いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

生き方が遺言となるように。

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咳に血が混じる。いつまで生きていられるかわからない。当たり前の話だ。健常者だろうが、健常者じゃなかろうが、明日、生きている保証はどこにもない。それならば、残された生を、悔いのないように。恐れないように。思い煩うことのないように。愛を、勇気を、出し惜しむことのないように。生き方が遺言となるように。

 

 

おおまかなスケジュール

1月19日 EVENT@南ロンドン
1月20日 EVENT@パリ
1月21日 EVENT@パリ
1月22日 パリ〜ピサ
1月23日 EVENT@フィレンツェ
1月24日以降、FREE

1月27日 わたり食堂【0円食堂】(帰国できるか未定)


坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu   

 

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魔女に会う。

ここから先の話は、信じる人だけ信じてくれたらいい。私は、今日、イギリスで魔女に会った。イギリスはハリーポッターを生んだ国だ。魔女はいた。魔女は私を見て言った。あなたはグラストンベリーに行った。それは一回死ぬためだ。昔の宣教者は、行く先々で迫害を受けながら最後にグラストンベリーの地に辿り着いた。あなたは、迫害に遭いながらも最後まで愛を説いた。いま、体が冷たさに覆われているのは、過去の記憶が蘇っているからだ。しかし、恐れることはない。迫害を通じてすべてひっくり返る。汚名を晴らすことよりも、愛を選びなさい。森羅万象があなたを支える。あなたはあなたでいることだ。神の御業はなされるだろう。と。

 

冷えと言う言葉に、私は、見透かされた驚きを覚えた。ここ連日の体調不良で、かつて経験したことのない全身の冷えに見舞われていた。部屋が寒いからとか、真冬だからとか、そういう種類の寒気ではない。なにか、自分の力だけではどうすることもできないような極度の寒気に襲われていた。布団に入っても凍えたまま。風呂に浸かっても温まることがない。魔女は続けて言う。あなたはこれから様々な場所に行く。敵地に行くのだと思えば、敵地になる。ホームに行くのだと思えば、ホームになる。それを決めるのはあなただ。あなたは、いま、女といることに疲れている。しかし、男女を気にすることはない。気にするほど、断絶を生む。言葉は分断を生む。性別を越えてしまっても大丈夫。分断を越えてしまっても大丈夫。と。

 

不思議な話だが、私は、魔女の話を聞きながら自分の体が徐々に熱を取り戻すのを感じた。そして、彼女の話す一言一言が、自分にだけわかる暗号のように響きわたり、戸惑った。魔女は言う。今、あなたの活動を大天使や天使たちが助けようとスタンバイをしている感じです。だから『遠慮せずにとにかく呼んでください。』と、たくさんの天使たちがスタンバイをしている感じなのです。呼ばれれば嬉しい、力になれたのならそれが喜びというエネルギーです。依存して欲しくて言っているのではなく、一人でやる辛い仕事ではないと、見えない仲間たちも見える仲間たちも一緒に仕事しているのだと、認識してほしい感じです。私もこの方のお役に立てますように、と思うと、勝手に言葉が出てきます。だから百人力なのです。あなたが『みんなで』という時の波動を、私も、周りの人も、見えない仲間も、感動して聞いているのです。『みんなで』と、本当にそう心で思っておられることが伝わるのです。私は、言葉にこれほど魂がこもった音を聞いたことがありません。

 

生き方が遺言となるように。

ロンドン企画主催者の女性から、後日、こんなメールが届いた。「お話会に無理矢理誘われて行ったという人が言うには、会場には坂爪さんを知らない人が多く、いかがわしい、そんな風に人生うまくいかないと思うという懐疑派が多く、会場前はやや否定派優勢だったそうです。それでも、終わってみたら全部それがひっくり返っていたらしいです。笑ってしまいましたが、そういう感想は嬉しいですね。」と。このエピソードを聞いた時、私は、魔女が話した『ひっくり返る』という言葉を思い出した。魔女は言った。迫害を通じてすべてひっくり返る。そうやって、常識や前提をひっくり返しながらあなたは様々な場所に足を運ぶことになるだろう。

 

すべての出来事に意味がある。口にすることは容易だが、言葉の意味を具体的に、全身で実感することは難しい。私は、なにかをわかっているつもりになっていただけで、本当のところはなにもわかっていなかったのかもしれない。そう思えただけ、わずかでも進歩できたのだろうか。まだ、私には、元気であることだけをよしとして、元気のないことをよしとできない部分がある。しかし、これらの出来事を通じて、少しずつ「一回死ぬことの意味」や「一回死ぬことの価値」を感じ始めている。咳に血が混じりはじめたとき、不思議と、心は落ち着きを取り戻した。死を身近に感じるとき、抱くものは恐怖だけではない。透明な思いになることがある。

 

明日の食費がどうのとか、誰かに軽々しく扱われたとか、真っ当に認められることがないだとか、そういうことがどうでもよくなる瞬間がある。いつまで生きていられるかわからない。当たり前の話だ。健常者だろうが、健常者じゃなかろうが、明日、生きている保証はどこにもない。自分が、今、ここにいることの意味を深く掴むことができるように。自分が、今、ここにいることの価値を深く掴むことができるように。自分が、今、ここにいることの永遠を深く掴むことができるように。残された命の使い道が、そのまま遺言となるように。瞬間に生きて在りたいと思う。

 

https://www.instagram.com/p/Bsyz-gRnuV2/

Glastonbury

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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自分の『好き』を貫く。

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ロンドン企画に来てくれたみんなありがとう!本当に素晴らしい時間だった。もっとみんなと話したかった。貰った感想に「坂爪さん、よく知らないけど凄かった!」という声が多かったと聞いてすごい嬉しかった。終了後体調が悪化し、片道五時間、死んだ魚の目をしながらグラストンベリーに到着した。本当に気持ち悪かったのだけれど、バスの(椅子じゃなくて)通路に横になることで耐えた。人間は追い詰められると知恵が出るみたいだ。そして、羞恥心を捨て去れるみたいだ。

 

 

おおまかなスケジュール

1月15日 グラストンベリー【イギリス】

1月16日〜19日 FREE!(呼ばれた場所に行きます)
1月20日 EVENT@パリ【フランス】
1月21日 EVENT@パリ【フランス】
1月22日 ピサ【イタリア】
1月23日 EVENT@フィレンツェ【イタリア】
1月24日以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

1月27日 わたり食堂【0円食堂】(帰国できるか未定)


坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu   

 

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追い込まれるほどピュアになる。

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チャリスウェル。素晴らしい庭でした。


ロンドン企画主催者のM様から「フランスにもイタリアにも知り合いがいるから、彼女たちにオーガナイズを任せて、あっちこっちに行ったらいいじゃない!」とご提案をいただいたのが昨日の15時10分。M様が電話をかけまくりはじめたのが15時11分。パリに行くことが決定したのが15時14分。イタリアに行くことが決定したのが15時17分。イタリア在住のミユ様とお会いできるかもしれないことが判明したのが15時19分。体調不良で思考回路がショートしたのが15時20分。本当にあっという間の出来事でした。来週からパリ経由でイタリアに行くことになりました。

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チャリスウェルのライオンヘッド

 

私は、いま、何も予定がないまま欧州にいます。いまはグラストンベリーにいて、完全回復を目指すために今日もグラストンベリーに泊まります。明日以降の予定はありません。多分、ロンドンに戻ることになるとは思いますが宿の予定はありません。20日までにパリにいけばいい感じなので、それまでは「ロンドンに呼ばれればロンドンに」「パリに呼ばれればパリに」「他の国に呼ばれれば他の国に」行きたいと思っています。もしも、坂爪圭吾を使った小規模なイベントとかお話会などを開催したい!なんて思ってくださる方がおりましたら、是非、お気軽にご連絡ください。ハンガリーでもトルコでもカナダでも何処でも行きます。27日までに帰国する予定でしたが、もう、永遠に帰らないでもいいやという気持ちになっています。

 

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チャリスウェルの天使の像

 

何も食べてなくて、体温も39度くらいあるのに、なぜ、頭痛に苦しみながらも書くことをやめないのだろう。なぜ、おとなしく寝ていないのだろう。人間って、きっと「死なないために生きている訳じゃない」からだと思う。生きることが最優先事項なら、多分、ぼくは寝る。でも、寝ることよりも『伝える』ことを優先したいと思う自分がいる。余命一ヶ月を告げられたら、多分、みんな「お世話になった人々に御礼を伝える」ことを選ぶと思う。あなたのことが大好きでした。とか。あなたと出会えた私の人生は幸福でした。とか。それと似ているのかもしれない。死ぬ前にやりたいと思うことがある。それは『伝える』ということだ。それでは、一体、ぼくはなにを伝えたくて文章を書いたり、ひとと出会ったりしているのだろう。

 

🇬🇧🇬🇧🇬🇧主催者の方の感想です🇬🇧🇬🇧🇬🇧

ameblo.jp

 

🇬🇧🇬🇧🇬🇧参加者の方の感想です🇬🇧🇬🇧🇬🇧

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🇬🇧🇬🇧🇬🇧坂爪圭吾の音声です🇬🇧🇬🇧🇬🇧

twitcasting.tv

 

自分の『好き』を貫く。

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あらゆる言葉も音楽も『祈り』と『呪い』にわけることができる。ぼくはそう思っている。イタリアのミユさんを大好きな理由は、彼女の言葉に祈りを感じるからなんだ。言葉の端々から、人間に対する慈悲や生きる喜びがあふれていて、見ているこちらまでうれしくなる。言葉も音楽も、見たり触れたりしたときに「格好いいなあ」とか「もっともだなあ」と思うことは多いよね。でも、それに触れた時に『うれしさ』を覚えるものって滅多にない。ぼくは、ミユさんの言葉に触れると凄いうれしくなる。命の躍動を感じる。生きていてくれてありがとうって心底思う。自分がうれしくなるものの中に、ぼくは、ぼくにとっての『本当』があるのだと思う。

 

これはいいチャンスだ!
せっかくだから、新たにまた習慣を作り直してみよう!

そしてせっかく慣れたところをあっさりと壊してどんな感じがするのか見てみたい気がする。何かに慣れた自分は、どんなにそれに依存し執着しそれを守ろうとする弱さを蓄積していることだろう。それを壊すたび、ああ、なくなっても大丈夫なんだな、と思える。これがまたすごい快感だ。


自分を知るこの面白みを味わうためには、弱くなることも必須だなんて。
弱くなることを己が礼賛するだなんて、これ、最高じゃないか!

 

note.mu

 

日常的に使う言葉も『祈り』と『呪い』にわけることができる。自分なんかダメだって言い続けていたら、それは自分に呪いをかけ続けているようなものだから、きっと呪いは本当になっちゃう。でも、ぼくは思う。呪いって自分の外側から来ているものだ。自分の内側から呪いの言葉が出てくるはずなんかないんだ。だから、呪いを採用しちゃあいけない。呪いの言葉には共通点があって、それは『扇動をしてくる』ことだと思う。これをしなければあなたには価値がないとか、あなたを都合のいいように動かしたり、自信を奪ったり、不安を煽ったり、支配をしようとする。呪いの言葉や、呪いの音楽は、どれだけそれが格好いいものだとしても『それに触れる人間の体温をさげる』ものだと思う。祈りは、愛と同義だ。祈りは、自由と同義だ。祈りの言葉や、祈りの音楽は、それに触れる人間の体温をあげる。それに触れる人間を自由にして、それに触れる人間の中にある愛情を呼び覚ます。

 

頭ふらふらになりながらもブログ書いたりラジオをやったりしている。努力とかじゃない。好きなんだなあ、と思う。ぼくは文章を書くのが好きだし、人と話したり、言ったことのない場所に行くのが好きだ。この『好き』という力が、自分にかけられている呪いを振り払う力になるのだと思う。呪いってそこら中にあふれているから、見定めがすごい難しい。学校の教育とか、親からの刷り込みとか、いつのまにかかけられている呪いって物凄いある。でも、呪いから祈りに行く道は決して難しいものじゃない。それは『自分の好きに従う』ことだ。自分の『好き』に従うことが、祈りの道を生きることに繋がって、結果的に周囲のひとたちがかけられていた呪いを解き放つ力になる。だから、ぼくは、勝手に祈る。みんなも、自分が好きな道を、自分が『うれしさ』を感じる道を歩いて欲しいって祈る。もちろん、その過程で色々なことを言われると思う。自分なんかダメだと思う瞬間もある。が、その時は「ダメじゃない!」と遠くで坂爪が吠えていることを思い出して欲しい。自分の好きを貫くことが、人類全体の力になることを忘れないで欲しいって祈る。

 

 

https://www.instagram.com/p/Bsp2ykwHW8v/

Chalice Well

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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永遠にそのままで行け。

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ハーイ!みんな元気?僕は流行性感冒アテネを経由してポーランドワルシャワにいるよ。スペイン界隈では、飛行機が無事着陸をすると乗客全員で拍手をする風習があるよね。ギリシャに着いた瞬間も、みんなが一斉に拍手をするものだから「思わず楽しくなっちゃって」つられて拍手をしてしまった。この、思わず楽しくなっちゃうような瞬間っていいなあって思った。無垢な楽しさが伝染する感じ。これ、すごいいいなあって思ったんだ(TOP画像はポーランド人から貰いました)。

 

 

おおまかなスケジュール

1月14日 満席御礼・坂爪圭吾解体新書
1月15日 グラストンベリー

その後、一旦全部白紙!

1月某日 EVENT@フランス(詳細未定)

1月某日 EVENT@イタリア(詳細未定)

1月27日 帰国次第わたり食堂【0円食堂】


坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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圧倒的肯定力

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ギリシャのごはん

 

突然だけど、みんなは『本当に豊かな人』に会ったことはあるかな?ハイパー金持ちとか、大企業の経営者とか、そういうことじゃなくて直感的に「うわー!なんだか分からないけど、このひとはやばい!」って雰囲気で圧倒される感じ。黒柳徹子とか、松田聖子とか、そういう感じ。実際に目の当たりにしたことってあるかな???ぼくはある。20歳の頃と、24歳の頃と、33歳の頃にある。きっとみんなあると思う。別に世間的に有名である必要はない。ただ、自分の心が「このひとは圧倒的に豊かだ!」って感動した出会い。その出会いを思い出して欲しいんだ。

 

🇸🇬🇸🇬🇸🇬シンガポールからの音声配信はこちらです🇸🇬🇸🇬🇸🇬 

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本当に豊かな人は「豊かさがあふれでている」から、それに触れた人間のこころまで豊かにする。肯定的な雰囲気が全身からあふれまくっているから、周囲の人々にも「人生は生きるに値する!」という気持ちを感染させる。本当にすごいなあって思う。そう言う人が世界には少数だけど確実にいる。なぜ、こんな話をしているのかというと「自分のフォーカスをそこに合わせる」ことの重要性を感じたからなんだ。豊かさを放棄した人間、豊かさを諦めた人間は、周囲の人々も「豊かさを諦める」ように強要したり、仕向けたりする。それに負けちゃいけないんだ。あくまでも理想の人間にフォーカスを合わせ続けなくちゃいけないんだって、そういうことを(いまめっちゃ風邪気味で意識朦朧としているけれど)感じていたんだ。

 

🇬🇷🇬🇷🇬🇷ギリシャからの音声配信はこちらです🇬🇷🇬🇷🇬🇷

twitcasting.tv

 

本当に豊かな人物が醸し出す、あの『圧倒的な肯定感』を思い出して欲しい。まるで自分にも何か大きなことができそうな気がする、ひとかどの人物になれそうな気がする、そんな気持ちになった瞬間は誰にでもあると思うんだ。「自分には力がある」という感覚。それを信じるんだ。自分の勇気をくじくもの、お前なんかダメだと言ってくる地獄のサムシングは大量にある。地獄のサムシングは、この瞬間も世界中の人々から勇気や信頼を奪い去り、諦めや虚無や絶望を広げている。でも、それに惑わされちゃいけないんだって思う。ここ数日、ぼくは『信じるんだ』という言葉を何度も感じていた。人間に使命があるのかないのか、生きる意味があるのかないのか、それは誰にもわからない。ただ、ぼくは「自分に役割があると信じてみる」ことの威力を思う。それは、あの、真に豊かな人が醸し出す圧倒的肯定力を、絶やすことなく、次の世代に繋げていくことではないだろうかって思ったんだ。

 

note.mu

 

永遠にそのままで行け。

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シンガポールの花


保科さんとも話したけど、あまのじゃくのひとは宗教家の素養があると思うんだ。宗教の役割って、社会とは別の(というか真逆の)価値観を提示することだと思う。逆張りの美学って言えばいいのだろうか。ぼくも保科さんも、任侠を愛するところがあって、損得勘定の合理主義よりも人情にほだされまくってダメになる道に美しさを覚えたりする。だから、世間とは真逆の道を選ぶことが多い。みんなが「増やせ、増やせ」を生きるなら、ぼくたちは「減らせ、減らせ」を生きる。みんなが「得になる道」を生きるなら、ぼくたちは「損になる道」を生きる。これは決して強さなんかじゃない。弱さだと思う。普通の勝負、増やせ増やせのバトルフィールドでは、ぼくたちに勝ち目はない。そんなぼくらでも唯一「ぼくはここに立っているよ」と存在を証明できる生き方が、たまたま、世間とは逆の道を選ぶことのなかにあっただけなんだ。だから、ぼくたちが偉そうに言えることはなにもない。

 

社会不適合者っていう言葉もあるけど、自殺者が年間3万人いて、鬱病患者が100万人いる社会に適応する方が絶対やばいと思うんだ。だから、必要なのは適応ではなく『開墾』だ。そういうことをぼくは言い続けてきたけど、世の中には社会不適合者とそうじゃない人がいるのではなく、誰の中にも『社会不適合者な部分』があるのだと思う。濃淡の差があるだけだよね。自分の中にある社会不適合な部分とぶちあたったとき、さて、どうする。生きている限り人間は岐路に立ち続けるよね。岐路って、要するに「人並みに合わせる」か「自分のままで行くか」の二者択一だと思う。結婚もそうだよね。結婚するからにはちゃんとしなきゃって思うのか、自分のままで結婚をするのか。保科さんは言っていたよ。おおざっぱに言えば、常に、問われているのは「自分の期待に応えるのか」それとも「他者の期待に応えるのか」の二択だって。そして、ぼくたちは「自分の期待に応え続けていたいよね」というところで合致をしているから、一緒にいることができているだけの話なんだ。

 

これまでぼくたちは散々バカにされてきた。迫害も受けたし露骨な嫌がらせも何回も受けた。それでも自分であることをやめなかった。そして、いま、一緒に笑える友達や仲間が少数だけど確実にできた。友達の存在は「報われた」ことの最高の証明みたいで、ぼくはとってもうれしいと思う。でも、忘れてはいけないのは、友達がいるから生きている訳ではない。大前提として「ひとりでもやる」というルールがあって、ひとりでもやってきた先に出会えた人々が、友達になったり、仲間になったりするのだと思う。だから、私は、私が友達になりたいと思う人々にお願いをしたい。人生の岐路に立った時、どうか、自分のままでいる道を選んで欲しい。人並みであることを選ぶのか、お前は頭がおかしいとバカにされることを覚悟の上で、自分であることを選ぶのか。私は、あなたが、あなたのままであることに尊さを覚える。だから、あなたはあなたのままでいて欲しい。たとえそれで死んでしまうことになったとしても、あの世で美味しいお酒でも飲めたらいいね、って思う。 

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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LINE ID ibaya

人生はボーナスタイムである。

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ハロー!みんな元気?僕は胃潰瘍。マレーシアからシンガポールに移動したものの物価の高さに度肝を抜かれているよ。都会は孤独を浮き彫りにするよね。日本を出る前に愛する読者の方々から海外の通貨を色々貰っていたから、これまではどうにかなった。でも、それは物価の安いタイとかマレーシアだから通用しただけの話。いよいよ明日から欧州だ。ぼくの所持金が尽きるのが先か、命が尽きるのが先か、いずれにせよみんな最後には死ぬんだから「遅いか早いかの差」でしかないよね。

 

 

おおまかなスケジュール

1月12日 10時 アテネ空港【ギリシャ】到着以降FREE!
1月12日 20時 ワルシャワ空港【ポーランド】到着以降FREE!
1月13日 20時 ルートン空港【イギリス】到着以降FREE!

1月14日 11時 満席御礼!『坂爪圭吾解体新書 』@ロンドン【イギリス】
1月15日 個人的な用事@グラストンベリー【イギリス】
1月16日 15時 ストックホルム空港【スウェーデン】到着以降FREE!
1月17日 何かしらの方法でタリン【エストニア】到着以降FREE!

その後、欧州各国を呼ばれるままに移動(だがしかし予定はない) 

1月27日 帰国次第ごちゃまぜの家@横浜でわたり食堂【0円食堂】開催


坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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踊れない革命はいらない。

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奇跡的にロンドンで開催されるイベントは満席になった。30名を超える方々が参加をしてくださることになり「ロンドン在住の30人が力を合わせたらそれなりのことが実現できるんじゃなかろうか」なんて思っているよ。今回は、ぼくの友達の保科亮太さん(所持金3万円)と嘉向徹さん(所持金マイナス150万円)とUTMさん(所持金2万5000円・全員無職)も日本から来ることになった。せっかく無職みんなでロンドンに集まるのだから「空手で祖国に戻るわけにはいかない」ってなるのは当然の流れだよね。ごちゃまぜの家みたいなものをロンドンに、なにかこう『公共性』のあるものをヨーロッパに残すことがぼくらの旅の最終目標になりそうだ。

 

無職で金もないくせにロンドンに行くなんてふてぶてしいよね。最近のごちゃまぜの家日誌を見ていると、なんだかもう「支援してください!」とか「お金ください!」ばっかりで、乞食のコミューンみたいでダサいよね。家主は実は遺憾なんだ。別に助けを求めることを悪いとは言わない。ただ、その前に「お前はやるべきことをちゃんとやっているのか」と問いたい。こんな報告があがっている。数日前、ごちゃまぜの家の居間で男性2人(44歳と29歳)が完全にだらけていた。それを見た女性Mは、単刀直入に「この空気嫌だからどっちか出て行って」と思ったらしい。しかし彼女は優しいから、それを実際に伝えることはなかった。しかし、男性諸君、女性陣からこのような意見が出てしまっている時点で君たちはダサい。(無論自分も含めてだけれど)日々に緊張感をもって生きていこうではないか。

 

人生はチームプレーだよね。ひとりではできないことでも『力を合わせる』ことでできることがある。とりわけ、我々無職一同は「ひとりになったら即死する」弱さを抱えているよね。全部自力で成し遂げる必要はまったくない。むしろ、自分は全体における重要な一部分であるという強烈な自覚が、最高の形で自分を生かすことがあるよね。我々の目標は「公共性の実現」であり、我々のテーマは「力を合わせること」だと思うんだ。ぼくたちが一生懸命生きるから、視聴者の方々も応援をしたいと思ってくれるのであって、その逆は『甘え』だよね。それを忘れた瞬間に人間はダサくなるよね。ダサくなったら退場だよね。罰則は別にないけど『軽蔑』の対象になるよね。そんなひととはいられないよね。よし。行こう。欧州で会おう。

 

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人生はボーナスタイムである。

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今、ベイフロントにある超高級施設の一角で1000円近くするスイカジュースを飲みながら(虫の息で)この記事を書いている。非常にありがたいことにシンガポール在住の家族二組から別々にご連絡をいただき「せっかくだからみんな一緒に会いましょう!」となって夜から一緒に夕ご飯を食べる。明日はアテネで保科さんと軽く茶をしばき、その日のうちにぼくはポーランドに飛んで(ちょうど前日からワーホリでポーランドで暮らし始める予定の)ブログ読者の男性と合流をする。明後日にはイギリスに入国し、空港まで迎えに来てくださる女性のご自宅にお世話になる。

 

こういう生き方になんて名前をつけたらいいのだろう。移動を続ける日々を過ごしてかれこれ5年、既に「一生分生きたなあ」なんて思うことも頻繁にあるけれど、それでもまだまだ生きてていいということは『人生とはボーナスタイムである』って毎日思う。まさに余生で、まさに道楽である。それでは残りの人生を何に捧げよう。ぼくは『魔法』とか『奇跡』とかそういう大袈裟なものが大好物だ。昔から一発逆転ホームランに憧れていたぼくは、基本的に敗者の視点から物事を眺めることが多かった。でも、それは決して卑屈になることではなく「一発逆転を狙うふてぶてしい(現時点での)敗者」であり、常にあるのは『いまに見てろよ』というマインドだったんだと思う。ぼくは『差』が大好きだから、ダメな奴ほど逆転した時のインパクトは大きい。金があるからできた。才能があるからできた。それじゃ普通だ。なにもないのにできた。なにもないのに元気だ。なにもないのに笑ってる。そこに希望がある。あるから元気なんじゃない。ないのに元気だから面白いんだ。

 

聖書に「弱い時、私は強い」って言葉がある。意味不明だけど、感覚的にわかる。ロンドン行きの無職四人組でグループメッセンジャーのやりとりをしている。合言葉は『夢を見せるのがぼくらのお仕事』みたいなものだ。みんな奇跡が見たいんだよ。みんな魔法が見たいんだよ。生きていればこんなことがあるんだっていう奇跡、ダメな自分たちでもこれだけのことが起こり得るのだという魔法、そういうものを誰よりもぼくら自身が見たいんだ。だから海外に行く。あてもないのに行く。引き寄せの法則じゃない。いつだって『押し寄せの法則』を採用して、勝手に押し寄せて、勝手に何かが巻き起こることを期待する。こういう生き方になんて名前をつけたらいいのだろう。見る人が見たらきっとこう言うのだと思う。お前らはバカだね。と。そしてぼくらは笑うのだと思う。バカだなんて最高じゃないか。と。 

 

 

https://www.instagram.com/p/BsZwMq0HHXH/

When we can't dream any longer we die.- Emma Goldman

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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LINE ID ibaya

「最高だね」って言いたいし、言われたい。

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ハーイ!みんな元気?ぼくは不元気。全方位に気を遣いすぎて自滅していたんだ。ブログを書くことは精神安定剤みたいなもので、だけど、こんなテンションじゃないと書き始めることができないくらい死んでいたから許してほしい。いまはマレーシアのマラッカという場所にいるんだけど全然楽しんでいない。なぜなら、頭痛がすごかったから!体は資本だね。とりわけ、移動を続ける人間にとっては死活問題になる。体の調子が悪いと、思考も悪いことになって結果的に最悪になるよね。

 

 

おおまかなスケジュール

1月11日 12時 チャンギ空港シンガポール】到着以降FREE!

1月12日 10時 アテネ空港【ギリシャ】到着以降FREE!
1月12日 20時 ワルシャワ空港【ポーランド】到着以降FREE!
1月13日 20時 ルートン空港【イギリス】到着以降FREE!

1月14日 11時 EVENT『坂爪圭吾解体新書 』@ロンドン【イギリス】
1月15日 個人的な用事@グラストンベリー【イギリス】
1月16日 15時 ストックホルム空港【スウェーデン】到着以降FREE!
1月17日 何かしらの方法でタリン【エストニア】到着以降FREE!

その後、欧州各国を呼ばれるままに移動(だがしかし予定はない) 

1月27日 帰国次第ごちゃまぜの家@横浜でわたり食堂【0円食堂】開催


坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

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中身なんてなくていいんだ。

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基本的に「ただ、言いたいだけ」で生きているから具体的な目的とか夢や理想を持つことが僕はできないんだ。これから欧州に飛ぶけど、なぜ、欧州に飛ぶのかというと「行ったことのある国を増やしたいだけ」なんだ。これまで僕は20カ国くらいに行ったことがあるんだけど、今回の欧州旅では「1日1国」をテーマに15日間の滞在でどれだけの数を巡れるかをやりたいと思っている。中身なんてなくていいんだ。ただ、現地の風を浴びて「どこそこにきたなあ」と10秒程度悦に浸れたらそれだけでOK。よし、次の場所に行こうと言うテンションで行きたいと思っている。

 

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UTMさんも無事にロンドンに来れることになった。マークボイルさんにインタビューをすることが目的だから、僕もマークの本「僕はお金を使わずに生きることにした」を電子書籍で読んだ。面白かった。横浜のごちゃまぜの家でも『無料映画上映会』をやりたいなあと思った。ラサへの歩き方とか、道とか、カンタ!ティモールとか、みんなで観たいと思う映画がいくつかあるんだ。だけどごちゃまぜの家にはスクリーンもプロジェクターもない。誰か貸してくれないかな。買うのはちょっと違うなあと思う。高額なものは共有財産みたいにして、必要な時に、必要な場所に置かれるスタイルにすれば所有物は限りなく少なくしていける気がするんだ(それに、貸し借りを通じて新しいコミュニケーションも生まれたりするしね!)。

 

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体が柔らかいひとってすごいよね。開脚できるだけで「なんかこいつやばい!」ってなるよね。そんな感じ。そんな感じで「これまで30ヶ国くらいは行ったかなあ」ってドヤ顔をしたいだけなんだ。でも、別に旅行は趣味じゃないから観光名所に興味はない。だから、暇な時間が多くて「俺はなにをしているんだろう」って頻繁に思う。人間は『暇』と『さみしさ』の対処法を持たないとダメになるよね。旅の予算は5万円程度だから贅沢はできない。でも、マークボイルは「友の存在が何よりの保険」って書いてた。イギリスではイギリス在住日本人の方のご自宅に泊めていただけることになった。お金は安心に繋がるけど、人との繋がりがあることも安心に繋がるよね。友情ってなんだろう。最近はそんなことを考えているよ。僕たちは頻繁に「お金がほしい」って思うけど、でも、本当にほしいのはお金じゃなくて『夢』とか『希望』とか、そういうことなんじゃないだろうかって思うんだ。友情ってなんだろう。僕は、それがこの世で一番素晴らしいものだと思っている。

 

🇬🇧🇬🇧🇬🇧おかげさまで満席となりました🇬🇧🇬🇧🇬🇧

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「最高だね」って言いたいし、言われたい。

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イギリス行きに備えてハリーポッターを読んでいる。プライム会員なら電子書籍を無料で読めるんだ。素晴らしい時代だよね。しかもこの本、最高に面白い!みんなも是非読んでみてほしい。イギリスからスウェーデンまでの航空券は片道600円だったよ。嘘じゃないよ。本当だよ。素晴らしい時代だよね。壁はどんどん低くなっている。お金がなくてもきっとどうにかなる。でも、勇気をなくしたら何もできなくなるよね。挑戦しがいのあるテーマを見つけて、体を張って自分を投げ出す。マークボイルは「お金を使わない生活」に張ったし、私は「赤貧欧州周遊旅行」に今回は張った。でも、僕が本当に張りたいと思うものは、そういうことだけじゃないんだ。

 

色々な人生の流れで、たまたま、現在の僕は「作家みたいなこと」をしたり「居場所作りみたいなこと」をしたり「お金がなくても生きていける方法を探すみたいなこと」をしている。でも、一番奥底にある思いは『面白ければなんでもいい』ということで、笑えれば、楽しめれば、やることはなんだっていいんだと思っている。時折、出会う人からあなたの生き方はこれからの時代にふさわしい素晴らしいものだ!って褒めてもらえることがある。褒められることは嬉しいことだけど、でも、それが『正しい』からこの生き方を採用している訳じゃない。これを忘れると痛い目にあう。痛い目にあうというか、途端に人生がつまらないものになってしまう。僕は、ただ、最高だねって言える瞬間がほしいだけなんだ。そして、僕を見た人からも「君は最高だね!」って笑ってもらえたらとっても嬉しい。正しいからじゃない。時代に適しているからじゃない。ただ、なんだかもう君を見ているととても自由な風が吹くから是非ともこれから生き続けてほしいと思う的な、そういう感じでのエールを受け取ったときに「よし、生きよう」みたいな気持ちになるんだ。

 

生きることと「生きたいと思うこと」は違うよね。これをすれば生き延びることはできるかもしれない。でも、死ぬまでこれをやり続けなければならないとしたら、自分はそんな人生を生きたいと思うだろうか。答えが『NO!』なら、それはなにかを変える合図なんだと思う。どれだけお金がなくても、どれだけ能力がなくても、本当に最高の瞬間を過ごせていれば「悪くないなあ、この人生!」って思えるはずだ。そういう瞬間がほしいよね。マークボイルも書いていたよ。「好きなように生きて死んだら、それが定められた寿命なんだ」って。生きることと生き延びることは違うよね。僕は「生きていたい」と思うんだ。言葉は悪いけれど、自分を殺して生きるくらいなら、自分を出して死にたいと思う。誰もやらないことこそやらなくちゃ。そうじゃないと競争になっちゃう。比較が生まれて、嫉妬に焼かれて、人生全般に疲弊しちゃう。誰もが自分という競技のぶっちぎり1位なんだから、そこを極めることだと思うんだ。誰かになる必要なんてないし、誰かと同じである必要も、誰かと比べる必要もない。見返りは楽しさ。報酬は嬉しさ。人生はきっとうまくできているよ。だから、みんなと一緒に生きていることを楽しみたいと思う。

 

 

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There is no concept of time

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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「何もしない」をやりたいんだ。

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台湾を経由してタイのクラビに到着した。台湾では頭痛に喘ぎ、タイではパパイヤサラダの青唐辛子に撃沈して死の淵を彷徨っている。写真だけ見たら「坂爪は楽しそうでいいなあ」と思う人もいるかもしれないが、現実は惨憺たるものだ。前に、何かで「社会不適合者が生き残る道は二つしかない。小説家になるか、ロックンローラーになるかだ」という言葉を見た。私は、これにお笑い芸人を付け加えたい。神様的なサムシングから「お前はお前を笑えているか?」と問われている気分だ。

 

 

おおまかなスケジュール

1月5日 8時 桃園国際空港【台湾】到着以降FREE!

1月6日〜7日 クラビ【タイ】で日に焼けるバカンス

1月8日 11時 クアラルンプール空港【マレーシア】到着以降FREE!

1月11日 12時 チャンギ空港シンガポール】到着以降FREE!

1月12日 10時 アテネ空港【ギリシャ】到着以降FREE!
1月12日 20時 ワルシャワ空港【ポーランド】到着以降FREE!
1月13日 20時 ルートン空港【イギリス】到着以降FREE!

1月14日 11時 EVENT『坂爪圭吾解体新書 』@ロンドン【イギリス】
その後、欧州各国を呼ばれるままに移動(だがしかし予定はない)

1月27日 帰国次第ごちゃまぜの家@横浜でわたり食堂【0円食堂】開催


坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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最大の観光名所は人間だ。

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出国前に日本で動画配信をした。みなさまは、イギリスで0円生活をしているマーク・ボイルさん(著書『僕はお金を使わずに生きることにした」など)をご存知だろうか。動画配信の後半からUTMさんに謎のスイッチが入り、彼が「マーク・ボイルさんに電撃取材をしてきます!あなたが聞いてほしいことも代わりに聞きます!なので、そのための費用を協力してください!」ということになった。マーク・ボイルさんは、聞くところによると三年以上ロンドン界隈で「一円もお金を使わない生活」をしているらしい。話を聴きながら、私は「ロンドンで得た情報を最大限に生かし、帰国次第UTMさんも東京のど真ん中でそれを実現してほしい」と願った。

 

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10年来の友人GODAとラジオ配信をした。私は台湾が苦手だ。台湾に行くたびに体調を崩す。しかし、私はGODAが好きだ。GODAは台湾の中部に在住している。台湾は苦手でもGODAがいるという点において台湾は聖地だ。そんなものだと思う。青唐辛子のせいで意識が朦朧としているためにGODAの魅力を伝えきることができない。このラジオ配信を一時間聞いてみてもらえたら最高にうれしい。そして「私もGODAさんに会ってみたい!」なんて思われた人がいたら、是非、一緒に台湾に行こう。GODAに会うためだけに台湾に行く。そういう移動は素敵だと思う。来月か再来月ならGODAも時間がある。一緒に行こう。GODAをホノルルに呼び出してみんなでホノルルに集まるとかでもいい。身軽にふらっと世界を飛び回れたら楽しい。

 

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素晴らしい出会いは人生を肯定する。最大の観光名所は人間だ。出会いが人生を高速回転させるのだ。UTMさんには「マークボイルさんの家の隣にUTMさんも古屋を建てて『ごちゃまぜの家@ロンドン』を実現してきてください」とお願いした。お金とはコミュニケーションコストを0にしたものである。金があればあらゆる問題は高速解決できる。誰かに土下座しないでもホテルに宿泊できるし、物乞いをしなくても食物を得られる。しかし、人との出会いは断絶されたままだ。金がないなら金がないことを最大限に有効活用して「あっ!と驚くような異様なコミュニケーション」を重ねてほしいと思う。同様に、自分自身に対しても同じことを願う。

 

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「何もしない」をやりたいんだ。

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言いたいことはすべてお師匠様が言ってくださった。ミユ様は世界に誇る天然記念物だと思う。こんなブログを読むくらいだったらミユ様のnoteを毎日拝んだほうがいいと思う。1日1F。1日に1回「自分が怖いと思うこと(FEAR)をやる」だけで人生は動きはじめる。私の場合、青唐辛子を食べて人生は一旦思考停止に陥ったが、そういうのも含めてトータルでおっけー!だからもういい。自分が思う『これが自分だ』は大概間違っているのだろう。自己破壊。これをやり過ぎると躁病になるけど、小さな頃はみんな積み木を壊すことも楽しかったはずだ。喜びは創造することだけではない。破壊することの中にも清々しい喜びがあるのだ。

 

とりあえず100日続けてみて思うのが、最近よく言われるように『自分らしくあろうとする』のもいいが、自分で自分を驚かすような自分らしくないことをやって、自分で自分に持つイメージや限界を壊して「見たか、ただの思い込みじゃったろう!お前の負けじゃ、バーカバーカベロベロべ~~」と己に言う方が気持ちがいいんじゃないか?ということだ。

 

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いよいよ書くことがなくなったタイミングで幼女二匹が私の側にやってきた。国籍を問わず幼児とおばあちゃんにだけはモテる。幼児とおばあちゃんにだけはモテることを主張することによって「坂爪圭吾は意外と人畜無害ですよ」と読者にアピールすることができる。台湾では台湾語で話しかけられた。タイではタイ語で話しかけられたし、京都のリッツカールトンホテルでは英語で話しかけられた。私は何人なのだろうか。などと書くことによって「最近の坂爪圭吾は国際色も豊かになってきていますよ」と読者にアピールすることができる。ふふふ。いよいよこのブログの読む価値も薄くなってきたところで、今、ノルウェー人の集団に話しかけられた。

 

聞くと、近くに夕日が綺麗なスポットがあるからそこに一緒に行かないか、とのこと。「サンセットハンティングに君を連れ出したいんだ」と北欧の人々から誘われた私の身体からは何か独特の体臭が出ているのだろうか。飲みかけのマンゴージュースを飲み終えたらおれも出発をする準備をするからちょっと待ってね、と伝えてこのブログ記事を書き終えようとしている。日に焼けるバカンスでクラビに来たはずなのに結果的に舌が焼けたまま私の1日は終わろうとしている。焼ける夕日を眺めながら私は何を思うのだろうか。何も思わないかもしれない。からっぽなまま生まれてきて、からっぽなまま死ぬのだろう。それは悪いことではないと思った。

 

 

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Do Nothing …

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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必要なものは与えられる。

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東京から女性N様が遊びにきてくれた。彼女は「海外に行きたいってずっと思ってたけど、思っているだけで全然実行しない自分に腹が立って、まず、台湾に行きました。その後にアメリカに行ったのですが長距離移動をすると因果関係は不明だけど自分に良い感じの変化が起こることがわかりました」と話した。自分に腹が立つ感覚は物凄いよくわかる。自分で自分をけしかける。それが必要な時期がある。

 

 

ごちゃまぜの家に再来した29歳の青年Nに「人生を高速回転させたいなら、君もロンドンに来ないか?」と詰問した。最初は「14日は東京で予定が…」などと逃げていたが、実は前々から海外に行きたかったという本音を漏らしはじめ、やがて「是非ともロンドンに行きたいと思うのだけれど全財産が5万円で奨学金の借金が300万ある上に過去の任意整理の影響でクレジットカードも作れない自分はどうすればいいのだろう!!」と三時間くらい苦悶した。こういう苦悶はいいなあと思う。

 

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決めることの威力。

苦悶する青年Nを横目に、ごちゃまぜの家在住の女性M様が「能書きを垂れる前に、まずは『行く』と決めることだと思います」という、非常にクリティカルな指摘をした。こういう時の女性は強い。突然急所を突かれたNは全身をビクッ!と痙攣させ、直後、腹を括ったのだろうか「わかりました」と悲壮な表情を浮かべてロンドン渡航を決意した。彼らのやりとりを見ながら、私は「やってるなあ」と楽しくなった。けしかけること。これは私の趣味のひとつである。双方がけしかけあって切磋琢磨(?)をする姿は、見ていて愉快だ。騙されただけなのかもしれないが、ロンドン行きを決断した青年Nの全身からは湯気のようなものが出ていた。

 

山梨県都留市から女性Y様が遊びに来た。彼女は話す。私は人生で決めていることがいくつかあって、ひとつは『私の人生は、愛と感謝と豊かさでできている』ということなのですが、他にも『駐車場は空いている』ってことを決めているのです。今日も車で来たのですが、一番身近なコインパーキングだけはいつも空いていて、駐車場は空いていると決めてから駐車場は必ずどうにかなるようになっているのです。これってすごくないですか。と。私は「なんだかそういうことってありそうな気がする」と思った。私は、28歳の頃に「俺は今世金で困ることはない」と勝手に決めた。その後、特段定期的な収入のある仕事は一切やらない日々を過ごしているが、意外とどうにかなっている。根拠なんかない。決めるが先で、根拠は後だ。

 

Y様は嬉しいことを言ってくれた。私は長い間坂爪さんのブログを読んでいるのだけれど、自分から見ると坂爪さんは『自然体でいれば必要なものは与えられる』ということを教えてくれているように思っています。生きていると、どうしても自分自身を取り繕って「もっと頑張らなきゃ!」とか「ちゃんとやらなきゃ!」とか「人様に認めてもらえるような生き方をしなくちゃ!」と肩肘を張ってしまうのですが、坂爪さんの言葉を読んでいると「自分は自分でいい」って思えます。だから、今日は直接お会いしてありがとうございますって感謝を伝えたいなあと思って山梨県から車で来ました。と。これはうれしい。とってもうれしい。こういう直接的なやりとりを交わせるときに「ごちゃまぜの家をやっていてよかった」と思う。

 

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わたり文庫『男の行動学』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、斎藤令介著作『男の行動学』です。解説は、著名なカヌーイスト野田知佑さんが担当をしている。野田さんは辛辣で面白い。野田さんは書いた。「昨今のアウトドアブームで多くのアウトドアライターが輩出した。そのライターたちとつき合いがあるが、大半は恐ろしく『アウトドア度』の低い連中だ。(中略)そういう奴に限って講演の依頼が多いときく。肩書きは何だ、ときくと、『冒険家』だという。こんな奴の講演を有難がってきく連中も馬鹿だ。いずれ斎藤令介と二人でこれらニセ物をすべて射殺し、干し肉にし、犬のエサにしようと思っている」。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、岐阜県にわたりました ※※※

 

女親に男の子を教育させることは難しい。

なぜならば、彼女たちは本能的に子供たちをかばおうとするからだ。

たとえば川。大多数の女親は、息子たちに

「危険だから、川のそばに行ってはいけません」と教えこむ。これはこれで正しい。

息子が事故に遭う確率が激減するから。

しかし、危険から故意に遠ざけられた男の子は、

事故には遭わずにすむかもしれないが、自己の確率を妨害される。

男の子が一人前の男になるためには、母親の保護本能を乗り越えなければならないのである。 

斎藤令介『父と息子の教科書 男の行動学』【集英社文庫

 

必要なものは与えられる。

ごちゃまぜの家をやっていると不思議な働きを実感する。家に米がなくなると米が届き、家に珈琲豆がなくなると珈琲豆が届き、家に新しい風を吹かせたいなあと思うと(なにかしらの形で)風通しを良くする出来事が起こる。この現象は不思議だ。米がなくなったとき、米を自分で買ってしまうと『この現象』は起こらない。だから、米がなくなって餓死しそうになっても一旦丹田に力をグッ!と込めて『待つ』ことが必要になる。待つと与えられるし、待つことができずに自分の力でそれを得ようとしてしまうと、他力が消える。他力が入り込む余地がなくなるのだ。

 

昔、いずみという名前の女性と付き合っていた。結果的にフラれたのだが、彼女は素晴らしい女性だった。なにより『泉』という名前が良い。私は、誰もが心の中に泉を蓄えていると考える。泉の水は『あふれだす』ものだ。決してボロ雑巾のように絞り出すものではない。義務感や責任感や罪悪感を動機に自分を半ば強制的に駆り立てるとき、どうしても『ボロ雑巾を絞り出す』的な要素を帯びる。しかし、なにかを「やらなきゃ」ではなく「やりたい!」という前のめりな感情で動き出すとき、そのひとの泉はあふれている。わたしは、この『あふれだしている』という状態がとても好きで、昔付き合っていたいずみちゃんは頻繁になにかがあふれだしていたものだから、私は、いい感じにあふれだしている人間を『あふれちゃん』と呼ぶことに決めた。そして、これが『最高の状態である』と設定することに決めた。

 

こうでなくちゃいけないとか、なにかをしなくちゃならないとか、そんな枠組みを前提に生み出されるものに私は自由を感じない。私は、人類全体の中に眠る『あふれちゃん』の存在を信じる。意味も価値も大義名分もなくていい。ただ、ああ、あなたはこれがやりたかったんだねと真っ直ぐに受け止められるもの、そのひとの熱量がシンプルにストレートに込められているものに対して、私は無垢なよろこびを覚える。あふれちゃんを殺すな。これが私の生涯のモットーである。私は私の中に眠るあふれちゃんの声に従って生きていきたいと思うし、同様に、人類全体の中に眠るあふれちゃんと同じ時間を過ごしながら、遊びながら生きていきたいと思う。

 

この前、話してから感じたこと勝手に言いたいのでラインしました🍀

坂爪さんと話すのは、怖さと嫌さがありました。
それはたぶん、自分の見えていない見たくない部分を暴かれるというか、目の前に出されるからだと思いました。心の癖を暴かれるというか…。
そこにOKが出せてないから怖かったんだと思う。

気に入られたい。と思う。
が、もうやめたい。いい加減。
気に入られるために生きてるんではない。
もっと自分に戻りたいと思いました。

これからは、よそを見ずにもっと内側に目を向けて、大切なものだけを持つ。

そんなことを今思っています🌸

自分にとって、とても良い一日でした。ありがとうございました🌸

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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ラブリーな一年にしよう。

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肩甲骨まで伸ばした髪の毛を昨夜切った。自分の唯一のトレードマークだったが「誰も俺のことなど見ていない」という残酷で爽快な真実に気付き、バッサリといった。シャンプーが快適で「おおおお」と感動した。女性なら共感していただけると思うが、あの、風呂上がりのドライヤーの面倒が人生から消えた。これはすごいことだ。女性陣から「おさるさんみたいになったね」と言われた。私のお目目はクリクリで意外と可愛らしい顔をしている。このまま愛され街道を走れるだろうか。

 

 

栃木県足利市から「余っているユーロがあるのであげます」と男性A様が自転車でごちゃまぜの家に来てくれた。数日後には茨城県牛久市から「余っている台湾ドルがあるのであげます」と男性N様が来る予定だ。海外遠征は5日からだが、引き続き分身旅行のご依頼を募集している。眠ったままのお金もほしい。今日、大阪在住の女性S様から「私はパクチーが苦手だが克服したい思いが強烈にある。タイから、パクチーがいかにうまいかを私に実況動画を送って私にパクチー好きにさせてください」というご依頼と共に、金一封が届いた。これはすごいことだ。これは私の旅だが、私だけの旅ではない。是非、みなさまも坂爪圭吾を利用してください。

 

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連鎖する断捨離。

前回の記事で「仕事を辞めてでも1月14日ロンドンに来て欲しい」と書いたら、絶賛求職中の男性から「辞める仕事はないけれどロンドンにいきます!」と連絡が届いた。素晴らしいフットワークだと思う。普通、ロンドンに誘われても「仕事が」とか「お金が」とか考えてしまって行かない。しかし、世界のあらゆることは「やるかやらないか」であり、やると決めてしまえば大半のことはやれる。その後の責任は負えないが、人生は意外とどうにかなるので男性の決断を私は徹底的にリスペクトする。現地でお会いできるのが楽しみだ。是非、みなさまも1月14日にロンドンに遊びに来てください(イベント詳細は1月4日にはご報告できると思います)。

 

誰かがなにかをはじめたり終わらせたりするものを見るのはいいものだ。昨夜、女性M様からこのような連絡が届いた。私は北ドイツに住んでいます。もしも、もしも、ご縁があれば、お会いしたいなと思っております。良かったら家に数日泊まって頂いても全くもって構いません。お金はありませんが、お金のかからないおもてなしなら出来ます。何かを手離したり捨てたりするのって、怖いですけど、なんだか興奮します。私は2019年春から、ドイツ人夫と3歳の息子と共に家(と夫は職も)を手離し、自転車で旅に出ます。ノープラン、無期限です。考えれば考えるほど不安は出てきますけど、考えないようにすれば、未知への楽しみと緊張で身体がドキドキするだけです。ドイツは、あと1時間強で新年を迎えます。2019年、共に楽しみ、共に生きましょう。坂爪さんが何処かで生きているというのが、心強いです。

 

断髪式をWEB上で公開した。それを見た男性N様から「内海さん・中島さんの家と仕事、保科さんのブログ、坂爪さんの髪の毛のレスに影響を受けて『自分もなにか変えられるものはないだろうか…?』と一人考えていました。その一つの形として、訳あって29歳の時から完全に断っていたお酒を、昨日の大晦日の晩に7年ぶり解禁しました。前々から奥さんが『いつか一緒にお酒を飲んでみたい』と言っていたのと『頑なに禁じていたものの封印を解いてみたい』という気持ちから、思い切って禁を解いてみました。みなさんとは少し形が違うかもしれませんが、なんだか『前まで頑なに守っていた自分を変えてやったぜ感(?)』を感じることができました(意外と酔いは回りませんでした)」とご連絡が届いた。断捨離は連鎖をする。 

 

わたり文庫『愛する言葉』 

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、岡本太郎岡本敏子著作『愛する言葉』です。岡本太郎さんの存在は有名ですが、岡本敏子さんも負けず劣らず素晴らしい。なかでもこの言葉には強い感銘を覚えました。誰も認めてくれなくたっていいの。「わたしっていいなあ!」って、ときどきにっこりして、自分を抱きしめるの。そうすれば、恋は豊かよ。そういう自分を、ある人のために、無条件に、惜しげもなく投げ出すのよ。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

 

※※※ こちらの本は、三重県にわたりました ※※※

 

賭けなきゃ。

自分を投げ出さなきゃ。

恋愛なんてはじまらないじゃない。

岡本太郎岡本敏子『愛する言葉』【イーストプレス

 

ラブリーな一年にしよう。

日中は年賀状の返信に四苦八苦していた。印刷されているだけで手書きの文字が一切ない年賀状はビリビリに破り捨てた。こういうのは極めて逆効果だと思う。大量にコピー&ペーストされた写真や文章が届いて「わーい、うれしい!」なんて小躍りをする人間がいるだろうか。逆に、心が込もっているものをいただけた瞬間はうれしい。前述したドイツ在住の女性の言葉や、禁酒を解禁した男性の言葉には『熱量』を感じる。心のない言葉は空虚であり、心のある言葉は(どれだけ表現力に乏しいものだとしても)グッ!とくる。上手い下手ではない。大事なものは熱量だ。

 

返信の最後に「今年も共にラブリーな一年を過ごしていきましょう」と書いた。書きながら「ラブリーっていいな」と思った。私は三人兄弟の末っ子として生まれた。生まれながらの『末っ子根性』は私を何度も窮地からすくい上げ、乱世を生き延びる一助となった。誤解を恐れずに言えば、私にあるもの、それは類稀なる表現力でもなければ、ホームをレスした後にホームをモアした圧倒的幸運でもなく、ごちゃまぜの家という前代未聞の空間を具現化する力でもなければ、恐怖に立ち向かう勇気でもない。私にあるもの、それは『チャーミングであること』だと思う。

 

猫ってすごいなと思う。 どれだけふてくされていても、人間に嫌われることがない。逆に「ふてくされさせちゃった自分が悪いのだな」と、人間側に能動的な反省を促す。猫が許されるのは、おそらく、それが猫にとって『自然』だからだ。猫は別に財力や権力があるわけでもなければ類稀なる人生体験を積み重ねてきたわけでもない。あるのは『チャーミングさ』だけであり、人類は、チャーミングなものを前にひれ伏すしかない。昨日、ごちゃまぜの家にきてくれた20歳の女性から一通のLINEが届いた。躍動する文体に、私までうれしくなった。深刻になり過ぎてもロクなことはない。ラブリーであること。これは、今年のテーマにふさわしいと思う。肩肘を張ってしまうこともあるが、大前提として『ラブリー』でありたいと思う。

 

あわわわ、ありがとうございます(ah...)(ah...)
ごちゃまぜの家で過ごした時間はめっちゃ不思議でみんながずっと素直に話し合っていて、私の日常ではみたことがない光景だったので不思議でした。
人と生きてるってこんな感じなのかなと思ってました!
素敵な時間をありがとうございます!
またいつでも寄ってねってそう言ってくれてめっちゃめっちゃ嬉しいです。
新年早々、嬉しいです(haha)
はい!!おー!!

 

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人生は続く。

 

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得たものを捨てよ。

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1月14日11時頃からロンドンで開催されるトークイベントに出演する。嫌な仕事をしている方々は全員仕事を辞めて借金をしてでもロンドンに来てほしい。これを書いている現在時刻は2018年12月31日14時41分。完膚なきまでの年の瀬であり、昔、日本では「年が明けたら借金はチャラ」という徳政令があったと聞く。夜が明けたら新年だ。宵越しの金を持たない。同じように「年越しの金を持たない」ことを粋と感じるあなたは、是非、日本からの往復航空券を予約してしまってほしい。

 

 

先のことを考え過ぎると死ぬ。先のことを考えているいま、いま、この瞬間は間違いなく生きている。あるのはこの瞬間だけ。刹那主義だと揶揄されようが、人間を根底から支えるものは「美しい記憶」や「楽しかった記憶」や「人生は捨てたものではないと思えた記憶」だと思う。生きていれば、あの頃のような喜びにもう一度触れることができるかもしれないという可能性は、生きる希望になる。いまいる場所や現在の自分に納得がいないのであれば、動き出すことが一番。それも、いまいる場所から一番遠い場所に。現在の自分が、一番やらなそうなことをやる未来に。

 

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無駄こそジョイ。

2018年は「ごちゃまぜの家をハワイに!」ということでハワイに4回足を運んだ。赤貧の身としてはよくやったと思う。ハワイ島で一瞬自由に使わせてもらえる土地を獲得したものの、数日後、キラウェア火山が歴史的な大噴火をかまして溶岩と一緒に夢も流れた。破壊と再生にふさわしいハワイ島ならではの出来事だね、ということで気持ちを切り替えて日本国内にもうひとつごちゃまぜの家を、などと思っていたら長野県大町市で自由に使わせていただける土地と巡り合った。北アルプスを目の前に望む広大な森を『INN THE FOREST』と名付けて簡易宿泊施設を自作し、敷地内に手作りの『森ジム』を開設した。完成度は0.2%程度で、改善の余地しかない前途有望な場所になるのだが、冬は寒過ぎるために現在は足が遠のいている。

 

横浜のごちゃまぜの家は、9月頃に諸事情が爆発をして経済的困窮に陥り、私は全国各地を「我々を助けてくださいツアー」で巡業した。そこで奇跡的な出会いを果たし、みなさまの援助もあってごちゃまぜの家は九死に一生を得た。4度目のハワイでは、徒歩でオアフ島を周遊していたら強盗から拳銃を突きつけられて所持金を全て強奪された。拳銃を目にしたのは生まれてはじめての体験であり、私は『死』を強烈に意識した。死を意識することで生は充溢をする。振り返って見ると、人生は「窮地に陥った時ほど面白くなる」傾向を帯びることがわかり、私は、自分を窮地に追い込ませない限り人生はなにもおこらないという偏った思考をするようになった。自分を守るから弱くなる。自分を投げ出すからこそ生まれる物語がある。

 

12月には金も家も仕事もロスしたUTMさんがごちゃまぜの家の離れの離れにテントを張って暮らしはじめた。ごちゃまぜの家に遊びに来てくれた広島県福山市在住の男性から急遽モバイルハウス制作資金の援助を受け、昨夜、UTMさんは無事に小屋を完成させた。UTMさんの特徴は、決して趣味的なものとして野営生活や小屋の建設をしている訳ではない点だ。彼の営みには「彼の人生」がまるごとのっかっている。これがなければ彼は他に生きていく道がない。そういう、切実な状態に置かれている人間からドラマは生まれやすい。彼が他にも家があって貯金も大量にあったとしたら、彼に手助けをする人間はこれほど多くはなかっただろう。彼は、彼自身なにももっていないからこそ周囲の援助を得ることができた。なにかがあったからではなく『なにもなかった』からこそ、ドラマティックな開墾を呼び寄せたのだ。

 

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わたり文庫『オールド・テロリスト』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、村上龍著作『オールド・テロリスト』です。作中に出てきたこの言葉を、私は、これからも忘れることができないように思う。「文学者や芸術家の役割は、そんなものではない。革命を抜きにすれば、社会などに関わるべきではない。ましてや、人々の幸福に寄与する?社会を幸福なものにする?社会に貢献する?ふざけてはいけない。連中の仕事は、精神の自由度を拡大させ、社会に蔓延する嘘を暴くこと、それに尽きる」。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、長野県にわたりました ※※※

 

おれたちは精一杯面白く生き、ああ、面白かったと言って死ぬんだ。

村上龍『オールド・テロリスト』【文春文庫】

 

得たものを捨てよ。

ごちゃまぜの家に遊びに来てくれた女性から50ドル(シンガポールドル)を譲り受けた。来週の今頃はタイにいて、再来週の今頃はロンドンにいる。ふと、旅行代理人というサービスを思いついた。坂爪圭吾が、あなたの代わりにあなたが行きたい場所に足を運ぶ。そして、写真や動画を(LINEなどを通じて)あなたに届ける。あなたは其処にいながらにして海外の風を感じ、私は、自分のあてもない旅路にちょっとした意味や価値を付加できる。このような『分身旅行』という使い魔的な提案に需要などあるのだろうか。私のスケジュールは下記で公開している。勿論、現地で実際に合流をすることも可能だ。誰かに、私の有効な活用法を見出してほしい。

 

1月14日ロンドン市内 お昼ぐらいから...確定してます!ご興味のある方は時間空けておいてくださいませ!年明けに募集開始しますよんドキドキ
 
ワタクシ 幼い頃から人生というのは空っぽの空間に色々積み込んで持ち物を増やしていくのが正しい生き方だと思って生きていました...学歴、キャリア、お金、家族、子供、車などなどね...
気がついたらワタクシ 全部それらを手に入れてしまったけどね.....それが幸せなんだろうか??って疑問を抱いてしまった訳です....
 
そんな時に真逆の生き方をしている坂爪圭吾さんという人の存在を知って大衝撃を受けてしまった訳ですよ... この人何にも持ってないけど...
なんなんだ!
真っ当な事言ってるよこの人!!って...滝汗滝汗滝汗滝汗

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何かを手放す瞬間は怖い。私は大学を退学しているが、退学届けを出した瞬間に「俺は学歴がなくなるわけだから、学歴の関係ない生き方をしなきゃな」と思った。20歳の頃だった。特段これをやりたいと思えるものがあった訳ではないから、数多のバイトを遍歴しながら自分のやりたいことを探した。どれもうだつのあがらないものだったが、幸か不幸か、私は「ホームをレスする」ことによって謎のブレイクスルーを果たした。過去の私は、生きるためには何かを付け足す必要があると思っていた。特別な技術。特別な才能。特別な環境。しかし、結果的に私は「なにかを得ることではなく、なにかを減らすこと」によっていまの生き方にいたった。

 

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全部はベストなタイミングで起きているから大丈夫だよ。なんてこったい!みたいなことでも、過ぎてみたら「逆によかった」って思えるから。冒険に出る前は誰だって怖い。お金がなくなるとか、もう元には戻れないだとか、そういうことを考えてしまう。でも、実際、冒険に出ても出なくてもお金はなくなるし、人間は老いるし、誰もが『取り返しのつかない日々』を生きている。あるのはこの瞬間だけ。捨てるという行為の凄まじいところは、いま、この瞬間にできてしまうことだ。得るためには準備がいる。しかし、捨てることならばこの瞬間にできる。俺たちは、いつでも、ゾクゾクする日々を過ごすことができる。昨日、一通のメールが届いた。共に生きるということの意味が、自分にはとても心地良いものだった。全部はベストなタイミングで出来ているならば、どう転んでも大丈夫なのだ。そう思った。

 

坂爪さーん、大好きです。

人は好きな人、大切な人と同じときに存在したいがために生きているのではないかと思っています。
一緒に過ごしたいというのではなく、同じときに存在したい。
その人が存在していると思うだけで嬉しいですよ。存在してくれてありがとうなんですよね。

来年も同じ空の下、
どこかで元気に生きていてくださいね。

よいお年を😄

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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愛は時間。

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1月5日以降海外に行くことになった。こんなことを言うのは非常に情けない話だが、もし、使う予定のない海外のお金をもっている方がいたら譲っていただけたら嬉しいです。一応、足を運ぶ予定の国は台湾とタイとマレーシアとシンガポールと欧州各国になる。特に予定のないぶらり旅なので、現地でお会いできる方がいたらお気軽にご連絡ください。海外在住の方々に諸々アテンドしていただけたら爆裂に幸福です。ギリシャまでの航空券はあるが、到着以降はノープランの片道切符になる。航空券を取るとボルテージが高まる。「はじまったな」という気持ちになる。

 

 

おおまかなスケジュール

12月30日〜1月4日迄 文武両道@ごちゃまぜの家【日本】

1月5日 8時〜14時 桃園空港【台湾】界隈でFREE!

1月6日〜7日 クラビ【タイ】で日に焼けるバカンス

1月8日 11時 クアラルンプール空港【マレーシア】到着以降FREE!

1月11日 12時〜24時 チャンギ空港シンガポール】界隈でFREE!

1月12日 10時 アテネ空港【ギリシャ】到着以降FREE!

1月14日 11時 EVENT@ロンドン市内【イギリス】(決まり次第更新)

1月27日 帰国次第ごちゃまぜの家@横浜でわたり食堂【0円食堂】開催


坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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マッチ売りの少女を殺したのは誰か。

年末年始で軽度の鬱っぽい人もいるだろう。親戚一同の集まりは一見和気藹々としているようで、比較的苦行だ(と感じている人は多いと思う)。先日、家族と断絶状態にあって家も金も仕事もロスした男性M様がごちゃまぜの家に来た。住民票を置くために、栃木の田舎にある家賃二万円の安アパートを借りたものの、生活拠点は東京に置きたいので都内で路上生活をしているのだとM様は話す。私は「それなら栃木の家を解約してごちゃまぜの家に毎月二万円をダンクして、住民票もここにおけばいいじゃないか」と話した。人にはそれぞれ事情がある。世間では『帰省ラッシュ』などと言われるが、死別や断絶など、原因は様々だが『帰省する先がない』人々は結構いる。そう言う人は、是非、ごちゃまぜの家に来たらいいと思う。

 

冬と言えばマッチ売りの少女だ。マッチ売りの少女は、生活のために路上でマッチを売るがなかなか売れずに凍死をしてしまう。仮に、少女がマッチを売るのではなく「助けてください」とストレートに周囲に助けを求めたら、凍死をすることはなかったのではないだろうか。誰かに迷惑をかけてはいけない、生きるためには何かを売らなければいけない、という前提は本当なのだろうか。そういう記事を過去に書いたら、ロンドン在住のS様から連絡が届いた。S様は、今回、ロンドンで開催されるイベントのきっかけを与えてくれた。限定された人間関係の中では、行動や発想も限定的なものになる。しかし、常に、自分の外側には「自分の知らない世界」が広がっている。余裕がなければ、外側の世界の存在に気づくことは難しい。

 

・実は、皆が何かを誰かに与えたいと思っている。
・他人から施しを受けるのは惨めなことではなく、寧ろ崇高な経験になる。
・すべてを受け取ることを自分に許しなさい。

 

S様は言う。私は結構綺麗にオシャレするのが大好きなタイプで口紅塗らずに外出とか女としてあり得ないと思っていました。外見があって女なんだからと…所がノーメイク、髪もぼうぼう、ぼろぼろのスウェットきて芋虫の様に転がっていても世界は私に優しいという事実が分かっただけでも背筋がゾクゾクするぐらいの幸せなのです。このままオープンで居続けた先にどんな心境がまっているんだろう。坂爪様にインスパイアーされ実験を今後もリアルに経験し続けてみます。いつか何処かで会えます様に。身体に気をつけてお元気で。

 

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わたり文庫『星の王子さま

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、サン=テグジュペリ著作『星の王子さま』です。ごちゃまぜの家では、日々、深い人間理解を問われている。人類皆兄弟という言葉もあるが、やはり、この本に出てくる『王子さまとバラの関係』や『王子さまとキツネの関係』の中に、私は、血縁を超えた結びつきを覚える。絆を結ぶと言うことはどういうことなのだろうか。前に、キリスト教牧師から聞いた「愛は時間です」という言葉が蘇った。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、東京都にわたりました ※※※

 

君がバラのために使った時間が長ければ長いほど、バラは君にとって大切な存在になるんだ。

君は、飼いならしたものしか知ることができないんだよ。
人間たちには、もう何かを知るための時間がない。
だから、お店に行って、出来合いのものを買うだけさ。
だけど、友だちはどこにも売っていないから、人間たちは友だちを持っていないんだ。

サン=テグジュペリ星の王子さま』【新潮文庫

 

愛は時間。

何度も何度も私からダメ出しをされている青年Nが、再度、ごちゃまぜの家に遊びに来た。彼は話す。自分はいま29歳で、家族とも絶縁関係にあり、人間関係も希薄で友達も少ない。これまではそんな自分をダメだと思うことばかりに時間を割いてきてしまったが、これではいけない、もっと『人間的に成長をしたい』と思ってごちゃまぜの家に来た。成長とは何かと坂爪さんに問われたが、自分にとって、成長とは『自分の世界に、自分以外の誰かが入ってくること』だと思っている。これまで、自分の人生には自分しかいなかった。しかし、これからは『自分以外の誰か』を自分の心に招き入れて、それと向き合う方法を学び取っていきたい。と。

 

私は、青年Nの誠実な話ぶりに感動した。誠実な人間とは、誠実な関わり合いをしたいと思う。稀に、初対面の人々から「私も仲間にいれてください!」と言われることがある。しかし、仲間や友達というものは「頼まれたからなる」ものではないと思う。双方に対するリスペクトが前提にあって、はじめて成立をするものだと思う。私は、青年Nの誠実な人柄に触れたことで「このひとと付き合っていきたい」と思った。付き合うということは、苦楽を共にするということだ。楽だけではない、苦しみも共に乗り越えることで強化されるものが絆だと思う。このひとはなんだかな、と思う人に対して、私は「このひとは『楽』は大歓迎なんだろうけど、それが『苦』になった瞬間に逃げ出すのだろうな」という印象を勝手に覚える。都合が悪くなった途端に逃げ出すようなひとと、自分は、絆を結ぶ方法を知らない。

 

苦楽を共にする覚悟。それが時間だと思う。星の王子さまはバラに時間をかけた。時間をかければ時間をかけるほど、王子さまにとってバラは「かけがえのないもの」になった。時は金なりと言う言葉はきっと的確じゃない。時は命だ。物置で眠ったままの高級品があるように、金をかけたものすべてが大事になるとは限らない。しかし、何年も使い込まれたもの、何度も修繕を重ねたものには『愛着』が宿る。前に、キリスト教牧師から聞いた「愛は時間です」という言葉が蘇った。生まれてから死ぬまでの間、一生の付き合いになるものはそれほど多くはないだろう。しかし、自分自身とは、誰もが『生まれてから死ぬまでのお付き合い』になる。付き合うということは、苦楽を共にするということだ。自分の身の上に降りかかる、楽だけではない苦も引き受けるとき、自分は、自分自身を『一生物』として大事に扱っていけるようになる。それが、自分自身との『絆』になり得るのだと思う。

 

 

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人生は続く。

 

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人生はどすこい相撲である。

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吾輩はクズである。小さな頃、私は父親からクズと呼ばれて育った。健気な私は「おい、クズ」と呼ばれるたびに「はーい!」と元気にお返事をしていた。泣ける話である。油断をしていると私はすぐに堕落をする。家でYOUTUBEばかり見てしまう。無駄に眠る。ここ数日、ごちゃまぜの家に滞在している。なにもしていない自分はここにいる価値はない。穀潰しである。だから、ブログを書いてビリーズブートキャンプをやることで「少しは俺もこの場所に貢献をしている。士気を低くする方向ではなく高める方向に貢献をしている!」と思うことで自分を保っている。

 

 

過去記事でごちゃまぜの家の規律について書き過ぎた。書けば書くほど「来て欲しい人々は遠ざかり、来て欲しくない人々ほどやってくる」矛盾や葛藤を抱えることになる。なぜか。もとから緊張感のあるひとは「やばい…ごちゃまぜの家にいく時は気をつけなきゃ!」と思うが、そうではないひとは私が書いていることを平気で飛び越えてへらへら足を運び続ける。村上龍の作品に『ダメな女』というエッセイがある。そこには「このタイトルにどきっとした女は、ダメな女ではない」と書かれていた。めっちゃわかる。自分で自分を疑うことができる人間は正常だと思う。重度の精神病患者は、自分が精神病であることを自分で認識することができない。

 

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自立するために『他人』がいる。

色々能書きを垂れているが、根本的に誰でも来ていただきたいと思う。全部ネタになる。人間理解も深まるし、調子に乗っていた自分の鼻がへし折られる機会にもなる。村上龍の『最後の家族』がまじでよかった。そこに「他人との出会いはそれだけで別の人生の可能性なのだ」という一文があった。まさにその通りだと思う。ホープレス生活満喫中のUTMさんの登場のおかげで、ごちゃまぜの家は劇的に開墾され、無限の可能性を発掘した。最後の家族には、印象深い数々のフレーズがあった。物語の中で、主人公の男性(引きこもりの21歳)がDV被害者の女性と会う。その女性を救うために訪れた弁護士事務所で、彼はこのような言葉を言われた。

 

女性を救いたいというのは、DVの第一歩なんです。救いたいという思いは、案外簡単に暴力につながります。それは、相手を、対等な人間として見ていないからです。対等な人間関係には、救いたいというような欲求はありません。彼女は可哀想な人だ。だから僕が救わなければいけない。ぼくがいないと彼女は不幸なままだ。僕がいないと彼女はダメになる。ぼくがいるから彼女は生きていける。ぼくがいなければ彼女は生きていけない。

そういう風に思うのは、他人を支配したいという欲求があるからなんです。そういう欲求がですね、ぼくがいなければ生きていけないくせに、あいつのあの態度はなんだ、という風に変わるのは時間の問題なんですよ。他人を救いたいという欲求と、支配したいという欲求は、実は同じです。そういう欲求を持つ人は、その人自身も深く傷ついている場合がほとんどです。そういう人は、相手を救うことで、救われようとします。でも、その人自身が、心の深いところで、自分は救われるはずがないと思っている場合がほとんどなのです。自分は救われることがないという思いが、他人への依存に変わるんです。

 

これは私も気をつけなければならない話だ。『他人を救いたいという欲求と、支配したいという欲求は、実は同じです』とは要注意である。最近、UTMさんを見ていると「この人は神様なんじゃないだろうか」と思う瞬間がたびたびある。昨夜、深夜1時に突然ごちゃまぜの家にやってきた女性にも、実は似たようなことを感じていた。かつての私は「こいつはなんだ!俺が説教をしてやる!」みたいな上から目線の対峙をしていた。坂爪さんはすごいですねと言われても、俺だって色々苦労してここまで来たのだから、何かに憧れるのならばお前もしっかりと苦労をしろと、そういうロジックで相手を『責めて』いた。しかし、最近はちょっと変わった。彼らは、私になにか重要なことを教えるためにここに派遣をされた天国の使者なのではないだろうか。と。では、私がここから学ぶべきことはいったいなになのか。なにを学ぶことによって私は『より一層素敵な自分』になれちゃうのだろうか。と。

 

「内山さんは、誰かに救われたことがあるでしょう」

田崎の口調が変わった。かすかに笑みを浮かべている。どうしてそんなことを聞くのだろう。

「救われたことがない。自分でそう思っている人は、あなたみたいに、正直になれないんですよ。必ず否定しますし、嘘をつきます。内山さんは、誰かに救われた、という思いがあるんじゃないですか」

「あります」

秀樹は言った。

「母です」

母親が精神科医やカウンセラーに通うようになって、それがなぜなのかはわからないが、気持ちが楽になった。そういう話をした。

「おかあさんですね」

「そうです」

「おかあさんは、内山さんを救いたいんだと誰かに言ったり、あなたを救うんだと言って、無理やりどこかに連れて行ったりしましたか?」

「いいえ。していません。逆に、ぼくに干渉しなくなりました」

「おかあさんは、どうやってあなたを救ったんでしょうか」

「わかりません」

「おかあさんは、あなたのためにいろいろな人と話すうちに、自立したんじゃないでしょうか。親しい人の自立は、その近くにいる人を救うんです。一人で生きていけるようになること。それだけが、誰か親しい人を結果的に救うんです」 村上龍『最後の家族』【幻冬舎文庫

 

私は「俺も我慢しているのだからお前も我慢しろ」と言う人を軽蔑している。しかし、冷静になると自分も同じことをしてしまっていたのではないだろうか。自分が「こいつは失礼な人間だな」と感じる人々は、実は、自分が「そうしたいと思っているのに我慢をしていて、それを実際にやってのけてしまうからむかついているのではないだろうか」と思った。UTMさんや岐阜県の女性に共通していることは、底抜けに素直なことだ。私が彼らから学ぶべきことは、一般的な社会常識を盾に「お前は間違っている」と自分の正当性を主張することではない。彼らが素直であることと同じように、自分も裸一貫素直になること。そして、正面突破の『どすこい相撲』を展開することである。ごちゃまぜの家がある種の道場ならば、出会いはおけいこである。正否の勝負ではない。素直さ(熱量)の勝負をすることだと思った。

 

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人生はどすこい相撲である。

ミユ様という素晴らしい女性がいる。私が、noteで『ホームをレスした話(全18話)』を書くきっかけを与えてくれた、お師匠様的存在である。お師匠様は、数日前、ご自身のnoteにて非常に素晴らしい内容を書かれていた。私はえらく感銘を受けてしまって「これだからお師匠様は最高だなあ!」と抑えきれない興奮を覚えた。何かを好きになる時、多分、同時に「それを好きになる自分のセンスを好きになっている」のだと思う。自分と切り離された存在として対象を崇めるのではなく、対象と同等のものが自分にも『すでにある』ことを知りながら、対象を崇める営みが尊いのである。ミユ様は、ご自身のnoteでこのようなことを書かれていた。

 

92日目にして、このところ感じていた毎日投稿への心の拠り所感が大好きだとハッキリと思った。
わたしは何かに依存するのがとても好きで、それに対する罪悪感や不安はない。
依存心は良くないと言われるけれど、少しもそう思わないのだ…いざその依存する物や人がなくなったら、大変なのは自分だよと言われてもぜーんぜん気にしない。大変な目に遭えばいいと思う。
そうやって、ありがたかったと思い知ったり自分の弱さと対面して泣けばいいんじゃないかな。

わたしは何にも依存しないというのが強いのか弱いのかわからないけれど、寂しいことだと思う。


本当の自立というのは、何かを失くしたときの辛さに用心してなににも頼らずにいるよりも、何かを心に招き入れてそれを愛するほうを選ぶことなのかもしれないな、と思った。
失くしたときの辛さを超えられるという信頼が、自分にあると思うから…

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お師匠様ー!好きだー!と、私は天空に向かって吼えていた。とりわけ『本当の自立というのは、何かを失くしたときの辛さに用心してなににも頼らずにいるよりも、何かを心に招き入れてそれを愛するほうを選ぶことなのかもしれないな、と思った。』という部分には爆裂な感動を覚えた。このひとにはかなわないなと思った。誤解を恐れずに言えば母性に包まれてしまった的な敗北感を覚えた。敗北感は、実は、とっても気持ち良いものだ。私は、ごちゃまぜの家をやりながら「道場破りを待っている」のかもしれない。私は、頻繁に、訪問者を斬る。それは「斬りたいから斬る」というよりも、斬らずにはいられない自分を「誰か斬ってくれ」と何処かで願っているからだと思う。ミユ様は、私を斬る。ちっぽけな私をズサッと斬り落としてくれる。そして、そこから『新しい自分』がリボーンするのである。

 

支配にならないように、依存にならないように、用心をしながらびくびく生きるより「支配になってもOK!依存になってもOK!人生はどすこい相撲である。お互いにぶつかりあいながら、お互いを研磨して、お互いに覚醒し合っていけたら最高じゃないか」ということを思う。ダイヤモンドがダイヤモンドでしか磨けないように、人間は人間でしか磨けない。自立するために必要なものは『他人』である。そのためのごちゃまぜの家であり、そのための坂爪圭吾である。年末年始の予定は晴れやかに皆無である。ごちゃまぜの家でもいいし、呼ばれれば何処にでも行きたい気持ちはある。必要とあれば、是非、この家を(そして坂爪圭吾という人間を)使っていただきたいと思う。おけいこしましょ。人間関係のおけいこを。人生はどすこい相撲である。その時に生まれる摩擦熱が、ボディを、世界を温めるのである。

 

 

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人間はなにでできているか。

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『You are what you eat(あなたは食べるものでできている)』とか大嘘だと思う。健康食おたくほど不健康そうに見える。不健康そうなヨガの先生も多い。そういう人々には、感覚的に『冷たさ』を覚える。私は猫カフェが嫌いだ。猫カフェは冷たい。多分、猫は大好きだけど人間は大嫌いなオーナーが多いからだと思う。反原発を唱える人々や、各種SNSで「安倍死ね」などと言っている人々にも同様の冷たさを覚える。彼らは憎しみを食べて生きている。だから冷えを感じるのだろう。

 

 

冷え性の改善策として「半身浴がいい」とか「生姜を食べろ」とか「運動をしよう」とかあるが、これじゃ弱い。体の冷えは『言いたいことを言えていない』精神的な問題だと思う。逆に言えば、嫌いな人に「私はあなたが嫌いです」とダイレクトに伝えるだけで、多分、体温はグッとあがる。人間に対する憎しみを蓄積すると、体は冷える。昨日、深夜一時に突然の来客がごちゃまぜの家にやってきた。非常に非常識な時間帯だと思った。岐阜の多治見から来たと話す彼女に、私は「泊まってもいいけれどもれなく私の説教がついてきますよ」とストレートに伝えた。

 

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言えるは『癒える』 

私はもう、言いたいことは全部言うことに決めた。言いたいことを言わないと病気になる。重要なのは言いたいことを堪える力ではなく『言いたいことをクリティカルに伝える力』だ。彼女の雰囲気から、私は、勝手ながら「この女性は、誰にも本当のことを言ってもらえていないのだろう」と思った。だからという訳じゃないが、私が率先をして彼女を詰めた。誰かを詰める時の、私なりのルールがある。それは『根底に愛を込める』ことだ。それは、言い方を変えるなら『お前はそんなものじゃないだろう』という、その人のあるべき姿を信じながら殴りつけることだ。

 

私は、女性と対峙する時は「お前はもっとかわいくなれる!」的な気持ちで説教をする。男性と対峙する時は「お前はもっとかっこよくなれる!」的な気持ちで説教をする。相手のダサさを指摘して、お前はなにをやっているのだと詰める。多くの場合、変な感じでやってくる人々は「周囲の目線を気にするあまりに自意識が暴走をして、結果的に毎回最悪の状態に着地をする」場合が多い。彼らは、決して悪い人間なのではない。ただ、これまでの人生でうまくいかないことがあまりにも多くて、うまくいくイメージをなにひとつもてないままここまで来てしまったのだろう。嫌な言い方になるが、彼らを見ていると「これはもうひとりの自分である」と思う。私も、環境が環境ならばこうなっていたのだろうなあと思う。だから、どこか他人事ではなくなる。結果、私は「このひとともコミュニケーションがとれたら、俺はいよいよ最強になれるな」的な心持ちでコミュニケーションを楽しむ。

 

私はこどもが大好きだ。だから子連れのお母さんが来てくれたら最高に嬉しい。昨日、横浜在住の女性が「大掃除に来ました」と言って7歳の超絶可愛い女子と遊びに来てくれた。私は激烈に感動した。なんて素晴らしい女性なのだろうと思った。お母さんが掃除中、私は7歳の女子と戯れた。私は、彼女に向かって「お母さんを大切にするんだよ」と言った。すると、彼女は「私はママを大切にしているよ。でもね、ママはママを大切にしていないんだよ」と無垢な笑顔で言った。私は、うおお、子供はそういうところを見抜いているものなのだなあと震えた。この発言をお母様に伝えると、お母様は「うへぇ、参りました」的な微笑を浮かべた。その後、7歳の女子からトワイスというアイドルの踊りを小一時間習った。彼女は発狂したように踊り続け、トイレに行く時間も惜しむあまり、最終的におもらしをした。

 

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わたり文庫『最後の家族』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、村上龍著作『最後の家族』です。こちらの本は、引きこもりのこどもを抱える家族の『残酷で幸福な最後の物語』になります。私は、村上龍が大好きです。この本の中に「引きこもりは家族だけでは解決できないということだ。家族の結びつきや愛情だけでは、解決はおろか、引きこもりについて考えることさえできない。しかも、誰かが介入してくれるのを待っているわけにはいかない。だからいずれにせよ問題をオープンにする必要がある」という文章が出てきます。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、富山県にわたりました ※※※

 

あるとき知美は気づいた。中学のときだった。体育の時間が終わると、ボールペンの赤いインクで制服のシャツがまだら模様に汚れていた。誰がやったかだいたい見当がついた。吉本佳織という名前の金持ちの娘だ。吉本佳織は不細工で頭も悪かった。赤く汚れた制服を見たとき、知美は、からだの奥から力が湧いてくるのがわかった。どうしてそういう力が湧いたのかわからない。怒りと力がうまく結びついたような感じだった。こちらを見ていた吉本佳織の制服を奪い、教科書もノートも鞄ごと奪って、クラス中の生徒が見ている中、校庭の端の焼却炉に投げ込んだ。今度何かやったらあんたを焼き殺してやるからね。そう言ったら吉本佳織は泣き出した。

そのときは親が呼ばれたりして大変だったが、あれから人生が変わった。強い人が何かするのだと思っていたが、そうではないと思うようになった。何かすることで、否応なく強くなる場合もある。知美をいじめる者は誰もいなくなった。やりたいことはやっていいのだとわかった。父親にも言いたいことは言うようにした。トモちゃんのことはよくわからない。いつもママはそう言う。

村上龍『最後の家族』【幻冬舎文庫

 

人間はなにでできているか。

先日、大阪で出会った女性がこんなエピソードを話してくれた。私が坂爪さんのブログを読むようになったのは数年前からのことで、その頃、私は人生で一番しんどい時期を過ごしていた。私はタバコを吸うのだけれど、この日もベランダに出てタバコを吸っていた。ここから飛び降りたら死ねるんだよなあという思いに一瞬自分の体全部がのみこまれそうになって、もう、いっそのことここから飛び降りてしまおうかなと思ったときに『でも、ここで死んだら坂爪さんのこれからを読むことができなくなるんだよな』と思って、死ぬことをやめました。坂爪圭吾という物語の完結を見届けたいと思う気持ちが、死にたいと思う気持ちに勝ったのです。と。

 

これはめちゃめちゃ感動的な話である。私にも死にたい時期があったからよくわかる。暗黒の高校時代を過ごしていた頃、毎日毎日「死にたい、死にたい」と腐っていた時期が自分にもあったが、しかし、死んでしまったら大好きな漫画家・日本橋ヨヲコの新刊本を読むことができない。その思いが、私を生きる方向に舵を取らせた。死にたいと思うことと、死にたいと思わされることはまったくの別物だ。冷静に考えてみよう。自己否定の言葉の数々は、全部、自分の外側から来ているはずだ。誰かになにかを言われたから、ただ、その言葉を真に受けて「自分は生きている値打ちのない人間なんだ」と思い込まされているだけだ。しかし、冷静に考えてみよう。自分の好きなものたちは、自分に「生きててもいいよ」と言ってくれるものたちではなかっただろうか。自分の好きなものたちは、自分に「お前は無価値な人間だ」とか「生きていることに希望なんてない」みたいなことは言わない。自分に「生きててもいいよ」と言ってくれるものたちを、この世界は生きるに値するものだと思わせてくれるものたちを、私たちは『好き』になってきたはずだ。

 

人間はなにででてきているか。私は『人間は、自分の好きなものでできてる』と言いたい。なにかを好きになるということ。好きなひとに好きだと伝えること。これ以上に尊いことなんてこの世の中にあるだろうか。間違っても、自分が嫌いだと思うものに自分の人生を奪われてしまってはいけない。嫌いなもののために死ぬ(生きる)なんてクソだ。それでは体は冷えたままだ。生きているということは、熱があるということだ。熱があるということは、その熱を誰かに伝えることができるということだ。なにかを好きになるということが、世界を動かす力になる。なにかを好きになるということが、世界の体温をあげるのだ。嫌いなものにとらわれて、自分の好きを見失ってはいけない。いま、生きているということは、自分の『好き』があったからだ。それがなければ、いまのいままで生きることなんてできなかったはずだ。だからこそ、自分の好きを取り戻そう。嫌いなもののために生きるのではなく、好きなもののために生きていこう。自分の好きを貫く物語が、また、別の誰かの『好き』を貫く物語を生み出していく。今こそ、好きに殉死をする時である。

 

 

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人生は続く。

 

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調子に乗ったら即死する。

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ごちゃまぜの家には様々な人々が訪れる。周囲からは「駆け込み寺みたいですね」とか「神社みたいですね」と言われることも多いが、多分、少し違う。私は、ごちゃまぜの家をある種の『罠』だと思っている。油断をしていると殺される。間合いを間違えると斬られてしまう。結構大変な場所だと思っている。この家は、一応「誰でも無料でいつでも使える場所」として開放している。要するに自由な家、ということになるのだけれど、自由の解釈はひとによって異なる。その結果、自由と自由がぶつかりあって「お前はいったいなんなんだ?」となることは多い。

 

 

ごちゃまぜの家に一切のルールブックはない。明文化されている禁止事項はない。が、これが結構厄介なのだと思う。基本的に「良識の範囲内で」とか「人としての不文律」みたいなもので成り立っている。昨夜、前回の記事で書いた家なし生活中の29歳男性がごちゃまぜの家に来た。最初は20時頃に行くといっていたが、結果的に彼は21時に来た。ごちゃまぜの家は自由な家ではあるが、私は、そういうところなんだよと思って彼に「一時間遅れたことをどう思っているのか」と問うた。彼の顔に緊張が走る。この緊張感こそが、ごちゃまぜの家の醍醐味だと思っている。

 

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公共性。

私に詰められた29歳の彼は言った。遅れてしまってすみませんでした。事前に連絡を入れておくべきだと思いました。一応、人の家なんですものね。と。私は、彼が言った『一応』というワードに敏感に反応して「一応じゃねえよ」と思った。しかも、彼の顔はなんだかちょっとにやけている。そういうところなんだよと思って彼を再度詰めた。私は、良識や礼儀的なものを大事にしたいタイプの人間だ。嫌な感じの人々には嫌な感じの人々が集い、いい感じの人々にはいい感じの人々が集う。私は、ごちゃまぜの家をいい感じの空間にしたい。だから、自分が嫌だと思うもの、乱暴に言えば『心に巣食うゴキブリ』を見つけた瞬間に叩き潰したいと思う。

 

ごちゃまぜの家は、みんなの家というよりも「誰の家でもない」という認識の方がクリティカルだ。人間、油断をしているとすぐに気が抜けて自分の家みたいになる。それが悪いとは言わない。むしろ、子育てなどで疲れているお母様にはこの家で好きなだけ昼寝をしていただきたい。このあたりの感覚を伝えることは難しい。誰にでも自由に使って欲しいのだが、なんだかなあと思うものには「なんだかなあ」と言いたくなる。その違いはなんだろうか。それは、要するに『感謝』だと思う。使わせてもらっているという感覚が薄れた時、人間は傲慢になり、すべてのものを当たり前だと思うようになる。ごちゃまぜの家の裏の森でホープレス生活を満喫中のUTMさんも、三食しっかりごちゃまぜの家で食べている。別にそれが悪いとは言わない。が、先日、毎日生卵ばかりを食べるのも飽きるからゆで卵にした的な発言を聞いた時、あれ、と思った。どの口がそんなことを言っているのか、と。

 

21時に来た青年は、その後、24時近くなってもストーブの前に居座って帰るんだか帰らないんだかわからない感じでしなしな体育座りをしていた。私は、彼に「今夜は泊まりますか?」と尋ねた。彼は「そうですね、では、泊まります」などと抜かした。私は再び発奮して「そうですねじゃねえよ。泊まりたいなら泊まりたいとしっかり言いなさい。誰かから『泊まっていきますか?』とか言ってもらうことを待っているような態度はまじで気に食わない。それは一番やっちゃダメなやつだ」と再々詰めた。29歳の彼の顔面に緊張が走り、体育座りから正座に切り替え、頭をさげながら「泊まらせてください」と私に言った。私は「いいですよ」とにこやかに答えた。こんな風に書いたら、私の亭主関白ぶりがやばいと思われた方もいるかもしれない。昨夜、この家の日常をラジオ配信した。年末年始の暇な時期にでも、ご視聴いただけたら雰囲気も伝わるかもしれない。ごちゃまぜの家は今日も愉快だ。

 

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わたり文庫『突破者(上・下)』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、宮崎学著作『突破者(上・下)』です。ごちゃまぜの家において、おそらく、私は父親的な存在になる。しかし、私はまだ自分の家族を築いたことがない。そこで参考になるのが極道の方々の家族感で、こちらの本からはまなばされることが大量にありました。私は、『任』や『侠』と言った世界観が大好きなのだと思う。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、埼玉県にわたりました ※※※

 

普通の親なら、子供が喧嘩してきたら理由のいかんにかかわらず叱りつけるものだろうが、わが家では問題なのはその理由であて、それがわが家の道理に合致してさえいれば大いに称賛された。喧嘩にまつわるわが家とその周辺の道理は、「身内がやられたときは、たとえこちらに非があろうとも、相手に復讐しろ。それをやらない者は人間のクズだ」という単純極まりないものだった。喧嘩をしたことだけで叱られたことは一度もなかった。

(中略)

ファミリーの論理は単純極まりないものであった。子供だろうが女だろうが、ファミリーに属する者にはそれぞれの役割があり、個々がその役割を果たしながら、どんなことをしてでも仕事を取ってくる。そして、その仕事で得た金を全員にばらまく。基本的にはこの論理だけで成り立っていた。いうなれば徹底した身内、あるいは身贔屓の論理であり、内側に閉ざされた論理でもある。それだけに身内内部の密度やボルテージはきわめて濃厚で高いものであった。その人と人との結びつきのなかで、負担をみんなで担い分けるという貧者の論理がまだ残っていた。


(中略)

その話を聞いて、男というのは土壇場で逃げる男と逃げない男の二種類しかないという厳たる一面があって、土壇場で試されるのは唯一それだけなんだということがよくわかった。これはヤクザも左翼も同じ、普通の市民だって同じだということを後でたっぷり思い知ることになる。


宮崎学『突破者(上・下)』【幻冬社アウトロー文庫】

 

調子に乗ったら即死する。

道場みたいな家だ。誰かに何かを言う時、その言葉は自分にも向かっている。誰かに「ここはお前の家じゃないんだよ」と言いながら、同じ言葉を自分に思う。無意識にこの家を私物化している自分、無意識に感謝を忘れていた自分を思い知るのだ。だから、此処は「自分はどうなんだ」と常に問われる家でもある。これは完全に修行である。精神的な加圧トレーニングであり、定期的にダメージをくらいながら日々逞しくなる『生きた勉強』である。別に関係者全員がストイックな訳ではない。私は、いろいろあるけれどそのトータルで『楽しい』と思えるからこそ、この活動(?)を続けている。楽しくなければ続かない。楽しむためには変化が必要だ。変化は時に痛みを伴う。痛みを伴うということは、間違っていないということだ。

 

師範代のほしなさんが、UTMさんに「この業界は、調子に乗ったら終わりですよ」と訓示を垂れていて笑った。明日は我が身。これは、この場にいる全員共有のテーゼである。気を抜いているとバッサリ斬られる。バッサリ斬られている人間を前に、傍観者でいることはできない。自分も同じように緊張をする。誰かに斬られる訳ではなく、この家に斬られる。もっと言えば『自分自身に斬られる』ことになる。斬られることは悪いことではない。それは非常に清々しいことだ。変わるための契機になる。私は、時折、変な感じで訪れた人に「お前は帰れ」と伝えることがある。しかし、これは「お前は二度と来るな」という意味ではない。リベンジは何度でも受け入れたい。そして、たとえどのようなやり取りを交わしたとしても、最後は握手で別れたい。罪を憎んで人を憎まず。私が嫌いなものは『心に巣食うゴキブリ』であって、そのひと自身ではない。私は殺し屋ではない。害虫駆除の業者である。

 

昨夜、広島県福山市から男性M様が遊びに来てくれた。M様は容赦無く優しい。UTMさんに「僕が資金提供をするからモバイルハウスを作ってみませんか?」と提案をした。UTMさんだけの家ではなく、より一層公共性のある家。他の誰かも泊まることが可能で、M様ご自身も次回来た時に泊まれるような空間。そんな家があったら面白いと思いませんか、と。『公共を増やす』とは貢献度の高い素晴らしい発想だ。料理も同じで、自分のためだけではなかなか凝った料理は作れない。誰かのため、というものが加味された時に頑張り甲斐も生まれるというものだ。UTMさんの頑張り、ひいていはごちゃまぜの家の頑張り、もっと言えば自分自身の頑張りが(結果的に)誰かのためにもなってしまうような、パブリックなデイズを過ごしたいと思う。調子に乗ったら即死をする。身を引き締めて生きていきたいと思う。

 

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

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「一緒に死にましょう」と言えるか。

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三万円のジーンズを購買したことを激しく後悔している。後悔しているというか「俺はなんてつまらないことをする男なんだ」と自責の念が絶えない。普段、服は古着屋で500円とか1000円のものを購買している。しかし、今回は10年ぶりに新品を購買した。500円で見つけた古着に対する愛着は半端ないが、新品のジーンズに対する愛着は孫正義の頭髪よりも薄い。なんと言えばいいのだろうか、要するに『普通』なのだ。大阪でイベントに出た。会場に火鉢があって、それがあまりにも素敵だったから「ジーンズを買うくらいなら火鉢を買えばよかった」と思った。

 

 

どうしてもクリスマスを意識をしてしまう。別に夜景を見たり豪華なレストランに行きたいとは思わない。思わないばかりかそういう人種を軽蔑している。私は女子アナが嫌いだ。女子アナになりたいと思うその性根が嫌いなのだ。が、ごちゃまぜの家でホープレス生活をされているUTMさんが、昨夜の動画配信で「好きな異性のタイプは?」と問われた際に有名な女子アナの名前をあげた。UTMさんは現在金銭的な問題にあえぎつつある。配信の中で「僕は専業主夫でもいける。相手の女性に別の男がいても問題ない。試しに僕を1日体験みたいな形で使ってもらうのも大歓迎である」と話した。動画をご覧いただけたら人柄は伝わるのかなと思う。是非、UTMさんを主夫に迎えたいと思われた方々からのご連絡をお待ちしております。

 

坂爪圭吾 - ごちゃまぜの家の裏の森で野営生活をはじめたUTMさんを特別ゲストに、今後の「お金の問題」からの「他に男が...

 

ibaya.hatenablog.com

 

すべての男はおもちゃである。

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ごちゃまぜの家。いい感じである。

 

昨日、ごちゃまぜの家に家のない29歳の男性が来た。彼は話した。自分はエンジニアをやっていたが、ふと、29年間の自分の人生を振り返った時に「なんて薄い人生なのだろう」と思い、自分の人生を高速で回転させる必要を感じた。坂爪さんのnoteを見たが、家なし生活を送るとこんなにすごいことが起こるのかと感銘を受けたため、まずはその真似をしている。しかし自分には友達もいないしブログなどで発信もしていない。昨夜はコンビニのイートインで寝た。今日は、どうしてもごちゃまぜの家に来たいと思ったから東京駅から徒歩で来た。所持金がないのだ。ごちゃまぜの家にはみんなの財布と呼ばれる誰でも使える財布があると聞いた。だから、今夜の交通費として1000円を欲しいのです。というようなことを彼は話した。

 

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ごちゃまぜの家の洋室。いい感じである。

 

私は色々なことを思ったが最終的に「君はぼくたちのおもちゃになれるか」的なことを思った。正直に言うと、最初、彼の雰囲気を見ても力になりたいとか助けてあげたいとか、私は微塵も思わなかった。男性は結構地味な見てくれをしていたので「まずはその長い髪の毛をバッサリ切って坊主にしましょう」という極めて余計なアドバイスをした。ら、彼は「坊主に対する抵抗はありません。いま、この瞬間からでも坊主にできます」と答えた。この回答がよかった。この瞬間、私の中にある『遊びスイッチ』みたいなものが強打されて、ごちゃまぜの家にはバリカンがあることを思い出した。私は、初対面の人間と会う時に「このひととは何をして遊べるだろうか」という発想をする。家がなかろうが金がなかろうが末期ガンに侵されていようが、力になりたいとは思わない。ただ、そのひとが置かれている状態をどのように活用したら「一緒に笑いながら生きていけるだろうか」という思考をする。

 

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ごちゃまぜの家の庭。いい感じである。

 

私は、自分の性格を悪いと思っていた。しかし、最近では「素直なだけ」だと初期設定を改めた。自分としては普通に生きているだけでも、周囲から勇気がありますねなどと言われることが多い。33歳になり、ようやく「俺は生き物として面白いのかもしれない」と思うようになった。数日前、大阪で開催されたイベント参加者の男性から「坂爪さんには明確なビジョンがあるから素晴らしい」的なことを言われた。しかし、小生に明確なビジョンなんてない。夢も理想も死ぬまでにやりたいことも特にない。だから物凄い戸惑いを覚えた。あるとすれば「面白いかどうか。ただ、それだけを軸に瞬間瞬間を生きてきただけだと思います」と言った。ら、その男性は「それです!」と答えた。え、そんなもんでいいのと思った。そんなもんでいいならばいくらでもやります!と思い、先日、大阪のホテルで収録した『ひたすら悪態をつくだけの動画配信』を公開したいと思った。別にたいしたことは話していない(一部の人種から嫌われるであろうだけの内容だ)けれど、暇な時にでもご覧いただけましたら幸いです。

 

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わたり文庫『モモ』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、ミヒャエル・エンデ著作『モモ』です。これは私からのクリスマスプレゼントになります。素晴らしい一冊だと思います。久しぶりに読み返したら「やっぱりいいなあ」と顔面がにんまりしました。時間泥棒に気をつけろ!忙しい忙しいとか言っている、退屈なおとなにだけはなってはいけない!のだと思いました。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

たとえば、こう考えている人がいたとします。

おれの人生は失敗で、なんの意味もない、おれはなん千万もの人間のなかのケチなひとりで、死んだところでこわれたつぼとおんなじだ、べつのつぼがすぐにおれの場所をふさぐだけさ、生きていようと死んでしまおうと、どうってちがいはありゃしない。この人がモモのところに出かけていって、その考えをうちあけたとします。するとしゃべっているうちに、ふしぎなことにじぶんがまちがっていたことがわかってくるのです。いや、おれはおれなんだ、世界じゅうの人間のなかで、おれという人間はひとりしかいない、だからおれはおれなりに、この世のなかでたいせつな者なんだ。

こういうふうにモモは人の話が聞けたのです!

 

ミヒャエル・エンデ『モモ』【岩波少年文庫

 

「一緒に死にましょう」と言えるか。

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大阪のイベントの様子

 

わたり食堂【0円食堂】に遊びに来てくれた非常にキュートな大学生の女の子が「自分は友達も少ないしそもそもで人間が嫌いだ。だから普段はずっと家にいることが多い。学費の問題で大学も辞めようかなと思っているのだけど、これからどうすればいいのかとかって考えると悩む」と話した。私は、どうして人間が嫌いなのにこんなイベントに来てくれたのかを疑問に感じた。だから「なぜ、ここに来たいと思ったのですか?」と聞いた。ごちゃまぜの家なんて、知らない人間共の集まりじゃないか。あなたから見たら、ここはただの地獄なのではないだろうかと思ったのだ。すると、彼女はこのように答えた。変わりたいと思ったから。と。自分を変えていきたいと思って、勇気を出してごちゃまぜの家に足を運んだのだと話した。

 

私は「なんだかすげえいいなあ」と思った。変わりたい。きっと誰にでもある思いだと思う。決して自己否定的な意味合いとしてだけではなく、これまでの自分を捨て去りたい、自分を投げ出して新しい世界に飛び出してみたいと願う気持ちは、誰にでもあるものだと思う。それを目の当たりにさせてくれた彼女に感謝をした。是非また遊びに来てくれと帰り際に伝えた。ひとりの人間が勇気を振り絞って行動に移す姿は、それに触れた人間にも『前向きな何か』を伝染させる。ごちゃまぜの家をやっていると思う。私は、全力でぶつかってくる人間には、自分も全力で返したいと思う。しかし、なんとなく程度のものならば自分はなにも言わない。なにもしない。なにも返さない。あなたが本気で死ぬ気なら、自分も一緒に死にたいと思う。しかし、自分の命を守ったままでなにかをしたい、なにかを得たい、なにかで評価をされたいなどと考えているような人間に、なにかをしたいとは思えない。

 

私は、もう、面白ければなんでもいいのだと思う。本気の遊びをしたいのだと思う。だからこそ「一緒に死にましょう」と言えるか。これがひとつの基軸になる。あなたが死ぬ気で人生を遊びたいと思うならば、私も一緒になって死ぬ気で人生を遊びたいと思う。極論、人生はどれだけそういう人々と共に笑える日々を過ごせるか、愉快な日々を過ごせるか、素晴らしい日々を過ごせるかだと思う。と、ここまで書いたところで一通のメールが届いた。大阪のイベントに参加してくれた女性からのメールだった。一見するとなんかだ拍子抜けしちゃうような内容にも思えたが、最終的に「これでいいんだよな。否、これがいいんだよな」と思った。具体的なことはなにも覚えていなくてもいい。ただ、振り返った見たときに「ああ、あの頃は面白かったなあ」と思わずにっこりしてしまうような出来事を、思わずにっこりしてしまうような思い出を、なんだかよくわからないけれど面白い人生だったなあと思わずにっこりしてしまう人生の終わりを、晴れやかに迎えたいと思う。

 

 

坂爪さん

こんにちは。初めてメールします。
一昨日、大阪まちの水のみ場でお会いした者です。

少し前に由紀子さんのfacebookで坂爪さんのことを知り、よくわからないけど面白そうな人~って思ってました。

お会いして...坂爪さんの目のまん丸さに惹かれてしまいました。
話の内容はすっかりどっかにいっちゃって、(←その時は聞いて感じて、考えて?ました!)印象に残ったのはそれだけ(笑)

そして、その目を思い出したら、思わずニッコリしてしまいます☆

それだけ、なんですがメールしちゃいました!

お会いできて嬉しいです。
またどこかで〜。

○○○

 

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we never close

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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人生を賭けるな。

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和歌山県岩出のコメダ珈琲にいる。12月22日(土)大阪でイベントがある。12時30分近鉄今里駅前集合で私が皆様を会場まで道案内する。事前申し込みの必要はない。時間のある方は是非来てください。私の目印は金髪ロン毛の黒キャップ、青いダウンにACNEのジーンズ、足元は最近頂戴した二枚下駄だ。一昨日、自分へのクリスマスプレゼントにACNEのジーンズを定価三万円で購買した。三万円といえば小生の年収である。ファッションテーマは「家がありそうに見える人」である。

 

【EVENT詳細】12月22日(土)「プライドの捨て方」と「愛ってなんだ」

 

 

沖縄帰りだから服装が微妙だ。ダウンの下は半袖一枚だし、足元は裸足になる。「寒いかな」とか思ったが、歩いてみたら結構いける。外は寒いが建物の中や電車は暑い。最悪の場合はジャンピングスクワットをすることで体温はあがる。12月23日(日)は横浜のごちゃまぜの家でわたり食堂【0円食堂】が開催される。全国各地から支援物資が届いている。鶏まるごと一羽届くことにもなった。凄いことだ。今回から、無料のフリーマーケットも同時進行で開催したい。家に「使ってないけど使えるもの」がある人は、是非、当日ご持参いただけましたら幸いです。

 

【EVENT詳細】12月23日(日)わたり食堂【0円食堂】

 

 

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新しい結婚をしよう。

前回の記事で紹介したアナキズムという本に『できっこないをやらなくちゃ』という一文があった。できることをやっても進化はない。不可能を可能にしてこその牡羊座である(私は牡羊座です)。ホームをレスした時も、私は結構いきいきとしていた。挑戦している時に元気になる。だから、なにか挑戦しがいのあるテーマはないかなあと考えてみたら「新しい結婚をしよう」的なことを思った。新しい結婚とは何か。具体的なゴールがあるわけではないけど「100人くらいお嫁さんがいて、100人くらい兄弟がいて、100人くらいこどもがいる」状態をイメージしている。

 

前に一回結婚したいと思ったことがある。18歳の頃、私は大学進学にあたり新潟から東京に出た。入学案内書を見ると「既婚者は学費が半額になる」と書かれていた。私は貧乏性だから、それならば女友達と結婚をすれば学費がさがる!これは圧倒的有利だ!と舞い上がり、一回、ガチで結婚を考えたことがある。しかし、この時は「結婚という大事なことを軽はずみにやってしまうのはどうなのだろう」という一般的な感覚に敗れ、踏みとどまった。自分の結婚観を語ることは難しい。結婚に対する執着は薄いが、面白いと思えることに対する執着は濃い。現行の結婚制度に面白みは感じない。破綻している人々も多い。せっかくなのだから、なにかこう「いままでにない新しい形での結婚」をしてみたい、ということを最近は思う。

 

結婚(というか制度)って不思議だ。男性は離婚直後も再婚できるが、女性は離婚したら100日間は再婚できない。不思議な話だ。前に、愛するムラキテルミさんの養子になりかけたことがある。養子になると名前が変わる。坂爪圭吾が村木圭吾になる。名前が変わると、肉体は同じままなのに「致命的な何かが変わった」風に感じるから不思議だ。養子について調べてみたら、年下なら何人でも養子に迎えることができると知った。養子に人数制限はないのだ。だから、友達100人と家族になることもできる。友達が家族になったら、肉体は同じままなのに「致命的な何かが変わった」風に感じるから不思議だ。制度とはなんだろうか。きっと、制度とは言葉だ。言葉は私たちの生活を決定づける。言葉から自由になるためには、新しい言葉を生み出すことだ。ボヘミアン・ラプソディという映画の中に「俺が何者かは俺が決める」というセリフがある。無駄に反骨精神だけは潤沢な私は、おそらく「カテゴライズを拒否する」ために新しい言葉を必要としているのだろうなと思う。

 

わたり文庫『人はなんで生きるか』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、トルストイ著作『人はなんで生きるか』です。読み返すたびに心が浄化されるような清水的な一冊です。読んでいてどきっとするフレーズに『自分のことばかりを考えている人の顔には死相が出る』という言葉があります。逆に、誰かのためになにかをしたいと思うとき、自分の中にある純粋な愛を発露させたとき、その死相は消えるのだということを学びました。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

わたしが人間であった時に生きてゆくことができたのは、わたしが自分で自分のことを考えたからではなく、通りすがりのひとと、そのおかみさんの心に愛があって、わたしを憐れみ愛してくれたからです。また、ふたりの孤児が生きてゆけたのは、みんなが彼らのことを考えてやったからではなく、他人の女の心に愛があって、彼らを憐れみいつくしんでくれたからです。こうしてすべての人は、彼らが自分で自分のことを考えるからではなく、人々の心に愛があることによって、生きていっているのです。

 

トルストイ『人はなんで生きるか』【岩波文庫

 

人生を賭けるな。

私は家族を作りたいのだと思う。もっと言えば「家族を溶かしたい」のだと思う。不仲を理由に別れたカップルも、別れた後に(お互い普通の人間として)食事をすると滅茶滅茶会話が盛り上がることがある。長年至近距離で連れ添った二人である。二人だけにわかる話題も多い。しかし、現行の制度では「付き合うか、別れるか」「関係性を継続するか、関係性を断絶するか」の二択になる。全か無か。関係性にグラデーションが足りない。これは勿体無い話である。だからもう、別れたカップルは全員家族になっちゃえばいいのだと思う。そして、新しい相方を探せばいいのだと思う。家族なんて概念があるから「全か無か」になる訳で、全員が個であり、全員が全体であるという認識が一般的になれば、おそらく家族という概念も希薄になって(100年後くらいには)溶けてなくなってしまうのではないだろうか。

 

明日開催されるイベントの主催者の女性に問われた。彼女は言う。このあたりはNPOなどの支援団体も多く、自分の活動に人生を賭けている人々も多い。だから、私みたいに「ごちゃまぜの家みたいなものがあったらいいなあ」って動き出した人間は、周囲から「お前は人生を賭けて生きているのか」とか「覚悟が足りない」とか「もっと真面目にやれ」って言われて怒られることもある。だけど、私は人生を賭けていない。そんな自分は間違っているのだろうか。と。私は思った。一応、私もごちゃまぜの家という活動をやってはいるが、ごちゃまぜの家に命を賭けているかと問われたら「賭けている訳ないじゃん!」と思う。ただ、これ【無料で使える家を増やす活動】をやったら面白そうだなと思ったからやっているだけだ。誤解を恐れずに言うと、私はNPOや支援団体が苦手だ。最大の理由は「真面目だから」であり、人生を賭けているという言葉は、格好いい言葉なのかもしれないけれど『余裕が足りない』と思う。真面目すぎる。近寄りがたい。遊びがない。ユーモアが足りない。正しさはあるが楽しさがない。余裕がない場所にユーモアは生まれない。

 

ダメならダメでやり直せばいい。他のやり方を考えればいい。それでもダメなら全部放り出せばいい。最初に「これが正解!」というものを持参したまま飛び込んでしまうから、他の正解を受け入れられなくなるのだろう。ひとつの生き方に固執をするから苦しくなるのだ。生き方は、もっと多様で、もっと広がりに充ち満ちたものだ。焚き火をしていると思う。極論、人間は食べるものと雨風を凌げる場所さえあれば生きていける。逆に言えば、足りないものが自分を苦しめるのではなく「過剰にあふれた情報」みたいなものが、焦燥感を急き立てて、自分を苦しめる方向にドライブさせるのだろう。特別な環境はなくても、養育費はなくても、無料で学べるものはそこら中に転がっている。だから、受験や就職に失敗をしたから自殺をするなんて馬鹿げている。「人生を賭ける」という思いが、自分を窮地に追い込んでしまう。一回深呼吸をしてみよう。世界は、自分が思う以上の広がりにある。 

 

 

https://www.instagram.com/p/BmgZe6aFCZJ/

#venus #bonfire #lifeisgood

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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