いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

涙が出そうになるくらい生きろ。

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菊名駅前のコロラドにいる。三日徹夜。夜型になった。生活力は皆無。食事もジャンキーなものを取りたい。昨夜はあきとが焼きそばを作ってくれた。作詞に集中。たった一言を生み出すために13時間くらいかかって「これじゃ確実に破滅する」と思った。寝食を忘れて頬がこけた。ごちゃまぜの家にいてよかった。誰かが作った食事を分け与えてもらうことで、あ、そういえば何も食べていなかったことを思い出して正気を取り戻す。自分に深く潜る作業は、自分ひとりでやると確実に死ぬ。 

 

 

おおまかなスケジュール


3月6日 凪のつけ麺を食べたい@渋谷
3月7日~15日 FREE!【日本】
3月16日 朝・カイロ【エジプト】
3月16日 昼・ミラノ【イタリア】
3月17日以降 FREE!【欧州界隈】

🌐🌐🌐呼ばれたら何処でも行きます🌐🌐🌐

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

ibaya.hatenablog.com

 

音楽は物質を通過する。

下品なおばさんの話し声が店内に蠢いている。慌ててイヤホンを耳に差し込む。下品な声の人間が苦手だ。声を聞くだけで内臓がねじれる苦痛を覚える。声と音楽は似ている。似ていると言うか同じだ。東京を歩くときは強めの音楽を好む。ロックとか。だが、熱海の家にいるときにわたしはロックをまったく聴かない。多分、聞く必要がないのだと思う。音楽は防御だ。満員電車でイヤホンをさしこむのは、自分を守る抵抗だと思う。人間は楽器だ。音楽は物質を通過する。祭りや舞踊で太鼓を打ち鳴らすのは、音を通じて「なにかを振り落とす」効果があるからだ。不協和音は内臓をゆがめ、シンプルで美しく芯のあるものは心身のバランスを整える。

 

note.mu

 

東京でジビエ料理をご馳走してくれたK様と様々な話をした。印象的だったのは「時間は流れない。流れているのは自分たちの方だ」というもの。音楽は時間に乗っている。絵や本は、読み手のペースで読み進めることができる。絵の場合、一枚の作品を二秒で通過する人もいれば、一時間以上も立ち止まって眺める人もいる。しかし、音楽の場合は「(それが三分間の作品ならば)誰にも等しく三分間」だ。音楽は時間に乗っている。が、実は時間という概念は幻想で流れているものは自分たちなら、音楽は『人間に乗っている』ものになる。時間は『ここ』にしかない。K様は言う。これをひとに話すのは初めてだが、私は、特定の建築物に行くと音楽を感じる。空間が溶けると音楽になる。音楽は、時間や空間の制約を受けない。

 

note.mu


仮に、少女が描かれた絵があるとする。絵の中で『少女は永遠に少女』だ。劣化するものは紙や額だけであり、少女が年老いることはない。肉体は劣化する。しかし、時間が劣化することはない。劣化するのは紙だけ。時間は流れない。こういう類の話をわたしはとても面白いと感じる。K様は言った。私は美しいものや面白いものを見たり触れたりすることが好きだ。坂爪さんには『ひとつ手前の世界』を感じる。私は、それが表現されていないものに感動や興奮を覚えることができない。

 

わたり文庫『窓際のトットちゃん』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、黒柳徹子著作『窓際のトットちゃん』です。黒柳徹子さんは言いました。老人とは、気分が動かなくなった人のことを言う。次々と何かをしたいという気持ちでいられる人は、いくつになっても、たとえ体が動かなくても「老人」と呼ばなくていいですよね。と。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

リトミックの種類は、まだたくさんあったけど、とにかく、校長先生は、子供たちの、生まれつきもっている素質を、どう、周りの大人達が、損なわないで、大きくしてやれるか、ということを、いつも考えていた。

「文字と教育に頼り過ぎた現代の教育は、子供達に、自然を心で見、神の囁きを聞き、霊感に触れるというような、官能を衰退させたのではなかろうか?

古池や 蛙とびこむ 水の音…池の中に蛙がとびこむ現象を見た者は、芭蕉のみでは、なかったろうに、湯気たぎる鉄瓶を見た者、林檎の落ちるのを見た者は、古今東西に於て、ワット一人、ニュートン一人というわけでは、あるまいに。

世に恐るべきは、目あれど美を知らず、耳あれども楽を聴かず、心あれども真を解せず、感激せざれば、燃えもせず…の類である」

などと嘆いていた校長先生が、きっと、いい結果を生むに違いないと授業に入れたものだった。そして、トットちゃんは、イサドラ・ダンカン風に、はだしで走りまわり、とびまわって、それが、授業だなんて、すごくうれしいと思っていた。

黒柳徹子『窓際のトットちゃん』【講談社文庫】

 

涙が出そうになるくらい生きろ。

音楽が生まれる。わたしはそこに言葉を与える。音楽は言葉を求めている。そして、言葉は音楽を求めている。私の仕事は、音楽が求めている言葉を(音楽の素質を損なうことなく)的確に忠実に与えることだ。その逆もある。この作業はおそろしくしんどい。が、しんどいという小さな円の外側に『よろこび』というどでかい大きな円がある。しんどささえも、よろこびであると感じる。周辺にいる人間をとっつかまえて、わたしは(わたしから生まれた)音楽を聴かせる。半ば強制的に。そして「この音楽からあなたが感じた印象を教えて欲しい」と尋ねる。聴かされた人間はその印象を答える。場合によっては、歌詞を考えさせられることもある。

 

昨夜、よしえさんと作詞活動をした。音楽を聴かせ、浮かんでくるイメージを聞き取り、過去の記憶を遡りながら音楽に言葉を与えていた。その途中、よしえさんは涙を流した。音楽のイメージは「いちばん大事なものがなんだかわかって、これからすべてが変わること、そのよろこびと、もう戻れないさみしさ」という感じだった。偶然出会ったものが、自分をまったく別の人間に変えてしまうこと。昔の自分には戻れないこと。なくてもいいと思っていたけれど、あったらこんなにもうれしいものがあるということ。人類共通の記憶がある。そこにリーチをしたいと思う。

 

涙はどこから来るのだろうか。涙の源泉はどこにあるのだろうか。わからない。鳥の声を美しいと感じるその理由はわからないが、わからないまま「鳥の声を美しいと思う」ことはできる。それは、テレビのリモコンがどのような構造で働いているのかはわからないまま、リモコンを「使いこなすことができる」わたしたちの日常と同じだ。なにかを見たとき、なにかに触れたとき、たまらない気持ちになって涙が流れそうになることがある。涙はどこから来るのだろうか。わからない。なにもわからないわたしは、今日も、わからないものと戯れている。その時間が、たまらなく面白いこと、たまらなく愛しいこと、たまらなく物悲しいことだけはわかる。 

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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夢を見るから、人生は輝く。

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菊名駅前のコロラドにいる。最近一番びっくりしたことは「キウイは皮ごと食べられる」こと。ごちゃまぜの家は、激烈にありがたいことに全国各地から食材が届く。おかげで無事に生きることができている。お金がない。だけどどうにかなっている。数日前に回転寿司に行った。500円分の株主優待券を貰ったからだ。死ぬほど集中して100円の皿を五枚選んだ。ぶりが好きだ。昨夜はかなさんが作ってくれた煮物とみそ汁で内臓が張り裂けた。今夜は東京でジビエ料理をご馳走になる。

 

 

おおまかなスケジュール


3月4日 ジビエ料理@東京
3月5日~15日 FREE!【日本】
3月16日 朝・カイロ【エジプト】
3月16日 昼・ミラノ【イタリア】
3月17日以降 FREE!【欧州界隈】

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坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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一人で生きるな。

前回の記事で「経済難にあえぐ中島(29歳・男性)に生きろと叫んだ」旨を書いた。中島さんは家がない。お金もないし、なんなら借金がある。そんな中島さんに「まずは生活の基盤を整えて、馬車馬のように働き、借金を返すところからだね」という話をした。その時、ふと、就職活動と同時進行で「ブログ読者の方々に、中島さんを雇ってくれるひとがいないか聞いてみよう!」という話になった。中島さんは借金の返済に追われている。が、月額20万円程度の稼ぎがあればどうにか返済を続けながら生きていける。現在はコンビニの派遣バイトを続けながら路上生活をしている。一人で生きた時間が長く頼れる友達もいない。家のない日々に突入したのは五ヶ月前。以来、コンビニのイートインコーナーなどで夜を乗り越えている。

 

中島允丈さんは福岡県北九州市生まれの29歳。男性。A型。射手座。富山大学大学院卒業。元プログラマー。身長158㎝。体重51Kg。借金300万円。奨学金が200万円。プロミスとのプロミスが100万円。借金の理由は「拭い去れない劣等感が強く、自己啓発セミナーにはまったから」。五体満足。健康状態は頗る良好。筋力はないが根性はある。勤労意欲はバリバリにあるが、常に支払いに追われている生活が「心理的にしんどい」「これからのことを冷静に考えることができない」ことが現在の悩みだ。余談だが、中島さんはカラオケが大好き。好きな音楽はT-BOLAN。しかし、このままでは中島さんが(社会的な意味で)ばいふぉーなうしてしまう。

 

私も借金の日々を過ごしたことがあるから気持ちがわかる。頭の中では常に銭の勘定ばかりを続けてしまって、とてもじゃないけれどまともなままじゃいられない。追い立てられる日々はしんどい。私は思う。多分、中島さんみたいなひとは結構な数いる。月額20万の稼ぎで済むならまだマシな方だ。さきほど、中島さんに「これが漢の家訓です」と言って北方謙三水滸伝(1)を授けた。全巻20冊を読み終える頃には、中島さんも真の漢に変貌を遂げることだろう。頑張っていただきたい。

 

連絡先・中島 允丈(なかしま みつひろ)
TEL:07043787883
Mail:mthrnksm@gmail.com

 

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わたり文庫『一切なりゆき』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、樹木希林著作『一切なりゆき』です。こちらの本は、宮城県在住のN様から「わたり文庫に是非」と郵送をしていただきました。樹木希林さんの娘さんである也哉子さんが、喪主代表の挨拶で「おごらず、他人と比べず、面白がって、平気に生きればいい」という言葉を紹介されたことは記憶に新しいと思います。どのような状態に置かれても『泣くか、笑うか』は自分で決めることができる。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

生きるというのは、いろんなところをくぐり抜けて、どう墓穴に入るかという道。どうやったって結果はついてくるから、そのときどきで納得するやり方をするしかないですよ。その途上で結婚でも別れでも仕事でも、しっかり傷ついたりヘコんだりすれば、自分の足しや幅になる。私は出会った人を傷つけて、昔だったら消しゴムかホワイトで消したい人生だったのに、この年齢になると、深く傷つけた人たちがとっても、懐かしいのよね……。口をぬぐって、“ない”ことにしなくてよかった。

 

樹木希林『一切なりゆき 樹木希林のことば』【文春新書】

 

夢を見るから、人生は輝く。

音楽活動が苦しくて楽しい。昨日は徹夜をした。創作の素晴らしさと難儀さを知る。まさか自分からこんなメロディーが出てくるとは!という驚きと、歌詞を編み出すことの難しさ!という挫折。自分から陳腐なものしか出てこない時は悲しい。猪木さんは「元気があればなんでもできる」と言う。私は元気だ。しかし何もできない。猪木さんに悪態をつきたい。元気よりも才能が欲しい。しかし、才能がどうのこうの言っている俺はあまちゃんで、人間、できないことができるようになる瞬間が最高なのだ。この辺、神様はよく考えて人間を作ってくれたものだと感心する。最初からなんでもできてしまったら『できる喜び』が失われる。忍耐である。

 

音楽をはじめてから(まだ数日程度だが)世界観が変わった。創作をしている時間は、自由になる。徹夜をするほどのめりこめるものがあることは幸せだ。これまで「なんて素晴らしい音楽だろう!」とひたすら聞き手側で感動していただけのものも、いまなら「これも人間の作ったものなんだよな」と眺めることができる。同じ荒野を眺めている。借り物の歌で満足ができない。自分は自分の歌を歌うしかない。日々、苦悶や挫折の連続だが、根底にどでかい安心感がある。夢中。熱中。集中。ああ、これが夢中になるということか。人生は夢だ。夢を見るから人生は輝く。夢の中で、自分は、苦しみも悲しみもまるごとひっくるめて生きているのだ。

 

誰もが二度とは戻らない時の中を生きていて、音楽を作ること、なにかを形にするということは、永遠に手を伸ばす行為なのだと思う。無常。永遠と刹那。もののあはれ。いつまでも生きていることができないからこそ、私たちは、忘れたくないものを胸に刻んだり形に残したり誰かに伝えていこうとする。忘れてしまうことを知っていて、それでもなお『忘れたくない』と思うなにかを、胸に刻み、形に残し、誰かに伝えていこうとする。すべての美しいものは悲しみを内包している。それは『永遠には見ていることはできない』悲しみだと思う。生きとし生けるものが、等しく悲しみを背負っているものだとしたら、人間は素晴らしい生き物だなと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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強さを持ちたい。

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菊名駅前のコロラドにいる。横浜のごちゃまぜの家に戻ると、内海さんが姿を消していた。事情は深く分からないが、神奈川県内の自立支援施設に入所したらしい。これまで、様々な方々から内海さん宛に小包が届いた。が、もう、ごちゃまぜの家に郵送をしてもらっても、内海さん本人はいない。我々も、彼に荷物を届けることはできない。他の誰かが、当事者の心情を代弁することはできない。そのため、彼をサポートしてくれた方は、直接本人と連絡を取り合ってもらえたら助かります。

 

 

おおまかなスケジュール


3月1日~15日 FREE【日本】
3月16日 昼・カイロ【エジプト】
3月16日 夜・ミラノ【イタリア】
3月17日以降 FREE【欧州界隈】

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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責任。

内海さんが暮らし始めたのは昨年の12月。仕事も金も失い、隅田川でホームレスをする直前の状態で、彼はごちゃまぜの家に来た。その時に二点、彼と確認した。一つは「内海さんは何も隠すことがない。だから、自分のすべてを晒す」ということ。一つは「自分みたいな人間でも生きていける活路を、生き様を通じて見せる」ことだった。この点がある限り、私は、彼と一緒にいることができると思い、彼を受け入れた。しかし、結果的に彼は家を離れ、自立支援施設に向かった。私は、この件を通じて『約束』と『責任』と言う言葉、これらの意味を考える機会を得た。

 

「約束しろ。どんなことでも、俺の言うことを聞くと。約束を破るのがどういうことか、いずれおまえも学ぶ」
「死ぬのか?」
「いや、自分を恥じるのだ。それは、死ぬことより苦しい、と俺は思っている」

北方謙三水滸伝(1)』(集英社文庫)より引用

 

欧州での移動中、ずっと水滸伝を読んでいた。内海さんを責めたい気持ちはない。ただ、同じ言葉を使っていても、そこに込められた意味合いは使う人によって変化するという、当たり前のことを思うだけだ。思いを伝えること・共有することの難しさ。私は、言葉を重要視する。自分に嘘をつきたくないと思う。それは、自分が立派だからではなく、ただ、自分を偽ることが問題の根源を生むと考えるからだ。約束とは、自分の言葉に責任を持つことだと思う。責任とは、約束を通じて『自分が変わっていく(自分が変わろうとしていく)』ことだと思う。今回の件は、そこの甘さが露呈した。私の考えは、ただの押し付けになっていたのかもしれない。あるいは、確認したつもりになっていただけだったのか、それはもうわからない。

 

「俺はあんたに、詳しいことを言う気はないんだが、客人。あの坊主と、北京大名府の盧俊義だけは、信用している。こんな世の中で、信用できる人間がいるということは、幸せだと俺は思ってるがね」

北方謙三水滸伝(1)』(集英社文庫)より引用

 

各種メディアでは『責任を取って』会社を辞める役員の報道が絶えない。責任を取るということは、謝罪をする、辞める、離れるということなのだろうか。違う。責任を通じて『自分が変わっていくこと』だと思う。謝罪や離職はあくまでもスタートで、生き様で示すことがゴールだ。責任を生き様に宿らせることだ。今回の件は、要するに、自分に信用が足りなかったということだ。他者から見て、自分の言葉が「それを守るに値する」と感じられるものではなかった、ということだ。それならば、自分が選ぶべき道はひとつ。自分の言葉に責任を持つこと。自分の生き様に責任を宿らせること。他者から見て、信用に足る人間になること。それだけだ。

 

わたり文庫『水滸伝(1)』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、北方謙三著作『水滸伝(1)』です。全20巻。続編も含めると50巻を超える超大作ですが、読む者に後悔をさせることのない傑作だと思う。たとえ、ある一年をこれを読むだけために費やしたとしても、必ず『生』の肥やしになる。そういう本に出会えた自分を幸運だと思います。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、福岡県にわたりました ※※※

 

「闘って、死ぬ。勝てぬまでも、華々しく闘って死ぬ。数年前まで、私はそう思っていた。そうやって闘うことで、この国の民の心の中に、なにかを植えつけることができると。それでいいし、それだけしかできないだろう、とも思っていた。いまは違う。私は生きたい。闘って、生きて、そして勝ちたい」

 

北方謙三水滸伝(1)』【集英社文庫

 

強さを持ちたい。

これまでは自分の連絡先を公開し、呼ばれる限りどこにでも行く(誰にでも会う)日々を過ごしていた。こういう生き方も、今月限りで終わりにする。自分をオープンにすることで、多大なる恩恵を受けた。様々な人々と会うことで着想を得たり、様々な場所に足を運ぶことで視野が広がったりすることは多い。しかし、いまは「自分をオープンにするよりも大事なこと」があるように思う。それは、自分を掘り下げることであり、大事なものを『これまで以上に大事にする』ということだ。集中したい。人も。ものも。会うべき人に会い、やるべきことをやりたいと思う。

 

ある境地に達したものだけに宿る『自然さ』がある。真に偉大な人間は、自分が偉大であることを見せびらかせたり、周囲にひけらかしたりはしない。基本的に自然体でありながら、揺るぎない威厳をもつ。なにが彼(彼女)をそこまで高めるのか。それは、古臭い言葉だが『志』だと思う。志とは、こうありたいと思えるような理想像、そのことを考えるだけで、そのことを仰ぎ見るだけで『自分もそうなりたい』と思える前向きな意思を与えるもの。自分には力があるのだと思わせるもの。自分には生きている意味があるのだと思わせるもの。いまはまだひとりきりだとしても、それを通じて『仲間』の存在を予感させるもの。いまはまだ未熟でも、それを通じて『成熟』の達成を予感させるもの。自分を高みへと引き上げるもの。それが志だ。志を失った瞬間に、人間は、簡単に堕ちていける生き物だと思う。

 

昨日、中島という29歳の男性が家に来た。彼は現在の窮状を語り、支援を求めた。私は、様々な言葉で『約束』や『責任』について話した。どれだけ伝わったのかはわからない。ただ、話しながら、常に心にあったのは「一緒に強くなっていこう」という思いだった。自分がすでに強い人間で、その強さをお前に伝授する、というようなことではない。お前が弱い人間であるように、自分も弱い人間だ。しかし、強くなりたいという思いはある。お前も同じように『強さ』を持ちたいと願うなら、一緒に生きていこう。一緒に強くなっていこう。だから、中島。苦しいこともあるだろうが、生きることを投げ出してしまってはいけない。自分が生きていることに意味を見出すんだ。どのような経験も、糧になる。俺もいま、お前と同じ闘いを続けている。それは、功績をひけらかすための闘いではなく、自分が自分を信用するに値するだけの、たったひとりの『誇り』のために、強さを持ちたいと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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気持ちのいい生き方をしよう。

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ボローニャを経由してミラノにいる。ヴェネツィアで念願のギターを購買した。人生を楽しむコツはシンプルだ。毎日楽しいことをひとつやる。そして、寝る前に「俺、最高だな」って自分を褒める。きっとそれだけだ。最悪なのは、誰かに楽しませてもらおうと思うこと。誰かに褒めてもらいたいと思うこと。他の誰かの『いいね』を求めることだ。そんなことより、自分が感じる『いいね』のど真ん中を生きたいと思う。そして、そこで得た成果物を「これどう思う?(俺は最高だと思うんだけど)」と差し出す。周囲と分かち合う。そういう生き方が、私は好きだ。

 

 

おおまかなスケジュール


2月28日 ミラノ【イタリア】
3月1日 成田空港到着以降、FREE!【日本】
3月16日 昼・カイロ【エジプト】
3月16日 夜・ミラノ【イタリア】
3月17日以降、FREE!【欧州界隈】

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人間は不完全だが、世界は完璧だ。

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Bologna

 

日本に戻り次第ごちゃまぜの家に向かう。また、問題が勃発している。誰でも自由に使える家でおなじみのこの家も、トラブルは絶えない。この家で起こる諸々を目の当たりにする度に「完璧を求めるな」と思う。ごちゃまぜの家が完璧な世界、まるで楽園であるかのように思われても困る。そんな場所はない。あったとしても、退屈だ。大概、問題を引き起こす人間は『甘え』を抱いている。怒りには二種類ある。社会的な義憤と、個人的で幼稚な怒りだ。後者は、要するに「自分の思う通りにならない」ことに対する怒りであり、わたしは、これを甘えと呼ぶ。甘えを悪いとは思わない。ただ、永遠に被害者ヅラをしている人間を『ダサい』とは思う。

 

ごちゃまぜの家に必要なのは母親だ。昔の言葉で言えば御母堂【ごぼどう】だ。両親から充分に愛されなかったり、まともな恋愛をできずに年齢を重ねた男子は、強烈なプライドと甘えを抱いている。最初は「あなたの言うことならなんでも聞きます。この家になることであればなんでもやります」という風にこの家を訪れるが、最終的に「自分はうまいように使われた」という怒りを抱き、悪態をついて、この家を出る。おそらく、周囲の男性陣から強く言われたことで、反感を抱いたのだろう。男は、男に強く言われると、反発をする。しかし、これが『御母堂』から言われた言葉なら、響き方も変わる。ダメな男を人間にするのは、御母堂だ。御母堂は、躾や作法(人間の基本)を厳しく教える。服装。姿勢。言葉。乱れた時は、手が出ることもある。しかし、根底に愛がある。明治時代の母親というイメージだ。

 

毎日とは言わない。可能な日だけでも御母堂を担ってくださる女性を探す日々がはじまる。繰り返しになるが、ごちゃまぜの家に完璧を求められても困る。おそらく、その期待は裏切られる。天国が先にあり、ただ、自分はそこに『ゲスト』として足を運べばいいなんてことはあり得ない。私は、天国を作りたいと思っている。しかし、この天国は、永遠に未完成だ。未完成だからこそ、そこに居合わせた人々が『天国のピース(天国の一員)』になる。誰もが共犯者みたいなものだ。以下は単なるわたしの好みだが、自分は『不機嫌を振りまく人間ではなく、ご機嫌を振りまく人間』と生きていきたいと思う。ご機嫌を振りまく人間には、共通項がある。それは、品があって、チャーミングであることだ。不機嫌を振りまく人間には、共通項がある。それは、品がなく、チャーミングさのかけらもないということだ。

 

 

気持ちのいい生き方をしよう。

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Centrale

 

幸せになろう。それがひとりひとりの責任だと思う。ミラノのピザ屋で食べたマリナーラが最高だった。美味いものを食べると、他の誰かに教えたくなる。自分が感じた喜びを、自分が大事だと思うひとと分かち合いたいと思う。マリナーラのある惑星に生きていられることを幸福に思う。自分のことを誰かにわかってもらうことや、自分を好きになってもらうことはコントロールの範囲外だ。しかし、自分からなにかを好きになることはできる。自分から何かを好きになるとき、誰かになにかをしてもらうことを待つのではなく、自分から先に愛そうとする姿勢を見せるとき、まるで世界はそれに呼応をするかのように、素晴らしい側面を見せてくれる。

 

これからエジプトのカイロ経由で日本に戻る。ミラノは快晴。イタリアは快晴の日々が続いている。ルパンが愛したイタリアだ。映画『カリオストロの城』の中で、クラリスを助け出したルパンは、仲間と共にその場を立ち去る。その後、銭形警部がルパンを追いかけ、クラリスの前を過ぎ去っていく。その様子を、クラリスと共に見送っていた庭師のおじいさんが、ルパン達を眺めながらこんなセリフを言う。なんと気持ちのいい連中だろう。と。これだけ多くの人々に愛されているルパンの秘密が、この言葉に集約されているように思う。ルパンは、ルパンの生き方は、要するに『気持ちいい』のだ。それに触れた人間を『気持ちよくさせる』力がある。自由に生きる人間は、それに触れた人間の心まで、自由にする力がある。

 

それはあなただからできることであって、自分には無理だ。自分にはできない。そう言う言葉を五億回は言われた。わたしは確信する。自由とは、ある人にはあって、ない人にはない能力ではない。その考え方自体が、この瞬間も『被害者ヅラ』を継続させている。無力だと思うことは、居心地の良い牢獄みたいなものだ。その牢獄にいる限り、無駄に傷つくこともない。無駄に悲しむこともないし、無駄に苦しむこともない。その代わり、生きる喜びを感じることもない。ある種の取引みたいなものだ。どちらを選ぶかは、各人の自由だ。わたしは、ただ、前者の人間といたいと思うだけだ。不機嫌を振りまく人間ではなく、ご機嫌を振りまく人間といたいと思うだけだ。無力感を武器にする人間ではなく、可能性を武器にする人間といたいと思うだけだ。誰かに楽園を用意してもらうのを待つのではなく、自分から楽園を築き上げようとする、前向きな意思を持つものと共に歩みたいと思うだけだ。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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俺を愛して欲しいとは思わない。ただ、世界を愛して欲しいとは思う。

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リトアニアの首都ヴィリニュスにいる。というのは昔の話で、ヴェネツィアに到着した。巷では「人生は短い」とか「人生は一回きり」などと言われるが、どうしても、わたしの一部が「そんなこと、わかんないじゃん!」と言っている。死んだら終わりと言われても、まだ、誰も死んだことがないのだから「わかんないじゃん!」と思う。わかることと言えば、まだ、わからないことがあることだ。知っていることは少ないけれど、知らないことが世界を豊かにすることだけは、わかる。

 

twitcasting.tv

 

 

おおまかなスケジュール


2月24日 ヴィリニュス【リトアニア
2月25日 ヴェネツィア【イタリア】
2月26日以降、FREE!【欧州界隈】

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男は女に操られ、女は神に操られる。

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Vilnius

 

誤解を恐れながら言うと、男は女に操られている方がちょうどいいと思う。私は男だ。男は、基本的にからっぽで「白か黒か」とか「勝ちか負けか」とか、貧相な精神世界ですったもんだを繰り返している。女性の世界観はカラフルで、妄想力も逞しい。だから、私は『女性は理想を語り、男性を理想を形にする』というタッグが最強だと思う。では、女性は、男性を操っているだけなのかというと、そこがまた違う。男は女に操られ、女は神に操られる。女性が(神様的なサムシングから受け取った)啓示的なものを伝え、男性が現実世界で形にする。この組み合わせが最強だと思うのだが、いま、世界はそんな風に動いてはいない。

 

極論、男は「女のために生きたい(死にたい)」と思っている節があると思う。少なくとも、私は、そうだ。だから、自分が「このひとは真の女性だ!」と思われる人から、あなたはこれのために生きなさいと言われた日には、喜んで身を捧げる。自分ひとりではやりたいと思うことなんかない。しかし、真の女性から「あなたの役割はこれです」と言われると、途端にスイッチが入り、生気が漲り、肌艶は蘇り、俯きがちだった視線は上方を向き、生きる目的が生まれる。先週、わたしは、ミユさんという女性から「音楽をやりましょう」とお告げを受けた。これは個人的に大事件で、それ以来「わたしは音楽に身を捧げることにしました」的な人生をあゆむことになった。私と、ミユさんと、保科亮太さんの、三位一体で音楽をやる。

 

これは勝手なお願いだが、世の中の女性に「あなたの直感を引っ込めないでください!」と思う。女は理想を語り、男は理想を形にする。これが理想のタッグだ。そのためには、女性がインスピレーションを男性に与える必要がある。しかし、せっかく得たインスピレーション(神様からのお告げ的なもの)を「こんなことを言ったら頭がおかしいと思われるかもしれない」などと考えて、引っ込めてしまったら世界は止まる。私は勝手に推測をする。実は、多くの女性が、日常的に神様からインスピレーションを受けているのだと思う。しかし、いまの世の中が男性社会だから、その思いを引っ込めてしまったり、あるいは「こんなことを考えても何にもならないから、皿洗いでもしよう」みたいになって、インスピレーションは誰にも伝わらないまま、途絶える。だから、せめて、俺にだけは「あなたの直感を教えてちょんまげ!」と思う。女性の理想が、男性に『生まれてきた意味』を与える。男単体では、からっぽなままだ。ミユさんと音楽をやれるよろこびは、ここにある。男だけでは絶対に生まれなかろう、なにかしらの『余波』をビンビンに感じている。 

 

twitcasting.tv

 

俺を愛して欲しいとは思わない。ただ、世界を愛して欲しいとは思う。

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Old town

 

巷では「ありのままでいい」とか「頑張らなくていい」とか、言われる。言いたいことはわかる。しかし、そんな人生は面白いだろうか。頑張らない人生の、一体どこでガッツポーズをできるのだろうか。私は思う。人間の一番奥底にある気持ちは、ゆっくりしたい、とか、なにもしたくない、とか、このままでいたい、ではないと思う。その奥には『生きたい』があると思う。本当は自分の本気を見てみたい。生きている実感が欲しい。少なくとも、自分はそうだ。代わり映えのない日々は、退屈で、生きた気がしない。本当は、夢中になりたい。頑張りたい。本気を見たい。いい仕事をしたい。達成感を味わいたい。この生涯において、少なくとも「俺はこれをやった」と言えるものを残したい。そっちの方が本心ではないのか。

 

好きなことをやればストレスはない。というのは嘘だと思う。好きなことにもストレスはあるし、好きなことのなかにも『地獄』はある。これは、よろこぶべき地獄だ。地獄がなければ、達成感も味わいようがない。なんでも自分の思う通りにいったら、ガッツポーズなんて絶対できない。だから、なにかを始めるときは「いよいよ地獄がはじまるな」くらいに思っている方がちょうどいい気がする。地獄上等。そう思える人間は無敵だ。だって、地獄も天国も楽しめるのだから。やって見て、嫌になったら、途中でやめてもいいとひとは言う。でもね、石に齧りついてでもなにかをやり遂げる時期が、人生にひとつくらいあってもいいじゃないか。昔、三ヶ月で15キロ痩せたことがある。あの時期は人生で一番充実していた。毎日数字で体重の変化がわかり、自分は、自分の体重を落とすことに『集中』していた。人生が、いかに痩せるかだけになっていた。暇があれば歩き、毎日半身浴をして汗を流し、キャベツとキムチで食事を終え、そこに物足りなさはなかった。なにもしない日々では、絶対に味わえない充実感がそこにはあった。充実感とは、達成感だ。

 

映画Bohemian Rhapsodyを見た時に強く思った。最後のライブ場面では、数万人の観客がQueenの音楽に熱狂をする。その場面を見て、私は「なんだ、みんな生きたいんじゃん!」と思った。これは、安心感にも似た感動だった。数万人の観衆は、それぞれ様々なバックグラウンドを抱えている。その中には「生きることが嫌になっているひと」もいたと思う。それでもなお、その場にいた全員が、Queenの音楽に歓声をあげ、胸を震わせ、拳を掲げ、喝采を送り、涙を流す観客もいた。この場面を見て、わたしは、人間の『生きたい』と思う気持ちは変わらないのだと、そういうことを思った。生きたいと思っているのは、自分だけではない。それならばもう、大丈夫だ。生きようとする姿を示すこと。生きようとする意思を示すこと。ただ、それだけのことが周囲の人間の力になる。自分に、自分の言葉に触れた人々が、それを通じて「生きてやるぜ!」って思ってくれたら、万々歳だと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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生きていると言うことは、大丈夫だと言うことだ。

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ラトビアの首都リガにいる。旅と人生は似ている。笑って生きるコツは「ハプニングを楽しむこと」だと思う。出先では色々なことが起こる。ハプニングを一緒に楽しめる人物との日々は楽しいが、逆の場合はストレスが爆発する。成田離婚みたいな話になる。だからこそ、誰かの本質を知りたければ一緒に旅をするのが良いと思う。深刻にならず、笑いに転じること。不機嫌にならず、ご機嫌に転じること。どのような状態に置かれても、泣くか、笑うか、それは自分で決めることができる。

 

 

おおまかなスケジュール


2月23日 リガ【ラトビア
2月24日 昼・ビルニュス【リトアニア
2月24日 夜・ヴェネツィア【イタリア】

2月24日 わたり食堂【0円食堂】(帰国不可能
2月25日以降、FREE!【欧州界隈】

🌐🌐🌐呼ばれたら何処でも行きます🌐🌐🌐

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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大半の会話は、はじまらないまま終わっている。

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Old town


前回の記事で「やり残したことをやろう」という内容を書いた。これをやらずには死ねないと思うことを、死ぬ前にやろう。端的に言えばそういう話だが、書きながら「これは自分が自分に許可を出すことと似ている」と思った。絵を描くとか、音楽をやるとか、親と話すとか、共通することは「自分を許す」ということだ。自分の人生は自分で切り拓いていける。何者も止めることはできない。他者ができることは、邪魔か、応援か、どちらかだ。やりたいことをやるということは、自分が、自分に『許可』を出すということだ。誰も禁止なんかしてない。もし、誰かに禁じられていると感じるなら、禁止をしている人物は『自分』以外の何者でもない。

 

世の中の大半の会話は、はじまらないまま終わっている。社交辞令とか、愛想笑いとか、ここにいないひとの話とか、どうでもいい話をしているだけでは何もはじまらない。言いたいことを言うことは、ゴールではなくてスタートだ。巷では「自分を生きる」とか「本音を生きる」とか、そう言う言葉がまるでゴールのように語られる。あほかと思う。それは大前提であって、ゴールではなくスタートだ。では、なぜ、これほど多くの人々が自分を生きれないのか、本音を話せないのか、そういうことを考えたときに「それは、誰かに許可を求めているからだ」と思った。言いたいことを言うことを、やりたいことをやることを、まるで「誰かに許可を出してもらうことで、はじめてそれをやることができる」という風に思っているからだ。

 

初対面のひとと話している時に思う。質問を連続して浴びると「なぜ、そんなに質問ばかりする!」と無性に苛立つ。インタビューみたいになる。嫌だ。わたしは、会話がしたくて一緒にいるのに、なぜ、言葉のサンドバックみたいにならねばならん。そう言う時、わたしは「あなたの話を聞かせてください」と言う。すると、大概、多くの人は「自分の話をするのは苦手だから、質問をしてください」とか言う。そりゃないよ、と思う。質問されないと答えられないなんて、許可がなければ話せないことと同じじゃないか。質問する。答える。質問する。答える。質問する。答える。これじゃ、機械と同じだ。わたしは、人間と話がしたい。質問があるから語られるものではなく、そのひと自身から『湧き上がる』ものに触れたいと思う。湧き上がるものを抑えるもの。それは、自分に対する『無価値感』だと思う。

生きていると言うことは、大丈夫だと言うことだ。

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Riga

 

私は雇われ労働が苦手で、昔、アルバイトをしていた時期も「死ぬまでこれをやるのはつらいな」と思っていた。家賃のため、生活のために死ぬまで続けなければならないのだとしたら、こんな人生はしんどいと思った。だから、自分にとって『これなら死ぬまでやっていられる』と思えるものを、見つける必要があった。そうでなければ、自分は、やりたくもないことを延々とやり続けなければいけない。そして、どうにかこうにか着地をしたのがいまの生き方だ。私は、言葉を綴ることならば、死ぬまでやっていられると思う。私は、歌を歌うことならば、死ぬまでやっていられると思う。私は、人間と話すことならば、死ぬまでやっていられると思う。

 

イベントに登壇すると「坂爪さんは、言っていることとやっていることが一致していてすごいですね」と言われる。多分、褒め言葉だと思う。しかし、わたしは「一致していることは普通で、一致していないことが異常だ」と思う。言っていることとやっていることが一致していない時、苦しくはないのだろうか。私は、すごいから一致しているのではなく、一致をしていないと苦しいから、一致をさせているだけだ。ただ、楽になりたいだけなのだ。自分を使い分ける生き方はしんどい。よく、やりたいことがあるけど家族がいるからできないと話す男性がいる。そんなことを言わないで、「家族を守りたい」と言えばいいと思う。それならば一致をするじゃないか。人間、言っていることとやっていることが一致をすれば、スッキリだ。「やりたいからやってる」と言えるのならば、どんな生き方でもスッキリだ。

 

私は、自分が「本当にそうだなあ」と感じたものを、採用して生きたい。たとえ、それが世間的におかしいと言われることであっても、自分が「これは本当だ」と思うことならば、それを採用する。あとのことは知らないし、ひとのことも知らない。将来のこと。結婚のこと。老後のこと。不安はないのかと聞かれる。不安なんてない。そんなもの、未来か過去から引っ張ってこない限り、この瞬間には存在しない。金がある訳でもない。多分、ない方だと思う(イギリスでは8ポンドしかなかった)。それでも、いま、この瞬間だけを切り取れば、俺は生きていて、五体満足で、Macがあり、ネット環境があり、着る服があり、そこそこの人望があり、屋根のあるところで眠り、明日食う金に困ることもなく、健やかな時を生きている。お前は刹那的だと揶揄されたときは、こんな風に言ってやる。東日本大震災を思い出せ。何が起こるかわからないのは、俺も、お前も、同じことだ。明日には、全部、津波で流されるかもしれないぜ。そんなんで生きていけると思うなよと罵倒されたときは、こんな風に言ってやる。うるせー。俺はなあ、こんなんで33年間生きちまっているんだよ。お前が言う『そんなん』で、実際に生きている人間がいるんだよ。と。あとはもう、どれだけ本当の日々を生きていけるかの勝負だと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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恥を恐れてやらない自分が、一番の恥だ。

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エストニアのタリンにいる。これからの自分は音楽に生きる。おそらく、今後、出会う方々から「音楽の調子はどうですか?」などと五億回は聞かれるのだろう。そして、わたしは、聞かれる度に「うるせー」と思うのだろう。こっちは血を吐きながらやっているんだよ。調子がどうとかじゃないんだよ。選択肢なんかないんだよ。と、一々ピクッと反応するのだろう。が、しかし、相手もまた(自分にとっての音楽がそれであるように)なにかしらの山を登っている人間だとしたら、私は、その人に対して「おお、同志よ!共に頑張ろう!」という気持ちになるのだろう。

 

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おおまかなスケジュール


2月22日 タリン【エストニア
2月23日 リガ【ラトビア
2月24日 ビルニュス【リトアニア

2月24日 わたり食堂【0円食堂】(帰国不可能
2月25日以降、FREE!【欧州界隈】

🌐🌐🌐呼ばれたら何処でも行きます🌐🌐🌐

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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「やり残してきたこと」を、やろう。

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Tallin

 

ロンドンでイベントに登壇した。わたしは、参加者の方々に「この場を、我々の話を聞いただけで終わりにしないでほしい。自分が、これまでの人生で『やり残してきたこと』を、いま、この瞬間からはじめるような、そんな生き方をしてほしい。自分にとって、それは音楽だ。わたしはずっと音楽から逃げてきた。音楽をやることは恐怖で、でも、音楽をやらないで終わることはもっと恐怖だ。だから、もう、選択肢はないのだ。だから、みなさんも、ずっとやりたかったこと、だけど、やることがめちゃめちゃ怖くてやれなかったことを、やってほしい。ある人にとっては『絵』かもしれない。ある人にとっては『お店』かもしれない。ある人にとっては『親と話す』ことかもしれない。それは超絶怖いことだと思う。全身が震えたり眠れなくなったりもすると思う。しかし、まさに『それ』を真っ向勝負で生きてほしい。そうすれば、俺たちは同志になる。恐怖心という感覚を抱きながら、それでもなお、勇猛果敢に生きる人間を『同志』と呼びたいと思う」という話をした。 

 

そして、次のようなことを(まるで自分に言い聞かせるように)話した。何かをやるとき、邪魔になるものが二つある。ひとつは「こんなことをやったらどう思われるだろう?」と考える恐怖心だ。そして、もうひとつは「うまくやらなければいけない」という強迫観念にも似た思い込みだ。我々は、いつの間にか「恥をかいてはいけない」という前提の世界を生きてしまっている。だが、冷静に考えて欲しい。恥をかかないように生きるより、恥をかける人間の方がよっぽど格好いいとは思わないだろうか。振られることを恐れて告白もできない男と、たとえ、振られるとわかっていても告白をする男と、どちらが『男』として魅力的だろうか。わたしは、自分から進んで恥をかける人間を尊敬する。そういう人間に触れたとき、ああ、自分はなんてちっぽけな人間だったのかという『恥』を思う。恥をかかないことが格好いいのではなく、恥をかける奴が格好いいのだ。優等生になんてならなくていい。優等生なんてつまらないじゃないか。だから、前提を変えることだ。恥をかかないためにどうすればいいのかなどと考えるのではなく、いっそのこと「恥をかく」ことを目標に設定してしまうくらい、恥を取りにいってもいいのだと思う。

 

俺たちはいつから『恥』を恐れるようになったのだろう。これをやるのは恥だとか、世間から笑われたら恥であるとか、それは本当に恥ずかしいことだろうか。恥を恐れて自分の思いを引っ込める、それが一番の『恥』ではないだろうか。怖いけどやる。それでこそ同志である。怖くないなら、それは手グセで生きているだけだ。自分に突っ込む。おい、俺よ。手グセで生きてんじゃねえよ。失うことをこわがってんじゃねえよ。失うものなんてはじめから何もないじゃないか。誇れるものも。失うものも。何もないよ。だから、もたざるものが何を恐れる。恥にまみれて帰ってこいよ。自分に恥ずかしくない生き方をするということは、恥の多い生き方をするということだ。恥をかかないように生きるより、ストレートに自分の恥を晒せる人の方が、よほど、清々しい。恥をかくより、恥をかかないように生きる方が、よほど、恥だ。なあ、そうじゃないか。それならば『GO(行こう)』だ。

 

ameblo.jp

 

恥を恐れてやらない自分が、一番の恥だ。

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Old town

 

一刻も早くギターに触りたい。が、エストニアでは(物価の事情で)ゲットできなかったの明日からバルト三国を順番に南下する(南下するほど物価は下がる)。日本に戻ればギターはあるのだが、片道切符で来たために帰国の目処は立っていない。それにしても、音楽をやると決めてから世界の見え方が目に見えて変わった。まず、音楽の聞き方が変わった。自分は、消費者から生産者になったのだなと思う。人生もシンプルになった。音楽のためになることがあればやりたいと思うし、ためにならないことであれば(昔以上に)潔く断つようになった。誰かの暇つぶしや気晴らしに付き合っている余裕がなくなり、端的に「時間がない」と感じる。人生は短い。いよいよ、やりたくないことをやっている場合ではなくなったのだ。

 

もうひとつ、とても大きな変化を感じる。それは、もう、自分は音楽を「自分の穴を埋めるため」のものとして見ていないということだ。暗黒時代を過ごしていた高校時代の私は、基本的に死にたい死にたいとばかり考えていたが、音楽を聞いている時間だけは「もう少しだけ生きててもいいな」と思うことができた。やがて、自分も「音楽に感動を与えられたように、音楽を通じて自分も感動を与えることができる人間になりたい」と思うようになった。しかし、当時の私には、承認欲求と呼ばれるものが非常に強くあったために、音楽を使って『自分の穴を埋めようとしていた』傾向が猛烈にあった。だから、音楽をやることは非常に苦しいことだった。歌を歌うということが、そのまま「自分を認めてくれ」と文字通り声をあげる作業と、イコールになっていた。認めてくれと叫ぶ自分を、自分が認めていなかった。

 

しかし、いまは違うなと思う。すでにゴールをしている感覚がある。音楽を通じて達成したい『なにか』があるのではなく、自分は、ただただ音楽をやりたいのだ。音楽をやることがゴールであり、その先はなにもないのだ。手段と目的が一致をしているのだ。昔は、承認欲求などの枯渇感から音楽を求めていた。しかし、いまは『幸福の余剰』として、音楽と付き合っていきたいと思っている。わたしは、音楽をやりたいから、音楽をやりたいと思う。音楽をやりたいという思いが、あふれている。いまなら、枯渇感からではなく、あふれでるものとして音楽をやれる。否、そういうものとして、音楽と付き合っていきたいと思っている。わたしには、もう、穴はない。あったとしても、その穴を、どうのこうのしようという思いがない。わたしは、もう、『自分』というものに対するこだわりがない。自分の歌を歌いたいとは思わない。自分を通じて引き出される、人間の歌を歌いたいと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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逆をやるのは、ど真ん中を射抜きたいから。

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ヴェネツィアを経由してロンドンにいる。昔から、自分は『逆をやること』にどうしようもない魅力を覚えている。一般常識と違うことではなく、一般常識と『逆』のこと。右なら左。増やすなら減らす。着飾るなら脱ぎ去る。など。それは、ただの天邪鬼だというだけではない。逆をやるのは、両極を見たいと思うから。両極を見たいと思うのは、ど真ん中を射抜きたいと思うから。ど真ん中を射抜きたいと思うのは、裏表のない、対義語のない『絶対的ななにか』を見つけたいからだ。と。

 

 

おおまかなスケジュール

 
2月21日 EVENT@ロンドン【イギリス】
2月22日 タリン【エストニア
2月23日 ベルリン(仮)【ドイツ】
2月23日以降、FREE!【欧州界隈】
2月24日 わたり食堂【0円食堂】(帰国できるか不明)

🌐🌐🌐呼ばれたら何処でも行きます🌐🌐🌐

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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両極を見る。

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Purley

 

先月、パリで非常にいい人に出会った。しかし、いい人だと思った直後に「全然いい人じゃねえ」と思った。その人は、いい人ではなく『いい人だと思われたい人』だと思った。表面的には、華やかな見てくれをしている。が、その華やかさは「内面から滲み出ているもの」ではない。ただ、上っ面だけを整えたところでバレるものはバレる。この人は、褒められたい、認められたい、誰かに「あなたはすごいひとね」と言われたい承認欲求のおばけだ。わたしは、反骨心だけは豊満にあるから、そういうひとを見ると「俺だけは絶対にお前を褒めない」みたいな気持ちになる。気分は、カツアゲをするチンピラである。おい。出せよ。持ってるんだろ。わかってんだよ。その、隠しているものを出してみろよ。みたいな気持ちになる。

 

世の中に蔓延する「いつも明るく元気でいなければいけない」「キラキラしていなければいけない」「ワクワクすることをやらなければいけない」「常にポジティブでいなければいけない」という風説にはうんざりするが、それ以上に、それを盲信して実際にやっ(ちまっ)ている人を見ると、どうしてなのだろうか、腹部を思い切り殴りたくなる。腹部を殴ったら、そのひとのどす黒い部分がエクトプラズマみたいに口から「おげえ」と飛び出して、一瞬で気分爽快になるんじゃないかと思う。わたしは思う。なぜ、半分しか見ない。なぜ、良い(とされている)部分しか出さない。暗い部分があってこその明るさであり、悪い部分があってこその自分である。それなのに片方しか出さない人間を見ると、俺は簡単には納得しないぜ、ほら、もう片方を出してみろよ、ほら、ほら、ほらぁ…!みたいな気持ちになる。

 

生きるとは、葛藤による摩擦熱である。葛藤があってこその人間であり、すました顔で「何も問題なんてありませ〜ん♬」とか「すべては宇宙のタイミングぅ〜♬」みたいなことを言う人は、ただのバカだと思う。誤解されると困るが、わたしは、バカが好きだ。しかし、こういうバカは嫌いだ。あれ。違う。これではただの悪口になってしまう。わたしは「酸いも甘いも全部こい。それでこその人生じゃないか」と言いたいのだ。なぜ、片方だけを歓迎する。なぜ、良い(とされている)部分だけしか見せようとしない。漫画の主人公が世界中から共感を集めるのは、彼らが完全無欠のスーパーヒーローだからではなく、数々の葛藤を抱えながら「それでもなお」と生きる方向に舵を取るからだ。葛藤を引き受けて立つ。その姿に胸は震えるのだ。格好いい姿だけではない。無様な姿も晒して生きる。その姿が見る者の心を打つんじゃないのかと。それなのにお前は一体なにをやっているのだと。それ(半分だけ)では逆効果じゃないかと、小一時間問い詰めたい気持ちになるのだ。

 

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逆をやるのは、ど真ん中を射抜きたいから。

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London Bridge


生きることは『全部』だ。何も避けなくていい。全部引き受けていい。ダメでもいいし、悪くてもいいし、バツでもマルになる。ダメでもいいとか、悪くてもいいとか、バツでもマルとか、論理的にはめちゃめちゃだ。論理的に破綻をしている。しかし、論理的には『NG』であり『なし』なことでも、人生的には『OK』であり『あり』になる。人間は矛盾を抱えた生き物だ。よくなりたいと思う反面、ダメになりたい。堕ちるところまで堕ちてみたい。そういうことを思う。生きたいと思う反面、死にたいと思う。終わりにしたいと思う。ある極から、まったく正反対の極に移動すること。そして、そのことを『いい』と思うこと。両極を横断すること。論理的に破綻をすること。論理を超えること。それが、生きているということだ。

 

崇高な道を選べば、必要なものは与えられる。過去の自分は、こういう言葉が好きだった。だから、できる限り崇高な道を選ぶように生きていきたいと思っていた。しかし、最近の自分は「必要なものは与えられる」とだけ思っている。別に、崇高である必要はない。崇高であろうと、崇高でなかろうと、必要なものは与えられる。崇高であることが条件みたいになるのであれば、そんなものは要らない。余計な前置きを取っ払う。崇高であろうが、崇高ではなかろうが、必要なものは与えられる。もっと言えば「必要なものは、与えられても、与えられなくても、どちらでもいい」と思うようになった。与えられることが人生ならば、与えられないことも人生だ。そこに価値の差はない。どちらにも共通してあるものは、ただ、人生が帯びる「味わい」だけである。生き方に正解はないのだから、生き方に間違いもない。すべての生き方に味わいはある。だからこそ、いま、ここにある人生を噛み締めていきたい。ここにある人生を噛みしめるために、自分を、時には真逆の位置に置いて「どうなるのかを観察する」ということをする。これは料理に似ている。自分と、どのような食材を組み合わせたら、自分という食材は生きるのか。次の食材が『音楽』だ。音楽を通じて引き出される自分を、自分の旨味を、自分の振れ幅を、自分の可能性を、自分の聖性を、自分の穢性を、期待している自分がいる。

 

葛藤。それは「極と極」のぶつかり合い。やることを恐る自分と、やらないままで終わることを恐る自分の、生存を賭けたぶつかり合い。ぶつかり合いによって生じる摩擦熱が、自分を、世界を、温める。ワクワクよりも、好きとか楽しいとかいう感情よりも、強いものは「恐怖」だと思う。これをやったら自分は一体どうなってしまうのか、もしかしたら、自分はダメになってしまうのではないか。ワクワクよりも『ゾクゾク』すること。自分をゾクゾクさせるもののなかに、自分を引き上げる突破口を感じる。天国は、いつも、地獄の先にある。地獄を経る(ヘル…地獄なだけに!)ことで、天国を見る。逆をやるのは、ど真ん中を射抜きたいから。ただ、そうとしか言えないもの。裏のないもの。反対のないもの。対義語のないもの。昔の人は、それを真実と言ったのかもしれない。たとえるなら、それは海に沈む夕日。言葉を失うもの。見るものから、言葉を奪い去るもの。ああ、としか言えないもの。ただ、そうとしか言えないもの。裏のないもの。反対のないもの。対義語のないもの。そんな『絶対的ななにか』に触れたいから、生きるのだと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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挑戦しないで、なにが人生だ。

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花束を抱えてヴェネツィア行きの鉄道に乗る。隣の席のイタリア人女性が、誰かから貰ったのか、ピンク色のバラの花束を抱えている。目が合い、彼女は微笑む。わたしも微笑む。花があり、花屋に並び、それを買い、鉄道に乗り、待ち合わせをして、花を届ける。花は、ある地点から、ある地点まで、旅をする。わたしは、なにかを届けるために、ある地点から、ある地点まで、なにかを運ぶ。ある地点から、ある地点まで、なにかを運ぶ。届ける。伝える。誰もが、いま、その途上にいる。

 

 

おおまかなスケジュール

2月16日 ヴェネツィア【イタリア】
2月17日以降、FREE!【欧州界隈】
2月20日 EVENT@ロンドン【イギリス】
2月21日 EVENT@ロンドン【イギリス】
2月22日 タリン【エストニア
2月22日以降、FREE!【欧州界隈】
2月24日 わたり食堂【0円食堂】(帰国できるか不明)

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坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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伝える。伝えようとする。

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Venice


メストレ駅でミユさんと合流をする。花を渡す。車に乗り、カフェに行く。イタリアのビールを注文する。テラス席に座る。先月、フィレンツェでミユさんにお会いした際、僭越ながら「俺たちは定期的にあったほうがいい気がする」という感覚を覚えた。みなさまには、そういう経験はあるだろうか。初めて会った誰かに対して、まるで、初めて会ったとは思えないなにかを見出す感覚。一緒の時間を過ごすことで「お互いの良い部分を引き出し合う」ことができると思える感覚。大袈裟な言葉で言えば、お互いの中に眠っていたなにかを『覚醒』しあえる誰かとの邂逅。

 

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Flower and Ornament

 

ミユさんは言う。なにか、一緒にできることがあればいいですね。たとえば、音楽など。と。わたしは『音楽』という言葉を聞いた瞬間に緊張した。音楽。それは、自分にとって『ずっと逃げ続けていたもの』になる。わたしは音楽を愛していて、高校時代、生きていてもなにもいいことはないと暗く塞いでいた時期を過ごしていた間も、音楽を聞いている間だけは自由を感じることができた。音楽がある世界を「もう少しだけ生きていきたい」と思っていた。音楽は人間を自由にする。当時、強い感動を覚えた自分は、同じように、自分も誰かを『自由』にさせることができるなにかをできたらと、そういうことを思った。できることならば、それは、他の何物でもない『音楽』そのものを通じて、実現することができればと思っていた。

 

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Exposed to the afternoon sun

 

その思いをミユさんに話した。自分はこれまで音楽から逃げてきた。そして、逃げる限り『永遠に追われる』という感覚がある。自分はロックンロールが大好きで、ロックンロールとはなにも音楽のジャンルだけの話ではなく、生き方にも通用する話だと思っていた。だから、わたしは、ロックの精神を生き方に宿らせるような、そういう日々を送ってきたつもりだ。が、それを『音楽を通じて』やっていないという点において、後ろめたさがある。これまでの人生、自分なりに色々な出来事を体験し、色々な世界を見て、痛い目にも、最高だと思える目にもたくさん遭遇した。しかし、このまま、音楽をやらないまま人生を終えたら、もうひとりの自分が死に際の自分にこんな言葉をささやく気がする。それは『結局、お前はなにもやらなかったな』という言葉だ。もうひとりの自分から、結局、お前はなにもやらなかったなと言われてしまう生涯を過ごすことは恐怖だ。だから、わたしは、音楽という言葉を聞いた瞬間、どうしようもない緊張を覚えた。音楽をやることも、音楽をやらないことも、自分にとっては『恐ろしいこと』なのだ。と。すると、ミユさんは、驚いたことにこのような言葉を返した。わたしも、まったく同じです。と。

 

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挑戦しないで、なにが人生だ。

60歳でヨボヨボになるとして、いま、自分の年齢は33歳。ヨボヨボになるまで、残り27回しか『春』はない。このことを冷静に考えてみよう。これは結構やばいことだ。ありあまるように見える時間も、実は、結構ない。それならば、こんなことをしたら恥ずかしいとか、どんな風に思われるだろうとか、そんなことを気にしている場合ではない。自分は自分のままでいいとか、生温い言葉で自分を慰めている場合ではない。音楽をやるということは、自分の『一番恥ずかしい部分を出す』ということだ。自己受容より自己破壊。残り27回の春の中で、どれだけ「自分を追い込む」「自分を破壊する」「自分を生まれ変わらせていく」ことができるのだろう。

 

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屋上に登り空を眺める。ミユさんは、朝日を眺める度に「今日もこの惑星に生きていられることの幸福を思う」と話す。自分が宇宙人だとして、いま、短い時間だけ人間をやることが許されているのだとしたら、どのような瞬間もたまらなく嬉しいものであり、涙が出る、そして、生きられるだけ生きてやりたいと思うのだと、そういうことを話した。生きていると、どうしても『無難であること』を優先してしまう瞬間がある。が、無難であることを冷静に考えてみる。なにも問題の起こらない日々。なにも障害のあらわれない人生。そういう日々のなかの、いったい、どの瞬間に「うおー!」とか「よっしゃー!」とか、思わず天に拳を掲げてしまうような、よろこびに声をあげて泣いてしまうような、そんな瞬間を見出せばいいのか。

 

スポーツを見ながら、わたしは「だからなんなん」と思う。160キロの球を投げる。それを打ち返す。バックスクリーンに運ぶ。42キロを走る。ゴールテープを切る。誰よりも早く走る。ボールを蹴る。パスを回す。ゴールに運ぶ。鉄球を投げる。叫び声をあげる。誰よりも遠くまで飛ばす。スキーで飛ぶ。猛烈な助走をつける。誰よりも遠くまで運ぶ。160キロを投げたからなんだというのだろう。42キロを2時間で走ったからなんだというのだろう。誰よりも遠くまで運んだからなんだというのだろう。と。同時に、猛烈に感動をしている自分もいる。意味じゃないんだ。スポーツに意味を求めたら、存在そのものを否定することになる。意味はなくても、熱狂はある。それに触れるものたちの狂熱がある。ある地点から、ある地点まで、なにかを運ぶ。なにかを運ぼうとする。そのことが尊いのだ。伝える。伝えようとする。伝えるために心を尽くす。伝えるために気持ちを尽くす。生きることとは運動で、運動とは「動き、運ぶ」ことだ。自分を、自分の思いを、ある地点から、ある地点まで、運ぶこと。運ぼうとすること。そのことが尊いのだと思う。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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自分が幸せでいることが、身近な人間を幸せにする。

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パリを経由してイタリアのミラノにいる。今朝、両親がただ仲良く過ごしている、それだけの夢を見て泣きながら目覚めた。不思議だ。別に、自分に何をしてくれた訳でもない。ただ、自分にとって大切な人には、不完全だとしても構わないから、幸せそうに生きていて欲しいと願う。そして、自分が幸せでいることが、身近な人間を幸せにするのだと思った。

 

 

おおまかなスケジュール

2月14日 ヴェネツィア【イタリア】
2月15日 ブタペスト【ハンガリー
2月16日以降、FREE!【欧州界隈】
2月20日 EVENT@ロンドン【イギリス】
2月21日 EVENT@ロンドン【イギリス】
2月22日 タリン【エストニア
2月22日以降、FREE!【欧州界隈】
2月24日 わたり食堂【0円食堂】(帰国できるか不明)

🌐🌐🌐呼ばれたら何処でも行きます🌐🌐🌐

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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生かされている責任。

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Paris

 

13日早朝にパリに到着をする。パリ在住の日本人女性から「お昼をご一緒しましょう」とご連絡をいただく。到着ゲートでチュニジア人の男性が「Mr.Keigo Sakatsume」と書かれた紙を掲げている。黒塗りのワーゲンに乗り込む。全席が革張りで、走りの安定感が凄い。女性のご自宅に到着し、大量の果物をいただき、浴槽に浸からせていただいた後に「長時間フライトでお疲れでしょう」と布団をご用意していただいた。数時間眠り、昼前に目覚め、北アフリカ料理を提供するレストランに足を運び、タジン料理やクスクスをいただく。食後に「消化を助ける作用があるのですよ」と甘いミントティーをご馳走になった。幸せな時間が流れていた。

 

神谷美恵子の作品に「生きがいについて」という書籍がある。その本のなかに『生かされている責任』という言葉が出てくる。わたしは、現在、家も仕事も特定の肩書きも持たないまま、呼ばれた場所に呼ばれるまま移動を続ける生活をしている。いま、自分が生きているのは「自分を生かしてくれている」人々がいるからだ。このような生き方をしていると、出会う人々から「あなたには夢や目標はあるのですか」と頻繁に問われる。しかし、わたしには、夢や目標などがない。ただ、瞬間瞬間における「こうしたい」と思った声に従って生きているだけで、目指している境地、こうなりたいと思う人間像、ストックされている夢や目標みたいなものはない。しかし、時折、自分は「大きな何かにつながる道を歩いている」と感じることがある。これは、自分の意思を超えたものだ。歩いているというよりも『歩かされている』ような、書いているというよりも『書かされている』ような、自覚している夢や目標はないけれど、まだ、自覚をしていない夢や目標の存在を感じている。

 

パリでお会いした女性は、わたしの生き様を見て「こんなにも清く、こんなにも美しいものはない」と仰った。彼女は長年演劇を生業として生きている。あらゆる作品は、見る人がいてはじめて完成する。だから、誰の前でやるか、何処の国でやるか、など、それを見る人が変わるだけで(同じ作品を公演しているにも関わらず)完成度は大きく変わるのだと言った。作品の価値は、固定的なものではなく流動的なものなのだ。あらゆる作品が『見る人がいてはじめて完成する』ものならば、多分、人間も同じだと思う。その作品の価値、その作品の意味、それを決めるのは作り手だけではない。作り手は、それを世の中に放った瞬間に「その解釈は聞き手に委ねている」のだと思う。わたしという人間が生きる意味。それは、わたしだけでは織りなすことのできないものだ。それを見てくれているひとがいて、はじめて、自分という人間の『意味』であったり『価値』であったりが、織りなされるのだと思う。だから、わたしは、呼ばれるままに移動を続けて、書きたいと思うことを、時折「書かされている」などと思いながら、こうして書き続けているのだと思う。

 

🇬🇧🇬🇧🇬🇧ロンドンのイベント情報はこちらです🇬🇧🇬🇧🇬🇧

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自分が幸せでいることが、身近な人間を幸せにする。

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Aéroport de Paris-Charles-de-Gaulle

 

今朝、両親の夢を見た。わたしの両親は新潟で床屋を営んでいて、土日祝日も仕事があったためにわたしはほったらかされて育った。家族旅行の記憶もないし、基本、ひとりで遊びを見つけてはそれを実行する日々を過ごしていた。彼らは、勉強をしろとかそういうことを一切言わなかった。警察のお世話だけにはなるなよ、と、親から言われたことはその程度だった。高校に(禁止されている)原チャで通っても何も言わなかったし、教師から怒られても「それはあんたの問題だからね」と、わたしが怒られる責任(怒られる自由)をわたしに残したままにしてくれた。

 

わたしは鈍感な人間だから、普通、夫婦というものは仲の良いものだと思っていた。しかし、小学校高学年くらいの時に「あれ、もしかしたら自分の両親はあまり仲良くないのかもしれない」ということを、突然思った。きっかけは忘れた。ただ、この時の衝撃は結構なものがあった。仲が良いと思っていたはずの両親は、実は『情』でつながっているだけなのだと、そういうことを兄や姉から聞いたときは「まじか!」と驚きを禁じ得なかった。悲しみを覚えた。こどもたちのために別れたいけど別れないでいるとか、嫌な仕事も嫌々やっているのだとか、もし、そういうことであれば「俺のことは気にしないでくれ」と思った。自分の存在が重荷になっているとか、自分の存在が身近な人間の自由を奪っているのだとか、そういう風に感じることはしんどかった。だから、俺のことは気にしないでいいから、自分が楽になる道を選んでほしいと思った。しかし、まだ、わたしは無力で、言葉を選べずに、帰り道の匂いだけ優しかった(cocco「Raining」参照)頃のわたしは気持ちを伝える言葉をもてず、やさぐれるという非常にわかりやすい形で不良になった。

 

こどもと親が思っていることは、多分、一致をしている。それは「不完全でも構わないから、幸せそうに生きていてほしい」という思いであり、生きていることを楽しんでほしいという願いだと思う。 母親(父親)が不幸そうに生きている姿を見せることは、それだけで虐待にあたる。そういう言葉を前に聞いた。人間を傷つけるものは、必ずしも悪意だけではない。良かれと思ってやっていること、善意を通じてでも人間は人間を傷つけることができる。あなたのためにやっていることが「あなた」のためにならないこともあるし、自分のために生きることが、結果的に「あなた」のためになることもある。だから、わたしは思う。わたしは、わたしの幸せに責任がある。自分が幸せでいることが、身近な人間を幸せにするのだと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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心はあなたのもとに。

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川崎アゼリアロッテリアにいる。欧州遠征にあわせて「ブタペストの『セ』からはじまる名前の温泉に行って、過去に水着を忘れて入れなかったわたしの雪辱を果たしてください!」と御依頼を受けた。これはもうハンガリーに行くしかない。調べたらブタペストは温泉天国みたいだ。温泉は大好きだから高まる。20日はロンドンで追加公演と言う名のお話会が開催されることになった。是非、みなさまも坂爪圭吾を好きなように(身代わり旅行の分身として)使っていただけたら幸いです。

 

 

おおまかなスケジュール

2月13日 昼・パリ【フランス】
2月13日 夜・ミラノ【イタリア】

2月14日 昼・ヴェネツィア【イタリア】
2月15日 夜・ブタペスト【ハンガリー
2月16日以降、FREE!【欧州界隈】
2月20日 EVENT@ロンドン【イギリス】
2月21日 EVENT@ロンドン【イギリス】
2月22日 昼・タリン【エストニア
2月22日以降、FREE!【欧州界隈】
2月24日 わたり食堂【0円食堂】(帰国できるか不明)

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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逢初庵 

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熱海の家を「売るだのあげるだの」など言っていたが、引き続き開放している。希望者の方は無料で利用&宿泊できる。各種イベント開催なども一切料金は取らない。多分、この家には神様が住んでいる。だから、これまでのように「必要とされる方に無料で提供する」在り方を続けたいと思う。管理人は不在で、家の鍵は常に空いている。利用者は家にあるものを自由に使える。玄関に置いてある財布のお金も出し入れ自由。一切のルールはないが、家は常に綺麗に保たれている。もしかしたら、これは奇跡なのかもしれない。利用者の方々は、大概、この家を大切に使ってくれる。完全なる善意で掃除や洗濯をしてくれたり、わたしの代わりに「光熱費の請求書が届いていたので払っておきました」と連絡をくださる方も少なくない。

 

冬の熱海はハワイに似ている。温暖な気候が、そのように感じさせるのかもしれない。熱海駅前は完全に俗っぽい雰囲気だが、逢初庵のある伊豆山界隈は空気が綺麗だ。様々な鳥の鳴き声が常に響いている。昨日、名古屋在住の女性から「逢初庵に桃の花を生けさせてください」と連絡をいただいた。いま、逢初庵の床の間には桃の花が飾られている。家具や食器などを見て、女性は「ひとつひとつが素晴らしいですね」と言った。この家にあるものはすべて、来訪者の方々から譲り受けたものになる。だから、わたしは「素晴らしいですよね」と衒いなく答えることができる。謙遜をする必要がない。この家は、わたしのものであって『わたしだけ』のものではない。家具も食器も、わたしが手に入れたものではなく、わたしに『与えられた』ものである。わたしが讃えられているのではなく、わたしに関与してくれた世界が讃えられているのだと感じる。わたしも『讃える側』でいることができる。

 

逢初庵と同じような家を横浜の菊名に設け、ごちゃまぜの家と名付けた。もうすぐ二年の月日が経つ。どちらも家も、一時利用なら事前連絡は不要。宿泊やイベント利用の場合に限り、ダブルブッキングを避けるために事前連絡をもらえたらと思う。熱海の家は坂爪圭吾まで、横浜の家は稲村彰人までご連絡をいただけたら、数時間以内に返信をする。これらの活動は「人間をどこまで信用できるか」の実験みたいなものかもしれない。家を解放していると危ない目にあうことはないのか、と、行く先々で問われる。が、事実、危ない目にあったことは一度もない。家のものがなくなることはないし、なくなって困るようなものもない。わたしは、地球に財布はひとつしかないと思っている。だから、お金がなくなることはない。畢竟、誰がもっているかの違いでしかない。金だけではない。家も家具も食器も同じだ。

 

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わたり文庫『心はあなたのもとに』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、村上龍著作『心はあなたのもとに』です。他にも紹介したい文章がいくつもあったのですが、長くなるために以下の引用箇所だけで留めておきます。小池真理子が「優れた自己分析の書」と評したように、村上龍の観察眼が抜群です。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、大阪府にわたりました ※※※

 

あなたはお父さんが道楽者だっていうけど、児童心理学的に言うとね、父親の役目は、子どもたちにね、自分の世界は自分でエクスパンドできるってことを教えることなのよ。自分がいる場所や世界ね、それに人間関係も、閉じられていなくて、拡げることができるって、言葉じゃなくて、行動とか態度で伝えることなんだけど、そのためにはあまり家にいなくて、社会的規範から自由なのが、実は理想なんだよね。もちろん犯罪者じゃだめよ。その辺が微妙だからむずかしいんだけどさ。楽しくてしょうがないっていう仕事を持っていることが大事、それで家にずっといて家庭のことに口出しなんかするのは最悪。適当がいいの。適度にふまじめでないとダメなの。社会的規範をしっかり守るのは、息苦しくて、子どもにとっては世界が閉じられたも同然なの。わたしがこんなことを言うのも変だけど、お父さんはあなたに本当に大切なことを教えたのよ。自分の世界は自分で拡げることができるってことを、言葉じゃなくて態度と行動で教えたの。そんなことを話す母は、とても幸福そうに見えた。わたしと久しぶりに食事をしているからではない。子どもの父親としてではなく男として好きな夫と暮らしているからだと思った。

 

村上龍『心はあなたのもとに』【文春文庫】 

 

心はあなたもとに。

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河津桜


誰もがファンタジーを生きているのだと思う。見たいものを見て、聞きたいことを聞き、捉えたいように世界を捉える。それがどれだけモノクロの世界だろうが、そう見たいと思うのならば、世界は要望に応えてくれる。熱海の家にあるボケの木が、赤い花を実らせた。わたしは、それを見たときに「おかえりなさい」と言われているような気がした。無論、ただの勘違いかもしれない。しかし、わたしは、たとえば燦々と照りつける太陽を浴びるだけで、俺は祝福されていると思えるような多幸感を得る。俺は地球に愛されている。たとえ、ただの勘違いだとしても、そのことがわたしを幸せにするものであれば、ただの勘違いでも構わないのだと思う。

 

わたしはミユさんと言う女性を広い意味で愛していて、だが、最近のミユさんのnoteの記事の最後に「大好きな男性と東京でイベントをします!」と書いてあるのを見ると、穏やかではない気持ちになる。誤解を恐れながら言うと、共演者の男性に対して「けっ!」みたいなことを感じる。そして、ああ、これが嫉妬なのかということを思い知る。俺のほうがあいつよりももっと彼女の魅力を知っているはずだ、とか、勝手なことを思い巡らせて自爆する。別に、その人が誰かを好きだと思うことが、自分に向けられた愛情の減少を意味するわけではない。頭ではわかっている。頭ではわかっているはずなのに「お前がそっちに行くなら、俺だってあっちに行っちゃうぞ!」とか、幼稚的な反発心を燃やして一方的に拗ねる。書きながら「自分、まじでだせぇな」と思う。まじでだせぇなと思いながら、嫉妬を打ち消す方向ではなく、嫉妬を受け入れる方向に舵を取る。嫉妬をするということは、その人が、自分にとって大切なひとだからだ。だからこそ、嫉妬をしない方向(ひとりになる方向)に舵を取るのではなく、そのひとを好きだと思う「その気持ち」に殉じる方向に舵を取る。そう思った途端、嫉妬を悪いものとしてではなく、嫉妬を当たり前のものとして受け入れた途端、不思議と、嫉妬の思いは消えてなくなった。

 

後に残ったものは『爽快感』だった。愛されたいと願うより、好きでいてもらいたいなどと願うより、自分はただ、自分が思う『好き』に殉じればいい。その『好き』が、時には嫉妬という形を借りて表現されることもある。しかし、自分の嫉妬を打ち消すことは、自分の好きを打ち消すことにもなる。だからなのだろうか、嫉妬を認めた途端、嫉妬は消え、ただ『好き』だけが残った。時折、恋愛ドラマなどで「私とはただの遊びだったの!?」みたいな感じで、男性に翻弄された怒りを表現する女性を見る。それを見るたびに、わたしは、こんなことを思う。これはお前との関係だけじゃない。俺の人生は、全部、遊びなんだよ。と。軽い気持ちで付き合っていることを咎められても、俺は、愛も、命も、人生も、重いものにはしたくない。無責任だと思われようが、俺は、軽い気持ちでやっていきたいんだよ。と。

 

 

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Spring has come

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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ただ、自分に飽きただけ。

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和歌山の紀の川にいる。欧州遠征にあわせて「エストニアのタリンの街並みが大好きなので、もしもエストニアに行くなら写真を撮って送ってください!」とお仕事を受けた。これはもうエストニアに行くしかない。そう思い、2月22日にエストニアに行く。わたしの予定はこういう感じで決まる。先にやりたいことがあるというよりも、誰かの希望を通じて自分のやることが定まる。自分自身はからっぽだが、からっぽであるが故に人生が有効活用される「無用の用」的な生き方をしている。

 

 

おおまかなスケジュール

 

2月7日~12日 季節労働真っ盛り!お仕事募集中!【日本】
2月13日 パリ【フランス】

2月14日 ヴェネツィア【イタリア】
2月15日以降、FREE!【欧州界隈】
2月21日 EVENT@ロンドン【イギリス】
2月22日 タリン【エストニア
2月23日以降、FREE!【欧州界隈】
2月24日 わたり食堂【0円食堂】(帰国できるか不明)

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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優しさが邪魔。

和歌山で「僕にも珈琲を淹れてください!そしてお話をしましょう!」というご依頼を受けて紀の川の河川敷に来た。男性は話す。自分は人に嫌われたり人を悲しませたりすることを過度に恐れる気持ちがあり、他者と腹を割って話すことができない。自分らしくあれたらと思うのだが、恐怖心が常につきまとうからどうすればいいのかわからない。と。それを聞いたわたしは、まず、いの一番に「俺が一番嫌いな生き方は、嫌われないように生きることだ」と返答した。嫌われたくないということは、逆に言えば「無難に振る舞っている限り自分は嫌われることはない」という思い上がりを感じてしまう。ふざけるな。そんなものが俺に通用すると思うな。無難な対応をされるのが俺は一番嫌いなんだよ、と、そういう感じで返答をした。

 

あともうひとつ。「自分らしさ」などとあなたは言うが、そこはかとない生ぬるさを感じる。自分らしさとは良いことばかりじゃないんだよ。逃げるのも自分なら、傷つきたくないとビビるのも自分。全部ひっくるめての自分なんだ。どこかに「本当の自分」がいると思うのは幻想だ。いまの自分がダサいなら、この『ダサい自分』が自分なんだ。だから、恐怖心さえなくなれば云々ではなく、恐いなら、恐いままやる。恐いまま生きる。それが自分を生きるってことなんじゃないのか。良い部分だけをチョイスして、悪い部分は「本当の自分ではない」ことにする生き方は欺瞞的だ。全部ひっくるめての自分なのだから、自分の中にある『全部』を引き連れて生きるのが本当なんじゃないのか。それが自分らしさなんじゃないのか。と。

 

あなたは優しい人間なのだと思う。優しいからこそ自分の本音を押し殺して、優しいからこそ周囲に合わせた生き方を選んできたのだと思う。無論、優しさは大事だ。思いやりも大事だ。しかし、誰かの犠牲の上に成り立つ予定調和的な平和は『偽物の平和』だと思う。誤解を恐れながら言うと、あなたの優しさがいまはすげぇ邪魔だ。あなたはもう既に充分に優しい。だから、これ以上優しくなろうとする必要はない。優しさではなく『強さ』を持ちなさい。あほな意見だと思うかもしれないが、筋トレは非常に効果的だと思う。自分らしさよりも『男らしさ』を感じた方が効果的な時期がある。あなたは男だ。野性味を取り戻す時間が必要だと思う。

 

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ただ、自分に飽きただけ。

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野点カンタービレ

 

河川敷で話したことが功を奏したのかもしれない。屋根があると閉鎖的になる。男性は話す。自分は仕事を辞めて半年近く実家で引きこもりのような生活をしていた。だから、こうして外に出るきっかけを求めて、坂爪さんに連絡をしたのだ。と。これは素晴らしい試みだと思う。家にいると(特に男は)思考が偏って物事を深刻に考える。自分なんかダメだ、自分なんかダメだという感覚に取り憑かれて、抜け出すことが大変になる。しかし、生きることがなかなかつらいと感じている原因の大半は、実は「つらいのではなく『つまらない』だけ」というのがわたしの自論だ。単純に、いまの自分(いまの自分の日々)に飽きているだけなのだと思う。

 

そういうことを男性に話すと「そ、そうかもしれません!自分は、引きこもりみたいな生活に飽きているのかもしれません。みんなは、なんと言えばいいのか、いまはゆっくり休めばいいんだよとか、僕を慰める言葉をかけてくれます。でも、坂爪さんに『自分に飽きている』と言われて、すごい腑に落ちる感覚がありました。勇気とか、自分を奮い立たせるとか、そういうことではないのだなって。ただ、自分は自分に飽きていただけなんだなって思ったら、なんだか気持ちが楽になりました。実は、親にずっと言いたかったけど言えないことがあったのですが、それを話してみたいと思います。どうしても傷つけることや傷つくことを恐れてしまう部分はありますが、それも含めて自分なら、退屈な日々を過ごすよりも変えていこうとする方が、なんだかいいなあって。そういうことを思いました」と話してくれた。

 

ここまではよかった。ここで終わればハッピーエンドなのだが、その後、男性は「(腹を括った表情を浮かべながら)今日は野宿をします」と突然の野営宣言をした。それだけならまだしも、自分の財布をおもむろに取り出して「こんなものがあるからダメなんです」と言いながら、所持金のすべてをわたしに向かって差し出した。わたしは、もう、なんだか愉快な気持ちになってしまって「よっしゃ!それならばあなたの心意気を受け取りましょう!」と言いながら声をあげて笑った。笑いながら、ああ、そう言えばこの男性と会ってからはじめて俺は声をあげて笑っているなあと思った。この男性は死ぬ気である。わたしは「死なないでくださいね。あくまでも『生きる』とか『生きてやるぜ』って気持ちを前提に生きてくださいね」と言った。すると、男性は「ありがとうございます。言っていることの意味はわかります。ただ、僕は、ここで一回死にたいのだと思います。そして生まれ変わったらまた会いたいと思います」と言いながら、車に乗り込んで姿を消した。彼は、今夜、どこで眠っているのだろうか。季節は真冬である。この星のどこかで、彼は、どこかで凍えながら眠っているのだろうなと思うと、地球をいつもよりも身近に感じる。彼も生きているのだから、よし、俺も生きてみせようという気持ちになる。

 

 

https://www.instagram.com/p/BtkTNksAF1j/

Kinokawa

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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かわいそうな人間なんていない。

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大阪のなんば駅にいる。過去記事を発作で削除してしまった。非常にありがたいことにお仕事のご依頼をいただいた。小生、出稼ぎの季節労働者である。欧州行きの旅費を稼がなければならない。仕事の内容は「坂爪さんの淹れた珈琲を飲みたい!」というものと「荷物を届けて欲しい!」というもので、これくらいだったら自分にもできる。嬉しい。よかった。基本的に予定はガラガラなので、もしも「それならばあなたにこれをお願いしたい!」などあったらお気軽にご連絡ください。

 

twitcasting.tv

 

 

おおまかなスケジュール

 

2月6日~12日 季節労働真っ盛り!お仕事募集中!【日本】
2月13日 パリ【フランス】

2月14日 ヴェネツィア【イタリア】
2月15日以降、FREE!【欧州界隈】
2月21日 EVENT@ロンドン【イギリス】
2月23日以降、FREE!【欧州界隈】
2月24日 わたり食堂【0円食堂】(帰国できるか不明)

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諸悪の根源は家庭環境にある。のか?

元気について考えた。元気にも二種類あって、相手の元気を奪って元気になる人と、自分の元気を通じて相手まで元気にする人がいる。前者は一緒にいると爆発的に疲れるし、後者は一緒にいると前向きな気持ちになる。元気とは、よく喋るとか、よく動き回るとか、そういうことではない。一緒にいると前向きな気持ちになるということだ。元気な人は自然だが、元気「風」な人は不自然だ。元気風に見せることで、何かを隠している、何かから目を逸らしている印象を受ける。背後にあるのは、多分、恐怖だ。忙しく立ち回っている間は、その恐怖を忘れていられる。しかし、その恐怖は常に自分の裏側にあって、それが周囲に伝染するのだと思う。

 

人と会うことが多いから、そう言う時は、できるだけ冷静に相手を観るようにしている。多くの場合、わたしは「家庭環境に問題があったのかな?」という感想を抱く。親から愛されなかった人間は他者を愛することができない。など、そういう話は頻繁に聞く。虐待を受けて育ったこどもは健全な自己肯定感を抱くことができない。だから、常に周囲にあわせるような行動をしたり、自分の感情を押し殺す方向に舵を取る。とか。しかし、本当にその通りなのだろうか。この論理でいくと、たとえば、孤児院で育ったこどもは全員「幸せになれない」ということになる。そうなのだろうか。そうではないような気がする。親から愛されていないことと、親から愛されていないと『思っている』ことは別物だ。完全に不幸であることと、自分は不幸だと『思っている』ことは、似ているけれど結構な違いがあるように思う。

 

私は反骨精神強めの人間だから、家も金も仕事も色々なものを同時に失った時、自分に同情することを自分に禁じた。多くの人々から見て「かわいそうなことになっちゃったね」と思われるような状態になっても、へっちゃらでありたいと思った。笑ってやりたいと思った。勝手に決めつけてくれるなと思った。一番恐ろしいことは、自分が自分に「自分は無価値な人間だ」と決めつけることだ。それだけは避けたいと思った。世間的にはどれだけ惨めでも、常に「まだまだわからねえぞ」と思っていた。幸せになるための必要条件がまったく足りていない自分でも、ほれ見ろ、全然幸せになれましたよー(バーカバーカベロベロベ〜!)みたいなことをやりたいと思った。そして実践をした。実践をしたらできた。ざまーみろと思った。

 

note.mu

 

かわいそうな人間なんていない。

昨日、免許更新をしなければならないのに眼鏡の度があわなくて(眼鏡を買い換えるお金の余裕もないから)更新ができない、最悪の場合は免許を捨てることも考えていると話した内海さんに「それならわたしが眼鏡を買ってさしあげましょう!キラーン!」という女神様が降臨した。驚愕した我々は横浜のルミネにある眼鏡屋さんに足を運び、そこで、内海さんの眼鏡を一緒に選んだ。女神様は、決して、内海さんをかわいそうだと思ったから眼鏡を買ってあげた訳ではないのだと話す。内海さんの話している感じがなんだかすごい面白くて、共感もできるし、なによりも楽しそうだと感じたから「眼鏡を買わせていただきたい!」と思ったのです。と。それは、まるである種のゲームに「自分も参加をしている」ような話し振りだった。

 

正しいからじゃない。優しいからでもない。人格的に優れた人間だからでもない。ただ単に「楽しいと思ったから」誰かに何かをしたい・自分から動き出したいと思う時、その行為は最も純粋なものであるように思う。わたしは思う。かわいそうな人間なんてひとりもいない。ただ、人間を「かわいそうだと決めつける」固定的な考え方があるだけだ。我々の生き方は、見る人が見たら、他者からの施しを受けなければ生きていくことのできないかわいそうな人々、愚かな人々、劣悪な人種、圧倒的敗者、社会のゴミ、地球のフケということになるのかもしれない。しかし、昨日、我々は一緒に笑うことができた。そこに上下関係はない。買ってあげたほうが上で、買ってもらった方が下だとか、そういうものの一切がなかった。我々はフェアに話し、我々はフェアに笑い、我々はフェアに同じ時間を楽しむことができた。

 

人間、ひとりひとり違うように見えて「実はそんなに違わない」と思うことは多い。誰だって、夕日を見れば感動をするし、お風呂に入れば気持ちがいいし、お寿司を食ったらうまいと思うし、夏の終わりは切なくなるし、期末テストが終われば開放感で「うおー!」となる。大富豪だろうが貧乏人だろうが、上流階級だろうが被差別部落だろうが、親が健在だろうが不在だろうが、多分、一緒に笑えるポイントは無限にある。一緒に遊べるポイントは無限にある。かわいそうだから一緒にいるのではなく、あなたがいなければ生きていけないから一緒にいるのでもない。ただ、一緒にいることが楽しいから、一緒にいることがうれしいから、一緒にいたいのだと思う。笑う時、時折、涙が出そうになることがある。ふれあいを通じて生まれる温もりが、凝り固まった『何か』を溶かして、涙となって流れるのだと思う。

 

 

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222-0012
横浜市港北区富士塚2丁目24-5
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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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嫌われないように生きるより、潔く、嫌われてしまおう。

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みなさまは、誰かに「クソババア」って思うことはありますか??実際に、誰かにむかって「クソババア」って口にしたことはありますか??わたしはあります。昨日、生まれてはじめてクソババアと女性にむかって言いました。なぜならば、クソババアと言いたくなるほどに、その女性が、クソババアだったからです。私は、クソババージン(クソババアと生まれてはじめて口にすること)を卒業したのです。

 

 

おおまかなスケジュール

 

2月1日~12日 FREE!【関東&関西】
2月13日 バリ【フランス】

2月14日 ヴェネツィア【イタリア】
2月15日以降、FREE!【欧州界隈】
2月21日 EVENT@ロンドン(詳細は決まり次第更新します)
2月22日以降、FREE!【欧州界隈】
2月24日 わたり食堂【0円食堂】(帰国できるか不明)

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

ibaya.hatenablog.com

 

ケツの座りの悪い都会で。

一応、わたしにも「クソババアなんて言っちゃいけないよな」という良識はあります。なので、例えば、自分の発言や言動が誰かを不快にさせ、相手が激おこをもよおしてしまった場合などは「わたしの軽率な行動があなたを不快にさせてしまい、誠に申し訳ありません」みたいな言葉で謝罪をします。しかしながら、わたしの本心は、決して「自分が悪い」などとは思っていません。ただ、その場を丸く収めるために、相手が言ってほしそうなことを言ってあげているだけに過ぎないのです。

 

わたしは、学生時代の頃から教師を怒らせることが好きなタイプの人間(話が長い先生に、先生、あなたの話は長くてつまらないですと言っちゃう系)だったので、昨日、公開しているLINEで粘着質な女性から執拗に絡まれた際、ふと、そんな自分の特性を思い出しました。その女性は、彼女の一方的な思い込みでわたしに悪態の限りをついてきたのですが、さて、わたしはどのように返答をすれば彼女の誤解をとけるのか、とか、余計な刺激を与えずにそのままスルーをすればいいのか、など、そういうことを思い巡らせました。が、どれもこれもしっくりきません。消化不良で終わることは健康によくありません。そういうときは「自分に正直になるのが一番!」ということで、わたしは、一回冷静になって「いま、自分は彼女に対してどういう気持ちを抱いているだろう?」ということを観察することにしました。

 

出てきた言葉は『クソババア』でした。ああ、なるほど、そうなのか。彼女みたいな女性を世界はクソババアと呼ぶのだな、と、わたしは妙に腑に落ちてしまって、そんなことは言っちゃいけない、そんなことは言っちゃいけないと思いながらも「言ってしまったらどうなるのだろう」という好奇心がボロ勝ちをして、わたしは実際に口にしました。数々の悪態を書き連ねた彼女からの長文LINEに、わたしは、たった一行「クソババア」と返信をしたのです。その時は、もう、このやりとりが例えばスクリーンショットで記録されてWEB上などで公開されたとしても、別に、全然それでいいやという気持ちでした。わたしは、クソババアと言わない側の人間ではなく、クソババアと言ってしまう側の人間なのだと、そういう感じの市民権をあらかじめ得てしまった方が「結果的に生きることが楽になる」と感じたのです。

 

🌸🌸🌸わたしが生きる力を得ているKUMUさんの記事です🌸🌸🌸 

note.mu

 

嫌われないように生きるより、潔く、嫌われてしまおう。

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茅ヶ崎の海に行ってきました。

 

普通なら『クソババア』なんて口が裂けても言わないものだと思います。たとえ、誰かをクソなババアだなあと感じたとしても「この感情をどのように言い換えたら、相手を不快にさせない感じで、かつ、自分の言いたいことを的確に相手に伝えることができるだろう」みたいなことを考え、それを実践するのが『おとな』のやることなのだと思います。わたしも、一回、それをやろうと頑張ってみました。が、やっぱり、ダメなものはダメだったのです。遠回りな変化球を投げるトレーニングを重ねるよりも、わたしは「ストレートに勝負をしたい」と思ったのです。

 

普通なら言い換える。それがおとな。なら、おれはこどものままでいいや。なら、おれはクソガキのままでいいや。と、そういう感じの許可を自分に出して、わたしは『クソババア』と返信しました。返信しながら、ちょっと、体が震えていることを感じました。そうなのです。わたしの精神は、しっかりと怯えているのです。恐怖心がないからそういうことを大胆にやれるのではなく、しっかりとビビりながら、恐れながら、おののきながら、そういうことをやっ(ちまっ)ているのです。とは言いましても、では、クソババアと言ったことを後悔しているのかと言うと、それがまた微塵も後悔をしていないのです。非常に爽快な気持ちになり、長く続く便秘が解消した時のように、晴れやかな心持ちで「清々した」と感じるのです。

 

不思議なもので、人間は無意識のうちに「嫌われないためにはどうすればいいか」とか「失敗しないためにはどうすればいいか」という思考をする生き物だと思います。無論、真っ当な社会生活を送るためには必要な思考だとは思うのですが、どうしても、それだけでは窮屈に感じてしまうことが頻繁にあります。そんな時は、嫌われないためにはという制約を一旦全部取っ払って、逆に『思い切り嫌われに行く』というクソガキ的な在り方は、ひとつの突破口になり得るのではないか、と、そんなことをわたしは思ったのであります。無論、その後の反動も尋常ならざるものになりますが、それらを差し引いても「今日の俺、言ってやったぜ!」と思える1日があるということは、人生に素晴らしい広がりを与えるものだと感じました。 

 

 

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Chigasaki

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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一歩踏み込む。

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昨夜22時過ぎに「坂爪さんといつか話したいです!」と女性M様からLINEが届き、いつかとか言ってんじゃないよと思って「今夜ならいけます!それ以降は死んでいるかもしれません!」と御返事をした。ら、急遽、その日の24時に渋谷駅で落ち合うことになって我々は合流をした。適当なバルに入り、私はラムコークを、M様はりんごジュース(氷抜き)を注文した。氷を抜いた分、しっかりと全体量も少なく運ばれてきたりんごジュースを見て「この店はクソだな」と思ったことは内緒だ。

 

 

おおまかなスケジュール

 

1月28日~2月12日 FREE!【日本】

2月13日 欧州リベンジ【東京~パリ~ミラノ】

2月14日以降、FREE!【欧州界隈】
2月21日 EVENT@ロンドン(詳細は決まり次第更新します)
2月22日以降、FREE!【欧州界隈】

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu   

 

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ぶつかり稽古。

M様の話を聴きながら、なんだか、この人の言葉は頭で話されていることが多いなあと思った。私は、話を聞くときに、その言葉が「頭から出ている」のか「腹から出ているのか」を注意深く聞く。頭から出てくる言葉は一旦全部無視をして、腹から出てくる言葉だけに反応をする。だから、一見すると愛想が悪くて怒っているように見られることは多い。そんなことはない。私は全然怒ってなんかいない。だけど、あまりに誤解されることが多いから「なんだか頭から話される言葉が多いですね」とストレートに伝えることにしている。昨夜も、M様に、そのように伝えた。

 

M様は言う。頭で話していることは自分でも良くわかる。しかし、どうすれば腹から声を出せるのかがわからない。私は、自分から湧き出してくる思いに自信がない。だから、常に「正解とされていること」を必死に探して、それを使って会話をしてしまう。でも、そんな自分はもうこりごりなんです。私は自分を変えて行きたい。でも、どうすればいいのかがわからない。坂爪さん、私はどうすればいいと思いますかといきなり聞かれたので「それでは僕と相撲をとりましょう」と私は答えた。M様は「えっ!(なに言ってんのこいつ!頭おかしいんじゃないの!)」と軽く狼狽をした後、しばらく考えて、それはいい考えなのかもしれませんということを言った。我々は、バルを離れ、相撲をとるために真夜中のホテル街に向かった。

 

このあとの流れは読者のみなさまのご想像にお委ねする。大体、頭の問題を頭だけで突破することは無理がある。頭の問題こそ「体で突破する」ことが基本だと思う。文字通り、生々しいぶつかり合いを通じて「わー!」とか「ぎゃー!」とか叫び声をあげ、激流の渦に飲まれてへどろもどろになりながら、その体験を経て得た諸々を『生きた糧』にすればいいのだと思う。先に正解があって、それに従うという生き方は変だ。まず先に生き方があって、生き方の数だけ正解が生まれる。それが多様性だ。だから、正解は「みんなと同じ」である必要はない。自分にとって、それが正解ならば周囲から「お前は頭がおかしい」と言われても、それは正解になる。ぶつかり稽古を終え、M様の表情は清々しいものになった。無邪気な笑顔にあふれ、体が軽くなったと話した。それを見て、私も清々しい気持ちになっていた。

 

一歩踏み込む。

前に、KUMUさんと話したときに「バイクの教習所で立ちごけをしてしまって、その反動でコサックダンスを踊り出したら止まらなくなってみんなが見ている前で永遠に踊り続けてしまった恥で死にたくなった」とか「家の前でうんこ座りをしながらタバコを吸って、長渕剛の『とんぼ』を熱唱していたら近所のご夫婦に目撃されてしまってもう生きていけない」などと聞かせてくれた。私は、KUMUさんのこういうところ(ちゃんと恥ずかしがるところ)が大好きだ。じゃあやるなよ、とも思うけど、それ以上に「やり続けてほしい」とも思う。私は、変な人間が大好きだ。

 

note.mu

 

こういうことを書いていたら「坂爪さんの最近の記事にはがっかりしています!自分の好き嫌いを露骨に書くなんて!もう、あなたの記事を読みたいとは思いません!この、差別主義者!」などと訴える連絡が届いた。こういう連絡は稀に届く。勘違いをするなよと思う。別に俺はお前の期待に応えるために生きている訳ではないし、勝手に期待して、勝手に裏切られたと思う自分のメンタリティをまずは疑ってみたまえと思う。お前は甘い。ケーキにシロップをかけて食べるよりも甘い。ある意味同僚の保科さんは、今、宮城で死に物狂いの取り組みをしている。その営みに意味があるのか、ないのか、そういう基準を飛び越えたことをやる人間がいる。私はそういう人間を美しいと思っているだけであり、そうではない人間を醜いと言っている訳ではない。ただ、私は、私が「潔し」と思う人間を賛美したいだけだ。

 

note.mu

 

一歩踏み込む。一線を越える。それだけで毎日はドラマになる。心理学等では「これは相手の問題です」とか「これは相手の領域です」とか、自己と他者を切り離して考えることを勧める。言いたいことは物凄いわかる。でも、それだけではさみしくないかと思う。私は、冷たい正論よりも温かい暴論を愛する。相手の問題であることを知った上で、余計なお世話を承知の上で、能動的に問題をひっかぶり「一緒に相撲をとりませんか」という提案をする。これは、私なりの愛情表現である。相手のためを思って言わない優しさもあれば、相手のためを思って言う優しさもある。優しくする優しさもあれば、優しくしない優しさもある。寄り添う優しさもあれば、あえて寄り添わない(どーん!と突き放す)優しさもある。優しくするとはなんだろう。上下関係の香りがする。それよりも、私は「一歩踏み込む」ことを大事にしたい。どちらが上とか下とかない。互いに同じ人間である。だからこそ、もう一歩踏み込むことで「傷つきながらも絆を深める」方向に舵を取りたいと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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