いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

目に見える成果と、目に見えない成果。

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菊名駅前のコロラドにいる。ごちゃまぜの家の離れの離れに、モバイル茶室を作った。躙口(にじりぐち)もある。2畳の広さである。横浜の住宅街とは思えない竹林感が素晴らしい。茶室にもなれば書斎にもなる。時には懺悔部屋にもなる(一応、内側から鍵もかかる)。総制作費は0円である。譲り受けたもの、拾ったもの、余っているものを活用して作った。5月12日に、このモバイル茶室で『心の冷たいホットサンド屋さん』を開店する。是非、お気軽に遊びにいらしてください。

 

 

おおまかなスケジュール

5月11日 野点カンタービレ群馬県伊勢崎市
5月12日 12時 心の冷たいホットサンド屋さん@モバイル茶室
5月13日-16日 FREE!【イベント出演依頼諸々募集中!】

5月17日 14時 EVENT@東京都杉並区西荻窪「hana」
5月18日-6月1日 FREE!【イベント出演依頼諸々募集中!】
5月26日 15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「わたり食堂」
6月2日 15時 EVENT@千葉県千葉市「N-HOTEL

坂爪圭吾 SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu

 

ibaya.hatenablog.com

 

ごちゃまぜの家新規住人の募集!【追記・募集終了しました】

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知る人ぞ知る、ヘネシーハンモックもあります。


ごちゃまぜの家を乱暴に説明すると、共有スペースが「(住人だけではなく)世界の誰もが使えるようになっている」ことである。だから、一応、誰でも自由に使えることになっている。5月15日から、ごちゃまぜの家の二階の部屋が空く。そこで暮らしていたK様が、千葉県に引っ越すことになったからだ。そこで、ごちゃまぜの家では『新規入居者』を募集することになりました。家賃は光熱費込みで5万円。トイレ付きの個室。部屋の広さは6畳で、キッチンは3畳程度の1Kです。二階にも一階にも風呂があり、どちらでも好きな方を使えます。もし「令和になったし、生活を大きく変えてみるか!」と思われる方がいたら、お気軽にご連絡ください。ウィークリー利用など、ご要望にも(全身全霊フレキシブルに)対応します。

 

ごちゃまぜの家に暮らすメリットと、デメリットを列挙します。メリットは家賃節約・住宅街だけど裏に林がある・落ち着く・鳥の種類が豊富・普段出会わないひとと出会う率があがる(だけど基本的には家は静か)・タダ飯が食える・禅寺っぽい・共有スペースをイベント会場に使える・坂爪圭吾が出没する、です。デメリットは家が古い・築63年・壁が薄い・菊名駅まで徒歩10分の坂道がしんどい・人間関係のドラマが(良くも悪くも)絶えない・予測不可能な出来事が割と起こりやすい・坂爪圭吾が出没する、です。いかがでしょうか。暮らしてみたい!と思われた方はいるでしょうか。部屋を見てみないことにははじまらないと思うので、内乱(間違えた内覧)をご希望される方は、お気軽に坂爪圭吾までご連絡ください。

 

※※※ こちらの募集、無事に決まりました ※※※

 

連絡先・坂爪圭吾
keigosakatsume@gmail.com
LINE ID ibaya(LINEだとレスが早いです)

www.youtube.com

 

逆に、どんな人が暮らしたら面白いのだろうか。学校に行くことを拒否する10代の男女が「新手の下宿先としてごちゃまぜの家に暮らす」とかは面白い気がする。色々な人間と触れ合うことが、一番の社会勉強になる。6畳の部屋を「友達と一緒に共有する」とかでも、全然OK。基本的にいまは実家で暮らしているけれど、たまに個室が欲しいのよ。みたいな要望にも、応えたい。基本的に都会の家賃は高い。家賃のために嫌な仕事もやめることができない、みたいな現状はおかしいと思う。私が思う、最適な家賃は「一万円」だと思う。一万円で暮らせる家が増えたら、ひとり三軒くらい、全国各地に拠点を持てる。結果、移動が促進されて人生が軽やかになる。この場所を『いい感じの風が吹く』場所に、していきたいと思う。

 

note.mu

 

わたり文庫『かもめ食堂

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、群ようこ著作『かもめ食堂』です。わたり文庫とはなにか。改めて説明をすると「返却する必要のない循環型の図書館」みたいなものです。ご希望される方に、本を贈り、贈られた人は、読み終わり次第次の誰かに(気が向いたら)まわす。そういう感じの、図書館とも言えない図書館です。一応、わたり文庫の部屋が、ごちゃまぜの家一階の母屋の部分にあります(読みたい!と思う本を見つけたひとは、ごちゃまぜの家にある本はどれでも自由にお持ち帰りいただけます)。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

 

※※※ こちらの本は、大阪府にわたりました ※※※

 

「ああいうのもいいけど、本当に人が食べる毎日の食事って違う」

それがサチエのテーマになった。母が漬けていた糠味噌漬けもひきついだはいいが、どんどん味が悪くなっていって、あせった時期もあった。それでも試行錯誤して糠床に昆布を足したり、ときには魚の頭もいれたりして、何とか元に戻した。

「私、おいしい御飯とお新香とお味噌汁があれば、何もいらないな」

と学校でいったら、

「おばあさんみたい」

と笑われた。サチエにとっての究極の食事はこれだった。研究がてら、いろいろな店で食事をしても、素材を油や調味料でごまかしているものが多くて、サチエにとって濃い味付けが多かったが、クラスメートはそういう味の濃いものを、おいしいと喜んで食べていた。みんな薄味よりも濃い味のほうがずっと好きで、食物科に通っていながら、自分の食事はいつもカップ麺という子さえいた。

「華やかな盛りつけじゃなくていい。素朴でいいから、ちゃんとした食事を食べてもらえるような店を作りたい」

勉強をしていくうちに、だんだんサチエの夢はふくらんでいった。

群ようこかもめ食堂』【幻冬舎文庫

 

目に見える成果と、目に見えない成果。

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篠原八幡神社

 

一歳年下のいとこに、耳に障害を持つ「あかねちゃん」という女の子がいる。母親の、妹の、娘になる。昔、新潟の実家で一緒に暮らしている時期がある。あかねちゃんは常に補聴器をつけていて、耳の障害のせいなのか、話す言葉も聞き取りづらい。そのため、普通に生活をしていても、自分の気持ちをなかなか上手に相手に伝えることができない。相当なストレスを、あかねちゃんは抱えていたと思う。しかし、あかねちゃんは、それでも「自分の思いを伝えること」をやめなかった。短い言葉で、相手に聞き取りやすい言葉を選んで、一生懸命に自分の思いを伝えようとする姿をみていると、理由はわからないが、涙が出てきそうになる瞬間があった。

 

言葉を話す。普通の人から見れば、なんの変哲もない、日常的な行為だ。しかし、あかねちゃんにとっては「誰もが当たり前にできることだけれど、自分にとっては非常に大変な営み」だった。私たちは、よく、世間的な基準に照らし合わせて「お前はいい」とか「お前は悪い」とか、そういう価値判断をしてしまう。そういうとき、あかねちゃんの苦労は、話にもならないということになるのだろう。目に見える成果を求められる世の中では、あかねちゃんの「自分の言葉を相手に伝える」という当たり前の行為は、なんの価値も生まない。なんの役にも立たない。そんなことより、一円でも多く金でもなんでも稼いでこい、みたいな話になる。しかし、私は、目に見える成果だけを、すべてにしてはいけないと思う。周囲から見れば「なんでそんなこともできないのか」とか「お前はなまけている」と思われるような人々も、内面では、血の滲むようなとんでもない頑張りをしている場合がある。

 

何もしていない自分には価値がないと感じる時、生きているだけではいいと思えなくなる。生きているだけではダメということになり、生きていることそのものが負い目になる。しかし、私達が自然を美しいと思う時、それは「そのままの姿でそこに在る」からだ。目に見える成果と、目には見えない成果がある。それは、他人からの目だけではない、自分の目にも映らない「自分の成果」が、必ず、ある。だから、自分を責めてはいけないのだと思う。生きているだけで、充分、頑張っている。人生は、他人を蹴落とすなんてけち臭いものじゃない。長所は人の役に立つために、短所は愛されるために、あるのだろう。自然を美しいと思う時、それは「そのままの姿でそこに在る」からだ。自然を愛するように、自分を愛したいと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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LINE ID ibaya

大切なものは、大切にするほど、大切になる。

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渋谷区松濤のカフェ・ベローチェで、コーヒーフロートを食べている。先刻まで「おはなをあげる」と銘打ち、希望者におはなを配る営みをした。渋谷在住の女性から「おはなをください!」と連絡をもらい、手渡しをしたら「実は最近仕事がつらくて心も体も荒み、おおげさだけど『死にたい』と思っていたのですがおはなを貰ったら『生きたい』と思えました。生まれて初めて、渋谷に住んでいてよかったと思いました!」と言われた。これはうれしかった。「いい仕事をしたな」感に包まれながら食うコーヒーフロートは美味い。人間、いい仕事をしてなんぼである。

 

 

おおまかなスケジュール

5月6日-10日 FREE!【イベント出演依頼諸々募集中!】
5月11日 昼・群馬県伊勢崎市 夜・FREE!
5月12日-16日 FREE!【イベント出演依頼諸々募集中!】
5月17日 14時 EVENT@東京都杉並区西荻窪「hana」
5月18日以降、FREE!【イベント出演依頼諸々募集中!】
5月26日 15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「わたり食堂」
6月2日 15時 EVENT@千葉県千葉市「N-HOTEL

坂爪圭吾 SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu

 

ibaya.hatenablog.com

 

多拠点生活じゃない。無拠点生活。

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生まれて初めてサーフィンをした。これが良すぎた。波が来る。必死で乗ろうとする。逃す。溺れる。「うおー!」とか絶叫する。ふと、後ろを見ると次の波が来ている。逃した先に、もっと大きな波が来る。そういうことが連発する。人生も似ている。逃した波の先に、もっと良い波が来る。しかし、ボケっと生きているとそれを逃す。逃した波を悔やんでも、なにも生まれない。次の波。次の波だ。反省もしない。後悔もしない。ただ、波に乗る。懲りずに、何度も、懲りずに、懲りずに。

 

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頻繁に聞かれる質問のひとつに「普段はどこを拠点にしているのですか?」というものがある。過去に五億回は聞かれた。多拠点生活、という言葉もある。しかし、私が採用しているのは『無拠点生活』であり、私に拠点はない。居場所もない。居場所がないことを悲しいと思うこともある。が、調子がいいときは「最高に自由だ」と思う。拠点なんかない。居場所なんかない。そんなものはいらない。ただ、サーフィンをしているときは「海が俺の居場所だ」と思う。日光浴をしているときは「太陽の下が俺の居場所だ」と思う。野営をしているときは「地球全体が俺の居場所だ」と思う。要するに、自分がなにかを好きだと思うとき、世界全体が居場所になる。居場所とは、場所ではない。人間だ。なにかを愛する自分の『心』だ。

 

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サーフボードはまあまあ重い。これを担ぎながら「お前の命はサーフボードより軽い」と、誰かに言ってみたくなった。巷には「命は地球より重い」という言葉がある。こんな手垢まみれの言葉に、感動する人間がいるのだろうか。あなたの命は地球より重いのよ!だから生きなさい!などと言われて、自殺をやめる人間がいるだろうか。私だったら「うるせえよ」と思う。だから、私は「お前の命はサーフボードより軽い」と、誰かに言いたい。それで怒られるなら、怒られたいと思った。もっと怒りを引き出したいと思った。私は、人間の中にある『感情のスイッチ』を押したいと思う。怒りを通じてなのか、涙を通じてなのか、形はなんでもいい。相手の生身の感情を引き出したいと思う。表面的なやりとりに、微塵も関心がない。人間、常に、目の前にはふたつの道がある。無難な道と、危険な道。無難な道を選べば、無難な人生が続く。無難な人生の先に、ガッツポーズをできる瞬間がまっている予感は希薄だ。だから、私は、危険に賭けたい。危険な道を選びたいと思う。そんな思いで、私は、意図的に相手の感情を逆撫でしたくなることがある生き物だ。

 

note.mu

 

わたり文庫『自分の中に毒を持て』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、岡本太郎著作『自分の中に毒を持て』です。音楽活動をはじめて以来、周囲から「うまくなれ」とか「うまくなければ音楽をやる資格はない」みたいなことを、散々に言われた。しかし、私は、絶対に言うことを聞かないことにした。なぜなら、そう言う人の顔が「幸せそうに見えなかった」から。幸せそうじゃないひとの言うことを聞いたら、自分まで、同じ人間になってしまうと思ったから。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、沖縄県にわたりました ※※※

 

ほんとうに生きるということは、いつも自分は未熟なんだという前提のもとに平気で生きることだ。それを忘れちゃいけないと思う。

熟すということは、技能や熟練とは関係がないというのがぼくの信念だ。芸術は勿論、スポーツも歌も会話もすべて、下手なら、むしろ下手こそいいじゃないか。そう思って平気でやればいい。もっともっと下手にやろうと決心すれば、かえって人生がおもしろくなるかも知れない。むしろ、歌やスポーツや会話のうまいなんて奴にかぎって世間の型や基準のもとに決められちゃって、それに馴らされている人間だ。

だから、うまい奴ほど自分がどの辺の位置に入るのか、まず“基準”のほうを先に考える。

しかし、そんな基準なんて度外視して、下手なら下手なりに、自分は下手なんだと決意すれば、もっと自由な歌い方もできるし、スポーツにしても、ナリフリかまわず自由に動くことができるだろう。

下手ならなお結構、とはぼくが昔から言っていることだ。たとえば、うまいと評判の絵にろくな絵はないし、うまいといわれる歌にしても、ちっとも感動しない。

だからといって、自分からひき退って、ジメジメして下手であることを認めてはだめだ。そうじゃなく、自由に明るく、その人なりのユニークな下手さを押し出せば、逆に生きてくると思う。また、そのほうが人に魅力を感じさせる。たとえば、みんなから歌がうまいといわれている奴だって、自分はうまいけど、やはりあの人には劣っていると思っているものだ。

そういう人の前で、平気で下手に、明るく歌を歌ってやればきっとうらやましがられると思う。うまいという奴にかぎって、いまいったようにどこかにコンプレックスをもっているもので、むしろ下手なことを明るく自認すれば、コンプレックスをもたずにすむじゃないか。

岡本太郎『自分の中に毒を持て』【青春文庫】

 

大切なものは、大切にするほど、大切になる。

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過去に家なし生活をした。家も金も仕事もない状態で、人間は「楽しく快適に生きることはできるか」という問いを、自分を使って試した。結果、なくてもどうにかなることがわかった。当時の自分を、私は愛している。財産も名誉もあるから幸せ。これじゃ普通だ。財産も名誉も生きるために必要と言われているなにもかもがないのに、それなのに元気。そういう人間の方が、面白い。「あるから元気」は普通。「ないのに元気」が新しい。わたしは、逆が、好きだ。常識の逆を生きて、生きるために必要と言われていることのほとんどをガン無視して、それでも楽しく生きることができることを証明できたときに「ざまーみろ」と言ってやりたい。果たして、誰に、そんなことを言いたいと思うのか。謎だ。おそらく、自分を縛り付けてきた『何者』かに対し、クソガキな自分は、常に中指を立てているのだと思う。

 

音楽も似ている。「上手いから堂々としている」とか「受賞歴があるから堂々としているの」のは、普通だ。逆に「歌唱力がないくせに堂々としている」とか「半端なくヘタクソなのに死ぬほど楽しそうにしている」人間に、私は、魅力を覚える。なぜならば、その人自身が問いになっているからだ。普通、必要とされているものを備えていない人間が、それなのに『幸せそうに生きている』ことが、最高のカウンターパンチになる。そこを目指したいと思う。なんでこいつらは、こんなにダメなのに、楽しそうなんだ。幸せそうなんだ。と、そういう驚きを与えたい。公では歓迎されないこと、悪いとされているものを、肯定したい。自分のアイデンティティを『ある』ではなく『ない』に置きたい。なにかがあるからではなく、なにもないうえで『それでも人間は幸せに生きることができる』ことを、証明してみたい。

 

最高に素晴らしいGWを過ごした。野営をした。波に乗った。肉を大量に食った。涙をたくさん見た。友達の涙。自分の涙。初対面の人の涙。素晴らしい時間を過ごせば過ごすほど、あと、俺はどれくらい生きることができるのか、などと考える。人生は短い。すべてに終わりの瞬間がある。やりたくないことをやっている時間はない。死なないために生きるのではなく、自分を最大限に生かして、死にたいと思う。自分が生きている間に、残したいものはなにもない。ただ生きて、ただ死ぬ。それだけでいい。なにも残らなくていい。ただ、生きている時間、残された時間、どれだけ自分に深く刻みこめる『何か』に出逢うことができるか。それに関心がある。畢竟、面白ければ、なんでもいいのだ。大切なものは、大切にするほど、大切になる。長年愛用してきたものに『愛着』を覚えるように、自分という乗り物【感情】を、時にぞんざいに扱うこともありながらも、大切に扱って行きたいと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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LINE ID ibaya

涙が出るほど自由になりたい。

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三重県志摩市国府白浜にいる。サーフィンを初体験した。最高だった。「なんだこれは」と思った。こんなに面白いものが世界にあったのか。なぜ、誰も教えてくれなかった。承認欲求に殺されそうな人や、家族の問題、愛情不足、慢性的な閉塞感を覚える人は、是非、やったほうがいい。多分、全部、吹き飛ぶ。初体験でボードの上に(割と早い段階で)立てたことが自慢だ。自前のボードが欲しい。スーツは一着ももっていないし、欲しいとも思わない。しかし、ウエットスーツなら欲しい。葬式のときは「これが喪服です」とか言って、ウエットスーツで登場したい。

 

おおまかなスケジュール

5月4日 15時 EVENT@三重県志摩市「SURFERS HOME HANA」
5月5日 19時 EVENT@愛知県名古屋市「夜空と月のピアス」
5月6日-10日 FREE!【イベント出演依頼諸々募集中!】
5月11日 昼・群馬県伊勢崎市 夜・FREE!
5月12日-16日 FREE!【イベント出演依頼諸々募集中!】
5月17日 14時 EVENT@東京都杉並区西荻窪「hana」
5月18日以降、FREE!【イベント出演依頼諸々募集中!】
5月26日 15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「わたり食堂」
6月2日 15時 EVENT@千葉県千葉市「N-HOTEL」(詳細決まり次第更新)

坂爪圭吾 SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu

 

ibaya.hatenablog.com

 

いいねの数より「いね(去ね)」の数。

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トイレの落書き

 

野営をしながら移動をする。テントを張る。お湯を沸かす。それだけのことが、どうしてこんなにも楽しいのだろう。落ち木を拾う。枝を折る。着火する。焚き火を囲む。肉を焼く。それを食う。それだけの時間に、すべてが、ある。金がないから、食うものは質素だ。しかし、出会う人々が「これを食料に」と、様々な物資をくれる。おかげで、死なないでいられる。私が、青色と、赤色と、金色が好きだ。青と赤は、自分にある色。金色は、自分が『憧れている色』だ。数ある金色のうち、夕日が沈む時に放つ金色と、木々が燃えて炭化する直前に放つ金色が好きだ。

 

道中、高速道路のパーキングエリアで、タバコを吸った。iQOSの営業女性が「iQOSいかがですか」と執拗に勧めてきた。営業トークは大嫌いだ。わたしは「大丈夫です」と最初は菩薩風に答えたが、彼女があまりにも執拗だったので「どんな気持ちで仕事をしているのですか?」と聞いた。多分、彼女は、自分を『仕事ができる女』だとでも思っているのだろう。しかし、俺には、全部、バレている。その、下品な笑顔の仮面をいますぐに外せ。そう思った。営業トークとは何か。社交辞令とはなにか。愛想笑いとは何か。そういうことを思いながら「このひとになんて言えば気持ちが伝わるのだろう」と思い、一緒にいた保科さんと、しばらく検討をした。その結果、俺は、彼女に対して「死ね」と思っていることが判明した。

 

誰だって、過剰な営業トークにうんざりした経験はあるだろう。その際、どのような対応がベストなのか。愛想よく断ればいいのか。しかし、愛想よく断る限り、彼女は、謎の営業トークをこれから先も続ける。私には、彼女の振る舞いが、彼女を幸せにしているようには思えなかった。だから、私は「目を覚ませ!」みたいな気持ちを込めて「死ね」と言いたかった。お前はこんなもんじゃないだろう。と。いいねの数より「いね(去ね)」の数。それが一番大事。だが、こういうやりとりは、反動が大きすぎるためになかなかうまくいかない。うな垂れた私は、車内でMr.Childrenの深海を聞いた。深海は、個人的に『平成一番の名盤』である。【es】の歌詞に「それでも人が好きだよ」とあり、私は、繰り返し首を振り続けた。

 

note.mu

 

わたり文庫『すみわたる夜空のような』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、銀色夏生著作『すみわたる夜空のような』です。この本に「何かがだんだんあいまいに死んでいくようなつきあいよりも、すみわたる夜空のような孤独を」という言葉がある。わかる。めっちゃわかる。それにしても孤独な時期が長すぎて俺は頭がおかしくなってしまったよ、と、思う。仲良くなれるひとと、仲良くなれないひとの違いは、どこにあるのだろうか。自分と似たような孤独を抱えているひととは、仲良くなれるような、気が、する。孤独が、人間を結びつけるのだ。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、岐阜県にわたりました ※※※

 

「君へ」
 
君は好きなことを、
好きなふうにやるべきだ。
そのことが他人から見て、どんなに変でも、
損でも、バカだと言われても、
気にするな。
だって彼等は、君の願いを知らない。
君が何をめざし、
何に向かっているのかを知らない。
君は彼等とは違うものを見てるのだから。
あの、強い思いだけを、繰り返し思い出して。
そのことを忘れないで。
 
他人の説教やからかいなど気にせずに、どんどんやりなさい。
けして周りを見たらダメだ。
仲間はいないんだ。すくなくとも途中には。
君はやりたいように、どんどんやりなさい。
やりたいことを。
好きなやり方で。
その行為が同時に君を救うだろう。
その行為は同時に人をも救うだろう。
そのことを忘れないで。
 
銀色夏生「すみわたる夜空のような」【角川文庫】

 

涙が出るほど自由になりたい。

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国府白浜の夕日


男と女について考える。野営の際、女は、正直「足手まとい」になる。トイレがどうだの。シャワーがどうだの。虫がどうだの。だから、基本、置いていく。一緒に行きたいと言われても、邪魔になるから捨てていく。しかし、ひとりになった先、焚き火を囲みながら思うことは、その『女』についてだったりする。置き去りにしてきたものを、ひとりになった時に愛しさと同時に思い出す、自分はなんて身勝手な男なのだろうかと思う。置き去りにしてきたのは自分なのだが、自分もまた「置き去りにされている」感覚がある。片方だけをやることは、できない。傷つけるだけ、とか、傷つくだけ、とか、ない。ひとは、傷つけながら同時に傷ついている。そして、傷つきながら傷つけている。一蓮托生。加害者と、被害者はセットだ。

 

そして焚き火を囲む。ふと思う。俺は、落ち枝にとどめをさしているだけなのに、なぜ、これほど楽しいのか。燃える炎を眺めると、人間の一生を見ているような、気持ちになる。生きて、燃え、灰になる。灰になる直前、息をふきかけると、すべての木々は、黄金色に燃える。ゴールド。召される直前、誰もが、ゴールドになる。おつかれさまの、金メダルだ。遅かれ早かれ、我々は、輝く。遅かれ早かれ、我々は、金色になる。ひとは必ず死ぬということ。iQOSの販売員も、そう遠くない未来に、必ず、死ぬ。目の前にいる人間に対して「ああ、このひとも、遅かれ早かれ死ぬんだな」と思えば、大概のことは許せる。一同、同じ穴のムジナになる。

 

海岸に到着する。色々なことを思いながら、サーフィンを初体験する。大きな波が来る。初心者は、波に対して、直角にボードを構えてバドリングを続け、よし、波に乗ったと思えた瞬間に『飛び乗る』のだと、教わった。大事なことは、思い切りだ。思い切りが足りないと、失敗する。人生も似通っている。波が来る。態勢を整える。全力でパドリングを続け、よし、いまだと思った瞬間に『飛び乗る』。ひょいとボードの上に立ちあがり、しばらく、波の上を走る。生まれてはじめての体感が、全身を包み込む。言葉にならない。それほど長い時間は立っていられないから、絶叫をしながら海に落ちる。五月の海。冷たいが、最高だ。気がつけば、ガッツポーズをしている自分がいた。ガッツポーズのなかには、嬉しさや、楽しさが、ある。嬉しさと、楽しさ。音楽をやっていても思う。この曲はかっこいいなと思う曲は大量にあるが、この曲を聞いていると「うれしくなる」曲は、少ない。わたしは、楽しさと同時に『うれしさ』を、生み出していきたい。その生き方の先に、ガッツポーズが待っている予感を感じさせる、そういう言葉を生み出していきたい。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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LINE ID ibaya

楽しみたい。それだけだよ。

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横浜駅前にあるドトールにいる。明日から軽自動車に野営道具を積載し、男三人で三重県志摩市を目指す。道中「野点カンタービレ」と銘打ち、野点コーヒーをご所望される方に振る舞いたい。4日は海岸沿いでイベントが開催される。サーフィンも可能ということで、小生、生まれて初めてのサーフィンに挑戦をする。どうしても、チャラい印象を拭えなかったサーフィン。しかし、サーフショップを経営するY様の素晴らしい笑顔と「自然とコネクトする感覚が、たまらなく最高です」という言葉が魅力的で、トライを決めた。是非、あなたも一緒にやりませんか???

 

 

おおまかなスケジュール

5月1日~5月3日 軽自動車にテントを積んで、西方浄GO!
5月4日 15時 EVENT@三重県志摩市「around.HANA」(参加者募集中!) 
5月5日 19時 EVENT@愛知県名古屋市「夜空と月のピアス」(参加者募集中!)
5月6日-10日 FREE!
5月11日 昼・群馬県伊勢崎市 夜・FREE!
5月12日以降、FREE!

坂爪圭吾 SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu

 

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こどもの自分に、軽蔑されない自分になる。

自分が一番やらなそうなことをする。これは素晴らしいと思う。まさか自分がサーフィンをやるとは思わなかった。想定を超える出来事との遭遇。現実は、軽々と想像を超える。これはうれしい。一日一曲の日々は続き、50曲程度生まれた。一年前の自分に「お前、一年後、50曲つくってるぞ」と言ったら、びっくりするだろう。「俺って一体どうなってるの!?」みたいに、感じるのだろう。昔から、こどもの頃の自分に軽蔑されない大人になりたい、という思いがあった。私は、小さな頃から反逆的で、嘘くさい生き方をしているおとなを見ては「嘘くさいな」と思っていた。そんな自分に軽蔑されない生き方を、いまの自分はできているだろうか。

 

生き方に正解はない。だから、生き方に間違いもない。ただ、定期的に「俺の生き方は間違っていないよな?」と、誰かに聞いてみたくなる。そんな風に弱る時期がある。そういう時、私は、正しいと思われることをやる。道端のゴミを拾ったり、誰かに花をあげたり、家の水拭きをしたり、本を郵送したり。自分が生きていることが、誰かの迷惑になる。避けられない。自分の善意を、必ずしも善意として受け取られるとは限らない。恩を仇で返す。そんな言葉もある。因果応報。そんな言葉もある。私は、罪滅ぼしをするように、私は誰かに花を贈ったり、家の掃除をすることがある。そんなとき「ああ、これがあってよかった」と思う。自分は、いま、正しいことをやれている。ひとりよがりでも、そう思える時間には救いがある。

 

幾度も死にたいと思いながら、幾度も生きたいと思う。心電図のように揺れ動く軌道が、龍のように飛翔できる日を願う。なぜ、自分はこれまでの日々を生きることができたのか。それは、まぎれもなく『希望』があったからだ。希望は、あればうれしいという類のものではない。希望がなければ、生きていくことは難しい。それは空気のように、生きるために必要不可欠なものだ。死ぬ方向に向かう心を、生きる方向に向かわせるもの。なにかをやりたいと思える希望が、生きる糧になる。なにかを好きになる感覚、自分の好きを取り戻す感覚が、生きる方向に向かわせる。

 

note.mu

 

わたり文庫『本日順風』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、野田知佑著作『本日順風』です。人間、守りに入ると弱くなる。攻める。時には暴力さえも、肯定する。野点カンタービレ開催中、私は、ミルを持参する。このミルは、高知県の女性から譲り受けたものだ。彼女は言う。なんでこんなバカに俺はコーヒーを飲ませたんだって後悔したら、このミルで殴っていいからな。と。こんな言葉と一緒に、愛用していたミルを託してくれるひとと出会えた自分の人生を、素晴らしいと思う。与えられた困難は、工夫とジョークで乗り越える。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、東京都にわたりました ※※※

 

Q・この前、あるカヌークラブに入ろうと思い、行ってみたら、その会は入会金も会則もなんにもなく、何をやってもよろしいという。いつ誰でも入れるし、いつ辞めてもいいという、とてもでたらめな会でした。そんなだらしない会に入る気はせず、早々に辞退してきました。北海道のカヌークラブでちゃんとしたクラブを知っていたら紹介してください。

A君のような人間は死んだ方がいいと思う。会則のないクラブなんてとてもいいじゃないか。会則がないのなら罰則もないだろう。そういう会は理想だと思うがね。そういうのは「だらしがない」とはいわず「自由な」というのだ。

最近、方々にキャンプ場ができていて、そこに行った人の話を聞くと、ひどいものらしい。罰則だらけなのだ。

人を管理するのが好きという精神はそもそも病的なものであると知りたまえ。弱い人間は他人を管理したがり、規律やルールを好む。弱い人間ほど人間を拘束し、自分を縛るものがないと生きていけない。

ぼくはアウトドアにおけるあらゆる規則、制度に反対する。われわれの頭のなかにある人間としての良識で十分だ。それは「不文律」で、ことさら文章にしたりわめいたりする必要はなかろう。

規則や規律を強調する人間は、自分の良識のなさ、自制心のないことを告白しているのである。自分を縛る規律がないとやっていけない、というのはとても幼稚な精神だ。幼稚なガキは判断力や価値観がない。ルールがないと不安になる。だから自分の上に立って強く命令してくれる人を欲しがる、その結果、独裁者ができるという構図がある。自由になれない奴、石頭の教条主義者は死ね、というのが当、身の上相談の不文律である。

野田知佑『本日順風』【文春文庫】 

 

楽しみたい。それだけだよ。

ごちゃまぜの家の活動をやっていると「私も、居場所づくりをしたい」と話す人々と頻繁に出会う。誤解されると困るが、私は、居場所を作りたくてごちゃまぜの家をやっていない。居場所なんて、作りたくない。理由は、なんとなく、気持ち悪いからだ。これまで『自称・居場所づくり』の人々と複数会った。共通する印象は、誰かを救うことで、自分が救われたがっているという自覚の欠如である。わたしは、そういうことをやりたくない。自分がやりたいと思ったことをやっていたら、結果的に『それが誰かの居場所にもなっていた』みたいな状態を、理想だと思う。

 

教育関係者は「幼少期に、親から愛されることが大事」とか「親から愛情を受けていない人間は、おとなになっても他人を愛せない」とか、平気な顔をして、言う。私は、これが、許せない。そんなことがあってたまるか、と、思う。あなたの理論が正解ならば、孤児院で育った人間は、全員不幸ということになる。あなたは、誰かの幸せを願ってそれを言っているのかもしれないが、その言葉が、特定の境遇に置かれた人間の孤立感をより一層深めていることに、気がつかないのか。と、思う。私は、人間を信じたい。置かれた境遇を問わず、人間には『弾き返していく力』『切り開いていく力』があるものだと、信じたい。小さなこどもたちを見ていると思う。たとえ、この子達に親がいなくても、世間的には『恵まれない』と言われる環境にあろうと、人間そのものに宿る『かわいさ』『おろかさ』『たくましさ』に注目したいと、思う。これは、自分自身に対しても、まったく同じことだ。

 

親から愛されなくても、自分で、自分を愛していける。何かを好きになるとき、この世界を、捨てたもんじゃないなと思える。大事なのは、親からの愛じゃない。自分から湧き上がる熱情だ。なにかを好きになる気持ちだ。だから、何度も思う。愛されたいとか、愛されないとか、そんなことより、遊ぼうよ。遊ぶとき、我々は、愛を泳ぐ。遊びのなかで癒され、遊びの中で成長する。遊びのなかで鍛えられ、遊びのなかで創意工夫の経験を重ねる。時に、自分が消える。遊び、そのものになる。小難しいことを並べ立てながら、しかし、一番奥底にある感情は「楽しみたい」「愛したい」「生まれてきたことをよろこびたい」だと、思う。楽しいという気持ちの中に、全部、ある。時に、私は、罪滅ぼしをする。しかし、人生全体が罪滅ぼしであってたまるか。根底にあるものは『楽しみたい』『愛したい』『生まれてきたことをよろこびたい』という、思いだ。その方向に、帆を進めたいと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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LINE ID ibaya

すべてを知れば、すべてを許せる。

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菊名駅前のドトールにいる。5月4日に三重県志摩市で、5月5日に愛知県名古屋市でイベントに出る。わたしに人望がないために、来場予定者数はかんばしいの真逆にある。告知や宣伝があまり得意ではなく「誰も来なければ来ないで味わいがある」など、すぐに考えてしまう。が、それでは主催者の方々に申し訳ないと思う良識もある。三重界隈の方、愛知界隈の方、是非、連休の合間を縫って遊びに来てください。伊勢志摩では、教科書的なものを一緒に燃やして、背徳感を味わいましょう。

 

 

おおまかなスケジュール

4月28日 15時 定期期演奏会@わたり食堂【0円食堂】
4月30日 いばや野球部@芝公園野球場(参加者募集中!)
5月1日~5月3日 軽自動車にテントを積んで、西方浄GO!
5月4日 15時 EVENT@三重県志摩市「around.HANA」(参加者募集中!) 
5月5日 19時 EVENT@愛知県名古屋市「夜空と月のピアス」(参加者募集中!)

坂爪圭吾 SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu

 

誠実さ。

誰の言葉か忘れたが「人を雇う時に見るべきは、誠実さ、知性、エネルギーという3点だ。最初のひとつがなければ、残りのふたつがあなたを殺しにかかる」というものがある。ごちゃまぜの家をやっていると、様々な人々と出会う。最近の感想は『人間は、言葉だけで語ると思うなよ』ということで、そのひとの一挙手一投足、ものを扱う姿勢、背筋、足音、扉を閉める音、話し声のトーン、など、諸々の事象から「このひとはこういうひとなんだな」ということが、バレる。表現は、するものではない。気がついたら、してしまっているものだ。意図を超えているものだ。

 

言葉より、行動の方が雄弁なことがある。ごちゃまぜの家に、金を借りに来た男性がいる。彼は、返す、返す、と言ったまま、すでに約束を三回反故にした。彼は言う。今度こそは返します。と。口先を、信じることは難しい。信じられるのは行動だ。前に、なにかで読んだ「金を借りて殺されたやつはいない。しかし、金を貸して殺されたやつは大量にいる」と言う言葉を、思い出した。金は、貸すものではない。貸してくれと頼まれたら、貸すのではなく『あげてしまう』のが、良いのだろう。ブルーハーツの歌詞にある。誠実さのかけらもなく、笑っているやつがいるよ。この家は、考えさせられることが多い。たとえば「優しさとは何か?」など。

 

来客が来る。一人で来るのが怖いからと、友達を連れてきた。目が合った。眼差しから「ああ、俺と話したいんだろうな」的な雰囲気が伝わってくる。わたしは思う。欲しいものがあるのなら、自分から獲りに行け。誰かになにかをしてもらおうと思うな。越えてこいよ。と。複数名で来た人間と、話が弾んだ経験はない。なぜ、単独で行動しないのだろうか。人間がひとりでいる限り、個人としていられる。たとえ、どれだけ仲の良い友達だとしても、複数名が存在する限り『社会』は発生する。社会から離れたくてこの家に来たのに、なぜ、社会を引き連れてくる?という違和感を、わたしは抱く。こちらから話しかけることが、優しさなのか。優しさとは、何を意味するのか。そういうことを思いながら、日々を過ごしている。

 

note.mu

 

わたり文庫『あふれでたのはやさしさだった』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、寮美千子著作『あふれでたのはやさしさでした』です。こちらの本は、佐賀県在住の女性から「素晴らしい本を読んだので、わたり文庫に寄贈します」と、郵送していただいた一冊になります。みなさんは、少年刑務所にいる若者達に、どのような印象をもたれるだろうか。自分とは縁のない、モンスターが収容される場所、みたいな感覚だろうか。わたしは、どうしても、犯罪者というものに対して、シンパシーを抱く。彼らと、自分の間に、差異はないように感じる。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

 

※※※ こちらの本は、兵庫県にわたりました ※※※

 

くも

空が青いから白をえらんだのです

ひと目見て「なんと詩的な言葉だろうか」と思った。主語は省略され、タイトルがそれを示している。「空が青いから、わたしは白という色を選んで、空に浮かんでいるのです」という雲の一人称だ。

「Dくん、声に出して、読んでみてください」

すると彼は、下を向いたまま、ひどい早口でツラツラっと読んでしまった。不明瞭で、なにを言っているのかさっぱりわからない。

(中略)

「ぼくのおかあさんは、今年で七回忌です」

胸がひやりとした。どもりながらつっかえながらのDくんの話の要旨はこうだ。

「おかあさんは、体が弱かった。けれども、おとうさんはいつも、おかあさんを殴っていました。ぼくはまだ小さかったから、おかあさんを守ってあげることができませんでした。おかあさんは亡くなる前に、病院でぼくにこう言ってくれました。『つらくなったら、空を見てね。わたしはきっと、そこにいるから』。ぼくは、おかあさんのことを思って、おかあさんの気持ちになって、この詩を書きました」

寮美千子『あふれでたのはやさしさでした』【西日本出版】

 

すべてを知れば、すべてを許せる。

誰かが誰かを殴るとする。大概の場合、悪いのは『殴る側』だ。しかし、殴っている側に事情を聞いたら、彼は、こう答えた。「俺は、俺の親を、こいつに殺されたんだ。だから、俺は、こいつを殴っているんだ」と。すると、悪いのは『殴られている側』になる。しかし、殴られている側に事情を聞いたら、彼は、こう答えた。「俺は、俺の親を、こいつの親に殺されたんだ。だから、俺は、こいつの親を殺したんだ」と。この場合、悪いのは、一体誰になるのだろうか。我々は、どこを見て『いい』だの『悪い』だの、『ああ』だの『こう』だの、決められるのだろうか。

 

職場に、やる気のない人間がいたとする。多くの場合は「お前はダメだ」「お前は邪魔だ」「お前がいると迷惑だ」という態度を、彼に対して取る。しかし、彼は、数日前に自分の母親を亡くしたばかりだった。それを知った周囲の人々は、彼に対して優しさを見せた。思いやりを示した。誰にでも大変なときはある。だから、いまは無理をしないで、力になれることがあったら言ってね、と。彼にやる気がないという事実は、引き続き同じままだ。しかし、彼の周囲の反応は、情報ひとつで真逆になった。やがて、母親の死は彼の作り話だったことが、発覚する。優しさ、思いやりを示した人々は、真逆の反応をとる。彼は、信じられない人間だ。と。我々が、誰かに対して優しさを見せるとき、我々はどこまで知っているのだろうか。我々が、誰かに対して冷たくあたるとき、我々はどこまで知っているのだろうか。

 

すべてを知れば、すべてを許せる。そういう予感がある。ひとにはそれぞれ事情がある。なにかを許せないとき、それは、まだ知っていない何かがあるのかもしれない。彼が、こうなのは、こういう背景があったからだ。あるいは、許せないという気持ちを通して、誰かを思い続けているのかも知れない。自分のこども時代を思い出す。こどもは、親が、どのような親であっても「愛そうとする」生き物だ。守ろうとする生き物だ。愛されたいと思う生き物だ。そして、愛されたいように愛されなかった記憶が、悲しみとなって蓄積をする。悲しみを解き放つものは、何か。わたしは思う。それこそが優しさであり、人間の憂いであると、最近は考えている。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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どうでもよくなるんだよ。全部。

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菊名駅前のドトールにいる。最近はもっぱらテントにいる。雨は嫌いだが、雨音は好きだ。読書がはかどる。晴れた朝、鳥の鳴き声で目覚める。雀やウグイスが、テントの前で騒ぐ。わたしは凝視する。鳥は奇跡だ。こんな生き物を作り出した神様はすごい。テントに虫が侵入してくる。わたしは凝視する。懸命に壁を這う虫を眺めながら「こいつらも生きているんだよな」と思う。話しかけたい気持ちになる。

 

 

おおまかなスケジュール

4月26日~27日 FREE!
4月28日 15時 定期期演奏会@わたり食堂【0円食堂】
4月29日 FREE!
4月30日 いばや野球部@芝公園野球場(参加者募集中!)
5月1日~5月3日 軽自動車にテントを積んで、西方浄GO!
5月4日 15時 EVENT@三重県志摩市「around.HANA」(参加者募集中!) 
5月5日 19時 EVENT@愛知県名古屋市「夜空と月のピアス」(参加者募集中!)

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

やってるねえ。

友達から連絡がきた。詳細は省くが、彼は、現在深刻な問題を抱えている。不倫とか、横領とか、覚醒剤とか、関係ないひとが見たら「本当にやっているひとなんているの!?」みたいな気持ちになるのだろうが、結構、大量にいる。なぜか、そういう報告が、私のもとに集まる。他の誰かにはなかなか言えない話を、こいつなら聞いてくれそう(笑い飛ばしてくれそう)みたいな雰囲気が、私にあるのだろうか。打ち明け話を聞くと、わたしは「やってるねえ」と思う。どれだけ平和そうに見える人々も、内実、結構なものを抱えている。そう思うと、少し、愉快になる。

 

人間の性質に「やれと言われるとやらない。やるなと言われると、やりたくなる」というものが、あると思う。だから、禁止は、逆効果だ。不良少年は大量にいるが、彼らの一部は「規則に縛られているうちは本当じゃない」という言語化できない叫びを、暴れることで表現する。そういった意味で、不良は、優しい。本当に大事なことは、守れと言われたから守るような類のものではない。たとえ、周囲から「そんなものはただのゴミだ」と言われるようなことでも、自分から見たら、それがどうしようもなく輝いて見えるもの。前向きな意味で『大事にしたい』と思うもの。そういう、個人的で、特有の不文律を、信念と呼んだり、志と呼ぶのだろう。

 

なにかをおかしいと思う。その後の選択肢はふたつ。嫌だけど仕方がないから(みんなもやっているから)受け入れるか。嫌なものは嫌だと、反逆罪に問われても、牢獄にぶち込まれても、抵抗を続けるか。自分が嫌だと思うものを受け入れることは、自分が嫌だと思うものに加担をすることになる。なにかをおかしいと思う。おかしいのは自分なのか。おかしいのは社会なのか。おかしいのは自分だと思うと奴隷になる。あるいは、鬱病になる。おかしいのは社会なんだと思うと、革命家になる。あるいは、ロックンローラーになる。わたしは、後者の人間が、好きだ。周囲から「幸せだと思われること」と、自分が幸せになることは、違う。わたしは、前者を、無視することに決めた。理由は、単純。そのひとは、生きていないからだ。

 

note.mu

 

わたり文庫『水滸伝

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、北方謙三著作『水滸伝』です。全部で19巻あります。その、最初の一冊です。最高です。私の血は、これでできています。北方謙三が、前に、なにかのインタビューで「最後に食べたいものはなんですか?」と問われた際、彼は「俺の右腕」と答えました。9500枚に及ぶ原稿用紙を、すべて、万年筆で書き尽くした北方謙三の魂は、右腕に凝縮されている。それを、最後に、喰らいたいのだ。と。そう言った彼を見て「このひとはやばい」と思いました。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

闘って、死ぬ。勝てぬまでも、華々しく闘って死ぬ。数年前まで、私はそう思っていた。そうやって闘うことで、この国の民の心の中に、なにかを植えつけることができると。それでいいし、それだけしかできないだろう、とも思っていた。いまは違う。私は生きたい。闘って、生きて、そして勝ちたい。

北方謙三水滸伝』【集英社文庫】 

 

どうでもよくなるんだよ。全部。

ありがちな質問に「普段はなにをされているのですか?」がある。面倒臭い問いだ。そんなもの、なんでもいいじゃないか。学校では、大人になったらなりたい職業を書かされる。医者とか、アーティストとか、野球選手とか。しかし、医者になることよりも「どんな生き方の医者」になるかの方が、重要だ。しかし、そこが問われることは少ない。我々は、ドラマを見る。そして、心を震わす生き方をするものに感動をする。それは、彼が医者だったからではない。医者であるところの彼が、どのような生き方をしたのか。その『生き方』の部分に、魂は共鳴するのだ。

 

自分を貫く人間ほど、孤独だ。自分を生きるほど、周囲から浮き立つ。みんなと同じじゃないという、その一点において、迫害を受ける。非難を受ける。罵声を浴びる。疎外される。排除の対象になる。やがて、純潔な魂を持った人間ほど、自分を責めるようになる。おかしいのは、自分なんだ。と。みんなと同じことをやれない、みんなが当たり前にやっていることが自分にはできない、そんな自分は欠陥人間なんだ。そんな自分は生きている価値のない人間なんだ。と。そして、彼(彼女)は、自殺を選ぶ。肉体的な自殺の場合も、精神的な自殺の場合も、自殺は、自殺だ。わたしは、ここに、ストップをかけたい。そういう生き方をしたい。周囲から「ちゃんとやりなさい!」と叱られまくるひとに、わたしは、こう言いたい。即に、ちゃんとやっているじゃないか。ちゃんと自分を生きているじゃないか。と。

 

数日前、東京の新日本橋ジビエ料理をご馳走になった。K様は言う。坂爪さんを見ていると、全部、どうでもよくなる。そこがいい。いろいろなものがないはずなのに、図太く生きている姿を見ると、自分が気にしていることの全部が、どうでもよくなる。そういう雰囲気を、言葉から、人物から、感じるのだ。と。これを言われた瞬間は、うれしかった。まさに、自分が、そのようにあれたらと願うからだ。憂鬱を吹き飛ばすもの。小さなものを「ちいせえ」と言うもの。社会に蔓延する嘘に対して「嘘だ」と言うもの。気にしていることの全部を、問題と呼ばれていることの全部を「どうでもいいじゃないか」と吹き飛ばすもの。闇を照らす光。見よ、熱海の朝焼けを。この空を美しいと思える感性があれば、生きることは、楽勝だ。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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LINE ID ibaya

好きなように生きなさい。

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静岡県富士宮市コメダ珈琲にいる。長野では登山服を着た人々を、山梨ではバイク乗りの姿を大量に見た。登山者は、見ている方も清々しい。彼らは、これから自然に向かって歩き出し、険しい山道を越え、山頂で得る達成感を味わう。モノレールでは味わえないよろこびのため、自分の肉体を酷使する。出発する者の姿は、実際に歩き出した者の姿は、清々しい。春だ。出発が似合う男で、ありたいと思う。

 

 

おおまかなスケジュール

4月21日~27日 FREE!
4月28日 15時 定期期演奏会@わたり食堂【0円食堂】
4月29日 FREE!
4月30日 いばや野球部@芝公園野球場(参加者募集中!)
5月1日~5月3日 FREE!
5月4日 15時 EVENT@三重県志摩市「around.HANA」
5月5日 19時 EVENT@愛知県名古屋市「夜空と月のピアス」

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

逆縁の菩薩。

1日1曲作り続け、41曲ができた。相変わらず罵倒を浴び続け、毎日しっかり傷ついている。が、しかし、それでは批判がなければいいのかというと「違うな」と思った。賞賛以上に、批判や罵倒が自分を鍛えている感覚がある。いまに見てろよと奮い立てるし、調子に乗りそうな自分の鼻をへし折ることができる。同時に、いま、なにかに挑戦しているひとに寄り添うこともできる。もし、いま、なにかに挑戦をしながらも周囲から「お前はくそだ」「お前はかすだ」「お前はごみだ」などと言われているひとがいたら、わたしは、あなたに言いたい。俺も、同じだよ、と。そして「俺たちは、俺たちだ。一緒に頑張っていこうぜ!」ということを、思う。

 

自分を晒すメリットと、デメリットがある。デメリットはシンプルだ。それは「端的に傷つく機会が増えること」である。いろいろ言われる。その度に、しっかり喰らう。しっかりダメージを負うし、しっかり血が流れる。しかし、人前にさらさなければ絶対に鍛えられない筋肉がある、とも、思う。いま、それが鍛えられている感覚がある。よく、作品は「誰かに読まれた時点で完成をする」などと言うが、多分、その通りなのだろう。誰にも見られることのなかった作品は、まだ、完成をしていない。自分以外の誰かに見てもらうことを通じて、はじめて、作品は完成する。その意味で、創作者は自分だけではない。見てくれているひとも、確実に、創作に関係している。だから、ライブを重ねることができていることが、うれしい。

 

逆縁の菩薩という言葉がある。自分に厳しいひと、自分を悪くいうひと、自分をとんでもない目に遭わせたひとこそ、長期的に見ると「自分を成長させてくれた」重要人物であることがわかる。そういった意味の言葉だ。短期的には、むかついたり絶望したり死にたくなったりもするが、褒め言葉だけでも、罵詈雑言だけでも、多分、人間はダメになる。どっちも必要なのだろう。文章については、わたしは、誰からも悪く言われることはなくなった。初期の頃は、散々罵詈雑言を浴びたが、いまでは(言葉に関しては)なにも言われなくなった。が、音楽をはじめて、再び、罵詈雑言を浴びるようになった。この感覚が、懐かしい。たとえ魔法が使えて、いきなりすべてがパーフェクトになれるとしても、わたしは、その魔法を使わないだろう。へたならへたを、楽しみたい。ダメな人間が、現時点ではこの程度の人間が、一年後にはどこまでいけるのかということを、リアルタイムでお届けしたい。

 

note.mu

 

わたり文庫『思うとおりに歩めばいいのよ』

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、ターシャ・テューダー著作『思うとおりに歩めばいいのよ』です。わたり文庫、久しぶりの再開になります。こちらの本、昨日、山梨で開催されたイベントに来てくれた男性が「わたり文庫に寄贈します」と、託してくれた一冊になります。言葉も写真もターシャの魅力にあふれている、素晴らしい一冊です。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

これまで、よくやってきたと思いますが、みなさんにお伝えするようなメッセージはありません。もし、わたしに人生哲学のようなものがあるとすれば、ソローの言葉がいちばんよく代弁しています。「夢に向かって自信をもって進み、思い描いた人生を生きようと努力するなら、思わぬ成功を手にするだろう」。まったくそのとおりです。この言葉は、わたしの人生そのものです。

ターシャ・テューダー『思うとおりに歩めばいいのよ』【KADOKAWA

 

丸腰中年団のテーマ

www.youtube.com

 

なにかをはじめるときに、年齢を言い訳にするような生き方はやめよう。世間的には「どれだけ多くのものを増やすことができるか」の勝負をしているように見える中、自分だけは、みんながもっているものをもっていない。家とか、車とか、金とか、家族とか、恋人とか、社会的な名誉とか。しかし、私は、それでいいのだと思う。丸腰でいいのだと思う。生まれたときは丸腰で、死ぬときも丸腰だ。最初から、最後まで、丸腰で生きたいと思う。そういう『初心』みたいな歌になります。

 

note.mu

 

好きなように生きなさい。

なぜ、こういう生き方をするのか。なぜ、こういう生き方しかできないのか。そう言う風に、自分を責めることがある。自分を「ダメだな」と思うことがある。しかし、こういう生き方をしていなければ、絶対に発生しなかった出会いがある。その出会いが、これまでの人生を、まるごと肯定する。生きててよかったな、と、思わせてくれる。昨日、甲府でライブをした。参加者の男性が、別れ際、差し入れと一緒に一枚の手紙をくれた。ライブ終了後、ひとりになり、この手紙を読んだ。内容が超絶素晴らしく、あまりにも感動してしまって「生きててよかった」と思った。

 

こんばんは。いつもツイッター、noteを拝読させていただいてます○○と申します。

今日は、圭吾さんが甲府に来てライブをやるという知らせを見て、「会って圭吾さんを感じたい!」と思い参加させていただきました。私が圭吾さんを知ったのは約2年程前、社会人2年目の時に会社をやめ、自分が何をやりたいのかが分からなくなってしまっていた時、たまたまはてなブログの圭吾さんのページを開いたのがきっかけでした。何度も過去のブログを読みあさって、元気をもらいました。というか、勝手に自分の心が元気になっていました。私が圭吾さんの紡ぐ言葉や文字、音楽を通して、自分の中に芽生えた思いは、「飾らない自分でどこまで勝負できるか」というものでした。圭吾さんの言葉を借りると、純度、とか潔く嫌われる、あたりにかも知れません。自分語りが多くなってしまいましたが、今夜のライブ、楽しみにしてます。

追伸・ギターの弦とピックを入れておきました。圭吾さんの音楽の一部として、活用してください!あと、本を一冊いれておきました。今の自分には必要なくなったので、わたり文庫へ寄贈します。

 

歌いはじめてから、色々なことを言われるようになった。まるで「うまくなければ歌っちゃダメ」と言われているような、まるで「うまくないお前には歌う資格がない」と言われているような、そういう感覚を覚えた。しかし、私は、違うと思う。なぜ、歌うのか。それは「歌いたいから」以外に、理由なんか必要ない。それが得意だからじゃない。それが上手だからじゃない。歌いたいから歌う。踊りたいから踊る。走りたいから走る。作りたいから作る。生きたいと思うから、生きる。目的と手段は、本来、一致するはずだ。誰かのためとか、なにかのためとか、そういうものの一切はおまけだ。周囲のひとはとやかく言うが、もし、なにかをはじめたいと思う人がいたら、私は声を大にして言いたい。是非、やってほしい。と。我々は、誰かに認められるために生まれてきたわけじゃない。ただ、自分が生きたいと思う人生を生きるために、生まれてきたのだと思う。誰かがなにかをはじめる姿が、出発をする姿が、結果的に誰かを勇気付ける。結果的に誰かを元気付ける。そういう前向きな連鎖を、自分でも気がつかない間に、生み出しているのだと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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LINE ID ibaya

踊る。

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妙蓮寺駅前のドトールにいる。海外で様々な方々のご自宅にお世話になり、個室を与えられること、部屋にベッドがあることのありがたみを痛感した。いまは、基本、ごちゃまぜの家【誰でも自由に使える家】にいる。これまでは、全室、共有スペースとして開放をしていたが、自由に使える個室があった方が、利用者の方も「遠慮なく羽を伸ばせる」と思った。8畳の洋室を、完全ゲストルームとしてすごいいい感じに作り直したい。ので、ベッド探しの旅がはじまる。もしも「使っていないベッドがあるよ!」という方がいたら、ご連絡をいただけましたら幸いです。

 

おおまかなスケジュール

4月17日~18日 完膚なきまでにFREE!【横浜】

4月19日 放置していた原チャの回収【長野県大町市

4月20日  「音楽×トーク」イベント@【山梨県甲府市】
4月21日以降、原チャで関東に向かう(イベント求む!)

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

 

50%

ごちゃまぜの家にあるものは、基本、いただき物で構成されている。大袈裟な言葉で言えば「みなさまの善意」で成立している。無料で家にあるものを使え(食材含む)、無料で宿泊もできる。無料だから「この程度でいいか」というクオリティにするのではなく、無料だからこそ「無料なのにこんなに素敵でいいのですか!?」と、ちょっとびっくりしちゃうくらいの空間にしたい。理想は、子育て中のお母さんがこどもと一緒に立ち寄り、こどもをリビングに放置して(こどもの面倒は、家にいる他のひとが見る)お母さんはベッドでお昼寝をしちゃう、みたいな流れだ。 

 

最近、自分が自分の人生に関与できるのは「せいぜい50%」という感覚を覚える。昔、家なし生活をした。2年間の放浪の果てに、ブログ読者の方から家を購買していただくというドラマを経て、家なし生活は閉幕した。家を手に入れること。これは、自分の実績(?)であるようで、自分の実績(?)では、ない。自分にできることは、ただ、自分を生きる姿を見せること。それを見た周囲の人々が、たとえば、家を買ってくれたり、ごちゃまぜの家に食材や日用雑貨を送ってくれたり、イベントなどに呼んでくれたり、など、自分を「想像もできなかった場所」に運ぶ。私は、今、音楽活動開始二ヶ月になる。一年後、どこまで行けるのかを見たい。最大のモチベーションはこれになる。ただ、具体的にどのような場所に行けたらいいのか、というイメージはない。これは、家なし生活開始直後に「誰かに家を買ってもらえたらいいな」などとは、微塵も思っていなかったことと、似ている。

 

家なし生活を経て得た教訓は108個ほどある。ひとつは「自分をオープンなものにしている限り、人間は死なない」というもの。自分の場合、自分には家がない、自分には金がない、自分には仕事がない、など、普通だったら「こんなことは恥ずかしいから言えない」と思うことを、全部、出した。これが、多分、よかった。あの瞬間、自分は、この世で一番邪魔なものを捨てた。それは『見栄』だ。見栄を捨てると、どれだけ生きることが楽になるかを思い知った。同時に、世界の優しさを知った。何もない自分に、人々は、過剰なまでに優しかった。逆に言えば「自分をクローズにするほど、死ぬ」と思った。自分をオープンなものにしている限り、人間は死なない。逆に言えば「自分をクローズにした瞬間、死ぬ」のだと思った。では、オープンとは、なにに対して、オープンになることなのだろうか。クローズとは、なにに対して、クローズになることなのだろうか。それは『循環』だと思う。

 

 

flower

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flowerには、花、という意味に加えて「flow(流れる)」と「er(もの)」という意味(流れ行く者)もあるのではないか。花も、ロウソクも、海に沈む夕日も、流れ行くから素晴らしいのではないか。そして、我々の命も、やがては流れ去るものである。変わるものと、変わらないものがあって、それは「永遠に春のままでいることはできないけれど、春は、また来る」ことと似ている。どれだけ汚れても、濾過すれば透明。水は、水のまま。そんな感じのことを思い、この曲を作りました。

 

note.mu

 

踊る。

宇宙の基本は「まわる」だ。太陽もまわる。地球もまわる。時間もまわる。経済もまわる。血液もまわる。インとアウトを繰り返す。インだけではなく、アウトだけでもない。ストックだけじゃなく、フローだけじゃない。その営みが『循環』だ。自分を循環の中に置くこと。それが、循環を生きるということだ。想像してみて欲しい。いま、なんとなく調子が悪いと感じるときは「自分が、循環から外れているとき」では、ないだろうか。便秘で苦しいのは、周期が乱れているから。経済的に苦しいのは、決して、お金がないからではなく「自分がお金の流れから外れている」感覚を覚えるから。人生的に苦しいのは、決して、なにかが足りないからではなく「自分が世の中から疎外されている感覚を覚えるから」では、ないだろうか。

 

一般的には、大富豪とは「所持金の多いひと」というイメージがある。しかし、複数名の富裕層の方々と出会い「お金持ちとは、動かしているお金が多いひとのことだ」と感じた。溜め込むことではない。真逆だ。動かし続けること、常にリリースし続けること、だ。溜め込むことは、一見、身の安全を保証する行為に見える。しかし、では、どれだけ貯蓄をすれば安心できるのかというと、いくらあっても足りない、という感覚を拭うことは難しい。なんなら、常に、狙われる(喪失する・奪われる)恐怖に襲われる。どれだけ厳重な防犯をしても、防犯をするほどに「ここにはなにかあるぞ」と、泥棒たちは目を光らせる。ストックは、奪われる。しかし、人間からフローを奪うことは、できない。豊かなひとには、ストックの余裕ではなく、フローの余裕を感じる。彼らには「自分にもしものことがあっても、助けてくれるモノは無数にある」という、世界に対する安心感や、信頼感を、感じる。

 

自分の力でできるようになることが一人前。誰かに頼るのは半人前。そう言う価値観がある。ある局面では、おそらく、真理だと思う。しかし、別の側面では「真逆だ」と感じる。自分だけの力でなにかを成し遂げる。それは、強さではない。弱さであり、脆さであり、孤独であり、退屈であり、傲慢であるとさえ、言える。だから、聖書などでは「与えなさい」と言われるのだろう。同時に「受け取りなさい」と、言われるのだろう。与えることと、受け取ること。これらは表裏一体で、たとえるなら「宇宙と社交ダンスを踊る」みたいなものなのだろう。私は、ダイナミックと言う言葉が好きだ。ダイナミックな人生を望むなら、ダイナミックに集めるだけでは、足りない。金も、時間も、命も、真価を問われるのは「使い方」だ。ごちゃまぜの家を、音楽活動を、これからの日々を、いい感じのものにしたいと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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生きる。

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阪急梅田駅前にあるサンマルクカフェにいる。岡山と大阪のライブ出演を終えた。音源は聞くに耐えないけど、ライブだといいですね!もっと歌った方がいいですよ!という声をたくさんいただいた。嬉しかった。明日以降特段予定はない。ライブに出たい。場数を踏みたい。誰か「それならイベントを企画しますよ!」とおっしゃってくださる方がいたら、ご連絡をいただけるとうれしいです。規模は問いません。明後日以降は関東圏にいる予定で、来週末は長野県や山梨県界隈にいます。

 

 

おおまかなスケジュール

4月15日 俺なりの朝活【大阪】
4月16日 鬼の引越し作業@ごちゃまぜの家【横浜】

4月17日~18日 FREE!【関東】

4月19日 放置していた原チャの回収【長野県大町市
4月19日以降、原チャで関東に向かう(イベント求む!)

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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お客さん。

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最近、出会うひとに聞く質問がある。歌を歌うことと、絵を描くこと。あなたはどちらが好きですか???わたしの場合、完全に、歌だ。絵は、今世においては、見ているだけでいい。だから、美術館などにいっても、受け身で楽しむことができる。お客さんになれるのだ。しかし、音楽の場合、途端に話が変わる。どれだけ素晴らしい演奏を見たとしても、心の何処かで「ちっ」とか「けっ」とか、悔しさを感じている。反発心を覚えるのだ。ステージの上にいる演者を見ながら、なぜ、俺はステージの下にいるのだろうか、と、感じてしまう。お客さんになれないのだ。

 

歌を歌うこと。これは、目に見えないこと。絵を描くこと。これは、目に見えること。私の場合、どうやら、目に見えないことに、興味があるらしい。家を作りたい。そう思うことがある。自分で最初から最後まで建てた家に暮らせたら、愛着もひとしおだろう。だから、家を、作りたい。家を作りたいとは思うのだけれど、実際にやろうとすると、途端に「やっぱりいいや」となる。自分でやるよりも、誰かに作ってもらった方が楽だ。料理も同じだ。料理も好きなのだが、誰かが作ってくれるのならば「自分はそれを受け取っているだけでいい」と思う。しかし、これが、目に見えないものになると、話が変わる。誰かがつくった音楽だけでは、満足、できないのだ。だから、わたしは、悶々とする。ステージの上で演奏するひとびとを見ると「ちょっと変われ。歌うのは、俺だ」みたいなことを感じてしまう。

 

お客さんになれないことをやりなさい。そんな言葉を聞いたことがある。わたしの場合、絵や、写真は、お客さんになれる。これは好き。これは興味ない。そんな感じで、ただ、受け身で楽しむことができる。しかし、音楽は、違う。いちいち悔しくなるし、いちいち嫉妬をするし、いちいち反発心を覚えてしまう。わたしは、ここに、そのひとの本質があると思う。お客さんになれないことをやりなさい。自分が『嫉妬』を覚えるものをやりなさい。自分が『悔しさ』を覚えることをやりなさい。多分、その先に、隠された欲望の埋蔵金が、眠っている。わたしは、自分にも、他人にも、興味がある。だから、余談的な感じで「絵を描くことと、歌を歌うこと、どっちが好き?」みたいなことを尋ねる。そこから広がる会話がある。そのひとの『悔しさ』に触れると、うれしくなる。ああ、生きているなあ、と、思う。

 

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snows

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「過去の音楽を振り返る」ことをやりたい。初回は『snows』。大阪で演奏した。最初、この曲は思い入れのある曲だから、もっと練習して上手になってからお披露目しようと思い、やめかけた。こういうところが、自分には、ある。一般受けしそうな曲を選び、自信がないものは控える。しかし、そこを突破したいから音楽をやっているのだろうと一念発起し、この曲をやった。snowとは、本来、複数形になり得ない名詞だ。それを複数形にした。人間も同じだと思う。ひとりひとりは別個の存在で、完全な意味でわかり合うことは難しいことだと思う。それでもなお、誰もが「ひとつになりたい」という思いを、奥底に抱いているのではないだろうか。

 

note.mu

 

生きる。

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移動中は水滸伝北方謙三)を読んでいる。なぜ、自分はこんなにも水滸伝が好きなのだろうかと考えたら「みんな、死んでしまうからだ」と思った。登場人物たちは、生き方の格好よさもさることながら、死に方の格好よさも半端ない。わたしは、花が好きだ。ロウソクが好きだ。海に沈む夕日が好きだ。夕日を見ていると「終わっちまう」と感じる切なさに襲われる。すべての美しいものは悲しみを内包している。そういうことを思う。自分が嫉妬を覚える対象も、嫉妬を覚えている自分自身も、やがて、最後には土に還る。そこに例外はない。数日前までイタリアにいた。ヴェネツィアからミラノに向かう車両の中で、ふと、こんなことを思った。

 

楽器を取り上げられても、私は、歌うことをやめないだろう

牢獄にぶち込まれても、私は、歌うことをやめないだろう

口を塞がれても、私は、歌うことをやめないだろう

指先を粉々に砕かれても

両耳を引きちぎられても

眼球をえぐり取られても

喉もとを切り裂かれても

私は、歌うことをやめないだろう

人間から、歌を、奪うことはできない

歌うことを、止めることはできない

生きることを、止めることはできない

 

わたしの一部は「晴耕雨読」の生活に憧れている。自然の暮らしは、命に囲まれている。土の命。風の命。鳥の命。草の命。昼の命。夜の命。周囲に散らばる命を実感しながら、日々を生きることができる。都会の暮らしは、便利だが、命に囲まれている実感は薄い。やがて、最後は、土に還る。行き着く先はみんな同じだ。このことを思うと、わたしは、安心感を覚える。誰もが、みんな、最後には土に還る。そこに、命に対する『仲間感』を覚えるのだ。土に還ることを思うとき、自分という存在は「1」であり、同時に「0」でもあり、あらゆるものにもなりえるという意味で「♾」であることを感じる。『1=0=♾』という、不思議な等式が成り立つ。自分は自分であり、自分はなにものでもなく、自分はあらゆるものである。死ぬことを思うことは、自分にとって、非常に健全な行為だと感じる。別に、死にたい訳ではない。では、なぜ、わたしは毎日死ぬことを考えるのだろうか。それは「自然を感じたい」からだと思う。都会に残る最後の自然。それが『人間』だ。自然を感じたくて、命を感じたくて、わたしは、死ぬことを考えるのかもしれない。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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鎖国から開国。

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34歳の誕生日を迎えた。去年の今頃は、ハワイ島でごちゃまぜの家を作るために獅子奮迅していた。結果、プナ地区で自由に使える土地をご提供していただいたが、数日後にキラウェア火山が大噴火し、すべてが流れた。一昨年の誕生日は、ごちゃまぜの家を作るためにクラウドファンディングで支援金を募集した。結果、500万円近くの援助を受けて現実化した。今年の誕生日は、ちょっとまだここでは書ききれないことが起きた。一年でやれることは、大量にある。時の流れを思う。

 

 

おおまかなスケジュール


4月11日 関西空港到着以降、引き続き音楽武者修行

4月12日「音楽×トーク」企画@岡山県倉敷市鷲羽窯
4月14日「音楽×トーク」企画@大阪(阪急十三駅)

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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一ヶ月を振り返る。

3月頭から、1日1曲を目標に毎日音楽を作った。心理的な変化が著しい。これまで、音楽をやるということは「恐ろしいこと」だと感じていた。が、実際に恐怖の中にダイブをすると「恐怖は、ただの現実になる」ことを思った。この感覚は、家なし生活をはじめた時期と似ている。家がなければ、金がなければ、自分は生きていけないと思っていた。だから、常に「路頭に迷うようなことが起きたらどうしよう」という恐怖があった。しかし、実際に、家がなくなり、金もなくなり、恐怖はただの現実になった。怯える対象ではなく、ど真ん中を生き抜く対象になった。そして、恐怖は具体的な現実に形を変え、人生は意外とどうにかなることを学んだ。

 

note.mu

 

現状30曲作った。開始直後から否定的な言葉を散々言われ、なにかをはじめるときはこういうことが起きるのだなと学んだ。最初の数曲は、まず、声に自信がない。言い訳に溢れている。10曲近くなった頃、とりあえず周囲の目線は気にならなくなった。毎日投稿をする意義は、多分、ここにある。周囲からどう思われるか、みたいな不安は早々と姿を消す。そんなことよりも「いかに自分が納得できるか」に変わる。他人を憂慮する暇がなくなる。毎日やっていたら自分の中にストックはなくなる。ストックがない状態、自分がからっぽの状態で、創作に携わる何かしらを常に探している自分は、常に『飢え』た状態に置かれていた。おそらく、これがよかったのだと思う。目の前のヒントをパッと掴み、即座に形にする技術が磨かれた。

 

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30日が過ぎ、30曲が生まれた。振り返ると、まるで一年前のように感じる。日々の密度が濃い。このペースで行けば、1年で12年分生きれることになる。そうでもしなければ、遅咲きの自分はどこにも辿り着けないような気がする。同時に、これまでと同じことをやっていてもダメだと思う。これは確信に近い。これまでの毎日投稿は、言うなれば準備体操である。これからは、本格的なトレーニングが必要だ。私は、自分に約束をした。いまはまだズブの素人だとしても、お前が本気で生きるのならば、一年後にとんでもない景色を見せてやるよ、と。その景色の素晴らしさは、お前の本気と、比例をする。意識ひとつで、世界は変わる。お前が望みを抱き続けるのなら、その思いは実現をする。決意の凄みを見せてみろよ。これまでもたくさん奇跡を起こしてきたじゃないか。これからも、どんどん起こして行こうぜ。

 

鎖国から開国。

34歳のテーマは「鎖国から開国」。準備が整った。テレビ出演諸々、これまで避けてきた道を選びたい。本も出版したい。本物と出会いたい。そのためにも、自分自身が本物になりたいと思う。これまでと違う結果を求めるなら、いまの自分が「気持ち悪い」と感じること、抵抗を覚えることをやらないと、似たような結果にしかならない。基本的な姿勢は、面白いか、どうか。どれだけ痛い目に遭おうが、旧友と再会したときに「いやいや、こんなことがあってさ…」と笑い話になるのであれば、全部、ネタになる。全部、経験になる。全部、この星を生きた思い出になる。

 

毎日投稿をしながら、これは「捨てる」ことと同じだな、と、思った。自分にとって大事なものほど、どうしても溜め込んでしまう方向に向かう。それをグッ!とこらえて、大事なものほどリリースをする。一度、出してしまったものは、もう、二度と取り戻すことはできない。それが、いい。自然界を見ていると思う。例えば、花。我々は、花を、美しいと思う。しかし、あれは、人間で言うところの性器を露出して生きている、モロ出しの生命体だ。モロ出しが醜いのではなく、モロ出しが美しいのだ。そして、生物が排泄するものの数々。排泄物は汚いものとして捉えられがちだが、しかし、排泄されたものこそが、この地球を維持するための養分になる。言うなれば、我々は、植物の排泄物(酸素)によって、生命を維持している。溜め込まれたもので生きているのではなく、吐き出されたもので生きているのだ。

 

創作をすることは、よく、排泄行為にたとえられる。これは、無論、自分が気持ちよくなるためという意味合いもあるのだろう。しかし、同時に「世界の養分になるため」という意味合いもある。自分のなかに溜め込んでいるうちは、それは、誰のためにもならない。それが、どのような形であれ、外側に向けて吐き出された時に、なにかしらの意味を持つ。なにかしらの価値を持つ。捨てるということは、決して、無駄にするということではない。真逆だ。捨てることによって、開く、命がある。自分が生きていることが、なにかしらの種を撒き続けているような、そういうものになればいい。花が咲くのは、いまか、ずっと先のことなのか、それは誰にもわからない。ただ、自分は、開花する瞬間を夢見て、生きることなのだと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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自分を許す。

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グラストンベリーのチャリスウェルにいる。四月。新元号も発表された。切り替えの時期だ。イギリスは、いま、猛烈に晴れている。清算の時だ。少年時代が悪かったとか、家族とか、学校とか、昔の恋人が、とか、金がないとか仕事がないとか自信がないとか勇気がないとか能力がないとか、そんなことはもうどうでもいいのだ。過去や未来を気にすることより「この瞬間を遊べ」と自分に思う。躍動的に生きることが、一番の社会貢献になる。人生とは、すべてが自己責任の遊びである。

 



おおまかなスケジュール

4月3日~4月10日 ミラノ・ヴェネツィア界隈【イタリア】
4月7日 ✨✨✨✨✨坂爪圭吾34歳の誕生日✨✨✨✨✨

4月11日 関西空港到着以降、引き続き音楽武者修行【日本】

4月12日「音楽×トーク」企画@岡山県倉敷市鷲羽窯
4月14日「音楽×トーク」企画@大阪(最寄駅・阪急十三駅)

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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Chalice Well Garden

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Spring has come

 

セルフライナーノーツ

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自分を許す。

私は英語が流暢なわけじゃないから、外国人と話すときはそれなりに緊張する。イギリス人は格好いい人が多い。歩く速度も早く『颯爽』という言葉が似合う。一瞬構えるが、冷静に考えると「同じ人間なんだよな」という立ち位置に戻れる。見てくれや文化は違っても、同じ人間であることに代わりはない。夕日を同じように美しいと感じるし、野に咲く花を同じように綺麗だと感じる。心がある。壁をつくっているのは自分なんだ。そう思えると、不思議と、誰とでも話せるようになる。自分から、先に、壁を取り払えば「言葉を超えて仲良くなれる」感覚を取り戻せる。

 

英国で出会った日本人女性に「どうやって英語を覚えましたか?」と尋ねた。彼女は答える。英国人の彼氏ができて、彼と本気で喧嘩をするようになってから、語学力が向上した。喧嘩をすると、すごい悔しくなる。自分の言いたいことが言えなくて。それで、映画とかテレビを見ながら「あ、こう言えばいいんだ!」って思った言葉の真似をするの。ただの友達とかでは、喧嘩にならない。彼氏であることは大きい。セックスをしたからには、踏み込むぞ的なものがお互いに宿る。と。悔しさ。これが武器になる。悔しさ。これは完全なる『実感』である。正しい英語勉強法にのっとった学習法ではなく、完全なる怨念、完全なる私怨、完全なる復讐心に支えられた意思は、岩も破る。感情は、抑えるものではなくて乗りこなすものだ。感情に支配されるのではなく、感情をうまいこと使いこなせば、英語も話せる。音楽も作れる。バンド結成一年後には武道館に出ることもできる(希望的観測)。

 

英国在住の人々とたくさん話した。一番多く耳にしたのは「日本自重しすぎ」とか「日本は他人に攻撃をしすぎ」とか、そういう言葉だった。周囲の目を気にするあまり、自分の思う通りに生きられない。そればかりか、自分を生きることよりも「他人を攻撃すること」に主力が削がれていて、お互いが厳しく監視し合う世の中になっている。英国では、公共の場でこどもが騒ごうが、誰も、なにも言わない。日本は、多分、すごい言われるのだろう。それで母親が萎縮して、ストレスを抱え、抱えたストレスがこどもに行く。職場でフラストレーションを抱えた父親は、家にそれを持ち帰る。全部、こどもに行く。全部、こどもに行くのだ。抑圧が日常になりすぎている。抑圧と解放はセットだ。抑圧されているものが大きければ大きいほど、解放された瞬間のエネルギーは大きい。ゴッホの絵など、その、代表格だ。日本は抑圧されまくっているマイナスがあるかもしれないが、ひっくり返ってプラスに転じた時、とんでもないパワーを発揮するだろう。抑圧と解放。精神的なちゃぶ台返し。音楽を通じて、魂のちゃぶ台をひっくり返したいと思っている。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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人生とは、自分を楽しませることである。

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ブリストルを経由してチェダーにいる。「チェダーチーズ」の、チェダーだ。不思議だ。出会うひと、出会うひと、パンクだ。自分が音楽をやっていることを伝えると、こんな本を授かった。いま、チェダー在住の方のご自宅にお邪魔をしている。家主の女性は、高校生の頃、セックスピストルズを聞いて衝撃を覚えた。それから、ラモーンズなどを好んで聞くようになったのだ、と。あなたと話していたら、若き日を思い出して、なんだかわくわくしてきちゃった。家主の女性F様は言う。

 

 

おおまかなスケジュール

3月28日~4月2日 FREE!@グラストンベリー界隈
3月31日 わたり食堂【0円食堂】(帰国不可能)
4月3日~4月10日 FREE!@ミラノ・ヴェネツィア界隈
4月7日 ✨✨✨✨✨坂爪圭吾34歳の誕生日✨✨✨✨✨

4月11日 関西空港到着以降、引き続き音楽武者修行【日本】

4月12日「音楽×トーク」企画@岡山県倉敷市鷲羽窯
4月14日「音楽×トーク」企画@大阪(最寄駅・阪急十三駅)

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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YOUTUBEで家を建てる。

F様は、自分の家を自分で建てている。大工経験者、という訳ではない。壁の破壊や配管工事もお手のもので、どうやってやり方を覚えたのか尋ねたら「YOUTUBEを見た」との返答が。すごい。いまはYOUTUBEにすべてのノウハウがあるのだ。一緒に夕食を食べながら、教育論に話が及んだ(F様にはこどもが二人いる)。F様は問う。あなたは、まだ、独り身だから自由がきくかもしれない。今世は、このまま、結婚をしないでいく予定なの??と。わたしは答える。別に、結婚をしたくないとは思わない。こどもも大好きだ。ただ、自分がこんな人間なので、こどもが生まれたら「俺のこどもに生まれたのが運の尽き」という前提で子育てをしたい。

 

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自分のこどもに生まれたのが運の尽き。この親(要するに、自分)は、学費は出さないかもしれない。数万円もするランドセルを買うかわりに、中古屋の安いカバンを買って「これで行け」とか言うかもしれない。それで学校側に怒られたら、そんな学校は行かないでもいい。教科書を燃やせ。YOUTUBEでことは足りる。算数なんてできなくていい。足し算、引き算、掛け算、割り算は、頑張れば三日でいける。これは俺が教える。残りのすべては、自力で学んでくれ。そして、我が家では「10歳成人説」を採用するので、そのつもりでこれからの人生を生きてくれ、と、そんなことを言いそうな気がする。こども側も、最初は「なんで我が家はみんなの家と違うのだろう」という悩みを持つ時期があるだろう。が、最終的には「あんなおやじでよかった」と、思われるような父親になりたいと(勝手に)思う。

 

note.mu

 

この価値観が一致する女性と出会えば、別に、結婚は「諦める対象」ではなくなる。私は、たまたま、神奈川県横浜市港北区でごちゃまぜの家という「誰でも自由に立ち寄れる家」というものをやっている。だから、こどもが生まれたら、ごちゃまぜの家で放し飼いをして「その場に居合わせたひとに子育てをしてもらう」などの方法も選べる。こどもひとりに、最低、おとな三人は必要だ。父親と、母親と、だけではパンクをする。あ、ここでもパンクという言葉が出てきた。パンクの精神は好きだが、生活がパンクをすることは嫌いだ。みんなで育てる、という言葉は頻繁に耳にするけど、実際、まだまだ達成されているレベルは低いと思う。どうせなら、文字通り「みんなで育てる」ということをやってみたい。垣根を取っ払いたい。などということを考えながら、価値観が一致する女性と出会ったことはないので、わたしは独り身を続けている。結婚しても、しなくても、どちらでもいい。

 

 

「オニキス」「いまが、いますぎて、いま」

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人生とは、自分を楽しませることである。

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いま、やりたいことが三つある。「音楽」と「英語」と「お笑い」だ。私は、音楽とお笑いに救われてきた。青年期、自分の社会不適合っぷりに嫌気がさして「俺は生きるのに向いていない」と五億回は塞ぎ込んだが、都度、音楽とお笑いに助けられた。英語を習得したい理由は、まず、自分が書いた文章(「ホームをレスした話」など)を英訳したら、海外の人々にも面白がってもらえると思ったからだ。そして、せっかく音楽をやるならば、日本だけではなく「海外の人々にも面白がってもらえるものを」と思った。打倒ピコ太郎、である。と、ここまで書きながら、自分には、誰かに面白がってもらいたいと願う気持ちが強烈にあることを自覚した。

 

note.mu

 

日本もハワイもイギリスも、こどもたちはYOUTUBEに夢中だ。国を問わず、こどもの夢は「YOUTUBERになること」だ。だから、私も、自分は音楽とお笑いでYOUTUBERになりたいと思っている、みたいな話をするとこどもたちの食いつきがすごい。現在、自分の優先順位第一位は音楽で、1日1曲作る日々を過ごしている。これと同じ感覚で、1日1コントを発表し続ける動画を配信しまくれば、ひょんなきっかけで華々しいブレイクを遂げるかもしれない。継続は力なり。今月は音楽に集中する。これは、ひとつのドキュメンタリーだと思っている。まったくの音楽素人の男性が、1年間、創作をしまくる日々を経た果てに、どのような未来が待っているのかを、みなさまにお楽しみいただけたらと思っている。自分で言うのもあれだが、一年後、誰も想像できなかった場所に自分は立っている気がするのだ。

 

ameblo.jp

 

私が、人生で一番音楽に感動をしたのは、中学一年生の時だ。たまたま立ち寄った服屋で、あるロックバンドの音楽がたまたま流れた。私は、それを聞いた瞬間、もう服を買うどころの騒ぎではなくなり「なんだこの音楽は!」と、しばらくそこを動けなくなった。この、誰にでもある初期衝動のようなもの、これは、年齢を重ねるごとに薄れていくものだと思っていた。が、違った。初期衝動は、常に、自分の中で眠っている。月並みな言葉だが、私は、どうせ生きるならば「かっこ良く生きたい」と思っている。乱暴な言葉を使えば「飼い慣らされてたまるか」と思っている。正しい人間になろうとするのではなく、面白い人間になりたいと思っている。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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本気を出せないことと、孤独になれないこと。

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ロンドンにいる。現在お邪魔しているご家庭の女の子(推定10歳)が、尋常ではなく可愛い。容姿もモデル並みで、なぜか、最近ことあるごとに「Don't judge me!!」と叫ぶ。意味もなく叫ぶ。彼女の語尾みたいになっている。母親「今日のお昼はなににする?」娘「ピザ。ドンジャッジーミー!」みたいな、意味がわからなくてわたしは笑う。ドンジャッジミー。彼女は美しく、ユーモアのセンスがある。美しいものに囲まれていると「自分は間違っていない」と思える。そして、ユーモアのある人々に囲まれていると「間違っていたとしても構わない」となり、最強となる。

 

 

おおまかなスケジュール

3月27日~4月2日 FREE!@グラストンベリー界隈
3月31日 わたり食堂【0円食堂】(帰国不可能)
4月3日~4月10日 FREE!@ミラノ・ヴェネツィア界隈
4月7日 ✨✨✨✨✨坂爪圭吾34歳の誕生日✨✨✨✨✨

4月11日 関西空港到着以降、引き続き音楽武者修行【日本】

4月12日~13日 音楽武者修行@岡山県倉敷市
4月14日「音楽×トーク」企画@大阪(最寄駅・阪急十三駅)

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

本気を出せないことと、孤独になれないこと。

現代病があるとすれば、それは「本気を出せないこと」と「孤独になれないこと」が原因にあると思った。楽な道を選ぶことが、必ずしも自分を幸福にするとは限らない。私は思う。人間、生きている限り「自分の本気を見てみたい」という思いを、心の底に抱いているのではないか。少なくとも、自分は、そうだ。命を燃やすような瞬間を生きたい。自分は、これのために生まれてきたのだと、歓喜に声をあげて泣くような瞬間のど真ん中を、生きたい。頑張るという言葉は窮屈だ、という雰囲気が世の中にはあるけれど、でも、本心では「頑張りたい。頑張れる何かを見つけ出したい」と思っているのが、生きているものの本音なのではないだろうか。

 

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孤独について考えていた。私は弱い人間で、基本的に常に単独で行動をする。なにをするにしても、常に、ひとりだ。それを見て、私を見た人々は「ひとりで生きる強さがあっていいですね」と言う。私は思う。それは、逆だ。ひとりでいることは強さではなく、それは『ひとと生きることができない弱さ』だと思う。無論、何事も最初はひとりからはじまるものだ。私は、みんなでやる、という言葉をあまり信用していない。誰かがやるから自分もやる、ではなく、誰もやらないとしても自分はやる、ひとりでもやる、と、そう思えることの中に自分の本質があると思っていた。ひとりで生きて、ひとりで死ぬこと。それが男の人生だ、と、思っていた。 

 

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こんな感じで凝り固まっていた自分の思いを溶かしてくれたものは、女性の存在だった。柔らかくしなやかな女性に出会うと、自分の中にある弱さが露呈する。ひとりで生きる強さとは、決して、最初から最後まで自分一人だけの力で成し遂げるための力ではない。それでは、いつまでも、孤独なままだ。それでは、いつまでも、寂しいままだ。それでは、いつまでも、臆病なままだ。ひとりで生きる強さとは、その力を通じて『他人と繋がるため』のものである。最近は、そう思うようになった。最初は、無論、ひとりからはじまる。しかし、そのひとりとは「やがては、ひとりではなくなるため」のひとりである。ひとりで生きるための強さではなく、誰かとつながるため、仲間、友達、家族、それらと出会うための『ひとり』なのだ。

 

 

「Overdosed」「Loneliness is Mine」

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ひとりで生きる強さより。

闇があるということは、光があるということだ。闇がないということは、同時に、光も存在しないということだ。だから、自分の中にある孤独、孤独に限らずとも「ネガティブだと思われるようなもの・悪いものとされているもの」の中に、力強く輝く『光』は、常に内存しているのだと思う。だからこそ、自分の中にあるすべてのものは、宝になる。自分を鍛える宝になるし、自分を引き出す力になる。良い部分だけを見せようとするのではなく、悪い部分もすべて、自分のなかにあるものをまるごとひっくるめて「これが自分です」と差し出した時に、綺麗なだけではない、それでも『美しい』と思えるなにかが宿る。これが、おそらく、生命の力だ。 

 

自分の役割は「整える」ことにあると思っていた。人間、チューニングが乱れると体や心が不調をきたす。逆に言えば、チューニングさえ整えることができれば、人間、誰もが本来の調子を取り戻す。だから、自分は「整える」ことに注力すればいいのだと、そんなことを思っていた。熱海や横浜の家も、その場にいることでなにかしらが「整う」ことが期待される調度品を揃えた(というか、譲り受けた)。誰かと会う時も、聞き役に徹することが多かった。しかし、最近は次のフェーズに突入したことを感じる。それは「暴く」ということだ。整えるだけでは、先に行けない。整えることが悪いのではなく、整えたあと、の、話、だ。社会に蔓延する嘘、あるいは、自分につき続けてきた嘘の数々、を、暴きたい。そういう思いがある。この矢印は、内側にも、外側にも、同等のエネルギーをもって強く開かれている。

 

「愛されたい」という嘆きを耳にすることがある。もっと親から愛されたい、とか、もっと恋人から愛されたい、など。私は思う。愛されることが、まるで『人生のゴール』みたいになっていることに違和感を覚える。無論、愛されないより、愛された方が嬉しいに決まっている。しかし、愛されるということは、ただの副産物だと思う。肝心なことは、愛されたうえでなにをやるか、ではないだろうか。私は、私を暴きたいと思う。自分を驚かせていきたいし、自分を裏切っていきたい。「これが自分だ」と思っていたものを飛び越えて、新しい自分を発掘したい。本当のことに出会った瞬間、思わず笑ってしまうことがある。整えるだけでは、笑いは起こりづらい。暴かれたとき、思わず笑ってしまうことがある。なーんだ。自分は、こんなことで悩んでいたのか、とか。なーんだ。自分がやりたいと思っていたことは、結局そういうことだったのか、とか。暴くと言う言葉は暴力的な響きを帯びるが、最終的には「清々しい風を吹かせる」最高のものだと、私は思っている。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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愛と感謝の先に行く。

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ロンドンにいる。二ヶ月前、グラストンベリーという場所で血を吐きながら「死ぬかも」と思った。いま、時は流れて体調も戻り、傍目には死ななかった人間として存在している。しかし、あの時、自分は一回死んだのだ。一回死んで、生まれ変わった。逆に言えば、自分は、死に遅れた人間になった。尾崎豊のように、カートコバーンのように、若くして死ぬことのできなかった「死に遅れた人間」の凄みを、自分に感じる。生きる凄みを、誰にともなく、見せつけてやりたい気持ちになる。

 

 

おおまかなスケジュール


3月24日~25日 FREE!@ロンドン
3月26日 「音楽×トーク」企画@ロンドン(Bond Street)

3月27日~4月2日 FREE!@グラストンベリー
3月31日 わたり食堂【0円食堂】(帰国不可能)
4月7日 🎁🎉✨🎂💝坂爪圭吾34歳の誕生日💝🎂✨🎉🎁

4月11日 関西空港到着以降、引き続き音楽武者修行【日本】

4月12日~13日 音楽武者修行@岡山県倉敷市
4月14日「音楽×トーク」企画@大阪(最寄駅・阪急十三駅)

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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欲しがる力。

昔から、無印良品ユニクロが嫌いだった。理由は不明だった。ただ、これを自分の人生に採用したら「自分が死ぬ」という感覚が強くあった。現在、ロンドン在住S様の家に滞在している。S様は言う。多分、いま売れっ子のアーティストも、売れる前は結構尖った部分があったと思うの。でも、人気が出ると、大衆にあわせちゃうから、尖っている部分がなくなるのよね。尖っているものが世の中にたくさんある方が、みんな豊かになるのよ。だけど、いまって「これが楽しさです」みたいな感じで、まるで離乳食みたいに「噛み砕かれた楽しさ」だけが提供されたりするじゃない???テレビとかさ、視聴者をバカにしているって思うのよ。離乳食ばっかり食べてたらさ、かみごたえのない、薄っぺらい人生になると思わない???

 

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S様は続ける。みんなが好きになるものを好きになることのダサさ、ってあると思うの。無印とか、ユニクロとか、そういうものに象徴されているものが、あたしはいかんのだと思うの。あたしは坂爪さんより年齢が一回り上だけど、いまは「誰も目指さない50になりたい」って思っているのよ。岡村靖幸が大好きで毎晩動画見て興奮しているんだけど、彼、50を超えても全身スーツでビシッ!と決めて、キレッキレの踊りをするの。何回も逮捕されたから、突き抜けた部分があるのだと思う、彼。自意識を超えているっていうか、彼を見ていると「俺はこれでいいのだ!感」が半端ないのよ。だから、こんなにも惹かれちゃうのよ。やっぱり、人間、遠慮しちゃダメね。遠慮は美徳みたいな考えがあるけど、美徳じゃなくて冒涜よ。遠慮することは、自分に対する冒涜であり、自分に対して失礼なことだと思わない???

 

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途中、S様の娘様の話になった。娘はお菓子が大好きだ。娘に食べられないように、S様はお菓子を娘の手の届かない戸棚に隠していた。が、まだ、よちよち歩きをしていた頃の娘は、お菓子欲しさに「イスを駆使してテーブルによじ登り、戸棚を破壊してお菓子を奪う」偉業を成し遂げた。まだ、歩くことさえできないのに、である。よく、我々は、なにかをするためには技術や準備が必要だ、みたいな話をする。しかし、欲しがる力は「できる・できない」を超える。なにか新しいことをするときに、技術が足りない、知名度が足りない、勇気が足りない、などと、そういうことを気にすることがある。しかし、もっとも足りていないものは「欲しがる力」ではないだろうか。欲しがる力があれば、人間、できる・できないを超える。

 

「クリムゾン」「ジャンクボックス」

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「愛と感謝」の向こう側。

私はS様が好きだ。理由は「愛や感謝の先に行こうとする」姿勢を感じるからだ。愛。感謝。素晴らしい概念だ。しかし、私は、愛こそすべてとか、全部愛なんだよ、などと言う人を見ると「薄っぺらいな」と感じる。そこに、話し手の実感を感じない。なにかを言っているようで、なにも言っていない気がする。愛や感謝に着地することは、死ぬほど簡単だ。しかし、愛や感謝は、時に『現状維持を助長する』ことになる。仕事があるだけ感謝だよ、とか、嫌いなひとでも愛していこう、とか、耳障りはよいけれど『自分が変わっていく必要』がなくなる。なにかあると、すぐに「愛」とか「感謝」とか言う人を見ると、止まっているな、と、思う。

 

S様は、愛とか、感謝とか、そういうことをあまり口にしない。しかし、そんなS様に「愛や感謝がまったくない」のかと言ったら、真逆だ。私は、愛とか、感謝とか、そういう言葉を軽々しく口にしないS様から、深い愛情の持ち主であることを、深い感謝の持ち主であることを感じる。それは、きっと、常に「愛とは何か?」という問いを持っているからだと思う。答えをもっているひとは止まっていて、疑問をもっているひとは進み続ける。進み続けるということは、深みをましていくということだ。愛とはこれだ、という答えをもっているひとは、その愛にしがみつき、最悪の場合は「愛しているって言ったじゃない!」などと喚き、愛を理由に相手を責める。愛は、多分、そういうことではない。最近思う。人間は、人間を愛することはできないのではないか。人間にできることは「愛を感じること」までだ。自分が、過去に、愛することができていたか、それを確かめる手段はない。しかし、あの瞬間、間違いなく「愛はあった」と感じる瞬間ならば、無限にある。

 

音楽と言葉の間にあるもの。それは『音』だ。わたしは、音が好きだ。だから言葉を綴り、だから音楽を続ける。33歳になってから音楽活動をはじめた、などと思っていたが、最近では「もしかしたら、自分はずっと音楽をやっていたのかもしれない。ただ、そこに、リズムやメロディーがなかっただけだ」と思う。生きているということ。リズムやメロディーがないだけで、もう、それ自体が音楽なのだ。毎日音楽をつくるということは、頭が張り裂けそうな作業になる。しかし、頭が張り裂けることを避ける理由が、自分にはない。死に遅れた自分には、頭が張り裂けることを厭う理由が、なにもないのだ。これはいいな、と、空を見上げたら笑えた。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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共感するな。尊敬しろ。

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ロンドンにいる。最近思う。わたしは男性で、女性であるミユさんとバンドを結成した。だからこそ、自分の役割は「男を徹底すること」だと思っていた。自分が男を徹底し、ミユさんが女を徹底する。そのことで生まれる相乗効果が、音楽に力を与えるものだと思っていた。しかし、この考え方が間違っていた。真の出会いは、性別を溶かす。男がどうとか、女がどうとか、そういうものが消えた。自分は性別にとらわれ過ぎていた。そして、そこから自由になった。男も、女も、ねえのだ。

 

 

おおまかなスケジュール


3月22日~25日 FREE!@ロンドン
3月26日 「音楽×トーク」企画@ロンドン(Bond Street)

3月27日~4月2日 FREE!@イギリス界隈
3月31日 わたり食堂【0円食堂】(帰国不可能)
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性別を超える。

ミユさんはすごい人間だ。出会うたびに衝撃がある。この二ヶ月で、我々は四回あった。一回目は「出会いの衝撃」を、二回目は「バンド結成お誘いの衝撃」を、三回目は「バンド名決定の衝撃」を、四回目は「バンドの方向性の衝撃」を、わたしに残した。会うたびに、決定的な何かが定まっていく。普通の人が五年は要するようなことを、五日間程度で決めてくる。スピードが容赦ない。自分も、自分なりにスピードは早い方だと思っていた。しかし、桁違いの人間を目の前に「あたしゃあなたに完敗です」と低頭する。ジョンが、ヨーコに会ったときもこんな感じだったのだろうか。出会うべきひとに出会うとき、すべての加速度が飛躍的に向上する。

 

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女性と何かをやる。そのとき、男である自分は「男が引っ張っていかなければ」などと勝手に構える。しかし、もう、そんな必要はないのだ。ミユさんと色々話したなかで、タロットの『THE WORLD』のカードが脳裏をよぎった。タロットには、言葉と(その言葉の意味をあらわす)絵が描いてある。普通、世界と書かれたカードには、地球の絵とか、宇宙の絵とか、そういったものが描かれていそうなものだ。しかし、タロットにおける世界観は、違った。『THE WORLD』には、男と、女が、混ざり合って一体になっている絵が描かれていた。このカードは『完成』を意味するらしい。男も女も消えてなくなり、ひとつになる。ミユさんと話しながら感じた衝撃は、このカードの感覚に近い。自分は、もう、男でも、女でも、ない。

 

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ミユさんは言った。性的な部分は、ナチュラルに残るものだ。女性を意識しなくても、自分は女性なのだから「結果的に出てしまう(残ってしまう)女性の部分」はあとから勝手についてくる。これは、きっと男性も同じだと思う。だから、性別を前提に物事を決めるのではなく、そういうものを全部飛び越えて、ただ、自分がやりたいことを自分のやりたいようにやればいい(自分にやらせてあげればいい)。と。こういった会話を交わしながら、わたしは、自分のやりたいことにOKを出せていない自分の姿を見た。これは、きっと自分だけではないだろう。やりたいことをやっているように見えて、実は、その人自身が一番やりたいことに関しては、なにかしらのセーブをかけている。この『セーブされていた部分』が、ミユさんとの会話によって、明らかになった。わたしは、ロックンロールがやりたかったのだ。

 

「flow/er」「エクスプローラー」

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共感するな。尊敬しろ。

ミユさんは文章を書く。それをSNSに投稿する。すると、コメント欄に「共感しました!」などと書く人々が登場する。誤解を恐れずに言うと、共感という言葉をたやすく使ってんじゃないよって思う。お前はミユ様に共感できるレベルにはまだまだ達していないだろう。自分だったら、とてもじゃないけれど「共感しました」なんて恐れ多くて言えねえぞ。共感するな。尊敬しろ。忠誠を誓え。ばか。ということを思う。この話をすると、一定の人々は爆笑してくれるが、一定の人々は「まあ、あなたってひどいひと!」とGone with the windする。たとえば、自分は「あなたのファンです!」と言われることを嫌う。俺のファンになるよりも「お前はお前のファンになれ」と思う。が、このあたりのニュアンスが伝わることは少ない。 

 

「あなたのファンです!」と言われても微妙だが、「あなたのことが大好きです!」と言われると、最高に嬉しい。この差はなんだろう。何が違うのだろうか。好きです!と言われたら、こっちも「そんなあなたが、あたしも好きよ!」と返せる。しかし、ファンです!と言われても「あ、そうなんですか」としかならない。こちら側はなにも返せないのだ。自分もあなたのファンです、と言ったら嘘になる。なぜなら、あなたのファンではないから。わたしは、決して「自分はすごい人間だ」などと言いたい訳ではない。自分という小さな括りを飛び越えて「人間はすごい」ということを言いたいと思う。人間という言葉のなかには、自分も、あなたも、含まれている。しかし、あなたのファンです!と言われた時、なにかこう「そう言うひとは、人間という括りの外側にいる」感覚だけが残る。結果、なにかこう、一番言いたいことはなんにも伝わってないのだなあというがっかり感が残る。

 

現在、ロンドン在住のS様のご自宅にお邪魔をしている。S様から「チャリスウェルに行ったら?」と提案を受けた。ジョンレノンがイマジンを作った場所だ。S様は言う。音楽をやるなら、イマジンを越えなさいよ。と。イマジン越え。すごい言葉だ。S様は、小生をけしかける。ミユ様も、小生をけしかける。オノヨーコも、こんな感じでジョンレノンをけしかけたのかもしれない。けしかけてくれる人間がいることは幸せだ。年齢を重ねるほど、誰も、何も言ってくれなくなる。けしかけてくれる人間は絶滅し、そのままでいいよとか敗北的なことを言いはじめる。S様も、ミユ様も、生き様が本気だ。血が濃い。濃い血が流れている人間からけしかけられると、(基本的にたじたじになってしまうことばかりだが、最終的に)燃える。自分はどこまで行けるのだろうか。自分の、自分たちの未来が楽しみになる。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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