いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

過去の自分を超える勇気。

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感動的な言葉に触れた時、ああ、これは人類全体の宝物だと感じる。自分だけのものにしておくことが非常にもったいなく感じて、誰でもいいから(なんだったら無理矢理にでも)聞いていただきたくなる。そういう言葉に昨日出会った。言葉は誰のものでもない。逆に言えば「みんなのもの」なのだと思う。昨日、私が交わした会話が、これを聞いてくださるあなたにとっても『宝石』のようなものになればと祈りを込めて、シェアをさせていただきます。

 

 

何か大きなものに『やらされている』という感覚 。

ごちゃまぜの家の活動をはじめ、わたしは「自分がやりたいと思うことをやっている」と思っていた。誰かに強制されて嫌々ながらやっているのではなく、あくまで自分の意思で(やりたいと思うから)やっているのだと。しかし、冷静に考えると違うような気がする。語弊を恐れずに言うと、自分の背後に常に君臨している『何か大きなもの(SOMETHING BIG)』から、今世のお前はこれをやるために生まれてきたのだから、しのごの言わずにやれ、と言われているような感覚。 

 

あとは全部用意をするから、お前はやることをやれ。 

神的なものは言う。金のことは心配するな。否、あらゆることを心配するな。必要になるものはすべてこちらで用意する。『だから、お前はやることをやれ』と。感覚は昔からあった。家のない生活をして時も、金は常になかったけれど『金に困ること』もなかった。奇跡的な出来事が連続をして、常にギリギリのところで救いの手が差し伸べられるような日々の連続を生きていた。あの頃から、この言葉に対して確信めいた思いを抱くようになった。多分、今世の自分は金に困ることはない。でも、だからこそ、自分がやるべきことに徹底的に集中する必要があるのだと、そういう役割があるように感じていた。

 

fromは傲慢、ただ、自分を通過【through】しているだけ。 

家のない生活を2年続けたのちに、ブログを読んでいてくださった方が「さすがに家のない生活は大変でしょう」と、熱海に家を購買してくれた。この時は正直物凄い驚いた。が、気持ちがうれしかったのでありがたく家を購買していただく流れになった。この話をすると「よく受け取れますね!」と言ってもらえる。ただ、あのとき、わたしは驚くほどスムーズに家を受け取るということができた。家だけじゃない。現在のわたしは「もらいものだけで生活をしている」と言っても過言ではない。そして、なにかをもらうということに対する負い目がない。そういうことを昨日話していたときに、通過という単語が出てきた。

 

あらゆるものは、ただ、自分を通過しているだけなのだと思う。こうして使っている言葉でさえ、自分ではない他の誰かが過去に生み出してくれたからこそ、その恩恵を通じて『自分の気持ちを伝えることができる』。冷静に考えると、真の意味ではこれは自分のものだと言えるものは、なにひとつないような気がする。あらゆるものは「自分を通過していくもの」なのだと思う。家も金も物質も同じだ。これは自分のものだと思った途端に、ため込もうとする心理作用が働く。しかし、これは自分を通過しているだけなのだと思えば、気負うことなく周囲のひとびとと分かち合うことができる。逆に言えば『これはおれのものだ【from的な思考】」が働いているときの自分は、傲慢になっているように思う。自分のものにするのではなく「自分を通過していくもの」だととらえることで、多分、わたしは受け取るということを以前よりスムーズにできるようになったのだと思う。

 

通過と言えるのは、一回、打ちのめされたからだ。

ガーダさんから「坂爪さんがこのように『通過』と言えるのは、一回、打ちのめされたことがあるからだと思います」と言ってくれた。この言葉には震えた。そんな風に考えたこともなかったけれど、ああ、確かにその通りだと思った。私は過去に半年間の寝たきり生活を送っていた常に「死にたい、死にたい、生きていてもなにもいいことはない」と思い続けていた日々がある。自分を通じてなにかを通過させるためには、自分が透明でなければいけない。自分のなかに壁があっては、なにかを通過させることはできない。おそらく、わたしは過去に一回死んだことを通じて『自分の中にある壁がガラガラに崩壊する』という体験をしたのだと思う。

 

ibaya.hatenablog.com

 

あの時期は地獄だった。しかし、過ぎて見ると「あの体験がなければいまの自分はない。あの体験がなければ、もっと傲慢なまま生き続けていたように思う」と感じる。過去の自分はfromの思考をしていたように思う。自分の中にある壁こそを誇りにしていたように思う。俺はお前とは違う。俺は特別な人間だ。さあ、この俺を見ろ!と。とにもかくにも「俺が、俺が」の思考に満ちていたが、病気を通じて「天狗になっていた鼻をへしおられる」的な恩恵を受けた。そのことが功を奏したのか、いまでは「あなたはすごいですね」と言われるたびに違和感を覚えるようになった。ただ、「(あなたという人間を含めた)人間というものはすごいですね」と言ってもらえるときには、いままでにないうれしさを覚えるようになった。

 

私は、私の話をしたいのではなく、私を通じて「人間全体の話」をしたいのだ。

 

ibaya.hatenablog.com

 

わたり文庫『光あるうちに』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、三浦綾子著作『光あるうちに』です。三浦綾子さんの著作は坂爪史上最大のバイブルで、彼女の言葉に触れるたびに「自分の中心に芯が通る」感覚を覚えます。読書を通じて、まるで作者と会話をできている感覚になります。朝に読めば『希望と共に1日をはじめる』ことができるし、眠る前に読めば『感謝と共に1日を終える』ことができる。素晴らしい人柄との出会いは、そのまま『素晴らしい人生』を運んでくれる。こちらの本をご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

わたしたちの今日の一日を、ここで一人一人顧みていただきたい。今日の一日は、あなたの人生に、あってもなくてもよい一日だった。どうしても、なくてはならぬすばらしい一日だったか。もしくは全くなかったほうがよかったような一日だったか。

 

そしてまた考えていただきたい。今日のような毎日が積み重なった一生は、すばらしく有意義なものか。今日のような毎日の積み重ねは、何の意味ももたらさないか。今日のような毎日の続く一生なら、むしろないほうがいいか、どうか。

 

わたしがもし、自分の毎日をこんなふうに大別してグラフを作ったら、ないほうがいい日が一番多く、有意義な日は甚だ少ないような気がする。ただ、このように、少しでも意識して、自分の生活を大切に生きようとすると、一日といえども、いい加減に生きてはならぬことを知らされるような気がする。

 

三浦綾子『光あるうちに』【新潮文庫

 

過去の自分を超える勇気。 

本音を生きるという言葉がある。私にとって、本音とは「決して伝わることのないもの」だった。よく、人々は本音で話せばわかりあえる、だから本音を話そうなどという。しかし、わたしにとって本音とは「話せば話すほどに伝わらず、話せば話すほどに孤独を深めるもの」だった。だから、やがて、自分の本音を語ること(なにかを説明すること)は少なくなり、自分の生き様に言葉を宿らせることに注力するようになった。話しても伝わらないことは、やってみせることが早い。だからこそ、理想を語るのではなく、経験を語れ。やりたいことを語るのではなく、やってきたことを語れ。そう思って生きていた。が、その思いが悪いとは思わないけれど、そのやり方では「なにかをやり遂げるまではひとりきりのまま」ということになる。わたしは、この点を変えたいと思った。できることならば、最初に理想を語り、見たい世界のイメージを語り、自分はこういうことをやりたいと思っているのだと語り、その風景を面白がってくれるひとびとと「(結果を共有するのではなく)結果までの道を共に歩きたい」と思っている。結果を共有することをよろこびとするのではなく、その過程の道を『共に歩く』ことのなかに、よろこびを見出して行きたいのだと思っている。

 

坂爪さんの
自然な流れに任せて奇跡を起こす生き方みたいなものにも惹かれて
ブログ読み始めましたが
最近坂爪さんから自然な
流れプラス
こうしたい!っていう
坂爪さんの
意思を感じることがすごく嬉しいです!!
また以前より
坂爪さんのブログから孤独感みたいな感じが減っていて、
ホッシー
稲村さんやとおるさんを見て納得みたいな。。

 

最後今日の会議の
感想は楽しみながらハワイごちゃまぜのおうち達成してほしいし、
私に出来ることは
頼ってほしいなって思いました!

 

坂爪さんたちが
変化したように
私も会って交流しているうちに
見て満足から
少し役に立ちたいって変化したんだと思います!

 

だからうまく甘えて、役に立たせてくださいね☆


今日はありがとうございました!

 

ティクナットハンは「幸せになる道はない。幸せこそが道である」と言う。幸せになるとか、幸せにならないとか、そういうことはないのだろう。幸せとは『いま、この瞬間』のなかにこそあり、それは『幸せと共に生きる』ことの中にある。なにかを成し遂げたから幸せになるとか、なにかを成し遂げるまでは幸せになれないとか、そういうことではない。幸せとはこの瞬間のなかだけにあるものであり、だからこそ、わたしは『共に笑う』『共に泣く』『共に生きる』ということに、これほどまでの熱情と憧憬を抱いているのだと思う。そして、それが実現されたように感じる瞬間のなかに、言葉にすることのできないほどの大きなよろこびを感じているのだと思う。ひとりきりでも幸せになることはできるだろう。しかし、そのよろこびを誰かと分かち合うことによって、よろこびは何倍にも増幅する。ひとりきりでは感じることのできないよろこびが、自分ひとりだけで囲みこんでいる間には得ることのできないよろこびが、『分かち合う』という行為のなかにはあるのだと思う。

 

お風呂に入ってたら話したいことがいっぱい出てきちゃって、ただいまスクランブルしております。。。。


今日のハワイ会議を受けて、もしわたしが3人の立場だったら、わたしは何をするんだろう、って、ふと思ったんです。

で、結論から言うと、ハワイの方々にも菊名のごちゃまぜの家に来て欲しい!って思ったんです。ごちゃまぜの家を知って欲しいし、体感して欲しい、って。
受け取ることを考えるより、【先にすべてを差し出したい!】って。
わたしたちはこんなにステキなごちゃまぜの家を与えられているのに、それを【循環】させずして、なんだか得ようとばかりしてはいないか、と。

その結果、もし今回のハワイの旅をきっかけに、ごちゃまぜの家を知ってくれて、訪ねてくださる方がいたら、それはなんてステキなんだろう!と✨✨✨
わたしたちがハワイに行くことばかり考えるんじゃなくて、ハワイの方々にも菊名を知ってもらえて来てもらえる、そんな関係になりたい!って、思いました。

だから、わたしだったら、
『ハワイで家や土地を探している』
から、
『日本にこんなところがあるんですが、来てみませんか?』『日本に来るときは是非立ち寄ってください♡』なお誘いをしまくるのかなぁ、って。わたしの大好きなごちゃまぜの家に来て来て!って( ˘ω˘ )♡

それは即効性がないかもだけど、ハワイとの絆や信頼関係を大切にしたい、って思ったらやってもいいことなのかなぁ、って思いました🌈✨✨✨

 

昨日開催されたハワイイ会議を通じて、様々な意見を頂戴した。そのなかで「自分たちがハワイイに求めるだけではなく、ハワイの人々にとってもよいと思ってもらえるような活動になったらいいですね」というご指摘をいただいた。まさにその通りだと思ってこうべを垂れた。そして、自己中心的な思考ばかりを繰り返していた自分を恥じた。自分ひとりで考えていると、どうしても思考や視野の幅が狭くなる。そんななか、いつだって自分の世界を広げてくれたものは『他者の存在』だった。これからの未来を、こうして一緒に考えてくださる方々がいると言う現在の状態に、言い知れない感謝を抱いた。今日はこれから家を建てる。家を建てる練習をする。無謀かもしれないけれどすのこを使って家が作れないものかと、2〜3万円程度で『眠れる小屋』を作れないものかどうかを、実験的に試してみる。ハワイイ出発まであと18日、自分にできること・この瞬間から動き出せるものを見つけては、ひとつひとつ行動に移していきたいと思う。

 

坂爪さんへ

 

今日は、突然お邪魔させていただきましたが、温かく迎えて下さり本当にありがとうございました。

 

あの空間には初めてお会いする方しかいなかったのに、坂爪さんに惹かれて集まった人たちの不思議な一体感が心地よく、まるで昔からの親戚のお家に立ち寄ったかのような安心感があり、私も私らしくいることができました。

 

ごちゃまぜの家に、わたしが目指す世界の縮図を見た気がします。

 

ブログやTwitterの記事の感想など、以前から伝えたいことが沢山あるのですが、今日は、今日感じたことをお伝えしたいと思います。

 

…坂爪さんが道案内に迎えに来て下さった時、私の荷物を見て、優しく『持ちましょうか?』と聞いて下さった時に『大丈夫です。』とお断りしてしまったこと。。

 

あの時、何故坂爪さんの優しい気持ちを素直に『ありがとうございます』と受け取れなかったのか、これが愛を受け取ることができていないということなんだと理解できたのです。

 

人は本当に無意識に物事に対する反応をしているんですよね。愛を与えることは受け取ることよりは容易く、それは、人は誰かのためになりたいと、誰かの役にたちたいと、本能的に思う生き物だから。

 

人が愛を受け取ることが苦手な理由は、愛を受け取ってもらえなかった過去の経験が関係しているのだと、深く知ることができました。

 

坂爪さんが挑戦している生き方は、いかに素直にただ人の愛を受け取ることができるか、だと思ったのです。(稚拙な表現ですみません)

 

これは本当に簡単なようで一番難しく、私たちが人生において挑戦すべき壮大なスケールのことなんですよね。

 

何故なら、また傷つくことが怖いから。愛を受け取るには、過去の傷を乗り越える勇気が必要だからです。

 

坂爪さんから滲み出ている優しさは、貴方が人からの愛を素直に受け取ることを意識して選んできたからなんだと思います。
だから、愛を渡す(表現する)ことも自然にできるようになってきているのでしょうね。(スリッパを用意して下さったこと、わたしの家庭料理を褒めて下さったことなど)
ただ、これらも感覚で生きてきたからこれからは想いを言語化していきたいとおっしゃっていたように、挑戦なのかな?とも感じました。瞬間瞬間を大事にしたい想いが伝わってきました。

 

つまり貴方は過去の自分を超える勇気をもって今を生きている!
本当の強さや優しさは、そこから育つ(築かれる)のだと思います。

 

素晴らしいことです。
貴方の中にキラキラ輝く希望の光を見ました✨✨

 

大丈夫です。
貴方がこの人生で表現したいことは、全て愛に基づいている。そのことに自信を持ってください。

 

だから、ただ自由に楽しんでください。自分に与えられた恵みを生かして笑っていてください。それがみんなに勇気を与えます。

 

坂爪さんの使命は人の期待を背負うことではなく、自分の命を謳歌することですから。

 

…と、ここまで綴って、いま私が貴方へ向けて放った言葉は全て自分へのメッセージでもあることにもう気づいています(笑)

 

一緒にこの世界で愛の循環をしていきましょう☺️🌈

 

またお会いできる日を楽しみにしています💫

 

そうそう、ピンクのチューリップ🌷坂爪さんにお似合いでしたよ。

 

改めて、本日はお料理をさせていただき、ありがとうございました😊🥗ごちそうさまでした。
いろいろ調味料なども使わせていただいたこと感謝致します。

 

まとめ✈
キッチンでワインを乾杯して飲んだのが楽しかったです(笑)
握手もして下さり嬉しかったです♪

 

また!

 

2018年3月21日
雪の春分の日に ◯◯◯◯

 

https://www.instagram.com/p/BgmdGtED4Zh/

大丈夫です。貴方がこの人生で表現したいことは、全て愛に基づいている。そのことに自信を持ってください。だから、ただ自由に楽しんでください。自分に与えられた恵みを生かして笑っていてください。それがみんなに勇気を与えます。坂爪さんの使命は人の期待を背負うことではなく、自分の命を謳歌することですから。#わたり食堂 #終了 #ハワイイ会議 #受け取った言葉 #テイクだけではない #ギブを考える #ハワイイにしてもらいたいことだけではなく #ハワイイにしてあげられることを考える #ハウストレード #交流 #流れ #交わる #小我を超えて #大我に至るまで #意思を掘る #どこまでも深く深く掘り進めた先に #多分 #みんながいる #自分を深く生きるほど #多くの人々とつながることができる

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

お賽銭箱:坂爪圭吾に「もっと生きろ!」という方はこちら
ゆうちょ銀行》※ゆうちょ同士
 10120−54031201 サカツメ ケイゴ 

《ゆうちょ銀行》※他の銀行から 店番号 018 店名 〇一八店(ゼロイチハチ店) 普通 5403120 サカツメ ケイゴ

 

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応援メッセージもこころからお待ちしております。みなさまからのお言葉が、へっぽこりんちょになっている瞬間にどれだけ大きな力になることか・・・簡単な一言だけでもとってもうれしいです。みなさまからの応援をよろしくお願いいたします!!

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今、世界はあたらしい言葉を必要としている。

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春分の日占星術的には「今日が宇宙の元旦」になるそうです。4月7日生まれの私は牡羊座で、今日、春分の日から太陽は牡羊座にはいります。牡羊座は活動宮とも呼ばれていて、この時期は「受け身であることよりも、自発的に動く!自分から動く!」ことが大切になるのだそうです。が、あいにく今日の天気は(関東圏は)雨。雪のような雨が静かに降っています。もしも今日、祝日だけどなにもすることがないという方は以下の音声配信『レインボーアンサーとしてのごちゃまぜの家』をお聴きいただけたら最高にうれしいです。 

 

 

祝日。素晴らしい言葉だ。雨天であれ晴天であれ、常に、我々は神様に祝福されているということを忘れたくないなあと思います。現在、私はテントのなかで暮らしています。テントの中で聞く雨の音は美しく、テントの窓から眺める草花の芽は青々と生命の賛歌を歌っています。生きているといろいろなことがありますが、大前提として「この世は天国。いろいろあるけど総じて天国」なのではないだろうかと、そんなことを考えます。人間は、どうしても目に見えるものを信じる傾向にあるけれど、実際は『信じているものを見ている』のではないだろうかと、それならば、目の前にあるものを変えることはできないけれど『そこに込められている意味ならば、自由に選ぶことができる』のではないだろうかと、信じるという行為に含まれる、あまりにも壮大な自由を感じています。

 

ibaya.hatenablog.com

 

レインボーアンサーという考え方。

音声配信の中で『レインボーアンサー』という言葉を使いました。私は4月9日からハワイイ島に行きます。目的は「誰でも自由に使える家なり土地なりを見つけること」にあるのですが、その奥には、もっと深くてもっと広い意味があるように感じています。ハワイイ島は虹が非常に有名な島です。どれだけ落ち込んでいたとしても、どれだけ悲しいことがあったとしても、誰だって「虹を見た瞬間は元気になれる」ように思います。酷く抽象的な言葉になりますが、多分、わたしは『虹をつくるような生き方』をしたいのだろうなと、一目見ただけで幸せになっちゃうような、うれしくて涙が出てしまうような、そういう出来事をハワイイ島で目撃したいと焦がれているのだと思います。

 

おはようございます✨✨
諏訪はしとしと雨でございます。


ツイキャス聞きましたよ〜♡
わたしは、
○どんなひとが
○何をする
以外に、
○どんな想いや情熱と共に、どんな世界を創りたいのか(ハートな部分)
が知りたいかなぁ、と思いました( ˘ω˘ )♡

そこに共感があると、応援したくなるし、そのひと(たち)を好きになるかもなぁ、と♡
ほっしーさんの言う、夢や希望の部分✨✨✨


ハワイでの圭吾さんの旅。
わたしは、もうすでにたくさんの方々の【はてしない物語】があそこにはあったな、と思っています。
応援メッセージ(応援ストーリー)というかたちで、たくさんのバスチアンを感じることができていました( ˘ω˘ )♡

そこには、
【循環】ってことに自分のストーリーを紡いでいるひともいれば、
【死にたいと思っているならハワイ島に行って欲しい!】に自分を投影しているひともいたり。
その【】が圭吾さんの中にいくつもあって、そこにたくさんの方たちのストーリーが縦に、横に絡み合いながら紡ぎ出されていたなぁ、って。(中島みゆき!笑)


そんな応援ストーリーで参加できてもいいのかもですね🌈✨✨✨

 

昨日、このようなご連絡をいただきました。距離を超えて会話をできることはほんとうにありがたいことです。一言一言が非常にうれしかったのですが、とりわけ『どんな想いや情熱と共に、どんな世界を創りたいのか(ハートな部分)』という言葉に私は強い反応を示しました。どんな世界を創りたいのか。その根底には、どのような想いや情熱があるのか。この部分を、この部分こそを、4月9日の出発の日までに言語化をしていくことこそが、いまの自分に必要なことなのだと思います。

 

もしかしすると、自分と同じようなひとは他にもたくさんいるのではないだろうかと思います。合言葉は『思い』と『アクション』。私の場合は「これまでの受け身的な日々を変えて、自分の意思をしっかりと言語化し、言語化したものを実際的な行動につなげ、バラバラなものをひとつにすること、へたくそでもいいから『自分の思いを熱意とともに伝えること』」が、2018年のテーマになります(太字部分は特に!)。私と同じように、自分の意思を意識しはじめた方々にとって、わたしの人生があなたの人生にも織り重なるような、同時に『あなたの人生がわたしの人生にも織り重なる(あなたのなかにわたしは生きていて、わたしのなかにあなたは生きている)』ような、距離を超えた対話を続けるようなイメージで、これからの日々を過ごしていけたらと思っています。

 

ibaya.hatenablog.com

 

今、世界はあたらしい言葉を必要としている。

今日、これから横浜にあるごちゃまぜの家でわたり食堂【0円食堂】が開催されます。13時頃からはハワイイ会議と称して、お集まりいただいた方々と一緒に作戦会議をする時間を設けました。ひととの会話の中で、言葉は生まれていく。感覚的な話になりますが、今、世界は新しい言葉を必要としているように思います。これまでにない時代を迎えるときは、これまでにないあたらしい言葉が必要になります。既存の言葉ではどうしても補うことのできない部分を、あたらしい言葉は磁場を生み「言葉を通じてあたらしい世界を見せてくれる」働きをします。自分がこれからやろうとしていることに言葉を与えるという行為は、大袈裟ではありますが『自分の活動に命を吹き込む』ものになると思います。

 

私にとって、ごちゃまぜの家は目的ではなく手段になります。その先に『自分が見たいと思う世界』があるのだと思います。それを言語化すること。その世界を描くこと。これが現時点における究極のテーマになります。私の思考はバラバラで、ともするとすぐにてんでんばらばらなことになってしまう。一本一本は細くまとまりもなく見える糸も、つなぎあわせることでひとつの大きな糸になる。いま、自分がやりたいと思うことは『バラバラなものをひとつにすること。自分の中も。自分の外も。そして、ひとつの大きな糸をつくること』なのだと思います。これを、もっと具体的に言語化することが念願であり、その行為を、みなさまの力も借りながらやっていけたらと思っています。

 

昨日、非常にうれしいメールをいただきました。ひととの会話のなかで、言葉は生まれていく。ひとと会おう。思いを語ろう。紙に書こう。絵を描こう。もっと歩こう。もっと踊ろう。もっと眠ろう。いろいろな場所に足を運んで、いろいろな世界をからだのなかに取り入れよう。自分の根本にある思いの部分をしっかりと掘りすすめ、あたらしい言葉を与えよう。その言葉を、その息吹を、そのなかにある熱量を、周囲の人々と共有しよう。リラックスすることのできる時間を忘れないで、焦らずに、慌てずに、楽しむことを忘れないで。僕達のパフォーマンスが一番発揮される瞬間は、肩の力を抜いて、リラックスをしながら楽しむことができているときだということを、忘れないで。

 

圭吾さん こんばんは。
 
不思議なくらいにこころもからだも軽く。
すべての迷いから解き放たれたような、そんな水曜日です。
圭吾さんも柔らかな気持ちで過ごしているといいなあ、と思いながらこのメールを綴っております。
 
レインボーアンサーの話を聞いて。
わたしもよく考えることがあるんです!と伝えたくなってしまいました。
この世界に溢れているあらゆる問題の根っこは実はすべて繋がっていると思っていて。
 
いまの世界ではあちこちで溢れ出した水をすくうことにそれぞれが必死だけど…
そういう対症療法的なアプローチだけでは溢れている水はいつまでも止まらない。
流れを堰き止めているものを発見すること。それを取りのぞくこと。
それこそが溢れたすべての水を止めるために必要なことだと、いつもそう思っています。
 
ちなみに、わたしのなかではそれは「所有」と「多数決」
表面的なものでいえば″貨幣制度″と″選挙制度″なのかな、という感触を得ております。
 
 
きっと。
圭吾さんが導き出そうとしているアンサーは、ひとりひとりの人生に個別に適応される類のものじゃなくて。
もっと集合意識的なもの「人類の長きに渡った苦悩」のような鎖を一気に外そうとするようなもの。
であるのかな、と。わたしのこころにはそのように届きました。
 
 
圭吾さんの存在を知ったとき。とっても嬉しかった!
それと同時に、「わたしが言い出したことなのに…ひとりでやらせてしまっていてごめんね」
と、なぜだかそんなことを感じてしまう自分がいたんです。
 
圭吾さんは不思議なくらい、嬉しいくらいに
わたしがやりたいことをそのままに体現しているひとです。
 
おかしな掟が支配する世界で、うまくやり過ごす新しい(?)方法を語る人は数多いるけれど、
本気で掟を破り捨てようとするひとに初めて出会った。
 
今もずっとその喜びに溢れています。
 
 
同じような明日に挑戦状を叩きつけるようなひと。
そっと笑って掟を破り捨てられる用意のあるひと。
 
多分、わたしが生まれたときから求めているひとのイメージなのです。
 
 
そして、今日。体感として本当に分かったことがもうひとつあって。
 
 
″恋″というものが相手をひとつの関係性の中に閉じ込めようとするこころの動きであるなら、
″愛″とは相手との間に決まった関係性を求めようとしない素直で静かで大きなこころであるのだな、と。
 
そのことをこのからだいっぱいに感じています。
なんて気持ちのいい、広々とした感覚なんだろうと翼が生えて飛んで行ってしまいそうです。笑
 
その瞬間瞬間、相手に伝えたいことをまっすぐつたえること。
そうすることで自然と生まれる空気や関係をそのまま楽しんで受け取ればいいということ。
 
ひととの間にも、出来事との間にも。
ただそれだけなのだと自分のなかが整理されました(*´ω`*)
 
大切なことをたくさん教えてくれたひと。
 
圭吾さんと出会えたことはこれからもずっとずっと宝物です。
本当に本当に、ありがとう♡
 
 
明日のわたり食堂、とっても行ってみたかったけど仕事が入ってしまっていて本当に残念です。
わたり食堂もハワイ会議も実り多い素敵な時間でありますよう╰(*´︶`*)╯♡

 

https://www.instagram.com/p/BgDP_utFTRN/

#hawaii #BillyGyallow #lifeisgood

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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LINE ID ibaya

人間は音符。人生はオーケストラ。

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3月21日(水・祝日)わたり食堂【0円食堂】を開催します。是非、どなた様でもお気軽に遊びにいらしてください。お昼頃からは「ごちゃまぜの家 in ハワイ会議」の時間を設けさせていただきます。ハワイにごちゃまぜの家を作るために、先日までハワイで過ごして来た日々の報告と、来月に向けた作戦会議をお越しいただいたみなさまと共にできたらと思っています。同時進行で『ワンデイ丁稚奉公』なるものの募集もはじまりました。もしよろしければ、ごちゃまぜの家日誌をご覧いただけましたら幸いです。

 

gochamaze.hatenablog.com

 

自分がこれから進む道を決めるとき、頭の声は「あれをしなくちゃ!」とか「これをしなくちゃ!」とか「どうにかしなきゃ!」とか、そんな風に言う。でも、腹の声は違う。それは静かな声で「これをしたい」とささやく。腹の声は、決しておおきな声では叫ばない。ただ、ささやいているだけ。だから、しばしば頭の声にかきけされる。腹の声を聞くためには、頭の声を黙らせること。静かに湧き上がる腹の響きに、じっと、耳を傾けること。そこにあなたの意思がある。そこにあなたの望みがある。これはとても難しいことでもあるけれど、頭の声ではなく、腹の声に耳を傾けていきたいと思う。

 

ibaya.hatenablog.com

 

行き場のない母性と、有り余る愛。

https://www.instagram.com/p/BgVrUxlF7PJ/

ふるさとは、さみしさに恵まれている。 #新潟 #故郷 #さみしさとはなにか #寄り添う力か #さみしいとき #わたしはものを想う #想像の翼が #わたしをここまで運んできた #展望台 #夜景 #隣のひとは言う #灯の数だけ暮らしがあり #灯の数だけ幸せがある #わたしは思う #灯の数だけさみしさがある #幸せの裏に隠された #明るさの裏に隠された #隠されたさみしさに目を向けてしまう #光りたいのだとうずくマグマ #さみしくない #もうさみしくはない #何度も言い聞かせながらまた #これからもさみしさを覚えるのだろう #そのなかで何を掴む #さみしさのなかに詩があり #かなしみのなかに詩がある #そう思って生きてきた #さみしさを歌え #その歌こそが詩になり #その歌こそが命をつなぐ

 

新潟から熱海を経由して横浜に戻る。新潟はわたしの故郷だ。新潟の冬は厳しい。冬の間は晴れることが滅多にない。鬱傾向になる人も多く、忘れたい記憶が「忘れられない記憶」として蘇る。私の中には、常に、さみしさのようなものがある。孤独とも違う、虚無感とも違う、それは『自分はずっとひとりだった』と感じるようなさみしさだ。常夏の楽園などにいると、そのことを忘れていられる。しかし、新潟のような比較的曇天が続く環境のなかに身を置くと、そういったことが蘇る。これは、悪いことではないと思う。このインスタグラムの投稿を見てくれた福岡在住のT様が、こんな言葉を送ってくれた。

 

インスタの、さみしさの詩と大きな木の写真。リンクするなぁと思いました。木は一本として見ると、さみしさを纏っているようにも見えるけど、地下では根っこが絡み合って繋がっているんですよね。

 

人間も意識の下では、そうだろうなと。

 

私や私と似た境遇の女性たちは、一見自分のためだけに生きてるように見られます。
が、自分たちの行き場のない母性をどこに使うか? 有り余る愛を何に向けるか? と考えていたりします。

 

ごちゃまぜの家が多くの人に知られることで、そこに自分のできることを見つける人もいるかもしれない。各地にできたら、ほんとうに素敵ですね。(と思う反面、心にあれば良いんだよね。とも思う。木の根が繋がっているみたいに)

 

実現していく坂爪圭吾さんは
しみじみ、すごいです。

 

今日も佳き一日を🌿

 

自分たちの行き場のない母性という言葉にドキッとした。そして「有り余る愛を何に向けるか?」という問い。この言葉を読んだ時に、なぜ、自分はさみしさという感覚が決して嫌いではないのかが少しわかった。多分、さみしさや悲しみなどと呼ばれている感情は、愛したいように愛せなかった記憶であり、愛されたいように愛されなかった記憶なのだと思う。そのことを思う時、逆説的だけれど「愛は、確かにそこにあった」のだと思う。ただ、適切な形でそれを発露する機会がなかった(機会を失った)だけなのだと、そういうことを思った。私はT様に返信をする。わたり文庫の本を贈ることの約束をする。

 

おはようございます、もちろんどうぞ! お役に立ててうれしいです。

 

ほんとうに、飲み屋でそんな話をしていますよ。Facebook に投稿する友達もいました。

 

フリーランス広報の友達はやっぱり人を育てることだなぁと言って、同じ仕事をする若い人にフリーランスの立場からいろいろ教えようとしています。私は書いて伝えることだなぁと思っています。で、そのためにも詩をたくさん読もうと。あと、ごちゃまぜに協力することも、やりたいことです😊

 

本、ありがとうございます! 楽しみです。今日もがんばろう〜🌸

 

私たちは、いったい、なんのために生きているのだろうか。

 

伴走者

岩崎航さんという詩人がいる。現在、仙台で生活を続けている岩崎さんは筋ジストロフィーという病気を患い、24時間誰かの介護がなければ生きていくことができない。17歳の頃には自殺も考えたが思いとどまり、25歳から詩を書くようになる。2004年に『五行歌』と呼ばれる詩の形式に出会い、現在も様々な作品を生み出している。誰かのサポートがなければ生きていくことができない。誰かのサポートがあるからこそ、自分は生きていくことができる。そんな岩崎さんの作品に、以下のようなものがある。

 

ぼく自身も

誰かの伴走者となって

はじめて

完走できると

思うのだ 

 

この詩をはじめて知った時は、震えるような感動を覚えた。ただ、受けているだけでは足りない。自分も与える側の人間になれてこそ、誰かを支え得る存在になってこそ、同じ時代を誰かと共に走っているのだという実感があってこそ、はじめて生きている実感を得ることができるのだと、そして「この生涯を走り抜くための勇気」を得ることができるのだと、そういうことを思った。たとえ、寝たきりの状態を余儀なくされたとしても「誰かの伴走者になることはできる」のだという希望を、岩崎さんの生き様は与えてくれる。その著作『点滴ポール』のなかに、以下のような言葉がある。

 

生き抜くという旗印

 

かつて僕は、自分で自分の命を絶とうと思ったことがある。
十七歳のときだった。
前途には何の希望もないように思えた。
家人のいない、ある午後、目の前にナイフがあった。
これですべてが楽になるのかなあと、ふと考えた。涙が止めどなく溢れた。

 

けれども、僕は「生きる」ことにした。
それは、嵐にこぎ出す、航海の始まりのようでもあった。
まもなく、座れなくなった。
おいしいご飯も食べられなくなった。
一年間に家の外に出たのが二回だけという年もあった。
人が怖くなったときもあった。
いったい自分が本当は、何を考えているのか分からなくなった。
青春時代を、抉りとられた。
母親を号泣させた。
父親と激突した。
若者らしく友達とバカ騒ぎをして過ごすということもできなかった。
やがて、ベッドで寝たきりの生活になった。
吐き気地獄で、気が狂いそうになった。
自分の若い人生を、余生だとしか考えられなくなった。
ずっと呼吸器を付けるようになった。
今まで恋愛とも無縁だった。
これらを、「生きる」ことで味わってきた。

 

あれからさらに二十年の歳月が経ち、僕は今、三十七歳になった。
病状は、一層進んだ。
あまりにも多くのことを喪った。
思うことはたくさんある。
僕は立って歩きたい。
風を切って走りたい。
箸で、自分で口からご飯を食べたい。
呼吸器なしで、思いきり心地よく息を吸いたい。

 

でも、それができていた子どもの頃に戻りたいとは思わない。多く失ったこともあるけれど、今のほうが断然いい。
大人になった今、悩みは増えたし深くもなった。生きることが辛いときも多い。
でも「今」を人間らしく生きている自分が好きだ。
絶望のなかで見いだした希望、苦悶の先につかみ取った「今」が、自分にとって一番の時だ。そう心から思えていることは、幸福だと感じている。

 

授かった大切な命を、最後まで生き抜く。
そのなかで間断なく起こってくる悩みと闘いながら生き続けていく。
生きることは本来、うれしいことだ、たのしいことだ、こころ温かくつながっていくことだと、そう信じている。
闘い続けるのは、まさに「今」を人間らしく生きるためだ。

 

生き抜くという旗印は、一人一人が持っている。
僕は、僕のこの旗をなびかせていく。

 

岩崎航『点滴ポール』【ナナロク社】

 

岩崎さんは『五行歌』という詩の形式を与えられることで、自身の精神性や愛を発露する機会を与えられた。わたしは、これまで「自由とはなににも縛られないこと」だと思っていた。が、少し違うみたいだ。五行歌や俳句や短歌に形式があるように、与えられた制約があるからこそ『そのなかで発揮される精神性や愛』があるのだと思う。あらゆることを自由にやっていいという状態では発揮されることのなかった精神性が、愛が、与えられた制約の中で『いまだかつてなく踊り湧き上がる』ことがある。これはものすごいことだと思う。人間として生まれた以上、私たちには様々な制約がある。空を飛ぶこともできないし、テレパシーを使うこともできない。酸素がなければ生きていけないし、生老病死から逃れることもできない。しかし、制約があるから不自由なのではなく、制約があるからこそ『私達は自由だ』と、そんな風に言えるのではないだろうか。

 

人間は音符。人生はオーケストラ。

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マヤ語の挨拶にインラケチ【INLAKECH】という言葉がある。INは「私」、LAKは「別の」、ECHは「あなた」という意味になり、直訳すると「わたしはもうひとりのあなたです(あなたはもうひとりのわたしです)」という意味になる。この言葉を知った時は、ああ、ものすごい考え方があったものだなあと感動をした。最近、頻繁に感じることがある。あなたは私の代わりに生きていて、私はあなたの代わりに生きている。ひとりひとりが別々の命を生きているのではなく、ひとつの大きな命を生きている。この「ひとつの大きな命を生きている」という感覚が、現在の自分を支える精神的な拠り所になっているように思う。

 

私は、いま、たまたま与えられた時間や環境があるからこそ「いろいろな場所にごちゃまぜの家(誰でも自由に使える場所)をつくりたい」という思いを行動に移すことができる。これは、自分のためだけにやっていることではなく、自分以外のひとのため【自分と似た思いを抱いているひとのため】にも、与えられている役割のようなものではないだろうかと、そんな風に感じることがある。ひとにはそれぞれの制約がある。それをしたいと思うからといって、すぐにはできない事情がある。逆に言えば、わたしは会社員でもなければ両親の介護をしている訳でもないから、会社で働くという体験や、両親の介護をするという体験をすることはできない。おのおのがおのおのの環境の中で、与えられた役割を務めあげるということ。そのことのなかに、自分のためだけではなく「誰かの代わりに生きているのだ」と思えるような実感や手応えがあれば、日々は、より一層の広がりと共に活き活きと輝きにあふれたものになるのではないだろうか。

 

ひとりひとりが別々の命を生きているのではなく、ひとつの大きな命を生きているということ。あなたはもうひとりのわたしであり、わたしはもうひとりのあなたであるということ。あなたはわたしの代わりに生きていて、わたしはあなたの代わりに生きているということ。そのことを深く認識できたとき、きっと、真の意味での孤独は消える。与えられた役割のなかで、与えられた環境のなかで、与えられた制約のなかで、ただ、自分は自分の歌をうたうということ。生きるということは、多分、そういうことだ。他の誰のものでもない、自分は自分の歌をうたうことだ。張り倒されても、絶望に打ちひしがれても、それでもなお『自分の歌をうたい続ける』ことだ。あなたの生命を賭してうたいあげようとするその音楽が、その勇気が、その生き様が、他と切り離されたものとしてではない、ひとつの大きな命から湧き上がる『人類共通の宝』になるのだと思う。

 

坂爪さま

いつもピッタンコのメッセージ
ありがとうございます!

1年半の休職のあと
11月16日に復職したものの
3月12日に
また会社に行けなくなってしまいました。

親切な会社の同僚が
理由を訊ねてくれたので
一所懸命答えたのですが
なんとも大事な肝が伝わらず

みんなが普通に出来てることが
どうしてもできない。私はダメなのだ。
うまくやれない自分はダメだ。
という方に傾きがちになっていたところ

毎日の
坂爪さんの言葉で
はっ!(゜ロ゜)となり
なんとか自分の中心を保っている私です。

どうしたい?とかどうなりたい?という質問が一番苦手で

ソレガナイトダメナノダロウカ??と思いがちな自分ですが

会社に行けなくなる前に
友達と電話で話していて
ふと
私は坂爪さんのような生き方がしたいのだ、と思っていることに気づきました。

自分のやりたいことの純度をひたすら上げる生き方。
その結果として、周りの人の心が動く。
それを狙っているわけではないのだけれど、、、

私は優しい社会、住みやすい社会
生きることに安心できる社会を創りたい。

その私の姿を見て
自分のやりたいままに生き
発言し
そして違いを許容できる人が増えていったらいいなぁと
妄想している日没時です。

なぜか
坂爪さんにメールしたくなったので
してしまいました。

いつも私を中心に戻してくださって
ありがとうございます。
坂爪さんの美しい瞳がいつまでも輝く日々でありますように。

○○○○○

 

https://www.instagram.com/p/BgXxk9VFC5c/

焦らず、慌てず、楽しんで。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

お賽銭箱:坂爪圭吾に「もっと生きろ!」という方はこちら
ゆうちょ銀行》※ゆうちょ同士
 10120−54031201 サカツメ ケイゴ 

《ゆうちょ銀行》※他の銀行から 店番号 018 店名 〇一八店(ゼロイチハチ店) 普通 5403120 サカツメ ケイゴ

 

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応援メッセージもこころからお待ちしております。みなさまからのお言葉が、へっぽこりんちょになっている瞬間にどれだけ大きな力になることか・・・簡単な一言だけでもとってもうれしいです。みなさまからの応援をよろしくお願いいたします!!

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LINE ID ibaya

恐れながらでもいい、進め。

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突然ですが質問です。もしも、あなただけが「明日からおかね【money】がまったくの価値を失い、ただの紙切れになってしまう」ことを知ってしまったとしたら、いま、手元にある紙幣をなにに変えたいと思いますか??唐突すぎる質問ではありますが・・・ひとによっては『家』と答えるひともいると思います。あるいは『水や食料』と答えるひともいると思います。またまた、モノは必ず尽きるときが来るからと『畑』とか『航空券』とか『南国の土地』なんてものに変えるひともいるかもしれません。さて、あなただったらおかねをなにに変えたいと思いますか??

 

ホワイトデー特別企画「OHANAをあげる」開催中です! #niigata #uchino #OHANAをあげる #ご希望されるみなさまにもちろん無料でお花をお届けさせていただくことを通じてオハナになることを目指す企画 #オハナとはハワイ語で家族 #血の繋がりの関係はないとのこと #連絡先はLINEIDibaya #イベントの趣旨をしっかりと伝えることに失敗をしてしまいました #ルパン感 #新潟もようやくあたたかくなりました #春ですね #海 #流木 #くるみ #漂着物 #海ゴルフ #流木でくるみをゴルフボール代わりにして遊ぶ遊び #これが意外と物凄い楽し#ラウンドワン #有料 #海ゴルフ #無料 #流木を掘って器を作る #晴れた日はできるだけ外にいたいですよね #OHANAをあげる #呼ばれた場所まで直接伺いますので新潟在住の方々はよろしくお願い申し上げます!!

 

坂爪圭吾は、おかねをおはなに変えたいと思いました。とか言うと綺麗事マックスに聞こえるかもしれませんが、昨日、ホワイトデー企画として能動的におはなを配りながら「これはあながちナンセンスなことではないぞ・・・!」と思いました。普通、どうしたって人間的な考え方とすれば『どうすれば自分や自分の大切なひとたちが生き延びることができるか』的な考え方をするものだと思います。自分自身にも、そういった部分は多分にあります。だからこそ、お金を家や食料や生活に必要なものに変えたいのだと思います。が、お花を配りながら感じることは莫大で、うまく言葉にできないのですが『自分のために生きるより、ひととのつながりを強固にするものにお金や時間を使った方が、結果的に豊かな人生を過ごせるのではないだろうか』ということを思いました。

 

ibaya.hatenablog.com

 

天国にも、地獄にもなる。

天国と地獄は同じ場所にあるというたとえ話があります。それは、このような物語でした。4人の男女が食卓を囲んでいます。食卓の上には、それはそれは豪華な食事が並んでいます。しかし、4人の男女の指先には、ものすごい長さのおはしが括り付けられて固定されている状態になります。これは地獄も天国も同じです。が、そのあとの状況がまったく変わります。地獄では、誰もがその長いおはしを使ってどうにかこうにか料理を食べようとみんなもがくのですが、あまりにもおはしが長いものですから、誰ひとりとして自分の口まで料理をまともに運ぶことができません。誰もかれもが苛立ちを覚え、癇癪を起こし、最終的には食卓をひっくり返して料理もなにもかもを台無しにしてしまいます。

 

天国も、指先におはしが固定されている点は同じです。しかし、そこにいる誰もがみんな朗らかな様子で料理を楽しんでいます。なぜか。それは『自分のおはしを使って、互いに食べさせあっていたから』です。地獄とは、とにかく自分が食べることだけを考えているひとたちの集団です。天国とは、互いに食べさせあっているひとたちの集団です。どうしてなのでしょうか、私は、新潟市内在住の方におはなを届けるために昨日車を走らせていたとき、この『天国と地獄』の話を謎に思い出していました。そして、ああ、いつの間にか自分自身も地獄の思考をしていたのだということを思いました。

 

できることなら天国で暮らしたい。と思っていたら、露骨に道を譲ってもらいたがっている車を見つけました。私は、こんなことを考えていたものですから「どうぞ、どうぞ」と言わんばかりに、車に道を譲りました。すると、その車の運転手さんは「え、いいのですか、生きているとこんなことってあるんですね!」と言わんばかりのよろこびの笑みを全面にたたえた後にハザードランプで『サンキュー』の合図を贈ってくれました。たったこれだけのことなのですが、いいことをすると心に爽やかな風が吹きます。運転中、急いでいるときなどは「また赤信号!もう!ふぎゃー!」とか「前の車遅いなあ!蹴散らせい!」などと感じることがあります。が、精神的に余裕があるときは、このようなよろこびに触れることができるのは誰にだって経験されたことのあることだと思います。

 

地獄とは、自分が食べることだけを考えているひとたちの集団である。

この言葉、すごい言葉だと思います。ドキッとする言葉だと思います。いまを生きる私たちは、あれ、いつの間にか『どう生きるか』とか『どうやって食っていくか』などという問いを日常的に発するようになりました。でも、冷静に考えてみると「あれ、これって地獄の思考じゃないか??」と思いました。自分の損得を優先して、他人の損得を後回しにする。それが得になる道だと、それが幸せになる道だと誰もが思い込まされている節があります。が、実際にお得感を感じる瞬間は少ない。実際に幸せを感じる瞬間は少ない。実際に生きていることのよろこびを感じる瞬間は少ない。どことなく日々のなかで自分をすり減らしている感覚、自分のなかにある大事ななにかがやせ細っていくような感覚だけが積み重なり、気が付いたときには「殺伐とした」世の中になっていたり、徐々にギスギスとした雰囲気が醸成をされてしまうようになってしまいました。

 

これは綺麗事かもしれません。しかし、料理を例に考えてみると、あながち間違いではないようにも思います。自分のためだけにつくる料理は、なかなか力が入らない。納豆だけで済ませてしまうこともある。しかし、誰かのために料理を作る機会を与えられた瞬間、俄然力がはいる。これはもちろん自己犠牲的な意味での奉仕ではなく「奉仕をする対象を得ることによって、自分の中にある潜在的な力が引き出される」という経験は、誰もが持っているものだと思います。大事なことだと思うので繰り返し言います。奉仕をする対象を得ることによって、自分の中にある潜在的な力が引き出されるという経験は、誰もが持っているものだと思います。坂爪圭吾は思います。いま、重要な問いは『どう生きるか』とか『どうやって食っていくか』という自分本位的なものではなく、真の意味で『奉仕の対象を見つけること』なのだと思います。言い換えるならば『生かしたいと思うひとを生かすために生きる道を見つける』ことなのだと思います。生きることを投げ出してしまいたくなる瞬間は誰にでもあると思いますが、それでもなお、大事なことは『自分のために生きることと、誰かのために生きることが、同一線上にある道を見つけ出す(それがなければ作り出す)こと』なのだと思います。

 

我々の活動は根本的にギャグや駄洒落でやっているところが多大にありまして、おはなを配るという営みは「OHANAを配る(OHANAに還る)」ことでもあるのだと無理矢理にこじつけ、ハワイイ帰りのこれみよがしな南風を吹かせながら昨日は新潟市内で実際におはなを配らせていただきました。OHANAとは、ハワイ語で『家族』です。これは英語のファミリーとはちょっと違って、血縁関係のないひとも含んだ広い意味における『家族』という意味の言葉になります。家族間で問題を抱えているひとはたっくさんいます。家族とはなんなのでしょうか。2018年、最重要テーマは家族であると言っても過言ではないのだと思います(過言)。おはなを配ることによって、わたしもあなたも家族みたいなものじゃないですかと、困った時はいつでも支え合っていきましょう的なコネクションを再認識するための機会になれば(などと言っておりますが、ただ、OHANAをあげるという駄洒落を言うためだけにやった)と願いつつ、昨日も日が暮れました。

 

https://www.instagram.com/p/BgTPptrlOrm/

OHANAをあげる。 #BillyGyallow #lifeisgood #OHANA #家族 #ホワイトデー #niigata #GOCHAMAZEnoIE #新潟にもごちゃまぜの家を作ってくださいと言っていただく #元気をいただく #どこに作ればいいのか #どのように作ればいいのか #試行錯誤の日々は続く #こうしてみなさまと直々に話せることのよろこび #お母様方は妊娠中や子育て中は動けない #私の代わりに生きてくださいと言われる #身が引き締まる思い #真の意思とはなにか #それはきっと柔らかいもの #それはきっとたおやかなもの #真の意思を生きるとき #すべては味方をしてくれるものだ #自分がいまここにあることを想う #なかなかうまく馴染むことができなかった故郷と少しずつ和解ができている感覚になれたことがとても嬉しかったです。

 

わたり文庫『倚りかからず』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、茨木のり子著作『倚りかからず』です。こちらの本、先日、大阪でおはなをお渡しさせていただいた方から「わたしの大好きな本です」とお譲りいただいた一冊になります。おはなを配る側の身でありながら、みなさまから本当にたくさんのものをいただいている不思議。交換より循環を標榜している身として、今後とも循環活動(?)に精を出して参ります。そして「交換だけの世の中じゃなく、循環だけの世の中でもない、交換と循環の心地よいバランスを見出す」ことができたらなどと思っております。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、福岡県にわたりました ※※※

 

マザー・テレサの瞳」

 

マザー・テレサの瞳は

時に

猛禽類のように鋭く怖いようだった

 

マザー・テレサの瞳は

時に

やさしさの極北を示してもいた

二つの異なるものが融けあって

妖しい光を湛えていた

静かなる狂とでも呼びたいもの

静かなる狂でなくして

インドでの徒労に近い献身が果たせただろうか

マザー・テレサの瞳は

クリスチャンでもない私のどこかに棲みついて

じっとこちらを凝視したり

またたいたりして

中途半端なやさしさを撃ってくる!

 

鷹の目は見抜いた

日本は貧しい国であると

慈愛の目は救いあげた

垢だらけの瀕死の病人を

ー なぜこんなことをしてくれるのですか

ー あなたを愛しているからですよ

愛しているという一語の錨のような重たさ

 

自分を無にすることができれば

かくも豊饒なものがなだれこむのか

さらに無限に豊饒なものを溢れさせることができるのか

こちらは逆立ちしてもできっこないので

呆然となる

 

たった二枚のサリーを洗いつつ

取ってか引っかえ着て

顔には深い皺を刻み

背丈は縮んでしまったけれど

八十六歳の老女はまたなく美しかった

二十世紀の逆説を生き抜いた生涯

 

外科手術の必要な者に

ただ繃帯を巻いて歩いただけだと批判する人は

知らないのだ

瀕死の病人をひたすら撫でさするだけの

慰藉の意味を

死にゆくひとのかたわらにただ寄り添って

手を握りつづけることの意味を

 

ー 言葉が多すぎます

といって一九九七年

その人は去った

 

茨木のり子『倚りかからず』【ちくま文庫

 

真の意思を生きるとき、すべては味方をしてくれるものだ。

明日には横浜にあるごちゃまぜの家に戻り、4月から再度足を運ぶハワイイ島における『身の振り方』を腰を据えて考えます。ハワイイ島にいく目的はごちゃまぜの家をつくることです。しかしまだ、なにもあてはない状態になります。もしも「ハワイイ島で動くなら○○をするといいよ!」などのアイデアをお持ちの方がいらっしゃいましたら、お気軽にご連絡をいただけましたら幸いです。同時進行で、横浜の家のレベルアップにも勤めて参ります。新潟や大阪にも作りたいと思っています。また、これはまだ未定ですが「ごちゃまぜの家を(真の意味での)NPO法人として組織化する」ことも考慮をしています。この辺りのことはあまりにも門外漢すぎてわからないことばかりになるで、NPO活動などに精通している方がおりましたらお力を貸していただけたらうれしいです。

 

 

昨日、新潟でお会いした子育て中のお母さんN様から心に染みるご意見をいただきました。N様は言います。昔はみんなでこどもを育てていたのがきっと普通で、両親だけでこどもを育てなくちゃいけないってなったのは歴史の浅いものだと思うんです。みんなで育てられる土壌は必要だし、新潟にもごちゃまぜの家をつくってください。育児中はとにかく孤独に追い込まれます。友達をつくるスキルに恵まれているひとはいいけれど、そうじゃないひとは本当に大変。周囲からアドバイスをされても、それを聞けないくらいに元気を消耗しているひとはたくさんいる。だからこそ『ここにいる限り安心していられる』っていう場所が必要になるんだと思うんです。新潟のひとはシャイな人が多いから、自分の気持ちをなかなか表にあらわしたりはできない。でも、さかつめさんのように「実際にやるひと」があらわれたら、きっと共感をしてくれるひとたちはたくさんいます。誰かがやることで「自分も同じことを思っていた!」って動き出すひとは、きっとたくさんいるのだと思います。

 

 

2018年の合言葉はチームプレー。次回の奇跡は、自分ひとりの力で起こすものではなく「チームプレーで複数で起こるもの」になります。そのためには、みんなの力が必要になります。自力本願だけでもなく、他力本願だけでもない。気晴らしとしての道ではなく、ごまかすための道でもない、自分の中にある『真の意思』を掴み取り、真の意思を生きるということ。「お前はほんとうはなにをやりたいんだ?」という世界からの問いに向かって、真摯に、誠実に、真っ向勝負で応えつくそうとするその態度、その生き様こそが波及を生み、新しい世界へとつながっていくのだと思います。真の意思とはなにか。それはきっと柔らかなもの。それはきっとたおやかなもの。恐れずに進みなさい。恐れながらでもいい、進みなさい。真の意思を生きるとき、きっと、あらゆるものは味方をしてくれるものになるのだと思います。

 

 

圭吾君、今日は久しぶりに会えて嬉しかったです。

なんだか心にすっと風が通った感じ。
声を掛けてもらえて本当に良かった。

 

くれぐれも体には気をつけて、思う存分生きて下さいね。

私は、頭と感情を、もっとシンプルにしようと思いました。

 

それではまた、いつかどこかで。

 

会いたくなったら、今度はこちらから声を掛けますね!

 

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今日、圭吾君の纏う雰囲気や気配が以前と違っているような気がして、1日考えていて、ああ、と思い至ったのでメッセージしました。
深夜にごめんなさい。

 

今の圭吾君の気配は、野生の獣を彷彿させます。

野生の獣は、自分の置かれた環境で、持てる感覚や能力を研ぎ澄まして生を全うするでしょう?
その生きることへのひたむきな純粋さはとても美しいと思うんです。

 

私はいつも圭吾君を前にすると、この人の前で自分を取り繕ったり嘘をついても意味ないなと思うのだけど、今日はその気持ちをいつもより強く感じたので、本音の部分のなんだかうまくまとまらない言葉が多かったと思います。ごめん。

 

でも、余計なものを削ぎ取った野生の獣のような気配は、峻烈な美しさに満ちていました。とても稀有なことだと思います。

 

街中で、野生の動物に遭遇したような不思議な時間でした。
今日は圭吾君からとてつもなく多くのものをもらったような気がします。

 

ありがとう。

 

 

さかつめけいごさま


*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*


お花、とってもうれしいです✨✨✨

ありがとうございました\(^o^)/



一昨日、誕生日プレゼントにって、花束💐を持ったケロちゃんが宮崎の友人から送られてきました✨✨✨

今朝は、さかつめさんから花束💐を頂いて、うれしさ溢れてます✨✨✨


おかげさまで、今日も素晴らしい一日になりました💓

さかつめさんも、どうぞ素晴らしい一日をお過ごし下さいね✨✨✨

 

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OHANAに「かえる」

 

新潟のハワイに来ました! #niigata #hawaii #kakuda #BillyGyallow #昔の住処 #故郷 #真のただいま #野営 #ブッシュクラフト #漂着物で生活をする #ヒュッゲ #あの頃は楽しかった #遊びに来てくれるひとが本とか食材とか持ってきてくれた #坂口安吾 #堕落論 #名前が似てる #坂爪圭吾 #事務処理からの逃避行 #昔いばやという名前の会社をやっていました #その頃は金がなかったので #海の空き地や #滝の空き地や #洞窟の空き地を見つけては #今日からここがおれたちのオフィスねと #勝手に事務所として使ってました #県外からのゲストを招き #バーナーでお湯を沸かし #珈琲を淹れる #夕日を眺め #焚き火をしながらミーティングをする #会議はまったくはかどらず #ただ #いい感じの時間だけが流れる #やがて会社は倒産をして #現在に至る #またやばくなったときは #ここに来たらいい #なにもかも失ったときは #ここに来たらいい #俺のおっさん岩 #lifeisgood #みなさまにとっても今日が素晴らしい1日になりますよーに!!

 

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

お賽銭箱:坂爪圭吾に「もっと生きろ!」という方はこちら
ゆうちょ銀行》※ゆうちょ同士
 10120−54031201 サカツメ ケイゴ 

《ゆうちょ銀行》※他の銀行から 店番号 018 店名 〇一八店(ゼロイチハチ店) 普通 5403120 サカツメ ケイゴ

 

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嫌われてもいい。不快感を与えてもいい。

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関西空港から新潟に飛ぶ。飛行時間は1時間。あっという間に新潟に着いた。料金は往復一万円もかからない。安い時期なら片道2千円程度だ。横浜から関空に行くより、新潟から関空に飛ぶほうが安い。早い。便利だ。なんだこれはとびっくりした。4月9日から関空経由でハワイに行く。ハワイまでの航空券は往復2万円。横浜からハワイに行くより、新潟からハワイに行くほうが安く、早く、便利だ。ハワイだけではなく、新潟や大阪にもごちゃまぜの家【誰でも自由に立ち寄ることができる飲食・宿泊無料の空間】を作れないものだろうかと思いを巡らせていたら、あっという間に新潟に着いた。

 

 

現在は新潟市内にいる。なぜ新潟にいるのか。これは最高の奇跡に恵まれたからになる。確定申告諸々の提出期限が迫り、死にかけていたわたしのもとに「さかつめさん…さかつめさん…」と神様の声が届く。神様とは新潟市在住の税理士様のことで、神様いわく「さかつめさん…さかつめさん…どうせこういったことはお苦手なんでしょう…わたしたちが力を貸しますから遠慮なくお声がけください…」とのこと。昨日、実際にお会いをさせていただいて度肝を抜かれた。自分ひとりではなにから手をつけたらいいのかまったくわからなかった諸々を、プロ集団の方々があっという間に片付けてくれた。瞬間芸だった。半端なく格好良かった。絶対に大丈夫だから安心をしてくださいと言われた瞬間、泣いた。多分、和室だったら土下座をしていたと思う。が、会議室は洋室だったためにさげうる限りの頭をさげて、最大限の感謝の気持ちを表現して部屋を出た。空は晴れている。新潟にしては珍しいことだ。祝福をされていると思った。刑期を終えた囚人の気持ちは、もしかしたらこんな気持ちなのかななんてちょっと思った。

 

ibaya.hatenablog.com

 

ちゃんとしなさいの「ちゃんと」とはなにか。

みなさまによって生かされている。そのことを強烈に実感する。自分にできるせめてもの恩返しは、ただ、自分にできることを精一杯にやるだけだ。そんなことを思いながら「ハワイにごちゃまぜの家を!誰でも自由に使える無料の空間を!」と動き続けていたのだけれど、なかなかどうして自分の思いを伝えることは難しい。昨日、久しぶりに「ちゃんとしなさい」と説教を受けた。その方から見れば、わたしのような人間は『現実逃避のようにボランティア活動(ごちゃまぜの家のこと)に専念をするよりも、普通の仕事を探し、普通の収入を得て、普通の家庭を築くこと。夢を語るのはその後だ』的に見えたのだと思う。説教をしたいポイントが無限にある人間に見えたのだと思う。

 

 

久しぶりに「ちゃんとしなさい」と言われて、なんだかとっても懐かしい気持ちになった。そういえば昔はこういうことを幾度も言われまくってきたなあと思い出した。家のない生活をしていた頃も「そんな生き方は無理だよ」と5億回は言われた。が、実際にやってみたら物凄いできた。諦めないで良かったと思うと同時に、ああ、実際にやったことがあって無理だと言うひとよりも、実際にやったことはないけど無理だと言うひとの方が多いのだなあと思った。お前の考えは甘過ぎる。そんな風に言われることもある。が、わたしは甘いものが好きなのだ。甘いチョコとか、甘いキスとか、甘い時間とか。

 

 

昨日、大学院生の女性S様が福井県から車を飛ばして新潟まで遊びにきてくれた。衝動的に、いま、さかつめさんに会わなければいけない気がして…!とのこと、その勢いは大変に素晴らしいなあと思って3時間程度みんなで一緒に時間を過ごした。ものすごい礼儀正しく言葉遣いも丁寧で「圧倒的にちゃんとしている」風の彼女に、しかし、わたしはなんとなく「全体的にカタイ気がする!」印象を受けたから質問をした。S様は、ちゃんとしていますか???、と。S様は答える。自分では違うと思っているのですが、周りからはちゃんとしているって思われることは多いです。と。私は感想を伝えた。ああ、なんだかそれはつらいかもしれないですね、と。S様はこわばった表情を少しだけほぐして「はい、そうですね」と笑顔を浮かべた。

 

twitcasting.tv

 

大事なことは、自分の気持ちを伝えることだ。

生きる上での最優先事項を「ひとから嫌われないこと」とか「ひとを不快な気持ちにさせないこと」に設定をした途端、あっという間に人生は重く息苦しいものになる。私は思う。「ちゃんとしなくちゃ!」という呪縛に囚われて、自分の気持ちを伝えること・自分の思いを実現することよりも先に「周囲に不快感を与えないこと」が優先をされてしまい、結果的に自分の気持ちが後回しになる。やさしさは素敵なことだ。思いやりも素敵なことだ。しかし、相手の気持ちばかりを優先してしまうと、最悪の場合は『自分を見失う』ことになる。誰のために、なんのために生きているのかがわからなくなる。

 

はじめまして。
いつもブログを拝見させてもらっているわけではなく、フォロワーさんのリツイートで坂爪さんのブログをたまたま見つけて直後連絡したくなって今させてもらっています!ブログを読んで心にグッとくる、共感するようなことが多く自分の気持ちを伝えたくなりました。

 

小さい時から親に将来何になりたいの?と言われると
職業としてコレ!とかがなく、人のためになることとかボランティアがしたいって思っていました。ボランティア!というと親にはそれでは生きていけないよ〜と笑って流されていましたが、小さいながらにそんな生き方があってもいいじゃない?って疑問に思っていました。

 

現在私は、バスケットボールの選手として生活しています。しかし絶対にこの道に進みたくて進みたくてたまらなかったわけではなく、いろんな出会いやバスケが好きな気持ちや負けず嫌いな性格などいろんな偶然が重なって今に至っております。
昨シーズンまでは、うまい言い方が見つかりませんが坂爪さんのお言葉をお借りするならば他人に身を委ねるような生き方をして来ました。この会社に入ったのも、会社側からお誘いをいただき、その流れで入社させていただきました。それはその後の競技中でもそれ以外の生活でもそうでした。

 

しかし、今年からは自分の中から湧き出る それは本当に自分の意思なの!?

 

本当はどうしたいの!?

 

という自分の気持ちを大事にしたい欲が大きくなり、色々な決断を(日々の中にある、とてつもなく小さな決断がほとんどを占めますが。)自分の意思でそう思ったんだ。と一度確認してから行動するようになりました。
すると、今の私ちゃんと自分の人生を生きられている、と実感することが多くなり、今まで持ったことのない自己肯定感というようなものを少しばかりですが感じることができるようになりました。

 

これまでは私の中で家族の存在が大きく、家族が喜ぶ方、こっちの方が迷惑がかからないだろう、と物事を進めて来たように思います。
でも需要に応えようとする生活に疲れてしまったというか、楽しさを見出せなくなりました。家族も大事だけど

 

自分がどうしたい、どう生きたい、どう死にたい、1人の人間としてどうありたいかを大切に生きていきたいと今は思っています。
まだ、今後どうしていくか明確な答えは持っていませんが、いろんな人の手を借りて、自分の気持ちを大切にして、笑顔で終われるようなそんな人生を歩みたいと思っています。

 

坂爪さんのブログまた読みに行かせてもらいます。

 

どうぞお身体に気をつけてください!どこかでお会いできたら幸せです。

 

私は思う。大事なことは、ひとから嫌われないことではなく『自分の気持ちを伝えること』ではないだろうか。学校にいくとき、仕事にいくとき、誰かと出会って話すとき、嫌われないこととか不快感を与えないことを最優先事項にしてしまってはいけないのだと思う。嫌われないこと。大事なことだ。不快感を与えないこと。大事なことだ。しかし、それよりも大事なことは「自分の気持ちを伝えること」だとわたしは思う。もしかしたら、その過程のなかで誰かを傷つけてしまうこともあるかもしれない。誰かに不快感を与えてしまうこともあるかもしれない。そのことを承知の上で、できる限りの誠意をもって、自分の思いを伝えること。これこそが、人間関係の真髄ではないだろうか。自分を取り繕って生きるのではなく、気を遣い過ぎて自滅をするのではなく、互いにぶつかり合いながら最終的には甘く(甘く!)溶け合うための営み。それこそを私は『対話』と呼びたいし、それこそをわたしは『真の意味でのコミュニケーション』と呼びたいと思う。

 

 

坂爪さん、初めまして!

 

坂爪さんのFacebookの投稿を見てまして🌸
今までの私の考え方を打ち砕く事を言われるなぁと思い、生きるのにしんどい時、坂爪さんの言葉が、私の気持ちを楽にしてくれることが何度もありました。

 

ありがとうございます。

 

今回、「真面目すぎる。」の投稿を見まして、(坂爪さんが、LINEで来た方のメッセージ内容を載せていたのを見て)LINE送りたい✨伝えたい✨気持ちに素直になってみました。

 

真面目になりすぎる。
楽しむ事を忘れている。

 

のは、私もハッとする言葉で。

 

今まではその後自己否定してばかりだったのですが。
今回は違いました。

 

坂爪さんの言葉を読んで思い浮かんだのは、仕事のこと。
業務は、1日にやるべき事として決められてるのですが、それがルーティンで繰り返されると、「何故それが必要だったのか」が分からなくなり、その日にやるべき事をやれなかった時最高に落ち込んだり自分を責めるんです。もしくは、「その日出来なくても次の日やれば良いんだよー!」と周りの方に励まされる言葉も素直に受け取れず。モヤモヤが続いておりました。

 

しかし、悩んでいる頭とは別のところから声が聞こえて、やるべき事をやる時に、それをやりたい理由や気持ちが抜けて居た事に気がついたんです!!!

 

(具体的に申しますと、今介護の仕事をしておりまして。毎日入居者様の部屋の掃除をする、と業務で決まってるのですが、優先順位は低く、忙しい日はやらない日が多くなってしまうのです。そこで負のスパイラル。やらない日が続くと「やらなければ、やらなければ」という頭になり、もっと身体が重くなってしまう。掃除をやらない他職員に対し、イライラさえ出てしまう。

 

まさに負のスパイラルなんですが、当の本人は気がつかないんですね。

 

そんな時、スッと身体が掃除に動いて、周りへ求める気持ちがなくなった瞬間が訪れたんです!

 

それは、「ここがこんなに汚いと、この方嫌がるだろうなー。」と本気で思えた時。自然と身体はその部屋を掃除していました。

 

色々な事を業務化すると、気持ちが何処かに行ってしまいがちで、なんかこう、効率的に終わらせても何だか気持ちが晴れないんですが。

 

(そもそも私、何がしたくてこの介護の仕事選んだんだっけ?とか負のスパイラルにも陥ったり笑)

 

でも、何事も「〜すべき事」なんて無い、という坂爪さんの言葉が、この時初めて、お腹で理解した気になりました✨✨
あ〜ホントに、すべき事なんてないよなと。その人に必要な事を全力でするだけで良いじゃんと。

 

(なんか、これを打ってると自分の内側から涙が出て来そうですね)

 

長文打ってしまいましたが、
1人で、硬くなってる私の内側を変えることができないので…いつも坂爪さんのお言葉を活用させていただいております。

 

勝手ながら、有難うございます 

 

ちゃんとしなさいの「ちゃんと」とはなにか。それは、自分の思いに誠実に生きることだと思う。相手の気持ちを尊重する5億倍、自分の気持ちを尊重することだと思う。自分の思いを大事にしないで、誰かに大事にしてもらいたいと願うだなんて無理過ぎる。大事なことは、嫌われないために生きることではなく、不快感を与えないために生きることでもない。ただ、誠実に、自分の思いを伝えることだ。うまくやろうと思わなくていい。しっかりやろうと思わなくていい。ちゃんとしようと思わなくていい。嫌われてもいい。不快感を与えてもいい。無様なままでいいから、不器用なままでいいから、ヘタクソなままでいいから、勇気を出して、自分の思いを伝えることだ。自分はこういう人間ですと、相手に対して、世界に対して『自分自身を開く』こと。裸のやりとりを交わしたいと願うなら、まず、自分から裸になることだ。裸になれば傷つくことも多い。しかし、裸の状態であるからこそ、手袋をした状態の握手とはまったく違う、なまなましいまでの生命の熱量【生きていることの手応え】を感じることができるのだと思う。

 

坂爪圭吾様

 

先日は当ブログをご紹介いただきありがとうございました。

まさか坂爪さんの神掛かっているブログに当メッセージが掲載されるとはつゆほども思っておらず、びっくりしました。

また、坂爪さんからメールのお返事が(全く予期せず)来た時に

うわっ!神様の使いからメールが来たっ!!

とびっくりしてしまいました。(びっくりしてばっかり)

まさか大変にお忙しいところ、ブログ掲載だけでなくお返事までいただき

感激しすぎたり恐縮したり胸襟を正しまくったり大変ですw

今回のこのメールもお返事は結構ですよ、お時間取らせてしまうと申し訳ない!

 

ただこれだけはお伝えしたかったのです。

 

さっき目に飛び込んできた坂爪さんのツイート

 

>久しぶりに「ちゃんとしなさい」と説教を受けた。ちゃんとできたならこんな生き方はしていないですよと思った後に「ちゃんとしてたまるか」と思ってしまう自分がいた。これはもう病気なのだと思う。今世は諦めるしかないのだと思う。このまま行こう。自分を殺して生きるより、自分を出して潔く散ろう。

 

私から見ると坂爪さんは今現在地球上で最高に ≪ちゃんと生きている≫ 人なんです。

ぶっちぎりで1位です。

私にとって何よりも大事なのは『その人が自分の核の部分(一番底にある本心とか魂とかその人の本質)にどれだけ嘘をつかず、どれだけそこを誤魔化さず、どれだけベールを掛けて隠したりすることなく、核の部分そのままをストレートに体現して生きているか』なんです。

その意味で坂爪さんは本当に最高です。

とても怖いと思います。そういう生き方は深く傷つくことが多いと思います。

でも世間一般の『ちゃんとする』という 

どこの誰が言い出したかすら分からない『これを良し』とする基準

という得体の知れないものに自分を適合させて生きていく必要はないよ!

と自分にももうずっと繰り返し言い続けていますし、私も自分であろうと常に意識しています。

坂爪さんに「ちゃんとしなさい」と説教してきた人こそ、何もちゃんと生きれてないのではないかな(興味ないけど)。

 

坂爪さんは何だかハワイの時期から数段上に上がった気がします。

変な表現ですが、更にご自身の核の部分にストレートにアクセスして生き方に反映できるようになってる、うわっすごい!

という感じなんです。言葉の一つ一つに無駄も混じり気もなく、神掛かってきてるんです。

ファンとして是非そのまま突っ走って頂きたいです。

(もちろん突っ走らなくてもOKですw)

ちなみに四柱推命・算命学的に見ても、坂爪さんは皆と同じ生き方をしちゃダメな人です。

そのためのその溢れる才能と勇気ですから☆

真冬の海の上に輝く太陽ですから^^

 

 

これからもドイツからものすごく応援していますね。

 

 

グランフロントでおはなを配ります! #残り1本 #普段どんな感じでおはなを配っているのか #その模様をお届けできたらと思ったのですが器用に撮影できませんでした #改善の余地のみ #青山フラワーマーケット様 #いつもお世話になっております #常におはなを一本余分に購買する #これがコツ #この一本が余白となり #余白が奇跡を呼び起こす #自然の摂理 #時差ボケ #朦朧 #ラナンキュラス #綺麗 #春ですね #ラナンキュラス残り一本手元にございますのでアレがアレした方はどなたさまでもお気軽にLINEIDibayaまでご連絡ください!! #追記 #終わりました!!

 

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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お賽銭箱:坂爪圭吾に「もっと生きろ!」という方はこちら
ゆうちょ銀行》※ゆうちょ同士
 10120−54031201 サカツメ ケイゴ 

《ゆうちょ銀行》※他の銀行から 店番号 018 店名 〇一八店(ゼロイチハチ店) 普通 5403120 サカツメ ケイゴ

 

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応援メッセージもこころからお待ちしております。みなさまからのお言葉が、へっぽこりんちょになっている瞬間にどれだけ大きな力になることか・・・簡単な一言だけでもとってもうれしいです。みなさまからの応援をよろしくお願いいたします!!

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LINE ID ibaya

君は真面目すぎる。楽しむことを忘れちゃダメだよ。

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ハワイから日本に戻り、現在は大阪府天王寺にあるデニーズにいる。デニーズは素晴らしい。24時間営業でWi-Fiも完備されていて、隣の席との感覚も広く、200円程度でおかわり自由の珈琲がつき、天王寺店にはなんと電源まである。これがあれば家はいらないとさえ思う(事実、家のない生活をしていた当時はめーーーっっちゃ来ていた)。ハワイ風を吹かせたことを言うと、これだけの手厚いサービスを受けながらチップの支払いも必要ないとなったらもう、大袈裟ではなく「日本最高だな」と思う。

 

隣の席のおじちゃんに話しかけていただく。最終的に笑顔で別れる。私は大阪が大好きだ。月並みな言葉になるけれど『人情』を感じる。当たり前のことだけれど、おじちゃんは日本語で話しかけてくれる。ハワイでは英語で四苦八苦をしていたので、日本語で話せるだけでも「なんてイージーなんだ!日本!」と感動をする。自分の気持ちを的確に伝えることができるということは、こんなにもうれしいものなのかと、こうしてみなさまにご覧いただいているブログを書けている己の境遇(そしてパソコンやネットやブログを開発してくれた先人の皆様)にも、怒涛の感謝を伝えたい気持ちになる。

 

ibaya.hatenablog.com

 

ハワイでの最高反省点

数日間関西に滞在をしたのち、12日からは新潟に向かう。ハワイにいたときに「クラウドファンディングの確定申告をしないとやばいですよ」的なご連絡をいただき、はっ、これは俺の一番苦手なやつだと一旦は死ぬほど気が滅入って落ち込みまくったのだけれど、2018年からは違う。もう、事務処理や税務処理などの苦手なものから逃げ続ける人生は終わりにするのだ。自分ひとりの力でなんでもやろうとするからすぐに行き詰まって「おれは生きるのに向いていない人間だ」などと簡単に死にたいと思ってしまうけれど、2018年の合言葉はチームプレーになりますので、そういった諸々を得意とする方々の力を惜しみなく借りまくってどうにかこうにか乗り越えたいと思う(けれども実際はダメになるかもしれない)。

 

ハワイでの反省点は108個くらいあるのですが、最大の反省点は「楽しむことを怠りすぎた」というものになります。わたしには無駄に真面目な性質がものすごいあって、みなみなさまから「頑張ってください!」とか「応援しています!」などと言われてしまうと、よし、頑張ろう、死ぬ気になって毎日を生きてみなさまの期待にこたえようなどと意気込み、容易に肩に力が入る。生かされているのだという思いは大切だとは思うけれど、それが生きすぎると「みなさまのおかげでハワイに来ることができているのだから、真面目に成し遂げなければならない」と自らを追い込み、結果的に楽しむことを怠ってしまう(まるで義務とか仕事みたいなことになってしまう)ことが頻繁にある。

 

今回もそんな感じが多分にあった。これではいけない。だがしかし、自分を褒めることだけは忘れたくない。前半戦を終えた時点でこれに気がつくことができたのは最大の収穫であった。ハワイで「ああ、いまの自分は死ぬほど楽しい!」と感じた瞬間は、もしかしたらホナウナウの海岸で素潜りをしていた時間だけかもしれない。もちろん、あらゆる時間が感動的で素晴らしくうれしさやよろこびに満ち溢れていたものではあったのだが、こころのどこかで「自分なんぞにこんな素晴らしいものをよろしいですか?!」と、恐縮と謙遜にまみれた時間を過ごしてしまっていたような気がする。これからの日々、残された日々、もう少しだけでも楽しむことにもっと貪欲になること、のびのびと楽しむことにフォーカスをした生き方をしていきたいなと改めて思った(この時点で気づけて本当によかった!!)。

 

君は真面目すぎる。楽しむことを忘れちゃダメだよ。

神様的なサムシングからこのようなことを言われた。君は真面目すぎる。楽しむことを忘れちゃダメだよ。きちんとやる、大事なことだ。真面目にやる、大事なことだ。でもね、これだけは忘れちゃいけない。僕達のパフォーマンスが一番発揮される瞬間は、肩の力を抜いて、リラックスをしながら楽しむことができている瞬間なんだよ。楽しむことを忘れちゃダメだよ。と。ああ、まったくもってその通りだなあと自分は自分を省みた。音速で恥じ、音速で悔い改めた後に音速で立ち直り、音速で次に生かしていきたいと思う。

 

おれが本当にやりたいことはなんなのだろうかとデニーズで考えた。2018年のテーマは『意思』である。自分の本当の望み、自分の本当の意思、それを知ることがとても重要な一年になると思うことにしている。しばらく考えた後に、ああ、おれはわからないことが大好きなんだなと思った。決めつけられることが嫌いで、固定されることが嫌い。これをやればこうなるとわかっていることではなく、これをやったらどうなるのかがわからない、だからこそやりたい(その先にある景色を見てみたい)と心魂は高鳴りを見せる。わかっていることをやりたいのではなく、わからないことをやりたいのだ。胸を弾ませてくれる『未知』を見つけて、その未知のど真ん中にダイブ!!未知のなかには何があるのかな、怖いけれども勇気を出して崖から飛び降りることで翼が生えたりする(自分にも翼があったことに気がつく)のかな、などと中二病的な期待と希望を抱きながら、多分、これからも未知を見つけ出してはダイブをしたがる人間が『自分』なのだと思う。

 

こうあるべきとされているものがあるならば、その、外側こそを見たいと思う。あらゆる物事は「そうかもしれないけれど、そうじゃないかもしれない」と思える感覚を大事にしたい。これこそが余裕であり、これこそが遊び【幅】であり、これこそが可能性であり、これこそが『わからないということの最高の醍醐味である』と思う。決めつけられることが嫌い。固定されることが嫌い。自分は取るに足らない人間かもしれないけれど、同時に、自分は取るに足らない人間ではないかもしれない。もしかしたら物凄い可能性を秘めている人間かもしれないし、今日という1日はいままでとはまったく異なる物凄い意味のある1日になるのかもしれない。それは誰にもわからない。この『わからない』ということのなかにこそ、常に、尽きることのない無限の宝は眠っているのだと思う。長くなりました。ここまで書いたタイミングで一通のメールをいただきました。うまく言葉にすることができないのですが、みなさま、本日も共に生きてまいりましょう。同じ時代に生まれた奇跡、同じ時代を生きている奇跡をふかくふかあく噛み締めながら、LIFEis一蓮托生、そのうえで『自分だけの色彩』を日常にアディションしてまいりましょう!!

 

さかつめけいごさま

おはようございます✨

返信 遅れてなんて、そんなこと何もないですよ〜(^_^)


こちらこそ、ご挨拶のような簡単なメールにも関わらず、丁寧に返信して下さって、有り難くうれしいです。


ハワイからの *すべての人生は、美しい童話である*  
いつも、たくさんわかち愛って下さってありがとうございます。


さかつめさんの "2018年からは違う。"との事を拝見し、うれしく感じました。


"そうか、 違うのだ❣️"

私も何故だかわからないのですが、今年からは何かが違う感じがしているのです。


私は 今まで何をしたいのか? 何の為に生きているのか? 解らない人生を過ごしてきたのですが、今年に入って新しい事に出会い、今までにない様な 楽しいワクワクを感じ、学んでみようと一歩踏み出しました🚶

学ぶことや資格を取ることで、やりたいことが見つかったからうれしい♪ というのでなく。。。

すみません。うまく言えないのですが、自分の感覚を信じて一つ一つやってみることで 生かされていく 感じがするのです。


そして 泣いたり笑ったり、時に淋しく感じたり、イライラしたり、そんなことも愛おしくて、何て人生は味わい深いのだろうって。


長々とごめんなさい。


そろそろ、日本にお帰りになっていらっしゃる頃かもしれませんね。

さかつめさん、おかえりなさい。


早春の 梅や桜が さかつめさんのお帰りをお待ちしていましたよ。

どうぞ日本のご飯を召し上がって、ひと息つかれてくださいね。


今日も素晴らしい一日を、ありがとうございます✨


さかつめさんも、素晴らしい一日になりますように✨✨

 

【追記】同時タイミングでもう一通いただきました!ありがとうございます!

 

坂爪さん
 
いつも坂爪さんの透明な文章に救われている一人です。
今回の「交換」ではなく「循環」ということ、私が普段から願っていることとほとんど同じだったので思わずメールをしようと思いました。
 
みんなほんとは他人に喜んでもらう何かをしたくて堪らないし、対価を保証されて他人にサービスすることに違和感を持っているんです。
ただ、これまで「対価での交換」を植え付けられてきたためにそれができないでいるだけです。その意識から自由になったらすぐに贈与と循環が当たり前の社会になると思いますよ。坂爪さんが書いているように、それが一番社会としても個人としても安定するとDNAで分かっているんです、ほん とは。
 
そのためにじゃあ何をすればいいの?ということになると、そのような実践をできるだけたくさん社会になげかけていくこと、もちろんごちゃまぜの家はその最も大きな実践だと思います。その姿を社会に見せながら、なぜそれをやっているのか、それがどのような社会を目指して行っているものなのかを言葉で定義していくことなのでしょう。私も坂爪さんに励まされて自分なりのミラクルのど真ん中を生きて行こうと思います。周りに与えれば与えるほどこちらの与える能力はどんどん膨らんで行く-坂爪さんの行動を見ているとそれがしっかりと確信できます。これからも現在進行形の社会を変えるミラクルを見せていただくことを楽しみにしております。
 
東京・50代 男性 T・H

 

 

無事に帰国しました!関西圏でお会いできます方はお会いいたしましょう! #BillyGyallow #裸足 #薄着 #寒い #関西空港付近にもごちゃまぜの家が欲しくなっちゃった #12日昼まで関西におります #お会いできる方は会いましょう #今日は20時頃まで天王寺でひまです #明日11日は午後から梅田駅界隈でひまです #ごちゃまぜの家になりそうななにか #出会えるといいな #12日以降は新潟県新潟市に行きます #新潟でもごちゃまぜの家とかできるのかな #新潟は故郷 #故郷にしてアウェイ #暗黒時代 #中学高校時代は死にたくなるほど暗かった #表面的には華やかに見られてたけどなんかもう常に死にたかった #学校に馴染めず #社会に馴染めず #おかしいと思う自分がおかしいのだと思っておりました #が #諸々あって開き直り #おかしいと思う自分はおかしくないのだと #己を肯定 #自分を殺して生きるより #自分を出して死にたいと思う #2つの覚悟 #ひとりでもいいという覚悟 #死んでもいいという覚悟 #不思議なもので #覚悟を決めてからの方が孤独ではなくなり #覚悟を決めてからの方が生きている実感がある #清々しい日々を送りたいものです #うどん #関空でいただきました #美味しい #幸せ #うどんのある国は最高です #動画配信楽しい #これからもやらせてください #見てくれているひとありがとうございます #らぶ #らぶ #らぶ #みなさま引き続きビリギャル男をよろしくお願いいたします!!

 

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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ゆうちょ銀行》※ゆうちょ同士
 10120−54031201 サカツメ ケイゴ 

《ゆうちょ銀行》※他の銀行から 店番号 018 店名 〇一八店(ゼロイチハチ店) 普通 5403120 サカツメ ケイゴ

 

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【最終日・オアフ島北海岸】すべての人生は、美しい童話である。

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ハワイ最終日に海亀に出逢えた。今回の旅路は海亀が守り神だった。ハワイに来る前にY様から「わたしも死ぬまでに一回はハワイに行きたいと思っていたけれど、ハワイに行くのは死んでからでもいいのかなと思って」と、彼女の大事な大事な大事な海亀の財布をお守りに持たせてくれた。この財布が、きっと命を守ってくれることになると思います。と。この瞬間、彼女の夢はわたしという人間に託されたのだという畏怖と感動の念を抱いた。

 

 

真の意味で受け取るということ。受け取るという言葉は頻繁に使われる。しかし、その言葉が持つ意味は、実際は『とてつもなく広く、とてつもなく深い』ものであるように思う。与えられたものを受け取るということだけではなく、すでに与えられているものに「気がつく」ということも、受け取るということのひとつだと思う。多分、わたしたちはすでにとんでもない量の恵みを受け取っている。ただ、その恵みに無自覚なだけなのだと思う。

 

🌸🌸🌸9日目の記事はこちらです🌸🌸🌸

 

ibaya.hatenablog.com

 

オアフ島北海岸を巡る

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オアフ島の岸壁

 

最終日の今日はオアフ島北海岸を中心に巡る。

 

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Giovanni's Aloha Shrimp

 

今回の旅路は異様なほどに猫に好かれた。

 

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猫が近寄って来てくれると嬉しい

 

北海岸に立ち寄る道中、数奇な出会いに恵まれた。

 

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オアフ島ノースショア


ごちゃまぜの家 in Hawaii

誰でも自由に使える家を見つけることが、今回の旅の目的だった。4月からもハワイに行くため、今日で前半戦が終了をしたことになる。具体的に「明日からここが使えることになりました!」という成果を得ることはできなかった。が、多くのヒントは与えられたように思う。人生は想像を超えた展開を見せてくれるものだから、この先は「こういう形でいくことにしました」と現時点で断言をすることはできないけれど、今回、ハワイ島に空き地を所有している方と出逢うことができた。その空き地を使わせていただけることになったとしたら、その時は「手始めにユルトを建てるなんてどうだろう」などと考えていた。ら、今日、オアフ島のノースショアで(ヨガスタジオとして実際に使われている)ユルトを目撃した。

 

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ノースショアで見つけたユルト

 

移動式住居のユルトとは、モンゴルでは「ゲル」とか「パオ」などの愛称で親しまれている。移動式であるために固定資産税もかからない(と聞いた)。そしてなによりも素敵だなと思うのは、そのカラフルでポップなデザイン性であり、写真だとよくわからないかもしれないけれど実物はなんとも言えず可愛い。見ているだけで幸せになる。円形であることも、なんだかこうごちゃまぜの家っぽくて良い。トラックの荷台に積めば持ち運ぶこともできる。デザインは多岐にわたるので、興味のある方は「yurt hawaii」で画像検索をしていただけましたら幸いです。テントよりも耐久性に優れてはいるが、テントを張るだけでも充分なのかもしれない。ある程度の広さの土地があり、共有のトイレとシャワーさえ置くことができれば、テントを張るも自由、タイニーハウスを建設するのも自由、そんな空間がハワイ島にあったらなんだかちょっと楽しそうだなと思う。

 

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正面図


100万円程度でユルトを購買することはできる。が、もちろんこれらはアイデアのひとつに過ぎない。10日間の日々のなかで与えられたヒントを、どれだけ自分は結びつけることができるのだろうか。ハワイでごちゃまぜの家を実現するということは、いままでの人生における『期末テスト』感にあふれている。これまでの自分をまるごと総動員していかない限り、実現をすることはできないのだろう。では、自分とはなんだろうか。どこまでが自分で、どこからが自分ではないのだろうか。などと考えると哲学的な深みにはまって抜け出せなくなるものの、そういうことも同時進行で考えていきたいと思う。今回ハワイに足を運び、本当にハワイは不思議な場所だなと思った。人間の中に眠るありったけの本気を出してかかってこいと、まるで、そんな風に島から言われているような感覚を覚える。中途半端な気持ちでは、多分、ハワイに長い間居続けることはできないのだと思う。大切なものは意思だ。それは、執念とも呼ばれるような気概であると同時に、柔らかで、たおやかな、芯のある本気【本当の気持ち】でもあるのだと思う。

 

あらゆる人生は、美しい童話である。

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最終日に出逢えた

 

10日間の日々を終えて、いま、実はさっきまでお腹を壊していてグロッキーな状態に陥っている。最終日くらいは感動的なことを書けたらいいななどと思っていたが、なんでこうも自分はタイミング悪くダサい感じになってしまうのだろうか。おなかが痛いと「神様ごめんなさい!もう悪いことはしないから早くお腹をなおしてください!(さもなくば死を・・・!)」みたいな気持ちになる。それくらいには自分は弱い。病気になると弱気になる。同時に、病気になることで「健康に日々を過ごすことができる」ことのありがたみを知る。昨日、以下のようなメールをいただいてわたしはとてもうれしくなった。自分が変わろうとするとき、自分から変わっていこうとするとき、いつの間にか「それに触れたひとのこころまで」変えてしまうものなのかもしれないと思った。

 

坂爪さんこんにちは!
 
私はどちらかと言うと、完全にアロ派です!
ハワイからのブログを毎日楽しく 拝読しております。 美しい写真からはたくさんパワーをもらっています。
 
坂爪さんが ハワイ島で滞在していた
ku ke aloha ゲストハウスを激烈にお勧めしていたので、早速ホームページを見てみました。そしたらなんと、坂爪さんの泊まっていた部屋は 1ヶ月690ドル とのことではないですか!!!ハワイの物価の相場からすると、かなりの安さです。「 もしあなたが毎日死にたいと思っているのならば ハワイ島へ行ってみてほしい」 と言った 趣旨のことを 書かれておりましたが、 本当にそうだと思いました。もしそのような気持ちでいる方がいるのなら、7万円を 持ってとりあえずハワイ島に行って ku ke alohaゲストハウスに 1ヶ月滞在 してから考えられた方がいいなと思いました。
 
私は来月会社を辞めて、2・3ヶ月旅に出ようと思っています。 旅から戻っても 職を探したり 食べて行くことができるのか 不安になります。持てる者も持たざる者も物を循環させて心豊かに 生きることのできる社会がいつの日か実現したらいいなと、こんな素晴らしいことはないなと思います。 ハワイのような豊かな エネルギーが 満ち溢れる 場所で 貧富の差が激しいとは 本当に悲しいことだとも思いました。 坂爪さんは、ごちゃまぜの家について、物を循環させる社会について 、もっと言語化できるように頑張ります!とおっしゃっていましたが 、その文を読んで 坂爪さんに何だか大きな変化が訪れたの ではないかと ふと思いました。 私もごちゃまぜの家のコンセプトは素晴らしいなと思いつつ、 他人事のように眺めていましたが、 物を循環させる社会の中で生きられるよう、出来ることからちょっとずつやっていきたいと 、坂爪さんのハワイでのブログを読んで 思うようになりました。あと私も、自分のことをもっと言語化できるようになりたいな、と思いました。まだよく理由はわからないのですが、自分には必要だと思います。私にも変化が訪れたように思います。
 
残りのハワイでの滞在も楽しんで下さい。坂爪さんの来月のハワイ旅行も とても楽しみにしております。マハロ
 
P.S.マハロと言ってみたものの、マハロって一体どんな意味だろうと思い ググったら「あなたが魂の中にいますように」という意味がすぐにヒットしました。 マハロ!!!

 

ハワイでの日々は、わたしを大きく変えてくれた。これまでの人生は「委ねる」とか「身を任せる」とか、どこか他力本願な生き方を続けていた。しかし、2018年からは違う。これからは自分の意思が問われているように思う。いままで、わたしには特に「死ぬまでにこれをやりたい!」と思うようなものはなにもなかった。夢も目標もなかったし、夢も目標もなくても一向に構わないものだと思っていた。しかし、2018年からは違う。神的なものが「お前の意思はなんだ」と強烈に問うているような気がする。それは、自分の意思であって、自分だけの意思ではない。私の命は、私のものであって、私だけのものではない。このような形で届く読者の方の声や、読者の方の支援が、私の命を構成している。私の命は、みんなの命でもある。わたしはあなたの代わりに生きていて、あなたはわたしの代わりに生きている。そのことを思うとき、うまく言葉で説明をすることはできないけれど「ひとにはそれぞれの役割がある」ということを思う。真の意味での役割を、自分ははっきりと認識していきたいのだという思いがある。

 

坂爪様

 

○○○と申します。

 

お忙しいところ、また返信をいただいてありがとうございました。お心を遣ってくださってありがとうございます。

 

坂爪様からのメールにあった「受け止める」ことの大切さを思ったとき詩ができたので送ります。ご迷惑でしたらごめんなさい。

 

感謝の気持ちでつづりました。坂爪様が、ますます良い人生を歩まれていきますように。その道が明るく照らされますように。

 

 

 

「昇華の花」


祈るような詩歌を紡ぐ

また次の朝を越えていくためにも


感情の綾の目は繊細で複雑でも

ちゃんと生きているから

簡単には破れないから

もっとしっかりと受け止めていっていいのだと

太陽の笑う世界から届いた便り


私はそれを待っていた

私は私が理解するのを待っていた

その瞬間にあふれだす涙を


花が咲き蝶が舞うように

心が昇華されていくときの感覚が一番綺麗だ

 

 

 

 

もし何かが、お心に届けば幸いです。私は坂爪様のブログを読んでいると、心の病気でも胸を張っていいんんだなって、

もっと明るく考えてもなんの問題もないのだと、そういう生き方をしたいと思うのです。

 

そして、とても素晴らしいメールを、どうもありがとうございます。太陽のように照らしてくださるお言葉が、

坂爪様を照り返して、素晴らしい人生を、より輝かせていかれますように。

 

もしも返信をいただけるのでしたら、ものすごく短くても、大丈夫です。

坂爪様にとって負担がない形でお願いします。

長くごめんなさい。ありがとうございました。これからも応援しています。

 

日本人は疲れているひとが多いと聞く。私は違うと思う。疲れているのではなく、ただ、退屈をしているだけなのだと思う。どれだけ忙しそうに動いているひとでも、退屈をしているひとはたくさんいる。いま、求められているものは『奇跡みたいなマジック』だと思う。生きているとこんなにも素晴らしい出来事が起こり得るのだと、ありふれた日常や常識を吹き飛ばすマジック、みんなが一瞬で幸せになってしまうマジック、世界の見え方を変えてしまうマジック、あっという間に可能性の幅を拡張してしまうマジック、それこそを、いま、多くの人々は「自分を通じて経験したい」のだと思う。誰かの正論や、誰かの物語には、もう、誰もがうんざりしているのだ。言葉じゃない。生き様だ。自分の生き様に魔法を宿らせることだ。ミラクルを信じることだ。ミラクルを生きることだ。根拠があるものを信じるのではなく、信じるものに根拠は舞い込む。人生はドラマだ。童話作家アンデルセンは「すべての人生は美しい童話である」と言った。信じるものに根拠は舞い込む。信じよう。ミラクルのど真ん中を生きていこう。すべての人生は、美しい童話である。

 

坂爪さん、こんばんは。○○○○です。

 

ハワイの写真、いつもツイッターやインスタで拝見しております。素敵な写真をいつもありがとうございます。

 

去年8月に初めてお会いさせて頂きましたが、今回ブログを日々読んでいてどうしてもお伝えしたいと思い、突然ですがご連絡させて頂きました。

 

先日ブログに書いておりました、『循環』と言う言葉。自分に思うところがあり、自分の思いをツイートさせて頂きました(その節は、リツイートありがとうございました。)

 

坂爪さんのブログを読みながら、『お金と関係のない世界に行きたい』と日々ぼんやりと考えている私は、色々日々とても感化されることが多いです。

 

この考えを他人に伝えた時、大抵人には、『お金を稼ぐことや、向き合うことから逃げてるとか、働くのが恐いとかじゃない?』と言われます。過去に鬱になったり体を壊したり転職を繰り返しているので、無理もないのですが…。

 

そう言われると、悲しかったです。『そうじゃない』と言いたいけれど、自分の思いをうまく言語化出来なくて、辛かった。言われていることが、全く間違っている訳でもないような気がしていたし、お金が全くないことが良いとは思わない。

 

そんな時に、坂爪さんの話には、心打たれました。そうそうこれ!!!!こんな事がしたくて、こんなことを思っているんだよ!!!!と思いました。

 

お金はある人ない人分かれます。それを介した関係になってしまうと、『お金がない時は付き合えない』関係になってしまう。人と人って、何かがあるから付き合う、というものではないと思うのです。

 

でも、そんな現実が当たり前だと昔は思っていた。でも坂爪さんの生き方はそれとは違う。人とのご縁で生きている、それってお金がたんまりあるよりも、実は1番安心安全な生き方を なのではないかと…。

 

お金は所詮『紙や金属』であって、エネルギーや心は人に宿るのではないかと…。一応、お金もエネルギーとは申しますが…。

 

坂爪さんの生き方は、初めて目にした時は、頭を殴られたような感覚でしたが、私は普通に仕事して、普通に働いて、お金を稼いで…ではなく、人とのご縁に支えられて、人とのご縁を大切にして生きていきたくて…。
お金を握りしめて、いつか無くなったらどうしよう、老後どうしようとか不安を抱えるのではなくて、『人と繋がっているから、大丈夫』と、お金ではなく人とのご縁を抱えて、それにお互いが安心出来るような…すみません、うまく言えないのですが、とにかくそんな生き方を望んでいたけど、そんなの無理だと否定しているのが長く、最近坂爪さんや自分の思いと向き合うことで、やっと自分の本心を理解して、自分の気持ちに正直になって、坂爪さんの言葉のお陰で自分の思いがなんて言うのか分かるようになってきて…。

 

私の言葉に出来ない願望を、『そう、こんなこと!!!!』と教えてくれたこと、それを否定しなくて良いということを教えてくださったような気がして…。

 

とにかく、ありがとうございます!!!!
まとまらなくて申し訳ないのですが、そのお礼をどうしても伝えたくなったのです。

 

海が大好きで、片道2時間かけて1人で海に出掛けたこともあるのですが、動画の波の音や、海の青さには、一瞬現実を忘れてしまいました。
ハワイはいったことありませんが、坂爪さんの言う自由さや海の綺麗さ、この目や体で体感したいと思いました。

 

とにかく、ありがとうございます。何が言いたいのか伝わらないと思うのですが、感謝していることさえ伝われば構いません。
日々言葉や想いをくださり、ありがとうございます。素晴らしい景色には癒しも貰っています。

 

坂爪さんが言葉を発するだけで、人生が変わる方がきっと沢山いるのでしょう。それは立派な仕事…いいえ、生き様なんだと思います。
偉大だなぁと、そして本当は誰もがそんな偉大なものを持っているんだと思います。

 

そういうことを思い出させてくださることも、感謝したいと思います。

 

いきなりの急な連絡で、長文失礼しました。お読み頂き大変感謝致します。
ありがとうございます。

 

ハワイ最終日受け取ってまいります!! #hawaii #BillyGyallow #アロハの精神 #あなたはなに派 #わたしはアロ派 #末は博士かカメハメ派 #さかつめ占い #もっぱらの評判 #今日は受け取る1日になります #受け取るという言葉にあるパワー #とてつもなく広く #とてつもなく深い #受け取るだけでいい #自分のために #自分以外のもののために #恐れることなく受け取ってください #贈与 #循環 #変革 #乱世 #生きる #占い師 #新しい生き方 #民の幸福を祈る #祈祷師 #新しい生き方 #ゴミを拾う #罪ほろぼ師 #新しい生き方 #なんだってできる #なんにだってなれる #インスタのハッシュタグが楽しいから軽口が増えちゃう #黙れ #黙るのだ俺よ #俺が黙ることで俺の中にいる詩人が語り出す #その声に耳をすませるのだ俺よ #おなか減った #邪念 #いけないいけないこれでは詩人が語り出してくれない #黙れ #黙るのだ俺よ #ぽんぽん #ぱんぱん #ぽんぽんがぱんぱん #ぽんぽんがぱんぱんになるまで讃岐うどん食べたい #邪念 #邪念と共に生きる #清濁併せ呑む男 #それがビリギャル男 #lifeisgood #みなさまにとってもたくさんの恵みにあふれた1日になりますように!!

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

お賽銭箱:坂爪圭吾に「もっと生きろ!」という方はこちら
ゆうちょ銀行》※ゆうちょ同士
 10120−54031201 サカツメ ケイゴ 

《ゆうちょ銀行》※他の銀行から 店番号 018 店名 〇一八店(ゼロイチハチ店) 普通 5403120 サカツメ ケイゴ

 

🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸 

応援メッセージもこころからお待ちしております。みなさまからのお言葉が、へっぽこりんちょになっている瞬間にどれだけ大きな力になることか・・・簡単な一言だけでもとってもうれしいです。みなさまからの応援をよろしくお願いいたします!!

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LINE ID ibaya

【9日目・オアフ島東海岸】誰も救うな。誰の問題も解決するな。

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9日目。カイルアからワイキキまで車で送っていただく。爆裂に感動的な物語を車内でK様ファミリーから伺い「朝からいい1日だ…」と震える。FISH HOOK CAFEに到着後、人柄が良過ぎて一瞬で惚れた日本人カップルの方と合流をする。朝食(ポケボウル)をご馳走になったばかりか、秘密のチケットをいただいて衝撃が走る。その後、ホノルル在住のK様が車で迎えに来てくださり「オアフ島をドライブしましょう」ということで、東海岸を中心に車で巡る。道中にハンバーガーをご馳走になって悶える。17時頃ホノルル市街に戻り、別の方々とDORAKUで夕食をご馳走になってしまった(!)のちにいまは一泊40ドルのホステルからこの記事を書いている。

 

 

なにから書けばいいのだろうか。1日の間にいろいろなことが起こる。日本人カップルの方から「最初は4月にハワイに来る予定でしたよね??それなのになぜ、この時期にも来ることにしたのですか??」と尋ねていただいた。今回、わたしは3月10日には一旦日本に戻る。が、4月9日から再びハワイに足を運ぶ。最初は4月のチケットだけを取った(2月20日頃に取った記憶がある)。しかし、2ヶ月先のチケットをとってのうのうとしている自分を客観視したときに「なぜおれは2ヶ月先も無事に生きているつもりでいるのだろう」とハッとして、やりたいことはすぐにやらなければならないと思い直して2月27日発のチケットを追加で取った。この話をしたら、日本人カップルの方は「なんだか元気になる話ですね」と笑ってくれた。笑ってもらえたことがとってもうれしかった。笑ってもらえたら、もう、それだけでゴールなのかもしれないと思った。

 

🌸🌸🌸8日目の記事はこちらです🌸🌸🌸

 

ibaya.hatenablog.com

 

朝日を見る

カイルアの海岸沿いを目指す。朝日が昇るからだ。外に出たら、思っていた以上にすでに空が明るくなっていて焦る。ビーチに向かう。海が見え始める。なんだか異様に綺麗な感じで朝焼けがすでにはじまっていたので「これはやばい!早くいかないとやばい!」となって小道を駆け出す。小道を駆け出しながら「ああ、思わず駆け出してしまいたくなるものが世界にあるということはほんとうに素晴らしいことだ」と思う。

 

まだ、汚されていない今日がはじまる。。 #goodmorninghawaii #BillyGyallow #lifeisgood #あなたはなに派 #わたしはアロ派 #さかつめ占い #今日は最高の1日になります #今日は最高の1日になるのだとあなたが決めさえすれば #目を開けて #見えないものを見る #心を開いて #見えないものを感じる #世界が動く #大きく変わる #ただ委ねているだけではない #真の意思と共に #希望 #勇気 #信頼 #安心して前に前に進みなさい #生きてきたことの意味がすべて繋がるような #最高の瞬間はすぐ目の前まで迫っています #haveaniceday #みなさまも素晴らしい旅路を!!

 

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good morning hawaii

 

 

東海岸を巡る

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オアフ島東海岸


K様に、東海岸をご案内していただく。

 

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K様に写真を撮っていただきました


K様の人柄が素敵過ぎて心身が緩み、移動中、寝落ちをした。

 

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寝落ち後の表情は穏やか

 

ハンバーガショップに連れて行っていただく。

 

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ありがとうございます!

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ありがとうございます!!!

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ありがとうございます!!!!!

 

はむはむしていたら、このようなメールをいただいた。

 

全然関係ないんですが(いつも突然、笑)

 

「感情は思考よりも、ずっとパワフルなもの。心臓は、最も電磁気を発している体の部位で、脳波よりも振り幅が60倍も強いのです。また磁気成分は脳のそれよりも100倍強く、身体から数メートル離れたところからも分かるほどの威力を持っています」

 

なんですと!!!

心臓(ハート)ってスゴイ!!!と!!!

キュンキュン♡

 

今朝この言葉に触れて、

【何をしたいか】(思考)

から

【どんな気分でいたいか】

【どんな風に感じたいか】

(感情)

に意識を向けたら、ムッチャ気分が良くなりました~♡

 

という、雑談、笑。

 

aloha~♡♡♡

Akahai=思いやり

Lokahi=調和

Oluolu=喜び

Haa Haa=謙虚

Ahonui=忍耐

 

なんですとー!!!

と、これもさっき知ったのであります( ˘ω˘ )♡

無知よ、ありがとう♡♡♡

 

「頭をからっぽにしないと、はいってくるものもはいってこない」

 

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from here to eternity


車内での会話は最強に勉強になったのだけれど、割愛! 

 

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ダイヤモンドヘッド

 

 

交換より循環 

オアフ島で出会う方々に「ごちゃまぜの家という、誰でも自由に無料で使える家なり空き地なりと出会うためにハワイに来ました」と伝える。このブログを読んでくださっている方ならばある程度の文脈を共有できるのだけれど、初対面の方にこの話をすると、ほぼ100%の確率で「意味がわからない」と言われる。オアフ島の家賃は高いから難しいよ、とか、ホームレスが大量にいるけど大丈夫なのか、とか、日本ではできているのかもしれないけれどそれは日本だからできるのであって、西洋では無理だよ、とか。

 

「絶対に無理だ」と言われると、燃える。ああ、こういう手応えが欲しかったんだよなあと萌える。あるひとがこのようなアドバイスを与えてくれた。「ワークトレードみたいにすればいいんだよ。庭の掃除をする代わりに一泊無料で泊めてあげるとか。そういうものだったらハワイにもたくさんあるよ」と。アドバイスをしてくださる方には、まず、なによりも「ありがたいことだなあ」と思う。ありがたいことだなあと思ったあとに、ああ、俺がやりたいと思っているものはトレードではないのだなと確信した。英語で言うなら、それはギフトであったりサイクルであったりサーキュレーションとでも言えばいいのだろうか、交換をしたいのではなく「循環」を生み出したくて、この活動をやっていることを思い出した。

 

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ワイキキビーチ

 

金銭だろうが物々交換だろうが、基本的には「交換」の原理で成り立っていることに変わりはない。わたしは、非常に乱暴にまとめると「交換は退屈で、交換は暴力的だ」と思うことがある。まず第一に、交換の原理には「持たざるものが参加をできない」という冷たさを感じる。庭の掃除を2時間する代わりに一泊できる世の中よりも、まず、無料で泊まれる家を誰かが誰かに贈与をする。すると、その贈与を受けた人間が(強制的にやらされるのではなく)なにかで恩返しをしたい内発的に思い、たとえば庭の掃除を2時間する。一泊したものが庭の掃除を2時間するという点ではどちらも同じだけれど、なんと言えばいいのだろうか、この行為の間にある「清々しさ」や「うれしさ」のようなものは、後者の方が圧倒的に大きいように思う。

 

こういう話をすると、大概は「綺麗事だね」で流されてしまう。しかし、わたしは思う。自然の摂理を見ていると思う。自然の摂理は交換ではなく循環で成り立っている。太陽は、照らす代わりになにかを求めたりしない。ただ、照らす。花は、咲く代わりになにかを求めたりしない。ただ、咲く。なんと言えばいいのだろうか、自分がこれをする代わりになにかを得ると言う交換の原理ではなく、まず、第一に「大いなる生命の輪【循環】」みたいなものがこの世の中にはあって、そのなかでただ『自分の命を思い切り生きる』ことが、結果的に大いなる生命の輪の維持に貢献をする。その方が、なんというか「生命として自然である」ようにわたしは感じている。

 

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ダイヤモンドヘッドとビリギャル男ヘッド

 

これは綺麗事なのだろうか。この辺の話をしっかりと言語化すること。これは帰国後の私の急務になる。いまのわたしに足りないものは「言語化」だと思う。これまでの在り方や生き方の諸々をあまりにも省きすぎた。だからなのだろう、出会う人々に「お前のやっていることは絶対に無理だ」と言われてしまう。逆境に燃えている場合ではない。これは完全にわたしの責任であり、そのように言うひとはまったくなにも悪くない。わかるひとだけわかればいいという生き方を続け過ぎた自分の責任だ。来月4月7日に33歳になろうとしているいま、これからは「自分がやろうとしていることを広く世の中のひとに『わたしはこういう人間です』と高らかに宣言をする、成熟したこころを発揮させていきたい」と思った。

 

キーワードは「交換より循環」であり、交換がメインの世の中では「なにかをもっているうちは安心をできるけれど、なにかを失ってしまう不安は死ぬまで消えない」ことになる。しかし、循環がメインの世の中では「自分がもっているときは誰かに渡す側にまわればいいし、自分がもっていないときでさえも、循環のなかで自分は生かされるだろう」という安心感がある。そういう世の中になればいいと思うし、多分、すでにそのような世の中は確実にある。事実、わたしという人間が(このような生き方が良いことなのか悪いことなのかは置いておいて)循環の原理【自然の摂理】で生きている【生かされている】ように思う。このあたりの言語化が現在は圧倒的に足りない。帰国次第、頑張ります。

 

誰も救わない。誰の問題も解決しない。

このような活動をしていると「さかつめさんはボランティアがやりたいのですね」と言われることが稀にある。多分、確実に違う。わたしはボランティアやNPOに興味がない。しかし、非常に似ているとは思う。だから説明が必要なのだと思う。まず、第一に「誰かを救いたいとも思わないし、誰かの問題を解決したいとも思わない」というスタンスで私は生きている。自分がやりたいと思うことをやること。そのことが、結果的に(あくまでもおまけとして)誰かを救うことになっちゃっていたり、誰かの問題を解決してしまうことになっちゃっていたりしたら、それは最高に素敵だなと思っている。

 

問題とは、問題視しなければ問題ではなくなる。ハワイではホームレスが問題になっている。だから、様々な活動が「ホームレスを助けるため」「ホームレスの力になるため」に頑張る。しかし、わたしの場合は、そもそもで自分自身がホームレスのようなものなので(この話を日本人カップルのひとにしたら笑ってもらえてうれしかったです!!)、上から目線で誰かの力になりたいというものとは根本的に違っていて、感覚的には「社会的弱者(たとえばホームレスの方々)と同一の視点で、なんだかんだ一緒に遊んでいるうちに気がついたら問題が問題ではなくなっていた」みたいな状態になることを理想だと思っている。

 

自分の中で決めたルールのひとつに「誰かを救おうとしない」というものがある。正義感は、それを押し付けた瞬間に暴力になる。わたしは他人に何かを強制したり、自分と同じであることを期待したいとは思わない。ただ、自分のためにやることが、結果として「誰かのため」にもなれば幸運だと思っている。ここは非常に重要なポイントだと思う。過去に家を失ってホームレスになったわたしは、見るひとが見たら「いくらでも問題を抱えている支援が必要な社会的弱者」だったと思う。しかし、わたしは自分自身をそのようには捉えなかった。自分に同情するのではなく、置かれた状態をいかに楽しむかに焦点を合わせた。その結果、このような形で人生は展開をした。あの頃の自分を褒めてやりたいと思う。自暴自棄になるのではなく、悲壮感を漂わせるのでもなく、置かれた状態を『楽しむ』方向に舵をとった自分を褒めてやりたいと思う。そして思う。わたしが舵を取りたいと思う方向は、問題を解決するための方向ではない、誰かを救うための方向でもない、誤解されるかもしれないけれど「いいことがしたい」ということでさえもない。ただ、生きていることを楽しみたいと思う願望と衝動。置かれた状態のなかで、いまの自分に与えられているものを精一杯に生かしながら、ただ、自分の人生を楽しみたいと思っている。朝日は誰のもとにも昇る。金持ちだろうがホームレスだろが、白人だろうが黒人だろうが、民主党だろうが共和党だろうが、キリスト教徒だろうがイスラム教徒だろうが、昇る朝日を綺麗だと思うこころに違いはない。同じ人間として『一緒に幸せになる方向』に、舵を取りたいのだと思う。それがごちゃまぜの家のコンセプトであり、ごちゃまぜの家の思想である(などと言うと大袈裟だけれど、割と本気で思っている)。

 

坂爪さん

 

こんばんは!

 

初めて連絡をさせていただきます。○○○と申します。
ブログを拝見しております。

 

とにかく、お礼の気持ちを伝えるなら、今だ!と思ったので、助けられたこと列挙させていただきます…


坂爪さんの言葉はいつも、私の気持ちをふわっと軽くしてくれます。それに何度も助けられました。


あと、坂爪さんは、人を大切にしていて、自分も大切にしていて、なんだか本当に仏様みたいだなぁ〜って思います。大事にされて大事にする世界ってあるんだなぁって、ほんわかしたのと同時に、私も大事にしたいと思いました。


あとあと!初めて坂爪さんを知った時、私は衝撃を受けました。ありとあらゆる私の中の当たり前をぶち壊してくださいました。当たり前がぶち壊されて、私の中での選択肢が沢山増えました。これからやってみたいことが沢山増えました。


支離滅裂な感じのお礼の文になってしまいました…笑

 

文を書くのは難しい!

 

とにかく、応援しています!!

 

私は貧乏人なので、絵でエールを送らせていただきます🇯🇵

 

フレー!フレー!サカツメサン!

 

以上です!

 

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ワイキキビーチからおはようございます! #hawaii #BillyGyallow #lifeisgood #今日は朝からホノルルでごはん #日本人カップルのお二人にポケボウルをご馳走になりました #本当に感じの良い方々で朝から幸せ #ハワイで出会うひとみんないい人過ぎる #ハワイの貧困の差は激しいとのこと #家族でホームレスをやっているひとたちもたくさん #ツーリストにはわからないこと #暮らすことで見えることがある #学ぶことたくさん #愛知県 #愛を知る #知ることは愛すること #ハワイから見たらビリギャル男は完全なる部外者 #邪魔者にはならないのか #知らないことを知ろうとすること #知ろうとすることがすべてのはじまり #愛することと知ることが重なるようなお勉強 #そう言えばハワイ島は女性的な雰囲気を感じた #感覚的にこれからは女性性が重要になると思う #戦争は男性性 #では女性性の本質とはなにか #お勉強してまいります #いまは車でオアフ島をご案内していただいております #オアフ島も奥が深い #楽しい #けいご坊やisFINE #残り2日間命を燃やしてまいります!!

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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応援メッセージもこころからお待ちしております。みなさまからのお言葉が、へっぽこりんちょになっている瞬間にどれだけ大きな力になることか・・・簡単な一言だけでもとってもうれしいです。みなさまからの応援をよろしくお願いいたします!!

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【8日目・オアフ島】わたしの居場所はあなたです。

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8日目。ハワイ島を離れてオアフ島にはいる。

 

 

ホノルル在住の女性N様が、空港まで迎えに来てくださる。「ホノルルを案内しますよ」と、有名店THE PIG THE LADYに連れて行っていただく。チップの発生に怯み、最近はパンばかりを食べていた。レストランの食事はあまりにも久しぶりで「美味しいです!めっちゃ美味しいです!」と叫ぶ。その後、N様の仕事先やハワイ出雲大社やハワイのお寺を巡った後に、カイルア在住歴20年のN様のご友人・K様のご自宅にお伺いをする。 

 

🌸🌸🌸7日目の記事はこちらです🌸🌸🌸

 

ibaya.hatenablog.com

 

ゴミ拾いのすすめ 

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ハワイ出雲大社

 

ハワイでは、なにを思ったのか道端のゴミを拾う習慣が身についた。おそらく「自分がハワイに来たことで、わずかでも『プラスのインパクト』を残すことができたなら」という気持ちがあるのだと思う。ハワイの自然に触れていると、自然を大切にしたいと思う。多分、誰もが一度は感じたことがあるとは思うのだけれど、自然を大切にするためには「人間がいなくなること」が一番よいんじゃないだろうか、みたいなことを思う。自然を大切にしたいなどと言いながら、わたしは自動車に乗り、わたしは飛行機に乗り、わたしは冷蔵庫を使ったり水道水を使ったりエアコンを稼働させたりもする。「人間」とか「日本人」とか「みんな」とか「現代人」とか「現代社会」とか、そんな言葉でごまかしたくはないと思う。これらは、要するに『自分自身』を言い換えた言葉だと思う。

 

「公害に第三者はいない」という言葉がある。強い言葉だ。いまの世の中に問題があるならば、わたしたちひとりひとりは第三者ではいられない。ひとりひとりが公害の加担者であり、ひとりひとりが公害の加害者である。この実感は厳しいけれど大事だと思う。ごみを拾っていると、不思議とこころが浄化をされる。今日、ハワイ島の空港に向かう前にバスを待っている隙間時間があった。予定よりもバスが遅れていたので、わたしは、バスを待つ間に大量のタバコの吸い殻を拾い集めた。こころがあらわれる感覚を覚えた。タバコの吸い殻を拾うたびに、まるで「ポイントを集めている」ような感覚があった。楽しみながらゴミを拾った。道端を清めることは、そのまま自分自身を清めているように感じた。自分にすることと自分以外にすることに差異はないのだと思った。道にゴミを捨てる精神は自分を汚し、道のゴミを拾う精神は自分を清める。言葉も道具も同じだ。ひとを傷つける言葉を使うひとは自分自身を傷つけている。道具を乱暴に扱うひとは自分自身を乱暴に扱っている。言葉や道具を大切に扱うひとは、その行為を通じて「自分自身を大切に扱っている」のだと思う。すべてにこころは現れて、すべてはこころを洗い得るのだと思った。

 

自分がいることがなんの役にも立っていないばかりか、誰かの負担になっている。そのような実感を抱きながら生きる日々はつらい。誰にだってそんな瞬間はあるだろう。そんなときは、是非、騙されたと思ってゴミ拾いをしてもらいたいと思う。おかしな言い方になるけれど、ゴミ拾いは「誰がどのように見ても正しい」行為だと思う。普遍的な行為が、精神性を支えることがある。多分、ゴミ拾いは『祈り』だ。ルターは言った。たとえ明日世界が滅びることを知ったとしても、わたしは今日リンゴの木を植える。坂爪ルターはこのように言いたい。たとえ明日世界が滅びることを知ったとしても、わたしは今日道端のゴミを拾う。リンゴの木を植えることと、道端のゴミを拾うことは、別物のようで同じことであるように感じた。ゴミを拾う最大のコツは、道端にゴミを捨てたひと(要するに人間)を決して恨まないことだと思う。ただ、ゴミを拾う行為を通じて得ることができる「清々しさ」に、感謝を抱きながら拾うことなのだと思う。

 

アロハの精神

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コナ空港の銅像


いま、わたしはカイルア在住K様のご自宅(の個室)からこの記事を書いている。あれから紆余曲折あり、今夜はK様のご自宅に宿泊をさせていただくことになった。ものすごい綺麗な個室を与えられ、さきほどまで、あまりの快適さに「うおーーーーーー!」と感激をしながらメールの返信作業などをしていた。

 

こんなにも綺麗なお部屋に泊まらせていただけることがありがたく、わたしは「もしよろしければお部屋のお掃除をさせてください」と願い出た。K様も、K様の旦那様も、ほんとうに美しい表情をしていた。この美しさは間違いなく「魂が綺麗だから」なのだと思った。そんなひとに出会えたことが本当に嬉しくて、わたしはよろこびと共に床を磨いた。床を磨きながら、ああ、これは自分を磨いていることと同じだなと思った。

 

K様家族とは様々な話をした。ハワイアンスピリットは所有をしないということ。自分たちのものであっても、それを使いたいと願うひとがいれば「どうぞ使ってください」と差し出すということ。アロハの意味は、ありがとうだけではなく『神の贈りものであるあなたの前にいます』ということ。その精神性が、いま、徐々に廃れてきてしまっているということ。

 

わたり食堂【0円食堂】feat. ごちゃまぜの家 in ハワイ会議

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3月21日(水・祝日)に、横浜にあるごちゃまぜの家でわたり食堂【0円食堂】を開催します。この日、ハワイからの凱旋記念も兼ねて13時頃から「ごちゃまぜの家 in ハワイ会議」なるものを開催させていただきます。ハワイを愛している方、ハワイに行ってみたいと思っている方、ハワイに興味を持ち始めた方、ごちゃまぜの家に興味のある方、ビリギャル男(さかつめけいご)の旅路に関心を持ってくださった方など、どなたさまでもお気軽に遊びにいらしてください。

 

わたり食堂【0円食堂】feat. ごちゃまぜの家 in ハワイ会議

 

わたしの居場所はあなたです。

https://www.instagram.com/p/BgApzZ3lva0/

オアフ島もよい。。。 #hawaii #kailua #lifeisgood

 

昨日、新婚旅行中のM様とお会いした話は過去記事に書いた。あの日は衝撃が走り続けた時間になった。M様は言う。わたしはいま、お金を稼ぐためにやっている仕事とは別に、ボランティアのような仕事、言うなら「お金を払ってやっている仕事」があるのですが、不思議なことに、お金を稼ぐための仕事よりも、お金を払って(自分が損をしながら)やっている仕事の方が、なんだかやる気が湧くんです。これっておかしいでしょうか。と。わたしは、この話を聞きながら「めっちゃわかる気がする!」と思った。

 

また、M様は言う。実は私は結婚という制度に昔から違和感があったのですが、でも、結婚というのは自分と相手だけの話ではなくて、お互いの家族を含めた話なんだなってわかったんです。前に、わたしの両親と、主人の両親がすっごい仲良さそうに話している場面を目にしたことがあったのですが、なんだかその光景を見たときに、胸にじーんと来るものがあってうわああああああってものすごい感動しちゃって泣きそうになってしまったんです。と。わたしは、この話を聞きながら「めっちゃわかる気がする!」と思った。

 

また、M様は言う。さかつめさんは、ごちゃまぜの家とかわたり食堂とかハワイの企画とか、誰でもいつでも無料で使ったりできる(セフティネットみたいな)ものをいろいろな場所につくってくれるけれど、でも、わたしにとっては『ただ、さかつめさんが生きていること』そのものが一番のセフティネットみたいなものなんです。ああ、今日も、坂爪さんはどこかで元気に生きているんだろうなあって思うだけでも、この世界は捨てたもんじゃないなあって、どこかで優しさは循環をしているんだろうなあって、そんな気持ちになるんです。と。わたしは、この話を聞きながら「これはもうなんだかほんとうにありがとうございますとしか言えない!!」と思った。こんなにうれしいことってあるのだろうか。昨日、これまた本当にうれしいメールをいただいた。自分のために、最後に紹介をさせていただきます。わたしはいま、誰でも自由に立ち寄ることのできる家なり土地なり空間と出会うために、ハワイにいる。8日目を過ぎた現在、まだ、あてはなにも見つかってはいない状態になるけれど、大事なものは空間ではなく「人間」なのだと思う。あまりにも抽象的な言い方になるけれど、わたしの究極の役割は『BEハワイ(お前がハワイになれ)』なのだと思う。そして、自分こそが『あなたの居場所』になることのできるような、そういう生き方をしていきたいのだと思った。

 

坂爪さん

 

以前に本を送って頂きました🙂

 

これまで坂爪さんの綴る文章に、癒され、励まされ、気づき、思い直し、でも現実に引き戻され打ちのめされてはまた悩み、そしてまた坂爪さんの言葉に触れては奮い立たされ...^_^
そんなことを繰り返しています。

 

坂爪さんのプログは何度でも戻ってこれる場所です。たとえ現実に引き戻されても現実が何も変わらなくとも、坂爪さんの言葉に戻ってきてまた心が動かされればいい。変われない自分を責めなくても、また戻ってきて心が揺さぶられればいい、何度でも。そう思っています。私がそうであるように、きっとそういう思いでプログを読んでる方もいらっしゃると思います。

 

でも目に見えてる世界に変わりはないんですが、きっと心の底に住んでいる、坂爪さんからのたくさんの宝石のような言葉に時おりノックされる感覚があります。今の生活で何か違和感を持つ場面に感じます。そしてハッとします。

 

うまく文章に出来ないのですが、そんな気持ちをお伝えしたかったです。
ありがとうございます😊

 

ホノルルに向かいます! #アロハの精神 #BillyGyallow #lifeisgood #あなたは何派 #わたしはアロ派 #アロ派の精神 #バナナ #食べる #おなかいっぱい #おなかはぽんぽん #ぽんぽん #ぱんぱん #ぽんぽんがぱんぱん #ぽんぱん #けいご坊やのぽんぽんはぱんぱん #これからホノルル #ホノルルは動詞 #一緒にホノルろ #奇跡的にホノルルでお会いできる方がいらっしゃいましたらばお気軽にご連絡いただけましたら光栄です #LOST #and #FOUND #素敵な言葉 #さかつめ占い #今日は大切な忘れ物が見つかる1日になります #みなさまのLOSTが無事にFOUNDされますことをお祈りしております!!

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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応援メッセージもこころからお待ちしております。みなさまからのお言葉が、へっぽこりんちょになっている瞬間にどれだけ大きな力になることか・・・簡単な一言だけでもとってもうれしいです。みなさまからの応援をよろしくお願いいたします!!

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【7日目・ハワイ島北西部】自分の未来が楽しみになる。

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7日目。ハワイ島最終日。北西部を目指す。

 

 

海を見つけてはしゃいでしまう。

 

溺れるカメラ #hawaii #BillyGyallow #lifeisgood #海 #裸足 #浄化 #放電 #きもてぃぃ #かかってこいや #波 #ばっちこい #ばっちこい波 #ばっちこいうどん #愛媛の美味しいうどん屋さんの名前 #ばっちこいうどん #讃岐うどん #大好き #讃岐うどん食べたい #海外に行くと食べたくなるもの #うどん #みなさまも愛媛に行った際はばっちこいうどん屋さんに是非!!

 

なんにもない場所を見つける。

 

少しでもハワイの風が届きますように! #hawaii #BillyGyallow #lifeisgood #iamlight #youarelight #海 #太陽 #光 #なにもない場所 #手を引いて歩いているみたい #癒されるなあ #癒されるなあ #癒されるなあ #君に #( ˘ω˘ )♡

 

最終日は、忘れられない1日になった。

 

猫と夕日 #hawaii #last #sunset

 

🌸🌸🌸6日目の記事はこちらです🌸🌸🌸

 

ibaya.hatenablog.com

 

自分の未来が楽しみになる。

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海のあるホテル

 

今日、新婚旅行でハワイ島に来ていた日本人カップルの方と食事をした。正確には「食事をご馳走になった」のだけれど、ご馳走になったばかりか、活動費として餞別まで頂戴をしてしまった。わたしは激しく恐縮をしながら「大切に、大切に、大切に使わせていただきます…!!」と感謝を伝えた。ら、餞別をくれたM様は「大切に使わないでください!」とわたしを叱った。坂爪さんは変な所が真面目すぎる。このお金を、私たちには使えないような使い方をしてください、と。わたしは「ああ・・・なんということでしょう・・・はい、わかりました!頑張ります!」と答えた。するとM様はただちに「頑張らないでください!」とピシャリと叱る。叱られたわたしは「う、う、うわああああああ!」となって何も言葉を出せなくなる、この瞬間のやりとりに救われるような嬉しさと温かさを覚える。

 

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名もなき海

 

宿泊先でも筆舌に尽くしがたい恩恵を受けた。みなさま、ハワイ島の宿泊先はku ke aloha guesthouseさんを激烈におすすめします。素晴らしい人間との出会いが、また、何度でも足を運びたいと思える『居場所』になる。今日もたくさんのメールをもらった。そのすべてを紹介することができないのが口惜しいけれど、みなさまにも読んでもらいたい言葉の宝庫みたいなメールが、たくさんある。目の前にある現実はひとつだとしても、見るひとの数だけ解釈がある。坂爪圭吾という人間はひとりでも、見るひとの数だけ坂爪圭吾は立体的になり、見るひとの数だけ坂爪圭吾は多面的になる。わたしに広がりを与えてくれるもの、わたしに価値を与えてくれるものは、わたしだけではない『あなた』になる。この記事の最後に全文引用をさせていただきます。是非、あなたにも読んでいただけたらうれしいです。すべては繋がっているならば、きっと大きな力になるのだと思う。

 

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どこにもない場所

 

ワイ島での日々を終えて、いま、胸を張って言える。ハワイ島は最高だ。もしもいま、まだ、ハワイ島に足を運んだことのないひとで毎日毎日「死にたいなあ」なんて思っているひとがいたら、一度だけでいいから、ハワイ島にあるホナウナウ湾とワイメナ渓谷とマウナケアの星空だけは見てからにして欲しい。ハワイ島がある世界なら、もう少しだけ生きてみてもいいかなと、そんな風に思ってもらえる魅力がこの島にはある。自然だけじゃない。目に見えるものだけじゃない。きっと、眠っていたなにかを目覚めさせる力がこの島にはある。とか言いながら、ワイメナ渓谷もマナウケアの星空もまだ見ていない。これは来月のお楽しみにとっておく。ハワイにおける、今後の身の振り方が見えてきた。ハワイ島の日々を終え、明日からホノルルに飛ぶ。自分の未来が楽しみになる。

 

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ワイ島最終日の夕日

 

 

こんにちは!


坂爪さんinハワイを通して
「優しさ」について考えさせられています。

 

これまでの時代の「優しさ」は
「溺れかけている人を見つけたら身を挺して助けてあげましょう」
的な考え方がありました。

 

でもそうなると、共倒れになってしまう危険もありました。

 

これからの時代の「優しさ」は
違うんだそうです。

 

「溺れかけてるその海は、実は波のない、穏やかな、美しい浅瀬で、リラックスしてごらん、そうすれば足がつくよ、なんならプカプカ浮いて真っ青な空を見上げることもできるし、思いきって潜ってみれば可愛い熱帯魚や海ガメや珊瑚が見れるよ」

ということを、
自分が実践してみせて教えてあげること、
惨めだと思いこんでいた世界は本当は限りなく優しく、温かく、美しいのだと知らせてあげること、
それが「新時代の優しさ」なんだそうです。


坂爪さんからは、なぜか後者の空気を感じます。
坂爪さん自身はそんなつもりはないかと思いますが(笑)


世界中の人たちが目を醒まし
あー楽しいねと
ただ笑って
海でプカプカ漂える未来が近づいていること、
なーんだ人生ってこんなに素敵だったんだねどうして今まで気づかなかったんだろと笑いあえる世界がもうすぐやってくること、
坂爪さんのハワイ滞在を通して
なんとなく予感している私がいます。

 

ありがとうございます!

 

 

坂爪圭吾様

 

こんにちは。

坂爪さんのブログは以前からすごいファンでいつも本当にワクワクしながら見せて頂いています。

 

事後報告になりますが、坂爪さんを四柱推命・算命学的に見た記事を書かせて頂きましたので

一応お知らせした方がいいと思いこちらでリンクをお送りいたします。

 

https://ameblo.jp/bossvoice/entry-12357363318.html

 

ハワイに私も死ぬまでに是非行ってみたいと思いました!

 

今後のレポートも楽しみにしています。

 

では!

 

 

圭吾さんへ

おはようございます。

うまく言葉に出来ないのですが、、

猛烈に応援しています!!!

なんと言葉にしたらより伝わるのか、わからないのですが、


猛烈に応援しております!!!!!


いつも圭吾さんの姿、声、言葉、生きる姿から大いなる光と風を感じさせてもらっています。今はハワイの暖かい空気と風と珈琲の香り(これは私の想像で嗅いでます笑)をいっぱい感じさせてもらっています。

ハワイにごちゃまぜの家を作るという大冒険に私も参加したい!と思い、本当に僅かではありますが御賽銭をさせて頂きました。 毎日ワクワクしながらブログを読んでいます。圭吾さん、私に冒険のチャンスをくれて、ありがとうございます!

ハワイの旅が圭吾さんにとって新たな出会いとなっていることはもちろん、それだけでなく、実はもう知っていたこと、出会っていたことを知る旅になるような、全ては圭吾さんの中にもう宿っている。それを知る旅のような・・・

本当に勝手にですが、そのように感じました。

きっと光と風と人が圭吾さんを運んでくれますね。

今日も素晴らしい時間が訪れますよう。

(最近覚えたての英語で、お別れの挨拶をさせて下さい(*´∀`)♪♪)

Have a nice day!!

 

 

圭吾さんが、ハワイ島が大好きだから♡
じゃダメですかね??笑
ワイ島である理由。

それくらい個人的で、それくらい簡単なことでいいんじゃないかなぁ、って思っちゃいました( ˘ω˘ )
というか、【好き】って最強だな、と。

圭吾さんが好きな土地を、圭吾さんが好きなひとたちに知ってもらいたい、経験してもらいたい。
もちろんそれがハワイ島じゃなくても、場所はどこだっていいと思います。
みんな圭吾さんが大好きで(事実ですが、調子には乗らぬように〜、笑。)、圭吾さんを応援しているわけだから、限りなく純粋に、限りなく個人的な理由を喜んで受け入れてくださる気がします✨✨✨


だって好きなんだもーん♡笑
は、最強であります♡

て、そもそも理由が必要なのか!??と、今思いました、笑。
理由がないと落ち着かないですか、、、ね!??

ま、何はともあれ、ハワイ島ラストデイを抱きしめちゃってください♡♡♡
圭吾さんが、素敵な夕日とともにありますように✨✨✨✨✨

 

 

圭吾さん こんにちは。
ハワイでは夕日が世界を優しい色に染めている頃でしょうか?
 
こちら川口では自転車をこぐ道に沈丁花の甘い香りがふんわりただよってます。
庭の梅も満開で春の訪れを告げてくれていますよ♪
 
特に急いで伝えたいこと、という訳ではないのにメールしてしまってごめんなさいなのですが、
圭吾さんが届けてくださるハワイでの日々に触れ、自分のなかでの気づきのようなものがたくさんあり、なんとなく圭吾さんに聞いてもらいたくなってしまってこうしてメールをしたためております。
 
日本とハワイ。
それを繋ぐものは何だろう?と、気になってしまって。
わたしがわずかに持っているピース(知識)をつなぎ合わせながら考えてみていたのですが、『受容』というキーワードで繋がっているのではないか?と。
 
異質なものを受け入れて、新しいものへと進化させるような、それでいてより根源的な本質へと回帰していくものへと変容させる役割のある場所であるような。そんな気がしています。
 
 
こちら↓のサイトでさわりだけですが、宗教もふくめたハワイの歴史に触れてみてそんなことを思ったりしました。
 
 
 
わたしのまったく個人的な宗教観なのですが、神とは″いのちそのもの″という確信があって。
 
 
日本やハワイやケルトもそうですが、古来よりひとは自然のなかに神を感じ敬っていた。
元々はその″自然″のなかには自分といういのちも含まれていることもわかっていたのではないか。
でも、いつしかその自然のなかに自分が含まれなくなってしまって「わたし」と「畏怖の念を感じる対象(神)」という分離が起きてしまったのではないか。
 
一神教にしても多神教(アミニズム)にしても、結局は自分の外側に神を感じてしまっている状態なのであれば同じこと。そんなことを思ったりしています。
 
 
これまでも、ごちゃまぜの家に流れているどこか静謐な雰囲気は、教会や神社や修道院みたいだなあ、とそんな風に感じることがあっのですが、それを超えて。
ごちゃまぜの家は『わたしたちはみんな神さまであった』ということを思い出せる場所、いのちを喜び合えるあたたかな場所として存在してくれたらいいなあ、などと勝手に願ってしまうわたしです。
 
 
いのちは神さまで、からだ(かたち)はお宮で。
 
 
わたしのこの人生のテーマは「お宮の手入れ」だったということをちゃんと思い出した感じで、3月の終わりからはちょっとずつ新しいお勉強も始まる予定です。
それが間違っててもいいの。それをやりたいの。という思いで日々を生きてます!
 
その話も圭吾さんにも聞いてもらえることがあったら…なお嬉しいです。
 
 
 
それから、名前にはすごく大切なメッセージが隠されているかも知れません!
 
圭吾さんが「神の道具になりたい」と思うことは運命の意図を思い出しているのかもしれない、と思ったことを伝えたかったんです。
 
「圭」は、土地神さまに祈りを捧げるときに盛る土
「吾」は、神さまのことばを汚れから守る器
 
という象意があるそうです。
 
 
わたしは自分の名前に込められた大きな意味を思ってすごく自分が愛しくなりました。
 
 
 
 
とりとめのない、そして一方的な話を長々とすみません。。
圭吾さんが発信しているもの。きっとわたしを含めたたくさんのひとのトリガーになってます。
 
 
目で耳で肌でこころで感じるハワイの日々の全てをゆっくり味わってくださいね!
それでは(*´ω`*)
 
 

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拝啓

 
日本では、啓蟄の季節になりましたね。
こちらLAも短い雨季が去り今日も穏やかな晴天です。
 
さて圭吾さんは、今日はハワイでどんな一日を過ごされるのでしょうか、、、
 
あれ以来、ラインでのメッセージはお送りしていないのですが、
ずっとハワイにいらっしゃるあなたの元へと心は飛んでおります。
そして、毎日のお知らせがアップされるのを今か今かと心待ちにしています^^
 
私は、いつしかFBを通して綴られるあなたの言葉に心を掴まれ
フォローをしてきた一読者です。
 
他の多くの方と同様に、
あなたの言葉に度々救われてきました。
 
遠く離れた日本から発せられるあなたの言葉は、
とても静かに私の心に入り込み、腰を掛けて側に寄り添い、
私を癒し、包み、明かりを照らし、鼓舞激励し、
ともに生きている同士のような、
まるでもう一人の私と話しているような、
まるで本当の心の友と話しているような、
そんな錯覚を私に起こさせます。
 
過去にひどい鬱病を患い、
未だに現実の世界で上手く生きられない不器用な私は、
インターネット、ソーシャルメディアの世界に入り込みなれないよう、
これまでできる限り、距離を置いて来たのですが、
あなた様がハワイに行かれるということを目にした後は、
日々心がそわそわと落ち着かず、、、
私はこの一連の神事に、力を貸すように命じられてしまったかのように、
その後のあなたの動向に目が離せなくなってしまいました。
 
これまで、FBでフォローをする以外は、
あなたの発する言葉に向けてメッセージなど一切送ったことがなく、
全く交流のなかった者から、あのように唐突にラインでメッセージを送られ、
更に、馴れ馴れしい申し出に当惑されたかもしれません。
或いは、そのようなメッセージや、出逢いは日常であるがゆえに、
特に何も思わず、いちファンレターとして受け取られたかもしれません。
 
でもあなたは知らない間に沢山の人の毎日を、心を、命を救っていて、
たぶんあなたの為に何かをしたいと思っている人は
この私を含めほんとうに大勢いて、
みんな勝手に親友以上の存在にあなたのことを想っていると思うのです。
 
謙虚で、自分に手厳しいあなたは、
そのことを自覚していらっしゃらないかもしれませんが、
『ハワイでごちゃまぜの家』どころか、
あなたのやりたい!実現したい!と思ったことは
多くの人が賛同し、惜しみなく協力してくれることと思います。
 
なぜなら、あなたは多くの人の心の友であると同時に、
あなたが実現しようとしていることは、
人類全体の、社会への挑戦だからです。
 
自然の一部である人類が
自然に、ただ自分として存在することができないこの社会、
(それは実際は刷り込みで、思い込みでしかないのですが、)
そんな社会の風向きに一石を投じるあなたの在り方は
間違いなく多くの人に力を与え、社会を揺り動かしています。
 
あなたが、ただあなたで在れば良いのだと、
矢面に立って、その奇跡を見せてくれるあなたの勇気に胸が熱くなります。
 
皆の為にと決して気負わず、
あなたが只あなたとして存在していることが
あなたの役割なのだということをご自身で忘れてしまわないように、
それはまるで海に浮かぶように、
焦らず、ただ力を抜いて、どうぞ今を、ハワイを存分に楽しんでください。
 
あなたの力になれることを、
何かをさせて頂けるのを心待ちにしております。
 
どうぞ何か私にできることがありましたら、躊躇せず連絡をください。
全力でお手伝いさせて頂きます^^
 
敬具
 
三月五日

 

 

"The Invitation"


It doesn't interest me what you do for a living. I want to know what you ache for and if you dare to dream of meeting your heart's longing.

It doesn't interest me how old you are. 

I want to know if you will risk looking like a fool for love, for your dream, for the adventure of being alive.

It doesn't interest me what planets are squaring your moon. 

I want to know if you have touched the centre of your own sorrow, if you have been opened by life's betrayals or have become shrivelled and closed from fear of further pain.

I want to know if you can sit with pain, mine or your own, without moving to hide it, or fade it, or fix it.

I want to know if you can be with joy, mine or your own; if you can dance with wildness and let the ecstasy fill you to the tips of your fingers and toes without cautioning us to be careful, be realistic, remember the limitations of being human.

It doesn't interest me if the story you are telling me is true. I want to know if you can disappoint another to be true to yourself. If you can bear the accusation of betrayal and not betray your own soul. If you can be faithless and therefore trustworthy.

I want to know if you can see Beauty even when it is not pretty every day. And if you can source your own life from its presence.

I want to know if you can live with failure, yours and mine, and still stand at the edge of the lake and shout to the silver of the full moon, 'Yes.'

It doesn't interest me to know where you live or how much money you have. I want to know if you can getup after the night of grief and despair, weary and bruised to the bone and do what needs to be done to feed the children.

It doesn't interest me who you know or how you came to be here. I want to know if you will stand in the centre of the fire with me and not shrink back.

It doesn't interest me where or what or with whom you have studied. I want to know what sustains you from the inside when all else falls away.

I want to know if you can be alone with yourself and if you truly like the company you keep in the empty moments.
 
 
Oriah Mountain Dreamer
 
 
和訳)
 

あなたが生活のために何をしているかは、
どうでもいいことです。

私は、あなたが何に憧れ、
どんな夢に挑戦するのかを知りたいと思います。 

あなたが何歳かということも関係のないことです。 

あなたが、愛や夢や冒険のために
どれだけ自分を賭けることができるか知りたいのです。

あなたがどの星座の生まれかということも
どうでもいいことです。 

あなたが本当に深い悲しみを知っているか、
人生の裏切りにさらされたことがあるか、
それによって傷つくのが怖いばかりに
心を閉ざしてしまっていないかを知りたいのです。

あなたが、自分のものであれ、人のものであれ、
痛みを無視したり、簡単に片づけたりせずに、
それを自分のものとして受け止めているかどうかを知りたいのです

また、喜びの時は、
それが私のものであれ、あなたのものであれ、
心から喜び、夢中になって踊り、
恍惚感に全身をゆだねることができるかどうかを知りたいのです。 
気をつけろとか、現実的になれとか、
たいしたことはないさなどと言わずに。

私は、あなたの話すことが
本当かどうかには関心はありません。 

私は、あなたが自分自身に正直であるためには、
他人を失望させることでさえ
あえてすることができるかどうかを知りたいのです。

たとえ裏切りだと責められても、
自分自身の魂を裏切るよりは
その非難に耐える方を選ぶことができるかどうかを。 

たとえ不実だと言われても、
そんな時にあなたがどうするかによって、
あなたと言う人が信頼に値するかどうかを
知りたいのです。

私はあなたが本当の美がわかるかを知りたいのです。 
それが見た目に美しく見えない時でも、
毎日そこから本当に美しいものを

人生に汲み上げることができるかどうかを。

私は、あなたがたとえ失敗しても、
それを受け止めてともに生きることができるかどうか、
それでも湖の縁に立ち、
銀色に輝く満月に向かって
"Yes."と叫ぶことができるかどうかを知りたいのです。

あなたがどこに住んでいるか、
どれだけお金があるかはどうでもいいことです。 

それよりも、
あなたが悲しみと絶望に打ちひしがれ、
どんなに疲れ果てていても、
また朝が来れば起き上がり、
子どもたちを食べさせるために
しなければならないことをするかどうかを知りたいのです。

あなたが誰を知っているか、
あなたがどうしてここに来たかは関係ありません。 

私とともに決してひるまずに
炎の只中に立つことができるかどうかが知りたいのです。

あなたがどこで、何を、誰と勉強したかはどうでもいいことです。 

私が知りたいのは、
皆が見捨ててたった一人になった時、
あなたの内側からあなたを支えるものは何かということです。

私はあなたが自分自身としっかり向き合い、
その何もない時間の中にいる自分を
心から愛しているのかどうかを知りたいと思っているのです。

オライア・マウンテン・ドリーマー

 

 

世界中にはたくさんの南の島があるなかで、なぜ、ハワイなのか。本日は、その理由を強く認識するための1日にしていきたいと思います! #hawaii #BillyGyallow #lifeisgood #ハワイ島最終日 #明日からホノルルに行きます #なぜハワイにごちゃまぜの家なのか #自分自身まだ明確ではない部分がある #そこをはっきりとさせる1日にしたい #ハワイ島北部 #ワイメア渓谷 #ヒイラウェ滝 #直感 #海亀 #神の思し召し #今日は朝から同じ宿の方と話が出来てご機嫌 #簡単な挨拶を交わすだけでもさわやかな風が吹く #みなさまにとっても今日という1日に素敵な風が吹き抜けますように!!

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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【6日目・日曜日】自分を越える。

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6日目。花を眺め、珈琲を飲み、海岸を歩く。

 

 

なにもしないとは、ただ、生活を愛することなのだと思う。

 

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🌸🌸🌸5日目の記事はこちらです🌸🌸🌸

 

ibaya.hatenablog.com

 

🌻🌻🌻ちーむぜろによる補足配信はこちら🌻🌻🌻

 

twitcasting.tv

 

詩と出会う・詩と生きる

移動中の車内で、NHKカルチャーラジオを聞く。

 

www.youtube.com

 

近藤宏一さんという人物を知り、衝撃を覚える。ハンセン病が悪化して失明をした近藤さんは、やがて「聖書を読みたい」と願うようになる。しかし、自分には視力がない。四肢障害によって手指も自由に使うことはできない。そこで、近藤さんは「唇と舌」を使って点字を学ぶことを決意する。唇だけを使って本を読むとは、舌だけを使って本を読むとは、どんなにか大変なことだろう。「学べ。学ばなければならない」と自らを叱咤激励する近藤さんの姿を思うとき、ああ、と強く動かされるものを感じる。

 

ぼくらの風 

近藤宏一さんの詩に「ぼくらの風」というものがある。

 

ぼくらの風      近藤宏一
 
健ちゃん
萎えたその手にハーモニカは持てるか
いや 持たねばならない
その唇にドレミは唄えるか
いや 唄わねばならない
 
外には風が吹いている
外を吹く風は冷たい木枯らしだ
木枯らしは萎えた手の皮膚をいため足のひびわれに血をにじませる
そして ぼくらにはぼくらの風が吹いている
 
ああ ぼくらの心を吹く風よ
それは決して冷たくない
健ちゃん
萎えたその手にハーモニカを持てるか
いや 持たねばならない
その唇にドレミは唄えるか
いや 唄わねばならない
 
たっちゃんもおなじだ
弘も五郎もみんなおなじだ
テーブルを叩いてリズムをとっているちょねさん
窓辺で手拍子をとっているのは鈴木くん
壁にもたれて天井をにらみつけている義足の輝一
 
みんないま邪魔ものを払いのけるようにして
自分の楽譜を脳裏に刻みつけている
それは ぼくらの心の中を吹く風だ
 
ドラムの川崎のおじさんよ
あなたは五十一才の足でペダルを踏む
浅井くんよ
きみは貯金と借金で買い求めた三千円のギターをはじく

ひとつの思い
ひとつの願い
ひとつの音楽
それらはぼくらの心の風だ
部屋中いっぱい渦をまき ごうごうと音をたてるハーモニカだ
 
健ちゃんよ
萎えたその手からハーモニカを落としてはならない
その唇にドレミを忘れてはならない
きのうまで部屋の片すみでじっと蹲っていた健ちゃん
 
きょうはそのくらさはどこにもない
生かされてきた昨日
生きぬこうとする明日へ
健ちゃん
ためらうな おじけるな
 
窓にはもう月が昇ったであろう
外には風が吹いている
 
ぼくらにはぼくらの風が吹いている
もうみんな覚えたであろう
はじめて生み出すぼくらの歌
みんなでいっしょに風の中へそれを流しだすのだ
 
さあ 用意はいいか スタートだ

 

何回も、何回も、読み直す。

 

ひとりはさみしい 

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ホナウナウ湾

 

昔、20歳の頃に「ひとりはさみしい」という詩を書いた。

 

ひとりはさみしい ひとりはつらい

 

たったこれだけの、詩とも呼べないような、みじかい言葉だ。

 

ひとりはさみしい ひとりはつらい

 

たったこれだけの言葉なのに、33歳になったいまになっても、何度も何度も思い出す。今日の日没後、マーケットで買い物を済ませて、外に置いてあるベンチに座りながら、ひとり食事をしていた。暗くなっていく空を眺めながら、この詩「ひとりはさみしい」を思い出していた。いま、自分は、誰でも自由に立ち寄れる居場所をつくるためにハワイにいる。みなさまの協力のもとに生かされてある日々、感謝の思いが尽きることはないが、それでも「さみしさ」を覚えることはある。これは、誰かといたいと願うさみしさではない。なにかこう、もっと根源的なさみしさ、決して埋め合わせることのできないようなさみしさなのかもしれないと思う。

 

ひとりはさみしい ひとりはつらい

 

今日、この言葉を思い出しながら「ああ、これは自分ひとりのつぶやきだと思えば弱音みたいに聞こえるけれど、これが人類全体の叫びだとしたら、さみしいのは自分だけではないのだという慰めを与えてくれるものになるのだなあ」ということを思った。自分ひとりだけのつぶやきは、ただの弱音でしかないのだろう。しかし、人類全体の叫びや嘆きを代弁できたとき、それは弱音を越える。自分を超えた言葉になる。「自分を超えた言葉になる」ということ。言葉を超えて、詩になるということ。ひとつの音楽になるということ。わたしがやりたいと思っていることは、わたしが行きたいと思っている世界は、この境地にあるものなのだと、暮れる空を眺めながらぼんやりと考えていた。

 

世界を作る

昨夜、一通のLINEをいただいた。

 

坂爪さま、

叔母が、背骨三箇所骨折し、

病院から、マンション自宅には、帰れず、

老人介護施設を探しています。

 

どこも、まぁ、暗い!

 

こんな施設の世話になりたくない、と、強く思いました、、、

坂爪さまに、

年を取ることが、

怖くない世界を作って欲しい、

なぁ、と、思います。

 

早く、死にたいと、

思わなくてよい、世界

 

誰でも自由に使える居場所があったらいいなと、そこはきっと「特定の人種だけがまるで隔離をされているように置かれているのではなく、あらゆる人種がごちゃまぜになって、それでいて調和が成り立っているような場所になったらいいな」と思い、わたしはこの家の名前をごちゃまぜの家と名付けた。第一弾は日本の横浜にできた。第二弾をハワイに作りたいと思って、今回、なんのあてもないままにハワイに足を運んで6日の月日が流れた。それを見て、この言葉を投げかけてくださった方がいる。実感のこもっている言葉だと思い、私自身、ごちゃまぜの家がそのような役割を担うことができたらどれだけ素晴らしいだろうかと思う。

 

ー 年を取ることが、怖くない世界

 

そして、

 

ー 早く、死にたいと、思わなくてよい、世界

 

このような世界にしていきたいのだ。

 

自分を越える。

近藤宏一さんは、その詩のなかで「持たねばならない・唄わねばならない」という言葉を使う。私は、昔から「この世の中に『こうあるべき』なんてことはひとつもない」ということを思いながら生きて来た。なにをしてもいいし、なにもしなくてもいい。どこにいってもいいし、どこにもいかなくてもいい。自分にも、他人にも、強制をされる必要はない。あなたは(私は)あらゆるものから自由なはずだ。そんな風に思って生きて来た。だが、近藤さんが使う『こうあるべき』という言葉には、わたしが反抗をしてきたものとは全く違う、崇高な決意の尊さが、圧倒的な響きをもってわたしの胸に迫って来た。

 

これは「自分を越えようとするものの決意」だと思う。なにをしてもいいし、なにもしなくてもいい。その通りだ。唇で本が読めないとしても、舌で本を読めないとしても、誰一人として近藤さんを責める人間はいないだろう。置かれている状態が状態なのだから、唇や舌を使う努力を近藤さんがおこたったとしても、誰も近藤さんを責めることはない。しかし、なのだと思う。ここで、近藤さんは自分自身を超えるために、(聖書の言葉を得ることで)新しい自分になって生まれ変わるために、あえて、自分自身に「学べ。学ばなければならない」という強い言葉を使ったのだと思う。

 

その気持ちが、いまの自分にはわかる。近藤さんは、自分の障害を乗り越えることによって、あとから続くものに『何か』を贈りたかったのだと思う。その何かとは、乱暴にまとめると「人間が人間を見限ってしまわないこと」だと思う。お前には無理だ。お前には力がない。お前には愛される価値がない。様々なひとが様々な否定的な意見を述べる。そんななかで、それでもなお、ひとりの人間が己の生き様を通じて「そんなことはないぜ」「自分にだってできたぜ」と示すことが、あとから続くものにどれだけ大きな勇気や慰めを与えることになるだろう。人間が人間を見限ってしまわないこと。ひとりひとりの存在は小さなものだけれど、ひとりひとりに与えられた役割は大きなものだ。今世の自分の役割は、自分の生き様を通じて、人間に与えられている可能性を示すことなのだと思う。そのためにこそ生きているのだと、そのためにこそ生きていきたいのだと、私は思う。

 

https://www.instagram.com/p/Bf7aYlDDMwj/

ひとりひとりの存在は小さなものだけれど、ひとりひとりに与えられた役割は大きなものだ。 #hawaii #BillyGyallow #lifeisgood #smile #peace #happiness #lifegoeson #今日もありがとうございました

 

坂爪圭吾さま
 
はじめまして。
○○○○○○と申します。
 
困難な日々を生きている者です。
 
「夜明け前が最も暗い」と信じているので、
自分の置かれた状況に絶望することなく
明るい気持ちで過ごしています。
 
そんな私にとって坂爪さんのブログやツイートを読むことは
ご飯を食べることや息をすることのように
それ無しでは生きていけないほど必要不可欠なことです。
 
いつもありがとうございます。
 
今日、突然思いついて
自分が大好きな数字のゾロ目の額を
お賽銭として振り込ませて頂きました。
わずかな額ですが、感謝の気持ちとして贈らせてください。
 
坂爪さんはただ生きて思いを文章にして発信してくれるだけで
大勢の人たちにとってありがたい存在になっていると思います。
 
これからもよろしくお願いします。
 
○○○○○○

 

本日はコナジョーコーヒーで休息日です! #なにもしない勇気 #心の声に耳をすませる #そんなことってできるのかな #いけないいけない自分で自分を疑ってしまってはいけない #いっぷんきゃぷてんくっきんぐ #コナジョーコーヒーはワイファイ完備 #素敵 #紙に色々書いたり景色を眺めたりしながら時間を過ごします #なにもしない時間大事 #夕暮れ時の景色がすごそう #生きていることに感謝 #生まれてきてよかったなあ #おかあさんありがとう #みなさまいつも本当にありがとうございます #あなたのおかげでわたしがあります #謝謝 #超絶謝謝 #謝謝forthepeople #目の前にいたら抱きしめているところですよ #smile #happy #havefun #goeasy #いま目の前にトカゲが来てうれしい #happy #たしか幸福の象徴だったような気が #荷物の少なさを自慢 #愚か #自分を偉いと思う人間に偉い人間ないない #be謙虚 #今日も素晴らしい1日になりますよーに!!

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

お賽銭箱:坂爪圭吾に「もっと生きろ!」という方はこちら
ゆうちょ銀行》※ゆうちょ同士
 10120−54031201 サカツメ ケイゴ 

《ゆうちょ銀行》※他の銀行から 店番号 018 店名 〇一八店(ゼロイチハチ店) 普通 5403120 サカツメ ケイゴ

 

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応援メッセージもこころからお待ちしております。みなさまからのお言葉が、へっぽこりんちょになっている瞬間にどれだけ大きな力になることか・・・簡単な一言だけでもとってもうれしいです。みなさまからの応援をよろしくお願いいたします!!

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【5日目・Church-Kalapana Painted Church】奇跡は余白に舞い込む。

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5日目の朝。ハワイ島南部カラパナにある教会を目指す。

 

 

昨日、ブログ読者の方からこのようなメールをいただきました。

 

坂爪圭吾様
 
こんにちは。初めまして。
いつもブログを拝見し、あたたかさや勇気をいただいています。
いつも素敵な文章をありがとうございます^^
 
突然ですが、坂爪さんは、ご自身のお誕生日(1985年4月7日)がキリスト教の大祭日、イースター(復活祭)と重なっていることをご存知ですか?
 
例えばこのサイトなどで確認できます。
 
今日のブログを拝見して、理由はよくわかりませんが、このことをお伝えしたほうが良いような気がして、直感に従って取り急ぎメールしました。
 
ハワイでのご活動が、大きなものの意思によってあるべきところに運ばれて行きますように、心よりお祈りしています!

 

なんだかものすごい驚いてしまった。いままでも、多分、これはわたしの髪の毛が長いからだとは思うのだけれど、さかつめさんはキリストみたいですねと言われることが定期的にあった。事実、私の目を見た瞬間に泣き出してしまうひともいままでに何人もいたし、私と出会ったあとに「数十年来の飲酒癖がなおった」とか「冷え性がとれた」とか「原因不明の涙がとめどなく流れた」とか「心の重荷が消えた」とか「謎に家族仲が円満になった」などなど、驚きの証言をいただくことも頻繁にあった。誤解をされると困ってしまうのですが、自分はすごい人間だなどと言いたい訳ではなく、ただ、このような出来事が実際に目の前で起こっているのを目の当たりにしたときに、どのようなリアクションをとればいいのかわからずに戸惑ったことが頻繁にあるということを(これは甘えなのかもしれないけれど)読者の方にも知ってもらえたらなどと思い、いま、この記事を更新している。

 

🌸🌸🌸4日目の記事はこちらです🌸🌸🌸

 

ibaya.hatenablog.com

 

代表的クリスチャン・内村鑑三

そう言えば、私の誕生日はザビエルと同じだったなあと思い出しながら運転をする。移動中の車内では「100分で名著」というNHKの番組を聴く。今日は教会を廻るのだからキリスト教に関連のあるものにしようと、代表的日本人でおなじみの内村鑑三を選ぶ。指南役は若松英輔さん。この会が最高に素晴らしいもので、車を運転しながら多分54回は強烈な感動を覚えた。言いたいことはここに全部言われているといっても過言ではないほどに、珠玉の言葉が散らばっている(何度でも聴きたい)神回だと思う。本当に素晴らしかった。是非、みなさまも聞いて見ていただけたらうれしいです。

 

www.youtube.com

 

サウス・コナ〜ヒロ〜カラパナ

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ゲストハウスのあるサウスコナからヒロを目指す。片道2時間の道中は、ただ、何もない道路が延々と続く。途中、一箇所だけ休憩所がある。そこに立ち寄り、昨日のうちに買い込んでおいた食料で昼食を済ませる。基本、欧米や欧州遠征中の食事は「パンとサラミと適当な果物」で済ませることが多い。サラミを丸かじりして、パンをかじる。この繰り返しがなんだか落ち着くと同時に好きだ。比較的大きめのサラミを丸かじりしていると「まだまだ生きるぜ」という野生的な気持ちになってしまう。多分、この感覚が好きだからりんごとかきゅうりとかも丸かじりをすることを好むのだと思う。

 

カラパナの海岸

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ワイ島は地域によって天候がまったく違う。長距離移動をしていると、快晴と豪雨の両方を1日の間に楽しめる。コナ空港のある西海岸側は晴れが多く、ヒロ空港のある東海岸側は雨が多い。海の雰囲気も結構違って、西海岸は穏やかな太平洋に近く、東海岸日本海のような厳しさがある(ように感じたけれど実際は違うのかもしれない)。

 

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カラパナ・マーケット

Uncles Awa Bar and Farmers Market #家は作れる #そう思うだけで生きるハードルが下がる #雨風さえ凌たらおっけー #自然を身近に感じられるハピネスも同居 #端的に楽しそう #うれしさを感じるのはなぜだろう #原始的な暮らしへの共感 #なのかな #現地の方に話しかけていただく #君も今日からファミリーだと言われてうれしい #GoEasy #素敵な言葉 #ここが天国であると思えばここが天国になる #ここが地獄だと思えばここが地獄になる #平和とは心の状態なのかなと思う #この後行った教会がとても良かった #マリア様と対面 #家や土地に執着をしてはいけないのだなと反省 #すべては神の思し召し #急がば回れ #待つ #勇気 #祈り #美しさ #ピース #願わくばみなさまのこころに平和と安寧が訪れますように!!

 

Star of the sea Church-Kalapana

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目的地の教会に到着し、マリア様と対面をする。穏やかな笑みを目の当たりにして、自分のなかにあるこわばっている部分を意識する。ごちゃまぜの家なり空間なりを見つけることに躍起になってはいないかと、神の手に委ねますなどと言いながらいまだに自力に固執をしてしまってはいないかと、我が身を鑑みる機会になる。神聖な気持ちになることと、からっぽになることは似ている。なにかをぎゅっと握りしめているうちは、はいってくるものもはいってこない。自分がからっぽになるほどに、その余白の部分に神【奇跡】は舞い降りてくるような感覚を覚える。

 

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https://www.instagram.com/p/Bf5IeJ6DCmH/

Star of the sea Church-Kalapana Painted Church #kalapana #hawaii #scenic

 

奇跡は余白に舞い込む。

教会を出てから「明日はなにもしない1日にしよう」と決める。わたしのなかには、(せっかくハワイまで来たのだから・みなさまの協力の元にこの日々があるのだから)なにかをしなくちゃいけない・なにか特別な功績を残さなくちゃいけないという強迫観念にも似た思いがある。しかし、自分が定めた信念や想念が自分を縛り、やりたいとおもってはじめたことがいつの間にか「やらなくちゃいけない」なんてことになってしまうこともある。いままでは、そのことをあまりよくないことだと考えていた。が、今回のハワイにおいては「やらなければいけない」という壁を超えた先の世界、そういうものを見てみたいという思いがある。意思が道を開くということを、言葉ではなく経験として体感をしたいのだと思う。

 

過去に家のない生活をしていたころ、奇跡は余白に舞い込むということを経験的に学んだ。予定をいっぱいにしている限り、予定の範囲内の出来事しか起こらない。自分で決めるということは大切なことだとは思うけれど、余白のない日々を過ごしていると、自分が決めたことだけしか起こらない日々を過ごすことになる。他者が介入してくる余地や、奇跡的な出来事が介入してくる余地を、大袈裟な言葉で言えば「自らの手で封印をしてしまっている」ような状態になる。なにかをすることと同じくらい、なにもしない時間を設けることも大事なのだろう。そして、なにもしないことには、なにかをすることと同じくらいタフな精神力を必要とする。たおやかさを身にまといたいのだと願う。

 

家のない日々があったからこそ、荷物の少ない旅路を選んだからこそ、ひとの力を頼る必要性が生まれた。わたしが、かつて、これほどまでに多くの人々の支えを得ることができた一番の理由は、自分自身になにか特別な能力や才能が「あった」からではなく、生きるために必要なものがわたし自身には「なかった」からだ。わたしと他者を結びつけてくれたものは、わたしにあったものではなくてわたしに「なかった」ものになる。わたしに欠落があったからこそ、わたしは他者と繋がることができたのだ。自分に「ない」ものを通じて、わたしは他者を必要とすることができる。奇跡は余白に舞い込むということ。自分のなかにある欠落【弱さ】を認めること。それで生きると決めること。そのとき、静かなる声が聞こえてくるだろう。余白を「なにも生み出していない非生産的な時間」ととらえるのではなく、自分のこころの声を聞くための時間、自分のなかにある欠落を必死で埋め合わせるようとするのではなく、自分に欠落があるからこそ世界と繋がることができるのだということを、いま一度再認識するための時間になればいいと思う。

 

 

神のご加護がありますように! #今日は教会を巡ります #神の道具になれるか #往復5時間 #けいご坊や #車内では100分で名著を聞く #本日は内村鑑三 #代表的クリスチャン #内村は2つのJを大切にした #ひとつはジーザス #ひとつはジャパン #内村鑑三の歴史的名著 #後世への最大遺物 #金銭 #事業 #思想 #その三つをもたないひとでも残せるもの #高尚なる勇ましい生涯 #それこそが最大遺物である #けいご坊や感動 #真の感化とはなにか #YouTubeで聴けるのでよかったらみなさまも是非 #インスピレーションに富んだ素晴らしい番組 #みなさまにも素晴らしい神のご加護がありますように!!

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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【4日目・ホナウナウ国立歴史公園】神の道具になりたいと思う。

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4日目の朝。同じゲストハウスを利用していたともえさんと出会う。非常にありがたいことに、昔からともえさんはこのブログを読んでくださっていたとのこと。奇跡的な出会いに感謝をする。ともえさんに「今日はホナウナウに行こうかなと思っています」と告げる。すると、すると、ともえさんから「お邪魔でなければ一緒に行きませんか??」とのご提案をいただく。結果、私たちは1日行動を共にすることになった。

 

 

ホナウナウ行きが決まった瞬間、ロス在住の女性M様からラインが届く。

 

Pu’uhpnua o honaunau National Park【ホナウナウ国立公園】と言うところが近くにあります。ウミガメ出没率高しです。

 

実は今朝、坂爪さんからテキスト頂く前に書いていたところなんですが、坂爪さんのインスピレーションの邪魔になるかな?と思い消してしまったんですが、やっぱり気になるので送ります!

 

そこにハワイの歴史とか文化を知れる場所があります!

 

この一致はなんなのだろう。鳥肌が立った。ともえさんが「ホナウナウに行くなら絶対泳いだ方がいいですよ!ツーステップ(海)は最高です!シュノーケルセットを借りてから向かいましょう!」と、ゲストハウスのシュノーケルセットを借りてきてくれる。誰かと行動することのありがたみを思う。もしも、この時シュノーケルセットを借りていなければ(そしてともえさんが行動を共にしてくれなかったらば)、あの素晴らしい海を泳ぐこともなかっただろうし、以下のような動画を撮影することもなかった。

 

 

ホナウナウ海岸で泳いだのちに、マーケットに立ち寄って食材を買ってベンチに座って食し、その後、KONA JOEという絶景を眺めながら珈琲を飲むことができる(誰かを無理矢理にでも連れて行きたくなるような最高の)カフェに行き、帰り道に立ち寄った教会でインスピレーションを得て1日が終わった。最高の1日になったと思う。いかに、簡単に今日の出来事を振り返ります。

 

BBC...(Byebye baby cat.. ) #猫先輩 #ありがとうございます #ひとよりも猫や鶏と話すことが多い #動物の友達が欲しい #猫が寝転ぶ #じゃれてたら噛まれた #甘噛み #甘い考え #ハワイにごちゃまぜの家をつくりたいというのは甘い考えだと言われることもあります #甘いお菓子は大好きです #甘いキス #ロマンティック #甘いことも悪くない #ハワイ島は甘い香りに包まれている #多分花の香りだと思う #とてもいい匂い #みんながみんな苦く厳しい考え方で作られた世界を生きるよりも #甘い考えを現実化するための人間がひとりくらいいたっていいじゃないかということで猫先輩ありがとうございました!!

 

🌸🌸🌸3日目の記事はこちらです🌸🌸🌸

 

ibaya.hatenablog.com

 

ホナウナウ国立歴史公園

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サウスコナにあるホナウナウ国立公園。溶岩上にヤシの木が連立する様が壮観で、ただ、ぽけーっとしているだけでも最高の時間を過ごすことができる。小さな海亀を眺めながらパンをかじる。日光浴をしながら「生きててもいい」とか「生きているだけでいい」とか、そういうことを思う。その後、ツーステップと呼ばれている海岸沿いに移動をして、水中カメラを片手に30分程度泳ぐ。海は無料で、最高の癒しと生命力を与えてくれる。最高の時間だったが、その後、着替えに立ち寄ったトイレに水着を忘れた。あまりにも素晴らしいものだから、大好きなひとたちを全員をここに連れてきたくなった。ごちゃまぜの家をハワイ島につくれる日が来たら、海の近く、毎日でも海で泳ぐことができるような場所につくれたら最高だと思った。

 

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https://www.instagram.com/p/Bf2P033D3j7/

ホナウナウなう! #hawaii #honaunau

 

KONA JOE

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絶景を望みながら珈琲を飲むことができる「KONA JOE」というカフェに立ち寄る。結論から言うと最高だった。自然が豊かでひとも少なく、Wi-Fiも完備されていてなによりも(世界的にも最高品質であると言われている)珈琲が尋常ではないほどに美味しい。目の前に広がる空には夕日が沈む。毎日でもここに来たいと思った。豊かな時間が流れている。このお店にも海亀のオブジェが置かれていた。今日は何回も海亀と遭遇する機会に恵まれた。例の財布の件もある。海亀は今回の旅路の『守り神』だと思っている。

 

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https://www.instagram.com/p/Bf2drj8D6iB/

KONA JOE #konajoe #hawaii #scenic

 

🐢🐢🐢海亀の財布についてはこちら🐢🐢🐢

 

ibaya.hatenablog.com

 

THE CHURCH

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ともえさんとゲストハウスに戻る途中、誰もいない教会に立ち寄る。わたしは、キリスト教徒という訳ではないのだけれど、キリスト教(とロックンロール)に強い影響を受けて育った。ハワイに来る前も、むさぼるように三浦綾子さんの著作を読み漁っては「神の道具になりたい。自分の意思に従うこと以上に、神の意思に従いたい」などと心に銘じてこの島に来た。教会のなかには誰もいない。車を停めてなかにはいる。聖堂の入り口はフェンスで塞がれていた。大きな広場がある。この広場で集会でもしている(過去にしていた)のだろうか。十字架の前で手を合わせると、おだやかで敬虔な気持ちになった。大広場の散策をさせていただきながら、ふと、もしも可能であったら「この場所をごちゃまぜの家(ごちゃまぜの教会)として、管理をさせていただく代わりに使わせていただくことはできないだろうか・・・??」ということを思った。

 

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この教会の歴史が刻まれている。もちろん、一見すると使われていないように見えるこの教会も、実際のところは現役で管理をしているひとがいるのかもしれない。その時は、私の存在は不要になる。が、もしも「誰か管理人をやってくれるひとがいたら非常に助かる」という場所なり空間なり教会なりがあったとして、私の存在(あるいはごちゃまぜの家のコンセプト)がその役割を満たすことができるのであれば、必ずしも家である必要はないのだと思った。教会でもいいのだし、教会だとしたら・・・と考えるだけで不思議な力が湧き上がる。これはどうしてなのだろうか。元来、わたしには宗教色の色が強くある。宗教をはじめたいという思いがある訳ではないのだけれど、宗教の中にある「普遍性」であったり、なにかを信仰するものにやどる「敬虔さ」のようなものに、どうしようもなく惹かれている『なにか』を感じているのかもしれない。

 

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そのような話をしながら、ともえさんと共にゲストハウスに車で戻る。この記事を書いている途中(いまから15分程度前)、ともえさんから以下のようなメールが届いた。明日以降の予定はなにも決まっていない自分の予定が、このメールによって決まった。特段予定もないままにハワイまで足を運び、ただ、誰でも自由につかえる空間を求めて導かれるままに四日間の月日が流れた。ともえさんは、これから昇る朝日を迎え撃つために標高4000メートルの高地までバスで向かうツアーに参加をするのだと言う。明日からまたひとりになる。もののけ姫に出てくるアシタカの有名な台詞「曇りなきまなこで見定め、決める」という言葉が脳裏をよぎった。こころの目を見開いて、まっすぐに、できることならば『(自分ひとりの意思ではない)もっと大きなものの意思』に沿った生き方をしていきたいのだと思う。

 

 

明日はもう 予定はありますか?
(おせっかいだったらごめんなさい)

坂爪さんがキリストとお友達というか(エネルギーが合うときいて) 
どうしても お伝えしたいところがあって

ここから ヒロ経由だと2時間半

ぐるーっとコナを通っていくと約3時間 (汗)

なんですが すっごく素敵な場所だった!!!

なんだか エネルギー的に力を貸してくれそうな(^^)/

ここは 火山が噴火して溶岩が流れてきたときに 

みんなが避難していて ここまで溶岩がながれてこなかった

という場所で

この近くに 溶岩が流れてきて
そのまま溶岩の地が続くところもあり

ワイ島のワイルドなエネルギーを感じられる場所です(^^)/

 

star of the sea church hawaii - Google 検索

 

上の場所が 流れてきた溶岩が そのまま大地をつくっていて
溶岩なのに(笑)植物が育ち始めている

破壊と創造なエネルギーの場所です(^^)/

 

日の出みてきます~!(^^)/(^^)/(^^)/ 

 

お友達が増えました! #今日こそが本番 #ホナウナウという場所に行きます #罪がすべて洗われる場所として有名 #罪まみれのビリー #神よ許したまへ #いっぷんきゃぷてんくっきんぐ #今日はなにをさばこうかな #わたしはすぐにひとをさばく #さばかれるのはわたしか #さばかれることは慣れている #サバカレー #食べたい #日本の食文化は優れている #ともえさんは千葉生まれ #房総半島から太平洋を眺めながらハワイは昔きっと日本とつながっていたのだろうと感じていた #日本とハワイのルーツを探す #ハワイにおける日本人の歴史に強い興味あり #ヒロの方に行くと日本文化の名残がものすごい #歴史を学ぶ #カラダを張っておべんきょうをしてまいります!!

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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【3日目・キラウエア火山】ハワイの女神・ペレ様に挨拶をする。

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みなさまお疲れ様です!ハワイ時刻ただいま20時29分。カイルア・コナという場所にあるゲストハウスに6日間の宿と車まで(!)ご用意をしていただき、ハワイにごちゃまぜの家をつくるために動き回っております。が、今日は非常に心地よい疲れとともに帰宅したので残りHPが比較的0です!駆け足で本日の報告をさせていただきます!(ちーむぜろが今回のジャケットを作成してくれました!!!)

 

 

昨日、非常に粋なご連絡をいただきました。粋であることとは、なんだかとても素晴らしいことであるように思います。これまでの日々、粋なひとの力によって生かされてきたと行っても過言ではありません。本当にありがとうございます(このメールをもらったとき、実は、諸事情によりショッピングモールの裏手にある誰もいない小屋でこっそりギターを弾きながらスピッツを口ずさみつつお迎えの車を3時間待つ、的な時間を過ごしていたのでものすごい救われました!!)。

 

 

今朝はカイルア・コナ(早朝の動画でまちがえてキャプテンクックにいるなどと言いましたが間違いでした!ごめんなさい!)から車で2時間、ヒロという場所でS様と合流をしました。S様が「今日は満月ですし、三月のはじめということもありますから、キラウエア火山まで行ってペレにご挨拶をしましょう!」という素晴らしすぎるご提案をしてくださったので、そのままS様の車に乗ってキラウエア火山を目指します。

 

 

日々の寝不足がたたり、車の中で眠り続けるさかつめに嫌な顔ひとつせず付き合ってくださるS様。S様の優しい人柄(S様は声がやさしかった。声にはかなりそのひとが出ると思う)に今日は何度も何度も救われました。ボルケーノに到着。25ドルの入場料金を支払って火口に向かう。降り続いていた雨が火口付近に到着すると共にあがる。念願の火口付近に立つ。なぜか、全身が「まるで温泉にはいっているような、かつ、日光を全身に浴びているような」感覚に包まれる。この場所にいるほどに力が蓄積をされていくような感覚になり、敬虔な気持ちになる。ここに来てよかったと心から思う。その後、Sさまに車でパホアやヒロをご案内していただき、ヒロで別れ、わたしはカイルア・コナの宿に向かって車を飛ばす。道中、虹と夕日に「うおおおおおおおおおおおおお!!!」と感動をする。何度か眠りおちかけながら、宿に着いたのが20時12分(ついさきほどになります!)。

 

 

🌸🌸🌸ちーむぜろによるビリギャル男解説🌸🌸🌸

 

twitcasting.tv

 

🌻🌻🌻2日目の記事はこちらです🌻🌻🌻

 

ibaya.hatenablog.com

 

明日からが本番。

本当はもっとエッジの効いたことを書きかったのですが、自室の隣が宿泊客共同のキッチンになっておりまして、なう、日本人ゲストの方々のおしゃべりが爆裂怒涛に盛り上がっていらっしゃるみたいでちょっと落ち着いて文章をかける状態ではないために、明日に備えてゆっくり眠りたいと思います!!

 

S様の話は興味深いものの連続だった。S様の車があまりにもかっこいいトラック【車中泊もできそうで、実際、車中泊もしているとのこと】だったので「この車はどうしたのですか??こちらで買われたのですか??」と尋ねたら「ワークトレードをしたんです。五日間、家の壁塗りの仕事を手伝う代わりにこの車をもらいました」とのこと。そんなことってあるんですね!とビリギャル男もびっくり。S様は、自動車免許をハワイで取得したそうなのですが、それにかかった費用が驚きの50ドル(単純計算で5000円程度)とのこと。かつ、かかった日数はたったの2日。日本だと30万円(期間も1ヶ月)近くかかっちゃうものだから、なんだかもうあれだなあ、という気持ちになりました。

 

ここに書いていることの五億倍はいろいろなことがあったのですが、なんだかもう目がしばしばしちゃっていよいよこれはもうあれになってしまったので寝ます!寝れるかな!キッチンの声をさげてもらえるようにお願いをしてから寝ようかな・・・そんな勇気がわたしにはあるのだろうか・・・すんすんすん・・・・車を運転しながら「人生とは、自分を楽しませることである」ということを今日は何回か思いました。生きているとフラストレーションを抱えてしまうこともあるけれど、そのときは大概「言いたいことを言えていないとき」か「自分を楽しませることができていないとき」だと思います。キッチンについては完全に前者なので、いまから勇気を出して「誠に申し訳ないのですが、これからちょっと眠りにつきたいと思っておりまして、こんな早い時間に大変申し訳ないのですがもうちょーーーーーーーっとだけ声のボリュームを小さくしていただけると最高にうれしいです!!」とお願いをしてまいります!!みなさまほんとうにありがとうございます!!最後にもらってうれしかった応援メッセージの数々を(一部になります!全部紹介できなくてごめんなさい!)自分のために転載します!!

 

 

坂爪さん(ビリギャル男さん)

 
こんにちは!○○○○と申します。
この度、坂爪さんが新たな冒険に出るということで、感銘を受けて何かしたいと思いメールさせていただきました。
(突然の連絡すいません)
 
ごちゃまぜの家 in ハワイ とても素晴らしいと思います!
私もいずれは南の島で暮らすことに憧れていて、そんなことを考えていたら坂爪さんが今回実際に挑戦されるということで、うれしい気持ちですし、先を歩いてくれることは、それだけで勇気付けられます。
 
ハワイでの日々を、ご健康で、なにより楽しんで過ごされることをお祈りします。
 
本当だったらお見送りにいって直接お伝えしたいところでしたが、予定の調整がつかず....
メールになってしまいますが、私のパワーをのせてこのメッセージを送ります。
楽しんでください!

 

ブログ拝見してます。
坂爪さんのピュアな言葉にいつも涙がでます。自分は自分でいていいんだと勇気もらえます。
いつもありがとうございます😊

 

圭吾さん、おはようございます!

ワイ島!!

私も大好きです!!

私のもじゃもじゃもじゃ頭はペレと一緒!!とか謎なことを考えて喜んでる変人○○○○です!!

圭吾さんがハワイ島でどんなことを感じるのか、すんごい興味があります。

こうやって応援させてもらえるのが嬉しい💖
(勝手に応援してるんですけどー笑)

見てます💖

圭吾さんのこと、見てます😄💖

身体は大切に。

でも頑張って!!

うまくいくとかうまくいかないとか、そんなのどーでもよくて、圭吾さんがいつでも圭吾さんで在れますように!!

帰ってきたら整体させてくださいね😄💖

 

はじめまして!坂爪圭吾さん、○○○○と申します。


私は2年程前に坂爪さんのブログに出会いました。
 
坂爪さんの綴る文章は、心の底から生み出された言葉で書かれている感じがひしひしと伝わり、毎回私の心がジーンと感動しています。
昨年、ごちゃまぜの家第一弾を作られるときにも何かしらの形で応援することが出来ればと思っていたのですが、タイミングを逃してしまいました。
「いつか坂爪さんを応援できる日が来ると良いな」と思っていたら、今回、第二弾ということで活動される事を知り、是非とも応援させて頂きたいと思いました。
誠に勝手ですが、ささやかながらお賽銭箱に入金させていただきました。坂爪さんが人生を楽しむために何かしらに使っていただけたら幸いです。
 
坂爪さんの生き様や、綴る文章、発する言葉からは本当に毎度感動を頂いております!
このような機会を頂き、ありがとうございます。
どうか背負い過ぎず、肩肘貼らずに自然体でいてください。皆そんな坂爪さんが好きだと思いますよ。
 
ではこれにて失礼します。今後も誠に勝手ながら応援させていただきます!
 
静岡在住の者より。

 

NYから坂爪さんの事、応援しています!坂爪さんと同じ新潟出身です!ハワイで楽しいご縁が生まれるよう祈っています😊

 

拝啓 ビリギャル男 さま

 

朝から、動画を拝見しました。
ああ、この方は、怖くてたまらない事をしようとしているんだなと思いました。

 

ああ、もうなんて生き方をしてるんだ!
もはやギャグのようじゃないですか!!←褒めてます。

 

世界中の私があなたの変わりに生きていて
あなたは私の変わりに生きている^ ^

 

お賽銭しました。
無駄使いに使ってください。

 

生きろ!

 

大分から全力で応援してます❗️

 

坂爪さんこんにちは🌟
足は大丈夫でしょうか?
ハワイからの配信、ありがとうございます✨まだこちらは絶賛雪景色なので、ハワイの空気を感じられるだけでほっこりしています✨坂爪さんは南国が似合いますね✨

ハワイは本当にナイスアイディアです!!ツテも情報も特になくて恐縮ですが、(毎年、やや長めの冬の間、南の島への憧れは半端ないです笑。)裸足でバニヤンツリーに木登りとか木の上でお昼寝とかしたいですね…✨

きっと、日本の神様もハワイの神様も味方していますね!(神様というのは、人々の祈りの集合体なのだそうですよ✨)
わたしも日本からお祈りしてます!

 

坂爪さんのSNS日常に綴られている正直な在り方が大好きで、私はいつも勝手に勇気つけられてます(*^^*)

今日も良い日で明日も良い日に🎵おやすみなさい❤

 

坂爪さん、はじめまして。
なぜか坂爪さんが大好きな、米国ロサンゼルス在住、○○出身の一児の母です。
今ハワイにいらっしゃると聞いて、何かできることはないものかとずっと心をソワソワさせております。
が、なにぶん、自身がハワイに居る訳でもないので、特にお役に立てることも思いつかないまま、
溢れる気持ちをここへ認めております。実は昨晩より送信を躊躇して今に至りますが、もしもこのメッセージが届きましたら、
ここロサンゼルスにもあなたの存在を心に留めている者が居るという事だけでも知って頂けたら幸いです。
そしてハワイとロサンゼルスでしたら時差も2時間しかありませんし、もしも困ったことがありましたら、是非ともご連絡頂きたく思っています。
私に何ができるかはわかりませんが一緒に考えさせてください。
良い出逢いがありますように念じています。

 

ほんの少しですがゆうちょ銀行の口座に送金してます。
私は、行動する人を信じます。これからも、自分の道を進んで下さい。私も私の道をまっすぐ歩きます。

 

坂爪さんへ

 

お久しぶりです。
ハワイにいらっしゃるのですね!
お元気そうで何よりです。
最新のブログを読ませていただきました。

 

たくさんの方達に見守られながら、次々と色んなことを成し遂げていく坂爪さんに、私は今も、パワーを分けてもらいながら生きています。

 

私も10年前から、坂爪さんと同じ病気にかかってるんです。
統合失調症!!!🙌

 

坂爪さんのように、一気に治すことはできませんでしたが、一番酷かった時期よりもだいぶ良くなってきています。

 

夫や子供たち、周りの理解のある人達に支えられて、明るい引きこもり主婦をしています。

 

毎日、家の中で過ごす日々ですが、坂爪さんのブログを読みながら、私もあちこち旅の気分を味わっています。

 

なんて自由な坂爪さん!

 

お陰様で、私も、気持ちだけは自由に生きています。
元気になったら、いつか家を飛び出して(家出ではありませんよ)、大自然の中でテントを張って、朝日を見ながらコーヒーを飲みたいです💑

 

うかいつまでも、お元気でいらしてくださいね。

 

坂爪さんが、どんどん進んで行くのを見るのが、私の何よりの楽しみです!

 

私も、生きますね。
命が尽きるその日まで。
一生懸命、生きていきます。
約束します。

 

坂爪さんが書いていたように、「人生が運んでくれます」、会うべき人、見るべきもの、行くべきところへ。 私も、おかけで、坂爪さんのブログを読んでいる人とのつながりを感じたり、また、私自身のハワイ島とのつながりを感じたりしています。ありがとう!

 

坂爪さん!こんばんは!
何度かご連絡させていただいてる○○○○と申します!

 

ブログ読みました!次はハワイなのですね!
わたしはいまインドにいるのですが、インド行きが決定する直前に、ハワイにいる友人からの紹介や誘いで《ハワイに行く》という流れもわたしの目の前にはありました。

 

でもなんとなーく、その流れはそのまま流れていき、結果わたしはいまインドにいるのですけど、きっとあの時のなんとなーくな違和感というか、一歩踏み出せずにいたのは「今はまだ早い」と天に言われていたのだなあとわかりました。

 

わたしはきっと坂爪さんたちが居場所を作り上げた後にハワイに行くのだと思います。

 

なんていうか、ことの流れ、ことの運びというものは、常にパーフェクトに作られていて、自分の中の感覚を信じることのおもしろさを、今改めて実感しています。

 

坂爪さんの、
本気で生きる姿
ありのままをさらけ出す姿
真ん中から目を背けない姿

 

本当に日々、勇気と希望をもらっています。

 

坂爪さんは確実に世界を増やしています。本当にありがとうございます。

 

わたしはたいした言葉を紡ぐことはできませんが、坂爪さんのことをほんとうにほんとうに応援しています!!!!


いま海外にいるので口座への振り込みようがなく、力になれず申し訳ありませんが、気持ちはいつも(勝手に)坂爪さんのそばにいます!

 

これからも今後の展開を楽しみにしています😊

 

では!体にお気をつけて。

 

坂爪さんがすてきなお仲間たちとつながり、今を味わい、しあわせな時間を過ごせますように。

 

インドより愛を込めて

 

○○○○

 

ハワイ島のヒロという場所に向かいます! #今日から本番 #1分キャプテンクッキング #表情が硬い #笑顔が不自然 #まだまだ改善の余地あり #自意識が邪魔をしている #自然な笑顔を身に付けたい #目のクマがやばいとか思ってたけど骨格の問題説 #今日は満月 #ペレ様に挨拶に行きます #今日はなにが起こるんだろう #GoPro #ゲストハウスのお部屋が広いのでビリーズブートキャンプやります #みなさまにとって本日も素晴らしい1日になりますように!! 

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

お賽銭箱:坂爪圭吾に「もっと生きろ!」という方はこちら
ゆうちょ銀行》※ゆうちょ同士
 10120−54031201 サカツメ ケイゴ 

《ゆうちょ銀行》※他の銀行から 店番号 018 店名 〇一八店(ゼロイチハチ店) 普通 5403120 サカツメ ケイゴ

 

🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸 

応援メッセージもこころからお待ちしております。みなさまからのお言葉が、へっぽこりんちょになっている瞬間にどれだけ大きな力になることか・・・簡単な一言だけでもとってもうれしいです。みなさまからの応援をよろしくお願いいたします!!

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LINE ID ibaya

【2日目・ハワイ島】ただ勝ちたいだけなのか、見たい社会を実現したいのか。

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朝5時半に目覚める。顔を洗ってホテルを出る。最寄りのコンビニで珈琲を買う。朝7時頃、ホテル前にオアフ島在住の女性H様の方が車で迎えに来てくださった。昨日、寝る前に「ホノルル空港までの足はありますか?もしよろしければ、車でお送りさせていただきます」というご連絡をいただいた。 あまりにもありがたくてありがたくて「ご迷惑でなければよろしくお願いいたします!」と即答をする。多くのひとたちに助けられながら、この瞬間の自分がある。H様のあたたかな思いやりがほんとうに嬉しくて興奮をしてしまってなかなか寝付けず、結局、寝不足のまま今日という1日がはじまる。

 

 

現在の時刻は13時30分。ハワイ島のコナ空港にあるベンチに座っている。非常にありがたいことに、ハワイ島での宿を(なんと6日間も!)手配をしてくださった方のご好意により、15時過ぎにホテルの方が車で空港まで迎えに来てくださる。いま、15時を待ちながらこの記事を更新している。ハワイ島では車も使わせていただけることになった。さて、ごちゃまぜの家の候補地を見つけることはできるだろうか。自分のなかにある「信じる力」が試されているように思う。信じることができれば実現をするが、信じることから遠く離れてしまうほどに、多分、現実化する速度も落ちるのだと思う。

 

🌻🌻🌻1日目の記事はこちらです🌻🌻🌻

 

ibaya.hatenablog.com

 

【2日目・ハワイ島】2月28日(水)ホノルル空港〜コナ空港

様々な方々から応援メッセージが届く。ひとつひとつに猛烈に励まされている。ハワイに行くと元気になる。ハワイは素晴らしいところだ。ハワイは日本人にとって故郷のような場所である。そのような話は過去に何度も何度も何度も耳にしていた。昨日、普段からものすごいお世話になっているN様から連絡をいただいた。N様は過去にハワイに二度足を運んだことがある。そのうちの一度は、なんと、懸賞で当たったからだというからものすごい。その時の思い出を、N様はこんな風に振り返りながら語ってくれた。

 

私はハワイにいった1度は懸賞で当てたからなんですが、

 

その時
私は統合失調症
診断されたばっかで、生きる希望が、なくて
ちょっとまずかったときだったんです。

 

んで病院の先生に
当たったことを
伝えたら
仕事はダメ
何もかもダメな
先生なのに
ハワイだけは
行きなさいと言われ、ビビりながら
行きました。

 

んであんな死しか
考えてない私が
ハワイでは
笑顔だけになり
帰宅した私をみて母が嬉し泣きしました!


つまりハワイとは
導かれ
勝手に守られ
勝手に元気になってくる
スーパーすごい場所なんだと思います。

 

この話を思い出したら、
ビリギャル男さんも 導かれたからハワイにいってるし
勝手に守られ Happyを
日本に運んできてくれると確信したら安心しました☆

 

死ぬことばかりを考えていたひとが、そこにいる間はずっと笑顔になる。そんな場所がこの世の中にあるとしたら、これはほんとうに素晴らしいことなのだと思う。いま、ハワイ島に着いたばかりの自分が言うのもあれだけれど、コナ空港近辺だけでも「ここにはなにかがありそうだ」と思わせてくれる空気感が漂っている。そんなことを思っていたときに、S様からこのようなメールをいただいた(正確には、数日前には届いていたのだけれど確認が物凄い遅れてしまって先ほど読ませていただきました!!ごめんなさい!!)。そこには、このような言葉が書かれていた。

 

坂爪さん

こんにちは。○○○○○○です。

いつもブログを拝見し、坂爪さんの姿や言葉、絶景写真に癒されております^^

ブログにのせている写真、いつも坂爪さんが撮影されているのですよね?

とっても色彩が美しくて心に響きます。

さて。この度メールしましたのは、お賽銭いれます!・∀・(正確には明日振り込みます。)

ということをお伝えしたくて。

坂爪さんの生きろというメッセージに対して

最近、私は生きることに興味がわかなくなりました。

そしてわからなくなりました。自分の人生をおもいっきり生きたいからこそ

 
なんでもできる可能性があるからこそ、何をするために生まれてきたのか
 
という使命を探したく、ただ考えるだけ考えて行動ができなくなりました。

ただ生きているだけでいい。何もしなくてもいい。いや、何かはしたい。

そういう思いでいっぱいです。

坂爪さんが生きるなら私も生きる。的な気持ちになり、

会社や企業からもらうお金ではなく

自分の好きなことのひとつである人物写真を撮り、

そこに価値を見出してくれた人から頂いたお金を

坂爪さんに託して循環させたいと思いまして。

お金がなくなる不安から働きたくはないので、
 
今持っているお金を握りしめてしまっている状態でして
 
本当に本当に使いたいことに使いたいと思っているところでした。

今とても気分がよくなりました♪ ありがとうございます。

ハワイは暖かくてよいですね^^

お気をつけて。

 

素晴らしいなんて言葉を使うことがおこがましく感じるほど、素晴らしい勇気だと思った。この感動をうまく言葉にすることができない(ちなみに写真はすべてiPhone7で撮影しています!)。このような形でいただいているお賽銭を、無駄に使うことは許されない。許されないというよりも「大切に大切に使わせていただきます」という、敬虔な気持ちになる。このような気持ちを与えてくれたS様、そして、すべてを紹介することができなくて本当に申し訳ないのだけれどこうして応援をしてくださるすべての方々に向けて、改めて「本当にありがとうございます」と感謝をしながら天を仰ぐ。自分の命は自分のものであって、自分のものだけではない。そのことを痛感していたとき、一通のメールが届く。

 

はじめまして、坂爪さん。いつもいつも、ブログを読んでいます。勇気をもらっています。自分を大切にできなくて心がボロボロになったとき、俺の悲しみは、自分を偽って他人に迎合したからなんだと気付かされます。きっと俺と同じように、たくさんの人たちが坂爪さんの行動に救われています。苦しみと向きあい、気持ちを文章化してくれることで…。文章を書くのが苦手なので、うまく伝えられないのですが、ありがとうです。坂爪さん、ありがとう。

 

あったことのない人間にメールを送るということは、とんでもない勇気を必要とすることだと思う。こうしてメールを届けてくれた方々は、みな、誰もがそれぞれの『勇気を出して』連絡をしてくれたのだと思う。このような連絡を立て続けにいただけたとき、ひとは「いい加減に生きる」なんてことはできないと思う。少なくとも、いまの自分にはそんなことをする勇気も度胸も気持ちもない。ただただ、しっかりと生きたいと思う。そして「しっかりと生きたいと思わせてくれる」周囲の人々に対する、言葉にならない感謝が湧き上がる。「俺の悲しみは、自分を偽って他人に迎合したからなんだと気付かされます」という言葉に、わたし自身もまた、大切ななにかを気付かされたような感覚を覚えました。

 

ただ勝ちたいだけなのか、見たい社会を実現したいのか。

先日、こんな話を聞いた。ごちゃまぜの家@菊名の管理人をつとめている稲村彰人さんが福岡に行った際、ごちゃまぜの家の活動諸々を初対面の女性A様に簡単に説明をした。その際、A様は「もしかしたらあなたのボス(要するに坂爪圭吾のこと)は、ものすごいバカか、ものすごい天才なのかもしれないね」的なことをあきとに伝えた。なにか新しいことをやる人間には、おおまかに分けて二種類ある。ひとつは『ただ勝ちたいだけのひと』であり、もうひとつは『見たい社会を実現するひと』の二種類になる。

 

 

この話を聞いたときに、わたしは「お前はどっちだ?」と問われているように思った。できることならば、後者でありたいと願う。社会不適合者という言葉もあるけれど、年間自殺者が3万人いて、うつ病患者も100万人を超えているとも言われている世の中に適応をしたら、頭がおかしくならないほうがおかしいのではないだろうかと思う(ことがある)。必要なことは適応よりも『開墾』なのではないだろうか。息苦しさを覚える世間のルールに自分をあわせて生きるだけではない、ここでなら生きていける【生きたいと思うことができる】、ここでなら自分らしくあることができる、ここでなら自分が自分のままで生きることができるという世界を見つけること、それがなければ自分で生み出すということ。それこそが、いま、なによりも求められていることなのではないのだろうか。そのような開墾マインドから、わたしはごちゃまぜの家の活動を続けている。

 

 

今日からハワイ島での日々がはじまる。当たり前の話だけれど、自分にできることには限りがある。しかし、自分を含めた「自分たち」にできることならば、無限大の組み合わせがあるように思う。今回のテーマはチームプレーだ。ハワイにいるのはわたしひとつの肉体だけれど、この命は、様々な方々によって構成をされている。そのことを思う時、ああ、自分はまったくひとりではないのだなということを思う。現在の時刻は14時15分。与えられたこの命を、わたしは、どのような形で生かしていくのだろうか。数日前、ものすごい感動的なメールをもらった。そちらを最後にご紹介させていただきます。この記事をご覧のあなたにとっても、今日という1日が素晴らしいものになりますことをお祈りしています。

 

 

圭吾さん

はじめまして!
○○○と申します 。
 
はじめに申し訳ありません > <
送信ボタンを押すのに勇気が要り、何日もかかってしまいました 。。
結果的に旅立ち直前のお届けになってしまい申し訳ありません 。



以前から圭吾さんの発信に励まされて、
力を与えていただいています 。

山あり谷ありの日々のなかでも
たゆまずピュアな発信をし続けてくださっていて、
本当にありがとうございます 。支えられています 。

以下、少し長くなってしまいますがどうかご容赦ください u u

**********
 
(中略)

**********

長くなってしまって恐縮なのですが、
最後に圭吾さんにお礼をお伝えしたくて
もう少しお付き合いいただけたら嬉しいです 。



いまひと文字ひと文字、
喜びと感動を感じながら
こちらのお手紙を綴らせていただいています 。

実は今こうしてパソコンに向かい文章を書けていることも
半年前の私からしたら奇跡的なことなのです 。

この数年病気がちで、
1年の半分以上が寝たきりのような日々でした 。

とある出来事をきっかけに、状態はますます悪くなり、
1年弱前からは仕事や活動の一切ができない状態になりました 。

それから精神的にも塞ぎ込み、
家族やこれまで付き合いのあったとても親しい人たちとも連絡を取れなくなり、
PCやスマホなど通信機器もアレルギー状態で触れられなくなり、極度の引きこもりになりました 。

― 今日に至るまで様々なドラマがありました 。

そんな折、圭吾さんのブログをふと拝見する機会がありました 。
1月中旬頃でしょうか 。

どの記事のどの部分を読んでだったか覚えていないのですが …
私は感動に胸打たれて衝動的に

" 圭吾さんにこれまでの発信への感謝の気持ちをお伝えしたい ― ! "

その思いに駆られて、
もう半年以上押し入れにしまい込んでしまっていたパソコンを
勢いで日のもとに再び引っ張り出しました 。

パソコンは大事な仕事道具だったのですが、
目に触れるだけであわや呼吸不全になるので
もう仕事を継続することも諦めて
ずっと目に触れないところにしまいこんでいたのです 。

それを再び目に触れる場所に自らの手で取り出した ―

それはもう一度外界と繋がろうとする、
私の内なる小さな意志を意味しました 。

ほぼ1年間ほとんど廃人のようだった私にとってそれは、
自分のこととはいえ奇跡を見ているようでした 。

あたたかな血の通った涙が溢れました 。

私にもまだこれほど生きようとする力、
ひとと繋がっていこうとする力が残っていたんだ …
私はまだ枯れ果ててはいなかったんだ … と 。

生きようとすることも、
ひとと繋がっていこうとすることも、
たとえほんの少しでも「自分と世界への信頼」が
なくてはできないことだと感じます 。

圭吾さんの在り方が私の絶望しきっていた世界に
一滴の「信頼」という雫を投じてくれたのです 。

寝たきりの私に衝動的に行動させて
さらには触れられなかったパソコンに向かって
このようにメッセージを綴らせてくれている圭吾さんのエネルギーは
なんて純粋で透明で力強いのだろうと感じています 。

圭吾さんの魂から迸るひと文ひと言が
私の暗い闇の底に手を伸ばし、闇をかき分け、
光の雨で潤してくれたような ―
そんな思いがいたします 。

献身的に支え続けてくれたパートナーも
私の部屋にある四角い箱を目にしたとき
「 ああ こんな日がくるなんて … 」
と感動していました 。

とてもとても小さな一歩ですが、
とてもとても大きな一歩だと感じています 。

人生をもう一度立て直したいと勇気を出すのに
十分すぎる衝動だったのではないでしょうか 。

圭吾さんという存在に、
本当に、本当に、ありがとうございます 。

私だけに限らず、
命(魂)を救われている方が
どれほどいらっしゃることでしょう 。

勇気と優しさと生きる力 ―

圭吾さんから巡り繋がり拡がる
目に見えないたくさんの恵み、
魂の潤いを、
ありがとうございます 。



やはり、とても長くなってしまいました 。汗
ここまでお読みくださってありがとうございます 。

圭吾さんのハワイの旅、そして人生の旅が、
よき出逢いに溢れた素敵な素敵な旅となりますように 。

いつも心からお祈りしております *.°
Bless you *.°


○○○

  

ハワイ島のコナ空港に到着しました! #ワイキキからホノルル空港までホノルル在住の方が送迎をしてくれました #手作りのサンドイッチとバンドエイドとお賽銭までいただきました #これで心置きなく靴擦れができます #超絶ありがとうございます #まじでもう本当にみんないいひと #ハワイ島では六日間宿を取っていただきました #わたしはなにで恩返しをすればいいのか #御恩と奉公 #恩返しと恩送りのハイブリッドな生き方を目指す #車も貸していただけることになりました #ハワイ島 #すみからすみまで見てみたい #ハワイ島に詳しい方は力を貸してください #コナ空港の開放感がやばい #GoPro #メガネ日焼け #キャントストップクマ #いろいろ興奮してしまって連日寝不足 #これから3時頃までお迎えまちの時間をいかに過ごすか #ツイキャス音声配信と同時進行で各種メール返信に励みます!!

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

お賽銭箱:坂爪圭吾に「もっと生きろ!」という方はこちら
ゆうちょ銀行》※ゆうちょ同士
 10120−54031201 サカツメ ケイゴ 

《ゆうちょ銀行》※他の銀行から 店番号 018 店名 〇一八店(ゼロイチハチ店) 普通 5403120 サカツメ ケイゴ

 

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応援メッセージもこころからお待ちしております。みなさまからのお言葉が、へっぽこりんちょになっている瞬間にどれだけ大きな力になることか・・・簡単な一言だけでもとってもうれしいです。みなさまからの応援をよろしくお願いいたします!!

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