いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

最悪の場合でも、死ぬだけ。

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群衆の中に孤独はある。夜の都会を歩くと薄ら虚しい気持ちになる。華原朋美のI'm proudの歌詞「街中で居る場所なんてどこにもない / 体中から愛がこぼれていた」が繰り返し流れる。福岡の薬院界隈で手頃な公園を見つけた。周囲は高級住宅街に囲まれている。「家賃すごいんだろうなあ」とか思いながらハンモックを張る。お湯をわかしてコーヒーを淹れる。木々の隙間から覗く星空を眺め、読書をする。静寂を手に入れて心が和む。私は、都会の隙間を見つけて野営をかまし、それなりにいい時間を過ごしながら「ざまーみろ」とか思っている時間が好きだ。

 

 

夜中3時、雨で目覚める。雨が降るなんて聞いてなかった。寝ぼけ眼でハンモックを出る。私は慌てることが大嫌いだから一旦お湯を沸かして冷静に考える。身体が芯から冷えている。お湯を飲む。「癒されるなあ」とか感じていたら雨足が強くなる。すべてが濡れる。慌ててハンモックの撤収に取りかかる。ずぶ濡れになりながら「金持ちはしない苦労を、貧乏人はするんだなあ」とかちょっとだけ思う。冷えた身体を温めるために夜の福岡を延々と歩く。群れた若者がなにやら大声をあげて騒いでいる。水たまりの上をタクシーが走り抜け、私に向かって「びしゃん!」と跳ね返った。

 

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孤独なとき、あなたはひとりではない。

今夜、福岡で『孤独の愉しみ方』をテーマにトーク企画がある。私は、昨日、ものの見事に孤独だった。孤独な時のしんどさは、まるで、自分だけが「周囲から切り離されている」ように感じることだ。誰からの眼差しも感じられない、誰も自分のことなんて見てくれていないのだと感じる時に、人間の心はあっという間に閉じる。逆に言えば、自分の心を開かせてくれるものに出会えたとき、孤独は緩和する。孤独が人間を磨き、孤独が人間に深みを与えることもある。孤独を経ていない優しさは、あまり頼り甲斐がない。

 

ここ数日サバイバル動画を見続けていたから「彼も頑張っていたのだから自分も頑張ろう!」みたいに思えた。実際に会ったことなどないけれど、彼は俺の友達だ。そう思えるひとが世界にたくさんいることは嬉しい。だから私は読書をするのだろう。読書をすると友達が増える。それは『戦友』という感覚に近い。世界にはこんなにも頑張って生きた人間がいる。そう思えるだけで力を得る。過酷な状況の時はエドを、月の夜は西行を、乞食の日々は良寛を、コーヒーを淹れる時は高知のS様を、逆境に置かれた時は中村久子を、空腹の時はガンジーを、雨に濡れた夜は徳永英明を、宝物を奪いに行く時はルパン三世を、都会の喧騒の中では華原朋美を思い出す。

 

孤独な時には「もしかしたら、いま、自分と同じように孤独なひとがいるかもしれない」と思うようにしている。すると、孤独がつながりを生む。人間、それを表に出さないだけで「孤独だな」と感じる瞬間は誰にでもあるだろう。渦中に置かれている時はしんどいが、少しでも、意識を外側に向けることができれば「自分と同じ人間がいる」と思える。自分はひとりではないことを掴む。自分はひとりではない。この感覚が力になる。どのような状態に置かれても、あなたは絶対にひとりではない。あなたと同じ孤独を、あなたと同じ苦しみを、ここに生きている人間がいる。などと、見えない誰かにそんな感じの温度を届けることができたらいいな、この孤独が自分を周囲から孤立させるためのものではなく、みんなとつながるためのものになればいいな、などと思いながら延々と歩いた。

 

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最悪の場合でも、死ぬだけ。

時間がある時に上の動画を見て欲しい。エドの表情が実に素晴らしい。なぜ、エドは自らを過酷な環境に投げ出すのか。彼の目標が最高だ。それは「(過酷な環境の中で)充実した日々を過ごすことだ」と彼は言う。その時の笑顔が素晴らしい。彼は、極論『楽しむ』ために生きているのだ。時に、迫り来る苦しみまでも友にして。過酷な環境にも慣れてきた頃、彼は言う。『今日は自分に試練を課します。充実感を得るために。』と。そして、危険極まりない川辺とかに自分から趣き、そこで獲得したムール貝とかを手に「うほー!最高だ!人生最高のムール貝だ!俺は最高に報われた人間だ!」などと感激をあらわにする。

 

彼を見ていると「俺なんてまだまだだな」となる。清々しい敗北感に包まれる。露骨に元気になる。私が男だからなのだろうか、どうしても人生を勝負事として捉えてしまう。調子に乗っているひとを見ると「これからお前をぶっつぶす」などと思うし、時の権力者に反発するようなことを積極的に採用して「ざまーみろ」などと悪態をついてしまう。そんな自分が好きだ。そんな自分を変えるつもりがない。こういう生き方を許されていることを、非常にありがたいことだなと思う。私は恵まれた人間だ。成功する自由もあれば、今回のように「雨にずぶ濡れて夜な夜な延々と歩き続ける無様な醜態を晒す自由」もある。成功する自由だけではない、時には『失敗する自由』を行使することができたとき、めちゃめちゃ言い訳めいて聞こえるとは思うけれど、真の意味で「俺は自由だ」とかちょっとだけ思ったりする。

 

野営をしていると時折警備員や警察官に怒られる。でも、逮捕をされることはない。最悪の場合でも怒られるだけなのだ。それならば怒られるまでやればいい。そんな腹の括り方をしている。同じように、人生全般に対しても『最悪の場合でも、死ぬだけ』と思っている節がある。最悪の場合でも死ぬだけなのだから、置かれた状態を楽しもう。悲愴感を漂わせるより、できる限り笑えるポイントを抽出しよう。そう思って生きてきた。こんな私の吐き出す言葉に、時折、ありがたいことに「救われました」とかいってくださる人がいる。そんな時、私はこっそり思う。『俺がお前を救ったんじゃない。お前を救ったものは言葉だ。言葉が、お前を救ったんだ。言葉は、誰のものでもない。ただ、俺と言う人間を通過して出てきただけのものだ。』とか、そんなことを思う。いま、私は、言葉を生業として生きている。言葉は誰のものでもない。強いて言えば『神様のもの』的なサムシングである。それによって生きていることを、ちょっとだけ誇りに思ったりする。

 

 

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都会で野宿。。俺なりの反骨。。。

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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世間体を捨てると楽になる。 

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『他人の修羅場は蜜の味』とはよく言ったもので、修羅場の話を聞くと興奮する。ある日、ある女性が、彼氏じゃない男性と一緒にお風呂にはいっていた。すると、そこに彼氏(私の友達)が登場をして「なにしとるんじゃああああ!!」という状態になった。彼氏は男をボコボコに殴る。彼女は「やめてーーー!」と絶叫する。彼氏は、悪鬼顔負けの形相を浮かべながら、恐ろしいほどに落ち着いた声で「誰が、なにをやめるというんだい??」と問い返す。鳥肌が泡立つほどの修羅場である。生々しい人間の姿に触れると、なにかこう、『グッ!』とくるものがある。

 

 

沖縄を経由して福岡にきた。福岡が想像以上に寒いから無印良品で毛布を買いそうになった。各種電子機器類の電池がなくなり、いま、慌てて最寄りのタリーズに駆け込み充電をしながら無料WiFiを拾ってディスカバリーチャンネルのサバイバル動画を見ている。ここにいると「タリーズは俺の別荘だな」とか思う。家はなくても、自分は貧しいままでも、世界は勝手に豊かになる。どこにいても、まるで自邸にいる時のように寛ぐ能力を磨くこと。寄生力とでも言えばいいだろうか。この能力を極めると、お金はなくても幸せになれる。

 

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管理事務所に火をつけろ。 

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自作の封筒と水引

 

さっきまで福岡空港近くの東平尾公園野点カンタービレをやっていた。久留米在住の女性Y様が福岡空港まで車で迎えに来てくださり、博多うどんをご馳走になり、御礼に東平尾公園でコーヒーを淹れた。公園に行くと看板がある。そこには「ボール遊びをするな」だの「寝るな」だの「焚き火をするな」だの管理事務所による規制規制のオンパレードが書かれてある。私は、こういう看板を見るとドロップキックをしたくなる。人間、規則で縛られているうちはまったく本当じゃないと思う。野田知佑さんが著書『本日順風(アウトドア人生相談)』のなかで、私の感じる違和感を見事に代弁してくれている。

 

Q・この前、あるカヌークラブに入ろうと思い、行ってみたら、その会は入会金も会則もなんにもなく、何をやってもよろしいという。いつ誰でも入れるし、いつ辞めてもいいという、とてもでたらめな会でした。そんなだらしない会に入る気はせず、早々に辞退してきました。北海道のカヌークラブでちゃんとしたクラブを知っていたら紹介してください。

 

A・君のような人間は死んだ方がいいと思う。会則のないクラブなんてとてもいいじゃないか。会則がないのなら罰則もないだろう。そういう会は理想だと思うがね。そういうのは「だらしがない」とはいわず「自由な」というのだ。

最近、方々にキャンプ場ができていて、そこに行った人の話を聞くと、ひどいものらしい。罰則だらけなのだ。

人を管理するのが好きという精神はそもそも病的なものであると知りたまえ。弱い人間は他人を管理したがり、規律やルールを好む。弱い人間ほど人間を拘束し、自分を縛るものがないと生きていけない。

ぼくはアウトドアにおけるあらゆる規則、制度に反対する。われわれの頭のなかにある人間としての良識で十分だ。それは「不文律」で、ことさら文章にしたりわめいたりする必要はなかろう。

規則や規律を強調する人間は、自分の良識のなさ、自制心のないことを告白しているのである。自分を縛る規律がないとやっていけない、というのはとても幼稚な精神だ。幼稚なガキは判断力や価値観がない。ルールがないと不安になる。だから自分の上に立って強く命令してくれる人を欲しがる、その結果、独裁者ができるという構図がある。自由になれない奴、石頭の教条主義者は死ね、というのが当、身の上相談の不文律である。


野田知佑『本日順風』【文春文庫】 より引用

 

東平尾公園で淹れたコーヒーが美味すぎてみんなで一緒に発狂した。愛用している珈琲ミルは、数年前、高知で非常にお世話になっている女性S様から譲り受けたものになる。今日、前回の投稿を読んだS様から「もし、この話に出てくるミルがあのミルなら、なんか良かったなあと思いながら読みました」とご連絡をいただいた。まさにそのミルを愛用している。S様を思うと胸がとってもホットになる。S様の胸にはどでかい太陽の刺青がはいっている。前、高知県で一緒に「ここの銭湯は刺青がはいっていても大丈夫なんよ」と、昔ながらの銭湯に連れてってもらった。私は「まさにそのミルを愛用しています!」とS様に返信をした。ら、S様は「ありがとう。なんでこんなバカに俺はコーヒーを飲ませたんだって後悔したらミルで殴っていいからな。」と言った。

 

公園に一緒に行ったY様は「はい!」と言って、自作(!)の封筒と水引を差し出した。すべて手作りとのこと。最近、Y様は紙に強い興味があって紙屋さんに行ったら楽しすぎてテンションがぶちあがった。Y様は言う。「前の記事で『自分の好きを貫く』って言ってたけど、それ、本当に大事だと思う。私も、離婚をして実家に戻ってから、ようやく自分の好きを取り戻すことができた。自分を笑顔にすることをやっていたら、お小遣い稼ぎもできるようになった。最近は農作業もはじめたのだけれど楽しい。坂爪さんは恩人です。」と。野点セラピー(?)、ここに極まれり。封筒の中にはなんと一万円札がはいっていた。最近「なんでもやります!」と息巻いている私の友人の嘉向徹さんに、このお金を使って、何か面白いことを頼んでくださいと頼まれた。

 

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世間体を捨てると楽になる。 

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東平尾公園

 

最近、ブログを更新するたびに「あなたにはがっかりしました」と言って去る人々が増えた。これでいいのだと思う。過度な期待をかけてくるひとほど、あとから「あなたにはがっかりしました」的なことを言う。大概、どんなひとがそうなりそうなのかが事前にわかるようになった。彼(女)らには、端的に「甘えるな」と言いたい。いまこそ、我らが阿部さん(いばや野球部キャプテン)の言葉を思い出す。自分の中に勝手な「こうあって欲しい」像をふくらませ、人に押し付けたあげく、望む通りに動いてくれないと勝手に落胆し、批判し、糾弾する。その先に一体何があるのか。はっきり言ってロクな未来はないだろう。この言葉を、彼(女)らの背中に強力接着剤で貼り付けてやりたい。

 

悩みの9割は世間体だと思う。世間体を捨てれば楽になる。昔は、キリスト教に入信するだけで、周囲から迫害されたり「耶蘇を捨てねばお前を殺す」とか言われたりした。頭髪が長いだけで学校を退学になったり、小説を書くだけで死刑になった。いま聞けば笑い話になりそうなことも、当時は真剣に行われていた。何が常識を決めるのか。それは、たまたまその時代の多くの人々が「そういうことになっている」と受け入れたことの集大成に過ぎない。常識が、あなたを幸せにするのならば従えばいい。常識が、あなたを不幸にするものであれば、それは違うと言えるだけの勇気を持たなくちゃいけない。誰が。自分が。自分が嫌だと思うことを受け入れることは、自分が嫌だと思うことに加担をすることになる。加担をする限り、悪習は続く。誰かになにかをやってもらうことを期待すると、前述した「あなたにはがっかりしました」とか言い出す人間が続出をする。自分が甘えていることに無自覚な人間が、雨後の筍のようにあらわれてくる。

 

人見知りという言葉がある。しかし、私は「人見知りな人間なんてこの世にいない」と思う。人見知りなんじゃなくて、ただ、目の前にいる人のことが嫌いなだけ。自分を出すには値しないと感じる人間がいるだけ。軽蔑している人間がいるだけ。コミュニケーションを取れない人間がいるだけ。だって、普通に会話が弾むひとは確実にいるのだから。わかり合おうと努力をしなくても、わかり合える人々が世界には無数にいるのだから。だから、自分のことを人見知りだなんて思う必要はない。コミュ障という言葉も最悪だ。そんな程度の低い言葉で自分をカテゴライズする必要はない。そんなことより、自分は「好き嫌いがはっきりしている、いい感じの人間なんだ」と思っている方がずっといい。たとえ、それが世間が定めた基準とはおおきくかけ離れたものだとしても、自分が「おかしい」と感じるならば、お湯に触ったら熱いと感じることと同じように、それは「おかしい」ものなのだ。

 

 

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人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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生きることそのものが、生きがいになるように。

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漫湖で寝た」と言いたかったためだけに那覇漫湖で野営をする。沖縄が寒すぎて、慌てて無印良品で毛布を買った。が、寒いのは初日だけで二日目からはお荷物になった。毛布は半端なくかさばる。が、毛布は半端ない安心感をもたらしてくれる。まるで熊さんをペットに移動をしているみたいだ。これさえあれば「俺はどこでも生きていける」みたいな気持ちになって安心である。が、やっぱり邪魔になったから宅配便で横浜に送った。

 

 

今日は1日那覇で時間ができた。各種SNSから「那覇で暇です」と投稿したら、複数名から連絡をいただいた。国際通りの東雲食堂で爆盛りの定食をご馳走になり、瀬長島のおしゃれなカフェで爆盛りのぜんざいをご馳走になり、漫湖公園でお土産のみかんをご馳走になった。正直に言うと、毛布の大打撃によって所持金はゼロに近づいていた。与えられたもので生きる。最近、この言葉を頻繁に思う。与えられたもので生きる。とか。あるもので生きる。とか。あ、これってもしかしたら『サバイバル』とかいうやつかもしれないと思った。

 

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漫湖の紳士

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昨日は久高島の猫ちゃんと1日を過ごした。

 

私は屋外でコーヒーを淹れるのが好きだ。真の意味で路頭に迷った時は「めちゃめちゃ心を込めたコーヒーをご馳走するので誰か代わりに食糧をください」というスタイルで乞食(こつじき)をしながら生きることも割と真剣に考えている。今日、那覇で出会った女性にコーヒーをご馳走させていただいた。こちらの女性と実際に会うのは初めてだったが、数年前、私が「大量にこんにゃくをもらったので欲しい人に郵送します!」という企画(?)をやった際に、名乗りをあげてくれた女性だった。

 

「あの時はありがとうございました。おかげで命救われました。」と彼女。話を聞くと、当時、彼女は電気水道全部を止められてしまい、金も水も食糧もなにもなく、文字通り餓死しかけていたのだと話す。そんななか、こんにゃくの降臨で九死に一生を得たとのこと。まさかあのときのこんにゃくがこんな感じで誰かを救っていたとは、と、私は感動した。遊び感覚でやっていたことが、時に、誰かの命を救うことがある。これはきっと誰にでもあることなのだろう。彼女は、私と出会えたことを過剰に取り乱しながら喜んでくれた。あまりにも錯乱していたものだから「一緒にコーヒーでも飲みませんか?」と提案をした。ら、「飲みます!」と彼女。そこで私は「コーヒー豆を挽いてもらってもいいですか?」とお願いをする。彼女「はい!」。豆を挽きながら彼女「ああ、ものを頼まれるのってうれしいことですね」と深めの呼吸、徐々に落ち着きを取り戻していった。

 

数秒後、ミルを回しながら彼女は涙を流していた。もう、きっと思うことがあり過ぎて感極まったのだろう。私は何も聞かなかった。何も聞かない自分を(そして、さっと「コーヒーでも飲みませんか?」とか言っちゃう自分を)結構素敵だなと思った。俺、紳士だなあと。あたたかいコーヒーや紅茶は一旦空気を落ち着かせる力がある。コーヒーを淹れる過程には、心を落ち着かせる瞑想効果がある。豆を挽きながら「なんだか、いま、久しぶりに幸せを感じました」と彼女。その後、コーヒーを飲みながら彼女「あ、いま、ようやく風を気持ちいいと感じられるレベルまで落ち着きました」とのこと。話しながら彼女は何回か涙を流した。俺って結構すごいんじゃないかと思った。途中、彼女から「あなたはキリストみたいですね」と言われた。半端ないやつがきたと思った。野点セラピー、ここに極まれり。明日から福岡だ。福岡でも連日野宿だ。17日はイベントだが、空席がすごい。興味のないひとも遊びに来てください。隙間時間は野点カンタービレを極めたいと思った。

 

🌸🌸🌸福岡のイベントはこちらです🌸🌸🌸

ごちゃまぜの家を救え!対談企画・坂爪圭吾×福岡県のみなさま「孤独の愉しみ方」

 

 

生きることそのものが、生きがいになるように。

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瀬長島

 

久高島から那覇市内に戻ると超絶うるさい選挙カーが街中を走り回っていた。私は、選挙カーほど醜いものはないと思っているので「この国に生まれた自分が恥ずかしい」と思って消えたくなった。このままじゃやばい。このままだと死ぬと思って慌てて最寄りのタリーズに逃げ込んで無料WiFiを拾いディスカバリーチャンネルのサバイバル動画を見た。大自然のなか、懸命に生きようとしている人間の姿に触れると、それだけで「俺も生きよう」みたいな気持ちになる。魚が釣れたことを全身全霊でよろこんでいる男性の姿を見て、ああ、と猛烈に安心をした。力を得た。結果、消えかけたやる気を取り戻して「うおおおおお!」となって漫湖に来た。

 

自分を救うものは「自分の好きなもの」だと思う。過去、体も心もボロボロの厳しい状況に置かれて金もやる気もなにもかもを失っていた時に、とある曲の歌詞を思い出すことで生きる力を取り戻した。それは小沢健二の『天使たちのシーン』という曲で、歌詞は「神様を信じる強さを僕に」というものになる。そのあとに「生きることを諦めてしまわぬように」と続く。この歌詞を聞いた途端、露骨にやさぐれかけていたけいご少年は「ああ、そうだよな(生きることを諦めちゃダメだよな)」と思って少しだけ涙を流したあとに再び歩き出す力を得た。自由であることと、自暴自棄であることとはまったく違う。自由であるためには、凛とした生きる強さを内部にしっかりたくわえなくちゃいけない。ちょっとやそっとでは折れない心。精神性。勇敢さ。それを育んでくれるものは「自分の好きなもの」であり、自分の好きなものが自分を励ましてくれた記憶だと思う。なにかを好きになることが、誰かを好きになることが、自分の好きを思い出すことが生きる強さになる。だからこそ、私は『何かを好きになること』以上に尊いことはこの世にないと思う。

 

ディスカバリーチャンネルの中で、ボロボロになった挑戦者の男性が「しんどさを感じる。しかし、このしんどさこそ私の欲しかったものだ。魂を震わせ、癒しを与えるもの。限界を超える体験がなければ、挑戦の意味がないじゃないか」的なことを言った。格好いい言葉だと思った。ああ、この人も、自分も、結局は「やりたいからやっているのだ」と思った。自分が置かれている状態を、決して、誰のせいにもしないこと。他人の顔色を伺うばかりに、みんなにいい顔をしたいと思うばかりに、身動きがとれなくなってしまうようなダサい自分を蹴飛ばすこと。過酷だなと感じる出来事さえ『ある種の恵み』として引き受けること。そうすれば、どのような瞬間も楽しむことができる。目の前の現実を前向きにとらえ直すことができる。過酷さを乗り越えることで、自分に対する信頼を取り戻すことができる。都会に暮らしていると、どうしても抽象的でふわふわとした悩み方をすることが多い。自然に生きることは、端的に「どこで寝る」とか「何を食う」とか、現実的な問題をひとつずつクリアしていく積み重ねだ。そのひとつひとつの実体験が、ああ、俺はできたという達成感を生む。どうしてこんなことになったのだろう、とか、こんなことになるのなら家でおとなしくしていればよかった、などとは考えない。それよりも「俺は、これをやりたくてやっているのだ」と受けて立つ。すると、愚痴や弱音や言い逃れは消える。よし、やってやるかという前向きな爽快感を取り戻す。

 

 

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#kudaka #sunset #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

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美しく生きる。

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昨日、幸福の科学の映画を見た。自分だったらなかなかやろうとは思わないことも、誰かに誘われることで「あ、やってみるのも面白そう!」と思う。興味のないことをやることは、時に、新しい遊びになるのかもしれない。映画館には大勢の観客がいた。色々なことを思ったが、一番は『事実は映画よりも奇なり』と思った。本気を出して生きはじめた人間には、必ず、ドラマティックな展開が起こる。そのことを、ここ数日、身近な友人たちに起きている出来事を通じて実感する。

 

 

今、沖縄県の久高島にいる。猫が近寄ってきた。俺はさみしいのだろうか。動物が近寄るとめちゃめちゃ話しかける。動物と過ごす時間は癒しだ。史上最強に素直になれる。頻繁に「勇気を出す」とか「本音を出す」などの表現を私は使うが、実は、これらは出すのではなく「出させてもらっている」「出しやすい環境や相手がある」だけなのかもしれない。誰と時間を過ごすかで、引き出される自分は大きく変わる。日本で見る夢と、海外で見る夢も違う。自分は出すものではなく「出させてもらっている」ものだとしたら、誰といるか、何処にいるか、自分を何処に置くかは、何をするか【自力】を越える力を生む。

 

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自分の『嫌い』を表明する。

沖縄でイベントに登壇した。参加者の男性が実体験を話してくれた。「私は過去にアメリカに旅行をした。空港でレンタカーを借りる際、保健規約がどうのこうので店員と揉めた。私は日本では穏やかキャラだが、海外にいる時は英語を使うからなのかまっすぐに自分の怒りを表明している自分に気づく。店員も店員で言いたいことをガンガン言う。日本では衝突を極端に嫌うが、アメリカでばちばちやった後、ああ、衝突することの中にも気持ち良さはあるのだなと思った。怒りを表明することは、勿論ストレスもあるが、最後には清々しさを私に残した」。

 

揺れる家。。。

 

彼は続ける。「冷静に観察すると、私は怒っていたが店員は決して怒ってはいなかった。私は、自分の言いたいことを言うために怒りを利用した。しかし、いつの日か怒りを通さないでも言いたいことを言えるようになるのだと思った。怒り方を学ぶことは、自分の出し方を学ぶことだ。自分の出し方を学ぶことは、自分を浄化する方法を学ぶことだ。怒りを溜め込むと憎しみになる。溜め込んだ感情は自分の中で腐り、それが憎しみや不機嫌や呪詛になるのだ。その腐敗臭を、おそらく『負のオーラ』と呼ぶのだろう。自分を出すと言うこと。それは怖いことかもしれない。過去に自分を出したことで傷ついたり、大事な誰かを傷つけた経験は誰にでもある。その時は、自分を出さないことが安心を意味した。しかし、その時期は過ぎた。自分を出さないことが安心な時期は過ぎたのだ」。

 

沖焼け。。。#沖縄 #朝焼け #lifeisgood

 

自分の『嫌い』を表明する。それは、自分の『好き』を表明することと同じくらい大切なことだ。嫌い(NO)を表明する瞬間は勇気がいる。もしかしたら「このまま相手との関係性が途切れるかもしれない」という恐れも湧く。しかし、多くの場合、自分の嫌いを表明してもコミュニケーションは続く。恐怖心から全身が小刻みに震えることもあるが、コミュニケーションは終わらない。言いたいことを言った自分に対する信頼感も生まれるし、空間全体に爽快感の風も吹く。逆に、嫌われないために好かれよう好かれようと思って生きているひとほど、その嘘臭さは周囲にモロバレとなり、結果的に嫌われることは多い。そもそもで、嫌われないように生きる人生は疲れる。疲れを覚えるということは、何かしら『やり方を間違っている』のだと思う。

 

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わたり文庫『われ弱ければ』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、三浦綾子著作『われ弱ければ 矢島楫子伝』です。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、沖縄県にわたりました ※※※

 

この言葉は私の胸を強く打った。仮に私たちが、どこかの学校の校長になったとしてみよう。誰が一箇条の規則も作らぬという楫子の真似をすることができようか。いつの世も、学校というところには規則や生徒心得があり、さらに細則を加えがちである。現代の学校を見ても、特に中学、高校においては、制服の有無、頭髪を伸ばす伸ばさぬ、スカートの丈、ブラウスの色、運動靴の種類等々、日常生活を規則でがんじがらめにしている話をよく聞く。これは、人間がいかなるものであるかを知らぬところから、生まれたものではないだろうか。人間というものは規則で縛り得るものではない。人の心の中には、「触れるべからず」と書いてあれば、触れてみたい心が湧き、「入るべからず」と書いてあれば、入ってみたい思いも湧く。人間は本来自主的に生きたいものなのだ。

矢島楫子は、「あなたがたには聖書がある、自分で自分を治めよ」と言いきった。この学校は、キリスト教主義の学校で、各自、聖書を学んでいたとはいえ、「自分で自分を治めよ」というこの言葉に、生徒たちはどれほど人間としての自覚を促されたことであろう。これはすべての生徒の人格を認めたことである。

三浦綾子『われ弱ければ』【小学館文庫】

 

美しく生きる。

イベントに参加してくれた男性から「坂爪さんの言葉に触れた時、ああ、自分は許されたのだと感じた。さまざまな本を読んできたが、こんな気持ちになることはいままでになかった。大袈裟だけど救われた思いがした。この感動はひとしおだった」と言われた。この言葉は最高に嬉しかった。自分自身、過去に大好きな音楽の歌詞を通じて「ああ、自分も生きていていいのだ」と存在を許されたように感じた記憶がある。生きていても何もいいことはないと思っていた10代の頃、私は、私の大好きな音楽を通じて「生きててもいいよ」ということを言われた気がした。この時は涙があふれてとまらなかった。世界にはこんなにも優しいものがあったのかと、言葉にすることのできない、全身が震えるほどの感動を覚えた。

 

この時の涙が、自分が生きる指標を与えた。自分がこれからやることも、過去の自分がひどい暗闇の中で何も信じられない、何もかもが嘘臭いと感じる中で「それでもなお、これだけは本当かもしれない」と思えた光。死にたいと思っていた自分を、生きる方向に向かわせた光。自分も、それを生み出す生き方をしたいのだと思うようになった。多かれ少なかれ、誰もが生きる上での指標を持つのだろう。金になるか、否か。モテるか、否か。楽しいか、否か。親から認められるか、否か。など。私の強い部分を占めるもの、それは「美しいか、否か」という指標だ。私は、過去に、私が美しいと感じたもの、自分の心が「これは本当だ」と思うものに光を見た。同じように、いま、自分は自分の生き方に美しさが宿るような、本当の言葉、本当の眼差し、本当の生き方をしていきたいと思っている。

 

美しく生きるということは、自分の中にある美しい部分だけを出すことではない。自分の中にある、一番、本当に一番醜い部分を差し出すことだ。誰からも歓迎されるような善意や良心や光の部分だけではない、弱さや狡さや醜さの闇を、まるごと引き連れて生きることだ。良い部分が本当の自分で、悪い部分は本当の自分ではないなんて、そんなことはないのだ。良い部分も、悪い部分も、良い過去も、悪い過去も、全部ひっくるめての自分だ。美しく生きるということは、自分の中にある優等生だけを引き連れて生きることではない。美しく生きるということは、自分の中にある『みんな』を引き連れて生きることだ。自分の中にあるみんなを引き連れた人間が、周囲の人々、自分の外側の人々も、同じように引き連れていくことになるのだと思う。

 

 

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fast alone, far together

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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もっと真剣に生きてください。

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ごちゃまぜの家の裏側に豚小屋を建てている。豚は私だ。完成したら私(資本主義の豚)が暮らす。先日、大量の廃材をもらった。廃材を使えば無料で作れる。もともと、豚みたいな生活をしていた自分だ。豚は餌をあげると喜ぶ。資本主義の豚はおかねをあげると喜ぶ。見世物小屋みたいな感じになる。豚小屋に私が住み、餌の代わりにお金をねだる。お金をもらえない時は「ぶぅ!」、お金をもらった時は「ぶぅ♡」である。これはもう、どれだけチャーミングに開催できるかの勝負だ。

 

 

ごちゃまぜの家の運営メンバーになかむらさんが加わった。当初は「誰もメンバーこないね…」などと塞いでいたが、ここ数日間で驚きの展開。あれよあれよと参加希望者が集まり、残り座席はひと席程度となった。参加条件などは不文律で、要するに人柄ということになる。ごちゃまぜの家は、基本的に誰がいつ来てもいいことになっている。が、これは受け入れ側にも言えることであり「あなたが自由であるように、こちらも自由であることを忘れるなよ」という、どこかしらパンクな精神が根底に流れている。

 

 

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青年は辺境を目指せ。

将来はゲストハウスをやりたいと話す若者に、多分、これまで100人くらい会った。あまりにも定番すぎるものだから「お前もか!」と毎度突っ込みたくなる。シェアハウスやゲストハウスに興味があるからごちゃまぜの家に来ました、とか言われると「俺(坂爪圭吾)はそういうの全然興味ないからね!」と言うようにしている。すると大概びっくりされる。幻滅されることもあるし、露骨に嫌われることもある。そして、ああ、俺は世間からはそんな風に見られているのかと軽くへこむ。

 

「坂爪さんも地球家族という概念を大事にしているんですよね!」とか前に言われた。一方的に決めつけられている感じがものすごい嫌で、私は「なにそのキモい言葉」と返した。こう言う感じで、私は、頻繁に遊びに来てくれた方々と揉める。未熟な豚である。取材や講演の依頼が来ても、大概、途中で揉めてなし崩し的に終わる。第一に、メールだけで要件を済ませようとする態度が気に入らない。本気ならば(対面コミュニケーションを大事にしたいとこれだけ書いているのだし、自分のスケジュールも公開しているのだから)なんでもいいから一回会いに来いよと思ってしまう私は、古いタイプの人間なのだろうか。

 

きっと私は少数派の人間なのだと思う。ビジネスのやり方とか、メールでことを済ませる(金になるとわかってから実際に動き出す)ことの方が、効率的だし諸々合理的なのだとは思う。しかし、私はそこに反発を抱く。それができていたらこんな生き方はしていないよと思う。誤解を恐れずに言うと、私はお利口さんが嫌いだ。器用にたち振舞われるより「不器用でも熱意のある言葉」に触れた時の方が、五億倍燃える。熱を感じるひとと一緒にいたいし、右に倣えの青年より、辺境を目指す青年が好きだ。市民権が得られているものではなく、まだ、市民権が得られていないものを目指す青年が好きだ。今夜はごちゃまぜの家に泊まり、明日から沖縄に行く。

 

 

わたり文庫『人生の救い』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、車谷長吉著作『人生の救い』です。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、栃木県にわたりました ※※※

 

質問・教え子の女性とが恋しいんです。


40代の高校教諭。英語を教えて25年になります。自分で言うのも何ですが、学校内で評価され、それなりの管理的立場にもつき、生徒にも人気があります。妻と子ども2人にも恵まれ、まずまずの人生だと思っています。

でも、5年に1度くらい、自分でもコントロールできなくなるほど没入してしまう女子生徒が出現するんです。

(中略)

教育者としてダメだと思いますが、情動を抑えられません。どうしたらいいのでしょうか。

 

回答・恐れずに、仕事も家庭も失ってみたら


私は学校を出ると、東京日本橋の広告代理店に勤めましたが、この会社は安月給だったので、どんなに切り詰めても、一日二食しか飯が喰えませんでした。

北海道・東北への出張を命じられると、旅費の半分は親から送ってもらえと言われました。仕方がないので、高利貸から金を借りて行っていました。生まれて初めて貧乏を経験しました。二年半で辞めました。

次に勤めたのは総会屋の会社でした。金を大企業から脅し取るのです。高給でしたが、二年半で辞めました。三十代の八年間は月給二万円で、料理場の下働きをしていました。この間に人の嫁はんに次々に誘われ、姦通事件を三遍起こし、人生とは何か、金とは何か、ということがよくよく分かりました。

人は普通、自分が人間に生まれたことを取り返しのつかない不幸だとは思うてません。しかし私は不幸なことだと考えています。あなたの場合、まだ人生が始まっていないのです。

世の多くの人は、自分の生はこの世に誕生した時に始まった、と考えていますが、実はそうではありません。生が破綻した時に、はじめて人生が始まるのです。従って破綻なく一生を終える人は、せっかく人間に生まれてきながら、人生の本当の味わいを知らずに終わってしまいます。気の毒なことです。

あなたは自分の生が破綻することを恐れていらっしゃるのです。破綻して、職業も名誉も家庭も失った時、はじめて人間とは何かということが見えるのです。あなたは高校の教師だそうですが、好きになった女生徒と出来てしまえば、それでよいのです。そうすると、はじめて人間の生とは何かということが見え、この世の本当の姿が見えるのです。

せっかく人間に生まれてきながら、人間とは何かということを知らずに、生が終わってしまうのは実に味気ないことです。そういう人間が世の九割です。

私はいま作家としてこの世を生きていますが、人間とは何か、ということが少し分かり掛けたのは、三十一歳で無一物になった時です。

世の人はみな私のことを阿呆だとあざ笑いました。でも、阿呆ほど木の楽なことはなく、人間とは何か、ということもよく見えるようになりました。

阿呆になることが一番よいのです。あなたは小利口な人です。 

 

車谷長吉車谷長吉の人生相談 人生の救い』【朝日文庫

 

もっと真剣に生きてください。

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先日、こんなメールをいただいた(こんな感じの連絡は頻繁にいただく)。

坂爪さん、ごちゃまぜの家についてお伺いしたいことがありメールさせていただきました。 実は、 児童養護施設の子供たちが、18才になって施設を出されてしまうと、保証人もいないため、なかなか住む所がなくなってしまうこと、そのため、路上生活となり、犯罪に手を出してしまったり、 風俗のお仕事でボロボロになってしまう子供達が多い現実をなんとか変えたい!救いたい!と、友人がNPO法人を立ち上げました。施設を出された子供達が住める場所(できれば無料のところ)を探しているそうです。坂爪さんのごちゃまぜの家の話をしたところ、「一時的にでも、施設を出された子供達を住まわせてもらえるかどうか、勿論、光熱費は支払いますので 聞いてほしい」…と言われております。勿論、ずっと彼らが住めたらありがたいそうですが、それだとごちゃまぜの家の意味がなくなってしまいますので、一時的にでもいいので住むことは可能でしょうか。お返事お待ちしております。

 

小生の立場を明確にするため、返信を掲載する。

 

遅くなりました!

一点 本気
なら、あなたではなく、NPO代表本人が連絡をしなさい。
二点 メールだけ
で済まそうと思うな実際に来い話はそれから
三点 誰かを救いたいなんて、
何様のつもりだ

以上。もっと真剣に生きてください


このような返信をすると、およそ9割からは返信さえ来なくなる。消えるのだ。正直、私は「この程度で引っ込む奴は最初から引っ込めばいい」と思う。最近、頻繁に『ジョゼと虎と魚たち』という邦画のワンシーンを思い出す。詳しくは映画を見ていただきたいのだけれど、主人公のジョゼが、思いを寄せる男性に向かって「帰れ・・・!!『帰れ』って言われて帰るような奴ははよ帰れ!!」と怒りを爆発させる場面がある。私は思う。一回断られたくらいで諦める程度の熱量ならば、そんなものはやめちまえと思うのだ。逆に言えば「私は、いま、メールでお断りをした。それでもなお、あなたには『何度でもしつこくぶつかってくる』権利があることを忘れるな」とも思っているのだ。

 

コミュニケーションとは、こういうことだと思っている。私の目的は「相手をボコボコにする」ことではなく「本音を確かめ合うこと」だ。それによって、最初は断りたいと思っていた提案も、流れによっては「是非、我々にもお手伝いをさせてください」となる場合もある。だからこそ、私の意見が違うと思ったらその時は『違う』とボールを投げてほしい。一回断られた程度で引き下がるような、やわな思いなら最初から声をかけないでほしい。なにかしら自分なりの熱量があったからこそ、あなたはその活動をはじめたんじゃないのか。それならば、その熱量を俺にぶつけてきてみろよ、と、思う。

 

私はこういうタイプの人間だ。自分から歩み寄るタイプの人もいるのだろう。しかし、私は歩み寄りたいとは思わない。できることならば、お前から越えて来いと思う。そのためには、多分、勇気が必要になる。「自分にはそんな勇気はない」などと言って逃げるひともいる。しかし、それは違う。勇気は『出すか、出さないか』だ。これは、逆に言えば『勇気はすでに自分の中に備わっている』ということだ。出すか、出さないか、それを決めるのは常に自分だ。私は、それに助力をしたいとは思わない。私が歩み寄ったら、それは自転車に補助輪をつけて走ることと同じになる。補助輪をつけたままでは、あなたは自転車に乗れないままだ。だから、私は、歩み寄ることをしない。誰かになにかをしてもらおうと思うな。自分には力があるのだと認める恐怖を越えるのだ。勇気を出す瞬間は怖いかもしれない。それでも尚、私は「越えて来い」と思う。勇気には、勇気で応えていきたいと思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/BXlxUGfDnY6/

#wanna be a brave explorer

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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愛情表現としての怒り。

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成功体験が足りないとか言うけど、逆で、失敗体験が足りないのだと思う。どうすればうまくやれるか、とか、どうすれば周囲から嫌われないか、とか、そういう風に尋ねられると「逆だろ」と思う。人生の最優先事項が嫌われないことだとしたら惨めだ。それでは誰の人生を生きているのかわからない。無傷で墓場に入るとき、それは誇らしい生涯だったと言えるだろうか。全然言えないと思う。そんなことよりも『嫌われたとしても構わないから、自分がやりたいと思うことを実行する』ことなんじゃないのかと思う。

 

 

今日、ごちゃまぜの家に保険の勧誘の女性が「保険入っていますか?」と下劣な笑顔でやって来た。営業を頑張っている(それが会社の方針である)ことはわかる。しかし、他人の領域に土足で踏み込んでくる精神性と、黒ずんだ表情が無理過ぎて「こんな仕事は早くやめなよ。そうじゃないと、あんた、カラダを壊すよ」と言って追い払った。街中でティッシュ配りをしている人間や、空港でクレジットカードの勧誘をしている人間にも、似たようなことを思う。共通点は『笑顔が嘘くさい』ことだ。日常的に嘘をついていると、やがて「自分が嘘をついていることすらわからない乖離した状態」になる。

 

ibaya.hatenablog.com

 

間違った「ごめんなさい」は自尊心をボロボロにする。

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嘘の笑顔は詐欺師と同じだと思う。前に、綱島駅前でリヤカーを引きながら全国各地のお菓子を売り歩いている若者がいた。彼と目が合ってしまったのが間違いだった。若者は「10秒だけでも見て行ってください!」と、超絶嘘くさい笑顔で私に言った。逃げる機会を逸してしまい、私は「どうしようかな」と思いながらお菓子を眺めた。若者は「おひとついかがですか??」と私に言う。私は、しばらく考えた後に「ごめんなさい」と言ってその場を離れた。ら、若者は、あろうことか私に向かって「いいですよ〜♫」とヘラヘラした感じで私に言った。私は、強烈な違和感を覚えながらその場を離れた。

 

違和感があまりにも強く、消化不良感が半端なかった。消化不良感はやがて『苛立ち』に変わった。この苛立ちは、若者に対する苛立ちではなく「言いたいことを言わなかった自分に対する苛立ち」だった。私は、若者にごめんなさいと言った。しかし、私の本音は「あんた、そんな笑顔が俺に通用すると思うなよ」という怒りだった。私は、彼に対して説教をしたかったのだ。それなのに、実際に口から出た言葉は『ごめんなさい』だった。説教をしたい人間が、謝罪の言葉を口にしているのだ。これはあまりにも真逆だと思った。ごめんなさいと言う言葉は、その場をしのぐには便利な言葉だ。しかし、使い方を間違えると自尊心をボロボロにする。この苛立ちは、私の自尊心が、生ぬるい言葉遣いをする自分に対して「お前、ふざけんじゃねえよ」と抗議をしているのだと感じた。

 

J-POPの歌詞に「ごめんじゃなくて、ありがとう」みたいなものが頻繁に登場する。しかし、使い方を間違えるとありがとうさえも自尊心をボロボロにする。私は、職業上(?)様々な人間からメールをもらう。返信をする際に「ご連絡ありがとうございます」みたいな言葉を癖のように使っていた。が、正直、この人は失礼だなと思う人からも頻繁にメールがくる。それに対しても「ご連絡ありがとうございます」とか言っている自分に激烈腹が立った。失礼なひとは大量にいる。名前さえ名乗らないひとも大量にいる。それに対しても「ご連絡ありがとうございます」とか言っている自分なんなんと思った。私の本音は「いい大人だろ。名前くらい名乗れ」だった。ここでもまた、最大の矛盾が起きている。説教をしたい人間が、謝礼の言葉を口にしているのだ。こういうところから自分はブレていくのだ。そう思い、失礼なひとには「あんたちょっと失礼だよ」とか「出直してこい」と返信をするようにした。ら、メールの返信が楽しくなった。自尊心をボロボロにするものは言葉だ。同じように、自分の自尊心を守るものも言葉だ。

 

わたり文庫『本日順風』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、野田知佑著作『本日順風 アウトドア人生相談』です。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、新潟県にわたりました ※※※

 

Q・この前、あるカヌークラブに入ろうと思い、行ってみたら、その会は入会金も会則もなんにもなく、何をやってもよろしいという。いつ誰でも入れるし、いつ辞めてもいいという、とてもでたらめな会でした。そんなだらしない会に入る気はせず、早々に辞退してきました。北海道のカヌークラブでちゃんとしたクラブを知っていたら紹介してください。

 

A・君のような人間は死んだ方がいいと思う。会則のないクラブなんてとてもいいじゃないか。会則がないのなら罰則もないだろう。そういう会は理想だと思うがね。そういうのは「だらしがない」とはいわず「自由な」というのだ。

最近、方々にキャンプ場ができていて、そこに行った人の話を聞くと、ひどいものらしい。罰則だらけなのだ。

人を管理するのが好きという精神はそもそも病的なものであると知りたまえ。弱い人間は他人を管理したがり、規律やルールを好む。弱い人間ほど人間を拘束し、自分を縛るものがないと生きていけない。

ぼくはアウトドアにおけるあらゆる規則、制度に反対する。われわれの頭のなかにある人間としての良識で十分だ。それは「不文律」で、ことさら文章にしたりわめいたりする必要はなかろう。

規則や規律を強調する人間は、自分の良識のなさ、自制心のないことを告白しているのである。自分を縛る規律がないとやっていけない、というのはとても幼稚な精神だ。幼稚なガキは判断力や価値観がない。ルールがないと不安になる。だから自分の上に立って強く命令してくれる人を欲しがる、その結果、独裁者ができるという構図がある。自由になれない奴、石頭の教条主義者は死ね、というのが当、身の上相談の不文律である。


野田知佑『本日順風』【文春文庫】 

 

愛情表現としての怒り。

多分、変な自己啓発セミナーにはまっちゃった女性なのだと思う。彼女は「私は、喜怒哀楽の喜と楽だけで生きていきます!」と言っているのを見て、これはやばいなと思った。彼女の笑顔は無理にまみれていた。こういう女性を笑うことはできない。自分にもそんな風に思ってしまう瞬間はある。喜や楽は、ポジティブな感情だから表現することに抵抗がない。それに対し、怒りや悲しみはネガティブとされているから出し方にコツがいる。しかし、私は思う。怒りや悲しみの感情『だけ』を押し殺すことは不可能で、それらを封じることは感情全体を封じることになる。ネガティブに蓋をすると、皮肉なことに『ポジティブも絶滅をする』のだ。自分の嫌いに蓋をすると、自分の好きがわからなくなる。怒りを忘れた人間には、冷たい血が流れる。そして末端冷え性になる。

 

怒りはホッカイロである。怒りはネガティブなものではない。怒りは一種の愛情表現である。不機嫌と怒りは違う。憎しみと怒りも違う。怒りは瞬間沸騰的なもので、あと腐れのないものだ。溜め込んだ怒りが腐敗をすると、憎悪や呪詛や不機嫌になる。誰かに対する憎しみを耕す時、それは『自分自身に対する憎しみ』も同時に耕してしまっている。我々は「愛」とか「感謝」という言葉を好んで使う。大事な概念だとは思うが、愛や感謝が「怒りを出すべきタイミングを殺している」場合もある。愛している場合ではない。感謝をしている場合ではない。それよりも怒ることだ。と、そのように感じる瞬間がある。もっと言えば「愛とかなんだとかお利口なことを言っているときより、怒りを爆発させているときの方がよっぽど人間を愛せている」とさえ思う瞬間がある。もっともっと言えば、怒るときに『愛そのもの』になっているとさえ、私は思う。

 

愛とか感謝とか優しさよりも、我々は怒り方を覚えなくちゃいけない。怒り方にはコツがいる。SNSとかでよく見る「あべ死ね」とか言っているタイプの怒りは最低&最悪で、絶対に真似をしちゃいけない。真の怒りは切れ味鋭く、尾を引かない。爽快で、潔く、根底に愛がある。怒りを避けることは、自分の嫌いを受け入れるということだ。自分の嫌いを受け入れるということは、自分が「嫌うものそのもの」になるということだ。別に人類全体を愛する必要はないと思う。が、自分が常に近くにいる人間、職場、学校、家庭など、自分の生活の基盤となる場所では、怒りを表明していきたいと思う。最近、私は「間合いに入ってくる限り斬る」という武士的な感覚になることが多い。基本的に、みんな好きに生きればいいと思っている。が、俺の間合いに土足で入ってくるならば、その時は斬るぞ的な緊張感を大事にしたい。拙者、これが礼儀だと考える。同じように、目の前の人間に対する礼儀もしっかりわきまえたい。潔い怒り。潔い言葉。潔い生き方。切れ味のよい生き方をしたいものだ。

 

 

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#ibaya.ex #22century #updated

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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Photographed by Chiaki Toyozumi

 

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過去と現在と未来がつながる。そして無双になる。

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私の友人に、愛し合う二人の男女がいる。先日、女性が「あなたとは別に好きな人ができたから勇気を出してセックスをしました!」と真実を告げた。この男女、これまでも「我々はお互いを束縛しあうものではなく、お互いを自由にするものでいよう。だから、お互い、いろいろなことを自由にやろう」とは話していた。が、まさか、このような出来事が起こる準備を男性側はまったくしていなかったため、ひどく狼狽をした。

 

 

だがしかし、女性側を責めるのは違う。だって、自由であることは約束なのだから。そう思った男性は、結果、路上を裸足で走り回ることによってやり場をなくしたエネルギーを発散した。傷ついた足裏が血を吹き出すギリギリまで走り回ることで、彼は冷静さを取り戻した。そして私に電話をくれた。ことの一部始終を聞いて、私は「ああ、なんだかわかるなあ」となんども思う瞬間があった。男と女のいざこざは絶えない。彼の話を客観的に聞くことで、ああ、俺も客観的に見たらこんな感じなのだろうなと思った。

 

ibaya.hatenablog.com

 

楽園をアップデートする。

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イベント登壇時のMAYUCHAPAWONICAさん。最近は「余命半年だったらなにする?」の問いに興味津々。


10月6日に東京都日本橋でいばや名義のイベントを開催した。濃厚な内容に当日頭痛に悩まされた。情報量が半端なく、いまだに消化し切れていない。いばやの神様・まゆちゃぱうぉにかさんは津波のような女性で、周囲に波乱を巻き起こしまくる。現在は『余命半年だったらなにする?』という問いに熱烈な関心を寄せていて、最近、同じ問いを共有した女性陣が半端ない余生をおくりはじめている。そのうちのひとりは「一発かっ飛ばしたい!"SHALL WE SEX ??"」ということで、ワンナイトフィーバーに付き合ってくれる男性を募集しはじめた。

 

 

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まゆちゃぱうぉにかの自由研究。最近は『遊び』を研究していた。

 

女性側に本領を発揮されると、男性陣はたじたじになる。女性陣サイドから「けいごさんもよめはん(余命半年を想定して生きる企画)やりましょうよ!ねえ!やりましょう!」と畳み掛けられた。女性の勢いはすごい。思わず飲み込まれてしまって「俺も考えてみようかな・・・余命半年だったらなにをするんだろう・・・」とか考え始めてしまった。ので、私は男性陣にヘルプを求めて「ねえ、余命半年づいている女性陣にたじたじになっているのだけれど、俺はどうすればいいと思う?」と相談をした。すると、男友達は「本当に余命半年にしてやればいいんじゃないですか」とのこと。要するに『半年後に実際に殺す』ということなのだけれど、そんなことはできるのだろうか。

 

 

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この星の問題は面倒で愉快だ。


6日に話されたことを乱暴にまとめると「人間には五つのフェーズがあって、戦時中は『がまん』が美徳とされた。時は流れ、がまんしない価値観が台頭した。がまんしないを続けると『してもしなくてもどちらでもよくなる』段階に行く。これがニュートラルの段階。しかし、ニュートラルのままでは退屈【虚無】に殺される。そこで『あそび』が登場する。あそぶことが閉塞感に風穴を開ける。しかし、がまんゾーンの人々に突然『遊ぼうよ!』と言っても何も伝わらない。だって、遊んだことがないから。段階はひとつずつ。そして、あそびの先にもうひとつのゾーンがある。それが『パラダイス』になる。あそぶことは一人でもできるが、パラダイスには複数人が必要。かつて、パラダイスには『ここではないどこか遠くの桃源郷』的な意味合いがあったが、この考え方が古い。パラダイスは遠くにあるものではない。いまの自分がまるごと全部自分なのだと認めた瞬間、ここがパラダイスになる。我々【旧・いばや】はパラダイスをアップデートする。」などなど。感覚的に伝われば嬉しいです。

 

🦄🦄🦄全国行脚のスケジュール 🦄🦄🦄

10月11日(木)@沖縄県読谷村

ごちゃまぜの家を救え!ホームをレスしてもサバイブする方法

 

10月17日(水)@福岡県福岡市

ごちゃまぜの家を救え!対談企画・坂爪圭吾「孤独の愉しみ方」

 

10月20日(土)@大阪府能勢町

ごちゃまぜの家を救え!対談企画・坂爪圭吾×堀口雅司「これからの生き方を考えよう!」@大阪府能勢町


10月開催@ANYWHERE!〜呼ばれた場所〜

野点カンタービレ


SCHEDULE 
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わたり文庫『イーグルに訊け』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、天外伺郎・衛藤信之著作『イーグルに訊け インディアンに学ぶ人生哲学』です。小生、自邸を開放しているものですから、いつの間にか「あれ?こんなもの家にあったっけ???」なんて思うことが毎日のようにあります。ある時は大量の果物が、ある時は大量のお米が、ある時は大量の本が家に『魔法のように』増えている現実を前に、呆然とすることがたくさんあります。この本も、突然、この家に出現をした魔法の一冊になります。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、東京都にわたりました ※※※

 

お年寄りと子どもを離してはいけない。彼らを引き離すことは、過去と未来を断つことと同じだ。

川の水面だけ見て川を知ったと思うな。

お年寄りのひざは、空いているだろう。お年寄りのひざは、子どもたちのためんおゆりかごとして空けられているんだ。だから、お年寄りと子どもを離しちゃいけない。彼らを引き離すことは、過去と未来を断つのと同じだ。

わしらはやがて大地に戻る。そこに何を持っていく必要があるのかね。この世界で生きてきたことの喜びと、次の時代を生きる子どもたちに、わしらが母なる大地から教えれれた美しさと感動を残してあげられれば、それで十分だ。

私たちの周りすべてに、教師は存在する。石の中にも、風の中にも、木々の中にも、きみが立ち止まって眺め、グレート・スピリットに尋ねれば、必要なことは必要なときに与えられる。

天外伺郎・衛藤信之『イーグルに訊け』【飛鳥新社

 

過去と現在と未来がつながる。そして無双になる。

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イベント中の筆者。(心の)病弱感がすごい。


余命半年だとしたら、みんなはなにをやるだろうか。強がって「別に俺はなにもかわらない。いままでの日々を続けるだけだ」とか言っちゃいそうにもなるけれど、きっと、もうちょっと考えた先に『キラッ!』と輝く何かを獲得できるような気がする。自分だったら、あらゆる垣根をぶっ飛ばした家族を作りたいなと思う。ごちゃまぜの家を通じて現時点でも試してはいることだけれど、余命半年を意識すると『より加速度を増して』自分がやりたいことを遂行できる。正直、自分のこどもが100人いてもいいし、自分の嫁さんが100人いてもいいし、人類全体が自分の家族ということで問題はないと思っている。

 

こんなことを言うのはとても勇気がいることだけれど、最近、自分を見ていると「俺と深めのコミュニケーションを達成した女性は自らの内部に秘めた女性性を猛烈に開放することができて、結果、いい感じの人生を送ることができるようになる」みたいなことを思う。かと言って、その女性が永遠に自分と一緒にいるイメージは(現時点ではあんまり)ない。私は通過点であり、通過儀礼(?)のようなものであり、うまい言葉が見つからないけど『俺を経由して素晴らしい人生を歩んでください』みたいなことを思う。逆に言えば、私は海みたいな存在で、誰のものにもならない。海は誰のものでもないように。空は誰のものでもないように。しかし、自分が海にいる時間(空を見ている時間)だけは「自分のものだとも言える」ような、誰のものでもないからこそ『みんなのものになることができる』的な感覚を抱く。

 

イベント中、まゆちゃぱうぉにか様の話を聞きながら『過去と現在と未来が一致する時、人間は無双になる』的なことを思った。ひどく感覚的な話になるが(自分でもよくわかっていないけれど『これは真実に違いない』的な確信がある)、普通、過去と現在と未来は切り離されたものとして捉えられる。だから「いまはダメだけどいつか」みたいな絵空事が語られる。しかし、そんなことはないのだ。良い過去と悪い過去があるのではなく、すべてを一心に引き受けた瞬間に『過去と現在と未来はつながる。そして無双になる』のだと思う。幼少期の自分も、現在の自分も、老後の自分も、実は「いまこの瞬間にすべてがある」のである。だからこそ、私は、自分の過去を頻繁に思い出していたのだろう。不幸とは、過去や未来が『現在から切り離される』ことである。だからこそ、切り離されたものを統合すること。バラバラなものをひとつにすること。それを成し遂げた瞬間(『思い出す』という言葉が近い)、この世はあっという間にパラダイスになるのだと思う。

 

 

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人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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Photographed by Chiaki Toyozumi

 

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恐怖から解放されたなら、あなたはもう完全に自由だ。

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私には4歳年上の兄と5歳年上の姉がいる。兄も姉も読書家で、私は常に彼らの本棚を盗み見していた。小学生のとき、さくらももこの『もものかんづめ』というエッセイを姉の本棚で見つけた。そして、激烈な衝撃を受けた。言葉だけでこんなにも笑えるものかと感動をした。さくらももこさんは、高校時代に自力で100万円を貯めたらしい。その話を読み、私は「よし、俺も!」と強く思った。この頃から、私は早くおとなになりたくてたまらない気持ちになっていた。

 

 

高校生になり、私はコンビニでアルバイトをはじめた。新潟市の最低時給は630円だった。これでは100万円は無理だとさとり、テレアポやイベント会場設営の仕事も追加でした。学業なんて知るかと思った。担任教師にこっぴどく叱られたが、私は「お前の授業よりよっぽど勉強になっているぞ」と聞く耳をもたなかった。結果的に高校3年間で(ここには書けない仕事も敢行しながら)100万円を貯めることに成功をした。多分、あの頃が人生で一番羽振りがよかったと思う(なにを買うにも値札を見ないで買っていた)。

 

ibaya.hatenablog.com


じぶん昔話

最近、自分の昔話を思い出す。ごちゃまぜの家の管理人・稲村彰人は「自分の幼少時代を思い出せる間は、心に余裕がある証拠だ」と話す。ああ、その通りだと思った。前回の記事で『自分で自分を楽しませられない人間はノイローゼになるかアル中になって死ぬ』と書いた。小学生の頃、私は頻繁に一人遊びをしていた。理由は単純、友達が少なかったからだ。家の近所に崖があった。冬になると雪が積もる。私は、喜び勇んで自宅からソリを持ち出してその崖を滑り落ちていた。通りすがりのおばちゃんが、満面の笑みで崖から落ちてくる私を見て「まあ!」と呆然としていた。スリリングで楽しかったから友達を誘うが、友達は「こわすぎるでしょ」と誰も乗ってこない。結果、私は常にひとりだった。

 

4歳年が離れている兄貴と、頻繁に喧嘩をしていた。年齢的に勝てるわけがないから、喧嘩の際は「最初の一撃でこいつを殺す」くらいの意気込みで兄に突撃をした。最初の一撃で仕留めることができなければ、あとは兄貴にボコボコにされるだけだ。私が素手の人間で、兄貴は屈強なグリズリーみたいなものだった。それでもなお、負けるとわかっていてもなお、私は兄に向かって立ち向かい続けた。なぜ、あの頃の自分にはあれほどまでのガッツがあったのだろう。負けると分かっていても立ち向かう勇気。『損か得か迷うとき、損する道に賭けられる人間こそが真の男である』アウトロー作家・宮崎学さんは語る。私は、その心意気を兄貴との格闘の中から学び取った(気がする)。

 

姉の性格は歪(いびつ)だった。私が小学一年生の頃、小学六年生の姉が「いいかい、けいご」と私に語りかけた。私は「なあに、お姉ちゃん」と無垢に答えた。すると、姉は薄ら笑い(色で言うならパープルな表情)を浮かべながら『悪事はばれなきゃ悪事じゃないのよ』と私のハートに不穏な傷口を刻むように囁いた。無垢な私は「え、お姉ちゃん、それっていったいどういうこと!?」と悶えた。姉は「ふふふ」と答えて部屋に消えた。後日、私は母親から叱られた。戸棚にあったクランキーチョコレートが誰かに食べられていて、私に嫌疑がかけられたのだ。私はクランキーチョコレートなんて食べていなかった。この時、私は、狡猾な姉にはめられていたことを悟った。

 

10月20日(土)ごちゃまぜの家救済企画@大阪府能勢町

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相次ぐ地震や豪雨などによる自然災害。
 
巷では「お金がただの紙切れに!?財政破綻の日も近い?!」などと囁かれているさっこん。
 
いつ、なにが起こるかわからないいまだからこそ、
「なにが起きても楽しく笑って生き延びる」
そんな『力』が必要になっているのではないでしょうか。
 
私、坂爪圭吾は、過去に「家も金も仕事もない」という無一物の状態で、
それでも人間は生きていくことができるのかということを試しました。
 
最初は「そんなことは無理だろう」と結構後ろ向きではあったのですが、
蓋をあけてみるとびっくり!意外とどうにかなってしまうばかりか、
家や金や仕事があったときよりも、世界の豊かさを感じることができました。
 
もちろん、いいことばかりではなく大変なこともたくさんあったのですが、
それでもなお「人生はどうにかなるのだ」と肌身を通じて実感できたことは、
大袈裟な表現になりますが『世界に立ち向かう勇気』を与えてくれました。
 
今回は、坂爪圭吾の経験談も交えながら、お越しいただいたみなさまと一緒に、
「なにが起きても楽しく笑って生き延びる(ホームをレスしてもサバイブする)方法」
を、一緒に、お茶を飲み交わしながらみんなで談笑できたらと思っています。
 
・お金とはなんだろう?
・安心とはなんだろう?
・便利とはなんだろう?
・社会とはなんだろう?
・生きるとはなんだろう?
・いま、必要とされている力ってなんだろう?
 
など、
 
みなさまのご参加をお待ちしております!!
 
🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸
 
【タイムスケジュール】
 
13時00分 開演・坂爪圭吾による「今回の企画趣旨のご説明」
13時15分 第一部スタート!
14時00分 〜小休憩〜
14時15分 第二部スタート!
14時55分 坂爪圭吾による懇願の土下座(その後、フリータイム)
15時00分 終焉(以降、フリータイム!)
 
〜幻の第3部〜
 
堀口さんのご自宅にはギターやベースなど様々な楽器があります。時間が許される限り、音楽の好きな方は一緒に演奏を楽しみましょう。(坂爪も一曲だけやらせていただきます!!)
 
【登壇者プロフィール】
 
■坂爪圭吾(さかつめけいご)
1985年新潟県生まれ。いばや通信運営。人間は家も金も収入もなくても生きていけるのかを実験するため、2014年から約2年間にわたる「家のない生活」を行い、なんだかよくわからない日々を送る。結果的にブログ読者の方に購買をしていただいた熱海の家に現在は暮らす。2017年、クラウドファンディングで480万円(!)を調達し「横浜に、誰でも自由に無料で使える家」を作る。その名も『ごちゃまぜの家』。しかし、現在、あらゆるものを無料で放出し続けていたために極度の金銭的困窮に喘いでいる。今回は、坂爪圭吾の能勢町の兄貴・堀口さんのお力添えを通じて「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか?」ということを、みなさまに問う。
 
自伝風物語「ホームをレスした話」
 
■堀口雅司(ほりぐちまさし)
1963年大阪生まれ 兵庫県川西市出身 2014年に28年間勤めていた会社を辞めてから有機農業に出合う。 同年11月離婚後能勢の慣行農場でパートで働きながら小さな畑を借りて農薬や肥料を使わない農業を始める。2016年6月から能勢で自分でリフォームした工場あとに住み始める。2018年8月にパートを辞めて現在に至る。 農業の問題を知ったことから今の自然環境、食べ物、ライフスタイル、医療、政治、原発、経済至上主義、沖縄などの問題や疑問に気付くようになる。 人の生き方や考え方や働き方はもっと多様で自由であった方がいい。 自分の人生をもっと楽しんで面白くしていい。 坂爪さんに出逢って強くそう思うようになりました。 自然農と音楽とギターとバイクと二人の娘たちをこよなく愛する55歳。
 
🌸🌸🌸🌸🌸ご参加にあたってのお願い🌸🌸🌸🌸🌸
 
●こちらの企画は、決して答えを(上から目線で)ドヤ顔で語るような内容ではございません。ひとつのテーマをもとに、みんなで、和気藹々と(なによりも楽しく!)時間を過ごせることを最大の目的としています。そのため、ご自身のお考えを誰かに押し付けることなく、異なる意見もまあるい心で受け入れていただけましたら幸いです。
●参加者のみなさまが心地よい時間を過ごせるよう、何卒、みなさまのご協力をお願いいたします。(例:論破することを目的とした議論をしない、とか、誰かひとりだけが話し過ぎることのないようにする、など)
 
🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸
 
日時:10月20日(土)13時から15時頃
 
会場:堀口雅司さんのご自宅
〒563-0364 大阪府豊能郡能勢町平野1102番地(駐車場もあります!)
※ご注意 マップアプリでこの住所を検索すると何故か違う場所に案内されてしまいます。 マップで検索する場合は1102番地ではなく104番地で検索してください。 ややこしくてすみません。m(__)m

最寄り駅:能勢電鉄「山下」駅より阪急バス73~77系統に乗車し「平野口」下車(約20分)

バス停からの道順:「平野口」バス停から山下方面に戻り最初の三叉路の信号を右折し次のロータリーになった交差点を右折。 能勢小中学校(ささゆり学園)の校門を過ぎて最初の三叉路を左(山側)に入ります。 学校のフェンス沿いに登り坂を百メートルほどいったところです。 バス停から徒歩7~8分くらいです。
 
🌸🌸🌸あいのりのお誘い🌸🌸🌸
 
会場には公共交通機関を利用してお越しいただけるのですが、車でお越しになられる方で「もしだったら、12時30分頃に山下駅でみんなを拾ってから行くよー!」という方がいらっしゃいましたら、お声をかけていただけたら幸いです! !(公共交通機関利用の方で「車だとうれしい!」という方も、お気軽にお声かけください。みんなで力を合わせましょう!!)

🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸

定員:20名(先着順)
 
参加費:1000円+ドネーション(ごちゃまぜの家の運営資金になります。無論、ドネーションは任意です!)
 
申し込み方法:フェイスブックをやっていらっしゃる方は「参加ボタン」を押していただけたら申し込み完了です。参加費は、当日会場の受付にてお支払いいただく形になります。フェイスブックをやっていない方や、諸事情で参加ボタンを押せない方は、お手数ではありますが①お名前②参加希望人数を添えて、下記連絡先までご連絡ください。
 
お問い合わせ:坂爪圭吾(さかつめけいご)
LINE ID ibaya
mail keigosakatsume@gmail.com
 
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「いばや通信」 http://ibaya.hatenablog.com/
緊急連絡先 LINE ID ibaya(坂爪圭吾LINE)
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ごちゃまぜの家を救え!対談企画・坂爪圭吾×堀口雅司「これからの生き方を考えよう!」@大阪府能勢町

 

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野点カンタービレ@関東&沖縄&福岡&関西&MORE!

 

わたり文庫『最強の呼吸法 システマ・ブリージング』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、北川貴英著作『最強の呼吸法 システマ・ブリージング』です。去年の今頃、私は、東京から長崎まで自転車で1800キロメートルの距離を移動していた。理由は単純、暇だったからだ。佐賀県武雄市で、私は、システマを極めた男性格闘家と出会った。彼の笑顔は素敵だった。私は「こんなにも素敵な笑顔の格闘家が習う武術に間違いはない!」と思い、システマに強い関心を抱いた。この本は入門に最適な一冊です。強さを持ちたい老若男女のみなさま、是非。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、静岡県にわたりました ※※※

 

 『殺しに来た相手すら癒す【システマの極意】』

  

1・呼吸をし続ける(キープ・ブリージング)

2・リラックスを保つ(キープ・リラックス)

3・正しい姿勢を保つ(キープ・ポスチュア)

4・動き続ける(キープ・ムービング)【システマの四原則】

 

内面深くにひそむ恐怖心は、幼少期に植えつけられたものだ。やってはならないことの全ては、恐怖心によって刻み込まれるからだ。

 

恐怖心は攻撃性へと変化する。そうなる前に恐怖心を理解し、解消せよ。


敵意を持ったり、緊張したり、誰かを憎んだりすると、結局自分自身の邪魔をすることになる。

 

恐怖から解放されたなら、あなたはもう完全に自由だ。 

 

北川貴英『最強の呼吸法 システマ・ブリージング』【マガジンハウス】

 

恐怖から解放されたなら、あなたはもう完全に自由だ。

https://www.instagram.com/p/BmnaDf6FKSO/

 

存続の危機に喘いでいるごちゃまぜの家では、現在「たとえばの話だけど、月額一万円で維持活動に参加してくれるメンバー(代わりに寝る場所を提供します)」を募集している。しかし、私に人徳のないことが最大の原因ではあるのだが、誰からも連絡がこないと困っていた。これは静かに破滅を迎えるしかないのかと諦めかけていたが、昨日、新潟の竹谷さんが本格的に運営メンバーに加わってくれることになった。昨夜はその決起集会(?)をごちゃまぜの家で行った。最高にうれしい。遊ぶ友達が増えた気分だ。近所のなほさんが我々に手作りの夕食を振舞ってくださり、悦楽の時間を過ごした。生姜焼きと豚汁と付け合わせの一品。なほさんの料理は最高だ。自然派系のレストランでは絶対に得られない食べ応えに、一同、恍惚とする。我々はがっつく。それを眺めてなほさんは微笑む。翌朝、なほさんから以下のようなラインが届いた。私は、たまらなく嬉しくなった。

 

おはようございます!


昨日は
ツイキャス中が、竹谷さんからはじまり、トオルさん、旦那って
めちゃ笑いましたねー!お腹痛い。。笑

旦那は元中華の
コックさんで
今度餃子作りたいってはりきってましたので
よろしくお願いします!

ちなみ帰り
庭のテントみて
頭抱えながら、
わからないわからない、家があるのに、なぜテント、、、って頭抱えてたのが
面白かったです笑

 

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さっき主人から
電話かかってきて、、、
圭吾さんたちのこと興奮して
話してました!


枠にハマらず
生きてる姿が
男として刺激されると!!いざとなったら、泥水を飲めるであろう彼らが生き残ると思う!まだ飲めない自分は成長の余地があるんだなぁーって!彼らはかっこいいし尊敬する!

年上の自分が
素直に尊敬するって言えるのは
誰も調子に乗ってる人がいないからだと思う!
引きこもってる人もいないしー!
枠に囚われてないから会った後
小さなことで自分は悩んでたなぁーって大きな気持ちになる!
などなど


って感じで
生まれてはじめて
の感動があったらしいです!
42年ではじめて会う人たちと
出会わせてくれて
ありがとうって
言われました!!


なんだか
そーゆー違う生き方を素直に尊敬できる人と結婚したことが幸せだと感じました!


私たち夫婦に
刺激を頂き
考えるきっかけ
ありがとうございます!
感動してLINEしちゃいました!

 

竹谷さんに「なぜ、ごちゃまぜの家に来てもいいと思ってくれたのか」と尋ねた。ら、竹谷さんは「いま、33歳になって仕事のこととかこれからのこととか、真面目に考えることがたくさんある。そのなかで、自分がどういう人生を送りたいのかを考えたら、好きなひとと、好きな場所で好きな時間を過ごせることが、自分にとっては大事なのだと思ったからだ」と話した。めっちゃ素敵だと思った。これから一緒にいろいろなことを、いろいろな場所でやっていこうねと語り合った(竹谷さんは新潟にも拠点があるため、多拠点生活になる)。一緒にホーチミンマジェスティックホテルに泊まったり、ユーコン川を筏で下ったり、エストニアエストニ家』を開設したり・・・そのために、私も仕事を頑張ろうと思った。現在、竹谷さんはフリーランスでライターの仕事をしている。それ以外のごちゃまぜの家の男性関係者は、驚いたことにことごとく無職である。竹谷さんの登場が、無職一同に火をつけた。竹谷さんのためにも、仕事【外貨】をたくさんとってこれる人間になりたいと思った。

 

 

https://www.instagram.com/p/BlnDjG8lQpE/

何度でも生き直せばいい。

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

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LINE ID ibaya

孤独を身に纏う人は美しい。

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金のない僕らに高級料理を食うことはできない。しかし、いかに飯を美味く食うかならば極めることができる。例えば、ただコーラを飲むときよりも「登山をダッシュで往復したあとに飲むコーラ」の方が五億倍美味い。砂漠のど真ん中で見つけた水は、この世のどんな液体よりも美味に感じるだろう。要するに、人生は『差』だと思う。前に、温泉にめちゃめちゃ気持ちよく入るためにはどうすればいいかを友達と話し合った結果、真冬に滝行をしたあとに入ればいいのだということになって決行した。最高だった。

 

 

私は花が好きだ。ボロボロの古民家に一輪の花が凛と活けてあると「ああ、利休。。。」みたいな気持ちになる。逆に、高層タワーマンションの豪華な部屋に花が活けられていても何も感じない。『差』がないのだ。花があることが普通すぎるから、なにも染み渡ってこない。だから、私は(これは大いに妬みもはいっていると思うが)花瓶を割ってやりたい気持ちになる。花瓶にヒビが入っていて、ようやく安心できるというかリラックスできるというかなんというか、鼻につくものも鼻につかなくなる(花なだけに)。センスのない金持ちは下劣だと思う。

 

ibaya.hatenablog.com

 

10月17日(水)ごちゃまぜの家救済企画@福岡県福岡市

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野田知佑著作『のんびり行こうぜ新潮文庫)』という本の中で、こんな言葉に出会いました。
 
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カナダ北極圏に住むインディアンがいっていた言葉を想い出す。
 
「ここでは人は自分ひとりで楽しむことができないといけない(You must entertain yourself.)。それができない奴はみなノイローゼかアル中になって南に帰る」
 
人は都会派人間と、田舎派人間に分けられる。
 
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孤独を身にまとうひとは美しい。
 
33年間生きてきて、そう実感するようになりました。
 
今回は『孤独の愉しみ方』をテーマに、参加者の方々と談笑する企画を開催させていただきます。裏テーマに「ごちゃまぜの家を救う!」というものがあるのですが、事情を説明すると、いま、私は神奈川県横浜市で『誰でも自由に使える家(ごちゃまぜの家)』を運営しております。
 
しかし、あらゆるものを無償で放出し続けた結果、運営資金が底をつくという当たり前すぎる現実に四苦八苦をしているのが昨今です。今回は「寄付を募りながら全国行脚をする!」活動の一環として、非常にありがたいことに福岡市で救済企画を開催させていただく運びとなりました。
 
ごちゃまぜの家とは?
 
都会であるほど、静かな時間・自分を取り戻す時間を確保することが徐々に難しくなっているように思います。そのような思いから「喧騒の中でも、自分を取り戻す(保ち続ける)ことができる空間になれば」と願いを込めて、ごちゃまぜの家の活動を続けています。
 
過去に2年間ほど続けた「家なし生活」や「ごちゃまぜの家」の体験を通じて、今回、みなさまと『孤独の愉しみ方』を共有させていただけたらと思っています。また、ただ一方的にお話をさせていただくだけではなく、参加者の方々のリアルないまのお気持ちなども、差し支えのない範囲でお聞きできたらなおさら最高だなあと感じております。
 
・疲れを吹き飛ばしたい気分だ
・「How to entertain myself」を深めたい
野田知佑の生き方が好き
・色々な考え方に触れてみたい
・動く坂爪圭吾を見てみたい
・ごちゃまぜの家の活動に興味がある
・当日、たまたま福岡にいる
・福岡に行く機会を伺っていた
・参加ついでに九州小旅行をしたい
・ごちゃまぜの家の力になりたい(神)
 
など、動機はなんであれ、あなたさまのお越しをお待ちしております!!
 
🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸
 
今回、共同主催をさせていただく女性から、こんなメールが届きました。
 
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昨日友人の店で食事してたら、隣に一人飲みの彼女いない29歳男子がいました。
 
どんな女性がいい? と聞いたら「情緒が安定してる人がいいです。。」だって。爆笑。向かいで聞いてた店主の44歳男子も黙って頷いてた。
 
その彼は旅行が好きで、冬は東南アジアに一人で行くんだって。日焼けできて、なるべく日本人に会わないところに。夏は日本で日焼けできるから、国内をバイクでウロウロするんだって。そういう愉しみ方も、良いねぇと思いながら聞いてました。😊
 
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「いいなあ。。」と思いました(坂爪・談)
 
🌸🌸🌸🌸🌸企画趣旨のご案内🌸🌸🌸🌸🌸
 
こちらの企画は『孤独の愉しみ方』について、参加者のみなさまとおしゃべりをするという「あんまり堅苦しくない、いかに楽しい時間を過ごせるか」に重点を置いた企画になります。
 
最初は「テーマはお金とかがいいのかな??」とか「それとも愛??」などと考えていたのですが、それだけでは疲れるというか肩が凝ることに気がつきました。基本的に、テーマはおまけみたいなものであり、みなさまと楽しい時間を過ごせたら万々歳であるということが、当イベントの目指す境地でございます。
 
どなた様でもお気軽に遊びにいらしてください!!(そして、一緒に『孤独の愉しみ方』を探っていきましょう!!)
 
🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸
 
【タイムスケジュール】
 
18時45分 開場(受付開始)
19時00分 開演・坂爪圭吾による「今回の企画趣旨のご説明」
19時15分 第一部!
20時00分 小休憩
20時15分 第二部!
20時55分 坂爪圭吾による渾身の土下座
21時00分 終了!
 
【登壇者プロフィール】
 
■坂爪圭吾(さかつめけいご)
1985年新潟県生まれ。いばや通信運営。人間は家も金も収入もなくても生きていけるのかを実験するため、2014年から約2年間にわたる「家のない生活」を行い、なんだかよくわからない日々を送る。結果的にブログ読者の方に購買をしていただいた熱海の家に現在は暮らす。2017年、クラウドファンディングで480万円(!)を調達し「横浜に、誰でも自由に無料で使える家」を作る。その名も『ごちゃまぜの家』。しかし、現在、あらゆるものを無料で放出し続けていたために極度の金銭的困窮に喘いでいる。今回は、福岡で出会う方々を通じて「ぼくはこれからどうやって生きていけばいいでしょうか?」ということを、探る。
 
自伝風物語「ホームをレスした話」
 
🌸🌸🌸🌸🌸ご参加にあたってのお願い🌸🌸🌸🌸🌸
 
●こちらの企画は、決して答えを(上から目線で)教え諭すような内容ではございません。ひとつのテーマをもとに、みんなで、和気藹々と(なによりも楽しく!)時間を過ごせることを最大の目的としています。そのため、ご自身のお考えを誰かに押し付けることなく、異なる意見もまあるい心で受け入れていただけましたら幸いです。
●参加者のみなさまが心地よい時間を過ごせるよう、何卒、みなさまのご協力をお願いいたします。(例:論破することを目的とした議論をしない、とか、誰かひとりだけが話し過ぎることのないようにする、など)
 
🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸
 
日時:10月17日(水)19時00分から21時00分
 
会場:マウントヒル・ヨガスタジオ
福岡市中央区西中洲12号21番地KS第2ビル3F(1Fに焼肉の力飯店が入った雑居ビルの3F。天神中央公園から川を渡ってすぐ右です)
 
※※※当日、会場内にはおにぎりやお茶などをご持参いただいても構いません。開催中も食事をとっていただいて構いませんので、お腹が好きそうな方はお好きなものをご持参ください※※※
 
定員:20名(先着順)
 
参加費:1000円+ドネーション(ごちゃまぜの家の運営資金になります。無論、ドネーションは任意です!)
 
申し込み方法:フェイスブックをやっていらっしゃる方は「参加ボタン」を押していただけたら申し込み完了です。参加費は、当日会場の受付にてお支払いいただく形になります。フェイスブックをやっていない方や、諸事情で参加ボタンを押せない方は、お手数ではありますが①お名前②参加希望人数を添えて、下記連絡先までご連絡ください。
 
お問い合わせ:坂爪圭吾(さかつめけいご)
LINE ID ibaya
mail keigosakatsume@gmail.com

 

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わたり文庫『のんびり行こうぜ

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、野田知佑著作『のんびり行こうぜ』です。野田さんの本ばかり紹介をしてしまってごめんなさい。野田さんの生き方が大好きなのです(自分が大好きなものを同じように「大好きだ!」と言ってくれるひとを待ち望んでいるのです)。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、新潟県にわたりました ※※※

 

一昨年マッケンジー川を下った時に会ったカナダのコースト・ガード(日本の海上保安庁にあたる)の船の話を書く。これは一度どこかに書いたことがあるが、何度でも書きたい。北極海に近いイヌビクの町の川原で休んでいる時、ぼくはゴードンという名の男に声をかけられたのだ。彼はそのあたり一帯を守備範囲とする警備船『デューミット合』の船長で、三ヶ月の川旅で乞食のようになっているぼくに、シャワーを浴びに来い、汚れ物を洗いに来いと言った。

 

ぼくはそれからイヌビクに滞在中毎日彼の室のシャワーを使い、彼のスコッチを飲み、船の図書館で机に座って本を読んだ。ゴードンはぼくが行く予定の川の水路、海の水深、波が高い時の避難場所など、実用的なアドバイスを沢山してくれた。彼と飲みながらこんな話をしたことがある。

 

「もしぼくがこれからグリーンランドまで行くと言ったらどうする?」

 

「ぼくの持っている北極海の情報を全部君に与えて、グッドラックという。それだけだ。九十九パーセント君は死ぬだろうが、それは君の問題だからね」

 

大人の国の男たちはいいものである。

 

野田知佑のんびり行こうぜ』【新潮文庫】 

 

孤独を身に纏う人は美しい。 

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昔、高田馬場に暮らしていた。近くに早稲田大学がある。駅前には常に大学生がたむろしていた。私は群れる人間が大嫌いだから「お前らは群れないと何もできないクズだ」と悪態をついていた。孤独を身に纏う人は美しい。彼らはひとりで立っている。なににも所属をしていない。逆に言えば『自分に所属している』雰囲気がある。群れる人間は、私の観察によるときっと不安なのだと思う。友達がいなければ、恋人がいなければ、所属している組織なりなんなりがなければ自分のアイデンティティを確認することができない。自分に所属する人間は「ひとりでもやる(ひとりでも生きる)」人間である。誰かに認められるために生きていないし、誰かに褒められるために生きていない。

 

 

先日30歳になる女性からこんな手紙をもらった。「私はずっと孤独を抱えていた。別に家族に問題がある訳じゃない。でも、これは私が長女だからなのか、ずっと『自分は愛されていない』という思いが強く胸にあった。この前、母親に生まれて初めてその気持ちを真っ向勝負で告げた。めちゃめちゃ感情的になったし、涙も出た。でも、ものすごいスッキリした。そして知ることができた。母は、母なりに私を愛していたのだということをはじめて知った。私は、自由になった。いままでは彼氏にサポートを求めていた。それが依存になることも多かった。しかし、私の穴は埋まったのだ。私が思う愛だけではなく、世界には様々な形の愛があるのだと悟った。私は愛を求めてさまよっていた。しかし、愛ははじめからそこにあったのだ。母と向き合う勇気を与えてくれた坂爪さんに感謝を。本当にありがたいと思っている。」という内容だった(これが数億倍可愛らしい感じで綴られていた)。

 

 

私は「最高だな」と思った。僭越ながら「俺は本当に良い仕事をするなあ」と思った。私は思う。誰かの愛を求めてさまよったり、誰かの許可を求めてさまよってしまうことが人生にはある。しかし、実は『とっくの昔からすでに自分は愛されていた』『とっくの昔からすでに自分は許されていた』というのがこの世の真実だと思う。愛の形は様々だ。自分が思う愛とは違う『また別の愛』が、世界にはごろごろ転がっている。あ、違う。私は孤独について書きたかったのだ。 孤独を身に纏う人は美しい。自分の人生を背負って立っている魅力がある。美しい人は「自分の人生を、誰の責任にもしない」雰囲気がある。彼や彼女に穴はない。あったとしても、それを受け入れることができている。では、どうすればそれを受け入れることができるのか。答えは簡単。「自分は自分である」ことを許可したからである。

 

 

#kinokawa #bonfire #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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LINE ID ibaya

自信があるからやるのではない。やりたいからやるのだ。

https://www.instagram.com/p/BocgdmAFItn/

 

温泉巡りを終えて横浜に向かう。横浜の家には古いピアノがある。先日、ピアニストの女性がこれを見てアゴを外した。彼女いわく「このピアノは後生大事に扱え。水拭きは絶対にダメ。手放す時はわたしに連絡をしなさい」とのこと。なんでも、ものすごい高価なものらしい。私のような貧乏暮しの人間も、実は高価なものに囲まれていたことを知った瞬間は気持ち貴族になる。笑い声も「ふはははは」になる。これまで、家に遊びに来てくれたこどもたちがガンガンに弾き倒していた。今後の扱い方に緊張感が走る。

 

 

実は、熱海の家【逢初庵】にも高級なものが一個だけある。だから私はこんな問題を用意した。「この家のなかに、この家よりも高価なものが一個だけあります。戸棚の中ではなく、あなたの視界になかにすでにあります。さて、それはなんでしょう。」と得意げな顔をする。いままで正解を出したひとは一人しかない。星の王子さまにこんなセリフがあったと思う。砂漠が美しいのは、どこかにオアシスを隠しているからだね。横浜や熱海の家にも、同じことが言える(横浜の家にもピアノ以外の秘密が2個ある)。誰も知らない宝物が隠されているだけで、それを知るひとたちだけには『特別』になる。

 

ibaya.hatenablog.com

 

本領を発揮した女には男三人は必要。

10月6日(土)に東京都日本橋でイベントを開催する。イベント詳細文を見たひとから「意味がまったくわからない!」とコメントをもらった。自分的には最高に腑に落ちる内容も、見る人が見たら意味がわからないこの現象は最高だなと思った。私の役割はMAYUCHAPAWONICAという女性の魅力を伝えることにある。彼女を目撃するためだけにでも来て欲しいと思う。絶対に元気になると思う(これで元気になれなかった今後いばや通信を読む必要はまったくないと思うし、今世、あなたと私は交わる必要もないのだろうなと思う)。

 

🦄🦄🦄今後のスケジュール 🦄🦄🦄

 

10月6日(土)@東京都日本橋

22世紀の未来mtg いばやの先の遊び方

 

10月11日(木)@沖縄県読谷村

ホームをレスしてもサバイブする方法

 

10月17日(水)@福岡県福岡市

ごちゃまぜの家を救え!対談企画・坂爪圭吾「孤独の愉しみ方」

 

10月20日(土)@大阪府能勢町

ごちゃまぜの家を救え!対談企画・坂爪圭吾×堀口雅司「これからの生き方を考えよう!」@大阪府能勢町

 


連絡先 keigosakatsume@gmail.com

 

本領を発揮した女性には男三人は必要だと思う。MAYUCHAPAWONICAは神様で、私は聖書【宣教師】的な役割を担う。が、私一人では彼女を生かしきることができない。必ずどこかで漏れが出る。そこで嘉向徹さんと保科亮太さんが登場する。彼らの出現により、より一層『MAYUCHAPAWONICA様のお告げを現実世界に落とし込む』ことが可能になる。男は、元来、女性にひざまづきたい生き物だと思う。巫女という職業がある。神の啓示的なものを女性がキャッチし、周囲の男性がそれを具現化する。そういう関係性を理想的だと思う。しかし、本領を発揮した女性には男三人は必要だ。男性一人では追いつけない。これは、もしかしたら結婚という制度にも通じる話かもしれない。

 

 

現状の結婚制度には「お互いが我慢をすることで一対一の関係は維持される」的な雰囲気を感じる。この場合は、両者の本領は発揮されないために一対一でもどうにかなる。しかし、本領を発揮した女性はやばい。絶対に男一人では掬いきれない部分が出る。私は思う。女性一人に男三人は必要だ。だから、結婚する場合も「妻ひとりに、旦那三人」くらいが理想的と考える。いばやの場合、MAYUが私の本妻になる。変な例えになるが、嘉向さんや保科さんがいばやを抜けても、いばや自体は存続する(なぜなら私とMAYUでいばやを作ったから)。しかし、私かMAYUがいばやを脱退した場合、いばやそのものが消失をする。いばやは活動で、結婚は制度だ。違うと言えば違う。しかし、同じであると言えば「実は結構同じことなんじゃないか」と最近は思う。

 

わたり文庫『山を考える』 

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、本多勝一著作『山を考える』です。10月3日は『登山の日』らしいです。「今為し得る賭けを為せぬ者は、未来の如何なる対象に対しても決してそれを為し得ない者である。」とか、結構痛烈なことを本多さんは言います。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

たとえは何でもよいが、ここではアメリカ映画『わが家の楽園』をあげよう。主人公のパンダホフ老人は、かつて実業界で活躍していたが、三十年前のある日、エレベーターの中で突然さとりをひらく。「余生を送るだけの金はもうあるのだ。何をあくせくと、これ以上もうける必要があるだろうか」。彼はその日のうちに辞職し、引退して勝手な生活を始めた。この一家は老人の影響のためか変わり者が多く、娘のペニーは画かきだが、あるときタイプライターが間違って配達されてから小説を書きはじめる。その夫のポール=シカモアは、氷の配達人を助手にして花火の研究に夢中になっている。一方、この一家の周辺にポピンズという典型的サラリーマンがいて、忠実な会計係だったが、ある日パンダホフ老人から「人間は、死ぬときに自分の一生をふりかえって、好きなことを思いきりやったと満足できるような生涯を送るべきだ」ときかされる。ポピンズは、小心よくよくとしていたそれまでの自分の馬鹿らしさを卒然と悟り、会社をやめて好きな玩具の発明に没頭する・・・。

本多勝一『山を考える』【朝日文庫】 

 

自信があるからやるのではない。やりたいからやるのだ。

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仰々しい空

 

岡本太郎が「音痴の会を作ったらいいのだ。歌のうまいやつが集まるのではなく、音痴なら音痴のまま、音痴であることを楽しめばいいのだ。そうすれば、歌のうまいやつの方から『お願いだから、この会にいれてください』なんて言う日が来るだろう」と言っていた。私は、この話を頻繁に思い出す。上手だからやるのではなく、下手くそでもやる。自信があるからやるのではなく、自信がなくてもやる、やりたいからやる、楽しいからやる。そういう人間たちが醸し出す雰囲気には、圧倒的な肯定感が宿る。

 

 

当たり前の話だが、服を買うつもりはなくても試着をしていいのだ。結婚する気はなくても婚活をしていいし、就職する気はなくても就活をしていいのだ。そう思った時、私も婚活サイトに登録をしようかなと思った。婚活パーティーに足を運びたいとかちょっと思った。「結婚する気のないひとたちの婚活パーティー」とかをしたら、結果的に、そこから結婚をするカップルが登場するかもしれないと思った。遊ぶと言うことは、多分、そういうことだ。美学に反するからと言ってそれを拒否するだけではなく、遊びでまるごと包括する。いばやがやりたいと思っていることは、多分、そういうことだ。

 

 

ガンディーやマザーテレサは偉人だと言われる。彼らの崇高さばかりが讃えられるが、私は、彼らの崇高さよりも「とにかくめちゃめちゃ実行した」ことが偉人たらしめているのだと思う。崇高かどうかは、あまり重要じゃない。とにかくめちゃめちゃ実行したことで、自分でも気がつかないうちに謎の光を生み出し、周囲を照らす電力になる。彼らを見ていると思う。「人間って、すごい!」と思う。ここまでやった人間がいるのだという感動が、それを見るひとの心に火をつける。人生は意味じゃない。意志だ。格闘家の大山倍達にしても、登山家のマロリーにしても、初代女子学院院長を務めた矢嶋楫子にしても、同じことが言える。世界にはあほみたいに体を酷使してとんでもないことをやり遂げる人間がいる。そういった人間に触れたとき、私のこころは「いいな」と動く。

 

 

https://www.instagram.com/p/BoXeCRtlmkX/

台風で家が崩壊した。

昨夜のツイキャス中、私は、ヒーラーと名乗る人が超絶苦手だと話した。自称ヒーラーや自称セラピストほど、精神的に病んでいると思う(そしてその自覚がない)。そんな話をしていたら、突然ゴキブリが飛んできて一同「うおー!」となって興奮したのちにゴキジェットで駆逐をした。直後、ツイキャス視聴者の方から「沖縄ではゴキブリをひーらーと呼ぶんですよ…」とのコメントをいただく。あれはヒーラーの逆襲だったのだろうか。

昨日。わたり食堂を開催した。台風だから誰も来ないだろうと甘く見込んでいたら結構な数の人々が来て震えた。管理人のあきとさんが血管ブチ切れるほどに怒り心頭になった話はツイキャスに譲るが、本当、この世の中には色々な人間がいる。わたり食堂は、表面的には「善意にあふれた無料の食堂」などと銘打っているが、実態は精神的な加圧トレーニングだと思っている。人間と触れ合うことで自分の守り方を学ぶ。自分の守り方を学ばないまま生きていると、俗物どもの濁流に呑まれ、最悪の場合は溺死をする。

愛を語るより自己防衛を学ぼう。

今朝。外に出るとテントがぶっ倒れて布地がボロボロになり再起不能になっていた。ホームをレスしたことは過去に四度ほどあるがホームがブローケンしたのは初体験だ。震災で家を失った人の気持ちが少しだけわかった。掃除をしなければいけないのだけど散らかりまくった家具や雑貨を目の前にすると、ただ、呆然とする。庭の農作物はすべて吹き飛ばされていた。朝日が眩しい。逆に清々しい。

10月初日の迎え方としては最高なのかもしれない。そう思うことに決めた。嵐がすべてを洗い流した。新しい人生のはじまりである。物を持つことは恐ろしいことだ。失った時の反動が半端ない。できるだけ身軽に生きていきたいと思う。それでもなお、私は、再びテントを探し始めるのだろう。ローンが残っている一軒家を失ったら私は再起不能になるだろうが、テント程度なら小一時間悩めば「ま、仕方ないな」と回復する。小一時間悩めば解決する程度の心の余裕こそ、拡張していきたいと思う。

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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退屈な人間はいない。退屈な生き方があるだけだ。

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原体験は父親にある。最近そう思う。私の父親は煙草を愛していた。ある日、大量の喫煙が祟り、40歳の頃に肺癌を患って生死を彷徨った。が、入院中もあろうことか父親は医者に隠れてこっそり煙草を吸っていた。それに気づいた母親が「馬鹿!やめなさい!」と煙草をとりあげようとした。ら、驚いたことに、40歳を超えた父親は自分の嫁に向かってあっかんべーをした。母親は呆れて「もう、知らない!」と匙を投げた。私は、この場面を見て「ああ、なんておとなげのないおとななんだ!」と胸が震えた。

 

 

父親は野球を愛していた。父親は床屋なので、床屋仲間と草野球チームを結成していた。私は父親を見て育ったので、やがて、私も野球部に所属した。小学生の頃、父親に連れられてバッティングセンターに頻繁に行った。小さな私はピッチャー返しを打つことがやっとである。その隣で、父親ががんがんホームランをかっ飛ばしている。こどもながらに「あんな風になりたい」と思ったものだ。格好いい父親を持ったこどもは幸いである。逆に言えば、常におどおどとしている父親を持ったこどもは不幸だと思う。

 

ibaya.hatenablog.com

 

原体験は父親にある。

最近は釣りとカヌーに興味がある。身体障害者のカヌー教室の話を聞いた。モンベルというアウトドアブランドの社長は定期的に身体障害者向けのカヌー教室を開催している。しかし、この社長は身体障害者だろうが容赦をしない。決してこども扱いすることなく、激流を前に「ここを突っ込め」と初心者に無茶振りをする。参加者一同はおおいにビビるが、やがて意を決して激流に向かう。死ぬほど怖いが、終わったあとは誰もが爽快感をあらわにした表情をしている。参加者の一人は言う。

 

我々身体障害者は、常に、まるで腫れ物を扱うような、赤ん坊を扱うような対応をされる。しかし、ここでは誰もが平等に扱われる。障害のある自分にカヌーなんて絶対に無理だと思っていた。しかし、やってみたらできた。この感覚がうれしかった。自分に制限をかけていたのは自分なのだと思った。

 

ユーコン川を釣りをしながらカヌーで下りたい。キングサーモンを釣り上げて飽きるほどイクラ丼を食いたい。数日前からそんな夢を抱くようになった。そう言えば私の父親は釣りが趣味だった。幼少期、早朝4時頃に叩き起こされ、強制的に同行させられた。私は正直釣りなんてまったく興味はなかったけれど、同行すればコンビニで大好きなカップヌードルを買ってもらえる。それだけのために同行していた。海でカモメを眺めながらカップラーメンを食う。トイレはその辺の草むらで済ませる。釣れない時は父親とキャッチボールをする。いま思い返すと、あの頃の記憶が生きているのかもしれない。

 

野球をやっていた頃の父親は格好良かった。しかし、やがて癌を二度ほど繰り返して父親は野球をやめた。野球をやめてから父親は急速に老けた。テレビを見ても愚痴ばかり言うようになり、口数は減り、覇気が薄れ、食後に服用する薬の量は増えた。人間を老けさせることは簡単だ。生きがいを奪い、新しいことに挑戦することを制限し、病院に通わせれば、人間はあっという間におじいさんになる。それでもなお、釣りだけはいまも続けている。釣りから帰って来た時の父親は、いつもより柔和な表情をしている。繰り返しになるが、格好いい父親をもったこどもは幸いである。なぜなら「自分もこういう風になりたい」という理想のモデル像を、身近な人間に見出すことができるからだ。

 

twitcasting.tv

 

ダサい真似はするな。

野営道具をバイクに積んで静岡界隈を巡っている。私は温泉が好きだ。温泉が好きなら「毎日5回でも入っていいのだ」ということに今更気づき、好きなだけ温泉を巡ろうと思っている。道中の風景が爽快で思わず大きな声が出る。車にはない爽快感がバイクにはある。風を感じるうれしさ。疲れたら適当な草原で仮眠をとる。お湯を沸かして珈琲を淹れる。太陽光でスマホとドローンと電灯の充電をする。眠りたい場所にテントを広げて好きな時に眠る。眠気が来るまで読書をする。恥ずかしながら「俺は自由だ」と思う。

 

生活水準をさげれば生きるハードルもさがる。常に「最悪の場合は1日5時間20日間程度働けば10万円にはなる。だから、10万円以下で自由に生きれる生活を確保しておけば人生はどうにでもなる」と頭の中で思っている。早朝の有意義な時間は誰にも邪魔をされたくない。夜はしっかり眠りたい。夜勤をすると死にたくなるから。必然的に「働けるのは9時から5時の間の5時間程度(本当は3時間が限界だけど)」ということになる。自由を確保するためには、自分にとっての最優先事項を知る必要がある。私にとって大切なものは「早朝の時間」「ひとりの時間」「好きなことをやる時間」だ。

 

この前、ある男性から「俺の彼女がお前のことを好きになりそうだからもう会わないで欲しい」的なことを言われた。正直、知ったことかと思った。相手が離れるということは、お前に魅力がなくなったからだ。相手に行かないでくれと懇願するのは無様だし、鎖で繋ぎ止めて行動を制限することも筋違いだ。相手には相手の人生があり、相手には相手の「好きなように生きる自由」がある。それを奪おうとするお前に愛はない。相手を繋ぎ止めたいならば、明朗と、魅力的な成長を遂げるしかない。では、成長とはなにか。それは明るい人間になることだ。自分の好きなことを見つけることだ。誰になんと言われても、自分には「これが最高だ」と思える瞬間を捉え、堂々と胸を張ることだ。

 

わたり文庫『孤独の愉しみ方』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、ヘンリー・ディヴィッド・ソロー著作『孤独の愉しみ方』です。晴れた日に屋外の椅子に座り、早朝の日光を浴びながら読むには最高の一冊です。あるいは、夜、屋外にテーブルを並べてウイスキーでも飲みながらロウソクのあかりで読むにも最高の一冊です。ソローさんは結構とがっているのですが、自然を愛している感じが大好きです。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、静岡県にわたりました ※※※

 

四季との交流を楽しんでいるかぎり、人生を重荷に感じることはない。

 

たとえ気の毒なほど人間嫌いの人や、ひどい憂うつに悩む人でも、自然の事物の中には、この上なく心地よくてやさしい、無垢で励みになる交友を見つけることができる。自然のまっただ中で暮らし、五感を研ぎすませていれば、まっ暗な憂うつにおちいることはない。健康で無垢な耳には、嵐でさえアイオロスの琴の音に聞こえる。純真で勇気ある者を、むやみに低俗な悲しみにおとしいれることは何人にもできない。四季との交流を楽しんでいる限り、人生を重荷に感じることはない。

 

ヘンリー・ディヴィッド・ソロー『孤独の愉しみ方』【イースト・プレス

 

男である特権をフルに活かす。

私はアニメなら『ルパン三世』とか『紅の豚』とかが好きだ。紅の豚のキャッチコピーは「カッコイイとは、こういうことさ(糸井重里氏考案)」だったと思う。男の子的なカッコイイとか、女の子的なカワイイとか、死ぬまで大事にしたほうがいいのだと思う。どうしたって私は男なので、格好いいものに無条件で惹かれる。逆にダサいものは心底軽蔑をする。テントとかバイクとか釣りとか飛行機とか格好いいと思う。この世で一番ダサい行為は『誰かの責任にすること』だと思う。自分の不幸も幸福も、すべて自分に責任がある。そういう感じで生きている人間が身にまとう雰囲気は格好いい。

 

 

あんなに落ち込んでいたはずなのに、ある言葉、ある音楽、ある人物に触れただけで途端に元気になった。そんな体験は誰にでもあると思う。私は、元気であることの重要性を思う。元気な状態と元気じゃない状態があるというよりも、あるのは『元気になる考え方』と『元気じゃなくなる考え方』があるだけだと思う。問題は、その、どちらを自分が採用するかだ。基本的に、常識の多くは『それに従って生きる限り、あんまり元気になれそうもない考え方』で支配をされている。私はそこにアンチテーゼを唱えたい。元気になる方法は簡単。元気になる考え方を採用すればいいのだ。深刻になる考え方ではなく、自分のテンションがあがる考え方、自分のこころが楽になる考え方、自分が思わず笑っちゃうような考え方を採用すればいいのだ。

 

 

私は頻繁に「真面目に生きろ」と怒られる。しかし、私から言わせると「俺は俺を真面目に生きているつもりだ。そう言うお前らは真面目なのか。ただ、周囲にあわせて生きているだけじゃないか。なんとなく有利な学校を選び、なんとなく有利な企業を選び、なんとなくみんなと似たり寄ったりの生き方を選ぶ。真の意味で自分で決めるということをなにひとつしない生き方の、一体、どこが真面目だというのか説明してみろ」みたいに思う。昔よりは角がとれて丸くなったつもりだが、やはり、反発したい気持ちが消えることはない。だからなのだろうか、最高な場面に触れると「ざまーみろ」と思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/BoTtuyRlUrA/

今日は一日テントで暮らした。

夜明け前に目覚めて珈琲を飲む。この時間が一番神聖で崇高な時間だ。おじいちゃんみたいですねと言う人間を私は軽蔑する。誰にも邪魔されてたまるかと思う。頭が冴えているからなのか早朝の時間帯は読書が捗り、インスピレーションも生まれやすい。朝一番に思い浮かぶことを、日中の間に遂行する。これが理想的な1日のはじまりになる。

昨夜、金木犀が咲き乱れる木の下にテントを張って「俺が誰よりも横浜で金木犀の香りを嗅いでやる」と鼻息を荒くしていた。臭いは記憶を刺激する。眠くなってコットに横になる。テントの中にも金木犀の香りが入ってきて恍惚とする。思わず「ざまーみろ」と言葉が漏れる。俺は、一体誰に向かってざまーみろと言っているのだろうか。

雨の日の読書は最高だ。腹が減った時はごちゃまぜの家の台所を(空腹時の熊のように)うろつきまわり、何回も何回も冷蔵庫を空けては「なにもないな」と悪態をつく。住人から白い目で見られるが気にしている場合ではない。梅干しを取り出してテントに戻り、お湯をわかして一緒に飲む。空腹感が消えた。あたたかい飲み物を飲むと幸福を感じる季節だ。

テントやダホンは踏み絵みたいなものだ。これに興味を持ってくれるひととは友達になれる。しかし、ほとんどのひとはこれらを華麗にスルーして「テントで暮らしているなんて風変わりですね」と冷たい距離を置かれる。現状、この暮らしに関心を示してくれたのは新潟の竹谷さんとヤマト運輸の若者だけだ。竹谷さんとは波長が合う。今度、釣りとカヌーを共に勉強して、川を下りながら釣りをする約束を交わす。釣りとカヌーを練習しなければならない。

ここ一年間で、朝日も夕日も見ていない人間を私は信用しない。たとえ、そいつがどれだけ金持ちだろうがなんだろうが、そう言う人間のことは信用しないことにしている。最近、そういう偏見をコレクションすることに関心がある。例えば、そう、○○に金をかけるオンナは中身がないとか。

人生はいかに遊びつくせるかの勝負だと思う。頭の問題を頭で突破することは難しい。常に新しい遊びを発見することができれば、小さな問題は無効化する。竹谷さんから「一気にアメリカやカナダに行きましょう」と素晴らしいレスが届く。生きている間にユーコン川を下りたい。いまはロウソクを眺めながら横になっている。今日は何回も「最高だな」と思ったが、喜びは分かち合うことで大きくなる。明日はわたり食堂。同時に横浜を台風が直撃する。

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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22世紀の未来MTG - いばやの先の遊び方 -

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気分がいい時は鼻歌を歌う。今日は『部屋とワイシャツと私』という曲を歌っていた。サビの歌詞は「部屋とワイシャツと私ぃ♫愛するあなたのためぇ♫」になるのだけれど、愛するあなたのためぇ♫と歌った直後に「あなたのためとかないから。それは完璧に自己愛だろ。」とツッコむ自分が登場をする。私は頻繁に鼻歌を歌う。頻繁に鼻歌を歌うくせにJ-POPの歌詞が嫌いだ。J-POPの歌詞は「依存を愛情と呼ぶように錯覚をさせている」害悪であり、この国の癌だとさえ思っている。

 

 

昨日はX JAPANの『FOREVER LOVE』をかなりの音量で熱唱した。が、熱唱した直後に「永遠とかないから」と突っ込む自分が登場をする。もう、これは病気だと思う。私は思う。前提が間違っているのだ。昨日、ツイッターで「ここ最近で一番知的な興奮を得られた瞬間は『トイレが発明されたことによって〝うんこを漏らす〟という概念が生まれた』ことに気づいたことだ」という投稿を見た。こ、これだ…これなのだと思った。私たちは精神的なトイレを発明する必要があるのだ(という訳で、10月6日に『トイレの神様』的な企画を開催します。来テネ!!!)。

 

22世紀の未来MTG - いばやの先の遊び方 -

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2013年、夏、MAYU(後にMAYUCHAPAWONICAと改名)と坂爪圭吾で結成された『いばや』。
 
とにかくやばいことだけをやる!をモットーに、やばいを逆から読んだだけの『いばや』。
 
当時から、坂爪圭吾は「いばやの神様はまゆちゃぱうぉにか。俺は聖書になる。聖書になってまゆちゃぱ様の思想を広める!」と深く意気込み、ふんがふんがと鼻息を荒くしていました。
 
まゆちゃぱ様からは、
 
宇宙の摂理として新しいことをやっている人間は死なない」
 
「やれ」
 
「自分たちがやばいと思うことをやっていれば、それをやばいと思ってくれるやばいひとたちがあわられて、化学反応が起きて、結果とんでもないわっしょい状態になる」
 
など、数々の御神託を貰っては実践してきました。
 
当時から「未来に興味がある!未来に行きたい!」とやがて来る未来に興奮をしていました。が、当時は、いばやの説明をしても「ああ、こいつらはついに頭がおかしくなったんだね」と誰にも理解されることはありませんでした。が、時は流れ数年後。我々に対する共感も増え、嘉向徹さんや保科亮太さんという心強い仲間も増え、いつの日か、自分たちが欲しいと思う未来はすでに実現をしていることを認識。「俺たちの役割は終えたね」と、2018年1月に解散をいたしました。
 
が、
 
ある日、まゆちゃぱさまから、素晴らしい遊びのお誘いが届きました。
 
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けーちゃす✨おはすん😇
 
今遠征中かな?
 
こないだ、けーちゃんに
あそぼー!って言ってから
 
次は、何して遊んだら面白いのかなあ??
 
と考えていたんだけど
 
いばやの次という意味の次!
 
ホッシーとおるくんの話とかも聞いて、ネクストのイメージと、なんかいろんなモノがバチコーン!ってなった感覚があって
 
その話まじしたい✨
から、帰ってきたらあそぼー!
 
なんか、トークイベントにしてもいいくらいなネクスト感でござる!!!
 
🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸
 
まゆは、子育てターンへのフラグがついに!!!なの!!!
 
でも、
 
もし、今、子供欲しいってなっても
 
今ある道は、
我慢して頑張る道=滅亡の道
 
しかないかもしれん!となってびびった
 
滅びゆく妊娠・結婚・出産
 
滅びゆく家族
 
滅びゆく一次産業
 
世代交代
 
認知症の人の下ろせない資産が200兆円(!?)
 
からの
 
楽しい生き方の実験
 
したい✨
 
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今が結構ダメすぎて、笑
 
何やっても楽しいのではないかとワクワクした✨
 
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まゆの研究によると
 
いばやの先のイメージがね、言語化できてないんだけど
 
遊びのゾーンの先に
遊びが極まって精度が高まったゾーンがあると予測していて
 
パラダイスのゾーン
と仮で名付けていたんだけど
 
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パラダイスは、なんと
 
「囲われた場所」の意味で
お金持ちが自分たちが豊かな土地を独占したいがために囲った場所、が語源という
(=豊かさが溢れる場所的な)
 
楽園、極楽、ユートピアなどは言い方が違えどそれぞれの宗教において
 
「ここではないどこかにある、完璧に幸福のみに満ちた場所」
 
とされていて、一切の苦がなく楽ばかりの場所
 
という概念が強いらしい!
 
てか、んな場所ないし、行きたくねーわ!となった
 
だから、なんか世界が良くなったらいいなって言う、そのなんかもっと良い世界のイメージ
 
それ自体が、ふるーーーーーーーーーいんじゃねーーーーーーかーーーーーーー!!!!!!!!!
 
となった
 
だからみんな謎に苦しそうなのかも
 
🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸
 
だから、今この場所からの
 
もっとここにある、
自分に光を持ったまま
現実を楽しくサバイブできる
 
のような状態
 
パラダイスに代わる概念が必要じゃん=いばやのネクストが作っちゃいたいゾーン=来未来
 
な気がしt!
 
🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸
 
今わたし、色んな人の話聞きまくり無双なんだけど
 
いつか完璧な自分になったら大丈夫、そしたらいつか自分はオールオッケーで幸せ=今までも今も(多分これからも)私はダメです、死にたいです
 
のような人多すぎるんば
 
それが、この宗教とかの思想に似ていると思ったお
 
🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸
 
それを、今が今で大丈夫だよ
というニュートラルから
 
もっと攻めの面白さ
があったら面白そう!
 
🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸
 
意味不明なところは当日話します!笑
 
🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸
 
はい!その『当日』が、10月6日(土)ということになります!
 
この文章だけで「こ、これは…!」とピンと来た、未来感度の高いあなたのご参加をお待ちしております!
 
※※※詳細は改めて更新します!※※※
 
【タイムスケジュール】
 
12時30分 開場・受付開始
13時00分 開演・坂爪圭吾による「今回の企画趣旨のご説明」
13時15分 第一部スタート!
14時00分 〜小休憩〜
14時15分 第二部スタート!
15時00分 終了(フリータイム)
15時30分 完全撤収!
 
🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻
 
【登壇者プロフィール】
 
■坂爪圭吾(さかつめけいご)
1985年新潟県生まれ。いばや通信運営。人間は家も金も収入もなくても生きていけるのかを実験するため、2014年から約2年間にわたる「家のない生活」を能動的に行い、なんだかよくわからない日々を送る。結果的にブログ読者の方に購買をしていただいた熱海の家に現在は暮らす。2017年、クラウドファンディングで480万円(!)を調達し「横浜に、誰でも自由に無料で使える家」を作る。その名も『ごちゃまぜの家』。しかし、現在、あらゆるものを無料で放出し続けていたために極度の金銭的困窮に喘いでいる。現在は、全国各地を流転しながら「ごちゃまぜの家の運営資金を乞食する」日々を過ごしている。
 
自伝風物語「ホームをレスした話」
 
■MAYUCHAPAWONICA(まゆちゃぱうぉにか)
1985年新潟生まれ。新潟の鬱屈とした曇りの隙間から射し込む光を一身に受けて、のびのびと育った米農家の長女。20代半ばで高校の同級生だった坂爪と再会しいばやを結成。合同会社を設立するも持ち前の「ちゃんとやらない力」を遺憾なく発揮し積極的倒産を果たす。活動途中に「まゆちゃぱうぉにか」と改名し、絵描きからさらに枠を拡げたアーティスト活動を展開。現在は自分が面白いと思える新しい未来の遊びを考えては実践し「あなたも私も超絶大丈夫!」を振りまく日々を送っている。

ブログ「らぶ&ぱぽぷ」
http://chapawonica.hatenablog.com/
 
■嘉向徹(かむきとおる)
1990年新潟県生まれ。とある深夜に初めて発見した『いばや通信』に興奮。24時・26時・28時のタイミングで3通ものメッセージを送りつけ、圭吾さんと出会う。2015年に保科さんとteam-0を結成し「0」に掛(賭)けた活動を始める。「100万人の共感よりもたった一人のあなたへ」を合言葉に現在も五里霧中である。他にも、新潟にある佐渡ヶ島で「プライベートでも仕事でもない時空間」をつくろうと誰でも来れるお家を増やしている。現在2軒目に突入。先日佐渡へ赴き一週間の稲刈りをすべて裸足でやってみたところ、足裏が傷だらけに。現在は、よちよち歩きで日々を過ごしている。
 
■保科亮太(ほしなりょうた)
1988年新潟県生まれ。およそ28年ぶりによちよち歩きとなった徹さんが風穴を開けた『いばやへの道』を潜り、自らを“研究生”と名乗り勝手に叩き上げた。いばや生誕におけるビッグバンを起こした神『ベーあーさん』のご慈悲により西武ドームで絶好のチャンスが与えられ、「ここでホームランを打てたらいばやの正規メンバーとして認めてください!」と豪語するも、あえなく撃沈。が、誰よりも空振りするその姿勢が認められ(た?)、気づけば皆と遊ぶ仲となり、そもそも正規とかないことを知る。座右の銘は【百回やって百回勝つ人生よりも、百回負けて百回起き上がるドラマティックレイン】。解散後の現在も、思い切り空振るレインな日々を過ごしている。
 
🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻🌻
 
日時:10月6日(土)13時から15時頃
 
会場:わなびば 2F・イベントスペース
〒103-0004 東京都中央区日本橋3丁目3−3
都営新宿線 馬喰横山駅 A2出口徒歩1分
 
定員:30名(先着順)
 
参加費:投げ銭(イベント終了後、ドネーションのお願いをいたします。無論、ドネーションは任意です!)
 
申し込み方法:フェイスブックをやっていらっしゃる方は「参加ボタン」を押していただけたら申し込み完了です。フェイスブックをやっていない方や、諸事情で参加ボタンを押せない方は、お手数ではありますが①お名前②参加希望人数を添えて、下記連絡先までご連絡ください。
 
お問い合わせ:坂爪圭吾(さかつめけいご)
LINE ID ibaya
mail keigosakatsume@gmail.com
 

 

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22世紀の未来mtg いばやの先の遊び方

 

わたり文庫『ムーミン谷の名言集』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、ヤンソン著作『ムーミン谷の名言集』です。半端なく素晴らしい一冊です。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

※※※ こちらの本は、ポルトガルにわたりました ※※※

だれも心配しすぎないって、よいことでした。ムーミンたちは、ほかの人のために、やたらと心配しないでいようと、決めていました。つまり、そのほうが、心配をかけたと思って良心を痛めなくても、すみます。それに、ありったけの自由をあたえあっていることにもなるのです。

 

「ねえムーミン、友だちが、いちばん好きなことをしながら生きていけるようになるって、すてきなことじゃない?」

 

「歌をうたい、りんごを食べ、朝寝坊を好きなだけできる自由!それこそが、人生の醍醐味というものなのさ。それと、『これは重要事項だから後回しにはできません。すぐにやるのですよ』なんて、せっつく人がいないこと。そんな人は、勝手に、好きなように、させておくのさ!」

 

霧の夜明けでした。みんなは、庭へ駆け出していきました。八月の、ステキな一日を約束するように、東の空に、バラ色の光がさしはじめていました。

朝日がのぼるのです。新しい門が、開かれます。すばらしい可能性への、扉です。なんだって、やってのけられる新しい一日が、待ってくれています。そう、きみたち、ひとりひとりが、気づきさえしたら!


ヤンソンムーミン谷の名言集』【講談社文庫】

 

前提を変える。世界を変える。 

https://www.instagram.com/p/BTShMvdD3dF/

#hawaii #maui #acai #idontknowwhoiam

 

前提が違う。そう感じることが多すぎる最近。悩み相談を受けると「自分の中にある穴を、幼少期の家族関係で生まれた穴を、カネやモノやセックスで埋めようとしている」的な話を頻繁に聞く。私は思う。自分の穴は自分で埋めることができる。これまでの「人間関係は穴を埋め合う行為である(だから、あなたがいなければ生きていけない的な発言が美談になる)」的な常識にアンチテーゼを唱えたい。他にもある。いつかのためにいまを犠牲にして頑張る的な生き方。『いつか』とか永遠にないと思う。いつだって『いま』しかない。だから、これまでの日々がどのようなものであれ、これからの幸せはそんなものに左右をされない。

 

悲しみもさみしさも『記憶の再放送』に過ぎない。悲しみに酔うのを悪いとは思わない。しかし、酔ってばかりのひととは友達になれない。私は友達が欲しいのだ。悲しみを受け入れている場合ではない。ひとしきり悲しんだら、あとは切り替えて遊ぶ方向に舵を取りたい。この『遊ぶ』という行為に、最近は無限の可能性を感じている。遊ぶことは『魔法』になる。魔法は世界を一瞬で変える。魔法は努力を必要としない。魔法は経験を必要としない。魔法は承認を必要としない。ただ、意識を少しだけ変える(前提を変えてしまうことで)世界の見え方をまるっと変える。当たり前の風景が、あっという間にラブリー&ヘブンリーなものになる。

 

22世紀の魔法とは『言葉』である。いまはまだ存在しない新しい言葉を生み出すことによって、うんこを漏らして途方に暮れている(日常的な不快感を「これは仕方のないことだから」的な感じで受け入れている)人々をシャララーン♫と救う魔法になる。次のいばやはこれを狙う。これまでの前提に従うのではなく、前提を突破し、新しい前提を生み出すこと。これまでがこれからを決めるのではない。これからがこれまでを決めるのだ。そして、未来とは「いま、この瞬間」のことである。イエス。未来、なう。幸せを感じるために、これまでの日々がどうだったのかということはまじで関係がない。いま、この瞬間から幸せになることができる。そのための遊びを、そのための魔法を、一緒に発明していけたら最高な人生である。

 

霧の夜明けでした。みんなは、庭へ駆け出していきました。八月の、ステキな一日を約束するように、東の空に、バラ色の光がさしはじめていました。

朝日がのぼるのです。新しい門が、開かれます。すばらしい可能性への、扉です。なんだって、やってのけられる新しい一日が、待ってくれています。そう、きみたち、ひとりひとりが、気づきさえしたら!


ヤンソンムーミン谷の名言集』【講談社文庫】より引用

 

https://www.instagram.com/p/Bk6LYXVF3KJ/

#Right in the middle of OK

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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遠慮するなよ。好きなように生きなよ。

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久しぶりに熱海に行く。熱海の家を離れている時は「家を持つことは恐ろしいことだ。家に縛られる。行動の範囲が狭くなる」などとジタバタするが、家に着いた瞬間に「なんだここは!最高の家じゃないか!手放すなんて絶対にありえないことだ!」などと思う。熱海には愛する温泉が二箇所ある。ひとつは福島屋旅館で400円。もうひとつは走り湯温泉浜浴場で350円(私は特別に250円にしてもらっている)。毎回、温泉に入る度に「ああ、俺は帰ってきたのだ」という多幸感に包まれる。

 

 

一応、今、熱海と横浜と新潟の佐渡島(←new!!)に自由に使える家がある。この家をどう運営するかが目下の課題で、家賃1万円だったら誰か(誰か、というか複数名で共有しながら)使っていただけるものだろうか。昔から都会の家賃は高すぎると思っていた。だから1万円で暮らせる世の中になればいいと勝手に思っていた。だから1万円に設定した。たとえば、月額1万円で「熱海と横浜と佐渡の家はいつでも自由に使えます。家にある車やバイクや食糧や野営道具やDAHONやカメラや畑や漁業権(佐渡島限定)は自由に使ってください。倉庫やイベントスペースなどにも使えます」とかにしたら、運営メンバーに加わりたい方々はいるだろうか。

 

ibaya.hatenablog.com

 

横浜・熱海・佐渡島+αのお誘い。

熱海の家【逢初庵】のメリットを書く。熱海駅から徒歩20分程度。海と山と温泉がある。品川駅まで新幹線で40分。家の裏に畑があり、家庭菜園も可能。間取りは2Kと小ぶりだが最高に可愛い。築92年。毎日家の前の海から昇る朝日を眺めることができる。特筆すべきは冬の日差しで、太陽が照りつける時間帯は真冬でも半袖可能。家の前で焚き火ができる。両隣のおばあちゃんが猛烈に可愛い。86歳で趣味がジャズピアノだと話す隣のおばあちゃんU様は、ピアノの横に「なるようになる」と自筆のスローガンを貼り付けている。

 

横浜の家【ごちゃまぜの家】のメリットを書く。東横線&JR菊名駅から徒歩9分。東海道新幹線横浜駅までも徒歩20分程度と徒歩圏内。横浜駅まで5分。渋谷駅まで20分。築60年越えの古民家になるため悪く言えばボロいがよく言えば「趣がある」。住宅街のど真ん中にありながら常軌を逸して閑静で、家の裏には鎮守の森がある。敷地が半端なく広いため、不動産の方曰く「売ったら一億円は超えるでしょうね」とのこと。そのため、ここに住んだら「俺は一億円の家で暮らしている」とドヤ顔ができる。

 

仮にこれからごちゃまぜの家が全国に増えた場合、月額1万円の人々は「ごちゃまぜの家を自由に行き来できる(全国に別荘が増える)」みたいになったらどうなのだろう。や、別に、月額なんて払わなくても誰でも無料で使えることがメリットのごちゃまぜの家ではあるのだけれど、それではなぜお金をいただくのかというと「お金を払ってでも運営側にまわりたいと思ってくれる(そんな意気込みのある)ひとと一緒に生きていきたい」と思っているからである。月額制というものには軽い抵抗感があるために、この案を採用するかどうかはわからない。ただ、以上の点を踏まえて「ちょっと興味がある!」という方は、今週30日(日)にごちゃまぜの家で開催されるわたり食堂【0円食堂】にお気軽に遊びにいらしてください。

 

🌸🌸🌸イベントページはこちらです🌸🌸🌸 

わたり食堂【0円食堂】@GOCHAMAZE no IE

 

わたり文庫『カヌー犬・ガク』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、野田知佑著作『カヌー犬・ガク』です。野田さんの文体にはまってしまっていて、隙間時間に読み続けては「ああ、いいなあ。。」と野田式ライフスタイルに恍惚とします。ごちゃまぜの家でも犬とか猫とかオカメインコとか飼えたら人生変わるのかもしれない。移動が多い暮らしでも、複数名で生活をするならペット飼育もいけるのかもしれない。カヌーをみんなでシェアしたい。こちらの本をご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

人口200人のルビーという村に着いた時、村ではちょうどキング・サーモンの最盛期だった。1日に20匹っも30匹も大きなキングが一人の網にかかっていた。川岸で働いている可愛い白人の女性がいた。川に浮かべた船の上でキングを燻製にするために切り裂いている。

 

ここの生活はとてもハードだ、その若奥さんはいった。冬になればお湯一つ沸かすのにも、川の1メートルもの厚い氷を割り、水を汲み、薪を割って火をおこし、といった手間をかけなければならない。肉は森の中に入って獣を撃って手に入れる。生存(subsistence)のために1日の半分の時間を費やす生活だ。

 

何故、アラスカに来たのか、という問いに彼女は答えた。

 

「内地にいた時は何もしなくても何でも手に入ったけど、私は退屈だった。ここでは色々大変だけど、やらねばならないことが沢山あって楽しい。体をめいっぱい動かして生きる生活がとても気に入っているわ」

 

彼女は30キロはありそうなキング・サーモンをギャフでひっかけエイっと台の上に放り投げた。

 

荒野の中での生活はとてもハードだが、そうすることで生き生きしてくる個所がある。それは都市生活の便利さの中では決して目覚めない部分だ。

 

ユーコン川を下る時、ぼくは自分の持っている力、能力を100パーセント使って生きる。全力を上げて生活する。それに比べると都市の中ではその十分の一も力を出していない。

 

それ程、文明社会の中での生活は安易、便利にできているのだ。

 

完全燃焼、全力投球の生活をするとその代償として独立心、自己への信頼を手にする。

 

「俺は今、全く自分を信頼している」

 

という心境は現代ではもっとも手に入り難いものの一つだろう。

野田知佑『カヌー犬・ガク』【小学館文庫】

 

ごちゃまぜの家日誌もよろしくお願いします。

 

gochamaze.hatenablog.com

 

遠慮するなよ。好きなように生きなよ。 

正直に言えば、私は、なにもかもを「ざっくり稼いで、ざっくり続けたい」と思っている。私の友達にフリーライターの竹谷さんという男性がいる。同じく、私の友達になほさんという型破りな女性がいる。なほさんの半生が常軌を逸しているために「これ、絶対自伝にした方がいいですよ」ということで最近はおおいに盛り上がっている。理想を言えば、竹谷さんとなほさんが合宿的な意味合いも込めてごちゃまぜの家に数週間滞在をしていただき、滞在中になほさんの物語を竹谷さんが本にまとめて出版をする。その本がバカ売れをして生じた印税の一部をごちゃまぜの家存続資金にあてる。そんな感じの『ざっくり稼いで、ざっくり続く』ようなスタイルを愛してやまない(けれども現実味に毎度欠ける)。

 

 

と、ここまで書いて、ごちゃまぜの家に遊びに来てくれた高校三年生の女の子が日誌を書いてくれたのを読んで(上記参照)、なんだかもういろいろどうでもいいからこれからも楽しく生きていきたいなあという気持ちになりました。「しんしょく、うんぱん、たいせき!!」とか、元気があって最高だなあと思いました。元気があればなんでもできる。本当に、もう、楽しく生きる秘訣はこれだけなんじゃないかと思いました。全然関係ないけど、最近、私が趣味のギターを弾くとみんなが途端に眠ります。最初は「寝ないで聞いてよ!」とか思ったが、不眠症だと話すひともすぐに眠るものだから「これは一種のセラピーなのでは」と思うようになった。わたり食堂では、是非、その実験もさせてください。

 

 

今日、あなたがコミュニケーションで重要視していることは何かと聞かれた。私は「そんなことを聞かれても困るぜ!」とひとしきり逡巡したあと、ふと、目の前の人はどれだけ他人に合わせて生きているのかの度合いを観察している自分の眼差しに気づいた。私は、気を使うのも気を使われるのも苦手だ。それよりも「あなたはあなたのままで来てちょーだい!」と毎回思う。言いたいことがあるけど言えない場面は、多分、誰にでもあると思う。それは、多くの場合「自分がこれから言おうとしていることは、常識的に正しいことなのだろうか」とか、正否で判断してしまうからだと思う。私は言いたい。正しいから言うのではなく、ただ、自分が言いたいから言う。それでいいじゃないかと思う。人間関係における疲労感は、大概「言いたいことを言わなかった自分に対する苛立ち」に比例をする。だからこそ、言いたいことを言う。やりたいことをやる。自信があるからやるのではなく、自信がなくてもやる。ただ、やりたいと思ったからやる。そのことが、自分に対する信頼になり、潔い、清々しい生涯の礎になるのだと思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/Bl1Gx1Vl-rD/

あさみ。。 #朝 #熱海 #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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永遠のクソガキでありたい。

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悩み相談が多すぎて嫌になってしまった。私なんぞに生き方を尋ねることが間違っている。金も家も仕事もない人間に、なぜ、金も家も仕事もある人々が悩み相談をするのだろう。不思議だ。もちろん、誰もが楽しそうにいい感じに生きてくれたら嬉しいとは思う。が、自分の生き方が参考になるとはとてもじゃないけれど思えないから「迷った時はビリーズブートキャンプをやってください。頭の問題を頭で突破するのは至難の技です。間違っても、高額セミナーに参加申し込みとかしないように!(そうするくらいだったらそのお金を僕にください)」程度しか言えない。

 

 

札幌のイベントに来てくれた男性が「参加者の方々の話を聞いて、なんだかいろいろなひとがいるのだなあと思えただけで元気になった」と話してくれた。素晴らしい感想だと思った。生きていると、自分以外のみんながまともに見えて自分だけがへっぽこに見えてしまう瞬間がある。が、それは違う。誰もがイカれた部分を抱えながら、それでも一生懸命生きているのだ。おかしいのはあなただけじゃない。みんなどこかしら狂っているのだ。だからきっと大丈夫。あなたはあなたのままでいい。と、そういう心理状態に置かれているときの私は健やかだ。

 

ibaya.hatenablog.com

 

味噌になりたい。 

味噌になりたい。味噌はすごいらしい。あらゆる菌を栄養に変えてしまう。存続の危機を迎えているごちゃまぜの家(我々が横浜でやっている『誰でも使える家』みたいなもの)だが、この家が味噌になればいいと思う。しかし、最近思う。私ひとりでは味噌にはなれない。私は好き嫌いが激しい。誰でも来てくださいとか言いながら「お前は来るな」とか平気で思ってしまう。これではいけない。これではごちゃまぜの家が罠になる。そこで私は考えた。自分ひとりで味噌になろうとするから無理があるのだ。自分の好きなひとを集めることで、はじめて「全体として味噌になることができる(いよいよ、真の意味で「誰が来てもおっけー!」と言える状態になる)」のだと思った。

 

好きなひとだけ集めるってどうなのよ!と思うもうひとりの自分がいる。が、一旦、そいつを黙らせることにした。自分が楽しそうに生きていることが、結果として「そこを訪れる人々にも良い感じアトモスフィアをお裾分けすることができるのだ」と信じることにした。読者の方々の中には「それじゃ全然ごちゃまぜじゃないじゃん!」というクリティカルな意見を抱かれた人々もいると思う。しかし、一旦、わかってほしい。もちろん、今後ともごちゃまぜの家の鍵は開け続けるし、誰が来てもいいという状態が変わることはない。合言葉は「We never close」のままであるし、常に門戸は開かれたままだ。

 

みんなに好かれるなんて無理だよという、手垢にまみれまくった言葉を今更のように実感している。そう、みんなに好かれるのは無理な話なのだ。なにをしても「あなたにはがっかりしました」的なことを言われる。私は弱者なので、そういう言葉にいちいち傷つく。そしてもう二度と立ち直れないほどのダメージを受けた際に、それでも尚、私を支えてくれたものは「好きな人たちの存在」だった。ひとりじゃなくてよかったと心から思う。ひとりだったらとっくの昔に自害をしていただろう。好きなひとたちで一旦囲うこと(囲うというのは、ごちゃまぜの家に住んでもらうとか、ごちゃまぜの家に定期的に足を運んでくれるように仕向けること)は、俺なりのサステナビリティになる。

 

twitcasting.tv

 

わたり文庫『カヌーで来た男』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、野田知佑著作『カヌーで来た男』です。私は学校の先生が大嫌いだったのですが、野田さんの言うことだったらめちゃめちゃ聞きまくる気がします。野田さんの写真を見ていると、紅の豚のポルコ・ロッソまんまじゃねーか!という気持ちになって眼福です。生き方も、見てくれまでもソックリで「ああ、こういうひとこそが『真の教育者』なんだな」と感銘を受けます。生き方で、魅了してこそ真の教育者である。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、京都府にわたりました ※※※

 

ー 夜と朝と、どちらをとりますか。

 

「朝。朝は四時から明るくなるとすると、七時くらいまでの三時間が、もっとも神聖で、素晴らしい。四時に目を覚ますでしょう。そして、いきなり、飛び込むのです。ドブーンと。そして、水の中で顔を洗う。口をゆすぐ。それで洗顔は終わり」(笑)

 

ー 時間がもったいないですからね

 

「楽しいことがいっぱい待っているから。やることは、多すぎるし。飯を食うひまも、惜しい。つくるひまも、惜しい」(笑)

 

ー 少年時代に夢見たすべてが、自分の目のまえにあるのです。

 

「子供のころ、顔を洗うの、いやだったでしょう。あれの延長ですね。ドブーンと飛びこんで、ひと筆で洗顔をすませてしまう」

 

ー 夢の世界ですね。

 

「少年の世界。夏休みの、それも宿題のない夏休みの世界。」

 

野田知佑『カヌーで来た男』【新潮文庫

 

ごちゃまぜの家日誌もよろしくお願いします。

 

gochamaze.hatenablog.com

 

あなたが楽しそうに生きていることを、よろこんでくれるひとと一緒にいなさい。

https://www.instagram.com/p/Bdyo9xPjQ9i/

 

最近は「おとなってなんだ?」と考える。多分2種類ある。ひとつは「こう言う場面ではこういう振る舞いをするのが正解で、こういう場面ではこういう発言をするのが正解」みたいな感じで、各種TPOをわきまえた行動ができる人間になること。もうひとつは「自分がやりたいと思うことを現実化する力を養うこと」だと思う。私は、正直に言うと前者を軽蔑している。後者の人間と友達になりたいと思う。これは、要するに『誰の期待に応えようとしているのか』だと思う。学校教育で優秀だったり、親の言うことを真に受けて育ったひとほど、他者から褒められたり承認されることに生きるエネルギーを費やす罠にはまる。私は、昔から、そういう人々を軽蔑していた(友達にはなれないと思っていた)。

 

 

最近は『責任』がマイブームになっている。たとえば、本を読んだり人と出会う中で『感動』をすることがある。私は、感動したひとにはある種の責任が宿ると考える。それは「自分が変わっていくこと」という責任だ。真の感動は人間を別人に変える力がある。だからこそ、なにかに感動したのならば「それを通じて自分が変わっていく」ことで応えなければ、その感動は嘘になる。責任という言葉は重く感じられるかもしれない。しかし、私は、責任こそが『自分の存在を自覚できる』最高のツールになると考える。誰かの責任にする(被害者面をして生きる)のではなく、最悪の場合は「死ぬことさえも引き受けた」人間に宿る清々しい魅力は、見ているものの心まで良い風を吹かせる。

 

 

本当は軽蔑も何もない。金持ちも貧乏人も関係ない。私は、多分、これまでもこれからも「一緒に遊べるひと」を探し続けるだけなのだと思う。友達をつくって、一緒に遊ぶ。そして最後に「ああ、楽しかったね」と笑顔で死ぬ。生きる目的なんてそれくらいだ。人生は意外とどうにかなる。最悪の場合は死ぬだけだ。これはもう、遅いか早いかの違いでしかない。なにが起きても大丈夫。極論、死んでしまっても大丈夫。最高の笑い声を響かせてやりたいじゃないか。思わず声が出てしまうようなよろこびに触れた瞬間は、置かれている状態はどうであれ、最高に幸せな瞬間なのだと思う。世界は、まだまだ、自分の知らないことにあふれている。まだ見たことのないよろこびに触れるために、まだ見たことのない自分自身に出会うために、変わり続けていきたいと思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/BoJsE4NlxIL/

札幌の夕焼け。ヨーロッパにいるみたいだった。

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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俺は勝手に輝く。その光で、勝手に救われてくれ。

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震災の影響で新千歳空港の飲食店は半数程度営業を停止していた。いまは札幌にいる。自然災害が起きるとどうしてもその悲惨さが取り上げられる。が、札幌でお会いした方々は「星空が綺麗で感動した」とか「仕事もないから、ビールを買い込んで毎日宴をしていた」とか、震災をエンジョイした人も多かった。ある人は言う。こどもを見ていると物凄い感心する。停電中なら停電中で、彼らは、新しい遊びをどんどん開発する。

 

 

東日本大震災のあと、大きな被害を受けた宮城県気仙沼に足を運んだ。ら、現地在住の女子高生が「私は震災が楽しかった派なんです。でも、不謹慎だからそのことをあまり言えなかった」と笑顔で話した。電灯の代わりにロウソクを使う日々は「キャンプみたい!」で新鮮で、明かりが小さいから結果的に家族の距離も近くなる。毎日、食糧の配給にくるトラックを友達と待ち構えては「あ、今日は吉野家だ!」とか「あ、今日はカレー屋さんだ!」とか、みんなでわいわいやっているのが楽しかったと彼女は話した。

 

ibaya.hatenablog.com

 

10月11日(木)ごちゃまぜの家救済企画@沖縄県読谷村

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相次ぐ地震や豪雨などによる自然災害。
 
巷では「お金がただの紙切れに!?財政破綻の日も近い?!」などと囁かれているさっこん。
 
いつ、なにが起こるかわからないいまだからこそ、
「なにが起きても楽しく笑って生き延びる」
そんな『力』が必要になっているのではないでしょうか。
 
私、坂爪圭吾は、過去に「家も金も仕事もない」という無一物の状態で、
それでも人間は生きていくことができるのかということを試しました。
 
最初は「そんなことは無理だろう」と結構後ろ向きではあったのですが、
蓋をあけてみるとびっくり!意外とどうにかなってしまうばかりか、
家や金や仕事があったときよりも、世界の豊かさを感じることができました。
 
もちろん、いいことばかりではなく大変なこともたくさんあったのですが、
それでもなお「人生はどうにかなるのだ」と肌身を通じて実感できたことは、
大袈裟な表現になりますが『世界に立ち向かう勇気』を与えてくれました。
 
今回は、坂爪圭吾の経験談も交えながら、お越しいただいたみなさまと一緒に、
「なにが起きても楽しく笑って生き延びる(ホームをレスしてもサバイブする)方法」
を、一緒に、酒や茶を飲み交わしながらみんなで談笑できたらと思っています。
 
・お金とはなんだろう?
・安心とはなんだろう?
・便利とはなんだろう?
・社会とはなんだろう?
・生きるとはなんだろう?
・いま、必要とされている力ってなんだろう?
 
など、
 
みなさまのご参加をお待ちしております!!
 
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【タイムスケジュール】
 
21時00分 開演・坂爪圭吾による「今回の企画趣旨のご説明」
21時15分 第一部スタート!
22時00分 〜小休憩〜
22時15分 第二部スタート!
23時00分 坂爪圭吾による懇願の土下座(その後、フリータイム)
24時00分 終焉(宿泊される方は、そのまま宿泊!)
 
【迷える仔羊プロフィール】
 
■坂爪圭吾(さかつめけいご)
1985年新潟県生まれ。いばや通信運営。人間は家も金も収入もなくても生きていけるのかを実験するため、2014年から約2年間にわたる「家のない生活」を行い、なんだかよくわからない日々を送る。結果的にブログ読者の方に購買をしていただいた熱海の家に現在は暮らす。2017年、クラウドファンディングで480万円(!)を調達し「横浜に、誰でも自由に無料で使える家」を作る。その名も『ごちゃまぜの家』。しかし、現在、あらゆるものを無料で放出し続けていたために極度の金銭的困窮に喘いでいる。今回は、坂爪圭吾の沖縄の兄貴・具志さんのお力添えを通じて「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか?」ということを、みなさまに問う。
 
自伝風物語「ホームをレスした話」
 
🌸🌸🌸🌸🌸ご参加にあたってのお願い🌸🌸🌸🌸🌸
 
●こちらの企画は、決して答えを(上から目線で)ドヤ顔で語るような内容ではございません。ひとつのテーマをもとに、みんなで、和気藹々と(なによりも楽しく!)時間を過ごせることを最大の目的としています。そのため、ご自身のお考えを誰かに押し付けることなく、異なる意見もまあるい心で受け入れていただけましたら幸いです。
●参加者のみなさまが心地よい時間を過ごせるよう、何卒、みなさまのご協力をお願いいたします。(例:論破することを目的とした議論をしない、とか、誰かひとりだけが話し過ぎることのないようにする、など)
 
🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸
 
日時:10月11日(木)21時から23時頃
 
会場:Event & Hostel Capcellent
〒904-0313 沖縄県中頭郡読谷村大湾513-1
 
定員:20名(先着順)
 
参加費:宿泊される方は5000円+ドネーション、宿泊されない方は2000円+ドネーション(ごちゃまぜの家の運営資金になります。無論、ドネーションは任意です!)
 
申し込み方法:フェイスブックをやっていらっしゃる方は「参加ボタン」を押していただけたら申し込み完了です。参加費は、当日会場の受付にてお支払いいただく形になります。フェイスブックをやっていない方や、諸事情で参加ボタンを押せない方は、お手数ではありますが①お名前②参加希望人数③宿泊希望の有無を添えて、下記連絡先までご連絡ください。
 
お問い合わせ:坂爪圭吾(さかつめけいご)
LINE ID abaya
mail keigosakatsume@gmail.com
 
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「いばや通信」 http://ibaya.hatenablog.com/
緊急連絡先 LINE ID ibaya(坂爪圭吾LINE)
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ごちゃまぜの家を救え!コスモポリタン・サバイバル入門「ホームをレスしてもサバイブする方法」

 

わたり文庫『南へ』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、野田知佑著作『南へ(新・放浪記2)』です。前作『旅へ(新・放浪記1)』があまりにも素晴らしく、いま、この本を読んでいますが最高です。野田さんの真髄があると思う。「小気味いいとはこのことか」と、ページをめくる度に悶えます。全男性に読んでいただきたい一冊(もちろん女性にも!)です。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、三重県にわたりました ※※※

 

ライトエースにガクと荷物を積みこんで東京を出た。
関係者には、「今年度十二月をもって東京の事務所を閉め、小生は旅に出ますので今後しばらく連絡はとれません」と印刷したハガキを出し、通知しておいた。
さて、これから俺は自由だ。

 

夜、テントの中に机と椅子を置き、コールマンのランタンを灯すと、東京を出て以来、最良の書斎になった。旅の生活で一番欲しいのは個室、机、椅子、電気スタンドだ。そこで一日に一時間でもいい、静かに本が読めればどんなに放浪が長くても気持が荒れることはない。日本で客人に個室のプライバシーや机、椅子などを与えることのできる家は少ない。この国は貧しいのだ。そんな家に寒々と泊まるより、テントの方が何倍もいい。より自由な時間が持てる。原稿十二枚書く。

 

最近、ぼくが一番心地良く、寛げるのは川原、海岸、原野などの無人の広い場所に張ったテントの中だ。他人のことを考えずに、自分のことだけ考えて、自分の快楽のみを追っかけて暮らすこと。これは川幅数キロ、周囲100キロに誰もいないユーコン川で生活した後遺症だ。 

 

野田知佑『南へ』【文春文庫】

 

ごちゃまぜの家日誌もよろしくお願いします。

 

 

gochamaze.hatenablog.com

 

俺は勝手に輝く。その光で、勝手に救われてくれ。

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札幌の前は大阪で開催をされたイベントに出た。遊びにきてくれた方々から「関西にもごちゃまぜの家をつくってください」と言われた。嬉しかった。これは実現をしたいと思った。みんないい人たちばかりだった。京都ではムラキテルミさんにお会いした。ムラキさんから「バブルが崩壊したときと同じ雰囲気が、いまの日本にはある。財政破綻とか自然災害とか、これから日本は何が起こるかわからないから、自給自足の準備をしておきなさい!引き剥がされる痛みを乗り越えるものは、生きる力よ!」と鞭を打たれた。私は「は、はいぃ〜!」と緊張した。バブル崩壊前、街中に新札が溢れたらしい。国が大量の紙幣を刷っているサインだ。これと同じ現象がいま起きているのだと言う。

 

 

危機的状況の中で言うことではないかもしれないが、いま、全国にごちゃまぜの家をつくれたらと思う。宝くじ企画の際には「もしも当選金額がおおきかった場合はエストニアに亡命しよう。そして『エストニ家(ごちゃまぜの家のエストニア版)』をやろう」とか思っていた。高額当選をすることはなかったが、常に希望を胸に抱いていたいとは思う。希望という言葉は大袈裟だ。ただ「楽しみにできる未来」を、常に胸に抱いていたい。不安を原動力にするのではなく、あくまでも『楽しさ』や『よろこび』を原動力としたい。ごちゃまぜの家の活動は、大変なことも多いけれど、それを上回る『楽しさ』や『よろこび』がある。だからこそ「ごちゃまぜの家を一緒にやってみませんか?大変だけど、面白いよ」ということを、みんなにも伝えていきたいと思った。

 

 

なにをするにせよ「やりたいからやっています」と言える自分でありたい。無論、時には血を吐きそうになることもある。しかし、これも「血を吐きたくて吐いています」と言える自分でありたい。誰かのためとか、なにかのためとか、そういう言葉はあまり好きじゃない。自分のためにやっていることが、結果として誰かのためにもなったら最高だと思う。私は、あくまでも「問題解決のためではなく、みんなで一緒に楽しみながらやっていたら、いつの間にか問題が問題ではなくなっていた」という状態【問題の無効化】を理想とする。多分、これから『組織』と呼ばれるものはなくなるのだろうなと思う。会社には理念があり、それを社員全体で共有することで一丸となる。多分、こういうあり方には無理がある。だって、みんな少しずつ違うのだから。全員が同じ目的を共有することを動力とするのではなく、目的はバラバラなまま、ただ、一緒に遊んでいたら「いつの間にか、気が付いたときにはいい感じの世の中になっていた」という状態を、私は理想と考える。だからこそ、ごちゃまぜという東洋的混沌を基盤に置いた名前を授けた(のだと思う)。私は、誰かを救いたいとは思わない。ただ、私は私のために輝きたいと思う。その光で、勝手に救われる人々が出てきてくれるのであれば、それを幸運だと思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/BatXK8tjhjB/

はじめてそれを見たときのように。

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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