もっと元気だったはずだ。一体、なにが人間の自信を奪うのか。なにが人間の勇気を挫くのか。愛が足りない。自由が足りない。

 

近代科学は、直感や偶然の一致を嫌う。だからこそ、私は、一種の反骨精神としてこれらを護り抜きたい。自分の心が「なんか嫌だ」と思ったら、短期的には得できそうなことも、やらない。逆に、いつもならスルーしてしまうような出来事でも「これはなにかあるかもしれない」と感じたら、立ち止まる自分でいたい。頭をよぎった考えが、どれだけ非現実的なものだとしても、熱くなれるものがあるならば、それを採用したい。家を売ってみたいと思ったら、売る。それがどうなるかは、わからない。ただ、それをやろうとしたことによって、展開する人生がある。直感こそ、人間の自然だ。直感を打ち消すことは、自分の自然を破壊することだ。

 

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「ジュピター」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

強くもないし 優しくもない
ただ命の限り 踊っていたい
清くもないし 正しくもない
でもいのちの 限り生きたい

本気じゃないなら もう いらないし
たのしくないなら もう やらないし

君にないものが僕にあって
僕にないものが君にもあって
必要とすることならできる
確かめ合うおなじ命がある

本気じゃないなら もう いかないし
うれしくないなら もう やらないし

死なないように 死なないように
死なないように 生きても 死ぬんだよなあ

誰のものでもない君がいて
誰のものでもない僕らがいて
誰のものでもないこの星で
ふたりだけの時間を刻もう

本気じゃないなら もう いわないし
さみしくないなら もう やらないし

死なないように 死なないように
死なないように 生きても 死ぬんだよなあ

本気じゃないなら もう いらないし
だれともなにとも もう くらべない

死なないように 死なないように
死なないように 生きても 死ぬんだよなあ

死なないように 死なないように
死なないように 生きても 死ぬんだよなあ

  

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大丈夫だ。お前は護られている。

失う恐怖にとらわれるとき、人間は自在さを失う。これがなければ自分はダメになる。恐怖心に囲まれた自分は、大事な力を、他人に明け渡している。家がなければ。金がなければ。友達がいなければ。助けてくれる人がいなければ。など。だがしかし、違う。本当は、自分でなにかを成し遂げる力が、すでにある。この世界に、自分と同じ人間はひとりもいない。この時点で、誰もが稀有な存在であり、誰もが絶滅危惧種であり、誰もが天然記念物である。絶滅危惧種を乱暴に扱うと、怒られる。天然記念物を粗雑に扱うと、怒られる。誰に。俺に。坂爪圭吾に。坂爪圭吾は、命を無碍に扱う者を、怒る。言葉で怒る。音楽で怒る。存在感で、怒る。

 

私たちは、もっと自分を信じることができる。自分を責めること以上に、自分を賞賛することができる。檻の中に閉じ込めておくこと以上に、広い世界を見せてあげることができる。人生は、旅だ。自分という乗り物にのって、地球というテーマパークを遊び倒す。ディズニーランドとは少し違って、自分がアトラクションを作り出すことも、自分自身がアトラクションになることも、できる。私たちは、すでに、許されている。遊ぶことを許されているし、楽しむことを許されているし、自分を愛することも、誰かを愛することも、幸せになることも、許されている。特別なことをやろうとは思わなくても、自分の心が感じる「あ、いいな」を採用することができる。先のことはわからなくても、いま、この瞬間を生きることはできる。

 

大丈夫だ。お前は護られている。そのことを思い出せれば、自分をか弱くて不安で何かが欠けている存在だと思う必要もない。意固地に所有を続ける必要も、安全のために人を支配する必要もない。なにもない自分には価値がないと自分を責める必要もない。大丈夫だ。お前は護られている。きっと、私は、自分にも他人にも、この言葉を言い聞かせるために生きているのだと思う。くどいくらいに、何度でも。あなたが思う以上に、あなたは、素晴らしい存在だ。もし、そのことを忘れてしまいそうになったときは、私が怒る。だから、大丈夫だ。私たちは、護られている。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

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LINE ID ibaya

俺は、俺という作品を完成させるから。

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福島駅前のタリーズにいる。アウシュビッツに比べれば天国。なぜなのだろう、常に、脳裏にその言葉がある。ちょっと気分が沈んだ時など、今、自分は拷問を耐え抜き、外に出てきたばかりの囚人だと妄想する。歩ける。走れる。外の空気が吸える。軽口を叩ける。好きなものを食べられる。好きなひとに会いに行ける。誰にも殴られない。誰にも監視されない。花。虫。空。雲。道路。車。排気ガス。すべてが輝いて見える。一気に元気。一気に天国。憂鬱そうに歩いているおじさんを見ると、肩を叩いて「生きているって、素晴らしいことですね!」とか言いたくなる。

 

 

おおまかなスケジュール

11月18日(月)以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます!)
11月22日(金)19時 Agape 単独ライブ@大阪市心斎橋「
5th-Street
11月23日(土)以降、人生的にFREE!(愛媛に行きたい!)

連絡先・坂爪圭吾
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ibaya.hatenablog.com

 

愛は、ひとを自由にする。

聖なる予言という本に、興味深い記述があった。コントロールドラマ。誰もが、幼児期の経験をもとに性格を形成する。それは四種類。脅迫者。尋問者。傍観者。被害者。この、どれかになるらしい。脅迫者は、相手に『このひとの言うことを聞かなければ生きていけない』という恐怖心を植え付け、支配をする。尋問者は、相手に『自分は未熟な存在だ』と劣等感を抱かせ、支配をする。傍観者は、よそよそしく振る舞うことで自分を神秘的に演出し、相手を『その世界観に引きずり込む』ことで支配をする。被害者は、相手に『自分のせいで、このひとは不幸なのだ』と罪悪感を植え付けることによって、支配をする。乱暴にまとめると、こんな感じだ。

 

あなたは、どれに近さを感じるだろうか。そして、あなたの親は、どのタイプに近かっただろうか。家庭環境に限らず、恋愛でも、職場でも、コントロールドラマは継続される(らしい)。あなたのまわりに、こんなひとはいないだろうか。なぜだかわからないけど、このひとといると自分が萎縮をしてしまう。それは、相手が脅迫者である可能性が高い。なぜだかわからないけれど、このひとといると自分は未熟な存在だと感じることが多い。それは、相手が尋問者である可能性が高い。なぜだかわからないけど、このひとといると分離感、疎外感、孤立感を感じてしまう。それは、相手が傍観者である可能性が高い。なぜだかわからないけど、このひとといると罪悪感が堆積する感覚がある。それは、相手が被害者である可能性が高い。

 

幼少期、こどもは、相手の関心をひくために、あらゆる手段を駆使する。そして、一番効果的だったものが、その後の人格形成に強く影響する(らしい)。ありそうな話だ。この話を読んで、思った。誰かを支配しようとしている時点で、ダメだ。支配することも、支配されることも、自由から離れる。私は、愛と自由は同義だと思っている。愛は、ひとを自由にするものだ。それは「ひとりでも生きていけるようにすること」だと思う。支配は、する側も、される側も、愛を引き離す。では、ひとりで生きていけるようになるために、必要なことは何か。それが『自分を知ること』だと思う。自分のコントロールドラマを知り、相手のコントロールドラマを知り、それに巻き込まれるのではなく、それらを統合する。支配される道ではなく、自由になる道を、心が楽になる道を、愛を解放する道を、統合することだ。

 

note.mu

 

わたり文庫『聖なる予言』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、J・レッドフィールド著作『聖なる予言』です。こちらの本は、大阪在住の方から「わたり文庫にぜひ」と、寄贈していただいた一冊になります。スピリチュアル本に見えますが、それだけじゃない『地に足のついた知性』を感じる、素晴らしい一冊だと思います。素晴らしい作品に出会った人間には、責任が宿る。それは、また別の作品を探すことではなく「自分が見た感動を、自分の生き方に反映させる」ことだと思います。自分という作品を、完成させることだと思います。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、大阪府にわたりました ※※※

 

今、ふと心に浮かんだことを言っておきます。あとでもっとよく、わかると思います。あなたの美に対する感覚で、あなたの行くべき方向を決めなさい。あなたに答えをくれる場所や人は、他よりもずっと輝いて魅力的に見えます。

J・レッドフィールド『聖なる予言』【角川文庫】

 

俺は、俺という作品を完成させるから。

感謝という言葉がある。そして「感謝を強要されることで、奪われるエネルギー」がある。嫌な仕事をやっている人間が、仕事があるだけで感謝だと思い込もうとするほど、次の一歩を踏み出せなくなる。感謝をしている対象に、自分の人生が支配される。その感謝が、心を自由にするものならば、大歓迎だ。だが、無理やり「感謝しなくちゃ」という感じでされる感謝は、隷属と同義だ。親に学費を出してもらったから、無駄にしないために就職しなくちゃ。とか。これだけのことをやってもらっているのだから、感謝しなくちゃ。とか。誤解を恐れずに言えば、感謝をすることが、あなたの生きる力を奪っている。感謝するほど「それがなければ、自分は生きることができないのだ」という無力感を、自分の内側に築きあげてしまう。

 

私は、提案したい。否定的な考えに囚われているとき、それは「罠にはまっている」だけだ。自分が、命が、自分をダメだと思うはずがない。自分はダメだ。自分は無力だ。自分は無価値な人間だ。そういう言葉が出てきたとき、それを振り払うには「これは全部罠なのだ」と思うことだ。罠は、あまりにも日常に多く潜んでいるから、油断をしているとはまる。支配的な思考、支配的な慣習は、世の中に蔓延している。そんなときこそ、素敵なあの人を思い出そう。自分が、心の底から「大好きだ」と思える人を思い出そう。彼らは、絶対、あなたを不幸にさせるようなことを言わない。逆に、あなたの心が軽くなる道を、あなたの心を自由にする道を、あなたにもなにかをやれそうな気持ちにさせる道を、言葉だけではなく、態度で示していたはずだ。愛は、ひとを自由にする。信じるべきは、その光(真理)だ。

 

俺は俺という作品を完成させるから、お前はお前という作品を完成させてくれ。一番の応援は、頑張れと言われることよりも「共に生きる」ことだと思う。それは、併走する感覚と似ている。だから、私は、願う。俺は俺という作品を完成させるから、お前はお前という作品を完成させてくれ。他の誰かじゃない、あなたがあなたであるほどに素晴らしいのだ。自分が自分であるほどに素晴らしいのだ。だから、負けないでくれ。周囲の支配に。そして、なによりも「自分が、自分を支配する」思考に、慣習に、負けないでくれ。自分を信じることは、自分の『好き』を信じることだ。だから、私は、あなたのいちばん星になりたい。そんな名刺を作ろうかなと思っちゃうくらい、なりたい。この言葉のダサさが気に入っている。あなたのいちばん星になりたい。自分にとってのいちばん星は、もちろん『あなた』である。

 

 

https://www.instagram.com/p/B43JEWsgl-h/

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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幸せとは、手をつなぐこと。

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尼崎のカフェドクリエにいる。昨日、間違えて(?)徹夜をしてしまった。幸せにあふれすぎて、眠れなかった。人間は、幸せなとき、幸せオーラを出していると思う。このオーラは、それに触れた人間も「なんだかいい感じ」にしちゃう力がある。自分が幸せでいることが、一番の、社会貢献だと思う。自分が大事だと思うひとには、完璧を望まない。不完全でいいから、楽しそうに生きていて欲しいと思う。そのひとが生きていてくれる、そのことが、とんでもなく嬉しいことなのだ。

 

 

おおまかなスケジュール

11月16日(土)以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます!)
11月22日(金)19時 Agape 単独ライブ@大阪市心斎橋「
5th-Street
11月23日(土)以降、人生的にFREE!(愛媛に行きたい!)

連絡先・坂爪圭吾
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嫌いだったものを、好きになるとき。

私は、ずっとギターが嫌いだった。理由は「他人の曲を、上手に弾けなかったから」だ。うまいひとを見ると、ああ、彼のようにギターは弾けないだろうなと思った。その負い目が、形を変えて「自分はダメな人間だ」と、自分に突き刺さった。ギターを弾くほど、自分のダメさが露呈をして、音楽を、自分を嫌いになった。しかし、不思議なことに、ギターは常にそばにあった。自分より才能ある人々が次々と楽器をやめるなか、なぜか、自分の側にはギターがあった。そして、いま、自分は音楽をやっている。33歳という、世間的には遅すぎる感じのスタートだった。

 

自分で曲を作るようになって、はじめて、ギターを好きになった。これまで他人との比較でしかなかった音楽が、はじめて、絶対的な自分のものになった。他人の曲をやる限り、優劣が生まれる。永遠に負け続ける。だが、自分の曲を作れば、自分が正解になる。うまいも、へたも、関係ない。これが自分の歌なのだから、自分が、そのまま正解になる。それ以来、ギターは「自分を表現するための相棒」になった。音楽を好きになれたことは、とても、とてもうれしかった。曲を作れば作るほど、ああ、これが自分なのかと合点がいった。いい曲もあれば、駄作もある。駄作がほとんどと言ってもいい。だが、時折、キラリと光る曲が生まれる。その瞬間「ああ、自分にもこんな部分があったのか」と、音楽によって引き出される自分に、出会うことができる。自分との邂逅。それは、過去が肯定された瞬間だった。

 

きっと、音楽だけじゃない。人生も同じだ。誰かの人生を生きる限り、ぎこちなさ、違和感、敗北感や劣等感は、つきまとう。誰かのようになんて、生きなくていい。器用になんて、生きなくていい。自分は、ただ、自分の歌を歌えばいいのだ。誰かの歌を歌う必要は、ない。だって、その歌は、本人が一番上手に歌うのだから。幸せの模倣をするよりも、自分は、自分が思う幸せを生きればいいのだ。周囲が見たら「へたくそな歌」と言われる歌でも、自分が、その歌を歌っている間だけは幸せでいられる(自分でいられる)歌を、歌うべきだ。自分以外の何者かになろうとすることは、自殺と同じだ。俺が聞きたいのは、誰かの歌ではない。自分の歌だ。あなたの歌だ。それが聞きたいのだ。自分にも、他人にも「自分を殺さないでくれ」と、勝手に思う。自分が、自分であることに価値があるのだ。自分が自分の歌を歌うとき、はじめて、自分を、自分の人生を愛することができるのだと思う。

 

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「snows」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

もしも太陽が昇るなら もう一度だけ奥歯を噛んで
明日世界が終わろうとも 君のもとへスピードをあげて

今日の君はもう 明日には取り戻せない
そんなことは もう わかってるさ そんなことわかってる

雪の数 雪の数
あの日泣きながら 交わした 交わした
雪の数 雪の数
君の祈りは 儚くて 綺麗だった

天から幼い水晶が 黒く汚れた僕の体を
白い天使はガーゼのように 優しく温かく僕を包んだ

この瞬間はいつも 最初で最後だよ
今だけさ よく見ていろよ 今だけさ 見ていろよ

雪の数 雪の数
あの日泣きながら 交わした 交わした
雪の数 雪の数
君の祈りは 儚くて 綺麗だった

骨身も削った 血も噴き出した
悲しい嘘も 叶わなかった夢も
掻き集めて 燃やし尽くしたよ


君に続く道を 照らせ

雪の数 雪の数
あの日泣きながら 交わした 交わした
雪の数 雪の数
君の祈りは 儚くて 綺麗だった

雪の数 雪の数
星の数 夢の数
君の数 僕の数
雪の数 雪の数

二人の 祈りが 大地を 包んだ

君の数 僕の数
雪の数 雪の数

 

note.mu

 

幸せとは、手をつなぐこと。

引き続き、関西でチケットの手売り活動をしています。なにかあればお気軽にご連絡ください。宿も予定も安定の未定です。前回の記事で「引き寄せの法則より、押し寄せの法則!」と書きました。結局、同じことだとは思うのですが、押し寄せてよかったなあと初日から思えた自分は幸せです。2日目。尼崎は快晴。必要とあらばなんでもやりますので、是非、関西の方はご連絡ください。なにもなければ、さすがにちょっと眠いので、適当な公園で寝ます。ギターを抱き枕にして、寝ます。

 

生きていると「自分でもびっくり!」みたいなことが、稀に起きます。しかし、冷静に考えると、自分でもびっくりじゃなくて「自分こそびっくり!」を狙うべきではないのか。周囲はびっくりしているけれど、自分は冷静。これは、実際、退屈だ。手癖で生きるのではなく、自分が自分を面白がらせること、自分が自分を驚かせることを、日々に取り入れることが充足の秘訣なんじゃないか、などと思いました。お客様満足なんて言葉もありますが、一番のお客様は自分である。これだけは、絶対に、譲れない。逆に言えば、自分が自分を100楽しませることができているとき、周囲にも「80くらいは、楽しさは伝染しているもの」だと信じたい。

 

snowsという曲に「今日の君はもう、明日には取り戻せない」という歌詞があります。似たような毎日が続いたとしても、それは絶対に同じではなく、今日という日は、今日で最後。明日には、二度と取り戻せない時間を生きている。そのことを強く思えば思うほど、大事にしよう、過ぎ去る前に、命を燃やしていこう。そういう気持ちになります。過ぎたことを悔やまないために、人間にできることなんて、いまを精一杯に生きることしかないのではないか。逆に言えば、いまを精一杯に生きた記憶は、未来永劫、残り続けるのではないか。すべては流れていく。いまはあたたかな掌も、やがて、熱を失い冷たくなる。すべてに終わりの瞬間がある。だからこそ、言いたいことは言おう。やりたいことはやろう。心を込めて踏み出したすべてに、愛がないとは言わせない。それはもう、愛でしかないのだと思います。いまを精一杯に生きることが、人類に最後まで残された、愛の表現なのだと思います。

 

 

https://www.instagram.com/p/B44QZabgVOm/

自由とは、恐れがないこと。愛も、同じことだろう。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

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LINE ID ibaya

すべては許されている。

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11月22日(金・いい夫婦の日)に、大阪の心斎橋でAgape単独ライブがあります。明日15日(金)の夜には関西に入るのですが、宿がありません。もしも、坂爪圭吾を泊めてくださる方がいらっしゃいましたら、ご連絡をいただけたら幸いです。さすがに連泊は申し訳ないな、と思うので、一晩だけで本当にありがたいです。22日だけ宿泊先が決まっています。「この日なら大丈夫だよ」などありましたら、よろしくお願いいたします。ライブ参戦者も、絶賛募集中です。手売りもしているので、チケットが欲しい方には、直接お渡しに伺うことも可能です(残り7枚!)。

 

※※※ 11月15日(金)のみ、宿泊先が決まりました!万歳! ※※※

 

 

おおまかなスケジュール

11月15日(金)18時頃 新大阪駅到着以降、FREE!
11月22日(金)19時 Agape 単独ライブ@大阪市心斎橋「
5th-Street
11月23日(土)以降、人生的にFREE!(愛媛に行きたい!)

連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com

 

ibaya.hatenablog.com

 

泣く道を選ぶか、笑う道を選ぶか。 

宿もないくせに関西に行く、その、最大の理由は「なんでもやるからチケットを買ってください」と、みなさまにお願いにあがるためです。だがしかし、現状、何一つ予定がございません。1時間前行動前ならぬ1週間前行動になりますので、時間だけならたらふくあります。是非、この機会に「それならこれをお願いしちゃおっかな♬」などあれば、お気軽にご用命ください。スピリチュアル業界では引き寄せの法則なんて言葉もありますが、引き寄せの法則に対抗しない形で『押し寄せの法則』を採用したい、坂爪圭吾。押し寄せの法則とは、呼ばれてもいない癖に一方的に押し寄せることで「なにか起これ」と願う、場当たり的な在り方を意味します。

 

泣く道を選ぶか、笑う道を選ぶか。置かれた状態を変えることはできないけれど、置かれた状態の意味(解釈)だったら、変えることができる。それならば、喰えないバンド稼業をやっている自分に同情するより、置かれた状態を楽しみ、笑いに昇華し、なんなら「売れない時期を過ごせるのも、いまだけ(来年の今頃には売れっ子になってやるぜ、ヘッヘッヘ)」くらいのふてぶてしさと共に、邁進したいものです。とは言いましても、金がない現実は変わりませんので、最近は卵三つに大量の玄米(+醤油)を乗せたTKGを連日貪っています。売れっ子になるのが先か、栄養失調が先か。人生を賭した戦いは、まさに、この瞬間も続行中なのであります。

 

あるのに元気は、当たり前。ないのに元気が、新しい。そんなことを思って、家も金も仕事もなくても人間は生きられるのか的な日々を数年間過ごしました。時は流れ2019年、秋。音楽をはじめた私は「うまいから元気は当たり前。へたくそなのに元気が新しい」と、まったく成長をしていない形で、初の関西単独ライブを迎えることとなりました。技術だけではない何か。合言葉は、技術だけではない何かでございます。とてもじゃないけれど、人様に誇れるような生き方をすることはできませんでした。ただ、同じ時代の別の場所で「あんな生き方をしている人間もいるんだよな」と思いを馳せることで、ふわっと心が軽くなるような、なんだかちょっと許されちゃった気分になる、そんな存在であれたらななどと思うものであります。

 

note.mu

 

わたり文庫『イリュージョン』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、リチャード・バック著作『イリュージョン』です。ドナルド・シモダという名前の、元救世主は言いました。どうか言わせてもらいたい。どうしても自由と喜びを手に入れたければ、それは自分以外のどこにもありはしないよ。そうじゃないかい?自分には自由も喜びもある、そう思えば、あるんだ!そう振舞えば、自分のものになる!リチャード、いったいなにがそんなに難しいんだろう?だけど、人々は耳を貸そうともしなかった、ほとんどの人がね。奇跡なんだよ ー 。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、沖縄県にわたりました ※※※

 

「たぶん、あなたにはおわかりなんでしょう」と、彼は言った。

「わたしたちは同胞のために生きなければならない、とキリストは言っておられる。だが、キリストの敵はこう言うのだ、利己的であれ、自分のために生きよ、ほかの人間たちを地獄に落とせとね」


「地獄とはかぎりません。天国もあるし、ほかのどこへでも、好きなところへ行っていいのです」

「あんたは危険人物だ、わかっているかい、ミスター?皆があんたの話を聞いて、やりたいことをやりだしたら、どういうことになるのか?いったいどうなると思う?」

「ここらあたりの銀河系のなかでは、いちばん幸せな惑星になるでしょう」と、彼は言った。

リチャード・バック『イリュージョン』【集英社文庫

 

すべては許されている。

私には、人生の羅針盤にしているものがあります。それは『嬉しさ』という感情です。昔から、お金を稼ぐことが苦手でした。売る・買うという関係性より「あげる・もらう」という関係性に、自然を感じました。高校時代、生まれて初めてやったバイトはコンビニの店員でした。時給は、新潟だったので630円でした。5時間働いて3000円程度でした。お金を稼ぐのは、こんなに大変なことなのか。そう思いました。自分の命を切り売りしているようで、こうまでしなきゃ生きていけない世界を生きていきたくないと思い、そうじゃない生き方を模索するようになりました。結果、現在のような、よくわからない生き方に着地をすることになりました。

 

正しくないと、生きていけない。そう決めつけていた私は、四苦八苦しながら仕事を転々としました。ですが、やはり、なにをやってもうまくいかない。うまくいかない自分を眺めて、最終的に「俺は、嬉しくないと生きていけないのだ」と思いました。逆に言えば、嬉しさを感じた瞬間があったからこそ、死なないでいられたとでも言いましょうか。自分を取り戻すことができたとでも言いましょうか。命を切り売りしている感覚は、自分を猛烈にすり減らしました。しかし、それとは別の「命をやりとりしている」関わり合いには、生きている手応えを感じました。それ以来、私は『嬉しさ』を人生の羅針盤にすることを決めました。世間的には正しいと言われていることでも、自分の心が『嬉しさ』を感じないことは、徹底的にスルーをしました。しかしながら、世間的にはどれだけ間違っていることだとしても、自分の心が『嬉しさ』を感じたものならば、徹底的に採用をするようにしました。

 

嬉しさは、あたたかさとも言えると思います。私は、あたたかい言葉を、信じたいと思う生き物であります。正しくても、冷たい言葉は、世の中にたくさんあると思います。生きるためには仕方ないとか、みんなそうやって生きているんだとか、冷たい世界を強要される場面は、無数にあると思います。しかしながら、ここは開き直りの思考とでも言いましょうか、そんなんじゃ生きていけないよと叱責されたときは「そうまでして(自分の心を殺してまで)生きていたくないよ」と、言葉を返すようになりました。そんな生き方をはじめて数年、非常にありがたいことに、私は、生きることができています。これを、非常にありがたいことだと感じています。そして、いま、私は「自分を縛っていたものは、自分だったのだ」と思うのであります。本当は、最初から、すべて許されていた。自分を縛っていたのは、自分だったのです。チケットの手売りも「ノルマを達成しなければいけない」という前提からはじめると苦行になりますが、そもそもで、人が見に来てくれることはうれしいことなのだ、と思えばこそ、よろこびに繋がるものだとおもうのであります。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

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虫けらのように生きても、春は来る。

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横浜駅ドトールにいる。自分探しという言葉がある。あるいは、自分ブランディングなんて言葉もある。私は、この、どれにも馴染むことができない。自分とは、探すものでもなければ、築くものでもない。それは、きっと壊すものだ。これが自分だと思っていたものを、壊すこと。それは、古い自分を一回殺し、新しい自分に生まれ変わること。ああ、こんな自分がいたのか、と。おお、こんな自分もいたのか、と。新鮮な驚きと共に過ごす日々を、生きるというのではないだろうか。

 

 

おおまかなスケジュール

【現在開催中】 Agape「与える喜びを与える喜びツアー(通称・AYA)」
【現在開催中】 Agape 千が平塚から大阪まで歩きはじめる「東海道五十嵐次」

11月22日(金)19時 Agape 単独ライブ@大阪市心斎橋「
5th-Street

🌸🌸🌸
すべての企画で参加者募集中です🌸🌸🌸

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結果は、燃えカスみたいなもの。

このひとと話していると、自分の感性が刺激される。そう思える人との出会いは、幸福だ。昨日、K様と会った。K様は「結果は、燃えカスみたいなもの」と話す。この言葉を聞いたとき、あなただったら、どういう感情を抱くだろうか。燃えカスという言葉に、ネガティブな印象を覚えるだろうか。私は、K様の、この言葉が大好きだ。気持ちが楽になると同時に、スッキリする。誤解を恐れずに言えば「あなたは愛されている」と言われるより、よっぽど、楽しくなる。なぜだろう。愛は、少し、重い。それよりも、全部は燃えカスみたいなものなんだよと言われる方が、清々しい。笑顔になれる。それは、永遠の命と言われるよりも「俺たち、死ぬよ」と言われた時の、ハッとすると同時に地に足がつくような、あの感じに似ている。

 

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「丸腰中年団のテーマ」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

成功なんかない 失敗なんかない
お金もそんなない 丸腰で行くぜ

目標なんかない 後悔なんかない
年甲斐なぞもない 丸腰で行くぜ

I wanna be an adult
大人になりたかった
who can be a child
こどもになれる大人に

わがままでもいいよ 間違ってもいいよ
いつか行くぜあの世 丸腰で行くぜ

I wanna be a human
人間になりたかった
who can be an animal
動物になれる人間に

わがままでもいいよ 間違ってもいいよ
いつか行くぜあの世 丸腰で行くぜ

 

燃えた首里城の話をした。もし、悪意をもった人間が犯人だとしたら、犯人は、勝ったのだろうか。それとも、負けたのだろうか。全焼させたという点においては、犯人の勝ちだ。しかし、あのように立派な燃え方をしてみせた(なんなら、その後に数億円の寄付金を獲得した)首里城は「圧勝した」とも言える。なにが勝ちで、なにが負けか。それは、各自の美学に依るだろう。成長も、成功も、失態も、失敗も、燃えカスみたいなもの。大事なことは燃え方だ、なんて締め括ることは安易に過ぎる。だが、当たり前のことだが、私たちは、いましか生きることができない。

 

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「ブラボー」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

足並み揃え おれだけドボン 
なんでおれだけ 傷だらけなんだ

血と涙 血と涙 血と涙だけが人生だ

しゃれになんねえ 笑えねえよ 神も仏もありゃしねえのかな
だったら ねえ しかたがねえ 今世は諦めてください

おお、なんて、ブラボー! 人間界のルール無視して
おお、なんて、ブラボー! 金持ちばかり喧嘩してる

なにしたって文句言われんだ 何の役にも立ちやしねえと
代わりはいくらでもいるんだ だから おれたちは 既に自由だ


ムシケラと呼ばれても おれたちは最初から 虫の息
「でも、生きているぜ」 おお、なんて、ブラボー!

足並み揃え やっぱりドボン
なんでこんなに 欠陥(あな)だらけなんだ

傷つけて 傷ついて 避けらんねえ 業を抱え GO

我慢なんねえ しゃらくせえよ 善悪も清濁もありゃしねえ
だったら ねえ 逝くしかねえ この世のしがらみよ サヨナラ

おお、なんて、ブラボー! 揺籠から墓場まで おままごと
おお、なんて、ブラボー! 居心地悪い イスに座る

なんにもねえところからきて なんにもねえところまで行くのだ
よろこびはどこからやってきて かなしみでどこまで行けるのだろう


なんにもないおれたちも まだ未来があるなんて聞いたよ
「なら、生きてやるぜ」 おお、なんて、ブラボー!

おお、なんて、ブラボー! 淀みに浮かぶ 不束者よ
おお、なんて、ブラボー! 無傷のままじゃ 生きちゃいけねえ

なにしたって文句言われんだ 何の役にも立ちたかねえ もう
代わりはいくらでもいるんだ だから おれたちは 常に自由だ


おむかえを呼ばれても ボロボロになりながら 最後っ屁
「まだ、生きているぜ」 おお、なんて、ブラボー!

なんにもねえところからきて なんにもねえところまで行くのだ
汚れちまってる悲しみも よろこびも 全部 引き連れて GO


ゴミクズと呼ばれても おれたちは最後まで 不燃ゴミ
「だが、燃え尽きてやるぜ」 おお、なんて、ブラボー!

 

今、7人組のバンド活動をしている。K様曰く「全員が100%信頼し合っている集団はカルトっぽいから、全員が、全員に3割くらい不満を抱えているくらいでちょうどいいと思うよ」と言った。鋭い指摘だ。逆に言えば、その3割が命綱になる。集団行動が苦手な人間が、7人も集まって集団行動をしている。この時点で「奇跡的だな」と思う。集団行動を避ける人間は、多分、本能的に全滅のリスクを避けているのだと思う。全員が同じ行動をすると、なにかあったとき、全滅する。そのとき、命綱になるのが『残りの3割』の部分だ。歌いながら、まるで哭いているみたいだなと思うことがある。自分の中の動物的な部分が、呻き声をあげている。それは「悲しいよ」という言葉を経由して、常に「生きたい」と叫んでいる。

 

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 「tinc tura」 作詞 Keigo Sakatsume 作曲 Yasuko Kosuge

西の雲に 溶けていく
ひかりは 絶え間なく

過ぎた日々の 面影を
映した 星空

あいにきて いますぐに
とまらない おもい 抱いて

あいにきて いますぐに
あふれだす おもい 抱いて

ティンク トゥーラ

雨宿りをして行こう
夜空に 見えた 虹

大空まで 手を 伸ばす
いつまでも このままで

 

 

わたり文庫『邂逅の森』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、熊谷達也著作『邂逅の森』です。素晴らしい一冊だと思います。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、石川県にわたりました ※※※

 

 「人間てのは、お天道様と一緒に生きていくべき生き物だって、俺ぁ思うんだ。今までさんざん日陰を歩いてきた俺だけどよ。お天道様に逆らった生き方をしちゃ、ろくな死に方が待ってねえ。今回の雪崩で、骨の髄までそれがわかった。ありゃあ、神様が俺たち人間に天罰を下したに違えねえんだ」

熊谷達也『邂逅の森』【文春文庫】

 

虫けらのように生きても、春は来る。

シュタイナーの思想に興味がある。浅学だが、彼は、世界を物質界と霊界に分けて考えた(らしい)。物質界と霊界の間にあるものが色と光と熱で、物質界に一番近く、同時に霊界にも通じているものが『色』だ。色には、表面に固定された色と、物質から離れて浮遊している色がある。前者をピグメント、後者をティントゥーラと言う。空、水、虹、夕焼け、これらは全部ティンクトゥーラになる。青い海の水を掬っても、手の中に残るのは透明な液体。海の青を、掬い取ることはできない。掬い取ることはできないけれど、確かにそこにある色をティンクトゥーラと言う。

 

朝焼けの空のグラデーションが好きだ。モネの絵画のように「向こう側の世界」を感じさせる。美しい音楽に触れた時も、同様に「向こう側の世界」を感じる。日常生活の中で、忘れがちになっている世界観が、沁み渡る。掬い取ることはできないけれど、確かにそこにある『色』。私の好きな色は、青と、赤だ。そして、金色に憧れている。自分が好きな色は、自分の「足りないもの」を暗示しているらしい。青を好み、赤を好み、金色に憧れている自分は、いったい、何色なのだろう。きっと、自分に、色はない。自分自身は常に透明で、それは、水のようなものだ。なにに交わるか。なにを取り入れるか。それが、瞬間瞬間の自分を織り成すのだろう。

 

生き方に正解はない。だから、生き方に間違いもない。私は、書くこと、歌うこと、生きることを通じて「自分の中にある純粋な部分を、守り続けている」感覚がある。この部分に、どれだけの価値があるかはわからない。ただ、この部分があったからこそ、素晴らしい出逢いに恵まれた自負はある。自分が自分であり続けたからこそ、出逢えたよろこびがある。それは、これまでの人生をまるごと肯定するほどの、おおきな力だ。生き方に正解はない。ならば、生き方に間違いもない。どう生きてもいいし、みな、好きなだけ汚れる自由がある。自分という人間が水のようなものだとすれば、どれだけ汚れても、水は水のまま、常に、そこにある。だから、安心して汚れればいいのだと思う。安心して、燃えていけばいいのだと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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死ぬことに、護られている。

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鎌倉駅にいる。音楽をはじめてから「彼はミュージシャンなのよ」と言われる。別に嫌じゃないが、微妙だな、とは思う。彼はミュージシャンだと言われるより「彼はミュージックだ(He is music)」と言われた方が腑に落ちるし、なんなら「私たちは音楽だ(We are music)」と言われた方が、的確だ。音楽家になりたいのではなく、私は、音楽そのものになりたい。もっと言えば、楽器を弾ける弾けないに関わらず、私たちひとりひとりは音楽みたいなものだ、ということを思い出したい。

 

 

おおまかなスケジュール

【現在開催中】 Agape「与える喜びを与える喜びツアー(通称・AYA)」
【現在開催中】 Agape 千が平塚から大阪まで歩きはじめる「東海道五十嵐次」

11月22日(金)19時 Agape 単独ライブ@大阪市心斎橋「
5th-Street

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輪郭のない世界。

数年前、ピアノとフルートと、即興で音を合わせる機会があった。私は、適当なコードを弾いた。熟練者であるピアノ奏者とフルート奏者が、それに合わせて音を重ねた。音楽をやっているひとならわかると思うが、稀に、奇跡とも呼べるような音の重なりが生まれることがある。それは、まるで「別の次元に引き上げられる」感覚を残す。これ以上に気持ち良い瞬間はないのではないだろうか、という驚愕に、私は、震えた。泣きそうになった。魂が震えた。素晴らしい音楽は「彼岸(輪郭のない世界)」を感じさせる。音楽に限らず、美とは、そういうものだ。あっちの世界を、こっちの世界で感じさせるものを『美』と呼ぶのだろう。逆に言えば、こっちの世界に終始しているものは、魂を動かさない。頭を動かすだけで、終始する。

 

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「恋の花」 作詞 Keigo Sakatsume 作曲 Yasuko Kosuge

不思議な 世界を 旅して
雨音の うえを 泳ぎ出す

いつかは消えてくあなたの
笑顔も 涙も

刹那に 流れた 想いが
永遠に 空を 駆け廻る

飛び跳ねていた 季節も

恋のはなびらに舞う 運命を背負って
誰にも見えないまま あたしが踊るの

幸せの 箱で 泣いてる
小さな あたしが 泣いている

扉を開けたら 命が 踊り出す

あたしが 見ている 間は
あなたは あたしの ものでしょう

汚された 記憶も

涙から 枯れ落ちた 風に舞う あたし
あたしも知らなかった あたしが踊るの

恋のはなびらに舞う 運命を背負って
誰にも見えなかった あたしが踊るの 

涙から 枯れ落ちた 風に舞う あたし
あたしも知らなかった あたしが踊るの

 

花がある。この世で花が枯れたとき、あの世で花が咲くのだと思う。あの世で花が枯れた時、この世で花が咲くのだと思う。死んだ人にも届けることができるもの。それは『花』だ。だから、墓場に花を添えるのだと思う。言葉もまた、死んだ人に届けることができる。その瞬間、言葉は『詩』になる。だから、葬式の時にお経を読んだり、歌ったり、祈りを捧げるのだと思う。捧げるということに、音楽の本質があるように思う。自分の身を通じて、目には見えないものに自分を捧げる。それは「俺は、俺だ」という風に自分の輪郭を明確にする行為とは真逆で、自分を透明にする行為、自分が消えてなくなり、おおきななにかとひとつになろうとする行為だと思う。古くは、宗教的な儀式で、そのような営みは行われていたのだと思う。

 

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「flow-er」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

悲しいこともあるのに 大丈夫!と笑って
息も止まるほど 恋をして

足りないもの数えて キリないとか言うけど
終わりないもの 求めてる

それでよかった ふたり
なにもなくても
懐かしい未来(いま) 抱えていける

楽しいこともあるのに 切ない!とか笑って
世界のやさしさ 覚えたよ

結末だけ夢見て あとは全部投げ出した
恥ずかしがり屋 信じてる

あいも変わらず ぼくら
息をしてる
純粋なまま 汚れていこう

悲しいこともあるのに 大丈夫!と笑って
息も止まるほど 恋をして

足りないもの数えて キリないとか言うけど
終わりないもの 求めてる

それでよかった ふたり
なにもなくても
懐かしい未来(いま) 抱えていける

あいも変わらず ぼくら
息をしてる
純粋なまま 汚れていこう

 

ギターを弾いている時、稀に、自分とギターの境界線が溶けて、自分が音楽そのものになっている感覚を覚える。自由とは、やりたいことをやれる状態というよりも「自分が消えてなくなっている」状態ではないだろうか。自分がゼロになり、同時に、全部が自分になる。作詞をするときは、いつも『死』を想う。死を想起させないものに、どうやら、自分の心は動かないみたいだ。自分が笑えているときは、死んだひとも一緒になって笑っているのだと思う。自分が悲しんでいるときは、死んだひとも一緒になって悲しんでいるのかもしれない。生きている間だけ通用するものではなく、死んでもなお残るもの、死んでもなお届くものを、遺したいと思う。

 

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「We are blessed」 作詞 Keigo Sakatsume 作曲 Yasuko Kosuge

晴れた日に 星を見たような
透き通る 白い息

見たこともないような 青
この空に 描く夢

遠く 遠く 降り注ぐ 光たち

雨の日に 虹を見たような
やがて 消えて行く ぼくたちを 照らす日を

We are blessed
We are blessed

見たこともないような 青
この空に 生きる

We all are blessed in delight

 

note.mu

 

死ぬことに、護られている。

油断をしていると「皮膚の内側が自分(皮膚の外側が自分以外)」という世界の認識をする。だが、本当にそうだろうか。海に泳ぐ魚。それを食べた私は、私のままなのか。魚も、私になるのか。自分は魚でもあるとは言えないのか。自分の体内には、無数の菌が生息している。臓器は自分のものでも、菌は自分のものではないのか。もっと言えば、心臓は、自分の意思とは関係なしに躍動を続けている。自分の意思とは関係なしに動くものを、果たして「自分のもの」と言えるのだろうか。自分が動かすことのできないものを、いったい、なにが動かしているのだろうか。それを『命』と呼ぶのではないのか。命が、私たちを動かしているのではないのか。

 

不幸は分離感、幸福は一体感だと思う。私たちは、それぞれの命を生きているというよりは、ひとつのおおきな命を生きているのではないだろうか。他人だと思っていたものも、実は「もうひとりの自分」なのではないだろうか。私はあなたの代わりに生きていて、あなたは私の代わりに生きている。そういう風に、世界を捉え直すこともできるのではないだろうか。自分の体験は、自分固有の体験ではなく、人類全体の体験になるのではないか。自分という人間が挫折するとき、それは、人類全体の挫折になるのではないだろうか。自分という人間が勇気を獲得するとき、それは、人類全体の勇気につながるのではないか。だとすれば、ひとは、本当の意味でひとりになることなど、できないのではないか。など。空想は、広がっていく。

 

私は、多分、死ぬことに安寧を見出しているのだと思う。それは「死にたい」ということではない。人は必ず死ぬ。そう思うことが、生きることをシンプルにする。自分のやるべきことを明確にする。自分は、ただ、自分が死んでも残り続けるものに、自分の命を捧げればいいのだ。死なないように、死なないように、死なないように生きたとしても、最後には、死ぬ。人生とは、死なないために生きることではないと思う。逆だ。死ぬために、生きるのである。死ぬ準備を整えるために、生きるのである。理想の生き方と、理想の死に方は、酷似している。全然関係ないが、女心に家があると『安心』になる。自分は弱い男だから、死ぬことを、まるで故郷のように、再び母体に戻るような感覚で、安心感の源にしているのかもしれない。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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人生とは、自分を楽しませることである。

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表参道駅前のドトールにいる。昨日、壇珠さんとのトークイベントで「自分も文章を書きたいのだが、書いているうちに何が言いたいのかわからなくなったり、ひとにどう思われるかが気になって書けなくなることがある。坂爪さんは、どうやって書いているのですか?」と問われた。私は、自分を楽しませるために書いている。お客様満足なんて言葉もあるが、世界でいちばんのお客様は自分だと思う。書きながら、自分が楽しくなれる文章を書けているとき、それは『よい文章』だと思う。

 

 

おおまかなスケジュール

【現在開催中】 Agape 坂爪圭吾の「与える喜びを与える喜びツアー(仮)」
【現在開催中】 Agape 千が平塚から大阪まで歩きはじめる「東海道五十嵐次」

11月22日(金)19時 Agape 単独ライブ@大阪市心斎橋「
5th-Street

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すべての企画で参加者募集中です🌸🌸🌸

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http://urx2.nu/xkMu 

 

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おとなは、みんな、機械になっちまった。

壇珠さんが好きだ。まず、声が綺麗だ。心が綺麗じゃないと出ない声だ。言葉が鋭い。鋭いと言うか「本当の響き」を感じる。実感を伴った言葉だけを話すから、空っぽじゃない。ぎゅうぎゅうだ。血が通っているし、温度がある。温度がある。これは重要なことだ。もっともらしいことを言っているようで、冷たい言葉は多い。こどもの声は、温度がある。おとなになるほど、温度は薄れ、機械音のようなノイズになる。機械音は、周囲の体温も奪うから危険だ。機械音は「なにもできないお前には価値はない」的な周波を発する。それに対し、自然音は「命そのものに価値がある」的な周波を発する。本当の響きは、それに触れた人間の体温をあげる。

 

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「ねえ」作詞・作曲 Keigo Sakatsume

俺のこどもたちが おとなになる頃に
君のこころまでも おいていかないように

美しいままでは 生きられないからね
涙が出るくらい きれいになりたいね

ここで死ぬなら それまでのことだよね
まだ生きている そのことがこたえだね

ねえ 寂しくて 悲しくて 嬉しくて 楽しくて
積み重ね 生きてるねえ 愛を求め

君は悲しいほど 優しいひとなんだね
俺は何も言わない 冷たいひとなんだね

でもいつまでも 見ているよ 君のこと
ただいつまでも 見ているよ 君のこと

ねえ 嗚咽して苦悶して 武者震いとかもして
身を売って 生きてるねえ 銭を求め

死んでしまうことに 安らぎを求めて
生きることのなかに 手応えを求めて

そういうことのすべてがね おかしくて
そういうことのすべてがね いとしくて

ねえ 情けもねえ不甲斐もねえ 勇気も金も自信も才能もねえ
それでもねえ 生きてるねえ 命よ 暴れまわれ

なにひとつ諦めず 欲しいもの取りに行け
安パイは 投げ捨てて 危ない橋を渡れ

血を晒せ肉を斬れ 骨を断ちハイになれ
このままじゃ 終わらんねえ 愛を求め

 

なにもかも失ったとき、それでも残るものに興味がある。逆に言えば、そのひとの外側に張り付いているもの、職業、肩書き、人脈、収入、資格、社交辞令などの一切に、興味をもてない。なにもかもを取っ払った後に残る『あなた』に興味があるのであって、それ以外は捨ててください。ひとと話しているとき、そんなことを思う。人間である以前の『動物』として、話ができたら愉しいと思う。自分を取り繕うことは、社会的な常識なのだろう。だが、取り繕うとは、乱暴だが「嘘をついている」ことと同じだ。嘘をつくな。私が、ひとに対して思うことはそれだ。逆に言えば、本心を聞けば聞くほど「ああ、人間と話しているなあ」という充足を得る。

 

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「ジュピター」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

強くもないし 優しくもない
ただ命の限り 踊っていたい
清くもないし 正しくもない
でもいのちの 限り生きたい

本気じゃないなら もう いらないし
たのしくないなら もう やらないし

僕にないものが君にあって
君にないものが僕にあって
必要とすることならできる
確かめ合うおなじ命がある

本気じゃないなら もう いかないし
うれしくないなら もう やらないし

死なないように 死なないように
死なないように 生きても 死ぬんだよなあ

誰のものでもない君がいて
誰のものでもない僕がいて
誰のものでもないこの星で
ふたりだけの時間を刻もう

本気じゃないなら もう いわないし
さみしくないなら もう やらないし

死なないように 死なないように
死なないように 生きても 死ぬんだよなあ

本気じゃないなら もう いらないし
だれともなにとも もう くらべない

死なないように 死なないように
死なないように 生きても 死ぬんだよなあ

死なないように 死なないように
死なないように 生きても 死ぬんだよなあ

 

おとなは、みんな、機械になっちまった。機械というのは、みんなと同じように考えて、みんなと同じように話すこと。それは「なにも考えないし、なにも話さないし、なにもできなくなる」ということだ。できることならば、あなたには、そうならないでほしい。そんなことを勝手に願いながら、私は、人間と話す。生きるのが下手だとか、不器用だとか、悪く言われることは多い。しかし、それは「不器用に生きることで、純粋な部分を守り続けている」のだと思う。純粋であることは、器用に生きることよりも、ずっと素晴らしいことだ。だから、生き辛さを悩むことがあっても、大事なものを明け渡さないで、そのままで生きていてくださいと思う。

 

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「あふれちゃん」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

伝えられなかった 思いは 何処に 行くんだ
言わずに終わるか 言って終わるのは どうだ

俺を叩けば 罪が まるでホコリみたいに
晴れた日に 舞い上がれ きらきら 光れ

悲しみ 深いほど 慰めも 深く 深く
闇が 強いほど 光もまた 強く 強く

ただ あふれる あふれる

使い込まれた 命 だから 味が出るのだ
愛ならば ある 見捨てられることはない

矛盾のなかに 俺は ど真ん中を見る
涙 流しながら 笑う 黙って 騒ぐ

胸が 苦しいほど よろこびも 深く 深く
寂しさ 抱くほど ぬくもりも 強く 強く

ただ あふれる あふれる

悲しみ 深いほど 慰めも 深く 深く
闇が 強いほど 光もまた 強く 強く

胸が 苦しいほど よろこびも 深く 深く
寂しさ 抱くほど ぬくもりも 強く 強く

ただ あふれる あふれる

 

note.mu

 

わたり文庫『ムーミン谷の名言集』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、トーベ・ヤンソン著作『ムーミン谷の名言集』です。久しぶりの再開です。私は、実は、絵本だけ読んでいれば大事なことの9割は補うことができるのではないか、という偏った思想の持ち主です。かたっ苦しい本も大量にありますが、絵本のなかに、童話のなかに、小さな頃から慣れ親しんだもののなかに、大事なことのほとんどは書かれている。私たちは、無知なのではなく、無為なだけだ。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、愛媛県にわたりました ※※※

 

だれも心配しすぎないって、よいことでした。ムーミンたちは、ほかの人のために、やたらと心配しないでいようと、決めていました。つまり、そのほうが、心配をかけたと思って良心を痛めなくても、すみます。それに、ありったけの自由をあたえあっていることにもなるのです。

 

「なんだって、できるわ。だけど、なにもやらないでいましょ。あぁ、なんだってできるって、なんてステキなことなの!」

 

「死んだら、死んだのよ」

トゥーティッキが、やさしくさとしました。

「このリスは、そのうち、土にかえるでしょ。やがて、その土から木がのびて、その木の上で新しいリスたちがはねまわるわ。それが、そんなに、悲しいことだって思う?」

 

「歌をうたい、りんごを食べ、朝寝坊を好きなだけできる自由!それこそが、人生の醍醐味というものなのさ。それと、『これは重要事項だから後回しにはできません。すぐにやるのですよ』なんて、せっつく人がいないこと。そんな人は、勝手に、好きなように、させておくのさ!」

 

「物は、自分の物にしたくなったとたんに、あらゆる面倒が、ふりかかってくるものさ。運んだり番をしたり・・・。ぼくは、なんであろうと、見るだけにしている。立ち去る時には、全部、この頭にしまっていくんだ。そのほうが、かばんを、うんうんいいながら運ぶより、ずっと快適だからねぇ・・・」

 

「ねえムーミン、友だちが、いちばん好きなことをしながら生きていけるようになるって、すてきなことじゃない?」

 

霧の夜明けでした。みんなは、庭へ駆け出していきました。八月の、ステキな一日を約束するように、東の空に、バラ色の光がさしはじめていました。

朝日がのぼるのです。新しい門が、開かれます。すばらしい可能性への、扉です。なんだって、やってのけられる新しい一日が、待ってくれています。そう、きみたち、ひとりひとりが、気づきさえしたら!

 

トーベ・ヤンソンムーミン谷の名言集』【講談社文庫】

 

人生とは、自分を楽しませることである。

洗脳という言葉は強いけど、私たちは「なにもしていない自分には価値がない」という洗脳を受けてしまっている(と思う)。私は責任感のあるツッコミ担当なので、職務をまっとうしたい。違うだろう、と。そんなはずが、あるわけないだろう。大前提として「生きているだけでいい」のであり、それ以外は完全におまけだ。我々は、地球というテーマパークに生まれてきて、閉園の時間(要するに死ぬ瞬間)まで、好きな乗り物に乗ればいい。疲れたときは、アイスを食べながら休めばいい。そして「アイスクリームがある、この世界、最高!」と思えばいいのだ。

 

なにもかもを失った時、それでも残るもの。それは『自分』だ。自分の心だ。自分とは、愛し愛された記憶であり、なにかを好きだと感じる気持ちだ。なにかをやりたいと感じる気持ち。なにかを痛いと感じる気持ち。肉体。温度。生きた記憶。光のかけら。それが残る。否、もっと言えば、最後には自分さえも消える。自分が消えたあと、それでも残るものがある。それは「大丈夫だ」というおおいなる声だ。最後の最後、自分が消えて、地球が消えて、宇宙が最後の瞬間を迎えたときに、残るものは「大丈夫だ」というおおいなる声だ。感じてみよう。心配することをやめて、想像してみよう。すべてが終焉を迎える瞬間に、かなたから届く「大丈夫だ」という声を。とかなんとか言っちゃうと、あやしい匂いがぷんぷんするとは思うけれど、私は、割と本気でこの声を感じている。私たちは、永遠に、大丈夫なのだ。

 

人生とは、自分を楽しませることである。無論、そんな気分にならないこともある。しかし、実際、そうなのだ。自分を楽しませること以上に、自分のご機嫌を守ること以上に、自分を信じる道はないのである。なにかをやる。なにかをやりながら「自分は間違っていないだろうか」などと、自分を疑うことがある。指標は、きっと、シンプルなものだ。それをやっている瞬間がどうしようもなく楽しいものならば、それは、正しい。誰かに認められるためでもなく、誰かに褒められるためでもない。自分は、ただ、自分の喜びのために。遊んで、遊んで、遊び倒して、この星を離れる切なさを、言葉に、音楽に乗せるんだよ。私は、今日も、歌う。誰かのためというよりも、自分が自分に言い聞かせるために、自分が自分に聴かせてあげるために、そして「生きて、歌えることのよろこび」を、歌い続けるのだと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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人生は、目的地ではない。旅である。

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新横浜のドトールにいる。11月4日(月・祝日)には壇珠さんとのトークイベント@東京。11月22日(金・いい夫婦の日)には、念願の『Agape単独ワンマンライブ』が大阪で開催されます。是非、遊びに来てください。ど素人の状態から音楽活動をはじめて約8ヶ月。持ち曲は215曲になった。数だけはいっちょまえだ。音楽をやるほど、素晴らしさを知る。創作の醍醐味は、ズバリ「自分を知る」ことにあると思う。自分を知るということは、自分を壊す(世界を壊す)ことでもある。

 

 

おおまかなスケジュール

【現在開催中】 Agape 坂爪圭吾の「楽しい迷惑のかけ方実践編(仮)」
【現在開催中】 Agape 千が平塚から大阪まで歩きはじめる「東海道五十嵐次」

11月4日(月・祝日)14時 坂爪圭吾×壇珠「ファンタジーの魔法の使い方」
11月22日(金)19時 Agape 単独ライブ@大阪市心斎橋「
5th-Street

🌸🌸🌸
すべての企画で参加者募集中です🌸🌸🌸

SCHEDULE on 
http://urx2.nu/xkMu 

 

ibaya.hatenablog.com

 

自分を壊す。世界を壊す。

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左から、稲村彰人・坂爪圭吾・保科亮太・嘉向徹(RYU-CHANはドラム)


個性的じゃない人間はいない。だから、当然、集団になれば軋轢は生まれる。Agapeは7人組で、いわゆる『強烈な個性のぶつかり合い』を、毎日のように感じる。最初は、これらをまとめる必要があると思っていたが、まとめようとするほどに苦しくなる。まとまらないから、ぶつかり合う。だが、最近、気付いた。まとめようとしなければいいのだ。ある日、こんなことを言われた。「あなたたちは、決して上手な訳ではない。しかし、上手じゃないからこそ、とんでもない奥行きを感じる」と。これは物凄い指摘だ。ついつい、なにかをはじめると『ちゃんとやらなきゃ』と構えてしまう。だが、ちゃんとやることで、つまらなくなる部分がある。

 

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「リリイ」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

ああ 遊ぶことを やすみたいなんて 思わない 
駆け出した こどもたちのように ねえ リリイ

ああ 鈴を鳴らすような笑い声あげて 風に乗って
真っ白なまま 空を飛び跳ねた はなびら リリイ

ああ ひとりもいいけど 心の隅がさみしくて
星の降る夜に 届けておくれよ ねえ リリイ

ああ 好きな人の好きな人を 嫌いにはなれないよ
真っ白なまま 枯れ落ちる前の はなびら リリイ

ああ ああ ああ リリイ

ああ 君といる 僕だけを 好きにならないよ
懐かしい 空を飛び跳ねた はなびら リリイ 

 

私が作詞作曲をした曲は多い。そうなると、必然的に「坂爪圭吾の世界観」みたいな雰囲気が、バンド全体に生まれる。前に、こんなことを言われた。「他のメンバーの役割は、坂爪圭吾の世界観をぶっ壊すことだよ」と。これは最強の指摘だ。私は、自分の世界観を表現するために、音楽をやっている訳ではない。逆だ。自分の世界観を壊すために、自分の世界観に広がりを持たせるために、音楽をやっている。そうじゃなければ、一緒にやっている意味がない。音楽は不思議だ。自分ひとりじゃ絶対に生まれなかったもの、自分ひとりじゃ絶対にやらなかったであろう音楽が、頻発する。その度に「ああ、俺にはこんな部分もあったのか」とか、思う。

 

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「おすしちょんちょこりん」 作詞 ハイパーカミオカンデ 作曲 RYU-CHAN

 

ヨーデルタイム)

たのしい
うれしい
かなしい
さみしい
きびしい
くやしい
まずしい
こいしい
たけだけしい
はなばなしい
けばけばしい
はかばかしい
みずみずしい
ふるめかしい
かまびすしい
かいがいしい
いじらしい
まどろっこしい

ぜんぶ
ぜーんぶまとめて
おすしちょんちょこりん!

ヨーデルタイム)

たのしい
うれしい
かなしい
さみしい
たのしい
むなしい
るなしい
へるしい
とげとげしい
ばかばかしい
すがすがしい
あまざらし
しらじらしい
ビタミンC
たかいらしい
そうぞうしい
ふさわしい
レガシーセクシー

ぜんぶ
ぜーんぶまとめて
おすしちょんちょこりん

ヨーデルタイム)

ぜんぶ
ぜーんぶまとめて
おすしちょんちょこりん
WAO!

 

実は、私は、この7人組のなかでは「自分が一番まともだ」と思っている。しかし、昨日、衝撃の事実が判明した。メンバー全員が、同様に「このメンバーの中では、自分が一番まともである」と思っているっぽいのだ。これは衝撃的だった。私から見ると、全員、頭がいかれている。ネジが外れている。致命的な何かが大幅に欠落している。それに比べれば、自分は、だいぶまともな人間だと思っている。というようなことを、メンバー全員が(他のメンバーに対して)思っているのだ。これは衝撃的だった。自分のことは、自分が一番よく知っているなどというが、違う。自分のことが、一番わからないのだ。だからこそ「自分を知る」ことは奥深く、素晴らしく、面白く、固定化されたかけた世界観を壊すことにつながるのだ。

 

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「かなた」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume 

悲しいことは 勝手に起こる
苦しいことは 勝手に起こる

楽しむことだ 楽しむことだ
わけもないぜ ハブ・フアン

全部をなくして はじめて気づいたよ
僕たちはいまも生きている 生きているから

君が行くなら 僕も進もう
道は違えど 共に歩もう

楽しむことが 僕らのゴールだ
そこで会おう ブラザー

誰かを好きになることを 好きになろう
死んでしまうほど生きてやる 生きてやるから

何度も 何度でも はじめよう

知らない街の 知らない線路
知らないひとと 懐かしい空

僕たちはこの空を知ってる
大丈夫さ フューチャー

水平線を揺らす朝日が かなたまで
まぶしいくらいに生きている 生きているから

何度も 何度でも はじめよう
何度も 何度でも はじめよう

 

note.mu

 

人生は、目的地ではない。旅である。 

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左から、坂爪圭吾・保科亮太・嘉向徹・千・竹谷純平(RYU-CHANはドラム)


誤解を恐れずに言えば、我々は「音楽に命を賭けている」訳ではない。音楽という円の中に人生があるのではなく、音楽を含めた『人生』という大きな円の中に、また、自分もいるのだ。音楽をやったり、音楽を聴いていると思う。音楽には、そのひとの技術ではなく、そのひとの『人生』がまるごと乗っかる。良い音楽とか、悪い音楽とか、ない。ただ、残酷なほどに「そのひとが、どういう人生を生きて、どういう思いを抱いて生きているか」みたいなものが、露骨に出る。だから、多分、我々は一生懸命に音楽を続けること以上に「自分を、しっかりと生き続けること」が大事なのだと思う。音楽は、ごまかせない。自分が、自分の人生をどれだけ真摯に生きていたのかが、そのまま音楽に反映される。全部、人間性の問題なのだ。

 

 

なぜ生きるのか。なぜ音楽をやるのか。それは「なりたい自分になるため」ではないだろうか。人生は、目的地ではなく旅である。7人も人間が集まれば、共通の『夢』や『志』みたいなものを、常に抱き続けることは難しい。だが、我々全員に共通している部分も、確実にあると思う。それは、まだ言語化し切れていないけれど「なりたい自分になるため」ではないだろうか。もっと乱暴にまとめれば、それは「いい男になるため」ではないだろうか。自分の中にある弱さや狡さや醜さを、認めた上で、諦めない。自分のなかにある不甲斐なさを、自分ひとりだけではどうすることもできない不甲斐なさを、一緒に生きることで「乗り越える」「力に変える」「陽の当たる瞬間を迎える」ことが、一緒に生きる醍醐味ではないだろうか。

 

 

私には弱さがある。それは「なんでもひとりでやろうとしてしまう」弱さだ。音楽も同じだ。最悪の場合は、自分ひとりになってもやる。その気持ちは今も変わらない。だが、この気持ちが強く出過ぎると、自分はすぐにひとりになる。ひとりも悪くないが、それでは、心の一部はさみしいままだ。自分の世界が広がることもないし、自分の世界が壊れることもない。一緒に生きる醍醐味は『壊れる』ことに、あると思う。壊れることを恐れる気持ちは、常に、ある。だが、実は、自分の世界が壊れること、自分の世界が新しい広がりを帯びていく瞬間ほど、自分のこころが「最高だ!」と思える解放感も、ないのである。人生は、目的地ではなく旅である。誰一人置いていかない。傷も涙も受け入れて、一緒に生きていきたいと思う。

 

 

さかつめさん!
ツイートを観て思わずまたメールしました。(^^ヾ
わたし、沖縄出身なんです!!!

まったく、おっしゃる通り、この火は悲しみじゃない、
世の中が激動のときを迎えようというタイミングで、まさかの琉球が火を噴いた!
琉球の神々は本気だな、と思いました。
坂爪さんにメールを送る勇気が湧いたのも、首里城が焼失したからです。
こんなタイミングで坂爪さんが近くにいらっしゃるなんて、チャーーンス!!と思いました。
おかげで私はひと殻ぬげたようです。笑
部屋着のままでノーメイクで髪ぼさぼさで、このきったない部屋に
イケメンで詩人で憧れの、坂爪さんに来ていただくなんて。
ただの、なんでもないおばさんの、自分のままで。
 
どれだけ坂爪さんの言葉や行動に励まされてきたか。
丸腰で生きる勇気に感銘を受けたことか・・。
 
うまく伝えられないけど、ありのままの自分を晒せたから、おっけー。みたいな。(*^^)/
○○のおかげですね。(^^♪
2019年10月31日は、忘れられない日になりました。
人生も盛大な音楽だー!
 
ありがとうございました。(*^^*)

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

  

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死なないことより、生きたいと思うこと。

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菊名駅前のコロラドにいる。毎日色々やっていると「たまには休んでくださいね」と優しいお声をかけていただく。だが、思う。こどもたちは、遊ぶことを休みたいとは思わない。遊び疲れて眠りに落ちても、次の日になれば、遊ぶために駆け出していく。この感じを大事にしたい。こどもたちに「遊ぶな」と言うことは、酷だ。それは「死ね」と言っていることと似ている。だから、休んだ方がいいというよりも「遊んだ方がいい」のだと思う。嫌な疲れの原因は、遊びが足りないことだ。

 

 

おおまかなスケジュール

11月1日(金)Agape 千が平塚から大阪まで歩きはじめる「東海道五十嵐次」

11月4日(月・祝日)14時 坂爪圭吾×壇珠「ファンタジーの魔法の使い方」
11月22日(金)19時 Agape 単独ライブ@大阪市心斎橋「
5th-Street

🌸🌸🌸
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面白ければ留まり、つまらなければ離れる。

面白ければ留まり、つまらなければ離れる。これは、人間として自然だ。しかし、これが制限されると「おかしいことになる」のだと思う。本当はこんなひととは付き合いたくないけど、仕方がない。本当はこんな仕事をしたくはないのだけれど、仕方がない。とか。自分のうだつの上がらなさを環境のせいにしたくなる気持ちはわかるが、真実は常に残酷だ。環境がつまらない、なんてことはあり得ない。つまらないのは、常に自分だ。自分がつまらないから、なにをしても、どこにいても、つまらないのだ。ならば、もう、自分が面白くなればいい。自分が面白いと思う人生を生きればいい。では、面白いとは、何か。それは『予測不可能性』だと思う。

 

決まり切った毎日を生きるほど、酷なこともない。サルトルは「人間は、自由の刑に処されている」と言ったが、自由であることも、結構酷なことだ。学校や職場は、誰かが自分の時間割を決めてくれる。が、フリーランスになれば「自分が自分の時間割を作る必要」が生まれる。根本的に、それは、面倒臭いことだ。自由とは、面倒臭いものなのだ。面倒臭いと言うことは、自由であると言うことだ。誰かに時間割(答え)を教えて欲しくなることは多い。だが、答えを求めて本を読んだり、答えを求めてひとと会うのは、違うと思う。だって、それは、そのひとにとっての答えにすぎないから。生きると言うことは、共通の答えを生きることではない。オリジナルな答えを生きることだ。それは「答えのない世界を生きること」であり、答えは、自分で決めるしかない。答えは、自分で作り出していくしかない。

 

世の中的な正解は不明だ。ただ、自分の心が感じる「楽しさ」ならば、分かる。楽しいなら、正しい。私はそう思うことにした。食べ物の好き嫌いと同じだ。誰がなんと言おうが、自分はカレーを美味しいと思うなら、カレーは美味しいのだ。世界中のみんなから「カレーなんて人間の食い物じゃない」と罵倒されても、自分がそれをうまいと感じるなら、食べる。意外と心は敏感で、世の中的な基準は曖昧なままでも「今の自分は、ダサいか、ダサくないか」程度なら、すぐにわかる。いまの自分をダサいと思ったら、できるだけ変える。いまの自分を「結構いい感じだな」と思えたら、外野からとやかく言われても、続ける。そういうことなのだと思う。

 

note.mu

 

死なないことより、生きたいと思うこと。

11月22日(金・いい夫婦の日)に、大阪の心斎橋でAgape単独ライブがある。それに向け、メンバーの千さんが「神奈川県平塚市から心斎橋まで徒歩で向かう」ことになった。彼はお金もなく、長年引きこもりのような生活をしていたので、一般的な意味でのコミュニケーション能力は低い(低いと言うか、未開発のままきた)。だが、だからこそ、純度は高い。ひとと関わっていきたい。それが我々の祈りだ。だから、もし、千さんに「おにぎりを食べさせてあげたい」とか「家に泊まらせてあげたい」と思われた方がいたら、直接、千さんにご連絡をしていただけたら最高にうれしいです。言わずもがな、ライブにお越しいただける方も絶賛大歓迎です。

 

 

首里城が燃えた。首里城が燃えたことに対して「さあ、悲しむべきことが起こりました。みんなも一緒に悲しみましょう」的な報道をする人々に、違和感を覚える。悲しむことで『消費』することが、多分、嫌なのだと思う。人も、建築物も、燃えたからなくなるわけではない。物質から解放されて、盛大な音楽になって空間に溶け出しただけだ。それは、学校の友達が引越しをして別の街に行くような感じで、しばらく会えなくなるけれど『いる』ことに変わりはない。ただ、形が変わっただけだ。これは、多分、死生観にも通じる(というか、死生観そのものだと思う)。死者を殺すな。見えなくなったからと言って、殺してしまってはダメだ。死者も、共に生きることはできる。物質から解放されたものは、音楽として流れ続ける。 

 

死なないために生きている訳じゃない。どう稼ぐか。どう集めるか。どう生き延びるか。そんなことばかりが話題になると、端的に「世の中がギスギスする」と思う。死なないことよりも大事なことがある。それは、生きたいと思うことだ。生活のためだけに生きることは虚しい。死なないためだけに生きることは虚しい。生きたいと思う熱情を、私は、重要だと考える。生は、常に『死』を内抱している。結果とは、燃えかすみたいなものだと思う。命を賭ける、という表現がある。最近、この言葉に違和感を覚える。命を賭けていないひとなど、ひとりもいないのだ。真面目に生きても命懸け。不真面目に生きても命懸け。激しく生きても命懸け。怠惰に生きても命懸け。とっくの昔から、我々は『すでに命を賭けている』のだ。何もしないで死ぬのも一生。何かをおっぱじめてから死ぬのも一生。どう生きるかは、各人の自由だ。燃え落ちる我々を、あなたにも見届けてもらえたら嬉しいと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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